銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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ラインハルトは高熱によりベッドへ拘束されていた。
そんな弟を見舞いに、皇帝アルブレヒトは偽名を使って公国へ潜入する。
目的は、サビーネと新たに生まれる子に会うため。
そしてその帰路、彼は家族と平穏に過ごすための、あまりにも巨大な結論へ至る。


炬燵とみかんのための銀河統一

【特別病室】

 

宇宙暦七九九年、十月末。

 

金髪の覇者、常勝の天才、帝国軍最高司令官にして元帥。宇宙で最も偉そうな肩書きを総なめにした青年ラインハルト・フォン・ローエングラムが、物理的な拘束帯で大の字に縛り付けられていた。

 

革と特殊強化繊維のベルトが手足と胴体をベッドのフレームにがっちりと固定する。少し身をよじるだけで繊維が不気味に軋み、覇者の自由を完璧に奪い去る。どう見てもマッドサイエンティストの実験動物である。

 

「うおおおっ!離せ!なぜ俺がこんな目に!」

 

奥歯が砕けんばかりに噛み締め、全身の筋繊維を爆発させるように身を捩る。だが、医療用ベルトは高熱で弛緩した金髪青年の抵抗など鼻で嗤うかのように微動だにしない。

 

ベッド脇では、一人の少年がその無様な様を見下ろしている。

エミール・フォン・ゼッレ。

 

電子カルテの画面をスクロールさせながら、時折ふむふむと頷く。その眼差しに帝国元帥への敬意や同情は一ミリも存在しない。あるのはただ、業務を遂行する医療従事者特有の容赦のない事務処理能力のみである。

 

「お前は……エミール・フォン・ゼッレと言うんだったな!」

 

荒い呼吸を繰り返し、肺に焼け付くような空気を送り込みながら、ベッドの下から少年を睨みつける。

 

「はい、閣下。何か御用でしょうか」

 

視線をカルテから一切外さず、極めて平坦な音声が返される。

 

「御用でしょうか、ではない!お前は医者志望だそうだが、俺はなぜこんなに熱が出るのだ?一向に下がる気配がないではないか!医療ミスではないのか!」

 

「閣下の基礎体温のデータから推測するに、現在の発熱は免疫系の過剰反応によるものです。処方された解熱剤の効果が薄いのは、閣下の精神的興奮状態が交感神経を刺激し続けているからです」

 

「なに?」

 

「簡単に言うと、閣下がそうやってベッドの上で無駄に暴れて大声を出すから、熱が下がらないのです」

 

「な……っ!」

 

屈辱と高熱が混ざり合い、青白い頬が一気に朱に染まる。

 

「そもそも、なぜ俺がこんな拘束衣のようなもので縛られているのだ!いつまで経っても下がらん熱よりも、この拘束の方が問題だぞ!」

 

「それは、奥様であるヒルダ様の厳命です」

 

「ヒルダが!?」

 

「はい。閣下が完治する前に隠れてお仕事をされようとするからです。昨日も一昨日も、見張りの者が目を離した隙に、点滴を引き抜いて執務室へ向かおうとしましたよね?その結果が、この文字通りの物理的拘束です。自業自得かと存じます」

 

己の行動が招いた結果とはいえ、覇者の自尊心が無残にへし折られていく。

 

「ぐっ……そ、それは……どうしても決済しなければならない書類が……」

 

「どのような重要書類であれ、公爵閣下の命には代えられません。それに、大半の書類はヒルダ様が代わりに処理されています。閣下がいなくても、宇宙は回っているのです」

 

「……っ!!」

 

自己の存在意義を根底から揺るがされる言葉に呼吸が詰まる。だが、生来の負けず嫌いが頭をもたげ、再び拘束帯を鳴らして反抗を試みた。

 

「それで……俺はベッドに、文字通り縛り付けられているというわけか!帝国元帥を拘束するなど不敬であろう!反逆罪だぞ!」

 

精一杯の威厳を振り絞るが、少年の表情筋は一ミリも動かない。

 

「はい、閣下。しかし安静が第一ですので。お医者様からも、絶対に安静にするよう指示が出ております」

 

「医者の指示など知るか!ではほどけ。命令だ!」

 

「お断りします」

 

「……は?」

 

「お断りします、と申し上げました」

 

「なぜだ!俺は元帥で公爵だぞ!帝国の最高権力者たるこの俺の命令が聞けないというのか!」

 

苛立ちに身を焦がす元帥に対し、少年は呆れ果てて肺の空気を吐き出した。

 

「……閣下。昔の門閥貴族のようなことをおっしゃいますね」

 

「な、なんだと!?」

 

「今では、あの特権意識の塊だった門閥貴族の方々でさえ、そんな偉ぶったこと申しませんよ。皆さん、もっと謙虚に、身の丈に合った生活をされています」

 

「図星……いや、違う!俺は門閥貴族などとは違う!俺は実力でこの地位を……ぐっ……」

 

的確すぎる指摘に、反論の言葉が喉の奥でつかえる。覇者の脆い矜持が、見習い衛生兵によって木端微塵に粉砕されていく。

 

「それに、閣下はキルヒアイス公国の所属ではありませんから」

 

「なに?」

 

「ここはフェザーンにおけるキルヒアイス公国の管理下にある施設です。そして僕は公国の軍属、正確には衛生兵の見習いです。したがって、帝国軍人である閣下の命令を聞く義務はありません」

 

「な……むうう……」

 

もはや返す言葉も見つからない。悔しさに唇を噛み締め、ベッドの上で芋虫のように身じろぎすることしかできなかった。

 

「そういうことだな。あまり無理をしないことだ」

 

部屋の隅から、心底面白がるような声が響いた。

 

「……熱ばかり出る、虚弱な弟よ」

 

視線を巡らせる。そこに立っていたのは、私服姿で腕を組み、意地の悪い笑みを浮かべる男だった。

 

「兄上!」

 

視界が急激に明るく開ける。自分を窘める小生意気な衛生兵を退けてくれる救世主が現れたのだと、歓喜が胸を満たした。

 

「ちょうどいい、兄上からも言ってやってください!こいつは俺の命令を聞こうとしないのです!拘束を解けと命じてください!」

 

だが、その切実な訴えは、限界を迎えていた下腹部の切迫感によって全く別のベクトルへと暴走する。

 

「いや、それよりも!俺はトイレに行きたいんだ!!さっきからずっと我慢しているんだ!!早くほどけ!!」

 

熱病、精神的ストレス、そして膀胱の限界。それらが元帥としての威厳を塵芥のごとく消し飛ばしていた。

 

「尿瓶をお持ちします」

 

無機質なプラスチック製の容器が、視界の真正面に突きつけられる。

 

「やめろ!!」

 

「恥辱だ!!なぜ俺が、こんな小僧の前で、あまつさえ縛られたまま用を足さねばならんのだ!!屈辱にも程がある!!」

 

「安静が第一ですから。動いてはいけません」

 

一切の感情を交えず、事務的な手つきでズボンに手がかけられる。

 

「触るな!やめろ!兄上、助けてくれ!!」

 

視界が涙で滲む中、兄たるアルブレヒトは腹を抱えて笑いを堪えていた。

 

「くっ……くくくっ……。これはなかなか見ものだな。お前、キルヒアイスだけじゃなくて、可愛いエミール少年にまで欲情するなよ?」

 

「兄上は俺のことをなんだと思っているんだ!!」

 

「絶世の美形な、両刀遣い?」

 

「!!…………………」

 

怒りのあまり呼吸を忘れた。拘束帯がなければ、今すぐ飛び起きて首を絞め落としているところだ。

 

「待て」

 

荒い息を繰り返し、理性の端を掴み取って状況の整理を試みる。

 

「兄上、いつからここにいる」

 

「お前が目覚める二分くらい前だな。見事な拘束ぶりを、特等席で堪能させてもらった」

 

「二分も前から!?なぜ黙って見ていた!助けようとは思わなかったのか!」

 

「面白いからに決まっているだろう。金髪の孺子ことラインハルト・フォン・ローエングラムが、ベッドに縛り付けられてトイレに行きたいと泣きわめく姿など、そうそう見られるものではないからな」

 

悪びれもしないその態度に、明確な殺意が芽生える。だが、それよりも重大な事実が脳裏をよぎった。

 

「いや!!なぜここにいる!ここはフェザーンだぞ!」

 

「ああ、そうだな。フェザーン回廊の中心だ」

 

「公国だぞ!!!いくらマルガレータの国とはいえ、建前はともかく、れっきとした他国だ!」

 

「だからなんだ?」

 

「皇帝が直々に、単身でお忍びで乗り込んで来れば殺されるぞ!万が一暗殺でもされたら、帝国はどうなる!!」

 

必死の抗議にも、男はどこ吹く風である。

 

「そろそろ、サビーネちゃんの子が生まれるからな。居ても立っても居られなくてな。子供の顔をいち早く拝みたいと思うのは、父として当然の感情だろう?」

 

「だからといって、皇帝が単身で他国に潜入するなど前代未聞だ!」

 

「案ずるな。ちなみに今の俺は、オーディンから公国へ派遣された連絡官のフレーベル中尉だ。皇帝アルブレヒトではない」

 

得意げに偽名を名乗る姿に頭を抱えようとするが、腕は拘束されたままである。その滑稽極まりない様子が、さらに兄の笑いを誘発した。

 

「アンタは本当に、皇帝の自覚というものが!!欠片も!!ないのか!!」

 

「自覚ならあるさ。俺は自由を愛する男だからな。皇帝という窮屈な椅子は、時々抜け出したくなるのだ」

 

手をひらひらと振りながら、男は病室のドアへと向かう。

 

「じゃあな。ゆっくり養生しろ。あと、エミールを襲うなよ!!」

 

「兄上!!待て、兄上!!!」

 

手首に食い込むベルトの痛みを無視して身をよじっても、遠ざかる足音を引き留めることはできない。

 

「ほどいてから行け!せめてトイレに行かせてくれ!!助けてくれー!!!」

 

ドアが閉まる音が無情に響く。残されたのは、便意と尿意の切迫感に苛まれる帝国元帥と、無表情な見習い衛生兵だけであった。

 

「では」

 

慈悲の欠片もない冷淡な音声が落ちる。右手に尿瓶が構えられ、左手で容赦なくズボンが下げられていく。

 

「大人しく出してください」

 

「くっ、殺せ!!」

 

彼が拘束から解放され、尊厳を取り戻せるのは、まだしばらく先のことになりそうであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「閣下……いえ、アルブレヒト陛下。いくらなんでも、あまりお一人での外出はなさらないでください。ここは公国です。万が一、特高や過激派に見つかりでもしたらどうするおつもりですか」

 

切実な懇願を向けるが、当のアルブレヒトはソファに深く腰を下ろし、これ以上ないほどふんぞり返っていた。

 

「何を言うかー!俺が銀河帝国皇帝だぞ!!」

 

堂々と胸を張る様は、まるで我を通そうと床に寝転がる幼児のようである。

 

「病気の弟を見舞い、出産を控えた妻に会うくらい、宇宙のどこにいたって許されるんだぞ!!皇帝の特権というやつだ!」

 

「駄々っ子のようなことをおっしゃらないでください……。皇帝なのですから、どうかご自身のお立場をご自覚ください。もしここで陛下に万が一のことがあれば、帝国と公国の関係はどうなるとお思いですか。宇宙が再び戦乱の渦に巻き込まれるのですよ」

 

疲労困憊のあまり、視界がわずかに霞む。赤かったはずの髪色が、心労で白髪に変わるのではないかという錯覚すら覚える。

 

「だいたい、雑な偽名で堂々と出歩くなど、正気の沙汰ではありません。ラインハルト様をからかいに行く暇があるなら、少しはご自身の警備状況を気になさってください」

 

「なんだよキルヒアイス、お前すっかり小言の多いお母さんみたいになってるぞ。マルガレータに似てきたんじゃないか?」

 

「誰のせいで私がこんなに苦労していると思っているのですか……」

 

これ以上この自由人を相手にしていると、本当に倒れてしまいそうであった。

だが、その様子を見たアルブレヒトの顔面から、唐突にふざけた色が消え去った。

 

「……それで、サビーネは?」

 

音声のトーンが一段低くなる。

キルヒアイスも居住まいを正し、静かに報告した。

 

「陣痛が始まっているとのことですので、お早く向かわれてください。すでに極秘に手配した医療区画におられます。警備の者には箝口令を敷いてありますので、ご安心を」

 

「助かる。恩に着るよ、キルヒアイス」

 

立ち上がると、足早に部屋を後にした。残されたキルヒアイスは深く息を吐き出し、痛む腹部をさするしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルブレヒトはガラス越しに新生児室を見つめていた。視線の先には、小さなコットの中で穏やかな寝息を立てる赤子の姿がある。

 

サビーネは無事に、男の子を出産していた。

 

「エリザベートとサビーネが男の子で、アナが女の子か……」

 

妻たちが産んだ子供たちの顔を思い浮かべながら、静かに息を漏らす。

 

「まあ、これも運命かね。色々とややこしいことになりそうだが、今はただ、この小さな命が愛おしいよ」

 

新生児室から離れ、サビーネの病室へと足を踏み入れた。

ベッドに横たわる彼女はひどく疲労していたが、その表情はどこまでも穏やかであった。

 

「アル様……?」

 

微かな声が響く。傍らの丸椅子に座り、人差し指を自身の唇に当てた。

 

「しーっ。今はフレーベル中尉だ」

 

ウインクを向けると、小さく笑みがこぼれた。

 

こくり

 

「……君を今、帝国、つまりオーディンに連れて行くわけにはいかない」

 

「あそこにはまだ、火種が燻っている。君やこの子を、あんな危険な場所に置くわけにはいかないんだ。わかってくれるか?」

 

まっすぐに見つめ返し、一切の迷いなく力強く頷いた。彼女はすべてを理解している。

 

「いい子だ。ありがとう」

 

手の甲に優しく口付けを落とす。

 

「……名前は、決めたか?」

 

「私が決めたいです」

 

「もちろんだ。どんな名前だ?どんな名前でも、君が名付けたのなら最高の名前に違いない」

 

少し誇らしげに、はっきりとした音声で告げた。

 

「アルブレヒト二世」

 

瞬きを数回繰り返し、恐る恐る口を開いた。

 

「…………それは公国的にアウトなのでは?」

 

「え?」

 

「いや、え?じゃない。マルガレータが絶対に怒り狂うぞ。『宣戦布告か!』って間違いなく青筋立てて乗り込んでくる。キルヒアイスの腹部も完全に崩壊する。頼むからそれだけは勘弁してくれ」

 

想像するだけでも宇宙の滅亡より恐ろしい未来であった。

少し残念そうに唇を尖らせたが、すぐに別の案を口にした。

 

「じゃあ、クレーフェルトで」

 

「クレーフェルト……」

 

「クレーフェルト・フォン・ファルケンハインか……。いい名前だ。強くて、優しい響きがある」

 

「サビーネ、よく頑張ってくれた。本当にありがとう。君は俺の誇りだ」

 

手が、ギュッと握り返された。

 

「……また、会えますか?」

 

力強く頷いた。

 

「ああ。俺たちは家族だから。宇宙がどうなろうと、どんな障害があろうと、俺は必ず君たちに会いに来る。約束する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、この男児は公王マルガレータから「ジキスムント」というミドルネームを与えられることとなる。

 

クレーフェルト・ジキスムント・フォン・ファルケンハイン。

 

その名前が銀河においてどのような意味を持つことになるのか。そして、エリザベートが産んだ兄ユストゥス・ライン・フォン・ファルケンハインとの関係が、どのような新たな火種となるのか。それを語るのはまだずっと先の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【フェザーン宇宙港】

 

各国の商人や旅行者で行き交う喧騒の中、目立たない灰色のコートと帽子で変装したアルブレヒトが、オーディン行きの極秘シャトルに乗り込もうとしていた。

 

『ああ……』

 

頭の中で、様々な思考が渦巻く。

 

『俺が家族と、何のしがらみもなく、ただゆっくり過ごすには……どうすればいい?』

 

その願いは、宇宙の覇者としてはあまりにもスケールが小さすぎる。ただ、家族揃って炬燵に入り、みかんを食べながらテレビを見て笑い合う。それだけでいいのだ。

 

しかし、現実はそれを許さない。

 

『このまま均衡を保てば、俺は一生、コソコソと偽名を使いながら妻や弟に会いに来なければならない。こんなスパイ映画のような生活はもうご免だ』

 

『マルガレータが諦めてくれたら少しは楽になるんだが……。それに、ラインハルトの病も心配だ。あいつは宇宙が完全に平和にならなければ、決して心を休めることはないだろう。あのバカ弟は、戦うことでしか自分の存在意義を見出せないのだから』

 

シャトルの搭乗を促すアナウンスが響いた。

帽子を深く被り直し、顔を上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は、家族を見捨てない。

 

そうだ。

簡単なことじゃないか。

いちいち各勢力の顔色を窺うから面倒なことになるんだ。

 

俺が。

この銀河を完全に統一してしまえばいいのだ。

 

すべての敵を叩き潰し、権力を確立すれば、誰の文句も言わせずに家族と炬燵でみかんを食べることができる。




ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
今回は拘束されたラインハルト、エミールの容赦ない看護、サビーネの出産、そしてアルブレヒトの銀河統一決意を描きました。
ラインハルトの扱い、クレーフェルトの命名、アルブレヒトの結論について、感想をいただけると嬉しいです。
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