銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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ガイエスブルクを破壊し、帝国領を大きく切り取った同盟軍。
しかしその間に、ハイネセンはマルガレータ艦隊によって占領されていた。
ヤンは避難船団と合流し、首都奪還か、市民保護かの選択を迫られる。
そして、自由惑星同盟は新たな国家へと姿を変える。


共和国万歳

【イゼルローン回廊 ヒューベリオン】

 

ガイエスブルク要塞を塵に変え、帝国辺境への道を開いた。イゼルローン方面でも同盟軍は圧倒的な圧力を放ち続けている。誰の目にも、今回の遠征は歴史的かつ圧倒的な大戦果として映るはずだった。

帝国領の四分の一を切り取り、フェザーン回廊の軍事均衡すら完全に崩壊させたのだから。

 

だが、誰も勝利の美酒に酔うことなどできなかった。

 

「総統……ハイネセン方面からの断片通信を確認。フェザーンを占領したヘルクスハイマー元帥の艦隊が、すでにバーラト星系へ到達。ハイネセンは……」

 

通信士の喉がひきつり、声が途切れる。

 

「続けて」

 

「ハイネセンは、すでに帝国軍に占拠されています。抵抗らしい抵抗は確認されません。総統府、統合作戦本部、宇宙軍司令部はすべて接収された模様です」

 

ヤンは髪を指先で乱暴に掻き回す。頭皮に伝わるチクチクとした痛みが、幻であってほしい現実を直視させていた。

 

「予想しなかったわけじゃない……わけじゃないが、これほど早く、しかもあの娘が単独で首都まで直撃してくるとはね」

 

「こちらが帝国正面で暴れている間に、フェザーンから心臓を突いたわけですか。やってくれますね、あの桃色の元帥」

 

アッテンボローの言葉には、敵ながら天晴れという悔恨と苦い敬意が入り混じる。

 

「色で呼ぶのはやめておこう。こちらの戦術名も人のことを言えない」

 

「トリニティ・クロワッサンの件ですね」

 

「忘れてくれ」

 

「高等参事官トリューニヒト、第一艦隊司令官クブルスリー提督、統合作戦本部の主要人員、政府関係者、市民船団の大部分はハイネセンから脱出しているようです。複数の民間輸送船団が、第一艦隊の護衛下で外縁方向へ移動中です」

 

その言葉を聞いた瞬間、ヤンの肺の奥底に凝り固まっていた鉛が、僅かに溶け落ちた。

 

「それは……助かった。いや、本当に助かった」

 

「ヤン提督……」

 

「大丈夫だよ、ユリアン。いや、大丈夫ではないが、倒れている暇はない。自分の仕掛けた謀略で自分の足をすくわれるなんて、格好のつかないことはしたくないからね」

 

マルガレータは、ヤンが作り出した一瞬の隙を見事に突いたのだ。

あまりにも鮮烈な手腕への畏怖と、己の策が裏目に出た苦渋が胸の内を渦巻く。

 

「とにかく進軍だ。ハイネセンから逃れた皆を保護しなければならない。首都を取り返すかどうかを考えるのは、そのあとだ」

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

【バーラト星系外縁】

 

大型客船、貨物船、政府専用船、病院船、学校単位で避難する教育船、老人施設の輸送船、そして個人所有の小型宇宙艇。これほどの無秩序な群れが虚空を漂う光景は、狂気すら感じさせる。

 

それを包み込むように進む第一艦隊の将兵たちは、極限の疲労に苛まれながらも、決して陣形を崩そうとはしなかった。彼らが背負っているのは首都ではない。同盟市民という、国家の命そのものなのだ。

 

映し出されたクブルスリー提督の顔には、隠しようのない憔悴が刻まれていた。だが、その瞳の奥には決して折れない鉄の意志が燃えている。隣には、髪の毛一本乱さぬヨブ・トリューニヒトが静かに控えていた。

 

「クブルスリー提督。よく守ってくださいました」

 

「自分は、戦わずに首都を放棄しました。総統からお叱りを受ける覚悟はあります」

 

「叱る理由はありません。あなたは、私がその場にいても命じたであろうことをしてくれた。第一艦隊は、同盟市民を守るという最も重要な任務を果たしています」

 

クブルスリーの強張っていた頬の筋肉が、わずかに緩む。

 

「そのお言葉、兵に伝えます」

 

ヤンの視線は、隣の政治家へと移る。

 

「高等参事官。……私は今までで初めて、貴方をこの地位に任命して良かったと心から思ったよ。見事な撤退戦だ」

 

「ふむ、ヤン総統。褒められるのは光栄だが、私はただ、私自身の正当な権利を守るために行動したに過ぎないのですよ」

 

「正当な権利、ですか」

 

「そう。君に政権を渡した時にも言ったかもしれないがね。私の権力と、私の財産を守り、私が生き延びるため。動機はそれだけですよ」

 

回線の向こうから、シェーンコップの押し殺したような笑い声が届く。

 

「実に立派な悪徳ですな」

 

「悪徳は、隠すから腐敗するのだよ。正直に掲げれば、時に公共の利益と一致する」

 

トリューニヒトの詭弁とも本音ともつかない主張は、不思議なほどヤンの腑に落ちた。

 

「……なるほど。それなら、極めて分かりやすいですね。信用できる」

 

「私を信用する理由が、利己心の明瞭さであるというのは、なかなか味わい深いですな」

 

「善意だけを掲げる人間より、よほど計算しやすい。貴方は自分が生き延びるためなら市民も連れて逃げる。そこが良かった」

 

「私一人で逃げれば、後で吊るされますからね。市民と一緒に逃げれば、英雄になれる」

 

「正直すぎる」

 

「政治家の美徳です」

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

通信モニターの向こう側も合わせ、同盟の命運を握る幕僚たちが揃っている。議題は一つ。ハイネセンの奪還か、放棄か。

 

シェーンコップの口元に、好戦的な笑みが浮かぶ。

 

「どうします?ここで直ちにハイネセンを奪還すべく、一気に攻め込みますか?偵察によれば、敵はなぜかハイネセンに一部の艦隊しか残していません。主力はフェザーンへ引き返したようです。今なら、簡単に勝てますよ」

 

「敵守備艦隊は、占領維持に回された分遣隊中心です。マルガレータ本人はフェザーンへ戻った可能性が高い。こちらの第十三艦隊と第一艦隊を合わせれば、ハイネセンの奪還は可能です」

 

「軍事的には、今が好機でしょう。敵は占領直後で、行政掌握も不完全です」

 

クブルスリーの言葉に、反論の余地はなかった。

 

しかしヤンは、己の内に渦巻く葛藤を断ち切るように、ゆっくりと首を横に振った。

 

「やめておこう」

 

「首都を見捨てると?」

 

「バーラト星系は一時放棄する。市民たちを安全な辺境星系に送り届け、我々はイゼルローン要塞へ帰投する」

 

「イゼルローンへ?」

 

フレデリカの声に微かな動揺が混じる。

 

「そうだ。首都機能を一時的に要塞へ移す。あそこなら守れる。少なくとも、民間船団を背負ったままハイネセンで砲撃戦を始めるよりはずっといい」

 

「今なら勝てる戦を、退くわけですな」

 

シェーンコップの追求を、ヤンは真っ向から受け止める。

 

「勝てるかもしれない。だが、背後には民間人を億単位で連れている。ここでハイネセン奪還の戦闘行動など起こせば、巻き添えでどれだけの血が流れるか分からない」

 

「民間船団の航行能力はばらばらだ。戦闘宙域が少しでも近づけば、避難航路は崩れる。パニックも起きる。戦闘より輸送事故で死者が出るぞ」

 

キャゼルヌの指摘が、現実の重みをさらに増した。

 

「儂の意見としても、総統に賛成じゃ。首都奪還は魅力的じゃが、背負うものが多すぎる。今は逃げた市民を国家として再編することが先じゃ」

 

「国家のメンツより命、ですか」

 

「そうだ。国家のメンツより、今生きている人間の命が優先だ」

 

ヤンは胸の奥底で燻る未練を押し殺し、言葉を紡いだ。

 

「私はハイネセンを取り戻したい。だが、ハイネセンの建物のために、ハイネセンから逃げてきた市民を危険にさらすわけにはいかない。首都は星ではなく、人だ。政府も市民も生きているなら、同盟はまだ終わっていない」

 

その瞬間、沈黙を保っていたトリューニヒトが動いた。

 

「総統。今の言葉、後で使ってもよろしいかな」

 

「使い方によります」

 

「民衆を励ますためです」

 

「貴方が励ますと言うと、どうしても扇動に聞こえる」

 

「事実ですからね」

 

「否定してください」

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

【避難船団内部・特高臨時本部】

 

航路を決定し、物資を計算し、秩序を保つ。それは戦闘よりも遥かに神経をすり減らす作業だった。

 

「ユリアン。ハイネセンはもう完全に焼かれたというデマが広がっている」

 

カリンの声には、焦燥よりも疲労が濃く滲んでいた。

 

「発信源は?」

 

「第七船団の匿名端末。たぶん不安で騒いでいるだけ」

 

「逮捕はしない。訂正情報を出して、本人には警告。恐怖から出た言葉を全部犯罪にしたら監獄国家になる」

 

カリンの瞳が、少しだけ和らぐ。

「優しいね」

 

「優しくないよ。効率の問題だ」

 

「ヤン提督に似てきた」

 

「それは……少し困るな」

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

【イゼルローン要塞 総統府】

 

二ヶ月という時間は、難攻不落の軍事要塞を仮設都市へと変貌させていた。

 

「物騒でも書類が出るなら役所だ。次、避難民用の配給カードを十億枚刷るぞ」

 

「十億枚?」

 

「足りなければ二十億枚だ。国家再建とは紙と数字の洪水だ」

 

キャゼルヌの目の下には濃い隈が刻まれていたが、その処理能力は衰えることを知らなかった。

 

フレデリカが用意したヤンのデスクには、温かい紅茶の香りが満ちている。

 

「フレデリカ、紅茶棚だけ妙に立派じゃないかい」

 

「総統の精神安定装置です」

 

「公費で?」

 

「国家安全保障費です」

 

「それはさすがに」

 

「倒れられるより安いです」

 

彼女の揺るぎない献身に、ヤンは言葉を失う。

 

「眠れませんか」

 

「眠れる状況なら、私はもっと優秀な怠け者になれているよ」

 

「明日、敗北を認めるのですね」

 

「認めなければ、次に進めない。勝った部分だけを見て首都を失った事実を隠せば、私はフォークを笑えなくなる」

 

「市民はあなたを責めません」

 

「それが一番困る。責められた方が楽だ。許されると、次も期待される」

 

ヤンの視線の先には、虚空しかない。

 

「民主主義は、民衆が自分で考えるから価値がある。だが今、民衆は考える余裕を失っている。恐怖と喪失感の中で、誰かに答えを預けたがっている。その誰かが私だ。これほど悪い冗談はない」

 

「ならば、預けられたものを、いつか返すために持つしかありません」

 

フレデリカの言葉は、刃のようにヤンの迷いを断ち切った。

 

「君は時々、私よりずっと強いことを言うね」

 

「あなたの妻ですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無数のカメラのレンズが、ヤンの一挙手一投足を捉えている。何十億という視線が、己に突き刺さるのを感じた。

 

「皆さん、どうも。ヤン・ウェンリーです」

 

口を突いて出たのはいつもの挨拶だったが、そこに含まれるべき軽快さは微塵もなかった。

 

「今回の遠征の軍事的な戦略は、達成されました。ガイエスブルク要塞を破壊し、帝国辺境を手に入れ、帝国領の実に四分の一を切り取ることに成功しました」

 

大広間にどよめきが走る。

 

「しかし。……これは、自由惑星同盟の勝利を示すものにはなりませんでした」

 

「皆さんも知っている方が多いでしょう。帝国軍のヘルクスハイマー元帥率いる艦隊がフェザーンを占領し、そのまま我が首都ハイネセンまでを電撃占領しました。外征中に首都を直撃され、失った。これは言い訳のしようのない、国家としての敗北です」

 

悲痛な声が、群衆の中から弾け飛んだ。

 

「そんなことない!」

 

「総統のせいじゃない!」

 

「私達は総統を支持するぞ!」

 

向けられる盲目的な好意が、ヤンの心を抉る。

 

「ありがとう。ですが、責任を受け止めない指導者は、次も同じ失敗をします。私はこの敗北を、敗北として認めます」

 

その直後、滑り込んできたのはヨブ・トリューニヒトだった。彼の瞳には、完璧なまでに計算し尽くされた悲哀が浮かんでいる。

 

「市民諸君……聞いてくれ。私は、ここで真実を語らねばならない。耳に痛い真実をだ」

 

マイクを握る指先すらも演劇的だった。

 

「我々がハイネセンから脱出し、ヤン総統の艦隊と合流した時……ヤン総統にとって、ハイネセンを奪還することは極めて容易なことであった。総統は、勝利の機会が目の前にあったにも関わらず、それを放棄したのだ」

 

波紋が広がる。

 

トリューニヒトは自らの胸を激しく叩き、慟哭に近い声を張り上げた。

 

「その時、私の胸に去来したのは……自分自身の無力さだ!!我々が、足手まといの我々が、もっと遠くまで逃げおおせていれば……と!!」

 

「我々が合流できたのは、まだ戦闘の余波が及ぶかもしれない危険な宙域だった。総統は……ヤン総統は、我々市民の命を守るためだけに、勝てる戦を退いたのだ!!」

 

事実の断片を繋ぎ合わせただけの言葉が、絶対の真実として人々の心に浸透していく。

 

「私達が無能であるが故の、血を流させないための撤退だ!その責任すらも、我々はこの心優しきヤン総統に被せてよいと言うのか!?市民諸君!!」

 

「そんなこと、絶対にしない!」

 

「ヤン総統万歳!」

 

「我々が悪かったんだ!」

 

民衆の罪悪感と感謝が、狂信的な熱へと変わっていくのをヤンは感じていた。

 

「そうだ!!バーラト星系までを奪取されたとはいえ、同盟領の三分の二は未だ我々の領土だ。そして帝国領を切り取ったことで、我々は今、史上最大の版図を誇っている!これは、戦果としては十分すぎるではないか!?」

 

歓声が壁を震わせる。

 

「我々には覚悟が足りなかった!自由という言葉への覚悟が!!ヤン総統一人の背中に国家のすべてを被せ、我々は自由という名の怠惰に沈んでいたのだ!私は政治家としてそれを恥じる!我々は自ら行動しなければならない!真の自由のために!!」

 

真実の配置を少し変えただけで、民衆は自ら敗北を栄光へと変換していく。

ヤンは静かにマイクへ向かった。

 

「就任時に、皆さんは私に総統の座を預けると言ってくださいました。私は皆さんに、共に立ってくださいとお願いしました。……今回は、不幸にもその掛け違いが起きてしまったのです」

 

「私はこれより、皆さんの自由を守る手綱を、けして緩めることはないと誓いましょう」

 

その言葉の尻尾を、トリューニヒトが完璧なタイミングで掴み取った。右手を天高く掲げる。

 

「総統閣下のお覚悟は素晴らしい!!我々は自由のために戦う!自由のために働く!自由のために行動しよう!!ハイル・フューラー!!総統万歳!!」

 

堰を切ったように、熱狂が爆発する。

 

「ハイル・フューラー!!」

 

「ハイル・フューラー!!」

 

「総統万歳!!」

 

 

 

 

 

「ありがとう、皆さん」

 

静かな声が、熱狂の海に波紋を起こす。

 

「首都ハイネセンが敵の手に落ちた以上、建国より続いた自由惑星同盟は、無念にも終わったと言うしかない」

 

「しかし、自由の灯火は消えない」

 

ヤンは両手を広げる。その重みに耐えるように。

 

「ここに私は、自由惑星共和国の樹立を宣言します!!」

 

「皆さん。私達の自由で、この銀河を照らしましょう。永遠ならざる平和のために。人民の真の自由のために」

 

「ハイル・フューラー!!」

 

「ハイル・フューラー!!」

 

「自由惑星共和国万歳!!」

 

「ヤン総統万歳!!」

 

歓喜と狂気が混じり合う中、ヤンはただ立ち尽くしていた。もはや彼自身が、引き返すことのできない歴史の奔流そのものとなっていた。




ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
今回はハイネセン喪失後のヤン、避難船団との合流、そして自由惑星共和国の樹立を描きました。
ヤンの判断、トリューニヒトの演説、共和国成立の不穏さについて、感想をいただけると嬉しいです。
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