銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
兄となったアレクは立派に振る舞おうとする一方、父ラインハルトへの反抗期を迎えつつあった。
そんなローエングラム家へ、ドヴィリエ大主教の娘に関する意外な報告が届く。
【キルヒアイス公国 ローエングラム公爵邸】
宇宙暦八〇〇年十一月某日。
午後の穏やかな日差しが差し込む寝室に、元気な赤ん坊の泣き声が響き渡っていた。
ラインハルトとヒルダの第二子、コンラート・フォン・ローエングラムである。
小さな顔を真っ赤にして、手足をばたつかせながら、いま自分がどれほど不満なのかを邸中へ訴えていた。
寝台に横たわったヒルダが背を撫で、傍らに控えるトルナードが毛布の端を整える。二人が手慣れた調子であやしているうちに泣き声はしだいに弱まり、最後に小さく鼻を鳴らすと、コンラートは何事もなかったように母の胸で眠り始めた。
ようやく静けさを取り戻した部屋で、ヒルダは安堵の息をついた。
出産後の疲れはまだ顔に残っている。
やがて顔を上げると、トルナードの手をしっかり握って立っている長男へ視線を移した。
「ごめんなさいね、トルナードさん。コンラートのことで手一杯で……アレクのことを、すっかり任せきりにしてしまって」
「いえいえ、奥様。大丈夫ですよ。コンラート様は生まれたばかりですから、お母様がべったりで当然ですわ。それに、アレク様はとても立派なお兄様でいらっしゃいますもの」
褒められたアレクは、待っていましたとばかりに胸を張った。
父親と同じ金色の髪を持つ美少年は、弟が生まれて以来、自分はもう幼い子供ではないと懸命に示そうとしている。
もっとも、衣服を整え、髪を梳き、ここまで連れてきたのが誰なのかは、すっかり忘れているらしい。
「母上、大丈夫ですよ! 僕はトルナードとすっごく仲良しですから」
「……将来は、トルナードを僕のお嫁さんにするんだ!」
ヒルダは驚くどころか、いっそう楽しそうに目を細める。弟の誕生を寂しがるのではなく、自分には自分の家庭を作ればよいという結論へ飛ぶあたり、いかにもローエングラム家の長男だった。
「あらあら。お兄ちゃんだものね。立派で偉いわよ、アレク」
母親に認められ、さらに胸を反らした。そのとき、寝室の扉が静かに開き、執務用の軍服を着たラインハルトが顔を覗かせた。
眠ったばかりの次男を起こすまいと足音を忍ばせているが、軍靴でそうしたところで、さほど身軽には見えない。
「ヒルダ、体はとにかく労ってくれよ? 政務や軍の仕事は俺が何とかするから、君はゆっくり休んでくれ。工部省から何か届いても、見る必要はない。こちらで止めておく」
心配していることだけは疑いようがなかった。
しかし、何か役に立とうと室内を見回しても、どこに何があるのか分かっていない。
寝台の脇に置かれた椅子を引こうとすれば、そこにはヒルダの上衣が畳まれている。
別の椅子にはコンラートの産着が置かれ、小卓には水差しと薬が並んでいた。
結局、ラインハルトは上衣を持ち上げたまま置き場所を見失い、部屋の中央で立ち尽くした。
その一部始終を眺めていたアレクは、父親と目が合った途端、先ほどまでの得意顔を消して、つんと横を向いた。
「お父さんは『家庭的』には駄目人間なんですから、とっとと仕事に行ってください。お父さんがうろうろしていると、トルナードが気を使って迷惑しています」
「お前は、本当に父親というものを……」
ようやく絞り出した声も最後までは続かなかった。
コンラートが母の腕の中で身じろぎしただけで、ラインハルトはすぐに口を閉じた。
笑いを堪えていたヒルダは口元へ手を添え、息子の赤くなり始めた耳を見ながら優しく声をかけた。
「ふふふ。アレク、お父様にそう反発して、恥ずかしがるものではありませんよ」
「……そんなんじゃないです!」
否定する声だけは大きくなりかけ、アレクは慌てて眠る弟を見た。
それから照れ隠しのようにトルナードの手を強く握り、「行くよ、トルナード!」と言い残して廊下へ駆け出していく。侍女は引かれるまま一礼し、扉の向こうで注意しながら、その後を追っていった。
「むう……。あいつ、最近、俺に冷たくないか?」
「あなた。男の子は成長するにつれ、父親に反発を覚えるものですよ。アレクも、自分が大きくなったところをあなたに見せたいのでしょう」
慰められたラインハルトは、すぐには答えなかった。思い当たることがないのではなく、ありすぎたのである。
姉を皇帝へ差し出し、酒に溺れた実父へ、自分がどのような眼差しを向け、どのような言葉を投げてきたか。
事情はまったく異なるとしても、父親に反発する息子という一点だけを取り出せば、否定できる立場ではなかった。
「……何も言えんな」
ようやくそう認めた夫へ、ヒルダは声を立てずに笑った。ラインハルトはなお不満そうだったが、反論の代わりにコンラートの頬へそっと指を伸ばす。
次男は目を覚まさなかったものの、触れられた側から小さく顔を背けた。
本日二度目となる息子の拒絶に、ラインハルトの眉間の皺がいっそう深くなった。
◇◇
穏やかな家族の時間は、控えめなノックによって終わった。
ラインハルトが入室を許すと、データパッドを抱えた侍従が静かに扉を開けた。
彼の仕事は身の回りの世話に留まらない。公王マルガレータの日程を整え、省庁間の連絡を仲介し、必要とあれば軍の人事にまで目を通す。
公国で担当者の決まらない仕事は、最後には彼の机へ流れ着くとさえいわれていた。
「ローエングラム公、工部尚書。以前より言いつけられておりました、ドヴィリエ大主教の『令嬢』に関するデータをお持ちしました」
一か月ほど前、ドヴィリエに娘がいるなら調べるよう命じていたのである。
しかし大主教本人には何も尋ねておらず、その年齢も居場所も分からないまま、近衛兵を通じての調査だけが続いていた。
「そうか……。だが、ずいぶんと調査に時間がかかったな。あれから一か月以上経つぞ。近衛兵に探らせて、何か不都合でもあったのか?」
「申し訳ございません。ドヴィリエ大主教と令嬢は姓が違ううえ、戸籍も完全に分けられておりまして、照合に手間取りました」
二人の記録に共通する姓はなく、住所にも所属にも接点がない。
「離婚されていると? それとも、もしや大主教の養女ですか?」
「いえ、遺伝子情報からも血縁関係にあるのは間違いありません。しかし、我々が公国の戸籍を整備する際、ハイネセンのデータベースを基本システムにして、そこへ公国軍の将兵を追加登録するかたちにしたのがいけませんでした。民間の戸籍と軍籍が別系統になり、検索の網から漏れていたのです」
説明の途中に出てきた軍籍という言葉へ、ラインハルトの注意が引かれた。
「というと? なぜ軍のシステムが関係する?」
ラインハルトが身を乗り出すと、侍従は軍籍側の記録を拡大した。そこに表示された所属を見て、ヒルダも目を見張る。
「彼女は軍人でした。現在、我々キルヒアイス公国軍に属しています」
「あら……。大主教は、そのようなことを一言も仰っていませんでしたわね」
ドヴィリエは公王家とローエングラム公爵家の双方へ出入りし、アンネローゼやヒルダからも信頼を得ている。
その娘が誰にも知られぬまま公国軍へ所属しているとなれば、偶然の一言で済ませてよいのか、まず疑わなくてはならなかった。
「それをもって大主教を疑うべきか? あえて身内を軍へ潜り込ませていると?」
ラインハルトの問いに、侍従は軽々しく頷かなかった。親族関係を隠した事実と、意図的に工作した事実は同じではない。
「我々から『娘さんは何をしていますか』と直接聞き出したわけでもありません。単に言いそびれたか、軍人であることを誇るつもりがなかっただけとも取れます。少なくとも、大主教が軍へ働きかけた記録は見つかっておりません」
「それもそうだな……。あの大主教は過剰に謙虚だからな。身内が軍人だからといって、自分から吹聴する男ではないか」
警戒を解いたわけではないが、ラインハルトは判断を保留した。
「で? どんな娘だ?」
侍従が画面へ触れると、一人の女性の立体映像が浮かび上がった。
真っ赤な長い髪を後ろで束ねた、気の強そうな若い女性だった。
息を呑むほど整った顔立ちをしているが、撮影のために立たされていること自体が気に入らないのか、眉はわずかに上がり、正面を見据える目にも愛想というものがない。
取り入ることを知らないその顔は、父親であるドヴィリエの穏やかな印象とは似ても似つかなかった。
「名前は、ヴァレリア・フォン・ライヒハート。年齢は十九歳。階級は中尉です。先日の第八次イゼルローン攻防戦において初陣を迎え、ワルキューレを駆って要塞の対空浮遊砲台を三基破壊しました。その功績によって昇進し、現在の階級へ昇進しています」
「ほう! なかなかやるじゃないか」
ラインハルトは感嘆を隠さず、戦闘記録へ目を走らせた。イゼルローン要塞の表面近くまで単座式戦闘艇で迫り、砲台を破壊して生還する。初陣の戦果としては、十分に大したものだった。
「初陣でそれだけの戦果を挙げたのなら、見どころがある。……しかし、ライヒハート? 帝国の伯爵家ではないか」
「はい。彼女の母親が、ライヒハート伯爵家の娘だったようです。そのあたりが、調査に時間を要したもう一つの理由でした」
侍従が古い帝国戸籍へ画面を切り替えると、そこにはヴァレリアが生まれる以前からの経緯が記されていた。彼女の母は若い頃に地球教へ入信し、家族にも告げず、極秘裏に地球へ聖地巡礼に赴いている。その滞在中にドヴィリエと出会い、子を身籠ったままオーディンへ戻ったのだという。
「では、大主教と正式な結婚はなされていないの?」
「そのようですね。身籠ったことを知ったライヒハート家は、母親を勘当しました。しかし、生まれたヴァレリアまで市井へ放置すれば、かえって伯爵家の醜聞となる。そこで伯爵家の体面を守るため、遠縁の子という扱いで密かに引き取ったようです」
旧帝国の貴族社会では、血統と体面を同時に守るためなら、さほど珍しくもない処置だった。だが珍しくないからといって、そこで育てられた子供の境遇まで穏やかだったとは限らない。
「その後、ライヒハート家は、当時まだ中将だったアルブレヒト陛下に反発しました。アナスタシア閣下によって家門が取り潰された際、屋敷の外にいたヴァレリアは運よく生き残り、そこで初めて実父であるドヴィリエ大主教のもとへ逃げ込んだようです」
「……まさか、ここでも皇后陛下の粛清の余波が絡んでくるとは」
ヒルダは腕の中のコンラートへ目を落とし、複雑な息を吐いた。
「数奇な運命ですね」
◇◇
ヴァレリアの立体映像を残したまま、ヒルダは侍従へ視線を戻した。
「その他の経歴は?」
「もともと帝国軍に所属していた軍人ではありません。公国が建国され、ドヴィリエ大主教がフェザーンへ赴任した今年になってから、自ら軍へ志願しています」
入隊から現在まで、一年も経っていない。それにもかかわらず、ヴァレリアはすでに中尉となっている。
「志願者は、士官学校を出るか、よほどの実績がなければ、下士官や兵卒から配属されるはずだ。いきなりワルキューレに乗れるものなのか?」
「配属時は二等兵です。後方の通信室へ配属されております」
そこまでは通常の志願兵と変わらない。しかし軍籍を二か月進めただけで、階級欄は二等兵から少尉へ、所属は後方通信室からワルキューレ操縦課程へと変わっていた。
昇進理由を記す欄には忠誠心、将来性、公国の理念を体現する者といった抽象的な言葉が並び、通信室での実績や操縦適性は付記へ追いやられている。
「では、これは何だ?」
「……ドヴィリエ大主教が公王家やローエングラム公爵家へ頻繁に出入りし、信任を得ていることが軍内部へ知れ渡った時期に、不自然な特例昇進が行われました。一気に少尉へ任官し、同時に本人が希望していたワルキューレ隊への道も開かれています」
ヒルダの目が細くなった。ラインハルトは画面に並ぶ推薦者の名を一人ずつ確かめたが、ヴァレリアと直接勤務した経験のある者はほとんどいない。
「どういうことです?」
「どうやら、軍の人事担当官が過剰な『忖度』を行ったようでして……。大主教の令嬢を二等兵のままにしておけば、公王家や公爵家の不興を買うと、勝手に考えたものと思われます。大主教本人やヴァレリア中尉が昇進を求めた形跡はありません」
「何をしている! 特権階級への忖度など、旧帝国と同じ腐敗ではないか! 人事の最終責任者は卿なのだぞ。なぜ見落とした!」
侍従は言い訳を探さず、深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。弁解の余地もありません」
「あなた。彼を責めるのは酷ですよ」
公王の日程を管理し、政務会議の資料を整え、各省庁の間で止まった案件を動かし、宮廷費を確認し、軍人事にまで目を通す。
侍従という名の下へ、誰の担当とも決められなかった仕事を押し込み続けたのは、ほかならぬ公国の首脳たちだった。
「現状、公国の政務から軍の人事まで、彼一人に重い負担がかかりすぎています。末端の下士官一人への不当評価まで、すべて確認できるはずがありません。彼なら処理できるからと仕事を集めておいて、見落としが一つあれば叱責する。それでは、あまりに勝手ではありませんか」
ラインハルトはなお何か言いかけたが、抱えられた複数のデータパッドと、眼の奥に沈む疲労が目に入った。旧帝国の腐敗を断罪しながら、人材不足を理由に有能な者を使い潰す。それを新しい国の正しさと呼べるはずもない。
やがて拳を解き、気まずそうに視線を外した。
「……それも、そうか。すまない。八つ当たりだった」
上位者から謝罪されるとは思わなかったのか、侍従は目を瞬いた。
しかしすぐにいつもの表情へ戻り、もう一度頭を下げる。
◇◇
張りつめた空気が収まるのを待って、ヒルダは話をヴァレリアへ戻した。
「彼女が十九歳なら、マルガレータ陛下と同い年ですね。……さすがに、これから生まれてくる陛下の双子と娶せるには、圧倒的な年の差があります」
もともとの調査目的は、ドヴィリエ大主教の娘を、公王家に生まれる双子のどちらかと将来結婚させられないかを検討することだった。
娘の年齢すら知らない段階で持ち上がった案であり、今そのまま進めるには無理がある。
「そうだな。男の方が十歳、二十歳と年上であれば、貴族社会ではよくある話だが……逆に女性が十九歳年上となると、あまり前例がないな」
「ええ。子供たちが婚姻できる頃には、彼女は四十歳近くになります。将来、世継ぎが望めないかもしれませんわ」
ラインハルトは顎へ手を当てたまま考え、ふと、先ほど出ていった長男の姿を思い出した。
「それは、アレクに対しても言えることだがな……。あいつがさっき宣言していたトルナードは、いくつだったかな?」
「二十六歳ですね」
即答したヒルダの声には、すでに笑いが混じっていた。アレクサンデルの年齢を考えれば、十九歳差どころの話ではない。
「アレクには将来、兄上の娘のカティアを娶せる予定で、すでに話を進めているのだぞ。あいつのあの様子では、苦労しそうだ」
ヒルダはとうとう堪えきれず、肩を揺らして笑った。
「まだ気が早すぎる先の話ですよ、あなた。子供の初恋なんて、すぐに変わります」
「そうだな……」
納得したというより、いま考えても仕方がないと諦めたらしい。
「とりあえず、大主教の娘を双子の嫁にするのは無理だ。だが、このフロイラインは、なかなかの能力と気の強さを持っているようだし、マルガレータと同い年でもある」
不当な少尉任官とは切り分けて考えても、第八次イゼルローン攻防戦で挙げた戦果まで偽物になるわけではない。
何より、立体映像の顔は、相手が公王だからという理由だけで黙り込む女性には見えなかった。
「彼女を、マルガレータの側近に置くことにしよう。そば付きの護衛として、公王の身辺を守らせる」
先ほど縁故を理由に行われた昇進へ激怒した人物が、新しい配置を即決している。
侍従の眉がわずかに動いたものの、ラインハルトは気づかなかったのか、気づかないふりをしたのか、そのまま話を進めた。
「そうですね。陛下にも、同年代で気を許せる、あるいは遠慮なく意見を言い合える同性の側近が必要でしょう」
ヒルダも賛成した。
マルガレータの周囲にはキルヒアイス、オーベルシュタイン、リヒテンラーデをはじめ、年長の男たちが多い。
忠誠も能力も申し分ないが、公王の立場を離れて話せる同年代の女性となれば、たしかに存在しなかった。
命令を記録していた侍従が、珍しく少し不満そうに顔を上げた。側近を増やすという話そのものに異存はないらしいが、その役目は、すでに別の誰かが一人で背負っている。
「現在、マルガレータ陛下の身の回りのお世話、スケジュール管理、メンタルケア、および小言を申し上げる役目は、すべて私が行っておりますが……。ヴァレリア中尉へ引き継がせる、ということでよろしいのでしょうか」
公王の日程を整えていることは知っていたが、生活上の世話から精神面の支え、無理をした際の小言まで一人で担っていたとは思っていなかったらしい。
「いや、卿は優秀すぎる。いつまでも『侍従』という曖昧な役職に収まる器ではない。そろそろ卿の能力に見合った、公国における正式な地位を用意してやる。尚書級の役職と、それにふさわしい権限を持たせるつもりだ」
喜びより先に警戒を浮かべた。正式な地位を与えられた結果、現在の仕事をすべて抱えたまま、さらに職務だけが増える可能性を考えたのだろう。
「これ以後は、あのじゃじゃ馬の世話をヴァレリアに引き継がせる。卿には、卿の能力に見合った仕事へ専念してもらう」
「承知いたしました」
立体映像の中で、赤髪の女が、自分の進路を勝手に決めた男を睨み返しているように見えた。
お読みいただきありがとうございました。
今回はラインハルトとヒルダの第二子コンラートの誕生と、ドヴィリエ大主教の娘ヴァレリアの経歴を描きました。
アレクとラインハルトの親子関係やヴァレリア、働かされすぎている侍従について感想をいただけると嬉しいです。