銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
戦いと言っても、光速の砲撃も、艦隊機動もありません。
一人の青年が勇気を振り絞り、愛する女性に想いを届けるため――
艦隊全員が全力で背中を押した、それだけの話です。
ですが、時として戦場より厳しく、
そして戦場より美しい瞬間が、人の人生にはあります。
そんな1日を、あなたと共有できれば幸いです。
俺は自分のデスクチェアにふんぞり返り、足を机に乗せていた。長期休暇だ。
正式にだ。合法的に怠けていい期間が、とうとう巡ってきたのだ。銀河は広いが、俺の休暇より大事な案件は存在しない。
「……というわけで、ミッターマイヤー中佐」
目の前では、その貴重な休暇を開始したはずの男が、ビシッと姿勢を正していた。軍服は相変わらず皺ひとつない。髪もぴっちり。性格がそのまま頭に乗っているようなやつだ。
「はっ!なんでしょうか、閣下!」
声まで無駄に爽やかだ。俺は顎に手を当て、重大任務を下す司令官の顔を作る。
こういう演出は大事だ。本人の羞恥心を誤魔化すためにも。
「貴官に、最重要の、緊急任務を命じる」
ミッターマイヤーの喉が、ごくりと鳴る。横でロイエンタールが、楽しそうに腕を組んでいる。ラインハルトとキルヒアイスは、半歩下がった位置で様子見だ。
アナは俺の隣に控え、完璧な執務補佐モードで紅茶ポットを持っている。完璧すぎて怖い。
「……御意」
ミッターマイヤーの目に、決意の炎が宿る。いいぞ。その調子で生涯一度きりの恥をかいてこい。
「今日、これから、故郷のエヴァンゼリンさんに告白して、そのまま結婚してしまえ」
沈黙が落ちた。
宇宙空間の真空より静かな沈黙だ。ミッターマイヤーの瞬きが、やたら大きく見える。
「…………………は?」
やっと絞り出した声がこれである。俺は堂々と頷いた。
「聞こえなかったか?繰り返すぞ。今からエヴァンゼリン嬢に告白しろ。できれば婚約までこぎつけろ。最重要任務だ」
ロイエンタールが口元を押さえた。肩が震えている。笑いを堪えているのだろう。お前、そういうところは隠す努力をしろ。
「か、閣下?それは、あの…軍務と、何か関係が…?」
「大ありだ」
きっぱりと言ってやった。
「俺の艦隊のエースが、私生活でモジモジしているのは士気に関わる。恋愛にぐるぐる悩んでいる中佐が乗っている艦に命を預ける部下の気持ちを考えろ。なあ、アナ」
「ええ」
アナは一歩前に出て、無表情のまま滑らかに言葉を繋ぐ。
「司令官命令です、ミッターマイヤー中佐。貴方の幸福は、艦隊全体の福利厚生に直結する最優先事項です」
「福利厚生……」
ミッターマイヤーは、よろめきかけた。ラインハルトが「福利厚生か」と小声で呟き、よくわからない顔をしている。お前の頭の中には、まだその単語の引き出しがないだろうな。
「そうだ。俺たち、艦隊主要メンバーが総出で貴様の背中を押してやる。ロイエンタール」
「小官ですか」
「お前は親友として、心理的フォローをしろ。プロポーズ直前になって逃げ出しそうになったら、襟首を掴んで礼拝堂まで引きずっていけ」
「物理的拘束まで想定済みとは、流石ですな」
ロイエンタールが、うっすらと笑う。完全に面白がっている。
ミッターマイヤーが「おい」と小声で抗議しているが、無視だ。
「キルヒアイス」
「はっ」
「貴官は、故郷での段取りだ。家族への挨拶、近所の根回し、式場候補のリストアップ。それから、エヴァンゼリン嬢のお気に入りの菓子屋調査。お前の誠実さは、田舎のおばさんに刺さるタイプだ。全力で活かせ」
キルヒアイスは、一瞬だけ固まったが、すぐ真面目な顔で頷いた。
「承知しました。できる限りの準備を整えます」
ラインハルトが、その横で不満そうに眉をひそめる。
「おいファルケンハイン。なぜ俺には任務がない」
「あるさ」
俺はニヤリと笑った。
「貴官には、さっきから黙ってじっとしている、という高度な任務が与えられている」
「馬鹿にしているのか!?」
「していない。お前が現場までついていったら、全部ぶち壊しだ。告白の途中で戦術講義を始めそうだからな。『今の言葉の選び方は拙い、もっと直截に……』とか」
ラインハルトは反論しかけて、少し考えて黙り込んだ。自覚はあるらしい。キルヒアイスが苦笑している。
「……では、俺はどうする」
「終わったあとで聞き役になれ。ミッターマイヤーが延々と惚気を垂れ流しても、黙って聞いてやる役目だ。将来、司令官になる男には必要な器だぞ。部下の惚気も愚痴も聞いてやる度量だ」
「……ふん」
ラインハルトは視線をそらしたが、耳がほんのり赤い。素直じゃない。
「それからアナ」
「はい」
「ドレスを見立てろ」
「承知しました」
返事が早い。こういう時のアナは仕事が早すぎる。
「エヴァンゼリン嬢のサイズデータなら、大体把握しております。以前、ミッターマイヤー中佐から故郷の話を聞いた際、身長や体格の話が出ましたので」
「出してたのか、あいつ……」
中佐は耳まで真っ赤にして俯いている。わかりやすい。
「か、閣下。あの、その……」
「言い訳は許さん」
椅子から立ち上がり、デスクの前に歩み出た。わざと軍務用の厳しい声を出す。
「これは艦隊司令官命令だ。今日これから、エヴァンゼリン嬢のもとへ赴き、恋愛感情を告白し、受け入れられるよう全力を尽くせ。失敗した場合は……」
わざと間を置く。ミッターマイヤーの喉がまた鳴る。ロイエンタールも固唾を飲むふりをしている。ラインハルトだけは「失敗したら再挑戦させればいいだけだろ」と冷静そうだ。
「……失敗した場合は、その場で次のデートの約束を取り付けろ。それができなければ、俺の前で、ロイエンタールと二人で『恋愛初心者反省会』を開催してもらう」
「罰がピンポイントで嫌なものに……!」
ミッターマイヤーが絶望の表情を浮かべる。ロイエンタールが、静かに目を伏せた。多分、本人も嫌だ。
◆
会議室の空気がだいぶゆるんできたところで、ドアが開いた。
姿を見せたのは、新任参謀長ヘルムート・レンネンカンプ准将だ。背筋は一直線、制服はアイロンで切れそうなレベル、口元は不機嫌そのもの。典型的な堅物軍人の見本だな。
「ファルケンハイン中将。ブリーフィングかと思えば、何ですかこれは。雑談の場なら、場所を改めていただきたい。軍の規律が」
開口一番それか。挨拶くらいあっても良くないか。
椅子の上で足を組んだまま、手だけヒラヒラさせた。
「おうレンネンカンプ。ちょうどいいところに来たな。今はミッターマイヤーの結婚について真剣に協議してるところだ」
「結婚……?冗談を言っている場合ではありません。貴官は艦隊司令官なのですよ。休暇中とはいえ、こうして部下を集めて私事のために時間を使うなど、不謹慎も」
うるさいにもほどがある。
そこで俺は、わざと表情を引き締めて上官っぽく肘を机についた。
「レンネンカンプ准将」
「はい」
「部下の福利厚生に配慮し、その私生活の安定を図ることは、艦隊の士気を維持するために、上官に課せられた責務だろう。違うか」
わざと低い声で、ゆっくり区切って言ってやる。
レンネンカンプは、ハッと目を見開いた。
「……確かに、軍人も人間です。生活の基盤が安定してこそ、職務に専念できる。部下の生活指導も、指揮官の義務……」
お、揺らいできたな。
すかさず追撃する。
「ましてやミッターマイヤーは、うちの艦隊のエースだ。あいつが戦場では勇猛果敢なのに、私生活ではモジモジしているとなれば、部下に示しがつかん。ここでしっかり背中を押してやるのが、上官の役目というものだ。そうだろう」
レンネンカンプは、拳を握りしめて天井を仰ぎ、それからガバッと俺のほうを向いた。
「……その通りです、中将閣下!私としたことが、視野が狭くなっておりました!」
よし、堅物陥落。
わかりやすくて助かる。
「ミッターマイヤー中佐!」
レンネンカンプは突然、雷のような声でミッターマイヤーを名指しした。
当の本人は椅子の上でビクリと跳ねる。
「は、はい!」
「式場は押さえてあるのか!」
「え、ええと、まだプロポーズも」
「何をしている!軍人は段取りが命だ!オーディン中央大聖堂は、このレンネンカンプの名で確保しておく!日取りは君の都合に合わせて調整だ!軍の手続き、参列者のリスト、席次、引き出物の手配、祝電の整理まで、すべて私が責任を持って段取りしよう!」
「ちょ、ちょっと待ってください准将!俺、本当にまだ何も言ってなくて!」
「黙れ!戦場では敵前逃亡は銃殺だ!恋愛戦線でも同じだ!前進あるのみ!」
ミッターマイヤーの顔が、戦場でも見たことないくらい真っ赤になっている。
ミッターマイヤーは、本当に気持ちのいい男だ。潔癖で、真っ直ぐで、無駄に爽やかだ。だからこそ、幸せになってほしいんだよな
「レンネンカンプ。頼もしいぞ。葬儀より、結婚式のほうが、みんなの記憶にも残るしな」
隣でアナが、静かに微笑んだ。
「ええ。私も、棺の前で敬礼するより、花嫁のベールを祝福の目で見つめていたいですから。ミッターマイヤー中佐、全力で成功させましょう」
「ホーテン閣下まで……!わ、わかりました!やります!やればいいんでしょう!」
ミッターマイヤーは半泣きになりながらも、最後はきっちり敬礼した。やっぱり根が真面目すぎる。
そんな騒ぎの中で、会議室の隅では、金髪の問題児が窓の外を退屈そうに眺めていた。
ラインハルト・フォン・ミューゼル、うちの艦隊が誇る戦闘狂予備軍だ。
せっかくの長期休暇だというのに、あの顔はなんだ。絶対「早く戦場に出たい」とか考えてる顔だぞ。うちの艦隊にいる間くらい、そういう顔は禁止だ
「おい、ラインハルト大佐」
声を掛けると、金髪が面倒そうにこちらを向いた。
「……なんだ、中将閣下」
「貴様、休みがもらえたというのに、表情が暗いな。戦闘がないと死ぬ病気か」
「そういう病気は存在しない。それより、くだらない茶番に付き合わされているだけで、十分に疲労している」
「ほう。なら、特別に仕事をくれてやろう」
椅子の上でくるっと体を回し、わざとらしく指を鳴らした。
「本休暇中、貴様を帝都憲兵隊司令部に出向させる。任務は、帝都の風紀を監視することだ。特に、夜の歓楽街における高位軍人の素行を重点的に調査せよ」
「……今、はっきり『高位軍人の素行』と言ったな。具体的には誰のことだ」
「主に俺のことだ」
「ふざけるな、この俗物!」
いいリアクションだ。
ラインハルトは椅子から立ち上がりかけたが、アナがすっと前に出て、優雅に一礼した。
「ミューゼル大佐。閣下の夜遊びを取り締まる任務は、とても重要です。もし閣下が妙な女に捕まって変なスキャンダルを起こせば、艦隊全体に影響しますから。貴方の冷静な目で監視してくださると、私も安心します」
「ホーテン閣下まで、そのような冗談を」
「私は常に本気です」
アナがにっこり言い切ると、ラインハルトは言葉を失った。
この男、アナにはあまり強く出られない。そこを突くのがコツだ。
「それとな」
「ミッターマイヤーの結婚式への出席は、任務だ。欠席は許さん」
「…………」
ラインハルトの眉間に、ものすごく深いシワが刻まれた。
戦場で敵艦隊を見ても、ここまで不機嫌な顔はしない。
「キルヒアイス」
彼が振り返った先で、赤毛の親友が静かに立っている。
「はい、ラインハルト様。もちろん私もご一緒します。司令部への出向も、結婚式も」
だが、その肩に、巨大な手がぽんと置かれた。
いつから背後にいたのか、ケンプ少将が人の良さそうな笑顔で立っている。
「それは困るな、キルヒアイス中佐」
「ケンプ少将?」
「貴官には、イゼルローンに溜まっている書類の山を片付けてもらわねばならん。あれは私一人では終わらん。これは私からの正式な命令だ。残念だが、オーディン行きはラインハルト君一人だな」
「……承知しました」
キルヒアイスは一瞬だけ寂しそうな顔を見せたが、すぐに姿勢を正した。
横でラインハルトが、信じられないものを見たような顔になっている。
「貴様ら、俺を一人にする気か」
「一人にはせんさ」
すっと手を挙げた。
「ナイトハルト・ミュラー中尉」
「はっ!」
部屋の隅から、真面目そうな青年士官がすっ飛んでくる。
眼鏡はないが、全身から真面目がにじみ出ている男だ。
「貴官を、ミューゼル大佐の補佐として帝都に同行させる。現地での案内、各種調整、憲兵隊との連絡、その他もろもろ。全部任せる」
「は、はあ……承知しました!」
ミュラーは勢いよく敬礼したものの、その目には話が見えていないという戸惑いが浮かんでいる。
まあいい。うちの若手は、このくらいの無茶振りにも慣れていけ。
「待て。勝手に話を進めるな」
ラインハルトが、俺を鋭く睨みつけた。
「俺を憲兵隊などという下らん組織に送り込む目的は何だ。監視役か。あるいは、俺を帝都の政争から遠ざけたいのか」
「どっちもだ」
「貴様を前線で撃ち殺されるより、面倒ごとから遠ざけて生かしておいたほうが、将来の俺の胃が楽になる。帝都での政争は、俺とグレイマン閣下とアナがなんとかする。貴様はそこで結果だけ見てればいい」
「……俺は、操り人形になるつもりはない」
「安心しろ。操り人形にする腕前も暇もない」
ラインハルトは、しばらく黙ったまま俺を睨み、その視線をすっと外した。
「……わかった。帝都憲兵隊への一時出向、受けてやる。その代わり」
「なんだ」
「いずれ俺が大艦隊を指揮するようになった時、貴様と正面から競い合うことを許せ」
こいつ、本当に戦うことしか頭にないのか。
頭をかきながら、肩をすくめた。
「俺はなるべく戦場から逃げ続けるつもりだがな。その時が来たら、好きにすればいい。生きていれば、だが」
そう答えると、ラインハルトは鼻を鳴らし、踵を返した。
ミュラーが慌てて後を追う。
ケンプはキルヒアイスの肩を叩きながら、書類戦線もまた戦場だぞとか訳のわからない励ましをしている。
レンネンカンプはすでに大聖堂と披露宴会場の空き状況を確認しながら、ミッターマイヤーのスケジュールを勝手に組み立てている。
ミッターマイヤーは頭を抱えながらも、どこか嬉しそうだ。
アナはそんな全員を見渡して、小さく笑っている。
本当にうちの艦隊は、人材の宝庫だな。おかげで俺の寿命は縮む一方だが
俺は背もたれに体を預け、大きく息を吐いた。
まあいい。こいつらが笑っていられるなら、多少胃が痛くなっても我慢するか
そう思いながら、俺はアナに目配せをした。
「なあ、アナ。あとでミッターマイヤーの婚約祝い用に、何か良い酒を用意しておいてくれ」
「かしこまりました、アル様。甘口と辛口、どちらを多めにいたしましょう」
「両方だ。どうせロイエンタールが辛口ばかり飲む」
「ふふ。承知しました」
◆
ミッターマイヤーとエヴァンゼリンさんの結婚話が正式に決まった、と聞いた瞬間、俺は心の中でガッツポーズを決めていた。
……いや、別に俺が告白させたわけじゃない。
最終的に「好きです、結婚してください」と口にしたのはあいつだ。そこは尊重しよう。だが、その直前までの道のりに、俺とアナががっつり関わっていた事実は、歴史に刻まれてしかるべきだと思う。
事の始まりは、花屋だ。
オーディン中心街の一角、ちょっと洒落たフラワーショップの前で、ミッターマイヤーが腕を組んで硬直していた。
軍服じゃなくて私服なので、一見すれば普通の好青年なのに、顔が超重要作戦前の索敵フェイズそのものになっている。
「花束、か……」
奴は店先のディスプレイを前に、真剣な声でつぶやいていた。
「プロポーズには、やはり花束……だよな……。よし、あそこの黄色いバラを――」
その瞬間、俺の頭の中で、警報が鳴り響いた。
おいおいおいおい!やめろおおおおお!
思考より先に体が動いた。俺は物陰から飛び出し、ほぼタックルに近い勢いでミッターマイヤーの肩をつかんだ。
「待てええええい!」
ミッターマイヤーが本気でびくっと飛び上がる。そりゃそうだ。突然背後から上官が飛び出してきたら、誰だって寿命が縮む。
さらに、俺の隣には、ひょっこりとアナが現れた。完全に最初から潜んでいた顔だ。
「げっ……閣下!?ホーテン閣下まで……!?」
ミッターマイヤーの声が裏返った。
俺は指を黄色いバラのバケツに突きつける。
「貴様、今なんと言った。『あそこの黄色いバラを全部くれ』と聞こえたが」
「は、はい……。きれいでしたので……」
アナがすっと前に出る。花屋の店主よりも、店員らしい滑らかな動きだった。
「ミッターマイヤー中佐」
低く丁寧な声。だが内容は容赦ない。
「黄色いバラの花言葉は、『薄れゆく愛』『嫉妬』『不誠実』プロポーズでそれを渡すというのは、『君への愛情が冷めてきたので、嫉妬と不信を添えて結婚しよう』という宣戦布告に等しいです」
「そんな物騒なプロポーズあるか!」
俺も思わずツッコんだ。
ミッターマイヤーは、真っ青になって黄色いバラから一歩下がる。
「し、知りませんでした……。花言葉なんて、全然……」
「だから俺たちが見張ってたんだよ」
「お前のプロポーズ作戦、成功率を可能な限り上げる。それが上官の務めだ。というわけで――店主! 赤いバラを、108本!今すぐ包め!」
花屋の主人が目を丸くする。
「108本ですか?」
「そうだ。ひゃく・はち・ほん。一本残らず持ってこい」
ミッターマイヤーが慌てて俺の袖をつかんだ。
「か、閣下! そんな大量に!? そんなに持っていったら、エヴァンゼリンが驚きます!」
「驚かせるためにやるんだよ」
きっぱりと言い切る。
「いいか、108本の赤いバラの花言葉は『結婚してください』だ。これ以上わかりやすいメッセージがどこにある。プロポーズでこれを持っていって断られたら、それはもう、お前の人間力の問題だ。花のせいではない」
アナも淡々と続ける。
「赤いバラ1本で『一目惚れ』3本で『愛しています』108本で『結婚してください』ここまで揃っているのです。利用しない手はありません」
ミッターマイヤーは、完全に押し切られていた。
「そ、そういうものなんですか……」
「そういうものだ」
俺とアナの声が自然にハモる。
店主は、慣れた手つきで赤いバラを束ね始めた。これ、多分、恋愛商戦で何度もやってるな。
やがて、両腕で抱えないと持てないサイズの、真っ赤なバラの山が出来上がった。
ミッターマイヤーは、それを抱えた瞬間、明らかに足元がふらついた。
「お、お、重い……!」
「覚えとけ。結婚生活のスタートは、大抵重い。物理的にも精神的にもだ」
妙に説教臭いことを言いながら、バラの束の上からポンと手を置いた。
「だが、その分、背負う価値がある。お前なら、大丈夫だ」
アナが、そっと花束の形を整える。
「大丈夫です。中佐は、あの大艦隊戦を、私たちと共にくぐり抜けてきた方です。女性一人、幸せにできないはずがありません」
ミッターマイヤーの目に、うっすら涙がにじんだ。
「……はい。行ってきます」
そう言って、赤いバラの山を抱えたまま、全力疾走で駆け出していった。
花びらが一、二枚、後ろにひらひら落ちる。
それを眺めながら、ふう、と息を吐いた。
「よし。これで7割は勝ちだな」
「残り3割は?」
アナが首を傾げる。
「本人のトーク力と、これまでの積み重ねだ。そこは、どうしようもない」
……で、だ。
結果は大成功。
数時間後、真っ赤な顔のミッターマイヤーから、「成功しました!」という報告が飛び込んできた時には、俺も思わずガッツポーズを決めた。
エヴァンゼリンさんの方も、涙ながらに「はい」と言ってくれたらしい。うむ、尊い。
後日、二人そろって礼を言いに来た時の、あの幸せそうな顔。
軍服の胸元に並んだ勲章より、よっぽど眩しかった。
「閣下、アナスタシア閣下。本当にありがとうございました」
ミッターマイヤーは、何度も頭を下げていた。
エヴァンゼリンさんも、少し照れながら、深くお辞儀をしてくる。
「ミッターマイヤーさんから、色々と伺いました。お二人が背中を押してくださらなければ、こんな日、きっと迎えられませんでした」
笑って手を振った。
「いいってことよ。お前らが勝手に幸せになってくれるのが、一番楽でいい。俺は何もしちゃいない。ちょっと口を出して、花を用意させただけだ」
アナが横で小声でささやく。
「『ちょっと』の範囲が、少し広すぎる気もしますが」
「いいじゃないか。結果良ければ全て良しだ」
……問題は、もう一人の親友の方だ。
ロイエンタールは、ミッターマイヤーの門出を誰より喜んでいた。
乾杯の挨拶も、妙に気合が入っていて、普段の毒舌が影を潜めていた。
ただ、その笑顔には、うっすら影が差していた。
まず、式に来る服装からして、おかしい。
「閣下。ミッターマイヤーの結婚式ですが、小官はこの軍服で――」
「アホか。休暇中だ。礼装を着ろ。勲章をガチャガチャぶら下げた軍服で行ったら、新婦側の親族が緊張するだろうが」
即座に却下した。
ミッターマイヤーの結婚式を、戦時中の叙勲式に変える気か、この男は。
「し、しかし……小官の礼装は、あまり着慣れておらず」
「そういう問題じゃない。これは親友の晴れ舞台だぞ。お前が一番、ちゃんと整えて行け」
ロイエンタールは、一瞬だけ目を泳がせ、それから小さく笑った。
「……承知しました。閣下がそこまで仰るなら」
当日、礼装姿のロイエンタールは、まあ見事なものだった。
金と黒の礼服は、あいつの顔立ちには似合いすぎていて、新婦側の若い女性たちの視線を、がっつりさらっていた。
なのに本人は、ほとんど新郎新婦から目を離さない。
その表情が、祝福と、寂しさと、何か別のものとで、妙に混ざっている。
……こじらせてるな、こいつ
酒をちびちびやりながら、心の中でつぶやいた。
ミッターマイヤーは、気持ちのいい馬鹿だ。一直線で、迷いが少ない。
一方ロイエンタールは、変に頭が良くて、何でも分析してしまう。
自分の感情ですら、解体して眺めようとするから、余計にしんどくなるのだろう。
「ロイエンタール」
披露宴の途中、俺はあいつをテラスに連れ出した。
「……何です、閣下」
「泣きそうな顔してたぞ」
「はあ? 泣いてなどおりませんが」
「そうか? まあいい。ミッターマイヤーのこと、嬉しいか?」
「当然です。あいつは、こういう幸せを手にして然るべき人間ですからな」
言葉に嘘はない。
だが、その声の奥には、やっぱり何か引っかかるものがある。
「お前は?」
「小官が何をです」
「お前は、どうしたい」
ロイエンタールは、しばらく黙り込んだ。
やがて、夜空を見上げたまま、ぽつりと言う。
「……今は、これで良いのです。あいつが幸せそうなら、それで」
ああ、面倒くさい。
こいつ、自分の分までミッターマイヤーに幸せになってもらおうとしてやがる。
そういうのはな、たいていバランスを崩して、後で変な方向に吹き飛ぶんだよ。
「まあいい」
俺は強引に話を切り上げた。
「お前が自分のことを考え始めたくなったら、その時は俺に言え。暇があれば相談くらいなら乗ってやる」
「……閣下が、ですか」
「不満か」
「いえ。非常に心強い申し出ですな」
口ではそう言いながら、微妙に笑っている。
本気で頼るつもりは、今はまだない顔だ。
まあ、こいつはこいつで、そのうち何かしでかすだろう。
その時、俺が生きていて、かつそこそこ暇であるように祈るしかない。
式と披露宴が終わって、招待客がぞろぞろと散っていくころ。
新郎新婦は、照れくさそうに、それでも幸せそうに、何度も俺たちに頭を下げた。
「閣下、本当にありがとうございました!」
「イゼルローンにも遊びに行かせてくださいね」
「おう。夫婦で来い。うちの艦隊は家族持ちにも優しいぞ。俺以外は働き者だからな」
そうやって全員見送って、やっと二人きりになった。
俺は、少し肩の荷が下りた気分で、アナの方へ向き直る。
「なあ、アナ」
「はい、アル様」
「今度は、俺たちの番にしないか」
アナは、少しだけ目を丸くして、それからやわらかく笑った。
俺の頬に、細い指が触れる。
「……いずれ、必ず」
「また『いずれ』か!」
思わず声が大きくなる。
「お前の『いずれ』は、いつ来るんだ!俺がハゲてからか? 腹が出てからか? それとも、孫ができてからか?」
「アル様のお腹は、これ以上出させませんので、ご安心を」
アナはさらっと恐ろしいことを言いながら、俺の腹を軽くつついた。
「今はまだ、色々と準備が要ります。侯の思惑も、ブラウンシュヴァイク公との関係も、ラインハルト様たちの将来も。全てが、少しずつ動き始めたところですから」
「……そういう現実的な話を、プロポーズっぽい流れからの返事に混ぜるな」
「現実的な問題を片付けないと、安心して結婚生活を始められませんでしょう?」
ぐうの音も出ない。
確かにその通りだ。
俺は、安楽に、アナと一緒に暮らしたいだけなのに、そのためにやることが山ほどある。
指向性ゼッフル粒子、王朝の欠陥を記録したあのファイル、門閥貴族連中の権力争い。
どれもこれも、爆弾級の案件だ。
「……わかったよ」
俺は、アナの肩に額を預ける。
「あれこれ片付いて、俺が本当に昼寝だけしてても怒られない世界になったら、その時は、『いずれ』じゃなくて、『今』って言えよ」
アナの手が、静かに俺の頭を撫でる。
「はい。その時は、きちんと『今』と申し上げます」
「約束だからな」
「ええ。約束です、アル様」
……まあ、悪くない。
「よし」
ソファにどさっと腰を落とし、アナの膝を枕にした。
「とりあえず今日は、ミッターマイヤーの門出と、俺たちの遠い将来に乾杯だ。あと五分だけ、このまま昼寝する」
「五分で済めば、奇跡ですが」
アナはそう言いながらも、嬉しそうに俺の髪を撫で続けてくれた。
俺はただ、アナと未来の話をして、部下たちの幸せを遠目に眺めて、図々しく昼寝を決め込む、どうしようもない怠惰な男でありたい。
……いつか、本当に「今だ」と言える日が来るまで。
お読みいただきありがとうございます。
ミッターマイヤーの勇気
ロイエンタールの影
アナの優しさ
そしてアルブレヒトの怠惰(?)
誰の心が一番動いたか
どのシーンが好きだったか
ぜひ、感想で教えていただければ嬉しいです。
今小分けにしている章を
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週1で一気に読みたい(3万字くらい)
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毎日小分けでいい(4千字くらい)
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毎日なら文字数気にしない