銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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順調に勢力を伸ばし続ける地球教。

しかし彼らの成功は、当初思い描いていたものとは少し違う方向へ進み始めていた。

今回は地球教とローエングラム公爵家のお話です。



地球教の躍進

【地球 ヒマラヤ山脈 地下大聖堂】

 

教団の中枢に集まった幹部たちは一様に手元の決算報告書を見せ合いながら大声で笑い合っている。

 

現在、彼ら地球教の信徒の数は、アルブレヒトが支配する新・銀河帝国、ヤン・ウェンリーが率いる自由惑星共和国、そしてマルガレータが君臨するキルヒアイス公国という三国において、それぞれが順調すぎるほどに爆発的な伸びを見せているからだ。

 

信徒が増えれば当然ながらお布施や会費という名の収入が増え、財政は安定する。かつてルビンスキーを通じてフェザーンと裏で繋がっていた全盛期ほどとは言えぬかもしれないが、ここ数年のジリ貧状態から比べれば、台所事情は劇的と言えるレベルで改善しつつあった。

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

ホログラムの向こう側に映っているのは、銀河帝国での布教活動を任されているゴドウィン大主教である。彼は法衣の襟元を少し緩め、息を弾ませながら興奮気味に報告の声を張り上げていた。

 

「総大主教猊下!朗報に次ぐ朗報でございます!現在、我が教団が帝国の主要都市で開催しております『古代の地球展』ですが、これが我々の予想を遥かに超える大成功を収めております!!」

 

「地球で作られた陶器や絵画、錆びついた武具などの旧世紀の遺物。これが帝国の門閥貴族たちや富裕層に信じられないほどの大ウケでして!『なんという歴史のロマンか!』『この欠け具合に侘び寂びを感じる!』などと、連日大行列ができております!」

 

新・銀河帝国は現在、アルブレヒトの極端な家族至上主義の裏側で彼が政治的な思想統制は行っていないため、人々の文化的な欲求が爆発している状態にある。そこに目をつけた地球教の巡回興行は、見事に帝国市民の知的好奇心を刺激していたのだ。

 

「素晴らしいぞ、ゴドウィン」

 

「ふふふ。流石は我らが偉大なる母、地球の遺産だ……。門閥貴族や帝国民たちであろうとも、長い歴史の重みの前にはひれ伏すしかないということか。ついに彼らも、失われた地球の文化的価値を認めたと見えるな」

 

「はい!それだけではございません!集客力と文化的な意義が評価され、なんと帝国学芸省のゼーフェルト尚書から直接アプローチがあったのです!いくつかの貴重な展示物を国立博物館へ寄贈してはくれないか、と!」

 

「ほう、帝国の政府高官から直々に、か」

 

「左様でございます!そしてその伝手を活用いたしまして……なんと、帝都オーディンの一等地に新たな地球教の寺院を増設する許可が認められました!!名目は『地球と帝国の文化交流センター』でございます!!」

 

「おおおおおっ!!」

 

帝都オーディンのど真ん中に、合法的に、しかも政府のお墨付きで巨大な拠点を構える。これはかつて暗殺やテロを画策していた時代では絶対に考えられない、まさに歴史的な大偉業である。

 

「よくやった、ゴドウィン!これで帝国における地盤は盤石となる!引き続き、貴族たちから寄付金という名の美術展協賛金をたっぷりと巻き上げるのだ!」

 

大いに褒め称えるとホログラムの映像が切り替わり、今度は別の男の顔が映し出された。

 

自由惑星共和国での布教活動を統括しているデグスビィ主教である。

 

「総大主教猊下!!自由惑星共和国からの報告でございます!こちらも帝国に負けない、いや、それ以上の成果を上げております!!」

 

「現在、我が地球教が各星系でチェーン展開しております『自然の癒やし・オーガニック・リラクゼーション施設』ですが、なんとその業界シェアにおいて我が教団が堂々の第一位を獲得いたしました!!競合他社を完全に圧倒しております!!」

 

「シェア第一位だと!?」

 

現在、ヤン・ウェンリーが最高評議会議長を務める自由惑星共和国は、極度の財政難から脱却するため大規模な辺境の惑星開発やインフラ整備にでつぎ込んでいる。

 

その結果、労働者たちは来る日も来る日も過酷な土木作業や開拓作業に追われ、慢性的な肩こり、腰痛、そして深い精神的な疲労に苛まれていた。

 

「はい!!」

 

「疲れ果てた作業員たちの心を、我々が提供する極上マッサージと地球の自然を感じさせるハーブティーでガッチリと掴んでおります!彼らは労働の後に我々の施設に吸い込まれるようにやってきては、『極楽だ……』『地球教最高……』と呟きながら、喜んで施設利用料を支払って帰っていくのです!」

 

「ほう。疲れた労働者を癒やし、その対価として広く薄くかき集めるというわけか。チリも積もればなんとやら、見事なビジネスモデルだ」

 

「しかし、総大主教猊下!」

 

「あまりにも大盛況すぎて、深刻な人手不足が起きております!!至急、本部から美しい女性職員……いえ、優秀なセラピストの増援部隊を派遣していただきたく存じます!!」

 

もはや宗教団体としての体を成しているのかすら怪しいレベルの会話だが、大聖堂の幹部たちは我が事のように喜んでいる。

 

「うむ、良いだろう。直ちに若く愛想の良い信徒たちを集め、マッサージの研修を施した上で共和国へ派遣してやれ。共和国は現在まさに経済的に伸長しつつある時期だ。過酷な労働には必ず我々のような癒やしが不可欠になる。彼らの凝り固まった筋肉を揉みほぐしながら、地球の偉大さを耳元で囁き続けるのだ」

 

「はっ!御意のままに!!」

 

 

 

 

 

 

帝国での文化事業の成功、そして共和国でのリラクゼーション事業の制覇。

どちらも、地球教がやっていた暗殺や暴動の扇動といった非合法活動に比べれば驚くほど健全で、そして驚くほど儲かっている。

 

「……ところで。公国のド・ヴィリエは何をしておるのだ。帝国と共和国がこれほどの成果を上げているというのに、フェザーンでの『聖地巡礼オーガニックツアー』の売り上げが最近ひどく伸び悩んでいるという報告が上がってきているようだが……」

 

「はっ。誠に申し訳ございません、総大主教猊下。ド・ヴィリエ大主教からの報告によりますと……現在、公国領内およびその周辺の宙域において多発している海賊の襲撃被害により、宇宙に出にくい状況が続いているとのことです。巡礼ツアーの船が何度も襲われ、運休が相次いでいるのが売り上げ不振の原因でございます!」

 

「公国のみにこれほど大量の海賊が出現するとは……!一体どういうことか!我が教団の神聖な巡礼ツアーの邪魔をするとは、万死に値する愚行である!」

 

「申し訳ございません!我々の情報網をもってしても、ゲリラ化した海賊どもの出どころや背後関係は完全にバラバラでして全容がわかりかねる状況でして……」

 

「しかしご安心ください!ツアー事業は確かに不調ですが、ド・ヴィリエ大主教は決して転んではタダでは起きない男でございます!彼は現在、歓楽街を拠点として新たなビジネスモデルを立ち上げております!」

 

「新たなビジネスだと?」

 

「はい!大主教自らが主催する『フェザーン子育てサロン』とオーガニックな手作り菓子を提供する『ママさんカフェ』が大盛況なのです!これが政府高官の妻や裕福な上流階級の奥様方を次々と取り込み、連日満員御礼!莫大な会費と寄付金という名の利益を上げているのです!!」

 

「おお、子育てサロンとママさんカフェか!」

 

先ほどまでの怒りをすっかり忘れ、機嫌を直して力強く何度も頷いている。実に平和だ。

 

「さすがはド・ヴィリエ、状況に対する適応能力が高い。フェザーンのような経済の中心地では、富裕層の女性たちは常に孤独な育児のストレスとプレッシャーに晒されている。まさに完璧なマーケティングである」

 

「いいか、お前たち。次代を担う若き母たちと、その無垢な子供たちに我らが地球教の教義……すなわち、『完全無農薬のオーガニック食材の素晴らしさ』と『母なる地球の自然を愛する心』を少しずつ、時間をかけて教え込むのだ。そうすれば……」

 

両手を広げ、天井の松明の光を仰ぎ見る。

 

「彼らが成長し、公国の中枢を担う二十年後には。彼らは地球の信奉者となり自然と我らの天下になるやもしれんぞ!これぞ、百年先を見据えた真の宗教の力である!!」

 

「おおおおおっ!!!」

 

「なんと素晴らしい!!」

 

「総大主教猊下の、底知れぬ深謀遠慮!!」

 

幹部たちは感極まり、一斉に床に平伏して歓喜の声を上げた。

 

「地球は我が母……地球を我が手に!!」

 

「地球は我が母……地球を我が手に!!」

 

この時。

地球教の幹部たちは誰一人として気がついていなかった。

 

ビジネスの成功と顧客たちから純粋に感謝されるという、カルト宗教家としては初めて味わう麻薬のような喜びの前に……。

 

彼らが当初掲げていた「テロと暗殺による武力での銀河の支配」という本来の目的を、完全に綺麗さっぱり忘れつつあることに。

今や地球教は、宇宙で最も成功している顧客満足度ナンバーワンの『超優良コンサルティング団体』へと変質させつつあったのである。

彼らが真の悪の組織へと回帰する日は、もはや二度と訪れないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

【フェザーン ローエングラム公爵邸】

 

今日はこの邸宅にとって、少しばかり特別な日である。

 

今夜の夕飯のゲストとして招待されたのは地球教フェザーン支部の大主教ド・ヴィリエである。

 

教団の法衣ではなく、フェザーンの上流階級が着るような仕立ての良い、しかし派手すぎない上品なスーツに身を包んでいた。

 

「さあ、大主教猊下。ようこそ我が家へおいでくださいました。心より歓迎いたしますわ」

 

出迎えたのはこの家の女主人であり、工部尚書でもあるヒルデガルド・フォン・ローエングラムである。

 

「これはこれは、ローエングラム夫人。本日はこのような素晴らしい晩餐にご招待いただき身に余る光栄でございます。公爵家の食卓に同席させていただいてもよろしいのかと、門をくぐる前から緊張で震えておりましたよ」

 

極めて謙虚に、わざとらしくない程度に恐縮しながら深々と一礼を返す。が、内心は狂喜乱舞であった。

 

『ついに……!ついに私はあのローエングラム公の私邸に、合法的に、しかも賓客として足を踏み入れたぞ!軍も近衛隊も、『優しい子育ての相談相手』という仮面の前には手も足も出まい!これで公国の情報はすべて私の手の中にあるも同然だ!』

 

「いらっしゃいませー……!」

客間の奥のドアが開き、元気で遠慮のない小さな足音が響いてくる。

現れたのはアレクである。

 

現在四歳になる彼は父親譲りの美しい金色の髪を揺らしながら、お客さんに挨拶をしようと真っ直ぐに走ってきた。

 

「おお、これはこれは。あなたが噂のアレク様ですね。初めまして、私は……」

 

しゃがみ込んで目線を合わせ、優しく挨拶をしようと口を開こうとすると。

 

「あ……ハゲ」

 

「………………」

 

「ア、ア、ア、ア……」

 

「アレク!!な、なんてことを言うの!!めっ!でしょ!!」

 

「も、も、申し訳ございません大主教猊下!!本当に、本当に申し訳ございません!!」

 

アレクの頭を無理やり押さえつけながら、床に額がつく勢いで平謝りする。

 

「うちの子供が無礼極まりない暴言を……!まだ幼いとはいえ教育が行き届いておらず、穴があったら入りたい……子供の無知と無礼を海より深いお心でお許しください!!」

 

アレクは母親の尋常ではない慌てぶりにようやく自分がとても悪いことをしたのだと悟り、肩を落とした。

 

「ごめんなさい……」

 

涙目になりながら小さな声で謝る。

 

『このクソガキィィィィッ!!私の高貴なる頭部に向かってハゲだと!?誰がハゲだ!これは神への信仰の証として自ら剃り上げているのだ!今すぐこの小生意気な金髪のガキの首を絞めてやりたい!!』

 

しかし。

彼は地球教の幹部であると同時に、宇宙で最も成功している超優良コンサル団体のトップである。

 

ここで怒りに任せて子供を怒鳴りつけたり不機嫌な態度をとったりすれば、これまで築き上げてきた「完璧な聖者」という信頼が一瞬にして崩れ去ってしまう。

それだけは絶対に避けねばならない。

 

「ははは……」

 

「いえいえ、奥様。どうかお顔を上げてください。お気になさらず」

 

「子供というものは、建前やオブラートなど関係なく常に真っ直ぐに見つめるものです。確かに私のこの頭に毛がないのは、紛れもない事実ですからな。アレク様の観察眼は極めて正しく、素直な証拠です。素晴らしいことですよ」

 

「大司教猊下……なんてお優しい……」

 

「……どうです、アレク様。そんなに珍しいなら、一度触ってみますか?」

 

「えっ……?」

 

「本当に、いいの?」

 

「ええ、もちろんですとも。さあ、どうぞ」

 

青い瞳が好奇心に輝いた。

 

「わーい!ツルツルー!」

 

「おーっ!まんまるだー!お月様みたーい!」

 

『ぐぬぬぬぬぬ……!!屈辱だ!この私にこんな屈辱的な真似をさせおって……!覚えていろよ、このローエングラムのガキめ!いずれ必ずこの恨みは晴らしてやるからな!』

 

内心は怒りで完全に沸騰し血管が切れそうになっていた。

しかし表面上は。

 

「はははは。いかがですか、アレク様。磨き上げられた大理石のような手触りでしょう?子供は本当に素直で正直でよろしいですな。私まで童心に帰ったような気分になりますよ」

 

頭を叩かれながらも満面の笑みでただひたすらに耐え忍んでいた。まさにプロフェッショナルである。

 

「どうしたのだ、随分と賑やかなようだが」

 

現れたのはこの家の主、ラインハルト・フォン・ローエングラム公爵その人である。

 

軍を指揮する際の軍装やマント姿ではない。白いシャツにゆったりとした仕立ての良いスラックスの私服姿だ。

 

「あなた!」

 

ラインハルトはアレクに頭を撫で回されている見知らぬ男を見て少しだけ目を丸くした。

 

「ほう、そちらが……」

 

「お初にお目にかかります。ローエングラム公爵閣下。私は地球教フェザーン支部で大主教を務めさせていただいております、ド・ヴィリエと申します。本日はこのような栄誉ある席にお招きいただき誠に光栄の至りに存じます」

 

一国の外交官と比べても全く遜色のない洗練された挨拶。

ラインハルトは少し目を細め、観察するように見つめる。

 

「ようこそおいでくだされた、ド・ヴィリエ大主教」

 

警戒を解き、真っ直ぐで嘘のない歓迎の言葉を述べる。

 

「ヒルダやフロイライン・トルナードが、とても世話になっていると聞いている。彼女たちの悩みを聞き心を癒やしてくれていること、感謝する」

 

少し照れくさそうに、しかし真摯に頭を下げた。

 

「いえ、滅相もございません。私はただ迷えるお母様方のお話を聞き、お茶をお出ししているだけのしがない人間に過ぎません」

 

「貴殿の謙虚さは妻から聞いていた通りだ。今日はぜひ我が家だと思って存分に寛がれよ」

 

「ローエングラム公爵閣下、そして夫人のその温かいご厚意、誠に感謝に堪えません。それではお言葉に甘えまして、本日はゆっくりとさせていただきます」

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

豪華な食卓を囲み、和やかで極めて知的な歓談の時間が流れていた。

 

「ほう……。それは興味深いな」

 

「我がキルヒアイス公国のような、『武力と経済の分立国家』として運営されている特殊な体制は、地球時代にも既に成功例と失敗例が存在するというのだな、大主教」

 

「そうですな、公爵閣下。古代の地球には広大な領土を持たずとも経済力と海軍力……今で言う宇宙艦隊ですな……それらを巧みに操り、大国同士の隙間を縫って繁栄を謳歌した『海洋都市国家』の記録が数多く残されております。ヴェネツィア共和国などがその最たる例です」

 

大学の歴史学教授のように、理路整然と相手を惹きつける絶妙なトーンで語っている。実に巧妙である。

 

「その例を鑑みるに、我が公国の今後の財政安定化には単なる物資の流通に頼るだけでなく、金融と情報のネットワークを握ることが不可欠です。しかし、同時に……」

 

「そうなりますと、関税の面で問題が発生しますわ。我々が経済圏を強固にしすぎれば、帝国本土からの疑念と反発を招くのでは……?現在は両国間の貿易は極めてスムーズですが、ひとたび帝国が公国を警戒して関税を高く設定すれば、フェザーンの経済はたちまち立ち行かなくなります」

 

指摘はまさに公国の抱える最大の政治的アキレス腱である。

 

「奥様のおっしゃる通りです。現状、帝国と公国の良好な関係は、帝国トップである『アルブレヒト帝個人の、マルガレータ様やキルヒアイス殿下たちへの特別な感情』に依存しておりますからな」

 

「ですが、国家の安全保障と経済の根幹を皇帝個人の『情』や『気まぐれ』に依存し続けることこそ極めて危険であり排除すべきリスクです。皇帝の機嫌一つで国家の存亡が左右されるなど、独立国家としてあり得ない脆さです。それを克服するためには……」

 

「関税の自主撤廃を公国側から先制して提案し、『自由貿易協定』の枠組みへと帝国を巻き込むのです。帝国側の貴族資本や商人たちにフェザーンの市場を開放し、彼ら自身に『公国と取引を続けることが自分たちの最大の利益になる』という経済的な依存構造を作り上げる。そうすれば、皇帝がどう思おうと帝国国内の経済界が自ら関税の構築に反対するようになります。属人化を排除し、システムで平和を担保するのです」

 

『なんだこの坊主は。ただの自然派カルト宗教の親玉かと思っていたが、まるで一国の宰相のような政治的視野と分析力を持っているではないか』

 

ラインハルトの瞳に明らかな尊敬と、好敵手を見つけたような闘争心の火が灯る。

 

「なるほど。実に見事な見解だ。……では政治と経済の次は軍事の話を聞かせてもらおうか」

 

「現在、我が公国軍はツィマッド社が開発した『土星エンジン』の導入により各艦艇の機動力は劇的に上がった。先日もその機動力をもってメルカッツ提督とミュラー提督が海賊をいとも容易く殲滅して見せた。……しかし」

 

「いくら足が速くても、ただ機動力のみで勝ち続けられるほど艦隊戦は甘いものではない。機動力が上がれば上がるほど陣形を維持することは困難になる。突出する艦と遅れる艦が出ればそこを各個撃破されるのが戦の常だ。……これにどう対処すべきと考える?」

 

普通の宗教家であれば神の御加護でごまかすしかない場面だ。

 

「先日の海賊討伐は敵が統率のない烏合の衆であったからこそ成功しただけの話です」

 

「機動力が上がる分、各艦艇の『連携』をアナログな通信や目視で取ることは今後確実に不可能になると推察します。超高速戦闘において指揮官の口頭での命令が各艦に届く頃には、戦況は既に三回は変化しているでしょう」

 

「では、どうするのだ?」

 

「そこで再び古代地球の知恵の出番です。兵器の速度が人間の思考速度を超えた時代に、『ネットワーク理論』を応用したシステムが構築されました」

 

「そのようなことはわかっている。しかし戦場において通信妨害は初歩の初歩だ」

 

「部隊間データリンクについてはそうでしょうな。ですが艦レベルで戦術コンピューターを統合するのです。……機動力を生かすための絶対条件は個の力ではなく、情報共有の完全な自動化です」

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

両親が難しい話をしているなかで。

 

アレクは皿の上のピーマンのソテーをフォークで突きながら「これ苦いから食べたくないー」とぐずっている真っ最中である。

 

「アレク!好き嫌いなど許さんぞ!出されたものは残さず食べるのだ!これは父親としての絶対の命令である!!」

 

突然大声で怒鳴られ、ビクッと肩を震わせて泣きそうになるアレク。トルナードが慌てて背中を撫でる。

 

「大主教よ、貴殿は色々と子育ての相談に乗っているそうだが、俺はこう思う!アレクのような幼い子供の躾において最も重要なのは、親の絶対的な『指揮』であり毅然とした『命令』ではないのか!?軍隊が司令官の命令で動くように、家庭もまた親の厳格な統制によってのみ規律が保たれるはずだ!違うか!?」

 

軍隊の規律と家庭の教育を完全に混同している、不器用な父親丸出しの極論である。

 

「左様ですな、ローエングラム公爵閣下。親が子供に対して毅然とした態度を示すことは、確かに教育の一つの側面としては重要です」

 

「……ですが」

 

「子供に限らず人間というものは、基本的に『自分の望む結果を手に入れたい』と欲する生き物です。兵士であれば軍規と給与で縛れますが子供はそうはいきません。頭ごなしの命令で強制された行動は一時的な恐怖による服従でしかなく、親が見ていないところでは必ず破られます。それは真の教育とは呼べません」

 

「大切なのは子供自身に『望ましくない方法……例えば泣き叫んだり駄々をこねたり野菜を残したりといった行動では、自分の求める結果(お菓子をもらう、遊ぶなど)が絶対に得られない』と、彼ら自身の経験から『自然に悟るように導く』ことなのです」

 

「自然に悟るように導く……だと?」

 

「はい。心理学や行動経済学の世界ではこれをナッジと呼びます。強要するのではなく、自発的に正しい選択をするように環境を整えてやるのです。……例えばピーマンを食べなさいと命令するのではなく、一口食べられたら大袈裟なくらいに褒め称え食後に大好きな絵本を読んであげる約束をする。逆に食べなければ絵本は読まないというルールを徹底する。……そうやって子供自身に『食べた方が自分にとって得だ』と考えさせる思考のプロセスを育ててやること。それこそが親の真の役目です」

 

「……もちろん、これは母親だけの仕事ではありません。父親である閣下も等しく日常の些細な風景からそのように子供を導く責任がおありですぞ。大声で命令して満足するのは教育ではなくただの自己満足です」

 

目から大きな鱗が何十枚も落ちたような呆然とした顔で見つめる。

そして、ゆっくりと完全降伏を宣言した。

 

「……卿は本当に実に博覧強記であるな。政治、軍事、そして子供の教育に至るまで……一切の隙がない」

 

「俺はすべてを知っているつもりでいたが、まだまだ学ぶべきことが山のようにあるらしい。……大司教、ぜひまたゆっくりと時間を取って話をしたいものだ。卿のその知識は我が公国にとってかけがえのない財産となるだろう」

 

「恐縮の極みに存じます、閣下」

 

「私などただの古い書物に書かれている知識の受け売りに過ぎません。その知識を現実の政治や生活にどう活かすかは、閣下のような為政者の手腕にかかっております」

 

『よし……!勝った!これでローエングラム家は政治的にも思想的にも完全に私の、いや地球教のコントロール下に入ったも同然だ!!』

 

「うむ……。今日は本当に有意義な時間であった。これからの公国の未来について新たな光が見えた気がする……うっ……!」

 

満足げに立ち上がろうとしたラインハルトの身体が、突然大きく折れ曲がった。

 

「閣下!?」

 

「あ……ぐうぅぅっ……!」

 

バランスを崩し激しい目眩に襲われてその場にふらつき、テーブルの端に置いてあったワイングラスを肘で払いのけた。

 

「あなた!!」

 

「あなた、しっかりして!!またですか……!?誰か、すぐにお医者様を呼んで!!トルナード、アレクを別室へ!!」

 

倒れ込む身体を支えながら泣き出しそうな声で叫び、トルナードも血相を変えてアレクを抱きかかえ部屋の外へと駆け出していく。

 

「また……とおっしゃいましたか?」

 

「ローエングラム公爵閣下は、何か病を抱えておられるので??」

 

問いかけに、ヒルダは汗を拭いながら震える声で説明を始める。

「ええ……実はしばらく前から、原因不明の激しい発熱と全身の痛みを繰り返しているのです。熱が下がったと思ったらまた突然高熱が出てこうして倒れ込んでしまう……」

 

「はあ……はあ……大丈夫だ、ヒルダ。ただの過労だ。……少し休めばすぐに良くなる……」

 

「これは大丈夫ではありません……!」

 

傍らに膝をつき、顔色、眼球の充血具合、皮膚の紅潮、そして首筋の脈拍を確認し始める。

 

「奥様。公国の最高の設備を持った病院の主治医はこの症状に対してどのような治療を行っているのですか?」

 

「それが……主治医の先生も全く原因が分からないのです。高熱が続くので抗菌薬を何種類も組み合わせて投与しているのですが熱は一向に下がりません。感染症を疑って何度も血液培養検査をしているのですが、血液中からはどんな細菌もウイルスも検出されないのです。……それなのに血液検査のデータでは体内の炎症の強さを示すCRPの数値だけが高い状態がずっと続いていると……」

 

「抗生物質が効かず、血液培養は陰性。しかしCRPだけが異常高値を示す、原因不明の激しい周期的な発熱と疼痛……」

 

「……なるほど。完全に合点がいきました」

 

確信を持ったように深く頷く。

 

「おそらく……閣下を苦しめている病の正体は細菌でもウイルスでもありません。……病名は『膠原病』ご自身の免疫細胞がご自身の正常な細胞や組織を異物と勘違いして攻撃し破壊してしまう自己免疫疾患の一種でしょう」

 

「自己免疫疾患……?こうげんびょう??」

 

聞いたこともない病名に目を白黒させる。現代の宇宙においてその言葉は完全に死語となっているからだ。

 

「膠原病というのは地球では比較的よく見られた病の分類なのです。しかし人類が宇宙に進出し、最近の数百年間はあまり発症例が報告されなくなりました。……なぜだかお分かりですか?」

 

「ルドルフ大帝が制定した『劣悪遺伝子排除法』です。あの法律により遺伝的な要因が絡むとされる自己免疫疾患の患者たちは弾圧され歴史の闇へと抹殺されてしまったのです」

 

「その結果、病気そのものが表面上は『存在しないもの』として医学書から消え去り、帝国の医学は外傷や感染症の治療に偏り、免疫学という分野においては衰退してしまった。……現代の医師たちの中で分かる者は極めて少ないでしょう」

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

それから数日後。

 

「……いかがでしたか、先生。夫の病状は」

 

「……お見事としか言いようがありません。猊下のご推察通り、いえ、診断通りでした。数百年ぶりに検出された特殊な自己抗体の反応……病名は自己免疫疾患の一種である『変異性劇症膠原病』で間違いありません」

 

「変異性劇症膠原病……か」

 

「治るのですか?先生」

 

必死にすがりつくように尋ねるが、医者は首を横に振る。

 

「……申し訳ありません。この病は極めて進行が早く全身の臓器に激しい炎症を引き起こす致死率の非常に高い病です。治療法や特効薬は……確立されておりません。我々の手には負えません」

 

ラインハルトへの余命宣告に等しいものであった。

 

「そんな……!嘘でしょう……?あなたが、こんな病なんかに……!」

 

しかし。

その絶望の底で、一人だけ全く動じることなく落ち着き払った声を発する男がいた。

 

「案ずることはありません、奥様。絶望するにはまだ早すぎます」

 

ド・ヴィリエである。

 

「……こちらの『ステロイド』を中心とした免疫抑制療法を試してみましょう」

 

大量のアンプルと複雑な計算式がびっしりと書き込まれた分厚いノートを取り出した。

 

「ステロイド……???」

 

「そ、そのような強力な副作用のリスクがある古典的な劇薬を、あろうことかローエングラム公爵閣下のお身体に投与するというのですか!?危険すぎます!!」

 

現代の医者にとってステロイドは副作用のコントロールが難しすぎる禁忌の薬として扱われているらしい。

 

「……お前たちは本当に薬の使い方というものを知らんのだな。副作用が怖いからといって患者を目の前で見殺しにするのが医者の仕事か?」

 

「ステロイドは魔法の薬ではない。だが地球ではこの病に対するオーソドックスで効果的な治療法として確立されていたのだ。副作用のコントロールなど薬の動態を計算し感染症の予防と並行して行えば問題ない」

 

「……まったく。帝国の医学はここまで衰退してしまったのですか。嘆かわしいことだ。……さあ治療を始めましょう、閣下。数日後には必ずその胸の痛みは消え去ります」

 

それから一ヶ月という月日が流れた。

特別個室のドアが勢いよく開き、中から元気で生命力に満ち溢れた大声が響き渡る。

 

「おおっ!!素晴らしいぞ!!」

 

「熱が下がった!胸の痛みも関節の軋みもない!身体がまるで羽のように軽く、今なら最前線で何日間でも指揮を執り続けられそうだ!!」

 

宣言通り、計算し尽くされた治療計画とステロイドの投与量のコントロールにより、身体を蝕んでいた病魔の影はウソのように完全に消え去ったのである。

 

「あなた……!本当によかった……!本当に……!」

 

「大主教猊下……!本当にありがとうございます……!なんとお礼を申し上げてよいか……!貴方は夫の命を救ってくれた恩人です!」

 

普通であればここで公国の財政の一部を教団に、とか献金をといった要求を突きつける絶好のチャンスである。

 

しかしド・ヴィリエはヒルダの手を優しく握り返し、深く、どこまでも謙虚に聖職者として頭を下げた。

 

「いえいえ、奥様。どうかお顔を上げてください。そのような過分な言葉は私にはもったいのうございます」

 

「私の持っていた知識と医療の記録がこうしてお役に立てたのであれば……そしてこれからの宇宙の平和を担うお命を救うことができたのであれば。一人の宗教家として、また歴史の探求者としてこれほど嬉しく名誉なことはございません。私の方こそ貴重な経験をさせていただき感謝しております」

 

この日を境に。

ド・ヴィリエと地球教は、キルヒアイス公国の事実上のナンバーツーであるローエングラム公爵家より絶大な信頼を完全に勝ち取ることとなった。

 

彼は『我らの友』であり、『聖なる男』という称号で呼ばれるようになった。

 

 




お読みいただきありがとうございました。

今回は地球教視点を中心に描いてみました。

ド・ヴィリエや地球教の変化、そしてラインハルトとのやり取りについて感想をいただけると嬉しいです。
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