銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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父ドヴィリエを憎み、地球教の大義へ身を捧げる赤髪の中尉ヴァレリアは、公王付き武官候補へ任命された。

だが、生真面目すぎる彼女は、公王マルガレータの醜聞を決して許してはいなかった。


紅蓮の乙女、公王を諫めに行く

公国歴二年――宇宙暦八〇〇年十一月二十日。

 

空は低く曇り、軍港の広場を吹き抜ける風には、間近に迫った冬の冷たさが混じっていた。

 

灰色の雲の下では、公国軍の艦艇が何隻も発着を繰り返している。つい先月まで第八次イゼルローン攻防戦へ出征していた艦には、応急修理の跡がまだ生々しく残り、その傍らを新兵たちが駆け、整備兵が怒声を飛ばしていた。建国から二年目を迎えたばかりの国に、立ち止まって傷を癒やしている余裕はないらしい。

 

その喧噪から少し離れた場所に、赤い髪の女性士官が立っていた。

 

長い髪を後ろで束ね、軍服を一分の隙もなく着込んだヴァレリア・フォン・ライヒハート中尉である。軍帽の庇に手を添えるでもなく、寒さに肩をすぼめるでもなく、まっすぐに遠方を見つめている。赤い髪だけが風を受け、紅蓮の旗のように背後へ流れていた。

 

後年、ヴァレリアはこの日を振り返って、こう語っている。

 

『あの日……私は……生きてきて初めて、運命というものに出会った』

 

もっとも、その運命が彼女の前へ現れるまでには、まず八年前から語り起こさなければならない。

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

帝国歴四八三年。

 

ルドルフ大帝以来の門閥貴族として伯爵位を保ってきたライヒハート家は、ファルケンハイン伯爵家との政争に敗れ、取り潰しとなった。

 

十一歳だったヴァレリアに、政争の全容など分かるはずもない。ただ、昨日まで頭を下げていた使用人たちが目を合わせなくなり、屋敷の門に官憲の封印が貼られ、ライヒハートの名を口にしただけで周囲が息を呑むようになった。自分が生まれ育ったはずの家が、一夜にして存在してはならないものへ変わっていく光景だけは、いまも記憶に焼きついている。

 

とはいえ、彼女にとって伯爵家は、失って涙するほど温かな場所でもなかった。

 

ヴァレリアは、家の娘が巡礼先で身籠った――地球教の聖職者との間に生まれた私生児である。母はすでに亡く、伯爵家へ引き取られた後も、家族として食卓を囲むことは許されなかった。与えられた部屋も衣服も教育も、彼女を慈しむためではなく、貴族の血を引く子供を市井へ放り出したという醜聞を避けるためのものだった。

 

それでも、屋根と家名があるうちは生きていけた。取り潰しによって、その薄い庇すら消えた。

 

燃える屋敷を背に、ヴァレリアは地球教の神父へ手を引かれた。何が起きたのか、これからどこへ行くのかと尋ねても、返ってくるのは「神の御心です」という言葉ばかりだった。

宇宙船を乗り継ぎ、人類の発祥地と教えられた地球へ降り立つ頃には、彼女はもう質問することをやめていた。

 

地球教本部は、貴族の屋敷とは比べものにならないほど質素だった。石造りの壁には古い湿気が染みつき、細い窓から射し込む光も冷たい。幼いヴァレリアは粗末な椅子へ座らされ、両手を膝の上に揃えたまま、まだ見ぬ実父が来るのを待った。

 

扉が開き、ドヴィリエが入ってきた。母が最期まで多くを語ろうとしなかった、ヴァレリアの実父である。

 

男は娘と初めて会ったとは思えぬほど落ち着いていた。歩み寄って抱き締めることも、母の死を悼むこともない。品定めをするように顔を眺めると、記録に記された血縁関係を確認するような声で言った。

 

「うむ……。確かに私の娘には変わりないらしいな。顔立ちに面影がある」

 

その一言に、十一歳のヴァレリアはわずかに顔を上げた。自分には、ここにいてよい理由がある。そう思ったのは、一瞬だった。

 

「……だが、この教団において、血縁など何の地位の証にもならん。己の力で生きていくことだ。私に『父親の真似事』など期待しないことだな」

 

ドヴィリエはそれだけを告げると、娘の返答を待たずに踵を返した。扉が閉じ、靴音が石造りの廊下を遠ざかっていく。ヴァレリアは泣かなかった。助けを求めて追いすがることもなく、冷え切った椅子に座ったまま、扉の一点を見つめ続けた。

 

帝国で冷遇されていた頃、まだ彼女は父親を憎んではいなかった。顔も知らない相手は、愛することも憎むこともできない。

だが、その日に初めて与えられた父親の顔と声は、少女の胸へ、憎悪という黒々とした感情を植えつけるには十分だった。

 

彼女を立ち上がらせたのは、父の情ではなく、皮肉にも地球教の教えだった。

 

――人類発祥の地である地球への負債を、人類は忘れてはならない。

 

――地球は我が母、地球を我が手に。

 

血のつながった父親は、自分に価値を認めなかった。ならば、もっと大きな母へ仕えればよい。地球そのものを母と仰ぎ、その奪還に必要な人間となれば、誰にも存在を否定されずに済む。

 

ヴァレリアは教団の書庫へ通い詰めた。政治を学び、軍事を学び、史学を学び、やがて表の歴史だけでは人間が動かないと知ると、謀略まで貪るように学んだ。眠る時間を惜しみ、同年代の子供が遊んでいる声にも振り向かなかった。

 

いつか、あの男に示すために。自分が生きていて価値のある存在なのだと、否応なく認めさせるために。

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

父の昇格を知ったとき、彼女は心から祝福した。父を愛するようになったからではない。大主教の娘ともなれば、教団内で相応の地位と任務を与えられる。

蓄えた知識を用い、ようやく地球のために働ける日が来たのだと信じたからである。

 

しかし、その期待は、ドヴィリエとともにフェザーンへ移って間もなく裏切られた。

 

公国へ来て以来、父は変わった。病に苦しむ者へ手を差し伸べ、地球教徒であるかどうかさえ問わず治療を施し、いつしか「聖人」などともてはやされるようになった。公王家や公爵家に出入りし、政治的な信任を得た一方で、地球の本部との連絡は目に見えて減っていった。届いた指示を開かずに放置する日さえある。

 

ヴァレリアには、それは慈悲には見えなかった。地球奪還という大義を捨て、公国の生温い温室で牙を抜かれ、目先の政治権力に取り憑かれただけだ。

地球教徒の仮面を被った豚。それが、いまの父に対する彼女の評価だった。

 

その男の血が、自分の体にも流れている。その事実が汚らわしくて仕方がない。

だからこそ、ヴァレリアは父の力を借りずに軍へ入り、父が捨てた大義を自分の手で果たそうとした。

実際には、彼女の知らぬところで「大主教の令嬢」への忖度が働き、二等兵から少尉へ不当な特例昇進を遂げていたのだが、当の本人は、それを自分の能力が認められた結果だと信じていた。

 

そして第八次イゼルローン攻防戦において、ワルキューレで戦功をあげ、今度こそ自力の戦功によって中尉へ昇進した。

 

誰の娘でもない、ヴァレリア・フォン・ライヒハートとして。

 

その誇りだけは、父にも、公国にも、汚させるつもりはなかった。

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

【公国軍フェザーン基地 内務執務室】

 

呼び出しを受けたヴァレリアは、直立不動の姿勢を取っていた。

 

向かいに座る少将は、先ほどから妙に上機嫌だった。書類へ署名してはヴァレリアの顔を見上げ、また書類へ目を戻す。

 

やがて最後の確認を終えると、少将は一枚の辞令書を両手で持ち上げた。そこに記された公王府の紋章を見て、ヴァレリアの眉がわずかに動く。

 

「ライヒハート中尉。貴官を……公王陛下付きの『武官候補』に任命する!」

 

少将は語尾を必要以上に伸ばし、満足げに辞令書を差し出した。ヴァレリアは姿勢を崩さないまま受け取ったが、視線だけは文面を鋭くなぞっていく。

 

「……私で、ありますか?」

 

「うむ! 初陣で浮遊砲台を三台撃破した功績が認められたのだ。実に光栄なことだぞ! 上官たる私も鼻が高いというものだ。励めよ!」

 

「はっ! 謹んで拝命いたします!」

 

迷いのない敬礼を返しながら、その胸中では、すでに別の計算が始まっていた。

 

公王マルガレータの身辺へ、武器を携えたまま近づける。武官候補という不安定な立場であっても、執務室、私室、移動経路、警備体制を知る機会はいくらでもあるだろう。

 

暗殺。サイオキシン麻薬による洗脳。あるいは、地球教へ銀河の覇権を引き寄せる機会。

 

ヴァレリアが学んできた知識は、いま受け取った一枚の辞令によって、現実の選択肢へ変わろうとしていた。

 

だが、同時に疑問も湧く。なぜ、ドヴィリエはすでに公王家やローエングラム公爵家の内部へ出入りできる立場にいながら、そうした謀略を一つも実行しようとしないのか。病人へ薬を与え、悩みを聞き、感謝を受け取るばかりで、地球のためにその信頼を利用しようともしない。

 

やはり、あの男は完全に骨抜きにされたのだ。ならば、自分がやるしかない。

 

少将の前で敬礼を解いたヴァレリアの瞳に、冷たい決意が宿った。上官はそれを、公王直属に選ばれた軍人の覚悟だと受け取り、いっそう満足げに頷いた。

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

執務室を出たヴァレリアは、辞令書を脇へ抱え、廊下を歩き始めた。

 

足取りは速い。公王府への出頭日時を確認し、警備配置を予測し、父の動向まで洗い直さなければならない。思考の中では、すでに複数の作戦が組み上がり始めていた。

 

その背中へ、慌ただしい足音とともに、ひどく間延びした声が追いすがってくる。

 

「中尉!! 中尉ぃぃ――っ!!」

 

ヴァレリアは速度を落とさないまま、肩越しに一瞥した。

 

「なんだ、いたのか貴様」

 

ようやく追いついたのは、輝くような銀髪と印象的な赤い目を持つ、小柄な女性士官だった。ヴァレリアが中尉へ昇進した際に付けられた部下であり、護衛役も兼ねている。もっとも、いまは護衛対象に置き去りにされ、廊下を全力で走ってきたせいで、軍帽は傾き、呼吸もすっかり乱れていた。

 

「ひどいじゃないですか、中尉!! 大事な部下を忘れるなんて! 呼び出しの間も、私、廊下で健気に待機していたんですよ!?」

 

頬を膨らませて抗議する少尉を、ヴァレリアは横目で一瞥した。待機を命じた覚えもなければ、ついてくるよう告げた覚えもない。おそらく本人が勝手に待っていただけだろう。

 

「……で、なんだ。用件を述べよ」

 

「え? いやいや、中尉の方こそ! 上官室での呼び出し、一体なんだったんですか?」

 

ヴァレリアは足を止める価値もないと判断し、簡潔に答えた。

 

「公王陛下付きの、武官候補に任命された」

 

「すごいじゃないですか! ばんざーい!!」

 

言葉を聞いた瞬間、ヴァレリアの手刀が、間髪を容れず銀色の頭頂へ落ちた。

 

「古代の不吉な掛け声を安易に口にするな!!」

 

「痛ぁっ!?」

 

頭を抱えてしゃがみかけたものの、ヴァレリアがそのまま歩き去ろうとしたため、涙目で再び後を追った。

 

「りょ、了解です……。でも中尉、良いんですか? 中尉って普段から『公王陛下のことはお嫌い』みたいなこと、言っていたじゃないですか」

 

「ホーテン少尉。軍人なら表現は正確に行え。『みたい』ではなく、嫌いなのだ」

 

あまりにも堂々とした訂正に、ホーテンの口が半開きになった。

聞いている方の心臓に悪い忠誠心だ。

 

「うわあ……はっきり言っちゃいましたよ。でも、それなら断っちゃえば良いじゃないですか」

 

その言葉でヴァレリアの軍靴が止まり、二歩先まで進んだホーテンも慌てて足を止めた。

 

「くだらんことを言うなよ、ホーテン。貴様の言い分は『怠惰の正当化』である上に、完全に的外れだ」

 

「はあ……確かに私に怠け癖があるのは認めますけど……的外れって、一体……?」

 

退路を探すように視線を泳がせるホーテンへ、ヴァレリアは辞令書を突きつけた。

公王府の紋章が、廊下の照明を冷たく反射する。

 

「国家を預かる公王ともあろうものが、よりにもよって『穢れた色事』で破滅しかかるなど、銃殺ものの無様だろう!」

 

父親の分からぬ双子を身籠もったという、公王マルガレータの妊娠騒動。

公国上層部が一妻多夫制度まで制定し、何とか国家の恥を制度の先例へ塗り替えようとしている一件を、ヴァレリアはほんのわずかも美談と見なしていなかった。

 

「貴様も誇りある公国士官学校の第一期生なら、軍の何たるかを叩き込まれたはずだ! 同胞の失態に対する軍の原則は!?」

 

突然の詰問に、ホーテンの背筋が条件反射で伸びた。踵が揃い、右手まで敬礼の位置へ上がる。

 

「れ、連帯責任です!!」

 

「然り!」

 

「であるなら、私たちにとっても、あの不祥事は『公国の恥』なのだ! 翻って、私たちが至らぬから、公王陛下の乱行をお諫めできなかった……ともなるのだ!」

 

「いやいやいや! でも……私たちは公王陛下とは雲の上にいるほど立場が違いますし、一度もお会いしたこともないので、諫めるも何も……。中尉のお父上――ドヴィリエ大主教なら、いざ知らず……」

 

口から出た言葉が誰を指すのか気づいたときには、もう遅かった。

 

ヴァレリアの顔から熱弁の勢いが消えた。代わりに、静かに一歩踏み込み、逃げ腰になったホーテンとの距離を詰めた。

 

「……なんだ。今、大きな声でもう一度言ってみろ」

 

瞳の奥に浮かんだ殺気を見て、ホーテンは短い悲鳴を上げた。両手を胸の前で振りながら後退し、壁へ背中をぶつける。

 

「ひぃっ! ああ、いいえ! 何でもないですぅ! 今日も中尉ったら本当にお綺麗で、そのまま社交界に出れば殿方たちの熱い視線を一身に集めること間違いなしですよ、はいっ!!」

 

「……お世辞は不要だ」

 

怒りは収まっていないはずだが、追及はそこで終わった。ホーテンは壁へもたれたまま胸を撫で下ろし、命拾いした自分を密かに褒めた。

 

もっとも、容姿を褒めることは、お世辞としてさほど無理のある選択ではなかった。

長い赤髪と整った顔立ちは、軍服よりも舞踏会の衣装を着せた方が似合うと考える者も多いだろう。

 

二人は再び廊下を歩き始めた。今度はホーテンも置き去りにされぬよう、小走りにならないぎりぎりの速さで隣へ並ぶ。

 

「……それはさておき。今回の公王陛下の件は、国家の最高恥部ですからね。上の偉い人たちも『揉み消す』方に動いてます。だからこその『一妻多夫制度』の制定ですし……」

 

先ほどまでの軽さを引っ込め、ホーテンは声を低くした。人通りのない廊下とはいえ、公王の醜聞について話しているところを聞かれれば、ただでは済まない。

 

「あまりその方向に、新参が口を出すのは不味くないですか? 軍務尚書閣下は、鉄と氷で出来ているようなお方だって、私、常々聞いてますし……」

 

「うむ。私もそう聞いている」

 

「だったら――」

 

ホーテンは、ようやく話が通じたと思った。だがヴァレリアは前を見据えたまま、むしろ歩みを力強くした。

 

「だが! 私を武官として推薦してくださったというローエングラム公は、極めて聡明で、実際的な方だと聞いている。……きっと、私たちの『意』を汲んでくださるはずだ」

 

話が通じたどころか、より危険な人物の名前が出てきた。

 

「…………私たち? 意、とは……?」

 

ヴァレリアは問い返されたことを不思議そうに見た。

 

「要するに!」

 

「『淫乱な公王陛下にお付き合いするのは、軍務であるからして従いはするが、無駄に私情で馴れ合うつもりは一切ない!』という、我が軍人としての硬派な姿勢のことだ!」

 

ホーテンは絶句した。

どこから止めればよいのか、もはや分からない。

むしろ、ここまで迷いなく破滅へ突き進めるのは、一種の才能ではないかとさえ思えた。

 

「行くぞ、ホーテン!! ローエングラム公のお宅だ!!」

 

ヴァレリアは玄関へ向かって颯爽と歩き出した。

 

「えええええええええっ!!?」

 

「ちょっと待ってください、中尉ぃぃぃ――っっ!!」




お読みいただきありがとうございました。

今回はヴァレリアの過去と、公王付き武官候補へ任命された彼女がローエングラム公爵邸へ向かうまでを描きました。

生真面目すぎるヴァレリアと、振り回されるホーテンのやり取りについて、感想をいただけると嬉しいです。
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