銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
帝都の貴族の笑顔を避けるほうが、よほど難しい。
今回の舞台は、帝国の心臓・オーディン。
凱旋したファルケンハイン准将が迎えるのは、
火薬ではなく香水の匂い、そして笑顔の地雷。
侯爵、伯爵、姫君、そして婚約フラグ。
「政治」と「社交」が最も危険な戦場になる午後を、
どうぞお楽しみください。
俺は今、帝都オーディンに戻ってきている。
サボりか?違う。断じて違う。確かに心の底から、骨の髄までサボりたい。
だが、俺の横にいたはずのアナが「准将、仕事です」と言って目を光らせるせいで、それも叶わない。
だから今日は正しい理由でサボ……じゃない、用事で来ている。
用事の内容? よりによってリッテンハイム侯爵への挨拶だ。
……なぜ俺の人生は、戦場よりも危険な場所ばかり向かうのだろう。
大理石の床がやけに滑る。
やたら広い応接室。
そして、やたら長い沈黙。
俺は、作り物の笑みを浮かべたリッテンハイム侯と向かい合っていた。
あの顔。完璧な笑顔。だが、目が笑っていない。完全に「政治の顔」だ。
こういう相手が一番怖い。剣より怖い。
なんと今年、親父が正式に隠居し、この俺に爵位を譲ると言い出した。
最高だ!これで晴れて軍を退役し、悠々自適の貴族ライフを満喫できる!
……と思ったら、アナにも父上にも祖父様にも全力で「ダメだ」と言われた。
理由が「あなたが自由になったら帝国が混乱するから」だ。どういう理屈だ。
というわけで、俺は今「新伯爵」としての挨拶回りを強制されている。
めんどくせー。
俺は戦艦の艦橋で命令する方が楽だ。
リッテンハイム侯の、あの手入れされたヒゲ。
あれを思いっきり引っ張ったら、怒るだろうか?
たぶん処刑されるな。いや、アナに処刑される。
侯爵がにこやかに言う。
「これはこれは、ファルケンハイン新伯爵。いや、准将閣下とお呼びすべきかな?
この度の凱旋、誠にお見事であった。帝国貴族の誇りですな」
「ごきげんよう、侯爵閣下。過分なお言葉、痛み入ります」
……はい、完璧な模範解答。
ただし、内心はこうだ。
(うわぁ……これ以上続くと、胃がひっくり返る……)
貴族の挨拶って、なんでこうも回りくどいんだ。
最近は戦場で敬礼ばかりしていたせいで、腰を折る作法は筋肉痛になる。
あと、この部屋、香水の匂いがきつい。目が痛い。
侯爵がワインを注ぎながら微笑む。
「いやあ、若いのに見事なご活躍だ。帝国の未来は明るい」
「恐縮です」
「ところで、ファルケンハイン家はどちらの派閥にも属しておらぬとか?」
来た。地雷質問だ。
アナが言っていた。「この質問が来たら、陛下の御意志のままにって言えば無難です」
よし、覚えてる。
「ええ、我が家は中立にございます。すべては陛下の御意志のままに」
侯爵の眉がぴくりと動いた。
「……そうか。だが、陛下の御意志も、我ら臣下が支えねば叶わぬ。
陛下に忠義を尽くすのは、リッテンハイム家の宿命でしてな」
あー、やっぱり誘導きた。
「それにしても、あなたのような若者が、もし我が陣営に加われば……」
きたきたきた。勧誘ターン。完全にRPGのボス戦。
俺は笑顔で受け流す。
「おそれながら、陛下の御意志のままに」
「ふむ……その陛下の御意志は、時にリッテンハイム家を通じて実現されるものだが?」
「恐れながら、御意志のままに」
「……」
「……」
沈黙が続く。完全に膠着状態。
お互いに微笑外交でのにらみ合い。
俺の頬の筋肉が悲鳴を上げている。
誰か助けてくれ。いや、助けたらこの人も巻き添えで死ぬ。
侯爵が話題を変えた。
「そういえば、ホーテン准将はご一緒ではないのですかな?」
俺は思わず口を滑らせた。
「ええ、今日は俺が変なことを言わないよう監視できないから怖いと申しておりました」
「……ほう?」
やばい。今の発言、確実にアナに伝わる。
帰ったら説教確定だ。
「いや、その……あの人は忙しいのです!軍務省で、えー、機密書類の山と格闘しておりまして!」
「ふむ、なるほど。あなたがいなくても軍務省は回っているということか」
「は、はは……おっしゃる通りです」
もうダメだ。
逃げたい。
ワープしたい。
しかし侯爵は笑顔のまま。
その笑みが怖い。どこまで本音かわからない。
「……まあ、あなたのような若者がどちらの陣営にも属さぬのは惜しい。
だが、もし我らの正義を理解する日が来たなら、歓迎しよう」
「ありがたきお言葉でございます」
◆
当たり障りのない話を延々と続けて、もう一時間。
リッテンハイム侯の笑顔は、もはや拷問器具の一種と化している。
俺の頬は限界を迎えていた。頑張れ顔面筋。まだ死ぬな。
「ところで、伯爵。貴家の領地から産出されるトリタニウム合金の件だが……」
来た。ようやく来た。本題だ。
俺の脳内で「戦闘態勢!」の警報が鳴る。
この瞬間のために、アナの徹夜レクチャーを受けてきたのだ。
貴族の会話とは、刀を抜かない戦争ですと彼女は言った。
……実際、抜いてくれたほうが楽だと思う。
「もう少し、我が派閥向けに融通……いや、価格を勉強していただけんものかと思ってな」
ほう。つまり値下げを迫ってるわけだな。
(内心)来た来た、腹の探り合いタイム。
アナの資料によれば、うちの領地のトリタニウムは帝国造船業の生命線。
値下げなんてしたら、国家経済ごと傾くレベルだ。
「なに、伯爵に損をさせるつもりはない」
リッテンハイム侯はワインをくるくる回しながら言う。
嫌な予感しかしない。
「実は、我が派閥に与するヘルクスハイマー伯が、近々、新たな鉱山を手に入れる算段でな」
はい出た、圧力カード。
この時点で9割方、話のオチが見えた。
そしてそのタイミングで、執事が入ってくる。
「ヘルクスハイマー伯がお見えです」
完璧な脚本。まるで仕込み済みだ。いや、実際そうだろう。
扉が開き、鼻につく香水とともに一人の貴族が登場した。
やたら派手な金の刺繍。指輪が五本。
動くたびにジャラジャラ鳴る。まるで歩く宝飾店。
「これはファルケンハイン准将閣下。ご壮健そうで何よりです」
声が妙に甲高い。
俺は笑顔で答える。
「ご機嫌麗しゅう、ヘルクスハイマー伯。お噂はかねがね」
(内心)悪評でな。
リッテンハイム侯がすかさず口を挟む。
「うむ。ヘルクスハイマー伯は、シャフハウゼン子爵の鉱山を、決闘によって譲り受けることになっておる」
「決闘?」
思わず声が出た。
侯爵が楽しそうに続ける。
「法的に何ら問題はないやり方だ。つまり、供給源が増えるわけだ。価格も……わかるな?」
あーなるほど。
決闘で合法的に鉱山を奪い、それを盾に値下げを迫るつもりか。
まるで市場を人質に取るような話だ。
おまけに「後ろ盾になってやる」ってオマケ付きの予感。
でも、うちは中立だ。派閥なんぞごめんだ。
ここで頷いたら、後でアナにどうされるかわからん。
アナが本気で怒った時は、リッテンハイム侯のヒゲより怖い。
「なるほど。ですが、ヘルクスハイマー伯が鉱山を手に入れるのは、まだ未来の話ですな」
俺は静かに反撃を開始する。
「我が家の取引は、常に現在の市場価格に基づいて行われます」
侯爵の目が一瞬だけ細くなる。
「……ふむ。やはり、そのつもりか」
……ん?引いた?意外とあっさり?
俺は内心で小さくガッツポーズを取った。
(ここだ。貸しを作っておけ。やんわり引いて、別の餌を投げる)
「その代わりと言っては何ですが」
俺は笑顔で言葉を続けた。
「現在、我が領地では供給過多となっているネオ・チタンの流通量を、侯爵閣下の販路で増やしていただけませんか?価格は……勉強させていただきます」
アナの資料では、ネオ・チタンは販路拡大が課題。
ここで押し込めれば及第点――65点の取引だ。
つまり、失点ではない。ギリギリ褒められるライン。
侯爵が目を輝かせた。
「ほう、ネオ・チタンとな。よかろう、その話、乗った!」
よし、きた!65点成功!
(モノローグ)
さすが俺。アナに鍛えられた社交スキルが火を吹いたな。
脳内でファンファーレが鳴る。
ついでに、隣の宝飾店――じゃなかった、ヘルクスハイマー伯にも話を振っておこう。
アナの教えだ。
「敵を作るな。利用できる駒は増やせ」
「では、ヘルクスハイマー伯」
俺はにこやかに笑う。
「その決闘とやら、私も興味がありますな。後ほど、お屋敷に伺っても?」
「ほう!もちろん歓迎いたしますとも!」
伯は顔をほころばせ、指輪をチャリンチャリン鳴らして手を振った。
……まあいい。とりあえず65点取れたんだ。
赤点じゃない。生きて帰った。それだけで十分だろ。
窓の外では、帝都の空が相変わらず灰色だ。
俺はワインの味を思い出して顔をしかめた。
◆
ヘルクスハイマー邸に行こうとしたら、なぜかリッテンハイム侯が「それは良い機会だ、私も同行しよう」と言い出した。
まあ、それだけならまだいい。
問題は、その後の一言だ。
「妻も連れていこう。娘も、あなたに会いたいと言っていてね」
……いや、待て。なぜ。
俺は商談に行くんだぞ? なんで同行者が貴族一家フルセットなんだ。
しかもクリスティーネ様は皇帝陛下のご息女だ。
つまりこの馬車の中、帝国の中枢が3割くらい詰まってる計算になる。
命がいくらあっても足りん。
そして今。
俺はその馬車の中で、目をキラッキラさせた小さな姫君に正面からロックオンされている。
「ファルケンハイン閣下!」
「はい」
「本当に! 本当に、三個艦隊を退けたのですの!?」
……始まった。
子供特有の、質問連射モードである。
この弾幕は防げない。
「ああ、まあな。大したことではないさ」
適当に流す。
だが、その一言が逆効果だった。
「まあ! 大したことですわ!」
声が馬車の天井まで響く。
「お母様も、皆も、閣下のこと伏龍と呼んでおります! 劣勢を覆す、帝国の守り神だと!」
おいおい、誰だそんな大げさな二つ名をつけたのは。
俺は戦場ではせいぜい問題児とか指揮官の胃痛とか呼ばれてるぞ。
クリスティーネ様が優雅に微笑む。
「こら、サビーネ。閣下がお困りでしょう」
俺は笑顔で手を振った。
「いえいえ、滅相もございません。お嬢ちゃん、君は可愛いな。将来は、俺の嫁に来るといい」
その瞬間。
サビーネちゃんの顔が真っ赤になった。
正確には、爆発五秒前の火山のように。
次の瞬間、彼女はお母様の後ろにピュッと隠れた。
……え、なにこの空気。
クリスティーネ様は軽く咳払いして視線をそらす。
侯爵は目を閉じて何かを考えている。
いや、やばい。これ完全に「地雷を踏んだ」の顔だ。
「えー、その、冗談でして」
とっさにフォローを入れる。
「貴族のジョークというやつで」
侯爵の目が細くなる。
「……ふむ。冗談、ですか」
助けてアナ。俺、今たぶん人生の首を絞めた。
サビーネちゃんが恐る恐る顔を出す。
「で、でも……わたくし、本当に閣下のような方と結婚したいですの!」
ズガーン。
馬車の中に雷が落ちた。
侯爵夫人が「まぁ!」と目を見開き、侯爵が「むぅ……」と唸る。
俺は一瞬で冷や汗まみれになった。
「お嬢ちゃん、それは、その……人生にはもっと良い選択肢があるぞ!」
「でも、閣下は勇敢で、強くて、かっこよくて、あと少しだけズボラだと聞きました!」
「誰情報だそれぇ!!」
たぶんアナだ。アナしかいない。
絶対どこかで俺のことをズボラな天才とか言ってる。撤回してくれ。
クリスティーネ様が微笑みながら娘の肩に手を置く。
「サビーネ、そんなにおっしゃっては閣下が困ります」
「でも……お母様も、昔、勇敢な方に憧れて結婚したと……」
「…………」
「…………」
侯爵が目をそらした。
クリスティーネ様がにこやかに笑った。
うん、これは完全に家庭内火薬庫だ。
今ここで下手に発言したら、俺も爆発に巻き込まれる。
「えー、その、話題を変えましょうか! えーと、サビーネ嬢はお勉強はお好きで?」
「はい! でも、算術よりも歴史が好きです! 閣下の戦いのことも全部読んでます!」
「そ、そうか……あれ、読むと眠くならんか?」
「ならないです! 閣下が敵の戦艦を沈めた場面とか、もう最高でした!」
「……そんな生々しいところ、ちゃんと削除しとけよ、出版担当!」
侯爵が笑った。
「いやはや、娘があなたの熱烈な信者でしてな。
あの戦闘報告書をまるごと暗唱してみせたときは驚いた」
「そ、そうですか……」
馬車は石畳を滑るように進む。
天井のシャンデリアが揺れ、香水の匂いが濃くなる。
俺の意識はもう半分飛びかけていた。
子供の質問攻撃と侯爵の政治的笑顔のダブルパンチ。
これ、どっちも戦場よりキツい。
「閣下!」
またサビーネ嬢の声。
「もし戦いでお怪我をされたら、わたくしが看病しますわ!」
「え、いや、結構です!いや、ありがとう!でも結構です!」
「では、閣下の像を庭に建てても?」
「やめて!それ帝都で炎上するから!」
クリスティーネ様がくすくす笑う。
「サビーネ、閣下を困らせてはなりません」
「はーい……でも、ファルケンハイン閣下は本当に素敵です」
俺は思わず頭を抱えた。
十歳の子にここまで崇拝される将官も珍しいな。
世間のファンと信者の境目ってどこにあるんだ。
すると侯爵が唐突に口を開いた。
「……伯爵。娘がこれほどまであなたを慕うのも、帝国の未来を担う者の本能かもしれんな」
「は、はあ」
「その……将来的に縁談の話など、考えておいても――」
「いやいやいやいや!やめましょう!早すぎます!早い!まだ10歳です!」
「10年などあっという間だ」
「その10年で俺は多分、3回くらい戦死しかけます!」
侯爵夫人が笑いながらお茶を注いだ。
「まぁまぁ、冗談ですわ。……多分」
多分って何だ、多分って!
馬車の外では、帝都の街並みが過ぎていく。
俺はシートに沈み込みながら、こっそりため息をついた。
このままいくと、俺は戦場で死ぬ前に政略結婚で死ぬ。
しかも相手が10歳。どうしろってんだ。
サビーネ嬢は、俺の手袋を見て興味津々だ。
「閣下、その手袋、戦場でもつけておられるのですか?」
「ああ、まあな。これは伝説の手袋で、外すと大変なことになるんだ」
「えっ、どんなことに!?」
「うーん……アナに怒られる」
「アナ?」
「いや、忘れてくれ」
クリスティーネ様が微笑む。
「ホーテン准将のことですね。ふふ、あの方は優秀でいらっしゃる」
「……そうですね(どの口が優秀だ、って言われるかと思ったが、言われなくてよかった)」
馬車が止まった。
窓の外には、ヘルクスハイマー邸の巨大な門が見える。
ようやく到着だ。
頼むから、アナにこの話だけは伝わるな……!
ここまで読んでくださってありがとうございます。
もしこの話を読んで――
「政治の方が戦場より怖いと思った」
「サビーネちゃんが可愛い」
「アナに報告したときの地獄を想像した」
……そんな感想をいただけたら、作者はきっと今日も笑顔で書類と戦えます。
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(作者の地雷は「アナの説教」です)
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