銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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帝都オーディンという街は、表向きこそ荘厳で美しいが、
裏側には常に、政治と派閥と見栄が縦横無尽に走り回っている。
今回の物語は、その裏側のど真ん中に、やや不器用で、
しかしどこか憎めない男——アルブレヒトが踏み込んだ一幕である。

彼が望んだのは職務の達成でも、政治的な高みでもない。
ただ、若き後輩が理不尽に潰されないように。
ついでに、ほんの少しだけ手柄をつまみ食いするために。

帝国の巨大な舞台の陰で、
扉越しに、壁越しに、影として立ち回る者たちの奮闘を、
どうぞ楽しんでいただきたい。


今日の帝都は面倒ごとの匂いしかしない

 副総監室の扉の前で、俺とキルヒアイスは、壁にぴったり張り付いている。

どう見ても怪しいが、廊下を通る憲兵たちは、俺の肩章を見た瞬間、全員目をそらして全力でスルーしていく。うむ、権力とは便利なものだ。

 

 「聞こえるか?」と俺が口パクで訊くと、キルヒアイスは真面目な顔でこくこく頷いた。耳を扉に押し当てたまま、指で三、二、一とカウントしている。タイミングを合わせて、俺もそっと耳を寄せた。

 

 中から、ぎこちない声が聞こえる。あれが憲兵副総監様だろう。偉そうな肩書きのわりに、やたら声が裏返っている。

 

「き、貴官がミューゼル大佐…で、間違いないな…?」

 

 ラインハルトの「はっ」という短い返事が続いた。

 

 副総監の声は、さらに情けなく震えた。

 

「で、では早速だが…その、だな…。幼年学校で殺人事件が発生した。被害者はライフアイゼン子爵家の令息だ…」

 

 ここで、少し間が空いた。多分、ラインハルトが資料を読んでいる。俺の頭の中には、あいつのしかめ面が鮮明に浮かんでいる。どうせ「なぜ報告が遅れた」とか、真っ先に突っ込んでいるはずだ。

 

案の定、低く冷えた声が扉越しにも伝わってきた。

 

「事件発生時刻と、報告受理時刻に三時間の差がありますが」

 

 その瞬間、扉の向こうから、何かがガタガタと揺れる音がした。副総監が腰を抜かしたか、机を蹴りそうになったか、その辺だろう。

 

「ひ、ひいっ…!そ、それは…その…!被害者は子爵家のご子息であり、場所も場所ですので…いろいろと、その…配慮を…いや、隠蔽などと申すつもりは…。申し訳ない!ま、全て私の不徳の致すところで…!」

 

 必死の言い訳が、廊下までダダ漏れである。俺とキルヒアイスは思わず顔を見合わせた。キルヒアイスが小声で囁く。

 

「……閣下。あの方、前にお会いした時と、だいぶ雰囲気が違いますね」

 

「うむ。前はもっと威張っていたな。多分、オッペンハイマーのジジイが、『うちの可愛い金髪に何かしたら、お前の人生を終わらせるぞ』くらいのことを耳打ちしてある」

 

 そう考えると、副総監の汗の量にも納得がいく。自分より階級は下だが、バックに俺と憲兵総監と、ついでにグリューネワルト伯爵夫人までついていると来た。そりゃ、斬首台がチラつくだろう。

 

中では、副総監がなおも必死にしゃべっている。

 

「と、とにかくだな!この事件の捜査を、ミューゼル…か、閣下にお願いしたく…!」

 

「……今、何と?」

 

 ラインハルトの声が、露骨に引っかかった。そりゃそうだ。副総監の口から、変な単語が出た。

 

 閣下、である。

 

 キルヒアイスが、扉に貼り付いたまま、肩を震わせた。笑いをこらえているのか、緊張しているのか、一瞬判断に困る。

 

「なあキルヒアイス、今『閣下』って聞こえたよな。俺の空耳じゃないよな」

 

「……はい。はっきりと聞こえました」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぶふっ……」

 

危うく漏れた笑いを、俺は慌てて咳払いに偽装した。隣で同じように耳を当てているキルヒアイスが、横目でじとっと睨んでくる。

 

「……ゲホッ、ゲホゲホ」

 

「閣下、咳も小さめでお願いします」

 

さすが優等生。囁き声ですら優等生。将来絶対胃に穴が開くタイプだ。ラインハルトの幼馴染なんてやってたら、そりゃそうなるか。

 

それにしても、中の空気が手に取るように分かる。副総監のやつ、完全に狩られる側の小動物の声だ。

 

さっきオッペンハイマーに、軽いノリで「俺のお気に入りだから、変な扱いはするなよ」と耳打ちしただけなんだが、総監のフィルターを通ると、とんでもない怪談になって伝わるらしい。

 

「『あの金髪に手を出したら、お前の親族が全員、なぜか交通事故に遭うぞ』くらいは盛ってるかもしれん」

 

小声で呟くと、キルヒアイスは「笑えません」と真顔で返した。

 

中から、副総監の情けない声が続く。

 

「つ、つきましては!この事件の捜査を、ミューゼル……か、閣下に!」

 

「ほら出た、二回目の閣下」

 

思わずニヤニヤしてしまう。あの尊大な金髪の顔面が、今どんな表情になっているかを想像するだけで酒が飲める。困惑と警戒と苛立ちと、ほんの少しの興味が、全部ごちゃ混ぜになった顔だろう。

 

「……私が、ですか?」

 

扉越しに響く声は、いつものよく通る調子だったが、わずかな戸惑いが混ざっているのが分かる。

 

そうだろうとも。昨日までここは腐った権力の巣窟だ!と机ひっくり返しそうな勢いだったのに、その腐った巣窟の幹部が、急に平身低頭でどうかお力をと頭を下げてくるのだ。

 

普通の少佐や中佐なら、状況を理解する前に腰が引ける。だが、あいつはそういうところだけ図太い。

 

「承知いたしました。任務、拝命いたします」

 

きっちりした返事が聞こえた瞬間、俺は思わず親の目線になってしまった。

 

「よしよし、言えたな」

 

「閣下、完全に親御さんの顔ですよ」

 

「俺は、部下には甘いんだよ。自分で言うのもなんだが」

 

キルヒアイスが苦笑する気配が伝わる。こいつも、俺と同じで、あの金髪に弱い。方向性は違うが。

 

中では、副総監がまだ慌てていた。どうやら「全権」とか「期限」とか、色々と条件をつけているらしい。扉越しで細部までは聞き取れないが、「二週間」という単語ははっきり聞こえた。

 

二週間か。

 

「結構ギリギリな日数を投げたな」

 

「ラインハルト様なら、やってのけるでしょう」

 

即答するあたり、本当に信頼しているんだな、と妙なところで感心する。

 

扉にもたれたまま、頭の中でざっと計算した。

 

幼年学校での殺人。被害者はライフアイゼン子爵家の坊ちゃん。時間はすでに数時間経過。現場は貴族の巣、関係者も貴族だらけ。

 

「……面倒度は、上から数えた方が早いな」

 

ラインハルトの性格からして、絶対に妥協はしない。貴族だろうが皇族だろうが、犯人だと思えば容赦なく斬り捨てにいくタイプだ。

 

そして帝都は、そういう正論を嫌うタイプで構成されている。

 

「うん、まあ、手始めとしては悪くない」

 

自分の頬を軽く叩きながら、そんなことを考えた。

 

あいつが本気で帝国そのものに牙を剥く前に、「法」の枠内で暴れ方を覚えさせておく必要がある。コネでも制度でも、使える物は全部使い倒して、なおダメだった時に、初めて刃を抜け。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、閣下は、何を企んでおられるのです?」

 

 横から、実物のキルヒアイスに、同じ疑問をぶつけられた。

 

「企みなんてないさ」

 

即答した。

 

「俺のかわいい後輩が爆発四散しないように、ちょっと風よけをするだけだ。ついでに、手柄を全部持っていかれると悔しいから、近くで少しだけ口を挟む」

 

「やっぱり企んでいるではありませんか」

 

「人聞きの悪い」

 

 そんなやり取りをしているうちに、副総監室のドアが開いた。俺たちは反射的に給湯室の影へと飛び込んだ。中将と中佐が同時に飛び退く姿は、我ながらなかなかのシンクロ具合だ。

 

廊下に出てきたラインハルトは、難しい顔でミュラーと歩きながら話していた。

 

「……あの副総監、どう思う?」

 

「よほど我々に期待しておられるのでは。しかし、あんなに怯えるものでしょうか……」

 

二人は、そんなことを話しながら角を曲がっていった。

 

彼らの背中が見えなくなるのを確認してから、壁から身体を離した。

 

「……キルヒアイス」

 

「はい」

 

「今の聞いたろ。幼年学校で殺人事件。被害者は子爵家。副総監はビビり倒し。どう考えても、面倒ごとの匂いしかしない」

 

「ですね」

 

キルヒアイスがきっぱり言った。こういうとき、この男は本当に頼りになる。

 

「だから決めた。俺たちも、こっそりついていく」

 

「よろしいのですか?」

 

 キルヒアイスの顔に、ぱっと明かりが灯った。ラインハルト関連のことになると、こいつは本当に隠せない。

 

「もちろんだとも」

 

ニヤリと笑った。

 

「ラインハルトが、俺の知らないところで華々しく手柄を立てるのは、ちょっと癪だ。それに――」

 

ここで、俺はこっそりと胸の内を整理した。

 

 幼年学校で殺人。被害者は門閥貴族の子弟。場所は帝都。捜査権を握るのは憲兵隊。少しでも判断を間違えれば、ミューゼル大佐は一瞬で政治の汚泥に沈む。優秀だからこそ、都合よく利用され、いざとなれば切り捨てられる。そういう連中は、掃いて捨てるほどいる。

 

そんなくだらない理由で、死なれたら困る。

 

心の中でぼそりとつぶやいた。

 

「……それにだ」

 

声に出したほうの理由は、もっとお気楽なものにしておく。

 

「母校に、捜査と称して忍び込むのは、純粋にわくわくする」

 

「やっぱりそこが一番なのですね」

 

 キルヒアイスがあきれたように笑った。だが、その目には少しだけ期待も混じっている。真面目に見えて、この男も案外、学生時代の思い出に弱い。

 

「じゃあ決まりだ。俺たちは影の援軍だ」

 

「影の……と言うには、閣下は少し存在感が強すぎますが」

 

「うるさい。じゃあ、半影軍だ」

 

 我ながら適当なことを言いながら、廊下を歩き出した。

 

 

「まずは、ラインハルトに追いつく。キルヒアイス」

 

「はい」

 

「お前の役目は、あいつが自爆しそうになったら、いつものように腕を掴んで止めることだ」

 

「承知しました」

 

「俺の役目は、副総監やら誰やらが妙な圧力をかけようとしたとき、上からドついて黙らせること」

 

「……それは、かなり重要な役割ですね」

 

「だろ?」

 

 ニヤニヤしながら、給湯室の蛇口をひねった。カップに水を入れて、一気に飲み干す。

 

「行くぞ、キルヒアイス」

 

「はい、閣下」

 

 俺とキルヒアイスは、足音を殺して廊下を進んだ。ラインハルトとミュラーの背中を追って。帝都オーディンの幼年学校へ。面倒ごとの匂いしかしない事件の現場へ。

 

 アナとの結婚に必要なのは、元帥の地位と、安定した財政と、政治的な安全圏。それに加えて、将来の有望株を何人か、ちゃんと生き残らせておくこと。

 

その一人が、いま憲兵隊の腕章をつけて、渋い顔で歩いている金髪の青年だ。

 

「……まあ、あいつのことだから、どうせ俺の想定なんか軽々と越えていくんだろうけどな」

 

 

「そのときはそのときだ。上司の仕事は、優秀な部下が好き勝手やった後始末を、さらっと片付けて、ついでに手柄も少しもらっておくことだろ」

 

「……さすがですね、閣下」

 

「褒めてくれて結構」

 

 こうして、俺たちの影の捜査行脚が始まった。

 




ここまでお読みいただき、心より御礼申し上げます。

読者の皆様のご感想は、次の展開の方向性を決める
何よりの指針となります。
アルの立ち位置、ラインハルトとの関係、
事件の空気感、テンポ、ギャグの具合など——
どんな些細なご意見でも、ぜひお聞かせください。

今小分けにしている章を

  • 週1で一気に読みたい(3万字くらい)
  • 毎日小分けでいい(4千字くらい)
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