銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
だが、その前に立ち寄ったのは、ドヴィリエ大主教が運営する子育てサロンだった。
そこには、公爵家の教育係であり、ヴァレリアと同じ地球教の思想を持つ女が待っていた。
公国歴二年――宇宙暦八〇〇年十一月二十日。
市街地は、先ほどまでいた軍港とは別世界のように穏やかだった。
高級商店の窓には淡い陽光が映り、着飾った市民たちは、戦争など遠い星系の出来事であるかのように行き交っている。
その人波を縫い、大股で先を急いだ。
背後から追ってくる小さな足音は、店先で遠のいたかと思えば、また慌ただしく近づいてくる。
まったく、何度よそ見をすれば気が済むのだ。あれで本当に士官学校を首席で卒業したのか?
公爵邸へ続く角を通り過ぎたところで、ようやく追いついてきた。息を弾ませているくせに、その赤い瞳には疲労よりも疑問の色が濃い。
「あれ? 中尉、こっちの道で合ってます? ローエングラム公爵のお屋敷に突撃しに行くのではなかったのですか?」
突撃、だと。こいつは公爵邸で戦争でも始める気だったのか。
「貴様の頭の中には、一体何が詰まっているのだ」
「脳みそです!」
あまりにも迷いのない返答に、こめかみの奥がずきりと痛む。
飾りとして載せているのではあるまいな。
「……ならば、その脳みそを少しは使ってみるという発想になったらどうだ。いきなり一介の『中尉』が、アポもなしに公爵にして最高司令官代行の屋敷に面会を求めても、門前払いになるのがオチだろうが」
「えー? そうでしょうか。中尉のお父様はドヴィリエ大主教様ですし、中尉ご自身も美人ですから、丁重に通される気がしますけど……」
父の地位と女の容姿を通行証にしろだと? それで軍人として認められたことになるものか。
喉まで出かかった反論を呑み込み、目の前の呑気な顔を睨み据えた。
「貴様が『その態度』のままだと、絶対に入れないだろうが。無礼討ちにされるわ」
ところが、叱責されたはずのホーテンは怯えるどころか、顔を輝かせた。胸の前で両手を組み、ひどく感激した様子で身を乗り出してくる。
「あっ……! 感動しました! 中尉!! 私のことをそんなに思って、私が斬られないようにわざわざ回り道を……!」
何をどう聞けば、そこまで都合よく受け取れるのだ。
胸の内を見透かされたようで腹立たしい。
確かに、この愚かな部下を公爵家の門衛に斬らせるつもりはなかった。
だからといって、気遣っているなどと認めてやる必要もない。
「勘違いするな。貴様など、庭に放し飼いにしている『犬』にすぎん。……だが、犬だけに外へ放し飼いにしておくわけにもいかんだろう。公国の軍紀に関わるからな」
さすがに少しは傷つき、己の振る舞いを省みるかと思った。
だが、犬は満面の笑みを浮かべ、両手を前足のように曲げてみせた。
「わんっ!!」
駄目だ。こいつは首輪をつけられても喜ぶ。
「……で、着いた。ここだ」
窓の向こうには、子供用の小さな机や色鮮やかな遊具が見えた。
看板を見上げたホーテンが、そこに記された名称をゆっくりと読み上げる。
「ドヴィリエ大主教の、子育てサロン……ですか?」
「ああ……ここに、公爵家へ渡りをつけてくれる『奴』がいるからな」
「なんだ、結局はお父様のコネなんじゃないですか~……ぐえっ!!!」
最後まで聞く価値はなかった。手刀を叩き込んだ掌へ、頭の感触が返ってくる。
ホーテンが頭を抱えてうずくまるのを待たず、サロンの扉へ手をかけた。
父の名で公爵邸へ入るものか。
私は大主教の娘としてではなく、ヴァレリア・フォン・ライヒハートとして認めさせる。
「入るぞ」
情けない声が背後から追ってきたが、振り返らなかった。
◇◇
サロンの中はすでに皆帰ったらしく、部屋の奥で紙をめくる音だけが聞こえた。
書類を整理していたマルガレータ・トルナードが、扉の音に顔を上げる。
公爵家のベビーシッターにして、長男アレクの教育係。
柔らかな物腰と優雅な微笑は、子供や親から信頼される女のものにしか見えない。
相変わらず、猫を被るのがうまい女だ。
教団本部なら保守派、公国の治安当局なら過激派。
ドヴィリエの生温い教えに背を向け、地球による政権奪還のためなら武力による実力行使も厭わない。だからこそ、信用できる。
「久しぶりだな、トルナード。少し痩せたか?」
「……開口一番に嫌なことを言うわね、ヴァレリア。貴女こそ、また眉間に険が増えているわよ? さぞ生きにくいでしょうね、その性格」
やはり、こいつはこうでなくてはな。
八つも年上の女を友人などと呼ぶつもりはない。顔を合わせるたびに、互いの急所へ言葉の刃を突き立てる相手だ。
だが、公国で同じ教えと覚悟を分かち合える者は、こいつをおいてほかにいない。
「余計な世話だ」
机を挟んで向かい合うと、遅れて入ってきたホーテンが扉のそばで足を止めた。頭をさすりながら、剣呑な空気を窺っている。危険を察する知恵くらいは残っていたらしい。
「栄えある公王陛下の側近候補ともあろうお方が、私に何の用? 公爵邸に行きたいなら、ドヴィリエ大主教の娘である貴女なら、今すぐでも通してくれると思うけど……」
分かっているくせに、わざわざ父の名を出すか。
「ふん……。貴様に頼みたいことと、聞きたいことがある。今回の公王の妊娠騒動……あれは、どこまでが事実で、どこからが政府の『隠蔽』だ?」
「なぜ、それを私に聞くの?」
白々しい。貴様はアレクへ与える情報と、遠ざける情報を選べる位置にいる。
公王家の内情を知らずに務まる役目ではないだろうが。
「貴様は、それを知り得る位置にいるだろう。公爵家の教育係として、子供には良い情報を与え、悪い情報を遮断する。……真実を選別している。実に『女』という生き物らしく、狡辛いやり方ではないか」
怒ったのなら怒ればよい。その程度の言葉で壊れる関係なら、とっくの昔に切れている。
「で、知っているなら教えろ。教えないなら、私の言うことを聞け」
「あの~、中尉……。いくらお友達とはいえ、いきなりそんな喧嘩腰では、頼み事も何もないと思います……」
誰が友達だ。余計な口を挟むな。
「あら、随分と可愛いお嬢さんね。……貴女の、彼女?」
「貴様……殺すぞ」
血が一気にこめかみへ上った。
ところが当のホーテンは、何を疑われたのかも理解していないらしい。
自己紹介の機会を与えられたとばかりに一歩進み、踵を揃えて敬礼を決めた。
「はい! 私はベアトリーチェ・ヴァン・ホーテン少尉であります! この度、士官学校を首席で卒業して、ライヒハート中尉の下に配属されました、青春一杯! 恋に仕事に一生懸命の美少女です!!」
なぜ最後の一文を加えた。軍人の自己紹介に必要か、それが。
「……というわけだ。私に同性愛の気があるなどと言う妄言は即刻撤回しろ。……しかし、士官学校を首席卒業した者がこの体たらくではな……。我が公国軍の未来も、嘆かわしいというものだ」
「いいですよーだ。中尉に怒られた分は、後で彼氏にたっぷり甘やかして、慰めてもらいますよーだ」
彼氏だと? この犬に?
頬を膨らませ、あっかんべーまでしているホーテンの肩を両手で掴んだ。
待て。どこの誰だ。名は。階級は。家柄は。そもそも、こいつを任せるに足る男なのか?
「なんだと貴様!! 彼氏がいるのか!! なぜ直属の上官である私の前に、そいつを連れてこない!!!」
「あわわわわ!? な、何で私の彼氏を、中尉の前に連れてこなくちゃいけないんですか!?」
なぜだと? そんなことも分からずに交際しているのか。まったく危機感のない奴だ。情けない男に騙されてからでは遅いだろうが。
「決まっているだろう!! そいつが万が一情けない軟弱な男なら、即刻、私がぶった斬ってやるためだ!! 貴様の将来のためだ!!」
「理不尽すぎるぅぅ!!」
何が理不尽だ。部下の将来を案じるのは、上官として当然の責務ではないか。
荒くなった息を整えていると、押し殺した笑い声が耳に入った。
「……おい、トルナード。貴様……なぜ笑っている?」
「いえ、ごめんなさい。なんだか……貴女も色々と大変そうで、少しうらやましいわ。良い部下を持ったわね」
何が羨ましいのか。
まあいい。恋人の氏名と所属は、帰ってから必ず吐かせる。
◇◇
トルナードが机の上の書類を閉じると、子供の成長記録らしい表紙が伏せられた。
「で、さっきの話だけど。知っていると言えば知っているわ。陛下も極秘にここに来られるし、大主教様からも聞いているわ」
「へー」
興味津々で頭を伸ばしたホーテンを、手のひらで押し戻す。
公王本人の様子まで見ているのなら、政府の声明よりはるかに確かな話が聞けるはずだ。
「で? 真相は?」
「父親がわからないのは、本当。……でも、オーベルシュタイン元帥と、キルヒアイス公王配殿下の『二人の子供』になることは、本当。……政府のお達しとしては珍しく、現在は事実をねじ曲げてはいないわ。制度の方をねじ曲げて、醜聞に聞こえなくしようとしているだけよ」
隠したのではない。淫蕩な醜聞に合わせ、制度の方を作り替えただと? 国家の法を何だと思っている。
「ふん……堕落の極みだな」
「ええ。だからこそ、私達『地球教』は……」
言葉の続きはなかった。だが、何を言おうとしたのかは分かる。
そうだ。偽りの公王が地球の復権への道を塞ぐのなら、排除する。地球のためなら、この手を血で汚すことに何のためらいがある。
「うむ。その通りだ」
「はい? え? なんですか?? 地球教がどうし……ぐえっ!!」
これ以上聞かせるわけにはいかない。布が喉へ食い込む感触を掌に覚えながら、赤い瞳を正面から睨みつける。
「貴様は黙ってろ」
ホーテンは両手をばたつかせ、苦しげに口をぱくぱくさせた。一瞬だけ、その赤い瞳からいつもの騒がしさが消えたように見えたが、襟を緩めた途端、大袈裟な咳が返ってくる。
気のせいか。首を締められて、目つきが変わらぬ者などいない。
「で、その可愛い少尉さんも一緒に、公王陛下の側近に任官したいと、そういうこと?」
見抜いていたか。
「ふん。飼い犬をその辺に捨てるのは、飼い主としてのマナー違反だ。ただ、それだけのことだよ」
それだけだ。……いや、どれほど騒がしく、どれほど頭痛の種であろうと、初めて与えられた直属の部下ではある。自分だけが栄達し、行き場を失わせるなど、上官のすることではない。
そんなことを口にすれば、またこの犬が尻尾を振る。絶対に言ってやるものか。
「はあ…………分かったわ、世話が焼ける。一緒に行けばいいんでしょう? 私が公爵邸に案内してあげる。……でも、屋敷に入ってから公爵にどう評価されるかは、貴女次第。……良いわね?」
「望むところだ。私の軍人としての真の姿を見せてやる」
見ているがいい、ローエングラム公。父の名も、父の威光も必要ない。この私自身を、公王陛下の側近にふさわしい軍人だと認めさせてやる。
トルナードは机の上の書類を揃え、上着を手に取った。サロンの出口へ向かう途中、すれ違いざまに声を落とす。
「……わかっているわね? 『地球は我が母』」
迷う理由はない。
「……『地球を我が手に』」
目指すは、公国の最高権力層が暮らす獅子の館。そこで真価を示し、公王陛下の側近として、地球へ至る道を切り開く。
私の運命は、誰にも決めさせない。父にも、公王にも、ローエングラム公にもだ。
背後から、トルナードの落ち着いた足音と、慌ただしいホーテンの足音が続いてくる。
銀髪の犬も、今度は寄り道をせずについてきていた。
よし。首輪は、まだしっかりと握れている。
お読みいただきありがとうございました。
今回はヴァレリアとホーテンの日常、そしてトルナードとの関係を描きました。
ホーテンを犬扱いしながら妙に世話を焼くヴァレリアや、地球教徒としての彼女たちについて感想をいただけると嬉しいです。