銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
本来なら暖かい執務室でコーヒーを飲みながら、アナの書いた報告書に赤入れをしつつ、
「帝国の未来とは」などとそれっぽい顔ができる時間帯です。
……なのに彼は、なぜか幼年学校のガキどもと一緒にジャージで走っておりました。
本稿は、「殺人事件捜査のはじまり」のはずが、なぜか「ファルケンハイン中将早朝汗まみれ編」になった記録でございます。
読者諸賢には、どうか温かい飲み物でも片手に、
「この中将、ほんとに元帥になる気あるのか?」
などと笑いながら読んでいただければ幸いです。
アルブレヒトです。
帝都オーディンの冬の早朝、俺の母校、帝国軍幼年学校の点呼場に立たされている。
息が白い。空気が痛い。なんで俺は、こんな時間に、こんな場所で、真新しい訓練服なんか着ているんだ。これは夢だ。悪い夢だ。
いや、残念ながら現実だ。
目の前には、ジャージ姿のガキどもが、びしっと整列している。
その列の先頭に、同じくジャージ姿の、帝国軍中将アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン、二十二歳。
その隣には、幼年学校出身者の鑑、ジークフリード・キルヒアイス中佐。十七歳。
「なんでだあああああああ……」
俺は、凍えた声で小さく叫ぶ。もちろん大声は出さない。威厳があるからな、俺には。
「どうして俺が、このクソ寒い中、ガキどもと一緒に早朝点呼なんか受けてるんだ!?俺は捜査に来たんだぞ!?殺人事件の捜査だぞ!?なんでジャージなんだよ!?」
隣で、キルヒアイスが、やたら冷静な顔で答える。
「シュテーガー校長からの『ご配慮』だそうです、閣下」
「どこが配慮だよ!どこをどうひっくり返せば配慮になるんだよ!」
「『ラインハルト大佐とミュラー中尉は任務中ですが、ファルケンハイン閣下とキルヒアイス中佐は、あくまでも参観でお見えです。ならば、生徒たちの模範となるべく、朝の生活指導からすべてご参観いただかねば』…そう仰っていました」
俺は、遠くの校舎の屋根を見上げながら、心の中で叫ぶ。
あのクソジジイ!!
在学中、いつも貴族の分際で生ぬるいだの門閥のボンボンは根性が足りないだの、やたらと説教してきた、あの教頭が。
いまや校長に出世し、帝国軍幼年学校の王様気取りだ。
なるほど、権力は人を堕落させる。あれが典型例だ。
「俺が在学中は、ただの教頭だったくせに……」
つい口からこぼしたぼやきに、キルヒアイスが小声でツッコミを入れる。
「その罵倒の意図が、いまひとつわかりません、閣下」
「わかれ!俺が偉くなったあとの、年上の出世組はだいたい敵だ!」
「それを隠さず口にするの、やめた方がいいと思います」
キルヒアイスの苦言を、俺は華麗にスルーした。
それどころじゃない。俺の中では、すでに一つの結論が出ている。
「こうなったら、絶対犯人はあの校長だ。間違いない。決定」
「……はあ」
キルヒアイスが、心底疲れたようなため息を吐く。
そのタイミングで、早朝訓練開始のホイッスルが鳴り響いた。
「全員、第一訓練場までランニング、はじめ!」
教官の怒鳴り声と同時に、列が一斉に動き出す。
当然、先頭の俺とキルヒアイスも走らざるを得ない。
「おい、マジかよ……これ、本気で走るの……?」
ぼやいたところで、どうにもならない。
俺は観念して、ガキどもの先頭に立って走り出した。
いや、ここで全力を出したりはしない。
俺の目標は帝国元帥であって、体育会系のバカではない。
ただし、「ヘロヘロの情けない中将」の姿を晒すのも、アルブレヒト様のプライドが許さない。
だから俺は、そこそこ速く、そこそこ余裕そうに見えるペースで走る。
重要なのは実際の体力ではなく、見栄えだ。
軍人にとって大事なのは、七割くらいが外見、三割くらいが中身だ。
後ろから、生徒たちの足音が、ドドドと響いてくる。
まだ声が出ていない。眠いのだろう。
そういうところだけは、昔の俺と同じだ。
「おい!ガキども!!」
走りながら振り返り、大声で怒鳴った。
「声が小さい!そんな覇気のないことで、戦場で生き残れると思っているのか!死ぬぞ!一瞬でミンチだぞ!」
近くを走っていた教官が、ビクっと震える。
「ファ、ファルケンハイン中将閣下……!」
「返事はどうした!『はい!中将閣下!我らはミンチになりたくありません!』くらい言え!」
一瞬の沈黙のあと、列の後方から、恐る恐る声が返ってくる。
「は、はい!中将閣下!我らはミンチになりたくありません!!」
「聞こえん!!」
「「「はいっ!!!」」」
いいね。
まだ声が裏返っているが、やる気が出てきたようだ。
内心ほくそ笑みながら、ちょっとだけペースを上げてやる。
「そこで足が止まる奴は、とりあえず三周おかわりだ!」
「ひぃぃぃ……!」
悲鳴があがる。
だが、走る。
やればできるじゃないか。
……なお、ここだけの話だが。
俺は全力を出していない。
この程度のペースで息が切れるようでは、アナとの稽古で即死する。
生き残るために、日頃からそれなりに体を動かしているのだ。
決して、今日のために鍛えていたわけではない。
横で走るキルヒアイスは、終始、涼しい顔だ。
「さすがですね、閣下。生徒たちの士気が、早朝から最高潮です」
「そうだろう、そうだろう」
息を切らさない範囲でドヤ顔をする。
「俺が本気になれば、この幼年学校くらい、一日で一個師団に変えてやれる」
「それは物理的には不可能です」
「夢を語っているんだ!そこは否定するな!」
後ろでは、生徒たちが勝手に盛り上がっていた。
「あれがファルケンハイン中将か……!」
「伏龍って呼ばれてる人だろ?本物だ!」
「すげえ……中将なのに、俺たちと一緒に走ってる……!」
「中将だからな。本物の変人だ」
おい、最後の奴、誰だ。
後で名前を控えておけ。
卒業してから俺の艦隊に引き抜いてやる。
そういうやつは案外使える。
「見ろ!帝国の英雄が、若者たちの先頭に立って走ってくださっているぞ!」
「ありがたや……!」
いやいや、ありがたがる前に、お前らが走れ。
立ち止まっている教官たちを横目で睨みながら、俺はさらに声を張り上げた。
「いいか!お前たち!」
「「「はいっ!!!」」」
「今、ここで走っているのは、単なるランニングじゃない!」
「「「???」」」
「『人生のめんどくささ』に耐える訓練だ!」
「………………」
誰も返事をしない。
視線だけが「何言ってんだこの中将」という空気を出している。
いいだろう。説明してやる。
「お前たち、覚えておけ!人生の九割は、めんどくさいことでできている!」
「「「……」」」
「朝起きるのがめんどくさい!勉強がめんどくさい!上官に愛想笑いするのがめんどくさい!書類を書くのがめんどくさい!だが、だいたい全部やらないと出世できない!」
「リアルな話ですね、閣下」
キルヒアイスが、苦笑しながら相槌を打つ。
「だがなあああ!」
息を吸い込み、肺が焼けるような感覚を押し殺して叫ぶ。
「その、クソみたいにめんどくさい九割を、なんとか我慢するからこそ!残り一割の、『やりたいこと』を、思いっきりやれるんだ!!」
「「「……!」」」
「その一割のために走れえええええ!!」
生徒たちの足音が、わずかに速くなった。
その一瞬の変化を、俺は見逃さない。
「将来、好きな女を嫁にしたい奴は走れ!」
「「「は、はい!!!」」」
「好きな男を嫁にしたい奴も走れ!」
「「「???」」」
一瞬、妙な空気になる。
だがこの帝国、同性愛は建前上アウトだが、現実にはいろいろとアレだ。
ラインハルトとキルヒアイスを見れば、一目瞭然である。
「好きな相手の性別に文句を言う権利があるのは、本人だけだ!周りは黙ってろ!走れ!」
「「「はいっ!!!」」」
いいぞ。
完全にテンションが上がった。
俺の講話は、だいたいこういうノリで成り立っている。
キルヒアイスが、横目で俺を見てくる。
「……閣下」
「なんだ」
「いまの話、すべてホーテン閣下のためですよね」
「当たり前だろう」
俺は、胸を張る。
「俺は、好きな女を嫁にするために、元帥になろうとしている男だぞ。説得力しかないだろうが」
「説得力のベクトルが、完全に個人的です」
「いいんだよ!国家も軍隊も、結局、誰かの個人的な欲望で動くんだ!」
「それを正直に言う上官、初めて見ました」
◆
「おい!前を見て走れ!足がもつれたら、そのまま隕石の的になって死ぬぞ!」
ついでにガキどもを怒鳴りつけてみる。自分が一番走れていると、説教に説得力が出るのが便利だ。生徒たちはビクッとしながらも、どこか嬉しそうに顔を上げる。
英雄補正というやつだろうか。前線で名前だけ有名になってしまった弊害だな。まあ、どうせなら利用してやる。
とはいえ、先頭だけ走っていると退屈だ。退屈は眠気を呼び、眠気は俺のやる気を根こそぎ奪っていく。そこで俺は、コースの途中でくるっと踵を返した。
「……よし、狩りを始めるか」
後方の方で明らかにペースが落ちている一団を見つける。足音が軽く乱れている。あれは、そろそろ心が折れかけている音だ。
「おーい、そこのヘタレ!」
わざわざ逆走して近づき、肩越しに声をかけると、短髪の少年がビクッと振り返った。
「ひ、ひいっ!ファ、ファルケンハイン中将閣下!」
「名前」
「べ、ベルツであります!候補生ベルツ!」
ああ、ベルツ。覚えがある。父方の遠い親戚筋だ。
「そうだベルツ。お前、うちと血がつながってるよな?」
「は、はい!」
「じゃあそんな情けない走り方をするな。ファルケンハインの名に泥を塗るな。あと三周追加」
「さ、三周!?む、無理であります!」
「無理かどうかは、心臓が止まってから言え。止まっても、医務室までなら俺が担いでやる」
ベルツが半泣きになりながらも足を速めるのを確認してから、俺はまた先頭に向かってダッシュする。すれ違いざまに生徒たちが、尊敬と恐怖をミックスした目でこちらを見る。
「やべえ、また戻ってきた」
「今、逆方向走ってなかったか?」
「え、中将閣下、俺らの倍走ってね……?」
うん、倍どころか三倍くらい走っている自覚はある。あるが、認めたくないので気にしない。
少し前に出て、今度は先頭集団を眺める。真面目そうな黒髪が、無駄のないストライドで走っているのが目に入った。
「ハーゼ!」
呼びかけると、少年がピクリと反応する。こいつが学年首席、ハーゼだ。教官たちがよく俺に引き合いに出していた優等生である。
「はい、中将閣下!」
「首席にしては、足取りがのんびりだな」
「えっ」
「俺の女は、その倍の速度で俺を追ってくるぞ」
「えっ」
短い二回の「え」で、全部察した顔をした。あれは、「え、そういう話?」と「え、こわ」の中間だ。
「朝寝坊した時にな、『朝稽古の時間です』って言いながら、木刀を構えて追いかけてくるんだよ。あいつから逃げるために、俺はこんな足になった。つまり――」
「つ、つまり?」
「将来守りたい相手ができた時、今の足では追いつけないかもしれないぞって話だ。倍速で走れるくらい鍛えておけ」
ハーゼの目が丸くなる。それから、ぎゅっと奥歯を噛みしめてペースを上げた。単純でよろしい。恋バナで釣れるくらいには、まだ根がまっとうなんだな。
さて、次の獲物だ。
「バルブルグ!」
少しふてぶてしい顔の少年が振り返る。三位。シュテーガー校長の孫。ジジイの顔を思い出すだけでテンションが下がるが、孫は孫、別人格だ。
「は、はい!」
「お前、校長の孫だよな?」
「……はい」
なんとなく、周囲の空気がざわつく。本人も身構えている。
「七光りって言われたくないなら、実力で黙らせろ。俺より先にゴールしてみせろ」
「ちゅ、中将閣下より、ですか?」
「そうだ。もしできたら、俺がシュテーガーのジジイに土下座してやる。『御孫様のご指導のおかげで、私はここまで成長いたしました』って、盛大にお世辞を言ってやる」
バルブルグの目がぎらりと光る。あ、やる気スイッチ入ったな。
「……了解しました。やってみせます!」
「よし、その意気だ。俺も本気出すから、覚悟しろよ」
そう言い捨ててから、俺はさらにスピードを上げる。冷たい空気が肺に突き刺さる。喉が焼ける。だが、身体はまだ余裕だ。前線で艦隊指揮しているより、よほど単純でいい。
隣に気配が並んだ。視線だけ横に向けると、キルヒアイスがいた。
「……元気ですね、閣下」
「誰のせいでこんな朝っぱらから走らされてると思ってる。全部シュテーガーのジジイのせいだ」
「いや、そういう意味ではなく……あ、いえ、何でもありません」
「言え。今『楽しそう』とか思っただろ」
「少しだけ」
「訂正しろ。俺は今、心の中で泣きながら走ってる」
そう言いながら、さらに加速する俺。否定すればするほど、キルヒアイスの目が「やっぱり楽しそう」に見えてくるのが謎だ。
後方では、教官の怒鳴り声が響き、生徒たちの足音がどこまでも続いている。懐かしい光景だ。数年前、俺もあの列の中に混ざって走っていた。
あの頃の俺に言ってやりたいな
お前な、将来ここでまた走るぞ。ただし今度は中将の階級章つけて、ジャージで、ガキども煽りながらだぞ。想像もできないだろうな。
「お前らー!あと一周!ここが勝負どころだ!ここでサボる癖をつけると、戦場でもサボるようになるからな!死にたくなければ、今走れぇ!」
声を張り上げると、自分のテンションも少し上がる。単純なものだ。どうせやるなら、全力の方がストレスが少ない。
……それに
心のどこかで、アナのことを考える。俺がこうして真面目に走っていると知ったら、あいつはどんな顔をするだろうか。
『まあ、珍しい。アル様が自ら朝稽古以外で走るとは』
そう言って笑うかもしれない。その笑顔を思い浮かべると、足にもう一段階ギアが入る。
ゴールが近づく。俺は後ろを振り返り、ベルツの生存を確認し、ハーゼのフォームの乱れのなさに感心し、それから――バルブルグを探す。
「お?」
横から風が抜けた。バルブルグが、俺と並んだ。いや、半歩だけ前に出ている。
「やりますね、中将閣下!」
「ほう……言うじゃないか」
ニヤリと笑って、俺もさらに速度を上げる。バルブルグも負けじと食らいついてくる。ゴールテープまで、ほんの数十メートル。ここから先は、体力じゃなく意地の勝負だ。
「七光りなんて言われたくなかったら、そのまま行けぇ!」
「望むところです!」
後ろで生徒たちが「うおおおおお!」と叫んでいるのが聞こえる。完全にただの応援合戦だ。殺人事件の捜査に来たはずなのに、なんで俺は高校球児みたいなことしてるんだろう。
結局、ゴールテープを切ったのは、ほんの指一本分くらい俺の方が早かった。ほぼ同着と言っていい。俺は軽く息を整え、隣で膝に手をついてぜえぜえ言っているバルブルグの頭を、コンと軽く小突いた。
「悪くない。あと一年あれば、簡単に俺を抜けるぞ。期待してる、バルブルグ候補生」
「……はいっ!」
汗まみれの顔が、ぱっと明るくなる。ああいう顔をされると、朝っぱらから走らされた恨みも、少しだけ薄まるから不思議だ。
視線を横にずらすと、シュテーガー校長が腕を組んで満足そうに頷いていた。拍手までしてやがる。
見えるところに立つな、ジジイ。犯人扱いしてるの、今も継続中だからな
心の中でだけ悪態をつきつつ、俺は大きく伸びをした。筋肉が気持ちよく悲鳴を上げる。
「ウォーミングアップとしては、まあ及第点だな」
◆
朝から全力でブチ切れるのもどうかと思うが、この光景を見た瞬間、俺の理性はきれいに吹っ飛んだ。
俺とキルヒアイスは、極寒の早朝から、幼年学校のガキどもと一緒に地獄のランニングをさせられてきた。なのに――
食堂の扉を開けた先にいたのは、優雅にコーヒーを嗜む、金髪の孺子と、目の下にうっすらクマを作った真面目そうな青年、つまりラインハルトとミュラーである。
白いテーブルクロス。焼き立てのパン。香り高いコーヒー。
その真ん中で、ラインハルトは脚を組み、新聞データを片手に、実に上級将校の朝だ。
……こっちは、まだ汗だくのままなんだが?
「貴様らああああああああ!!!」
思わず、肺に残っていた最後の空気を全部使って怒鳴っていた。
食堂中の視線が、一斉にこっちに突き刺さる。
まあ当然だ。帝国軍中将がジャージ姿で、汗だくのまま乱入してくれば、誰だって見る。
ラインハルトが、派手に肩を跳ねさせた。
「な、なんだ、ファルケンハイン! 朝から騒々しいぞ!」
「騒々しい、じゃねえ!」
ずかずかと歩み寄り、テーブルを挟んで金髪の孺子を指さした。
「なぜ! お前らだけが! 優雅に朝食を食っているんだ!」
「俺は! 俺とキルヒアイスは! あのシュテーガー校長のジジイのせいで、早朝から地獄のランニングをさせられてきたんだぞ! 氷点下の中、息も白くなる時間から! 点呼! 号令! 校庭十周! 坂道ダッシュおかわり付きだ!」
隣で、やはりジャージ姿のキルヒアイスが、苦笑いを浮かべつつ一礼した。
「おはようございます、ラインハルト様、ミュラー中尉。地獄のランニング、でしたね」
「お前も苦笑いでまとめようとするな、キルヒアイス!」
さらにまくし立てる。
「こっちは校長に『せっかくのご機会ですので、生徒たちの模範として生活指導からすべてご参観いただきたい』とか言われてな!朝四時半起床!五時点呼!そのままランニングだ!なのにお前らは何だ、そのトーストは!そのふわふわのスクランブルエッグは!」
ラインハルトは一瞬きょとんとしたが、すぐに眉間に皺を寄せ、やや呆れた声を出した。
「……知らん。私とミュラーは、通常の呼び出し時間に合わせてここに来ただけだ。誰も『早朝ランニングに参加せよ』などと言っていない」
「それが不公平だと言っている!」
机を叩きたい衝動を必死に抑えながら、俺は力説した。
「いいか! 俺は今、幼年学校の生徒たちの前で、汗だくになりながらこう言ってきたんだ。『お前ら、覇気がないと戦場で一瞬でミンチだぞ!』とな!しかも俺自身、周回遅れになりかけている奴のところまで逆走して、耳元で怒鳴り散らしてから、また先頭までダッシュするという、完全な自傷行為をくり返してな!」
ここまで言って、さすがに自分でも「やりすぎたな」と思った。
だが、ミュラーの反応は、俺の予想外だった。
「そ、そんなことを……中将閣下が、直々に……」
彼は目を丸くし、尊敬と恐怖と同情が混ざったような表情になっている。
おい、同情するな。泣きそうな顔をするな。
ラインハルトは腕を組み、じっと俺を見上げてきた。
「……ファルケンハイン。貴官、一応聞くが、そのランニングに参加したのは、自主的なものか?」
「誰が好き好んでやるか!」
「ならば、被害者面をする権利は、半分だけ認めよう」
「ケチな裁定だな!」
そんな他愛のない言い合いをしていると、周りで朝食を食べていた幼年学校の教官たちが、そわそわと席を立ち始めた。
中将と大佐がジャージ姿で怒鳴り合い、そこに中佐と中尉が控えているのだ。
端から見れば、とんでもなく物騒な光景かもしれない。
キルヒアイスが、空気を読んでか、穏やかな声を出してくれた。
「ファルケンハイン閣下。お気持ちはわかりますが、まずはお座りになっては。冷めた食事では、怒りも治まりません」
「……そうだな」
咳払いをしてから、ラインハルトたちのテーブルの向かい側に腰を下ろした。
その瞬間、近くにいた給仕が、慌てて俺の前にも朝食を並べてくる。
パン。卵。ソーセージ。サラダ。コーヒー。
……うむ。見た目だけは、実に優雅だ。
問題は、俺の身体が、その「優雅」という言葉とは真逆の状態であることだ。
「キルヒアイス、お前も座れ」
「はい」
二人してドカッと座ると、椅子がギシッと鳴いた。
背筋に残る汗が、やけに冷たく感じる。
とりあえず、カップを手に取り、コーヒーを一口。
「……ああ。うめえ」
ラインハルトが、呆れたような目でこちらを見ている。
「そんなに不公平だと言うなら、最初から参加しなければよかったのではないか?」
「俺だってそうしたかったわ!」
即答してから、少しだけ声を落とす。
「だがな。シュテーガー校長のジジイが言ったんだよ。『せっかくファルケンハイン中将殿がいらっしゃるのだから、生徒たちに本物を見せてやりたい』とな。そこで俺が『いやです。寝てます』と答えたら、どうなる?」
ラインハルトは一瞬黙り、それから小さく鼻を鳴らした。
「……確かに、面倒なことになりそうだな」
「だろう?」
パンをかじりながら、肩をすくめる。
「それに、あのガキどもが、思いのほか頑張るのが見えてな。周回遅れになりそうな奴も、歯を食いしばってついてきてた。ああいうのを見ると、つい口が出る。『おい、もっと走れ』『俺がついてるからついてこい』ってな」
「そういうのを見てしまうと、途中で抜けるのが逆にムカつくんだよ。せめて最後まで付き合ってやるか、という気になってな」
「……それで、あの速度で全員を煽りながら走られたのですか」
「煽るとは人聞きが悪いな。教育的指導だ」
「どちらにせよ、『伏龍のファルケンハイン』が先頭で走れば、生徒たちの士気は上がるでしょうね」
「そう言っておけ。あのジジイに伝えておけよ。『おかげさまで、生徒の士気は天井知らずです』とな」
ラインハルトが、腕を組んだまま、じっとこちらを見据えてきた。
「……それで、だ」
「なんだ」
「勝手に朝から走らされておいて、その八つ当たりで、なぜ我々まで巻き込もうとする」
「当然だ」
パンをコーヒーで流し込み、きっぱりと言い放つ。
「明日からは、お前らも強制参加だ。俺の命令だ。わかったな」
「理不尽だ!!」
ラインハルトの叫びが、食堂に響き渡る。
周りの教官や生徒たちが、こっそりとこちらを盗み見ているのがわかった。
――うん、わかる。理不尽なのは自覚している。
だが、それでも言わせてもらおう。
「よく考えろ、金髪の孺子」
指を一本立て、真面目そうな顔を作る。
「お前は今、憲兵隊で『帝都の風紀改善』という、実に地味で面倒な任務をやらされている。だが、その実績は、将来、お前が何かを変えようとした時の立派な武器になる。違うか?」
「……それは、否定しない」
「ならば、幼年学校のガキどもにも、今のうちから『本物の軍人』を見せておくべきだ。中将と大佐が一緒に早朝ランニングしてくれるなんて、そうそうないぞ?『あの時、一緒に走ってくれた人が将来の上官だった』なんて話、士官どもの酒の肴としては最高だ」
ミュラーが、ぽんと手を打った。
「確かに……!自分が生徒の立場なら、一生の思い出になります」
「だろ?」
俺はさらに畳みかける。
「それに、お前にとっても悪い話じゃない。『ひ弱な貴族様』みたいなイメージを持っている連中もいるんだぞ。そこへ、『金髪のミューゼル大佐が、ジャージ姿で朝から校庭を駆け回っていた』という目撃証言が山ほど増える。これほど手っ取り早いイメージ戦略があるか?」
ラインハルトは、露骨に嫌そうな表情をしながらも、完全には否定できない顔になっていく。
キルヒアイスが、静かに背中を押した。
「ラインハルト様。たまには、朝から体を動かされるのも、悪くないのでは」
「……キルヒアイス。お前まで私を裏切るのか」
「裏切りではありません。健康管理です」
くすり、と笑うキルヒアイス。
ああ、こいつ、本当にラインハルトの扱いが上手いな。
「というわけで、決まりだ」
「明日の朝五時、点呼場に集合。服装は今日の俺と同じジャージ。もちろん、お前には先頭を走ってもらう。『銀河の宝』が、ガキどもと一緒に汗を流してくれるんだ。ありがたく思えよ?」
「誰がそんなことを……」
ラインハルトが反論しかけたところで、食堂の入り口から聞き慣れた声が飛んできた。
「おや、これはこれは。ファルケンハイン中将殿に、ミューゼル大佐、それにキルヒアイス中佐とミュラー中尉まで。豪華な顔ぶれですな」
振り向くと、シュテーガー校長が、いかにも今来ましたという顔で立っていた。
「本日の朝の生活指導では、誠にご協力ありがとうございました、中将閣下。生徒たちも、大変感銘を受けておりました。もしよろしければ、明日以降も、ご協力を……」
「聞いたな、金髪」
にやりと笑ってラインハルトの肩を叩いた。
「校長自らのご指名だ。帝国軍人として、期待に応えないわけにはいかないよな?」
ラインハルトは、天井を仰いだ。
「……理不尽だ」
だが、その声には、先ほどほどの怒気はなかった。
ミュラーが、どこかあきらめ半分、楽しみ半分という顔になる。
「明日は、目覚ましを二つ用意しておきます」
「やめろ、ミュラー」
まだ温かいパンをもう一つ口に放り込みながら、内心でニヤニヤしていた。
――よし。これで、あの金髪のワーカーホリックも、少しは「生徒の顔」を正面から見ることになるだろう。
ああ、実に教育的だ。
……俺の睡眠時間が削られる以外は、完璧なプランだな。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本来はもっとシリアスに帝都幼年学校殺人事件の幕開けを書く予定だったのですが、
気づけばジャージ姿で叫んだり走ったり、怒鳴ったり世話焼いたりと、作者も中将も迷走しております。
読者の皆さまの 「ここが好き」
「ここ笑った」
「ここで吹いた」
「ラインハルト頑張れ」
などの感想が、次の章の燃料になります。
ぜひ気軽にコメントをいただければ嬉しいです。
今小分けにしている章を
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週1で一気に読みたい(3万字くらい)
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毎日小分けでいい(4千字くらい)
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毎日なら文字数気にしない