銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
だが、国家運営は戦争よりもはるかに面倒だった。
帝国、同盟、フェザーンの規格違い、決裁の山、過労で倒れる首脳陣。
追い詰められたマルガレータは、即戦力の人材募集に踏み切る。
【キルヒアイス公国 臨時政庁 公王執務室】
宇宙暦799年、帝国歴480年 公国歴1年 9月某日。
「同盟と帝国のインフラ、規格が全く合わないではないかあああああ!!」
声の主は、マルガレータ・フォン・キルヒアイス公王、御年18歳である。
公王としての威厳を示すドレスはとうの昔に封印され、彼女は実用性のみを追求した軍服を纏っていた。
首元のボタンは外れ、整えられていた髪は無秩序に乱れている。
網膜には限界を超えた疲労の証である赤い線が走り、その瞳の奥には追いつめられた者の特有の光が宿っていた。
彼女の目の前には、アナログな書類の山が廃止され、すべてがデジタル化された最新鋭の環境が整っている。しかし、それがかえって地獄を生み出している。巨大なモニターが実に6つも半円形に並べられ、そのすべての画面から赤や黄色のエラーメッセージ、警告のアラートが絶え間なく吐き出され、ピーピーと神経を逆撫でする電子音を鳴らし続けているのだ。
「統一施策がこれほど難行とは、誰も妾に教えておらんぞ! なんだこのシステムは! 帝国のデータ形式と、同盟のデータ形式で、互換性が微塵もないではないか! ファイルを変換するだけで文字化けの嵐じゃ! ハイネセンの役人はどこへ行った! なぜハイネセンの行政サーバーはすぐに落ちるのだ! 役人が足りぬなら、他の星系から無理やり回せ!!」
「おまけに、帝国との国交を通じて亡命してくる兵士たちの移住先の確保だと!? ヤン・ウェンリーの共和国の侵攻を監視するための、斥候部隊のシフト管理だと!? 前線の補給物資の賞味期限のチェックリストの承認!? ………って、ちょっと待て!! なんでこんな細々としたことまで、この妾の仕事になっておるのじゃ!? シフト管理など、その辺の小隊長でもできるだろうが!! どうして公王の決裁待ちのタスクリストに『第三斥候部隊の夜食のメニュー変更願い』なんてものが紛れ込んでいるのじゃ!!」
デスクの表面に額を押し付ける。
冷たい材質の感触が、オーバーヒート寸前の思考をわずかに冷ました。
「このままでは、妾は銀河を統一する前に、デスクワークという名の終わらない拷問で過労死してしまう!!おい、オーベルシュタイン!!オーベルシュタインはおらんか!!あやつにこの事務処理の半分……いや、九割を投げつけろ!!」
ドアが開く音が響き、侍従が姿を現す。
彼の眼窩の周囲には疲労の痕跡が色濃く沈着し、その足取りは重力の法則に抗うことを放棄しかけていた。
「公王陛下! 申し訳ありません、オーベルシュタイン元帥なら、つい先ほど完全に通信途絶状態に入られました!」
「通信途絶だと!? あやつは軍務と内務の最高責任者ぞ! どこへ行った!!」
「先ほど、ご自身の身長ほどもある大量のメモリーカードの束を両手で抱え込み、無表情のまま、一切の瞬きをせずに自室へ籠もられました! 扉が閉まる直前、『三日は出てこない。食事も水も不要だ。犬の散歩だけは頼む』とだけ言い残されております!」
「犬の心配をしている場合か!! 三日も出てこないだと!? このエラーの山を三日も放置したら、公国は事務処理の遅延で爆発四散してしまうわ!!」
掌に伝わるデスクの反発力を感じながら、モニターの光の群れを睨みつける。
警告音は無情にも鼓膜を叩き続けていた。
「むうう………あのオーベルシュタインですら、処理能力の限界を迎えたというのか。というか、よく考えたら、あやつ一人に軍務と内務の両方の最高責任者を兼任させたのは、完全に人事のミスだったのではないか? 仕事が一極集中しすぎじゃ……ブラック企業も真っ青の労働環境ではないか……」
モニターから発せられる光の刺激に耐えきれず、身体の力が抜け落ちていく。
重力に引かれるまま椅子から滑り落ち、足裏を床に引きずりながらドアへと向かう。
「公王陛下、どこへ行かれるのですか! まだ未承認の決裁が三千件ほど……!」
「うるさい、妾はもう限界なのじゃ。休ませろ。脳みそがショート寸前じゃ。ジークのところへ行く。ジーク……愛しの夫よ。もうダメじゃ、妾は疲れたのじゃ。妾にふかふかの膝枕をしてくれ……癒やしを……マイナスイオンを浴びせてくれ……」
フラフラと廊下を歩くマルガレータの姿は、とても一国の主とは思えないほど生気を失っている。彼女はすがるような思いで、夫である国務尚書ジークフリード・キルヒアイスの執務室の前にたどり着く。
「ジーク……。入るぞ……妾をたっぷり甘やかして……」
「って、ジーク!!!?」
視界に飛び込んできたのは、求めるべき平穏とは無縁の光景であった。
国務尚書ジークフリード・キルヒアイスが、巨大な執務デスクの前のカーペットに、うつ伏せの状態で倒れ伏している光景である。
彼の右手には、いまだにサインの途中であったであろう電子決裁用のペンが、死後硬直のように固く握りしめられている。周囲には、承認待ちのデータパッドが散乱している。
「ジーク!!! ジーク!!! どうしたのじゃ!? しっかりしろ!!」
「息はあるか!? 脈は!? まさか、こんなところで暗殺されたのではあるまいな!? いや、外傷はない! 返事をしてくれ、ジーク!!」
マルガレータの必死の呼びかけに、キルヒアイスの体がピクピクと痙攣するように動く。そして、ひび割れた、虚ろな声が床から漏れ出す。
「……マル、ガレータ…………」
「おお! 生きているか! 何があったのじゃ!」
「……疲れた…………もう、ペンが……重い…………指が、動かないんだ……決裁のサインを、今日だけで一万回は書いた気がする…………同盟の……農業予算の……承認が…………」
「過労!!!!! 完全に過労で倒れておるではないか!!!!」
「よく考えたら、ジークも公王配という立場でありながら、国務尚書として妾と同じか、それ以上に多忙を極めておるからな!!! むしろ、軍務と内務がオーベルシュタインのところで詰まっている分、すべてのしわ寄せが国務に流れてきておるのではないか!! 誰か、誰かある!! 軍医を呼べ!! 大至急、特濃の栄養剤を点滴でぶち込め!!」
背後から、先ほどマルガレータの執務室にいた侍従が、死んだ魚のような、完全に希望を失った目をしながら静かに近づいてくる。
「公王陛下。軍医を呼ぶ手配はいたしますが……現状のこの地獄のような業務過多、根本的な原因は明白です。やはり、ヒルデガルド様が『ローエングラム公爵閣下の看病』にかかりきりになり、政務から完全に抜け落ちているのが、あまりにも痛すぎます……」
「痛すぎるのはわかっておるわ!!!」
カーペットの繊維を強く握りしめながら、天井の照明を睨む。
「ヒルダは優秀すぎるんじゃ! 彼女一人で、並の官僚百人分の仕事回しをしておったからな! 我々がここまで疲弊し、ジークがペンの重さに負けて倒れるのも、すべてはラインハルトの奴が、頻繁に熱発を繰り返して使い物にならんせいだ!!」
「しかもあやつ、ちょっと熱が下がったら、すぐさま『俺は天才だから寝ている暇はない』とか意味不明なことを言って動き出し、無理やり仕事をしようとするから、余計にぶり返して倒れるんじゃ!! そのたびにヒルダがつきっきりで看病する羽目になる!! あの金髪のワーカーホリックめ!!!! 病人のくせに無駄に活動的になるな!! 大人しく寝ておれ!! あやつのせいで、新国家の首脳陣が全滅の危機じゃぞ!!」
マルガレータの悲痛な叫びは、政庁に虚しくこだまするばかりである。
◇◇
【ローエングラム公爵邸】
マルガレータの怨念がこもった叫びなど知る由もなく、広々とした豪華な寝室のベッドには、当のラインハルト・フォン・ローエングラムが横たわっている。
金髪は汗で額に張り付き、熱のせいで頬は赤く染まっている。呼吸は少し荒く、明らかに体調は最悪である。
しかし、彼の意識だけは無駄にハッキリとしており、ベッドの傍らで退屈そうにカラフルなブロックのおもちゃで遊んでいる息子、アレクに向かって、必死に威厳を示そうと説教を試みている真っ最中である。
「いいか……アレク……」
「何? 父さん」
赤いブロックと青いブロックが噛み合う音が鳴る。
視線すら向けられないまま発せられた呼称に、額の神経が微かに粟立った。
「……だから、何度も言っているだろう。俺に向かって『父さん』などと、庶民のような呼び方をするな。ムキになっているわけではないが、身分というものがあるのだ。『父上』と呼べ。いや、むしろ『閣下』でもいいくらいだ」
「え~。なんで? 堅苦しいよ、父さん。ブロック遊びに閣下も何もないでしょ」
「ぐっ…………」
咳き込みながら、なんとか上半身を起こそうとする。
「こ、この俺はだな……ただの父親ではないのだ。帝国軍の元帥であり、銀河最強の艦隊を率いる男だぞ。そして、誇り高きローエングラム公爵である。お前もいずれは、その名と地位を継ぐ身。ならば、幼い頃からそれに相応しい礼節と……ゴホッ、ゴホッ!!」
「僕は軍人じゃないもん。だから元帥とか関係ないよ。それに、ブロックのお城を作るのに、公爵の地位なんて役に立たないし」
純粋無垢な言葉の刃が、意識の防壁を容易く貫通した。
「なっ……! お、親には相応の敬意と言うものをだな……! 俺がこれまで、どれほどの戦場を駆け抜け、どれほどの武勲を立ててきたと……」
「でも……」
アレクはついにブロック遊びの手を止め、振り返ってラインハルトをじっと見つめる。その瞳は、嘘偽りのない純粋な評価を下している。
「父さん、うちのこと何もしないし」
「な、何を……」
「最近はずーっとベッドで寝てばっかりで、僕と遊んでもくれないし。この前だって、ちょっと起きたと思ったら、書類見てすぐ倒れちゃったじゃないか」
「そ、それは……俺の体が、覇気に追いついていないだけで……」
「それに比べて、母上の方がずっと凄いよ。母上は僕とお話もしてくれるし、お料理も手伝ってくれるし、それに、たくさんのおじさんたち(官僚たち)にテキパキと命令して、みんな『ははっ!』って言うこと聞いてるもん。父さんが寝てる間、家の中の偉い人は絶対、母上だよ」
ラインハルトの心臓に、精神的クリティカルヒットが直撃する。
軍事の才能も、圧倒的なカリスマ性も、六歳の幼児の「家庭内での貢献度」という絶対的な評価基準の前には、何の役にも立たないのである。
「ぐううう……っ」
反論の余地がない。確かに自分は、家庭のことなど一切合切ヒルダに任せきりである。病気で寝込んでいる今となっては、ただの「手のかかる大きな長男」状態であることは否めない。
『俺は……この俺が……まさか、我が子からこれほどまでに低い評価を受けているというのか……! あのヤン・ウェンリーの知略を前にしても、ここまで打ちのめされたことはないぞ……!』
ラインハルトが絶望の淵に沈みかけているその時、寝室のドアが静かに開き、救世主……いや、この家庭の真の絶対君主が姿を現す。
お盆の上に、水差しと薬、そして栄養満点のスープを乗せたヒルデガルド・フォン・ローエングラム(ヒルダ)である。
「あなた。ダメではないですか、大人しくベッドに寝ていないと。アレク相手に子供じみた口喧嘩をして、無駄に熱を上げるなんて。少し目を離した隙に、また起き上がろうとして。どれだけご自身の体調を軽く考えているのですか」
静謐な声音の中に、看病の疲労と確固たる意志が内包されている。
アレクの表情が、その声を聞いた瞬間に明るく綻んだ。
「母上!!」
「アレク、お父様をちゃんとベッドへ押し戻しなさい。お父様は今、とても『弱い』のですから、あなたがしっかり見張ってあげないといけませんよ」
「わかりました! 僕、今も父さんの看病をしてあげていたのです! 父さんが起き上がろうとするから、ブロックのお城でバリケードを作ろうと思ってたところだよ! えっへん!」
アレクはそう言うと、小さな両手でラインハルトの胸元をグイグイと押し始める。
「ほら、父さん! 母上の命令だよ! 早く寝て!」
「お、おい、アレク、よせ……俺は自力で……ぐっ、押すな……」
熱に侵された筋肉は、幼児の体重移動すら支えきれなかった。
シーツの沈み込む感触とともに、視界が天井の模様へと固定される。
「……………」
脳髄の片隅に、拭い去れない疑問が張り付いていた。
『なぜ俺は……外の世界では何百万の将兵を指揮し、誰もが俺の前にひれ伏すというのに……家庭内においては、こんなにも立場が弱いのだ……? 俺の威厳は、一体どこへ消えたというのだ……』
◇◇
【キルヒアイス公国 臨時政庁 面接室】
「このままではどうにもならん!!! もう限界じゃ!! 募集じゃ、大至急人材の募集をかけるのじゃ!! 妾の右腕となる副官を……できれば行政事務に長けていて、数字に強くて、さらに妾の代わりに他国との面倒な折衝まで丸投げできるような、都合のいい即戦力を確保しなければ、この公国は三日と持たずに崩壊するぞ!!」
その数時間後。
急造の面接室の中央には、無機質な長机が置かれていた。
その中央にドカッと腰を下ろしているマルガレータは、不機嫌極まりない顔で腕を組んでいる。彼女の目の前には、天井に届かんばかりの分厚い履歴書の束が、いくつもの山を作ってそびえ立っている。
「……そもそも、なぜ公王である妾が、直々にこんな下っ端の面接をせねばならんのじゃ」
紙の束へと向けられた視線は、極めて不機嫌な色を帯びていた。
隣に立つ侍従が、クリップボードを抱えたまま、感情の消え失せた瞳を向ける。
「え? 何を仰っているのですか。公王陛下ご自身の直属の副官を選ぶのですよ? それを人任せにするおつもりで??」
「しかし妾は忙しい!! 銀河の命運を握る仕事が山積みなんじゃ! こんな紙切れの束を一枚一枚めくっている時間が惜しい!」
侍従の表情から僅かな血の気が完全に消失し、代わりにどす黒い感情の渦が表面化した。
「みんな死ぬほど忙しいんですよ!!! この政庁の中で、まともに呼吸する時間が確保できている人間など一人もいません!! その中で、なんとかこの面接の時間をひねり出せたのは、奇跡的にスケジュールに空白があった陛下だけだったんです!! 文句を言ってないで、とっととやってください!!」
「貴様! 一介の侍従のくせに、主君に向かってなんという口の利き方じゃ!! 不敬罪で減給にするぞ!!」
「僕だって死ぬほど忙しいんです!!! 減給どころか、今すぐこの場で辞表を叩きつけてフェザーンの路地裏で野垂れ死んでもいいと思っているくらいですよ!! 無軌道な陛下の思いつきと、後先考えない仕事の振り方に必死についていくのが、現場にとってどれだけ大変だと思ってるんですか!! 僕の睡眠時間はここ三日で合計二時間です!!」
完全にブチギレて早口でまくしたてる侍従。そのあまりの迫力と、血走った両目の狂気に、さしものマルガレータも完全に気圧される。
「…………お主……。……すまん。妾が悪かった。……では、最初の方、入ってよし」
ドアの金属音が鳴り、緊張で身体を強張らせた青年が入室する。
長机の前で硬直したように立ち止まり、不自然な角度で敬礼の姿勢をとった。
「名前と所属と、自己PRを手短に頼む。妾は忙しいゆえな」
青年は思い切り息を吸い込み、部屋中に響き渡る大声で叫ぶ。
「はい! テオドール・フォン・ミュッケンベルガーです!!」
その名前を聞いた瞬間、マルガレータは音を立てて椅子から身を乗り出す。その瞳に、一筋の希望の光が宿る。
「ミュッケンベルガー!! もしかして、お主……あの帝国の重鎮、泣く子も黙るミュッケンベルガー元帥の親戚か!? そうか、そういうことか! ならばコネクションを使って、軍の顔役として各方面への根回しや、旧帝国派の不満分子を抑え込むための強力なカードになるぞ!! よし、お主、採用じゃ!!」
青年は困惑の表情を浮かべ、頭部に手をやった。
「いえ、あのミュッケンベルガー元帥とは縁もゆかりもありません。ただの同姓です。田舎のしがない男爵家の三男坊でして」
「…………」
ズコーッと音を立てんばかりの勢いで椅子からずり落ちる。机に顔を打ち付けそうになりながら、恨めしそうな声で呟く。
「そうか………。紛らわしいのう。ぬか喜びさせおって。では、お主は何ができるのじゃ? 行政システムの再構築か? それとも予算案の策定か?」
青年は上着のポケットから色紙とペンを取り出し、瞳に熱狂の光を宿した。
「僕としては、『マルガレータ公王ファンクラブ・フェザーン支部』の会員ナンバー一桁を保持しているのが最大の誇りなので! この日のために帝国から飛んできました! ぜひ、ここにサインと熱い握手を!!」
「……ここはアイドルのサイン会会場ではない。不合格! 帰れ! 次!!」
青年は侍従に首根っこを掴まれて部屋から放り出される。気を取り直して次の履歴書に目を落とそうとした瞬間、ドアが静かに開き、優雅な物腰の若い女性がしずしずと入室してくる。ふわりと広がるドレスの裾が、殺伐とした面接室には全く似つかわしくない。
「名前と所属と自己PRを……」
「はい! 私はマルガレータ・トルナードと申します」
「ほう……、妾と同じ名か。良い名前じゃ。親近感が湧くのう。でお主は、この危機的状況下で何ができる?」
柔和な表情を崩さず、言葉が紡がれる。
「私は礼法、帝国式の高度な教養、そしてピアノなどの芸事が大変得意でございます。また、リラックス効果の高いお茶を淹れることもできますわ」
「…………」
マルガレータは沈黙する。そして、ゆっくりと隣の侍従へと顔を向ける。
「なあ……今回の募集要項には、即戦力となる行政、事務、軍務の実務経験者を募集していたはずなのだが……なぜお茶汲みとピアノ弾きが面接に来ているのじゃ?」
侍従は、クリップボードで顔を半分隠しながら、マルガレータの耳元に口を寄せてヒソヒソと囁く。
「閣下が募集をかける直前に、『細かい条件を考えるのがめんどくさいから、とりあえず条件不問にして広く募集をかけろ!』と仰って、強引にハンコを押したじゃないですか!!」
「……どうやら妾は疲れていたらしい。すまん。自分の指示が記憶から抜け落ちておる」
己の過去の判断を呪いながら、視線をトルナードへと戻す。
「……というわけじゃ。すまないが、お主の特技を活かせる部署は、今の政庁には存在しない」
トルナードは、シュンと肩を落とし、悲しそうな顔を見せる。
「せっかくフェザーンまで来たのですが……私では、お役に立てませんか」
「……いや、待てよ」
「お主は、ローエングラム公爵の邸宅へ行くように。そこでアレクという、父親を舐め腐っている生意気なクソガキの教育係を務められるか、アンネローゼさまに面接をやり直してもらうがよい。礼法と教養なら、あそこが一番活きるじゃろう。次!」
続いて入室してきたのは、小柄な少年であった。
その骨格や歩様から、軍務や政務の経験値が皆無であることが即座に読み取れた。
「はい! エミール・フォン・ゼッレです! 医者を志望しております!」
「そうか……医者志望か。立派な心がけじゃ。しかし、医師免許はこれから取得するのだろう? なら、なぜこんな激務が確定している公王の副官に応募しに来たのじゃ? 病院で実習でもしておる方がタメになるぞ」
エミールは、大きな瞳を少し伏せ、悲しそうな声で語り始める。
「実は、父が軍艦に乗っていたのですが……ガイエスブルク要塞の戦いで、乗っていた艦ごと跡形もなく吹き飛ばされてしまったのです。我が家には、もうお金がないのです……どうか、働かせてください」
「なるほど………それは気の毒に」
同情の念が湧き上がると同時に、その整った顔立ちの構造を視覚情報として処理する。
「しかしお主、なかなか可愛い顔をしているのう。年はいくつじゃ?」
「一六にございます」
隣で控えていた侍従が、突如として椅子を蹴飛ばして立ち上がる。彼は目を血走らせたまま、マルガレータの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで身を乗り出す。
「陛下!!!まさかとは思いますが、このいたいけな少年を愛人として囲うとか言うつもりじゃありませんよね??!!!公王のスキャンダルをもみ消す余裕なんて、今の広報部には微塵も残されていませんよ!!」
「ビクッ!!も、もちろんじゃ!!妾をなんだと思っておる!!妾はジークという愛する夫がおる人妻じゃぞ!そんな破廉恥なことは微塵も考えておらんわ!」
慌てて両手を振り、顔を真っ赤にして否定する。
「ええい、お主は……ローエングラム公の身の回りの世話をしてやるがよい。あやつは今、高熱を出してベッドでウンウン唸っておる。お主はあの金髪のワーカーホリックの愚痴聞きと、見張り役じゃ。医師志望なら、あやつの熱を測って、無理やり起き上がろうとしたらベッドに縛り付けるくらいは役に立つだろうて」
その後も面接は続いたが、しかし、やってくるのは微妙な人材か、あるいは完全にネジが飛んでいる変な奴ばかりである。マルガレータはなんだかんだで「こいつ、変な動きをするから見世物として面白そうじゃな」というふざけた理由で何人かを採用していくが、本来の目的である「有能な官僚」や「実務経験者」は、見事にゼロのままである。
「陛下!!全然来ませんね!!まともな人間が一人も来ませんよ!!」
空気を震わせる大音量が、鼓膜を痛めつける。
「お主、さっきから徹夜で疲れてる割に、やたら声がデカくて元気じゃな!耳が痛いぞ!」
「叫んでないと、一瞬で気絶して眠りそうなんです!!!あぁぁぁぁぁ!!もうダメだ、書類の文字が全部歪んで見えます!!!」
『こいつが一番ヤバいかもしれん。早く休ませないと、過労死第一号がこんなところで出てしまう』
マルガレータが侍従の精神状態を本気で心配し始めたその時、面接室の重厚なドアが、音もなく静かに開く。
そこに立っていたのは、軍務と内務を兼任し、三日間部屋に籠もって仕事の海に沈んでいたはずの男、オーベルシュタインである。彼の義眼は冷たく光り、表情筋は完全に死滅しているかのように動かない。
「マルガレータ様。面接が難航しているとお見受けしましたので、私の方で良き人材をお連れしました」
「オーベルシュタイン………。お主、生きておったのか」
疑念の眼差しを向ける。
「お主の推薦となると、どうせロクなものではなかろう。義眼の洗浄を専門にする技師とか、お主が飼っている老犬のトリマーなら、絶対に採用せんからな。そういうのは自費で雇え」
「ご安心を。その両名については、すでに軍務省の極秘予算枠を使って確保済みでございます。公的な手続きは完璧に済ませております」
「マジか!!完全に公私混同じゃ!!あとで監査を入れるぞ!!」
指摘を完全に黙殺し、オーベルシュタインは背後の人物を室内へと招き入れた。
「……リヒテンラーデ公にございます。彼の政治的手腕は折り紙付き。ぜひ、この公国の国政に組み込んでいただきたい」
「…………は?」
脳内の情報処理が完全に停止した。
杖が床を叩く硬質な音が響く。
枯れ木のような皮膚の質感と、眼光に宿る狡猾な光。
かつて銀河帝国で国務尚書を務め、権勢を振るった男、クラウス・フォン・リヒテンラーデ公爵である。彼は、骨と皮だけになったような顔にニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、ゆっくりと長机に近づいてくる。
「むむ!!!」
「このジジイ!!お主、まだ生きておったのか!!とっくの昔に粛清されてあの世に送られたとばかり思っておったわ!!」
「カッカッカッカ」
「失礼なことを言うな、小娘。イゼルローンで無様に敗走し、帝国から命を狙われていたお主を、裏で手を回して助命するよう工作してやったのは、一体誰だか忘れたのか?相変わらず恩知らずなやつよのう」
「それはファルケンハイン閣下じゃ!!お主は横から偉そうに口出しして、ただふんぞり返っていただけだろうが!!記憶を捏造するな!!」
否定の言葉を叩きつけるが、相手の態度は揺らがない。
「……まあよい。細かいことは気にするな。で、儂の役職は国務尚書からでよいぞ。こんな吹けば飛ぶような急造の公国の行政システムなど、この儂の頭脳と経験があれば、たったの三日で作ってやるわい。感謝するがよい」
「誰が貴様なんぞに国務尚書の座を渡すか!!そんな重要なポストにつけたら、三日後には公国を乗っ取って裏切るに決まっておろうが!!顔に『陰謀』と書いてあるわ!!」
拒絶の意思を明確にした瞬間であった。
オーベルシュタインが歩を進め、視線を床に落とすほどの深い角度で頭を下げた。
「お願いします、マルガレータ様。彼を採用してください。彼がいれば、私に押し付けられた内務の仕事の半分を押し付けることができ、私の睡眠時間が一日あたり三時間は確保できます」
「お主、自分の睡眠時間のためにこんな危険人物を招き入れたのか!!」
驚愕していると、いつの間にか部屋の隅の暗がりに、見慣れた赤い髪の男がうずくまっていることに気づく。
「お願いします……マルガレータ……」
夫であるジークフリード・キルヒアイスである。彼は過労で顔色を土気色に変え、今にも消え入りそうな声で床に平伏している。
「彼がいれば……彼が国務尚書の仕事を引き継いでくれれば……僕の命が助かります……。もう、電子ペンを握る右手の感覚がないのです……」
「ジーク!!お主、医務室で寝ているはずではなかったのか!?なぜこんなところにまで這ってきているのじゃ!!」
隣の侍従までもが床に膝を落とし、額をカーペットの繊維に擦り付けた。
「お願いします!!!陛下、どうかこのお爺ちゃんを採用してください!!!彼がいれば、僕が定時で帰れます!!!家に帰って、温かいお風呂に入って、ベッドで眠りたいんです!!!悪魔でも妖怪でもいい、仕事をしてくれるなら誰でもいいんです!!!」
「お前たち……」
部屋にいる自分以外の全員が、この妖怪ジジイの採用を熱望している。誰も、マルガレータの「裏切られる危険性」という真っ当な懸念に耳を貸そうとしない。全員が、今日この日の睡眠時間のために、国家の未来を売り渡そうとしているのである。
『……妾、この国の公王のはずなのに……もしかして、何の権力もないんか……?』
乾いた笑い声だけが、無機質な面接室の空気を震わせ続けていた。
◇◇
数日後。
環境は、変貌を遂げていた。
けたたましいアラートを吐き出し続けていた六つの巨大モニターも、今は静かに正常な緑色のランプを点滅させている。
その中央で、マルガレータは陶器の滑らかな感触を指先に楽しみながら、香り高い茶を口腔へと流し込んだ。
「ああ〜……。美味しいのう。劇的に楽になったのう………」
「そうですね。すべてはリヒテンラーデ公様々です。あの爺、たったの三日で複雑怪奇な公国の行政システムを完璧に構築し、各省庁への権限委譲から予算の自動承認フローまで組み上げてみせました。マルガレータ様も戦場ではそれなりに優秀な指揮官ですが、やはり行政の餅は餅屋ということですね」
隣の侍従の音声には、平穏を取り戻した余裕と、微かな冷たさが混じっていた。
彼の目の下にあった分厚いクマは、三日間の十分な睡眠を経てすっかり消え去っている。
「むっ」
「それはそうかもしれんが、お主、さっきから言葉の端々に妾への敬意が欠けておらんか?一応言っておくが、妾はこの国の公王じゃぞ?絶対的な権力者じゃぞ?もう少しこう、平身低頭というか、崇め奉るような態度があっても良いのではないか」
「それは、公王として敬意を払えるような『振る舞い』を身に着けてから言ってください!!」
鋭利な言葉の刃が飛んでくる。
「なんじゃと!妾がいつ、そんな公王らしからぬ振る舞いをしたというのじゃ!!毎日ちゃんと執務室の椅子に座って、ハンコを押しておるではないか!」
反発するが、侍従は鼻で笑う。そして、指を一本ずつ折りながら、怒涛の弾劾を開始する。
「よくぞ聞いてくれました。まず一つ目!夜な夜な、公王配殿下であるキルヒアイス様の寝室へ忍び込むのはやめてください!!殿下はただでさえ国務で過労の極みにあるんですから、夜くらいはゆっくり寝かせてあげてください!朝方、殿下がゲッソリした顔で部屋から出てくるのを見るたびに、僕の精神が削られるんです!」
「な、何を言うか!ふ、夫婦じゃぞ!!夫婦が夜に同じ部屋で過ごすのは当然の権利じゃ!それに、子作りは国家元首としての立派な義務じゃ!!跡継ぎがいなくては国が安定せん!」
頬の温度が上昇するのを感じながら言葉を返す。
「じゃあ、オーベルシュタイン元帥のところに行くのはどう説明するんですか!?あの部屋にまで夜這いをかけているのを、僕は知っているんですよ!!」
思考が数秒間停止したが、すぐに胸を反らせて堂々とした態度をとる。
「…………愛人じゃ」
スパーーーーーーン!!!
侍従の手にある分厚い書類の束が、マルガレータの脳天にクリーンヒットする。
「痛っ!!!貴様、主君の頭を叩くとは何事じゃ!!!」
「ふしだらな行為は直ちに控えてください!!!せっかく『キルヒアイス』という清廉潔白で誠実な名前でコーティングして、国民からの好感度を上げているのに、そんなドロドロの愛人関係がバレたら、公国のクリーンなイメージが台無しです!!支持率が暴落します!!」
「……すいません」
「しかし、オーベルシュタインの奴が意外と寂しがり屋でな……それに、あやつの子どもも生んでやると約束してしまった手前、無碍にはできんのじゃ。少子化対策にもなるし……」
「公王の身内で少子化対策を完結させないでください!!倫理観が退行しています!!」
侍従の呼吸が荒くなる。
「それから、二つ目!夜中のお菓子です!!ベッドのシーツにクッキーの粉をボロボロとこぼさないでください!翌朝の清掃スタッフが本気で嫌がっています!子供ですか!!」
「お腹が空くんじゃ!!頭を使うと糖分が必要になるのは医学的にも証明されておる!成長期なんじゃ!」
「一八歳になったばかりでしょう!!もう立派な大人です!そもそも、そんな若さで、いっちょ前に年代物のブランデーとかキツいお酒をガブガブ飲んでいるのがいけないのです!夜中にお酒を飲んでお菓子を食べるから、アルコールが残って次の日の朝、全く起きないでしょうが!毎朝、泥酔した公王をベッドから引き剥がす僕の苦労を少しは考えてください!」
「………うう……」
「そして三つ目!!これが一番の問題です!!入浴後、全裸で寝るクセを今すぐ直してください!!!」
「別に良いではないか……。服を着て寝ると肩が凝るんじゃ。全裸の方が開放感があるし、熟睡できる。それに、誰も見ておらんのだから個人の自由じゃろう!」
「シーツが汗と皮脂で汚れます!!!それに、部屋のあちこちに脱ぎ散らかした軍服やドレスを拾い集めて片付けるの、全部僕の仕事なんですよ!!さらに言わせてもらえば、次の日の朝、二日酔いでぐったりしている全裸の公王陛下に、一から下着を着せて服を着せるのも僕です!!!!いい加減に明日から自分の服くらい自分で着てください!!!僕は介護職員ではありません!!」
「何を言うか!!!」
指先を相手に向け、声を張り上げる。
「妾の、この美しく若々しい一八歳の裸が毎朝見られて、むしろ幸せではないのか!!!感謝こそすれ、文句を言われる筋合いはないぞ!!世の男どもがどれほど羨むか!!」
「…………」
「……毎朝毎朝、陛下が自分で背中や腕を指差しながら、『この背中の斧の傷跡は〜』とか『このわき腹の傷はレンテンベルク要塞で白兵戦をやった時に〜』とか、誰も聞いてないのに嬉々として古傷の自虐ネタを披露するのを、毎日毎日聞かされる身になってください!!!ちっとも色気がありません!戦士の傷跡品評会など朝から見たくないんです!おまけに、情事のあとの生々しいベッドの片付けや、脱ぎ捨てられた衣服の回収も全部僕です!!!僕の精神衛生のために、マジでやめてください!!!!心が壊れます!!!」
「…………はい。すいません」
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
今回はキルヒアイス公国の行政地獄と、人材不足に追い詰められるマルガレータたちを描きました。
過労のキルヒアイス、家庭内で弱いラインハルト、そしてリヒテンラーデ登用について、感想をいただけると嬉しいです。