銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
民主主義を守るために独裁者となった男は、その選択をどう歴史へ残すべきか悩み続ける。
その頃、共和国の夜の街では、ユリアン・ミンツが別の仕事を進めていた。
自由惑星共和国の首都、イゼルローン要塞にも夜は訪れる。
もちろん、本物の夜空が広がるわけではない。民間居住区の照明が落とされ、人々が一日の営みを終える時刻を、便宜上そう呼んでいるにすぎない。
総統私邸の書斎も、すでに机上灯の淡い光に沈んでいた。
『……我々は自由惑星同盟の建国の理念を捨て、実質的な独裁に走っている。これは民主主義の敗北を意味するのか? いや、違う。為政者の心にその信念が宿る限り、その種は不滅なのである。よって私たちはその精神を次代につなげるため………』
そこまで読み返したところで、ヤン・ウェンリーは端末のキーから両手を離した。
冷めかけた紅茶を一口すすり、ひどく渋い顔で頭を掻く。
「うーん……。これでは、ただの自己弁護にしかならないな……」
書いた本人が読んでも、歴史上いくらでも見つかりそうな弁明だった。
理念を守るために制度を捨て、いつか制度を取り戻すために権力を一人へ集める。
必要に迫られた選択だったと今でも考えてはいるが、必要だったことと正しかったことは、たぶん同じではない。
そこを誤魔化さずに書こうとすれば筆が止まり、正当化しようとすれば、たちまち文章が胡散臭くなる。
歴史家になりたかったのに、後世の歴史家から最も厳しく採点されそうな立場に就いてしまった。人生というものは、悪趣味な冗談が好きらしい。
「あなた。夜遅くに何をなさっているのですか?」
声に振り向くと、フレデリカがティーポットを手に立っていた。答える前にカップの残量を確かめ、冷えた紅茶の上へ温かな琥珀色を注ぎ足していく。
「ああ……フレデリカ。こんな時代だからね。自伝というやつをアッテンボローに倣って書いているのだけど……いやはや、結構難しいものだね」
「あなたに文才まであったら、銀河は立ちどころにペン先一つで統一されてしまいますから。多少の拙さはご愛嬌ですよ」
「ハハハ。違いない。……シュエリーは?」
「さっき寝ましたよ」
書きかけの自伝も、国家の行く末も、眠っている娘の前では急に遠いものになる。
「そうか……。この娘が大きくなる頃には戦争は終わらせておきたいな。本当なら、ユリアンにだってこんな真似はさせたくはなかったんだがね」
言いながら、端末の文章へ視線を戻す。自由を守るために権力を握り、若者を戦場と政治の暗部へ送り出している。それもまた、どれほど言葉を飾ろうと消えない事実だった。
「ユリアンは立派に育っていますわ。……どうです? 彼も先の戦いで大きな功績を挙げていますし、そろそろ昇進させては……?」
「んー。しかしね。ユリアンは現在、私の次席副官だろう? あんな若造を将官にするわけにも……」
ヤンが眉を八の字にすると、フレデリカはその返答を待っていたかのように微笑んだ。
「あなた。身内だからと昇進を渋る、それこそが『私情』と言われますわよ」
「我が奥さまは手厳しいな」
「国民の皆さんの間では、『ヤン総統は女と亜麻色の坊やの言いなりだ』なんて不埒な噂が流れているくらいですからね」
「フレデリカとユリアンかい?」
「困ったな……。その噂の出所を確かめて、秘密警察でも作って全員投獄すれば、少しは独裁者らしく箔がつくかな?」
「ふふふ………およしなさいな」
フレデリカの笑い声が、夜の書斎を柔らかく満たした。
ヤンも笑った。自分がそのような組織を本気で作るはずがないことなど、わざわざ説明するまでもなかった。
◇◇
同じ時刻、民間居住区の一角では、総統私邸とは別種の灯が夜を拒んでいた。
紫、青、赤。ネオンの光が磨かれた通路へ滲み、酒と香水の匂いが空調の風に混じる。
いくつもの酒場や娯楽施設が軒を連ねる歓楽街の中でも、地球教共和国支部が運営する総合リラクゼーション施設はひときわ豪奢だった。
入口をくぐったユリアン・ミンツを、濃紺のスーツに身を包んだデグスビィ主教が深々と頭を下げて迎えた。
表向きの肩書は、ヤン総統の次席副官。だが、その裏では共和国特別高等警察を率いる局長である。
「ミンツ大佐。この度は我らの施設にお越しいただき、誠にありがとうございます」
「ええ、地球教の皆さんにはとてもお世話になっていますからね」
ユリアンは穏やかに微笑み、案内されるままフロアへ進んだ。
デグスビィの肝いりで始められた軍人向け総合慰安施設事業は、戦火と閉鎖環境に疲れた将兵たちの需要を見事に掴んでいた。飲食、入浴、マッサージ、それに男女のキャストによる接客。利用者は後を絶たず、教団には莫大な収益と人望が集まっている。いまやデグスビィの大主教昇格は目前だと囁かれるほどだった。
ただし、ユリアンが今夜ここへ来たのは、事業の成功を祝うためだけではない。
「ここで働いている女の子たちに、不満や無理はないかい?」
個室へ続く廊下や談話スペースへ目を配りながら尋ねると、デグスビィは頷いた。
「もちろんです。確かに気疲れの多い仕事ではございますが、給与体系から安全管理まで最高の環境を整えておりますゆえ……」
「そういえば……女性兵士の福利厚生用に、男の子のキャストも入れたとか」
「ええ……。ですが、最近は女性兵士だけでなく……その、筋骨隆々の男性兵士の方に指名されることも多々ありまして……」
「あ………そう………」
ユリアンの足が一瞬止まった。笑顔を崩さないまま、どう受け止めるべきかを探し、どうにか無難そうな答えを選ぶ。
「まあ………男同士でしか話せない、深い悩みを聞いてほしい夜もある……か……」
「まあ………人の好みと癒やしの形は、それぞれですから……」
二人の間に、誰も不幸にしないための沈黙が落ちた。
「……コホン。では、情報収集の報告を」
「はい。兵士たちの全体的な不満そのものは通常の許容範囲内ですが、先日のイゼルローン外壁被弾以来、将来への不安感は高まりつつあります」
「そうだね。要塞が傷ついた以上、仕方ないとは言え……あまり不安が続くようなら治安維持上の問題だな。……不穏分子は?」
デグスビィの指が端末の画面を滑り、数名分の情報を表示した。
氏名、所属、階級、利用日時、接触した人物。酒量と、酔いが回ってから口にした言葉まで整理されている。
「こちらにリストがございます。酒の席でヤン総統への不満を繰り返し、周囲を扇動しようと煽るような者が数名。……しかし、領土全体で見ればたったの数名です。後は軍需物資の横流しによる不正や、規定量を超えて薬物に手を出した者たちです。……相変わらず、ヤン総統閣下は絶大な人心を掴んでおられます」
渡されたリストを、ユリアンは静かに確認した。誰かが総統を批判したというだけなら、かつての同盟では罪にならなかった。批判する自由こそ、ヤンが守ろうとしていたものだったはずだ。
しかし今は、国家そのものが崖際にある。不満が疑念を生み、疑念が命令への反抗を招けば、共和国は内側から崩れる。
帝国や公国を前にして、一度の混乱が何十万、何百万という人間の命を奪いかねない。
ならば、芽のうちに摘むしかない。
何より、ヤンの判断が間違うはずはない。その確信だけは、少年の頃から一度も揺らいでいなかった。
「当然だね。閣下の言うとおりにしていれば、この国に間違いは絶対に起きない。……そこを疑う人が、以前は『いた』なんて、実に悲しいことだ」
「そうですな。そのような愚かな者が過去に『いた』ことは誠に遺憾でありますが……すでにこの世におられない死者に、文句は言えますまい」
「だからこそ、君にこの慰安事業を任せているのだからね。頼みますよ、デグスビィ主教」
「はっ」
デグスビィは端末を胸元へ戻し、先ほどよりも深く頭を下げた。
「男も女も、裸になって綺麗な相手を抱いて酒を飲んでいれば、誰だってポロリと本音や秘密を口走るものさ。……情報網としては最高だよ」
教団が売る一夜の安息は、共和国を覆う監視網でもあった。
◇◇
報告を終えたユリアンは、ようやく今夜もう一つの用件を思い出した。
「ところで……カリンはどこだい? 先に来ていると聞いたけれど」
「あ……はい。……あちらの、最奥のVIPフロアに……」
指し示された通路の先から、腹へ響く低音と、場違いなほど陽気な管楽器の音が聞こえてきた。閉ざされた扉を隔ててなお、何人もの嬌声が重なっている。
扉を開くと、七色の光がユリアンの顔を照らした。
VIPフロアの中央には、グラスを積み上げた巨大なシャンパンタワーがそびえている。その前で上着を脱ぎ、シャツの袖を肘までまくって、高級シャンパンのボトルを両手に持って仁王立ちしていた。
顔は酒気で真っ赤だった。周囲には露出度の高い衣装をまとった美女たちが群がり、肩や腰へ腕を絡めている。
「いえーーい!! お姉ちゃんたち、今夜も盛り上がってるーー!???」
「「「いえーーーい!!! カリン様カッコいーーー!!」」」
「じゃんじゃん行っとくーーー!???」
「「「行っとくーーーー!!!」」」
二本のボトルを高々と掲げると、七色の照明が黄金色の酒瓶を眩しく輝かせた。
「シャンパンタワーァァァァッッ!!!」
「「「タワァァァァーーーッッ!!!!」」」
「はい! はい!! はいはいはいっ!!!」
左右のボトルから泡立つ酒が注がれ、最上段のグラスから下の段へ一斉に溢れていく。
「「「キャァァァァーーーッッ!!! すごーーーい!!」」」
歓声と拍手に包まれたカリンは、完全に得意の絶頂だった。背後から近づくユリアンにも、美女たちが一人ずつ口を閉ざしていくことにも気づかない。
「……カリン」
穏やかな呼び声だったが、その温度は宇宙空間よりも低かった。
カリンの腕が止まった。ぎぎぎ、と錆びついた機械のように首だけを回す。
そこには、腕を組んで微笑むユリアンが立っていた。口元はいつもと変わらない。目だけが、まったく笑っていない。
「うわああああああああっっ!!! ゆ、ユリアン……ッ!!?」
取り落としかけたボトルを抱え直し、カリンは周囲の美女たちを慌てて押し退けた。
両手を激しく振り、聞かれてもいない弁明をまくし立てる。
「これは……違うの!! 違うのよユリアン!! これは軍人としての……そう、『潜入捜査』よ!! 敵の諜報員が紛れ込んでいないか、現場に溶け込んで調査を……!」
「いや……僕だって、たまの非番に君が羽を伸ばすなとは言わないけれど……」
「ほ、ほんと……?」
「……男の子じゃなくて、綺麗な女の子たちを大勢侍らせてホストみたいに貢いでいるのは……ちょっと別の次元で心配になるから……やめてほしいな」
カリンはその場へ正座し、両膝の上に手を置いた。先ほどまで彼女を囲んでいた美女たちも、シャンパンタワーの向こうで一様に目を逸らしている。
「………………はい、すみませんでした」
グラスの縁から零れた最後の一滴が、最下段へ落ちた。
お読みいただきありがとうございました。
今回は自らの独裁について悩むヤンと、共和国の治安を裏から支えるユリアンたちを描きました。
現在の共和国の在り方や、最後のカリンについて感想をいただけると嬉しいです。