銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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この物語は、帝国の片隅で静かに休暇を楽しみたいだけの一人の中将が、
なぜか毎回、政治の最前線へ引きずり出されてしまう不運――
いえ、幸運と呼ぶべき現象を描いております。

主人公アルブレヒト・フォン・ファルケンハインは、
決して大局を読む天才でも、策略家でもありません。
むしろ戦場のほうが楽と堂々と言い切る、怠惰で誠実な人物です。

それにもかかわらず、彼の一言は貴族社会において、
いつもまったく別の意味に翻訳され、
帝国の政治バランスを揺らし続ける――
その様をどうぞ楽しんでいただければ幸いです。


貴族語が話せませんが何か?

ブラウンシュヴァイク公爵邸の玄関ホールは、俺の趣味には一ミリも合わない。

 

きらきら光るシャンデリアが天井から三基ぶら下がっていて、床はやたらツルツルの大理石、壁には先祖代々のご立派な肖像画がドーンと並んでいる。

 

どこを見ても金と赤と白。鉱山の坑道と艦の鋼鉄色に慣れた目には、軽く毒だ。目がチカチカする。

 

俺はため息をかみ殺しつつ、アナの横に並んで突っ立っていた。

用件は、例の「ジョーカー」のファイルと、指向性ゼッフル粒子の話。ついでに、この屋敷の主ブラウンシュヴァイク公と、その娘エリザベート嬢の意向の確認。

要するに、政治と陰謀と面倒くささを全部ミキサーにかけて濃縮還元したような用事だ。

 

 

アナはいつもの黒い軍服だが、今日は礼装仕様で肩章や飾緒がやたら眩しい。

俺も同じ礼装なんだが、並ぶと差がひどい。

何だろうな、同じ軍服のはずなのに、アナが着ると一流ブランドのモデルで、俺が着ると「たまたま通りかかった軍人さん」になる。

この不公平は、宇宙の法則への挑戦だ。

 

そんなくだらないことを考えていると、階段の上からバタバタと軽い足音が聞こえてきた。

白いドレスの裾をつまみ上げて駆けてくる金髪の少女。

エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイク。

 

昔見た時はやんちゃなお嬢様という感じだったが、今は背も伸びて髪も艶々、ドレスのラインも危険な方向に成長し始めている。

数年後が非常に楽しみな成長株だ。

 

俺は完璧な社交スマイルを作り、軽く両手を広げた。

 

――やあ、エリザベート嬢、久しぶりだな。見違えたぞ、レディに……

 

心の中でそう準備していたところで、

 

「アナスタシアお姉様!!」

 

俺の台詞は、口から出る前に粉々に砕けた。

エリザベートが一直線に駆け寄った先は、俺の胸ではなくアナの腕の中だ。

勢いよく抱きつかれたアナは、わずかに身体を揺らしただけで、見事にバランスを保ち、ふわっと笑った。

腕の中で、エリザベートが猫みたいに頬をすり寄せている。

 

おかしい。今の抱きつき役、本来は俺の予定だ。

 

「ごきげんよう、エリザベート様。お元気そうで何よりです」

 

アナが落ち着いた声で挨拶する。

横から俺もいるぞと言わんばかりにわざとらしく咳払いしてみたが、完全に無視された。

エリザベートはアナのウエストに両腕を絡めたまま、上目遣いで見上げている。

 

「はい!お姉様が帝都に戻られると聞いて、ずっとお待ちしておりましたの!前に教えていただいた護身術も、毎朝欠かさず続けておりますわ!」

 

「それは素晴らしい心がけです」

 

アナの声が、いつもより半音だけ柔らかい。

俺の中で何かがポキっといった。

 

さりげなく二人の間に割り込もうと一歩踏み出したところで、アナがほんの少しだけ体の向きを変え、エリザベートを庇う位置に立つ。

物理ガード発動。視線まで俺からそらす徹底ぶり。

その場でくるっと向きを変え、何事もなかった顔でシャンデリアを見上げた。

 

 

エリザベート嬢は、どう見ても俺ではなくアナに夢中だ。

俺の自称超絶イケメン伯爵様スマイルが一ミリも刺さっていない。

あの視線は、どう見ても恋している。

憧れとか尊敬とか、そういう可愛いラベルではごまかせない熱量がある。

 

アナの肩に頬を押し付けている表情なんて、政略結婚とか全部投げ捨てて一緒に逃げましょうと言い出しても不思議じゃないレベルだ。

 

ここでふと、俺の脳裏にルドルフ大帝のありがたいお言葉が浮かぶ。

「同性同士の歪んだ欲情は社会秩序を乱す」だの何だの。

 

建国初期にそんな法律を山ほど作っていたはずだ。

五百年近く前の条例なので、実務的には埃をかぶっている。

 

だが、目の前の光景は、その埃を豪快に吹き飛ばす勢いでアウト寄りだ。

いや、俺としては別に構わないが。構わないが、だ。

俺の婚期に微妙な影響が出そうなので、その点だけは真剣に抗議したい。

 

「エリザベート様。アル様とは、ちゃんとご挨拶なさいましたか?」

 

アナが、ようやく俺の存在を思い出したかのように促す。

エリザベートは「あっ」と声を上げ、名残惜しそうにアナから一歩離れた。

視線だけはまだアナに吸い寄せられている。

 

「も、申し訳ございませんわ、ファルケンハイン中将。お久しぶりでございます」

 

形式通りのカーテシーはちゃんとしてくるあたり、教育は行き届いている。

視線が膝あたりから上がってこないのが問題だが。

 

わざとらしく肩をすくめ、少し大げさな礼を返した。

 

「いや、気にしなくていい。俺も、人の趣味は尊重するタイプだからな」

 

「しゅ、趣味……?」

 

「アル様。余計なことをおっしゃらないでください」

 

「余計じゃないぞ。重要な確認だぞ。むしろ国の将来に関わる」

 

「どのあたりがどう関わるのか、ぜひ論文にして提出していただきたいところですね」

 

アナの笑顔が、じわじわと氷点下に近づいてきたので、俺は全力で話題を変えることにした。

ここで踏み込み続けると、帰りの艦でベッドから追い出されかねない。

 

「そ、それにしても、随分と立派になったな、エリザベート嬢。背も伸びたし、ドレスもとてもよく似合っている。公爵閣下も誇りに思っているだろう」

 

「本当ですか? お姉様、どうですか?」

 

なぜ俺に確認しない。なぜ即座にアナに振る。

アナは少しだけ考えるように目を細め、それからゆっくり頷いた。

 

「ええ、とてもお綺麗になられました。姿勢もよろしい。歩き方も以前よりずっと洗練されています」

 

「やった……!お姉様に褒めていただけましたわ!」

 

エリザベートが、その場で小さくスキップして喜びを爆発させる。

床の大理石が割れないか、別の意味で心配になってきた。

俺はシャンデリアと同じカテゴリのオブジェだ。動くインテリア。

 

その時、奥の方から重い足音が近づいてきた。

公爵様ご本人の登場らしい。

エリザベートが慌てて姿勢を正し、アナの隣にきちんと並ぶ。

俺も一応、伯爵らしく胸を張った。

 

 

 

 

 

 

 

 応接室のソファは、やたらとふかふかだ。沈み込みすぎて、尻ごと飲まれそうになる。

 正面にはブラウンシュヴァイク公。髭はないが、顔に貼り付いた尊大な笑い方と、腹のあたりに鎮座している貫禄が、「門閥貴族です」と全力で自己紹介している。

 

 横に、控えめに座るアナ。俺の唯一にして最大の味方だ。心の中で「助けてね」と念を飛ばすと、横顔のまま、ほんの少しだけ視線をよこしてくれた。うん、見てる。多分、助ける気はない。

 

「……ファルケンハイン中将。リッテンハイムのところには、もう顔を出したそうだな」

 

 ブラウンシュヴァイク公が、ワインでも転がすみたいな声で口を開く。

 背筋を伸ばし、いかにも慣れてます、政治とか余裕です、みたいな顔をつくった。中身は庶民のままだけど。

 

「おかげさまで」

 

「ならば、話は早い。ヘルクスハイマーの愚か者が持ち出したという、あのデータ。賢明なる貴官のことだ。どう扱うべきか、もう察しているはずだ」

 

 来た。どストレートに来た。

 リッテンハイム侯の時と、同じ入り方だ。さすが犬猿の仲でも、やることは似てくるらしい。

 いや、仲が悪いほど行動パターンが似てくるのか?知らん。俺に聞くな。

 

よし、落ち着け、俺。前回は「何も見てません」路線で行って、今回はとか妙なフラグを立てられた。ということは、言い回しを変えれば点数アップだろ。俺は進歩する男。二回連続で同じボケはかまさない。

 

 頭の中で、さっきまでアナとロイエンタールを相手に特訓したセリフを再生する。

 噛むなよ俺。途中で変なアドリブ入れるなよ。

 

「公爵閣下」

 

 わざと、少し間を置いてから呼びかける。

 相手の視線が、きっちりこちらに集中したのを確認してから、ゆっくり続けた。

 

「リッテンハイム侯爵にも先ほど申し上げましたが、私は今回のお話について、自分から積極的に何かをするつもりはありません」

 

 公の眉が、わずかに動く。興味は引いたらしい。よし、ここからが本番だ。

 

「ですから、公爵閣下からも、リッテンハイム侯爵からも、この件で私に便宜をお図りいただく必要は一切ございません。なぜなら――」

 

 ここで、胸の内でドラムロールが鳴る。

 俺の中の司会者が叫ぶ。「決めろ、今だ」と。

 

 俺は、人生最大級にそれっぽい顔をつくり、一語一語に力を込めた。

 

「『どちらかだけ』に与するのは、よろしくないでしょう」

 

 ドヤァ。

 

 心の中で、思い切りガッツポーズを決める。完璧だ。

 中立、協調、公平。なんか良さげな概念を、一行に詰め込んだ。

 どちらの陣営にも借りは作らない。だから、面倒な政争にも巻き込まれない。俺、天才。

 

どうだ、アナ!今の俺、百点じゃないか!

 

ちらっと横を見ると、アナは無表情のまま目を伏せていた。

口元が、ほんの少しだけ引きつっている。

 

……あれ?なんで引きつる。

 

 一方、正面のブラウンシュヴァイク公はといえば、一瞬ぽかんとした後、信じられないものを見たような顔で固まっていた。

 

あれ?あれ?もしかして通じてない?俺の渾身の腹芸、字幕がいる?

 

数秒間の沈黙。時計の針の音が、やけに耳に響く。

やがて、公の肩が、わずかに揺れ始めた。

 

「……ク、クク……」

 

こらえきれない笑いを噛み殺すような、変な声が喉の奥から漏れる。

 

「はーっはっはっはっは!」

 

爆発した。

 

 ブラウンシュヴァイク公は、腹を抱えて笑い出した。応接室の豪華なカーテンが震えるんじゃないかと思うレベルの大笑いだ。

 

 テーブルのティーカップまでカタカタいっている。

 

え?え?なんで!?俺、そんな面白いこと言ったか!?今のどこに笑い要素あった!?

 

公は笑いながら、目尻の涙を指で拭い、やっとのことで息を整えた。

 

「……面白い。実に面白いぞ、ファルケンハイン中将」

 

そう言うと、テーブル越しに身を乗り出し、俺の手をがっしり両手でつかんできた。

近い。貴族の握力をなめていた。指が普通に痛い。

 

「気に入った!貴官のような若者が、まだ帝国に残っていたとはな!」

 

待て、待て待て待て。え?そう解釈した?今の一言で?

 

脳内に、ロイエンタールの顔がよぎる。

 

『閣下。貴方の悪運と腹芸は、時として、想定外の化学反応を起こしますな』

 

 うるさい。今それ思い出させるな。

 

「リッテンハイムの顔色をうかがいながらも、同時に我が家にも恩を売るとは。『どちらかだけに与しない』か。よろしい、実によろしい。貴官の父上は、実に良い跡継ぎを持たれた」

 

待て。俺、そんなつもり一ミリもないぞ

 

公は上機嫌で俺の手をぶんぶん振りながら、さらに続ける。

 

「今後、ファルケンハイン家とは、より一層、親しくさせていただこうではないか」

 

握力が、好感度メーターみたいに上がっていく。

ゼロから一気にレッドゾーンだ。俺の指、死ぬ。

 

「ありがたき幸せに存じます、公爵閣下」

 

 とりあえず、テンプレっぽい返事を返しておく。

 半分以上、口が勝手に動いた結果だ。頭の中は「なぜ?」で埋まっている。

 

おかしい。俺、中立宣言をしたはずなのに、なぜか両陣営からお気に入り登録されている気配がする。これ、もしかして、より深い泥沼に足を突っ込んだだけじゃないか?

 

横目でアナを見ると、今度は目を閉じて、こめかみを押さえていた。

頭痛薬を探している貴婦人の仕草だ。

 

あ、これ完全に「またやらかした」と思ってる顔だ

 

 その後の歓談は、やけにスムーズに進んだ。

 ヘルクスハイマーの処理については、「貴官の裁量に任せる」とか言われたし、「何かあれば遠慮なく相談してくれ」などという、今後確実にフラグになる一言まで飛び出した。

 

相談しねえよ。絶対にしねえからな

 

 

 

 

 

 

 

 ブラウンシュヴァイク公の屋敷を出て馬車に押し込まれた俺は、クッションに沈みながら、さっきからずっと頭を抱えていた。

脳内でエコーしているのは、公爵のあの笑い声だ。

 

「ククク…はーっはっはっは!」

 

 思い出すたびに、胃がキリキリする。

 なんだあのテンションの上がり方は。誉められたのか、弄ばれたのか、その辺の区別もつかない。

 

「……なあ、アナ」

 

 向かいの席では、アナスタシアが、揺れる馬車の中でも背筋をまっすぐ伸ばし、膝の上で指を重ねて座っていた。

 

「なんで、あのオッサン、あんなに上機嫌だったんだ? 俺、また何かやらかしたのか?」

 

 半泣きで尋ねると、アナはほんの少し目を伏せ、深くため息をついた。

 

「……アル様。まず前提として申し上げますが」

 

「うん?」

 

「貴族という生き物は、言葉そのものではなく、その裏側を楽しむ種族です」

 

「種族って言ったな、今」

 

「はい。人類とは、やや別種と思っていただいたほうが、理解が早いかと」

 

「やっぱりそうかあああ!」

 

 座席の上で軽くのけぞった。うすうす気づいていた真実を、きっちり言語化されると、余計にダメージが大きい。

 

「で、俺のどこがそんなにツボに入ったんだよ。俺のセリフ、そんなに面白かったか?」

 

「ええ、とても」

 

「そこは即答なんだな?」

 

 アナは軽く咳払いをして、いつもの冷静な顔に戻った。

 

「では、アル様の発言を、貴族語に翻訳してご説明いたします」

 

「出たよ、同時通訳。頼む」

 

「まず、アル様はこう仰いました。『この件に関して、私は自分から何をするというものではありません』」

 

「ああ、言ったな。『巻き込むな』のつもりで」

 

「字面だけ見れば、そうです。『面倒ごとは嫌なので放っておいてくれ』という、非常に正直なお言葉です」

 

「それ以外の意味が必要なのか?」

 

「貴族語に変換すると、『この札は今は切らないで取っておく。だから、お前たちも今は表立って動くな』になります」

 

「……俺、そんな高度なこと一ミリも考えてないぞ?」

 

「承知しております」

 

あっさり言われた。胸が痛い。

 

「続いて、『どちらかだけに与するのはよろしくない』とも仰いました」

 

「言った。あれ、我ながら良い言い回しだったと思うぞ? どっちにも味方しませんよーって言っとけば、あとで文句言われにくいかな、と」

 

「その部分が、ブラウンシュヴァイク公には特にお気に召したのでしょう」

 

「なんでだよ」

 

「貴族語だと、『このカードは両陣営への切り札になりうる。だから私は、中立の位置から等距離で見ておく。どちらに切るかは、今後の接待と利得次第で決める』という意味になります」

 

「そんな腹黒いオプションを勝手に追加するな!」

 

「追加しているのではなく、そう聞こえるのです」

 

アナは、完全に授業モードだった。

 

「さらに、アル様は『便宜を図っていただく必要はない』とも仰いました」

 

「うん。あれは、変に貸しを作られると面倒だから、最初からいらんって言っといたほうが安全かなと」

 

「貴族語では、『今ここで露骨な貸しを積む必要はない。見返りは、もっと美味しい形で頂戴する』という宣言です」

 

「待て待て待て。誰がそんな強欲な契約を結んだ」

 

「アル様です」

 

「俺かよ!」

 

「アル様です」

 

二回言うな。

 

「総合すると、こうなります」

 

アナは指を一本立て、淀みなく言葉を並べた。

 

「『このジョーカーは、どちらか一方に渡せば、もう片方から敵視される危険なカードだ。だから、我がファルケンハイン家は、この件では表に出ない。そのかわり、この札を握っているという事実そのものを、両陣営への抑止力に変える。今は静観するが、別件の名目であれば、いくらでも協力する用意がある。ファルケンハイン家をどちら側に引き寄せるかは、今後の両家の努力次第だ。さあ、存分に競い合え』」

 

「…………」

 

しばらく口が動かなかった。

 

「俺、そんな長文、一言も言ってないんだが?」

 

「知っております」

 

「知ってて放置するなよ!その場で通訳しろよ!」

 

「ブラウンシュヴァイク公は、そういった腹芸や、政治的な取引が大好きなお方です。アル様が、両家を天秤にかける、非常に活きの良い若手貴族に見えたのでしょう。だから、いたくお気に召したのです。リッテンハイム侯も、そのあたりは同じでしょうね」

 

「理不尽にもほどがある……」

 

 天井を見上げると、馬車の内装の金色の縁取りが目に入った。さっきまで「豪華だなあ」と感心していたそれが、今は全部「政治の装飾」に見えてくる。全部剥がして質屋に入れて、静かな辺境に隠居したい。

 

「油じゃなくて火薬だろ、それ」

 

「火薬も、適切に使えば文明を発展させます」

 

「うるさいわ」

 

 どう考えても「発展」より「爆発」のほうが多い文明だと思う。主に、俺の胃が。

 

「要するに、俺は、知らないうちに、ブラウンシュヴァイクとリッテンハイムの喧嘩の真ん中に、椅子を置いたわけだな」

 

「はい。しかも、両方から見て座り心地が良さそうな椅子です」

 

「それ、褒め言葉か?」

 

「事実です」

 

「最近、お前の言い回しがどんどんいやらしくなってないか?」

 

 アナは、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

「ですが、ご安心ください」

 

「どこに安心要素が?」

 

「アル様は、何もしておられません」

 

「それが一番怖いんだよ!」

 

「何もしていないのに、両陣営から『利用価値あり』と見なされている。これは、とてもお得な状況です」

 

「お得の意味を一回辞書で引き直せ」

 

「今後、どちらか一方がアル様をぞんざいに扱えば、『では、もう一方に寄りましょうか』と微笑んで言えば良いのです。実際に動かなくても、言うだけで効果があります」

 

「脅しの文句までパッケージ化するな」

 

「サービスです」

 

「いらんサービスだ」

 

 ぐったりと座席にもたれかかり、窓の外を眺めた。

 帝都オーディンの街並みが、夕焼けに染まりながら流れていく。あのビルの一つ一つにも、政治とか派閥とか黒い噂とかが詰まっているのだろう。考え始めるだけで蕁麻疹が出そうだ。

 

「……なあ、アナ」

 

「はい」

 

「俺、やっぱり貴族嫌いだ」

 

「存じております」

 

「平民も嫌いだ。税金払えと言うと、みんな口を揃えて『はい、伯爵様!』と嬉しそうに払う。あれはあれで怖い」

 

「アル様の領地は、他領の十分の一の税率ですから」

 

「そういう余計なことを勝手にやるな。俺は搾取する側のつもりなんだぞ」

 

「結果として、慈善家に見えております」

 

「やめろ。その誤解は全力で訂正したい」

 

「難しいでしょうね」

 

アナはあっさりと言い切ったあと、少しだけ表情を和らげた。

 

「ですが、アル様」

 

「ん?」

 

「貴方は、貴族も平民もお嫌いと仰いますが……私のことは、お嫌いではないのでしょう?」

 

唐突な問いかけに、一瞬だけ思考が飛んだ。

すぐに、口が勝手に動く。

 

「大好きに決まってるだろ」

 

そう答えると、アナはわずかに頬を染め、少し視線をそらした。

 

「そういうところが、貴族社会から見ると、とても厄介で、とても魅力的なのです」

 

「褒めてるのか、貶してるのか」

 

「両方です」

 

「結局そこかよ」

 

 馬車はゆっくりと曲がり、ファルケンハイン艦隊の臨時司令部へ向かっていく。窓の外に灯りが一つ、また一つと増えていった。

 

「まあいい。今日のところの結論は、こうだな」

 

「お聞きします」

 

「貴族は、皮肉と暗喩と、面倒な勘違いでできている」

 

「はい」

 

「その翻訳と後始末は、全部アナに任せる」

 

「……そうなりますね」

 

「よし、解決」

 

 そう宣言してから、座席の上で体勢を変え、アナの隣に移動して、遠慮なく膝に頭を乗せた。

 

「ちょっとだけ寝る。起きたら、全部悪い夢だったことにしてくれ」

 

「夢にはできませんが、枕にはなりましょう」

 

 アナの指が、そっと俺の髪を撫でる。

 

 

「……なあ、アナ」

 

「はい?」

 

「俺、やっぱり政治より戦場のほうが楽だ」




ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。

あなたが、
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「ここは切なかった」
「アナの翻訳が好き」
「公爵の誤解が最高に地獄」
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