銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
だがその瞬間、共和国軍の背後から純白の旗艦《ブリュンヒルト》が現れる。
戦場に帰還した黄金の獅子は、兄を救うためだけではなく、公国の未来を懸けてイゼルローンへ牙を向ける。
【イゼルローン回廊・戦闘宙域】
現在、ホーランド元帥が主導する奇妙な名前の包囲陣形が形を成そうとしていた。
『クアッド・クリームパン・アンダンテ』
四方上下からの立体的な四重の包囲網で敵を逃げ場なく包み込み、ゆっくりと歩くような速度で確実に締め付けていくという、ホーランドの芸術的な感性が生み出した罠。
そしてその罠のど真ん中には、ヤン・ウェンリーの流動的な防御陣形を強行突破し見事に孤立してしまった銀河帝国皇帝アルブレヒトの旗艦《ロンゴミニアド》とその直属艦隊がスッポリと収まっている状態だ。
「良し!完璧だ!美しい!あまりにも美しすぎる陣形だ!!」
戦術ディスプレイに映し出される、自軍の艦隊が描く見事な四重の包囲網の軌跡を見て恍惚の表情を浮かべる。
「全艦、ファイア!!!」
爆発音と、艦の装甲を直接揺さぶるような激しい振動が《エピメテウス》のブリッジを走った。
「うおっ!?」
ホーランドはバランスを崩し危うく指揮席から転げ落ちそうになる。
照明が一瞬だけ明滅し、非常用の赤いパトランプが回転を始めた。
「なんだと!?」
「何事か!!!皇帝の艦隊からの反撃か!?いや、あの包囲網の中からこれほどの威力の砲撃が届くはずがない!」
視線がモニターの隅、ダメージコントロールの表示に釘付けになる。
被弾箇所は前方ではない。あろうことか、自分たちの艦隊の『背後』である。
「背後から撃たれただと!?馬鹿な!俺たちの後ろは安全圏のはずだぞ!まさか皇帝の伏兵が背後に回り込んでいたというのか!?」
『焦るな、ホーランド』
画面越しのビュコックは、慌てふためく様子とは対照的に落ち着き払った低い声で語りかける。
『直撃は完全に避けておる。我が方の被害はまだ軽微、かすり傷のようなものじゃ』
確かに背後から凄まじい砲撃を受けたにしては、致命的な損傷を受けた艦は一隻もない。
『敵は我々を沈めようとして撃ってきたわけではない』
『長距離砲による精密射撃……。敵の意図は我々の艦隊にダメージを与えることではなく、展開しようとしていた包囲陣形を崩すこと、そして皇帝への攻撃のタイミングをズラさせることにある。……この一切の無駄がなく洗練された射撃技術……。これは………ただの伏兵や烏合の衆の海賊なんぞではないぞ』
「て、敵影捕捉!!共和国側の回廊出口方面より、新たな大艦隊が信じられないような速度で急速接近してきます!!」
「新たな艦隊だと!?」
指揮卓に詰め寄る。
「我々の方面から何者が来るというのか!?」
「!!識別信号、帝国軍の正規部隊のものではありません!!」
オペレーターの指が震えながらコンソールを叩く。
「識別信号、確認!!先頭の旗艦は……純白の戦艦《ブリュンヒルト》を確認!!!さらにその後方に戦艦《パーツィバル》の識別信号を確認しました!!」
「ブリュンヒルト……だと……?」
「ま、間違いありません!!銀河帝国の軍隊ではありません!!これは……キルヒアイス公国軍の攻撃です!!キルヒアイス公国が誇る『黄金の獅子』、ラインハルト・フォン・ローエングラム公爵が出てきました!!!」
「ラインハルト・フォン・ローエングラムだと……?」
ギリギリと歯噛みをし、指揮杖を握る手に異常なまでの力を込める。
「あの黄金の獅子が最前線に出てきたというのか。……噂によれば原因不明の病で寝込み使い物にならなくなっていたと思っていたが……。健在だったというのか!」
『やれやれ……。ファルケンハインとローエングラム公は、義理の兄弟という関係にあると聞く。なるほどそういうことか』
『これは帝国軍単独の侵攻などではない。銀河帝国と公国による水面下で準備された共同作戦ということじゃな。我々共和国軍は正面から帝国皇帝の大軍を受け止めさせられ、その隙に背後から公国に急襲される……回廊の中で挟み撃ちにされたというわけじゃわい』
しかしここで一つの巨大な疑問が残る。
なぜ彼らは共和国側の回廊出口から、軍の妨害を受けることなく突如として現れホーランドたちの背後を突くことができたのか。
その種明かしは、公国が最近導入したある画期的な新技術にある。
◇
実はこの時、キルヒアイス公国軍は共和国側から隠れて攻め入ったわけではない。
ラインハルト率いる艦隊は全艦艇の推進器をツィマッド社製の新型『土星(サターン)エンジン』へと換装し終えていたのだ。
彼らはその出力を限界まで引き上げ凄まじい推進力を発揮。
共和国側で防衛に駆け付けたボロディンやクブルスリーといった部隊の横を次々とすり抜けていき、「通常の三倍」という常識外れの速度で一気に回廊を突破、この激戦の舞台へと到達してしまったのである。
公国の経済力と技術力、そしてラインハルトという天才の用兵が融合した恐るべき機動艦隊の誕生である。
「ど、どうしますか閣下!!」
「正面にはファルケンハインの《ロンゴミニアド》!そして背後からは接近してくるローエングラム公爵の《ブリュンヒルト》と雷光ミュラーの艦隊!!我々は前後から挟撃されます!このままでは我が艦隊は文字通りサンドイッチの具のようにすり潰されてしまいます!!」
このまま強引に皇帝を討ち取ろうとすれば背後から致命傷を与えられ全滅は免れない。かといってここで皇帝を逃せば要塞本体が危険に晒される。
絶体絶命の二択。
しかし。
その絶望的な状況のど真ん中にあってホーランドはゆっくりと目を閉じ、深く静かに息を吸い込む。
「ビュコック提督」
『なんじゃ?ホーランドよ』
急激な雰囲気の変化に気づき、眉をひそめて応じる。
「私が」
「我が艦隊を反転させ、ローエングラム公爵に当たります。提督はどうかこのままファルケンハインの抑えをお願いします。決して要塞に近づけてはなりません」
言葉を聞いてビュコックは少し驚いたように目を見開いた。
『……どういう風の吹き回しじゃ?』
『お主、「今回こそファルケンハインを倒してやるのだ!」と息巻いておったろうに。皇帝の首はお主にとって最大の悲願であり完成だったはずじゃ。……ここはわしが反転してローエングラムの相手を引き受けても良いんじゃぞ?』
彼なりの後輩に対する優しさであり配慮である。
武人にとって敵の総大将の首を挙げるというのは最大の栄誉である。それを自ら放棄し背後から来る増援の盾になるというのは、あまりにも損な役回りだからだ。
「……お気遣い、感謝いたします、提督。ですが」
「現在の我々の位置と陣形を見る限り。公国軍に対しては私がそのまま反転して当たるのが時間的にも距離的にも最も合理的です」
「ここで無理に部隊を入れ替えたり無駄に交差させたりすれば、陣形に必ず致命的な隙が生まれます。その隙をあのローエングラム公爵が、あるいはファルケンハインが見逃すはずがありません。我々はその隙を突かれて一気に崩壊するでしょう」
「…………」
「いくら私が芸術を愛していようとも。私はこの自由惑星共和国の宇宙艦隊司令長官であり、誇り高き軍人ですからな。個人の野心や芸術の完成よりも国家を守るための勝率……すなわち純粋な『戦理』を優先します。それが私をこの地位にまで引き上げてくれたヤンに対する最低限の恩返しですから」
言葉に一切の迷いも未練もない。
見事な精神的成長と軍人としての崇高な覚悟を目の当たりにして。
ビュコックはモニター越しに目を細め、頼もしい孫の成長を見るような深く温かい眼差しを彼に向けた。
「………承知した」
「お主のその覚悟、確かに受け取ったぞ。後のことは儂に任せておけ。《ロンゴミニアド》は絶対に要塞には近づかせん」
「頼みます、提督」
「気をつけて行け、ホーランド。背後から来るあの金髪の孺子は……本当に強いぞ。病み上がりだからといって決して侮れる相手ではない」
ラインハルト・フォン・ローエングラム。その圧倒的な用兵の才能は間違いなくこの宇宙で一、二を争う危険な存在なのだから。
「ええ。分かっています。相手にとって不足はありません」
「全艦、直ちに百八十度反転!!目標、背後より接近するローエングラム公爵の《ブリュンヒルト》および公国軍艦隊!!我が艦隊のすべての火力を黄金の獅子に集中させろ!!」
《エピメテウス》をはじめとする共和国軍艦隊のうち一万五千隻が一糸乱れぬ完璧な動きでその巨体を反転させていく。
「相手は宇宙最強の天才かもしれないが……だからこそやりがいがあるというもの!」
「さあ、見せてやるぞ!ロジックを超越したこの俺の最高傑作の『狂詩曲』をな!黄金の獅子よ!!踊ってもらうぞ!!」
◇◇
「おっ?なんだなんだ?急に敵の砲撃が手薄になったぞ?」
画面には、今まで自艦を取り囲んでいた赤い光点が、背後から接近する新たな勢力に対して向きを変え防衛戦を構築しようと慌ただしく動いている様子が映し出されている。
そして、その赤い光点の群れを凄まじい速度と精密な射撃で蹂躙している、純白の艦影を示す識別信号。
「……マジか」
顔面がこれ以上ないほどの輝かしい笑顔で満たされた。
「ラインハルト!!来てくれたのか!!」
「やっぱりこういう時に持つべきものは、世界で一番頼れる義理の弟だな!!さすがは俺の弟だ!いいタイミングで駆けつけてくれやがって、最高にカッコいいぜ!!」
「……陛下。手放しで喜んでおられるところ水を差すようですが」
「ローエングラム公爵が率いるキルヒアイス公国軍が我々の窮地に駆けつけてくれたのは事実であり、戦術的にはこれ以上ないほどの幸運です。……しかし私としてはどうにも腑に落ちない点があるのです」
「ん?なにが腑に落ちないんだよ、リューネブルク。助けに来てくれたんだから素直に喜べばいいじゃないか」
「ローエングラム公は重病に倒れ、ベッドの上で寝たきりの状態だと聞いておりました」
「しかし、今あいつは間違いなく指揮を執っている。ということは……病気は治ったのか?」
「推測の域を出ませんがそういうことになりますな。でなければこれほどの精密な艦隊機動を指揮できるはずがありません」
「……治ったのなら良いが」
「無理をしていないと良いが……」
◇
【キルヒアイス公国軍 旗艦《ブリュンヒルト》】
「ふっ……」
「あのホーランドが死角に潜んでいたことは、慮外の事態ではあったが……」
「結果的に見れば最高の形となったな。兄上が囲まれ身動きが取れなくなった最も良いタイミング……勝利を確信した瞬間に、我々が背後から登場できたのだからな」
「閣下」
「結果的に見れば我々はファルケンハイン陛下のお命を救ったことになりますな。これは両国の関係において極めて大きな政治的貸しを作ったと言えるのではないでしょうか」
「ふっ。兄上も随分と焼きが回ったものだな」
足を組み直し不遜な態度で語りかける。
「俺との内戦以来、安全な奥深くに引きこもり、平和な政務と家族との馴れ合いに没頭しすぎたせいで、すっかり戦場の勘が鈍ってしまったと見える。あのような見え透いた罠と自分から飛び込んで孤立するなど、昔の兄上なら絶対にやらなかった愚行だ」
かつて己を打ち負かした覇王に対する少なからずのライバル心と、勝ったという優越感が明確に表れていた。
そして指揮座から立ち上がり、マントを豪快に翻した。
眼差しはもはや孤立しているアルブレヒトの救出などという小さな目標には向いていない。
見据えているのはこの銀河のパワーバランスを覆す途方もなく巨大な野望である。
「全艦、聞け!」
「これより我々キルヒアイス公国軍は一気にイゼルローン要塞本体の攻略へと移る!!」
「ヤン・ウェンリーが率いる自由惑星共和国から、要衝であるイゼルローン要塞を奪い取るのだ!いいか、よく考えろ!」
「現在、我がキルヒアイス公国はフェザーン回廊を支配している。それに加えてこのイゼルローン回廊をも制圧し手中に収めることができればどうなるか!」
「帝国と共和国は互いに行き来する道を失い、我が公国の許可なくしては貿易も軍事行動も行うことができなくなる。すなわち、我がキルヒアイス公国はこの銀河における『唯一の交易国家』として君臨し、軍事力に頼らずとも経済の根を握ることで両国に対して優位に立つことができるのだ!!」
彼はただ兄を助けるために来たわけではない。
この三国鼎立のかりそめのバランスを自らの手で破壊し、キルヒアイス公国を銀河の中心へと押し上げるための野心を持ってこの戦場に乱入してきたのである。
「この戦いは我が公国の永遠の繁栄のための試金石となる!続け、全将兵よ!俺の進む道が勝利への唯一の道だ!!」
『おおおおおおおおっ!!!』
全艦隊の将兵たちの士気は限界を突破し、狂気的なまでの歓声が宇宙の真空を震わせる。
「了解いたしました、公爵閣下!!」
「これより我が《パーツィバル》および前衛の艦隊は、ホーランド艦隊を切り裂くべく前に出ます!!雷光の真骨頂、お見せいたしましょう!!」
公国の野心と黄金の獅子の覇気が一つに融合した瞬間であった。
◇◇
【共和国軍 旗艦《ヒューベリオン》】
「…………やれやれ」
指揮席に深く腰を沈めたまま、ベレー帽をくしゃくしゃに掻き回し、心の底からの情けないため息を漏らす。
「これは一本取られたな。……帝国軍にばかり集中しすぎて、背後から接近してくる公国軍の動きを見落としてしまうとはね」
「……不敗の魔術師なんて大仰な名前で呼ばれているのにとんだ大ポカのマジック・ミスだ。平和な日々に慣れきって警戒心を失っていたのは、この私の方だったというわけか」
自嘲気味に情けなさそうに笑う。
しかし、そののんきな自己反省を聞いている余裕など傍らのユリアン・ミンツには微塵も存在しない。
「そ、総統!そんな呑気に反省している場合ではありません!!」
「どうなさいますか、閣下!?」
「ホーランド元帥の艦隊が反転してラインハルトに当たっていますが、いつまでもつか分かりません!もしこの防衛線が突破されイゼルローン要塞が落ちれば……我々は帰る場所を失います!!」
二人の天才に出し抜かれたこの閉鎖空間で生き残る道などどこにも存在しないように思える。
「……焦ることはないよ、ユリアン」
「要塞の心配は無用だ。イゼルローン要塞にはシェーンコップとキャゼルヌ先輩が残っている。いくらラインハルトやアルブレヒトの猛攻を受けようともそう簡単に落ちるはずがない。私は彼らを信頼している」
「では……」
「なら話は簡単だ。彼らが一つの場所に集まってくれたというのなら……」
「私たちはこの状況を耐えるのではなく『反転』させよう。……ファルケンハインとローエングラム公。この宇宙で最も危険な二人の天才を一網打尽に討ち取るこれ以上ないチャンスへと変えてやろうじゃないか」
「一網打尽に……両方を!?」
「直ちに、前衛でワーレンとルッツの部隊を抑えている第十艦隊のウランフ提督と第九艦隊のアル・サレム提督に連絡を取れ」
「彼らには現在の防衛陣形と遅滞戦術の作戦をそのまま継続しつつ、絶対に前線を崩さずに徹底的な足止めを展開してもらう。彼らをアルブレヒトの本隊へ合流させてはならない」
「はっ!」
「そして」
「我が艦隊はこれより反転する。目標は背後で暴れているアルブレヒトの《ロンゴミニアド》とそのさらに奥にいるラインハルトの《ブリュンヒルト》だ」
瞳が戦術の頂点を見据えて鋭く光る。
「トールハンマーのシステムとホーランド・ビュコック両艦隊とデータリンクを連携させろ。……敵の総大将二人を同時に要塞に追い込む。……と全軍に伝えてくれ」
「了解しました!!」
ユリアンは感動している。決断の速さと状況を一瞬にして攻撃の好機へと変換してしまう知略に、心からの感嘆と畏敬の念を抱きながら直ちに全身全霊で手配を開始する。
お読みいただきありがとうございました。
今回はラインハルト率いるキルヒアイス公国軍の参戦と、イゼルローン回廊での三勢力激突を描きました。
ホーランドの決断、ラインハルトの野心、そして状況を反転させようとするヤンについて感想をいただけると嬉しいです。