銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
キルヒアイスとオーベルシュタインに見守られ、双子の男児が無事に誕生する。
そして、それぞれ父親によく似た髪色を持つ二人を前に、長く続いた父親問題にも答えが出る――はずだった。
【キルヒアイス公国・フェザーン総合病院】
宇宙暦八〇〇年、公国歴二年十二月末日。
フェザーン総合病院の特別分娩室に、医療機器の警報をかき消すほどの絶叫が響き渡った。
「痛い!! 痛いのじゃあああ!!! 二人とも、ぼさっと突っ立っておらんで妾の背中をさするのじゃ!!!」
分娩台の上で、マルガレータが額へ滝のような汗を浮かべ、両手で柵を握り締めていた。金属製でなければ、とっくにへし折られていただろう。
その左右で付き添っていたのは、二人の父親だった。
妻の荒い呼吸へ懸命に合わせながら腰をさすり、キルヒアイスが恐る恐る尋ねた。
「こ……これでいいかい、マルガレータ……?」
反対側から背中へ手を当てていたオーベルシュタインも、背広の袖を肘までまくっていた。いつもの無表情を崩してはいなかったものの、義眼の光は普段よりせわしなく揺れていた。
「手の圧力は、この程度でよろしゅうございますか」
「痛い!!! 痛いのじゃ!!! なんなのじゃ、これは! どうしてお腹が引きちぎれそうに痛いのだ!!?」
「陣痛だね」
「陣痛です」
ほとんど同時に重なった返答へ、マルガレータの涙に濡れた目が鋭く向けられた。
「だから妾は!! 最初の計画どおり、無痛分娩がよいとあれほど言ったのじゃ!!!! それを貴様ら……!!」
困り果てたように眉を下げたキルヒアイスから、遠慮がちな反論が返った。
「僕たち二人は、最初から無痛分娩を勧めていたよ。『妾は痛みになど負けん。その痛みに耐えてこそ真の母親というものじゃ!』と言って、最後まで断ったのは君自身じゃないか……」
枕へ顔を埋めたマルガレータが、悔しさのまま足までばたつかせようとした途端、危ないから動かさないでくださいと助産師に押さえ込まれた。
「過去の妾の馬鹿!! 大馬鹿者じゃぁぁぁぁ!!!」
今の自分に反論してくれる過去の自分など、どこにもいなかった。
事前に読み込んだ資料を再確認するような口調で、オーベルシュタインが呼吸法を説いた。
「落ち着いて深呼吸をなさってください。陣痛には波があります。間隔がありますから、痛みが引く時間もございます」
「引いたところで、どうせ数分後にまた地獄が来るのではないかぁぁぁ!!!」
正論だったため、二人の父親からそれ以上の慰めは出てこなかった。
◇◇
やがて陣痛の間隔が狭まるにつれ、医師と助産師たちの声も一段と慌ただしくなった。
分娩台が所定の位置へ固定されると、付き添いの二人も邪魔にならぬよう、マルガレータの上半身側へ追いやられた。
「公王陛下、頭が見えてきました! 大きく息を吸って、次の波に合わせていきんでください!」
「痛くていきめるわけがないだろうが、阿呆たれがああああ!!!!」
「素晴らしい肺活量です! その調子です、その息で力を下へ送ってください!」
正しい励ましなのか、勢いで押し切ろうとしているだけなのか、もはや助産師本人にも分かっていないようだった。
「うぎゃあああああああああ!!!! オフレッサーやリューネブルクに白兵戦で斬られた時よりも痛い!! ガイエスブルクでオーベルシュタインに背中から撃たれた時よりも痛いのじゃぁぁぁぁ!!!!」
一瞬だけ、室内すべての視線がオーベルシュタインへ集まった。
「医療上、不要な情報です」
「撃った本人が言うでないわああああ!!!!」
額の汗を拭う暇もない医師から、必死の励ましが飛んだ。
「陛下、ご出産は、人間が経験し得る最も強い痛みの一つです! もう少しですから!」
「これに比べたら、戦場の砲火など天国に感じるわぁぁぁぁ!! うにゃああああああああああ!!!!!」
咆哮が頂点へ達した直後、小さくも力強い産声が上がった。
一人目が生まれた。
ところが、息をつく間も与えられず、すぐ医師から次の波でもう一度いきむよう告げられた。
怒鳴り返す余力さえ失ったマルガレータが、キルヒアイスの手を握り潰しかけながら最後の力を振り絞った。
ほどなくして、二つ目の産声が最初の声へ重なった。
◇◇
「おぎゃあああああ!」
「おぎゃあああああ!」
二人とも男児だった。
医師たちが手早く状態を確かめるあいだ、赤くなった手を胸へ抱えたキルヒアイスの頬には涙が流れていた。
その隣でも、無表情を保つオーベルシュタインの両眼が、二人の赤子だけを追い続けていた。
産後の処置が一段落し、嵐のようだった分娩室へ静けさが戻った頃には、枕へ沈み込んだマルガレータが肩で荒い息をついていた。
「はあ……はあ……。よし……これで何とか……一息……」
医師も助産師も、ようやく肩から力を抜いた。
だが、その十数秒後には、枕へ沈んでいた上体が勢いよく起き上がった。
「ジーク!! お腹が減ったのじゃ!! 果物をたもれ! リンゴじゃ、ブドウじゃ!!」
驚愕のあまり、主治医の口が開いたまま動かなくなった。
「へ、陛下……。普通は、ご出産の直後にご自分の力で起き上がろうとはなさいません。どうか横になってください」
「横になっておる場合か。妾は腹が減ったのじゃ」
「マルガレータ。果物の前に、まずは子供たちを抱こうよ」
キルヒアイスの柔らかな声に促されて、マルガレータの意識がようやく本来の目的へ戻った。
「おお! そうであったな。早う見せよ!」
身体を清められ、柔らかな布へ包まれた二人の赤子が、両親のそばへ運ばれてきた。
一人の頭には燃えるような赤い産毛が生え、もう一人には淡い亜麻色の髪が生えていた。
二人の赤子へ注がれたマルガレータの視線が、赤毛のキルヒアイスと、亜麻色に近い薄茶の髪を持つオーベルシュタインの間を往復した。
「ふむ……。あの『二人同時に父親』という冗談が、冗談ではなくなったか……」
どちらの血を受け継いでいても、双子を二人の子として育てる方針に変わりはなかった。公王家の内外へすでに示され、制度まで整えられていた。
それでも、二人がそれぞれ父親と同じ色の髪を持って生まれた光景は、あまりにも分かりやすかった。
亜麻色の赤子を抱き上げたオーベルシュタインの動きには、見ている方が不安になるほどのぎこちなさがあった。それでも、赤子の顔を覗き込んだ目元には、ごく薄い笑みが浮かんでいた。
「この子は、きっと私の子ですな。生後間もないというのに、実に理知的でよい顔をしております」
理知とは無縁の小さな欠伸が、その評価への返事となった。
「僕に似て、見事な赤毛だ」
赤毛の赤子を胸へ抱いたキルヒアイスの顔にも、愛おしさを隠せない笑みが広がっていた。
「この子のためにも、父親としてしっかり頑張らないと」
「二人のために、じゃ」
すかさず入った訂正に、キルヒアイスが頬を緩めたまま頷いた。
「そうだね。二人のために」
髪色だけで親子関係を見分けられるはずもなかったが、出産直後の三人に、そんな当たり前まで考える余裕はなかったのだ。
◇◇
翌日。
果物を山盛りにした皿を手に個室へ入った途端、キルヒアイスの足が止まり、皿が大きく傾いた。
「マルガレータ!!? まだ安静にしてないと駄目じゃないか!!」
病室では、軍用の訓練着へ着替えたマルガレータが、軽快に屈伸とスクワットを繰り返していた。主治医から安静を命じられていたものの、公王を物理的に寝台へ縛りつける権限と勇気を兼ね備えた者は、病院内のどこにもいなかったようだ。
「うん? 妊娠生活で、すっかり身体がなまってしまったからの。早速、鍛錬を再開しておるのじゃ!」
「昨日、双子を産んだばかりだよ!」
「腹筋運動もずっとできなかったからな。まずは軽い運動から――おお!?」
マルガレータが上衣の裾を持ち上げて腹部を覗き込んだ途端、驚きの声が上がった。
「ジーク、見よ! 妾の腹筋が、真ん中でぱっくり割れておるぞ!」
部屋の隅で二人分の出生関係書類に目を通していたオーベルシュタインから、顔も上げずに訂正が入った。
「腹直筋離開ですな。妊娠によって腹部の中央をつなぐ組織が引き伸ばされ、左右の腹直筋の間が広がった状態です。鍛え上げられた結果でも、筋肉そのものが裂けたわけでもありません」
「な、なんじゃと……!? 妾の完璧なるプロポーションがぁぁぁ!!」
「だから今は鍛錬ではなく、回復を優先しなくてはいけないんだ」
果物を卓上へ置いたキルヒアイスの口から、深いため息が漏れた。
「本当に目が離せないな、君は……」
そのとき、病室の扉が勢いよく開き、昨日の出産を担当した医師が、検査結果を表示した端末を握り、血の気を失った顔で飛び込んできた。
「へ、陛下! 大変でございます!!」
腹をさすりながら振り返ったマルガレータの顔に、すぐ心当たりらしい表情が浮かんだ。
「うむ。赤ん坊たちの授乳の時間じゃな?」
「いえ、授乳は十分ほど前に終えたばかりです!」
「では何事じゃ。また共和国が攻めてきたのか?」
「それなら先に軍務省へ知らせが参ります」
横からオーベルシュタインに指摘され、医師が何度も頷いた。
「精密なDNA鑑定はまだ解析中です。しかし先ほど、お二人の若宮の血液型と簡易抗原検査の結果が出まして……」
差し出された端末の画面に、三人の視線が集まった。
「血液型だけで父子関係を断定することはできません。ただ、複数の抗原を照合したところ、当初想定していた組み合わせでは、いずれも遺伝上の矛盾が生じます。逆の組み合わせなら、双方とも矛盾がありません」
画面に並ぶ数値を追っていたマルガレータの目が、意味を理解した瞬間、大きく見開かれた。
「な、なんじゃとおおおおっ!!!?? 赤毛の子がオーベルシュタインの子で、亜麻色の子がジークの子じゃとぉぉぉぉぉっっっ!!!!???」
キルヒアイスとオーベルシュタインの口から、同じ声が漏れた。
「「……………………え?」」
互いの髪、窓際の小さな寝台で眠る双子、そして再び相手の髪へと、二人の視線だけが無言で往復した。
赤毛ならキルヒアイス、亜麻色ならオーベルシュタイン。あまりにも当然と思えた組み合わせが、検査結果の上では綺麗に交差していた。
「まだ確定ではございません!」
慌てた医師の声が、すぐ後へ続いた。
「簡易検査は、あくまで可能性を絞るものです。最終的な判断は、DNA鑑定の結果をお待ちください!」
説明には三人とも頷いたものの、いったん生じた気まずさまで消えはしなかった。
一週間後に届いた精密鑑定の結果は、簡易検査の推定をそのまま裏づけた。
二つの卵子が、それぞれ別の父親の遺伝子を受け継いだ、極めて珍しい二卵性双生児だった。
赤毛の男児の生物学上の父は、オーベルシュタイン。
亜麻色の男児の生物学上の父は、キルヒアイス。
父親の立場も、二人の子として育てる方針も、何一つ変わらなかった。ただ、髪色を見て当然のように抱き分けた初日の記憶が、二人の新米父親をひどく居心地の悪いものにしていた。
キルヒアイスの腕には亜麻色の赤子が、オーベルシュタインの腕には赤毛の赤子が抱かれていた。顔を見合わせても、何を言えばよいのか分からなかった。
遺伝の法則も毛根の悪戯も知らない双子から、まったく同じ時刻に小さな欠伸が漏れた。
結局、その日も二人の間に残ったのは、何とも言いようのない沈黙だけだった。
お読みいただきありがとうございました。
今回はマルガレータの双子出産と、ついに判明した二人の父親について描きました。
キルヒアイスとオーベルシュタインの新米父親ぶりや、まさかのDNA鑑定結果について感想をいただけると嬉しいです。