銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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三国鼎立の均衡の中、キルヒアイス公国はかつてない安定と繁栄を迎えていた。

だが、その平和の裏側では地球教の浸透、そして謎の海賊増加という新たな問題も静かに進行していた。

今回はそんな公国の日常と不穏の入り混じる一幕です。



公国の黄金時代

【フェザーン】

 

公国歴二年、宇宙暦八〇〇年四月。

 

キルヒアイス公国政庁、かつて建国直後のこの部屋は、文字通りの地獄だった。デジタルアラートの嵐、散乱する栄養ドリンクの空き瓶、血を吐くような徹夜作業に追われる幹部たちの深いクマ。

 

しかし現在の会議室に、その悲惨な面影は微塵もない。

各人の手元には最新型の薄型データパッドが整然と置かれている。巨大なホログラムモニターには経済指標や軍事データが洗練されたグラフとして浮かび上がり、状況を一目で把握できる。

 

すべては血の滲むような執念で行政システムを効率化し、デジタル化を推進した結晶である。無駄な承認プロセスは消え去り、ルーチンワークはAIが処理し、幹部たちは純粋な意思決定のみに集中できる環境が構築されていた。

 

その快適な空間の中心で、一人の男が立ち上がっていた。

 

金髪の獅子、ラインハルト・フォン・ローエングラム公爵である。

つい先日まで高熱に倒れ、一万ピースの純白のパズルと格闘する屈辱を味わっていた彼だが、今は本来の覇気を完全に取り戻している。金色の髪は照明を受けて眩く輝き、アイスブルーの瞳は鋭利な知性を放っていた。

 

「……皆、聞いてほしい」

 

「国家が真に安定し、人民が不安なく暮らすために、歴史上常に不可欠な『二つのもの』がある。公平な裁判と、公平な税制だ」

 

「国が豊かになろうと、一部の特権階級が甘い汁を吸い、罪を犯しても裁かれない不平等な社会であれば、民衆の心は必ず為政者から離れる。公国の民の多くは、旧同盟の市民だ。彼らはその不平等を身をもって体験している」

 

ホログラムモニターに、同盟末期のスキャンダルや汚職のデータが次々と表示される。

 

「トリューニヒト派による腐敗は目を覆うばかりだ。息のかかった巨大企業に法人税の優遇措置を与え、見返りに莫大な政治献金を受け取る。軍の物資調達に絡む中抜き、ダミー会社を通じた公共事業の独占。そして、汚職を追及すべき裁判所すらも彼らのコントロール下にあった」

 

「我が公国は、決してそのような腐敗を許してはならない!同盟時代から続く、あるいはフェザーンに持ち込まれたトリューニヒト派による不平等を徹底的に根絶する。それこそが公国の支持を不動のものとし、民衆に『この国こそが真に自分たちを守ってくれる』と確信させるために不可欠である」

 

「見事な演説だ、ローエングラム公爵。……つまりはこういうことじゃな?政権に阿る巨大企業や、既得権益にしがみつく商人への税優遇を廃止する。そして、甘い汁を吸い続ける汚職官僚どもを摘発し、白日の下に晒す。……その上で『これぞキルヒアイス公国の絶対的な正義である!』と宣伝せよ、ということよな」

 

「正義というものは、ただ実行するだけでは意味がない。いかに派手に、劇的に民衆へアピールし、『公国は悪を打ち砕く正義の味方である』という強烈なイメージを植え付けるか。それこそが政治の醍醐味。公爵の提案は、民衆の支持を盤石にする極めて有効なデモンストレーションとなるじゃろうて」

 

リヒテンラーデの容赦のない政治的計算に、ラインハルトは僅かに眉間を寄せる。正々堂々を好む彼にとって、裏の思惑が透ける物言いは好ましいものではなかった。

 

「リヒテンラーデ顧問のおっしゃる通り、政治的アピールは重要です。ですが、民衆は言葉だけの正義ではお腹は膨れません。経済的な豊かさを実感できてこそ、支持は確固たるものになります」

 

ヒルダがデータパッドを操作すると、モニターにはフェザーンの広大な流通ネットワークとインフラ整備の計画図が投影された。

 

「ですから、私はこう提案します。現在、御用商人であるツィマッド社をはじめとする流通業者が地の利を生かして莫大な利益を上げています。その利益をフェザーン全体、さらには公国領各星系の公共事業に回し続けましょう」

 

新しい宇宙港の建設、居住区の拡大、医療施設や教育機関の充実。多岐にわたるプロジェクトが示される。

 

「大規模なインフラ整備を継続し、失業率をゼロに近づけ、雇用を安定させます。安定した仕事と収入を与え続けることこそが最大の福祉であり、最高の治安維持です。そして……」

 

「公共事業を進める上で、かねてからの大きな課題である帝国と同盟の『規格の差』も早期に解決できるというメリットがあります」

 

「規格の差、か」

 

二つの巨大国家が長年分断されていたことによる、現実的で厄介な問題である。

 

「ええ」

 

「フェザーンには今、両国の機械が混在しています。家庭用コンセントの形状や電圧、通信プロトコル、宇宙船のドッキングポート、工業用ネジのピッチに至るまで、すべてがバラバラです。このままでは物流の効率化に限界があり、民衆に無用なストレスを与えます」

 

「確かに。昨日も執務室のコーヒーメーカーが同盟規格で、壁のコンセントが帝国規格だったせいで、わざわざ変換アダプターを探すハメになったからな。あれは非常に腹立たしい時間ロスだった」

 

「その通りです。ですから予算を使い、フェザーン内のすべてのインフラ規格を公国独自、あるいはより合理的で安全な規格へと統一する改修を一斉に行います。雇用を生み出しつつ規格統一を果たし、名実ともに宇宙一便利な都市へと作り変えるのです。ツィマッド社の技術力があれば必ず成し遂げられます」

 

会議室の全員が深く頷き、賛同の意を示した。

 

 

 

 

 

 

 

 

キルヒアイス公国の頭脳は、現在銀河に存在するどの国家よりも圧倒的に優秀であった。

 

公王マルガレータが天性の直感とワガママで大方針をぶち上げる。

 

公王配ジークフリード・キルヒアイスが誠実さと優しさでその角を丸め、大義名分と道徳的な裏付けを与える。

 

ラインハルト、リヒテンラーデ、ヒルダといった天才たちが、それを政治・経済・軍事のシステムに落とし込み、完璧な青写真を描き出す。

 

そして侍従が、実働部隊へ的確に業務を差配し、絶対に遅延を許さぬ鬼の進行管理を行う。

 

過労死寸前のドタバタが嘘のような、完璧な適材適所のサイクルが確立されたことで、公国は驚異的なスピードで豊かになっていた。

 

内政面だけではない。

 

マルガレータが採用したツィマッド社の新型推進器「土星(サターン)エンジン」

 

現在、主力艦隊の推進器を換装する作業が急ピッチで進んでいる。特に直属部隊である桃色竜騎兵への優先配備は完了に近づき、彼らは既存の艦艇では追いつけない常軌を逸した機動力を手に入れつつあった。数の不利を絶対的な機動力で覆す。それが公国軍の新たなドクトリンである。

 

外交面においても、公国は絶妙なポジションを維持していた。

 

新・銀河帝国との関係は極めて良好だ。絶対君主アルブレヒトが「マルガレータもキルヒアイスも家族だから」という個人的すぎる理由で不可侵を貫いているため、結果として両国間では貿易が盛んに行われている。

 

一方、ヤン・ウェンリー率いる自由惑星共和国との間にはキナ臭い空気が漂う。

極度の財政難に苦しむ共和国では、不満を逸らすため、あるいは建国の理念を取り戻すため、「同盟の首都ハイネセン奪還」の機運が急速に高まっている。

 

共和国が動けば帝国との大規模衝突は避けられず、公国も無傷ではいられない。

この予測不能な情勢が、平和に緩みがちな公国軍を引き締め、常に臨戦態勢を維持させる『良い緊張感』を生み出していた。

 

平和な内政と、緊張感のある軍事・外交。

すべてが公国にとって都合よく、完璧に回り続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大会議室での白熱した議論をサボり、ふかふかのソファに深々と身を沈めるマルガレータ公王。

 

専属パティシエが焼き上げた最高級スコーンに、たっぷりのクロテッドクリームと自家製ストロベリージャムを塗りたくり、大口を開けて頬張っている。喉の奥に詰まりそうになると、優雅な手つきでカモミールブレンドのハーブティーを流し込み、幸せそうなため息をついた。

 

「うむ……今日のスコーンは一段とサクサクで美味しいのう。ジャムの酸味も絶妙じゃ。やはり、労働(なにもしていない)の後のお茶の時間は格別じゃな!」

 

次のスコーンへ手を伸ばす。

 

突然扉がノックの音もなく、幽霊のように開く。

隙間から、一人の男が足音すら立てずに滑るように入ってきた。

 

パウル・フォン・オーベルシュタイン元帥である。

普段から感情を読み取れない鉄仮面だが、今の彼は明らかに様子がおかしい。

 

顔色はいつも以上に青白く、義眼の奥には世界の終わりを目撃したかのような底知れぬ絶望が落ち込んでいる。

 

「……マルガレータ様」

 

「ん?むぐっ……なんじゃ、オーベルシュタインか」

 

「驚かせるでない。ノックくらいして入ってくるのが礼儀というものじゃぞ。で、何か用か?」

 

「……由々しき事態です」

 

「なっ!?」

 

そのただならぬ気迫に、マルガレータは身を乗り出す。

 

「まさか……ついにあのヤンが共和国軍を総動員してハイネセンに攻め込んできたとでも言うのか!?それとも、ファルケンハインが急に気が狂って大艦隊を差し向けてきたのか!?ええい、すぐに桃色竜騎兵に出撃命令を出せ!妾の専用艦のエンジンを温めておくのじゃ!!」

 

しかし、オーベルシュタインは微動だにしない。

無機質な義眼を微かに明滅させ、表情筋をピクリとも動かさず、最も恐ろしい事実を告げた。

 

「………暇なのです」

 

「………………」

 

マルガレータの動きが不自然なポーズのまま停止する。

言葉の意味を処理しようとした脳がエラーを起こし、完全にフリーズした。

 

「………………は?」

 

「ひ、暇、じゃと……?お主が?」

 

「はい。極めて由々しき事態です」

 

大真面目な顔で、しかしどこか虚ろな目で頷く。

 

「暇とはどういうことじゃ。軍務尚書たるものが暇なわけがなかろう。軍隊の再編やら、土星エンジンの導入計画やら、やることは山のようにあるはずじゃ」

 

狐につままれたような顔で問いかけると、オーベルシュタインは深いため息をついた。

 

「それが……」

 

「最近、構築した行政システムと進行管理のフローが、あまりにも完璧に回りすぎているのです。官僚たちもシステムに完全適応し、私が細かい指示を出さずとも、ルーチンワークや通常決裁が恐ろしいスピードで処理されていく。……その結果」

 

まるで自らの死刑宣告を読み上げるかのように、重苦しい声が響く。

 

「その日の仕事が、夕方の五時……遅くとも六時には、すべて終わってしまうのです。机の上にはサインすべき書類一枚、確認すべきデータパッド一つ残されていません。部下たちも『閣下、本日の業務はすべて完了いたしました。お疲れ様でした!』と清々しい笑顔で帰っていく。……つまり、私は毎日『定時退社』できてしまっているのです。いや、定時退社せざるを得ない状況に追い込まれているのです」

 

「これは私個人の存在意義にかかわる由々しき事態です。仕事がない軍務尚書など、ただの給料泥棒ではないですか。このままでは私の精神が崩壊してしまいます」

 

マルガレータはぽかんと口を開けたまま見つめている。

 

「……………」

 

「……………お主、頭はおかしくないか?それは、極めて良いことなのではないのか?」

 

「仕事が時間内に終わって早く帰れる。これ以上素晴らしいことがあるか?妾なんか一秒でも早く帰ってベッドでゴロゴロしたいと毎日思っておるぞ。それに、トップがいつまでも残業していては、部下たちも気を遣って帰れまい。お主が定時で帰ることで、軍務省全体の労働環境が劇的に改善されているということじゃ。誇りに思え」

 

普通の人間の感覚であればその通りだ。定時退社は正義である。

しかし、相手は銀河一のワーカホリック、仕事がないと死んでしまう深海魚のような男である。

 

「理屈ではそうであると理解はしているのですが……」

 

「いざ夕方に仕事を終え、高級官舎である自室に帰っても……私には、何もやることがないのです」

 

「やることがない?趣味とかないのか?」

 

「ありません。私の趣味は、国家の謀略を企てることと軍の再編計画を練ることです」

 

「可愛げのない趣味じゃな……。テレビを見るとか、本を読むとか、ゲームをするとかあるじゃろう」

 

「そのような非生産的な娯楽に費やす時間など人生の無駄です。……ですから、毎日夕方に帰り、広いリビングでポツンと一人で座り……」

 

オーベルシュタインの目に、少しだけ涙のようなものが浮かんでいるようにも見えた。

 

「飼い犬のブラッシングをする以外に、本当にやることがないのです。……毎日毎日、何時間もブラッシングをし続けた結果、うちの犬の毛並みがかつてないほどにツヤツヤのフワフワになってしまいました。ドッグショーに出せば間違いなく優勝できるレベルです。犬も最近、『もうブラッシングはいいから休ませてくれ』というようなウンザリした目で私を見てきます。……私は、自分の犬にすら迷惑がられているのです。こんな屈辱がありますか」

 

あまりにもシュールで、同情していいのか笑っていいのかわからない悲惨なエピソードだった。

 

「まあ……なんというか、その……不器用な男じゃのう、お主は」

 

さすがに言葉に詰まり、どう慰めていいかわからずに視線を泳がせる。

 

「ははは。皆が頑張った素晴らしい成果ですよ、オーベルシュタイン元帥」

 

公王配ジークフリード・キルヒアイスである。休憩中だったらしく、コーヒーのマグカップを手に笑顔で歩み寄ってくる。

 

「仕事が早く終わるシステムが完成したということは、公国がそれだけ成熟してきたという証拠です。あなたがこれまでの努力で基礎を築き上げてくれたからこそ、今の平和と効率化があるのです。どうか自分を責めないでください」

 

「たまには羽を伸ばしてください。街を散策するもよし、美味しいものを食べるもよし。あなたが心身ともに健康でいてくれることが、公国にとって一番の利益なのですから」

 

「そうだ、マルガレータ。毎日政庁に缶詰では息が詰まるでしょう。今日の夕食は、久しぶりに街へ食べに行こうか。君もずっと外に出たがっていたしね」

 

その提案を聞いた瞬間。

マルガレータの顔が、太陽が爆発したかのように一気に輝き始めた。

 

「おおっ!良いのう!良いのうジーク!さすがは妾の自慢の夫じゃ、話がわかる!!」

 

「そうじゃな、せっかくの外食じゃ、アンネローゼ様も一緒にお誘いしよう!あの繁華街に新しくできた大人気の高級焼肉店が良い!A5ランクの霜降り肉をこれでもかというくらい食べるのじゃ!もちろん食後のデザートは、隣のスイーツ食べ放題の店をハシゴするぞ!!」

 

しかし。

その平和で幸せな外食計画は、無情な氷の刃によって一刀両断される。

 

「なりません」

 

「キルヒアイス公王配殿下。お言葉ですが、公王たるものがなんの事前準備もなく、お忍びで外食に出るなど、安全保障上危険極まりない愚行です。言語道断。絶対に許可できません」

 

「現在、この状況下で、公国のトップ三人が揃って街中で焼肉を突っついている隙を狙われ、テロリストに爆弾でも投げ込まれたらどうするおつもりですか?一瞬で公国の中枢が消滅しますぞ。それに、行列の絶えることのない人気店ということは、不特定多数の人間が出入りし、暗殺者が紛れ込む隙が無限にあるということです。毒殺の危険性も拭いきれません」

 

「い、いや、お忍びで変装して行けば……」

 

「変装?陛下のその派手な出立ちと騒々しい立ち振る舞いで、変装など意味を成すと本気でお思いですか?入店して五分で身バレします。……どうしてもその店の肉が食べたいというのであれば、店を借り切り、周囲半径一キロを近衛兵で封鎖し、防弾ガラスで覆われた特別室を用意する必要がありますが、その警備コストがどれだけ莫大なものになるかお分かりですか?」

 

「うぐっ……」

 

「外食など論外です。どうしても美味しいものが食べたいなら、その店のシェフをこの厨房に呼び寄せ、毒見役を三回通した上で提供させるのが国家元首としての正しい振る舞いです。……これ以上、警備計画を一から練り直さなければならないようなワガママは謹んでいただきたい」

 

 

これぞパウル・フォン・オーベルシュタインの真骨頂である。

マルガレータはギリギリと歯を食いしばり、涙目で彼を睨みつけた。

 

「むむむむむ………!お主、お主なぁ!!」

 

「自分が定時退社で暇でやることがないからって、妾のささやかな楽しみである焼肉とスイーツの計画にまで難癖をつけて口を出すな!!暇つぶしの嫌がらせにしか聞こえんぞ!!」

 

「なんとでもおっしゃってください。これも公国の安全、そして陛下の命を守るための私の立派な『仕事』ですから」

 

どこか生き生きとした表情で涼しい顔で受け流している。

 

「ジーク!なんとか言ってやってくれ!こやつ、絶対に妾を虐めて楽しんでおるぞ!!」

 

「あはは……まあまあ、マルガレータ。オーベルシュタイン元帥の言うことも一理あるからね。今日は公邸の料理長に、最高級のステーキを焼いてもらうように頼んでおくよ。それで我慢してくれないか」

 

 

こんな呆れた内情など露知らず、後世の歴史の教科書がこれを「高度に洗練された政治的均衡」などと美化して記録するのだから、未来の受験生にとってはいい迷惑である。

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

【宇宙攻撃軍本部】

 

「……宇宙海賊が急増している、だと?」

 

パラメータの九割を「攻撃」に割り振った結果としてオレンジ色の髪を与えられた男、ビッテンフェルトが星図を物理的に殴りつける。ホログラムを殴っても痛いのは自分の手だけであるという物理法則すら、彼の怒りの前では沈黙するらしい。

 

「どこの馬の骨とも知れぬ薄汚い海賊どもが、公国の領内で好き勝手に暴れ回っているというのか?冗談ではないぞ!そんなコソ泥どもの相手をするために、俺の黒色槍騎兵が存在しているわけではないのだ!」

 

勇者パーティーにスライム討伐のクエストを強要すればこうなるのは目に見えている。彼の怒りはジャンル違いに対する正当な抗議であった。

 

「まあ、そう熱くなるな、ビッテンフェルト。ただの海賊と侮るには、少々異常な事態が起きているのは事実なのだ」

 

「これを見るがいい。今年に入ってから、我が公国の領内およびその周辺の交易ルートにおける海賊の出現率が、前年比で実に十倍に跳ね上がっているのだ。十倍だぞ?いくらなんでも増えすぎている」

 

「十倍だと!?」

 

「ああ。流石にこれは、自然発生というレベルの話ではない。これだけの規模の海賊船団が、同時多発的に、しかも一斉に活動を活発化させている。その背後には、間違いなく何者かの『作為的なもの』を感じざるを得ないな」

 

ここで、生真面目な顔つきのミュラーが解説役を引き継ぐ。彼は「鉄壁」の二つ名を持つが、現在はどちらかというと「気苦労の絶えない中間管理職」のポジションに収まりつつあった。

 

「ファーレンハイト提督のおっしゃる通りです」

 

「これだけの異常発生ですから、軍としても放置はできません。現在、公国領内のすべての商船に対して警戒を最大レベルで発令し、各宙域へパトロールの駆逐艦を出動させています」

 

「で、結果はどうなのだ?海賊どもは全滅したのか?」

 

「それが、厄介な状況なのです。船団を壊滅させても、またすぐに別の星系から湧いてくるように新しい海賊が現れる。叩いても叩いてもキリがない、まさにモグラ叩きのような状態が続いています」

 

「チッ。台所の裏に湧くゴキブリめ!」

 

再び机が殴られる。この部屋の備品がいつまで原型を保てるか、ホログラム以上に心配な事案である。

 

「俺の黒色槍騎兵を出撃させて、星系ごと焼き払ってやりたい気分だ!で、被害はどれほどの規模になっているのだ??」

 

「………それが……」

 

「なんだ、もったいぶらずに言え。まさか、既に国庫が傾くほどの被害が出ているとでも言うのか?」

 

「いえ、その逆です」

 

「物流網への物資の略奪被害は、ほとんどゼロに近いのです」

 

「なんだと?」

 

「どういうことだ、ミュラー。海賊が十倍に増えているのに被害がゼロ?奴らは一体宇宙で何をしているのだ。ただのドライブでも楽しんでいるのか?」

 

「いえ、海賊たちは確かに民間の輸送船を狙って襲撃を仕掛けています。しかし……」

 

「例のツィマッド社が開発した『土星(サターン)エンジン』あのおかげなのです。現在、大手運送会社はこぞってあのエンジンを搭載した新型輸送船『ヅダ』を導入しています」

 

海賊船がミサイルを構えた瞬間、民間輸送船は爆発的な光を放って猛加速する。あまつさえ、AMBACなる謎の姿勢制御技術で宇宙空間をドリフトし、追っ手を推進剤の煙でスピンさせて飛び去っていくのだ。

 

「……と、このように」

 

この珍妙な映像を前にして、あくまで真面目な声で解説を続けるミュラーの精神力は称賛に値する。

 

「土星エンジンを積んだ民間輸送船は、現行の海賊船のエンジン性能を完全に凌駕しているのです。輸送船は速度と機動力で振り切り、逃げ去ってしまいます。そのため、商船への被害はほぼ発生していないのです」

 

「…………」

 

圧倒的な機動力のインフレを前に、猛将二人は完全に沈黙した。彼らが今まで培ってきた艦隊戦の常識が、ただの宅配業者によってあっさりと過去のものにされた瞬間である。

 

「なんだそれは……」

 

「海賊ども、完全にバカにされているではないか。輸送船にすら追いつけない海賊など存在価値がないぞ。……じゃあ、被害が出ていないなら、我々軍がわざわざ出動してパトロールする必要もないのではないか?」

 

「いや、そうはいかないのです」

 

「輸送船への被害が出ないからといって、海賊たちが諦めて大人しくしているわけではありません。彼らも手ぶらで帰るわけにはいかないのでしょう。足の速い船を諦めた結果、彼らは『別の標的』に狙いを定めて襲撃を繰り返しているのです」

 

「別の標的?」

 

「金目のものを積んでいない船を襲っても意味がなかろう」

 

「主な被害に遭っているのは、武装や護衛を持たない、足の遅い一般の旅行者や……宗教関係者の船です」

 

「宗教??」

 

「ああ」

 

「例の『地球教』という奴らか」

 

「ええ、その通りです」

 

「最近、帝国や自由惑星共和国の市民の間でも地球教が急速に流行っているらしく、なんでも『聖地巡礼ツアー』とやらを旅行会社と組んで隔週で開催しているようなのです」

 

「巡礼ツアーだと?睨み合っているこの物騒な時期に、わざわざ観光旅行に出かけているのか?」

 

正論すぎるツッコミである。

 

「はい。彼らは自然の恵みに感謝するオーガニックな旅などと称して、旧式で足の遅い、民間客船に信徒を乗せて移動しているのです。海賊たちから見れば、飛んで火に入る夏の虫。これ以上ないほど簡単に襲える絶好の標的というわけです」

 

「その巡礼船が頻繁に狙われ、襲撃されるたびに公国軍へ救援要請が届く。見殺しにするわけにもいかず、そのたびに駆逐艦を急行させて海賊を追い払っている状況です。……最近ではあまりにも襲撃が多すぎるため、いっそのこと最初から駆逐艦を巡礼船の護衛につけて付きっきりで警備をしている始末さ」

 

「なんだと……!?」

 

ビッテンフェルトの顔が、髪色と同じオレンジ色を通り越して赤に染まる。

 

「俺たちの、この誇り高き公国宇宙軍の精鋭部隊が!どこの馬の骨とも知れぬカルト宗教のベビーシッターをさせられているというのか!!」

 

「ふざけるな!そんな屈辱的な任務があるか!自分たちで勝手に危険な宙域に出かけておいて、襲われたら軍隊に助けを求めるだと?甘ったれるな!そんな奴らは海賊の餌食にでもさせておけばいいのだ!」

 

ファーレンハイトも、今回ばかりは涼しい顔を維持できずに同調する。

 

「ビッテンフェルトの言う通りだな。我々はボランティアの警備員ではない。軍の貴重なリソースを宗教団体の護衛などに割き続けていれば、防衛網に必ず穴が空く。……だが、ミュラー。お前の性格からして、それを放置できないからこそ駆逐艦を派遣してしまっているのだろう?」

 

「おっしゃる通りです」

 

真面目すぎるがゆえに損な役回りを押し付けられる、中間管理職の鑑のような返答である。

 

「彼らがどんな怪しげな宗教であろうと、法を犯していない以上は保護されるべき一般市民です。救援要請を軍が無視すれば公国の治安維持能力が問われ、ひいてはマルガレータ公王陛下やキルヒアイス公王配殿下の政治的信用を失墜させることになります。我々は、耐えるしかないのです」

 

「ええい、理屈はそうかもしれんが、腹の虫が治まらん!」

 

檻の中の猛獣さながらに歩き回るビッテンフェルト。比類なき戦闘力を持ちながら、やっている業務が実質的に交通誘導の警備員では、ストレスで胃に穴が空くのも時間の問題だ。

 

その時、大物が足音を響かせてやってきた。

扉が開き、圧縮空気の抜ける音とともに現れたのは初老の男である。

顔に刻まれた深い皺の一つ一つに歴戦の凄みが滲み出ている、公国軍の精神的支柱、メルカッツ提督の入場だ。

 

「嘆かわしいものだ」

 

この一言だけで、血に飢えた猛将三人が条件反射で直立不動になるのだから、彼の放つ威厳は伊達ではない。

 

「メルカッツ提督!!」

 

「ご苦労。……外までビッテンフェルト提督の怒鳴り声が聞こえていたぞ。軍の最高司令部たるこの場所で、あまり見苦しい真似は見せるな」

 

「はっ!申し訳ありません!」

 

先ほどまで荒れ狂っていた猪武者が、一瞬にして借りてきた猫と化す。上下関係が絶対的な宇宙軍の悲しい性である。

 

「状況はすべて聞いている。ツィマッド社の新型エンジンのおかげで、公国の物流網という生命線が守られていることは喜ばしいことだ。……だが、だからといってこの状況を楽観視してよいわけではない」

 

「輸送面で実害が出ていないからといって、無警戒な民が現実に海賊の被害に遭い、恐怖に晒されているのだ。治安維持を司る我々軍としてこれを放置するわけにはいかん。それはミュラー提督の判断が正しい」

 

「そして」

 

「国境をまたいで神出鬼没に現れるこれだけの規模の海賊船団となれば、もはや地方の警備隊やパトロール艦隊だけでは到底手に負える相手ではない。ただの護衛任務で後手に回っていては、いずれ必ず軍の疲弊を突かれて大きな被害が出る。……わかるな?ビッテンフェルト提督」

 

「はっ!つまり、いよいよ我々主力艦隊の出番というわけですね!ありがとうございます、メルカッツ提督!このビッテンフェルトにお任せください!領内をうろつく小賢しい海賊どもめ、我が黒色槍騎兵をもって一隻残らず粉砕してご覧に入れます!」

 

しかし、それでは事態は解決しない。メルカッツは冷水を浴びせるように首を振る。

 

「いや、ただ火力で叩き潰すだけでは足りんのだ。それでは三流の部隊と同じだ」

 

「なっ……叩き潰すだけではダメ、ですか?」

 

「ファーレンハイト提督も指摘していた通り、相手の増え方はあまりにも異常だ。ただのならず者が隙を突くように湧いてくるはずがない」

 

「これは、間違いなく何者かの後ろ盾がある。例えば、財政難に苦しむ共和国が、裏で私掠免許のようなものを与えて海賊を扇動し、我が国の物資を掠め取ろうとしているか。……あるいは、ファルケンハイン陛下の政策に不満を持つ帝国の強硬派が意図的に海賊を支援し、軍事リソースを割かせるための『嫌がらせ』として行っている工作かもしれん」

 

「つまり、これは国家ぐるみの陰謀の可能性があると?」

 

「そうだ。もしそうであれば、感情に任せて動き、ただ海賊を撃沈するだけでは相手の挑発に乗るだけになってしまう。背後にいる黒幕は痛くも痒くもないのだからな」

 

「だからこそ、お前たちに命じる。ただ海賊を撃退するのではなく、せめて奴らが『国境を越えて他国の領土へ逃げ込む瞬間』の映像データか、あるいは『どこかの星系で大規模な補給を受けている場面』の証拠を押さえるのだ。通信記録、レーダーの航跡、すべてをだ」

 

「なるほど……」

 

「海賊を操っている黒幕の『しっぽ』を掴めば、大義名分として利用できるというわけですな。協力要請をするなり、公式に抗議して賠償を迫るなり、外交・政治的にも我が公国が優位に動ける……」

 

「そういうことだ」

 

要するに、ただの害虫駆除を「国家の弱みを握るための恐喝の材料集め」へとすり替えたのである。

 

「これは単なる害虫駆除の話ではない。公国の威信を懸けた、そして三国のパワーバランスを左右するかもしれない極めて高度な武力偵察だと思え。……できるな、お前たち」

 

「はっ!!」




お読みいただきありがとうございました。

今回は比較的平和な内政回でしたが、その裏では地球教や海賊問題も少しずつ動き始めています。

特にオーベルシュタインの暇問題や、公国首脳陣のやり取りについて感想をいただけると嬉しいです。
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