銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
身分や出自による差別を嫌う彼女は、最高司令官代行ラインハルトを相手にしても一歩も退かない。
もっとも、その胸の内には別の目的も秘められていた。
【キルヒアイス公国・ローエングラム公爵邸】
ローエングラム公爵邸は、公国軍の将兵から半ば畏敬を込めて「獅子の館」と呼ばれている。
その応接室で、ラインハルトはソファに浅く腰掛け、正面に立つ二人の女性士官を見上げていた。重厚な調度品に囲まれた室内には、訪問者を威圧するための装飾など何一つない。
それでも、軍の最高司令官代行である公爵本人と、工部尚書を務める妻ヒルダを前にすれば、並の士官なら声の一つも上ずるところだろう。
もっとも、ヴァレリア・フォン・ライヒハート中尉は並の士官ではなかった。
赤い長髪を背へ流し、軍服の皺まで拒むような直立不動の姿勢で、ラインハルトの視線を真正面から受け止めている。
その後ろでは、ホーテン少尉が、長身の上官を盾にするように半歩だけ身を隠していた。
「卿が、ドヴィリエ大主教のご息女か」
「はっ! ヴァレリア・フォン・ライヒハート中尉と申します!!」
返事の声が広い室内へ響き渡った。ラインハルトはわずかに身を引き、ヒルダは傍らに立つマルガレータ・トルナードへ静かな視線を向けた。
「しかし、トルナードさん。いくら個人的なお友達だからといって、感心しませんね。正規の取次規則を曲げて、いきなりこちらへ通すなんて」
「申し訳ありません、奥様。しかし――」
「閣下、私が無理を言ったのです!」
トルナードの弁明を遮り、ヴァレリアが一歩進み出た。
「トルナードを責めるのはお門違い! どうしても、この者を閣下にお目通りさせたく、参上いたしました!」
自分の番だと理解したらしい。ベアトリーチェが上官の陰から飛び出し、踵を揃えて敬礼した。
「はっ! ベアトリーチェ・ヴァン・ホーテン少尉であります!!」
「……ヴァン・ホーテン?」
「ヴァン・ホーテンだと?」
ラインハルトも目を細めた。
「兄上の妃、アナスタシア皇后の旧姓ではないか。よもや皇后の縁者か?」
「いいえっ! めっそうもございません!」
「私の父は自由惑星同盟軍の軍人で、フェザーン駐在官の一人でした! 公国軍のフェザーン進駐を受け、正式に公国へ帰順した者であります!」
「そうか……」
ラインハルトは顎へ指を当て、銀髪の少尉を改めて眺めた。
アナスタシアの祖父は、かつて帝国から自由惑星同盟へ逆亡命した人物だったはずである。その際に一族のすべてが帝国を離れたとは限らず、同盟領に別の血筋が残っていても不思議ではない。
しかし目の前の少尉が持つ見事な銀髪には、どことなく義兄を思わせるものがあった。
だからといって、本人の申告以外に何の証拠もない段階で、皇后の縁者として扱うわけにもいかない。ラインハルトが質問を重ねる前に、ヴァレリアが本来の用件を切り出した。
「ローエングラム公! このホーテン少尉は、私の直属の部下であります! 公王陛下付き近衛武官の辞令を拝命するにあたり、ぜひともこの者を副官として連れていきたく存じます!」
「ヴァレリアさん」
ヒルダの声は穏やかだったが、返答には慎重さがあった。
「貴女が初陣で挙げた戦功も、適性審査を通過したことも承知しています。ただ、公王陛下のお傍へ置けると判断された背景には、ドヴィリエ大主教のご息女で、身元が明確であることも関わっています。国家元首の側近に、帰順してまだ日の浅い元同盟市民を迎えるとなれば、同じようにはいきません」
「ご懸念はもっともであります!」
「しかし、我が公国は産声を上げて間もない新たな国です! 過去に他国へ属していた軍人が増えるのは自明の理! それを生まれや以前の所属だけで差別するならば、特権を貪っていた旧帝国の門閥貴族と何が違いますか!!」
ラインハルトの眉間へ皺が刻まれた。
立ち上がった彼とヴァレリアの間で、トルナードが音もなく半歩退く。
経験から、噴火口の近くに立つ利益はないと知っている者の動きだ。
「ライヒハート中尉。卿は、私がローエングラム公爵であることを忘れてはいないか? その言い方では、皇帝たる兄上を含め、我ら一族への侮辱とも取れるぞ」
「私は、公国の理念について申し上げております!」
ヴァレリアは怯むどころか、さらに胸を張った。
そのとき、ヒルダが口元を手で覆った。最初は小さく肩を揺らすだけだったが、こらえようとするほど笑いは込み上げてくるらしい。
「ふふ……ふふふふっ……」
「どうしたというのだ、工部尚書。人が真面目に軍規を正そうとしているときに」
「いえね……」
ヒルダはどうにか呼吸を整え、夫を見上げた。
「帝国内戦が始まる前、貴方もアルブレヒトさんへ、まったく同じ啖呵を切っていたと思いまして。生まれや身分で人を量るなら、旧帝国の門閥貴族と何が違う――そうおっしゃっていましたね」
ラインハルトの口が閉じた。
反論しようとすれば、当時の自分まで否定することになる。
ラインハルトは腕を組み直し、しばらくヴァレリアを睨んだ末に、短く鼻を鳴らした。
「……ふん!」
「閣下?」
なぜ夫人が笑い、なぜ公爵が黙ったのか理解できないヴァレリアが、わずかに首を傾げた。
ラインハルトは咳払いを一つして座り直した。
「卿の主張は理解した。だが、これは国防、ひいては国家元首の安全に深く関わる重大事だ。仮に、そのホーテン少尉が他国の間諜で、公王暗殺を企てていたとしたら、卿はどう責任を取るつもりだ?」
実際に公王暗殺を企てているのは、少尉ではなく、推薦している中尉の方である。
ラインハルトの警戒は方向としては正しかったが、対象だけが見事に入れ替わっていた。
「はっ! その際は、我が軍刀にて速やかにその素っ首を刎ね飛ばしたのち、公王陛下の御前で見事に自決してみせる覚悟であります!!」
「中尉……!」
ベアトリーチェの赤い瞳が潤んだ。
「そこまで私を深く信頼してくださっていたなんて……!」
「勘違いするな」
感動に震える部下を、ヴァレリアは冷たく一瞥した。
「そもそもこの女の取り柄は、射撃の腕前と兵站の帳簿管理だけであります! 他国と通謀し、謀略を巡らせるような高度な頭脳は、初めから備わっておりません!!」
ベアトリーチェの口が、見る間にへの字へ曲がった。
「……格闘技も、そこそこできますよう……」
「私に一度でも、手合わせで勝ったことがあるのか?」
「手合わせをしたことすら、一度もありません!!」
なぜか胸を張った少尉を前に、しばし沈黙が落ちた。
やがてラインハルトの喉から、押し殺した笑いが漏れた。
「くっ……くくっ。まあ、最高司令官代行の前で、ここまで言いたいことを並べ立てる娘だ。骨がある。そういう気骨のある娘は、嫌いではないぞ」
「あなた」
ヒルダの声が一段低くなった。
ラインハルトは妻の視線に気づくと、素早くその肩を抱き寄せた。
「ヒルダの、そういう率直なところが良いのだぞ?」
「ふふ……まあ、良いですけれど」
頬をわずかに染めたヒルダは、柔らかなため息をついてから、ベアトリーチェへ向き直った。
「では、ホーテン少尉。貴女の登用については、近衛兵による綿密な身元調査を行ったうえで、追って処遇を決定します。それでよろしいですか?」
ヴァレリアは深々と敬礼した。
「はっ!! 感謝いたします! 私としても、あの淫乱極まりない公王陛下の前へ出るにあたり、一人きりでは貞操の危機を禁じ得ません!!」
「…………卿は、女ではないのか?」
ラインハルトは、聞き間違いを疑うように目を瞬いた。
「閣下、ご存じないのですか!」
「中尉は、基地内の女性兵士たちから絶大な人気を誇っているのであります! 熱烈な恋文を、毎週のように山ほど頂いているんですよ!」
「まあまあ」
ヒルダは改めてヴァレリアを眺めた。燃えるような赤い髪に、整った顔立ち。背筋を伸ばして軍服を着こなす姿には、舞踏会の令嬢より、物語に登場する男装の騎士に近い凛々しさがある。
「確かに、女性から見てもお慕いしたくなるでしょうね。男装の騎士のようで、とても素敵ですもの」
ヴァレリアが、初めて言葉に詰まった。頬を赤くし、恥辱に耐えるように拳を固める。
「…………はっ!」
「もう良い。下がれ」
ラインハルトは苦笑しながら手を振った。
「卿の正式な着任は、年末から年始にかけて、公王陛下のご出産が無事に済んだ後とする。それまでは身辺を整理し、現任地で待機しておけ。今すぐ行ったところで、陛下も卿に構っている余裕はあるまい」
「はっ! 承知いたしました!」
ヴァレリアは敬礼して踵を返した。ベアトリーチェも慌てて頭を下げ、赤い髪の後を追っていく。
――ちっ。出産前の無防備な腹を抱えている時期なら、暗殺もしやすかったものを。計算が狂ったな。
扉の前で待っていたトルナードだけが、去っていく友人の横顔を見て、ごく薄く目を細めた。
だが、ラインハルトとヒルダの前で口を開くことはなく、二人が廊下へ出ると静かに扉を閉めた。
ヴァレリアは、直訴の間に一度も嘘を口にしていなかった。出自による差別を心から憎み、部下を案じ、公王を守れなければ死ぬ覚悟も本物である。
そして、公王を暗殺する意思もまた、本物だった。彼女の中では、そのすべてが地球への同じ忠誠心から生まれたものであり、何一つ矛盾していない。
お読みいただきありがとうございました。
今回はヴァレリアとホーテンがローエングラム公爵邸へ直訴する場面を描きました。
ラインハルトとのやり取りや、正直なのに危険すぎるヴァレリアについて感想をいただけると嬉しいです。