銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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本章では、ついに敵旗艦ヘクトル──
そして第八艦隊司令官シトレの参戦が明らかになります。

五万四千隻という圧倒的劣勢の中で、
アルたち帝国艦隊はわずかな隙を探しながら、
どうにか生きて帰る道を模索していきます。

戦略会議、艦隊の動き、艦橋の緊張、
そして相変わらずのアルの愚痴とアナの的確な一言。

緊張と笑いが交互に押し寄せる、
銀英伝らしい大規模戦の導入部となりました。

どうぞ肩の力を抜いてお楽しみください。


敵将シトレ、その名を聞いた瞬間に帰りたくなった男

敵の旗艦が判明した瞬間、ブリトマート艦橋は一気に張り詰めた空気に包まれた。

緊迫、緊張、そして俺だけはもう帰りたい。

 

オペレーターがやたらいい声で叫んだ。

 

「敵旗艦、照合完了!ヘクトルです!」

 

その瞬間、俺の脳内で「ピロロロロ〜ン」と嫌なBGMが流れた。

嫌な記憶が蘇る前に、思わず口が勝手に動く。

 

「ヘクトル?なるほど……シトレ大将か。ふん、どんな奴だったかな、そいつは」

 

言った後で「どんな奴だったっけ?」と困惑したのは秘密だ。

 

案の定、隣のアナが、俺の横顔に氷点下の視線を刺してくる。

 

「アル様。少しは勉強してください。第8艦隊司令官です。去年、我々が散々苦しめられたのをもう忘れたのですか?」

 

ぎゃあああああ!絶対怒ってる声だ!

でも俺も負けていられない。ここは男の面子にかけて、適当にそれっぽいことを言って切り抜けるしかない。

 

「も、もちろん知っている!知っているとも!第8艦隊の司令官だろ?えーと、あれだ!士官学校の校長の経歴がある、頭の固そうな奴だ!」

 

アナがぴたりと動きを止めた。

目だけが俺を刺し貫いてくる。

 

「……正解です」

 

おお!?マジで当たった!

奇跡ってほんとにあるんだな!

 

適当に言っただけなのに、俺って天才か?

いや、たぶん今のは完全にマグレだ

 

周囲の連中も驚いている。

ケンプなんか口を半開きにしてこっち見てるし、ミッターマイヤーは笑いを堪えて肩を震わせている。

ロイエンタールに至っては、わざわざ目を伏せて「やれやれ……」と首を振る余裕まである。

なんだこの扱い。俺は指揮官だぞ、一応!

 

だがアナだけは違う。

あいつは、俺が適当に言ったことを見抜いている気がする。

その証拠に、妙に低い声で「ではアル様、シトレ大将の趣味は?」などとクイズを出してくる。

 

「趣味?趣味なんて……そりゃあ……あれだ、養蜂とか……」

 

「……正解です」

 

当たったあああああ!

俺は今日、世界で一番運がいいのでは?

 

「では、生まれ故郷は?」

 

「し、知らない……いや、ええと……たしか……サン=フルーレだったっけ?」

 

「……正解です」

 

艦橋がザワつく。

まさかの三連勝だ。

これはもう勉強できる男として扱われても良いのでは?

「知将アルブレヒト」の称号を名乗ってもいいのでは?

 

と浮かれた瞬間、アナが淡々と続けた。

 

「ではアル様。第8艦隊の旗艦の名前は?」

 

「それは……ヘクトル!」

 

「正解です。では、その艦の主砲出力は?」

 

「っ……ご、ごめんなさい全然知らないです」

 

即答で謝ってしまった。

アナがふっと微笑む。

その笑みが逆に怖い。

「あなたの知識がそこまで深いとは思っていません」と言わんばかりの慈愛に満ちた微笑みだ。

 

なんだこの敗北感。

まさか俺、アナに論破されて喜ぶタイプの男だったのか?

 

そこへ、ロイエンタールが横から口を挟んだ。

 

「……しかし閣下。私にはわかりますよ。今の三連正解は、ある意味勘がいいというより、敵に詳しくなるほど深刻な記憶は脳が拒否しているという現象では?」

 

おいこら。

何を精神分析みたいなことを言っているんだ。

俺はPTSDみたいに扱われてるのか?

 

「はあ!?俺は忘れてなんかいない!去年の戦いは覚えてるぞ!」

 

「では去年、第8艦隊と初めて交戦したとき、敵の布陣は?」

 

「……ごめん、忘れた」

 

ロイエンタールがほら見ろと言わんばかりに視線を向けてくる。

ミッターマイヤーが腹を抱えて笑っている。

 

くそ、こいつらまとめて後で哨戒に出してやる。

 

アナはアナで、小さく頷きながら俺にトドメを刺す。

 

「アル様。嫌な記憶ほど脳は消すというのは有名な現象ですから。それで正常です」

 

なんだこの扱い。

俺は精神鑑定の対象なのか。

アナの口調は優しいのに、内容は容赦がなさすぎる。

 

そこへ、ラインハルトがこちらをチラッと見てきた。

そして、鼻で笑う。

 

「……よくその程度の記憶力で、今まで死なずにいられたな」

 

お前は言うな!

金髪の孺子!

 

「お前の俺なら勝てる病のほうがよっぽど重症だ!」

 

「俺は事実を言っているだけだ。本当に勝てるから言っているのだ」

 

「もう黙ってろ!そういうこと言うとフラグになるんだ!」

 

「フラグ?」

 

「気にするな!とにかく口を閉じて戦況を分析してろ!」

 

ラインハルトは露骨に不服そうに俺を見る。

 

そんな中、グレイマン中将が前を向いたままぼそりと呟いた。

 

「……また嫌な相手に目を付けられたものだな、我々は」

 

俺もため息をつく。

 

アナが静かに言葉を添える。

 

「アル様。油断は禁物です。シトレ大将は視野が広く、部下の士気管理にも長けた名将です。決して侮れません」

 

その瞬間、艦橋全体がピンと緊張に包まれた。

敵将がシトレなら、確実に手ごわい。

油断したらこちらが全滅する。

 

……だが、俺の口は止まらない。

 

「まあ……敵が誰であれ、どうせ俺を狙ってくるんだろうな。なんでだろう……死神扱いされるのって、そんなに楽しいか?」

 

アナが真っ直ぐに俺を見る。

 

「少なくとも私は、アル様を死神扱いされるのを許しません。死ぬのは、私が許可したときだけですから」

 

「いや許可しないでくれ!」

 

ロイエンタールが冷静に補足する。

 

「閣下。死ぬ許可制の軍隊は聞いたことがありませんぞ」

 

「聞いたことなくていい!俺は死なない!死ぬ気がない!死ぬ許可も取らない!」

 

ラインハルトが呆れた顔でぼそりと言う。

 

「……この艦橋は、戦場に出る前からうるさすぎないか?」

 

アナが鋭く言い返す。

 

「ミューゼル少佐。慣れてください。これが平常運転です」

 

ラインハルトは絶望したように視線を落とした。

俺も同じ気分だ。

 

グレイマン閣下が静かに号令を出す。

 

「全艦、戦闘配備。回廊内部にて初撃を加える。全員、覚悟しておけ」

 

覚悟。

俺が一番したくない言葉だ。

 

覚悟を決める人生なんて、俺の理想にない。

俺が望む人生は、気がついたら美女に囲まれた老後だ。

 

だが現実は、

気がついたら五万四千隻に囲まれた戦場になっている。

 

俺は深く息を吸って、艦橋の全員に向かって言った。

 

「……よし。ならやるか。生きて帰ってアナに甘えるために」

 

 

 

 

 

 

 敵将が誰かはわかった。あとは、こっちが死なないように適当に威嚇して、さっさと様子をうかがって撤退するだけだ。そう、理屈ではそういう話だ。

 

 俺は、ブリトマートの艦橋で腕を組み、できるだけ「歴戦の英雄です」みたいな顔を作りながら、指をひと振りした。

 

 「さて、敵将の顔もわかったことだし……ファイエル!」

 

 自分で言っておいてなんだが、声のトーンだけは完璧だ。低くて落ち着いていて、どこからどう聞いても「状況を完全に掌握している副司令官」のそれ。中身がともなっているかどうかは、誰も聞いてこないでほしい。

 

 ところが、即座にオペレーター席から悲鳴が飛んできた。

 

 「は!? 閣下、まだ射程距離外ですが?」

 

 艦橋が一瞬しんとなる。

 その空気を切り裂くように、ロイエンタールの冷えた声が背後から刺さった。

 

 「……閣下。砲弾の無駄遣いかと」

 

 くそ、この黒髪はいつも正論だけを的確に投げつけてくる。

 しかし、ここで引き下がっては「衝動で撃っただけのアホ少将」に成り下がる。俺のプライドが、それだけは許さない。

 

 「良いんだよ。反応を見たいんだ。これは『脅し』だ、『威嚇』だ。俺の存在にビビって逃げ出すかもしれんだろうが」

 

 どうだ、この完璧な後付け理論。

 俺は内心ドヤ顔で胸を張ったが、ロイエンタールは肩をすくめるだけで何も言わない。沈黙のほうがダメージでかいことを、あいつはよく理解している。

 

 だが、命令は命令。

 帝国軍の砲火が、虚ろな宇宙空間に向けて放たれていく。弾道予測マーカーはきれいに敵艦隊手前で消えていく。当然だ。届かない位置から撃っているのだから。

 

 「いいんだ、いいんだ。どうせ当たらないのはわかってる。問題は、敵がどう返してくるかだ」

 

 そう言って自分に言い聞かせた瞬間、オペレーターが青ざめた顔で叫んだ。

 

 「敵艦隊より、猛烈な反撃! 予想以上の弾幕です!」

 

 スクリーンの空間が、一気に光の雨で埋まる。

 照準もクソもない、量で押し潰す全域射撃。ヘクトル以下、同盟艦隊が「威嚇? そんな生ぬるいことは知らん」とでも言いたげな勢いで撃ちまくってくる。

 

思わず笑顔を引きつらせた。

 

 「だ、大丈夫だ。射程距離外にいるんだから、当たるわけない。シールドだけはちゃんと張っておけよ。エネルギーの無駄遣いとか言うなよ」

 

 ロイエンタールが小さく咳払いをしたのが聞こえる。皮肉を言いたいのを我慢しているのが、逆に腹立たしい。

 

 それでも、ブリトマートのシールドは優秀だ。敵弾はシールドに当たって光の花を咲かせるだけで、まだ実害は出ていない。艦橋がわずかに揺れるたび、オペレーターがビクつき、俺は心の中で「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせ続ける。

 

 「……むん」

 

 俺は、そこで思い出したように姿勢を正した。

 そうだ、俺はこの艦隊の副司令官。肩書きだけは立派な少将様。ここでグレイマン閣下の後ろに隠れて「やだこわい、やだこわい」と震えていては格好がつかない。

 

 「俺も副司令官だ。グレイマン閣下より前に出なければ格好がつかん。旗艦ブリトマート、前進」

 

 ロイエンタールが、椅子からずり落ちそうな勢いで振り向く。

 

 「閣下、自殺行為です」

 

 知ってるよ。

 だが、英雄という生き物はいつだって多少の無茶をしないと評価されない。

 評価なんかいらないが、アナに「今日のアル様、かっこよかったです」と言われると嬉しいのも事実だ。

 

 そんなくだらない動機で、ブリトマートは最前線に躍り出た。

 スクリーンを見た瞬間、俺は盛大に後悔する。

 

 前も敵。

 後ろも敵。

 左右も敵。

 上下も敵。

 ついでに、心の余裕もどこかへ消え去った。

 

 「おお……これはすごい。絶景だな。前後左右上下、全部敵艦隊で埋まってる。それなのに我が方が圧倒的に劣勢というのは、当然のことだな」

 

 自分でも何を言っているのかわからない。

 とにかく口を動かしていないと、精神が保てないのだ。

 

 ロイエンタールが、氷のような声でツッコミを入れてくる。

 

 「……閣下。何を当たり前のことを、今さら実況しておられるのですか」

 

 「いや、冗談だよ。ちょっとしたアメリカンジョークだ」

 

 「ここはアメリカではありませんし、ジョークとしても致命的に面白くありません」

 

 こいつ、容赦ないな。

 しかし、そうやっていつも通りツッコミを入れてくれるだけ、まだ心が落ち着く。

 問題は、この地獄のど真ん中で俺が「落ち着いたフリ」を続けられるかどうかだ。

 

 敵弾の光が、シールドの表面で連続的に爆ぜている。

 シールド出力ゲージが、じわじわと削られていく。

 ブリトマートの機関部から、低いうなりが響いてくる。

 

 そんな中で、俺の頭だけは、別の方向へすっとんでいた。

 

 「まあ良い。俺の愛するアナは、参謀長として後方のグレイマン閣下のそばにいる。それなら、少なくとも俺より先に死ぬことはなさそうだ。安心だな」

 

 俺が心の支えにしていたのは、要するに「一番危ない場所にはアナはいないはず」という希望。

 参謀長というのは、普通そういう役職だ。

 後ろで戦況を見て、冷静に指示を出すポジション。

 最前線で無茶をする狂人がやる部署じゃない。

 

 その希望が、一瞬で粉砕される。

 

 ロイエンタールが、心底呆れた顔で俺を見てきた。

 

 「……閣下。一体何を見ておられるのですか。ホーテン閣下は、とっくにワルキューレで出撃なさっていますが」

 

 「…………なにーーーーー!」

 

 絶叫が艦橋に響いた。

 ブリトマートが敵弾の直撃を受けたかと思うほどのボリュームだったらしい。

 オペレーターが思わず「被弾か!?」と叫ぶほどだ。被弾じゃない、俺の心だ。

 

 「おいおいおい! 参謀長だぞ!? 少将だぞ!? 将官が、なんでそんな一番死にやすい戦闘艇なんかに乗ってるんだ! 無意味に死にやすいことをするな、あのバカは!」

 

 艦橋のあちこちから、乾いた笑いが漏れた。

 誰もアナを「バカ」呼ばわりする勇気はないので、言えるのは俺だけ。

 その俺も、本気で怒っているというより、半分はパニックだ。

 

 アナがいない世界なんて、俺には考えられない。

 もし万が一、この戦いでアナを失うことがあったら、俺は間違いなく後を追う。

 

 と、その時。

 オペレーターから、今日一番の明るい声が上がった。

 

 「ホーテン閣下より入電! 敵戦艦五隻を撃沈せり! 繰り返します、ホーテン閣下、単機で戦艦五隻を撃沈です!」

 

 艦橋の空気が、一瞬で変わる。

 恐怖と緊張に押し潰されそうになっていた空間に、驚愕と歓声が入り混じった。

 

 「……」

 

 俺は、何も言えなかった。

 言葉が、喉で引っかかったまま出てこない。

 

 アナは、最強かもしれん

 

 思い返せば、あいつが負けるところなんて、一度も見たことがない。

 剣でも、銃でも、軍略でも、交渉でも、政略でも、家事でも。

 全部、高水準でうまくやってしまう。

 

 恋愛だけは、俺と同じくらい不器用だが、それはそれで可愛い。

 

 戦艦五隻を、単機の戦闘艇で沈めた。

 この事実だけで、俺は少しだけ落ち着きを取り戻した。

 

 「よし。とりあえず、ひとあては済んだ。グレイマン閣下の作戦通り、ここからゆっくり下がっていこう。これ以上、アナが調子に乗ると、マジで敵艦隊を一人で壊滅させかねん」

 

 ロイエンタールが眉をひそめる。

 

 「……それの何が問題なのですか」

 

 「いや、問題しかないだろ。英雄ポイントが全部アナに持っていかれる。俺の立場はどうなる」

 

 「閣下の立場など、元から大半がホーテン閣下頼みでは?」

 

 ぐうの音も出ない。

 こいつ、いつか絶対に地獄の最前列に送ってやる。

 

 だが、撤退命令を出そうとした、その瞬間。

 別のオペレーターが、悲鳴交じりの声を上げた。

 

 「敵艦隊、陣形を変更! こちらの後退予測線に合わせて、包囲を狭める動きです!」

 

 「なに?」

 

 スクリーン上で、青い点(自軍)がゆっくり後退しようとする軌道に沿って、赤い点(敵)が綺麗な弧を描いて迫ってきている。

 逃げ道を塞ぐ、いやらしい動きだ。

 

 俺は思わず舌打ちした。

 

 「ちっ、やっぱりシトレは頭が良すぎる。こっちが『ひとあてしてから優雅に後退』なんて甘いことを考えてるの、全部お見通しってことかよ」

 

 ロイエンタールが小さく笑う。

 

 「さすが、伏龍の宿敵ですな」

 

 「その通り名、やめろ。なんか負けイベントのフラグっぽい匂いがする」

 

 ミッターマイヤーが横から口を挟んだ。

 

 「閣下。後退速度を上げれば、包囲が完成する前に回廊出口まで押し返せる可能性も」

 

 「ダメだ。今のまま真っ直ぐ下がれば、トールハンマーの射程手前で敵艦隊と重なる。要塞側が撃てなくなる」

 

 そう、問題はそこだ。

 ラインハルトの分析どおり、敵は俺たちを「動く盾」にするつもり。

 要塞のジジイたちが味方ごと撃ち抜いてくれるなら話は別だが、あのクライストの性格からして、勝てると見たら平気で撃つ可能性がある。

 

 つまり、

 前に行っても地獄、引いても地獄という、非常に素晴らしくない二択だ。

 

 俺は、頭を抱えたくなる衝動を必死に抑えながら、いつものように笑ってみせた。

 

 「……よし。とりあえず、最初の目的は達成だ。敵の反応もわかったし、シトレが本気で俺の命を取りに来てることも理解した」

 

 「そんな目的、最初から掲げていた覚えはありませんが」

 

 ロイエンタールのツッコミは無視。

 今は、考え続けなければならない。

 最悪の状況の中で、少しでもマシな選択肢をひねり出す。それが、俺の仕事だ。

 

 そして何より――

 この戦場のどこかで、アナが五隻どころか十隻単位で敵艦を沈めながら、平然とワルキューレを飛ばしている。

 

 俺は、生きて帰って、あいつに文句を言ってやらなければならない。

 

 「単機で戦艦五隻撃沈とか、聞いてないぞ。俺の心臓に悪い」

 

 そう愚痴をこぼせる未来のためにも、ここで死ぬわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正直なところ、俺は今ものすごく逃げ腰だ。だってそうだろう、こっちは一万二千、向こうは五万四千だぞ。サッカーで言えば、フィールドプレイヤー三人でワールドカップ優勝国と戦えと言われているようなものだ。無理筋にも程がある。

 

「閣下、敵艦隊、追撃速度をさらに上げています。距離、じわじわ詰まっております」

 

 オペレーターの報告が容赦なく現実を叩きつけてくる。レーダー画面では、青い味方マーカーの尻を、赤い塊が楽しそうに追いかけてきていた。おい同盟、鬼ごっこじゃないんだぞ。

 

「アル様」

 

 背後からアナの声。振り返ると、ワルキューレから戻ってきて涼しい顔でデータパッドを操作している。

 

「敵艦隊の隊形ですが、先頭を第八艦隊、その左右後方を別働の三個艦隊が固めています。中心はかなり厚いですが、両翼の動きが重い印象です」

 

「つまり?」

 

「先頭は俊足、後ろは鈍足。速い連中だけを前に引きずり出せれば、各個撃破の目はあります」

 

 なるほど、理屈としてはわかりやすい。ただし実行するのが誰か、という超重要な点については、まだ何も触れられていない。

 

「誰が囮をやるか、だな」

 

「もちろん、アル様の艦隊で」

 

「即答かよ!」

 

 俺は思わず椅子から立ち上がりかけた。アナは軽く首を傾げるだけだ。

 

「アル様が動けば、敵はほぼ確実に食いつきます。イゼルローン要塞も、それを前提に防衛マニュアルを作成しました」

 

「俺の死神補正を前提にするな!」

 

 とはいえ、否定しきれない過去の実績が多すぎる。ふと視線をやると、ロイエンタールが腕を組んで、面白そうにこちらを眺めていた。

 

「閣下。囮役としては、これ以上の人材は他におりませんぞ。敵からも味方からも、期待という名の呪いを受けておられる」

 

「期待じゃなくて呪詛だろ、それ!」

 

 ミッターマイヤーまで笑いをこらえながら口を挟む。

 

「ですが、確かに理にはかなっています。閣下の艦隊が一部を引き離してくだされば、グレイマン艦隊本隊は残りを相手に、まだ何とか戦えます」

 

「おい。軽いノリで俺を特攻隊長にするな」

 

 そんなやり取りをしているうちにも、敵との距離は縮まる一方だ。グレイマン中将は沈思黙考の表情で状況表示を見つめている。

 

「ファルケンハイン少将」

 

 ついに、艦隊司令官の口から俺の名が呼ばれた。覚悟を決めて直立する。

 

「はっ」

 

「貴官の部隊に、囮行動を頼みたい」

 

「来たかあああ…!」

 

 心の中で頭を抱えつつも、口から出たのは素直な返答だ。

 

「了解しました。どうせ俺が行かなくても、死神が勝手に呼び寄せますからね。なら、最初から殴り込みに行った方がましです」

 

 会議室の空気が、少しだけ和らぐ。こういう時こそ、くだらない冗談は役に立つ。俺はラインハルトの方へ視線を向けた。

 

「金髪の孺子」

 

「なんだ」

 

「お前も来い」

 

「は?」

 

「お前の頭脳と、俺の天運と、アナの銃。これだけ揃っていれば、五万四千でも何とかなる。多分な」

 

「『多分』で人を地獄に連れていくな!」

 

 ラインハルトが珍しく素で叫んだ。キルヒアイスが慌てて諫める。

 

「ラインハルト様、落ち着いてください。ファルケンハイン少将のお考えには、一定の合理性があります」

 

「どこにだ!」

 

「少なくとも、あの方の悪運だけは、本物です」

 

 悪運呼ばわりは傷つくが、否定できないあたりがつらい。

 

「よし、決まりだ。第一遊撃群、前に出る。ハーメルンⅡは俺とアナ、ラインハルト、キルヒアイスを乗せた上で、先頭に立つ。撃てるだけ撃って、追いついてきた敵の鼻先を殴ってから、回廊のこっち側へ逃げる」

 

 自分で言いながら、我ながら頭がおかしい作戦だと思う。だが時間がない。まともな作戦を練る余裕があるなら、とっくに誰かが出している。

 

「補足ですが、アル様」

 

 アナがさりげなく口を挟んできた。嫌な予感しかしない。

 

「囮行動の際、ゼッフル粒子散布艦を先行させましょう。敵の視界を遮りつつ、後方の別働艦隊との連携を乱せます」

 

「おお、それはいいな。…って、おい、それだと余計に敵のヘイトが俺たちに集中しないか?」

 

「今さらでしょう?」

 

 実に的確なツッコミで返され、ぐうの音も出ない。

 

「さらに申し上げますと」

 

「まだあるのか」

 

「アル様の艦隊が追われている間に、グレイマン艦隊本隊が側面から砲撃を集中させれば、敵の先頭をある程度削れます。その上で、イゼルローン要塞側に、トールハンマーによる『警告射撃』を要請すれば…」

 

 アナは指先で作戦図に印を打っていく。

 

「ここ。敵艦隊の進路と、我が方の退路、その延長線上に、トールハンマーの射線を一度通していただくのです。もちろん、本気で撃つ必要はありません。ゼッフル粒子の霧の中で、至近に光の槍が走れば、それだけで敵は腰を抜かします」

 

「いや、本気で撃たれたら、俺も腰を抜かすどころか蒸発するからな?」

 

「その場合は、クライスト司令部に対して、後日、遺恨を残せます」

 

「俺は遺恨を残す前に灰になるんだが!」

 

 とはいえ、発想としては嫌いではない。敵からすれば、前には俺たちの囮艦隊、横にはグレイマン本隊、後ろからはイゼルローンの巨大砲。三方から「やる気」を見せられたら、さすがに腰が引けるはずだ。

 

「よし、採用だ。グレイマン閣下、アナの案で行きましょう」

 

 中将は少しだけ目を丸くし、それからゆっくり頷いた。

 

「ホーテン少将の案ならば信頼できる。イゼルローンには私から要請しよう」

 

「感謝します」

 

 アナが優雅に一礼する。その横顔を見て、ロイエンタールが肩をすくめた。

 

「閣下。どうやら、貴方は再び伝説を作る気らしい」

 

「やめろ。俺は伝説じゃなくて年金が欲しいんだ」

 

「生き残れば、年金も勲章も手に入りますよ」

 

「生き残ればな!」

 

 会議室を出て艦橋に戻る途中、ラインハルトが不機嫌そうに横に並んできた。

 

「ファルケンハイン」

 

「何だ、金髪」

 

「さっきの話だがな。無人艦で道を開けて、装甲擲弾兵を突入させる案。俺は、いつかそれを本当にやるぞ」

 

「お、おう?」

 

「その時は、お前の顔を思い浮かべてやる」

 

 言い捨てて歩いていく背中を見送りながら、俺は肩をすくめた。

 

「やれやれ。褒められてる気がまったくしない」

 

「でも、アル様」

 

 すっとアナが腕を絡めてくる。周囲の乗員たちが、さりげなく視線をそらした。

 

「ラインハルト少佐は、間違いなくアル様を一人前の戦略家として認めました」

 

「だから困るんだよなあ…」

 

 英雄扱いは、胃に悪い。だがまあ、文句を言っても始まらない。

 

「行くぞ、アナ。どうせなら派手に囮をやって、敵の士気も味方の士気も、全部まとめて掻き回してやろう」

 

「はい。アル様らしく」

 

 こうして俺たちは、またしても「死地」と呼ばれる場所に向かって、嬉々として舵を切ることになった。自分で言うのもどうかと思うが、本当に学習しない人生だと思う。

 

 けれど、隣でアナが笑っているうちは、まあいいか、という気分にもなる。死神だろうが何だろうが、どうせ最後に笑っていれば勝ちだ。

 

 艦橋へ向かう最後の通路で、ふと天井を見上げた。そこには、昔の整備兵が悪ふざけで描いたらしい、ひげ面のドラゴンの落書きが残っている。口から炎ではなく、ミサイルを吐き出しているやつだ。

 

「アル様?」

 

「いや、なんでもない。俺の守護竜でも拝んでおこうと思ってな」

 

 そう言って軽く敬礼すると、アナがくすりと笑った。

 

「ならば、その竜の背中ごと、勝利へと連れていってくださいませ。伏龍様?」

 

「やめろ、その渾名はフラグの匂いしかしない」

 

 俺の愚痴を聞きながら、アナは一歩先に立って歩き出した。その背中を追いかけながら、俺は心の中で小さく祈る。

 

 どうか今回も、ギリギリのところで生き延びて、あいつの隣で馬鹿笑いできますように――と。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

もしよければ、

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・印象に残った台詞
・アナの活躍
・アルの情けなさの中で光ってた部分
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