銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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読者の皆さまへ。
本作は「銀河英雄伝説」の壮大な世界観の片隅に、なぜか俗物で情けない少年伯爵が紛れ込んだら……?という発想から始まった喜劇です。
アルブレヒト・フォン・ファルケンハインは、美味しいご飯と美女と安楽な生活を夢見るただのボンボン。しかし彼の周囲は勝手に誤解し、勝手に持ち上げ、気づけば「宿敵」「英雄」「寡黙な騎士」などと祭り上げてしまいます。
今回はラインハルト&キルヒアイスとの腐れ縁が描かれ、さらに士官学校・最前線と、アルの受難はエスカレート。
彼がどんなに足掻いても「俗物の夢」は遠ざかるばかりですが、だからこそ笑えるし、時に共感すらしてしまう――そんな一編をお届けします。


好敵手は金髪チビ、そして次は戦場です

医務室のベッドでふんぞり返っていた俺は、正直ちょっとした王様気分だった。枕はふかふか、隣にはアナが静かに本を読んでいて、俺が「喉が渇いた」と言えばすぐに水を差し出してくれる。これで食後にプリンさえ出てくれば、完璧な入院ライフだ。まあ、顔は殴られてボコボコで、動くたびに全身が痛むんだが、それすらも「英雄の勲章」みたいに思えてくる。実際はただの喧嘩負けだという事実は、銀河の彼方に放り投げておくに限る。

 

そんな俺の部屋に、空気を乱す奴らが現れた。扉がノックされ、入ってきたのは昨日の赤毛と、その隣に並ぶ金髪。そう、俺を殴った張本人、ラインハルト・フォン・ミューゼル。俺にとっては「金髪の暴力孺子」である。

 

赤毛は妙にピシッとした態度で俺に向き直ると、深々と頭を下げた。

 

 

 

まあ、赤毛はいい奴だ。昨日からずっと礼儀正しいし、態度も誠実だし、俺の器の大きさを引き立てる良い引き立て役だ。問題は隣の金髪。こいつが昨日、俺を殴ってアナを侮辱した張本人。あの時の怒りを思い出すだけで拳が震える。

 

すると金髪が一歩前に出て、ぎこちなく口を開いた。

 

「……ファルケンハイン上級生。そして……ホーテン嬢。昨日は、私の不行き届き、まことに申し訳な……」

 

謝罪を最後まで言わせる前に、俺は勢いよく腰を上げて、ベッドの上から見下ろす形で言ってやった。

 

「はっ!わかったか、金髪の孺子め!下級貴族の帝国騎士ごときが、ファルケンハイン伯爵家に逆らうなど百年早いのだ!俺のアナに二度と馴れ馴れしい口をきくな!」

 

完璧なセリフだった。医務室にいた全員の空気がピキッと凍りつくのを感じた。よしよし、これで俺の威厳は回復だ。昨日のボロ負けも、この一言で帳消しにできる。……と、思った瞬間。

 

金髪の額に青筋が浮かんだ。やばい、怒ってる。

 

「……今の言葉、取り消せ」

 

「なんだと?聞こえなかったのか?この伯爵様が直々に言ってやったんだぞ」

 

俺がさらに煽ると、金髪は拳を握り締めた。

 

「もう一度、殴られたいらしいな!」

 

「上等だ!昨日のようにはいかんぞ!」

 

言いながらも内心では冷や汗が止まらない。昨日の俺は気合と怒りで一瞬だけパワーアップしていた。今日は?ただの二日目の筋肉痛持ちだ。つまりハッタリである。

 

だが俺はファルケンハイン家の跡取り、引くわけにはいかない。ここでビビったらアナに情けない姿を見せることになる。アナはすでに本を閉じ、薄い笑みを浮かべながら「またですか」という顔をしている。あれは完全に「どうせ負けるんでしょう」という目だ。くそ、負けるわけにはいかん!

 

ラインハルトが一気に踏み込んできた。反応する暇もなく、拳が俺の顎にクリーンヒットした。

 

ガツン!という音が頭の奥で響いたかと思うと、視界がグルングルン回る。気合も怒りもどこかに吹っ飛んで、俺はベッドに逆戻り。白目をむいてそのまま気絶した。

 

……目が覚めたのは数分後だったらしい。意識を取り戻した時には、ラインハルトがぽかんと立ち尽くしていて、その隣で赤毛とアナが同時に深いため息をついていた。

 

「……なんだ、こいつは。昨日の気迫はどこへ行った……」

 

ラインハルトの呟きが聞こえた。いや、俺だって昨日の自分が怖いくらいだよ!あれは奇跡の一瞬だったんだ!毎回発動できるもんじゃない!

 

そして目に飛び込んできたのは、赤毛とアナが互いに視線を交わし、同時に頭を下げている姿だった。

 

「うちの主人が、大変申し訳ありません……」

 

おい待て。なぜお前らが揃って謝るんだ。俺が被害者だぞ?俺が殴られたんだぞ?なんで俺が「恥ずかしい飼い主」みたいに扱われてるんだ。

 

俺はふらつきながら上体を起こして叫んだ。

 

「ちょっと待て!俺は被害者だ!悪いのはそこの金髪だ!なぜ俺まで謝られる側になってる!?」

 

しかし誰も聞いちゃいなかった。ラインハルトは勝手に「相手にならん」とかつぶやいて部屋を出て行くし、赤毛はその背中に慌ててついて行くし、アナは「アル様、静かに横になってください」と淡々と俺をベッドに押し戻すし。

 

「お、おいアナ!俺は負けてない!ちょっと不意を突かれただけだ!あの金髪は俺を恐れて逃げたんだぞ!」

 

「はいはい。そういうことにしておきましょう」

 

……くそぉぉぉ!なぜだ!俺は間違ってない!俺は正しい!俺は伯爵家の跡取りで、将来は銀河一のハーレムを築く男だ!それなのにどうしてこう毎回、情けない姿をさらす羽目になるんだ!

 

俺は枕に顔を押しつけながら心の中で叫んだ。いいか金髪、次こそは叩きのめしてやる!……たぶん!

 

 

 

 

 

 

 

 

あの金髪との殴り合いからというもの、俺の学校生活はとにかく騒がしくなった。いや、正確に言うと「俺は平穏に過ごしたかったのに、あっちが勝手に絡んできた」というのが真実だ。だが周囲のやつらは「ファルケンハイン伯とミューゼルは好敵手だ」だの「二人の因縁だ」だのと、いちいち大げさに祭り上げる。バカか。俺はただ平和に昼寝して、飯食って、アナとイチャイチャしていたいだけだ。

 

それなのに金髪はとにかく何かにつけて俺を挑発してくる。「ファルケンハイン、お前は臆病者だろ」とか「また情婦に尻を叩かれているのか」とか。こっちだって黙ってやられるわけにはいかんから言い返す。「お前の姉ちゃんを返せって皇帝陛下にお願いしてみたらどうだ?」とか「背伸びしないと棚の一番上に手が届かないのは大変だな」とかな。結果、俺と金髪は毎日のように言い争いを繰り返す羽目になった。

 

ただし、殴り合いは滅多にしなかった。俺が本気を出せばアイツなんてイチコロだし、逆に手加減を誤れば命に関わる。だから代わりに、どうでもいい勝負で決着をつけるのだ。

 

ある日の昼食時。

 

「ファルケンハイン!今日こそ俺がお前に勝つ!」

 

食堂のテーブルにずらりと並んだのはパン十個とスープ二杯。それを前に、金髪がギラギラと目を光らせていた。

 

「ふん、貴様ごときに俺の食欲が止められるかよ。見せてやる、伯爵家直伝のフードファイト魂をな!」

 

要するに、大食い競争である。いや、もっと気高い勝負にしろよ。周囲の生徒も「また始まった」と言いたげに遠巻きに見ている。審判役を引き受けているのはもちろんアナだ。

 

「では……用意、始め」

 

俺と金髪は同時にパンにかぶりついた。ガツガツと口に詰め込む俺。意地になってスープを一気飲みする金髪。結果?俺の勝ちだ。なぜならパンをこっそりアナの皿に移していたからだ。

 

「……ファルケンハイン、パンが減るのが早すぎる!卑怯だ!」

 

「勝負は勝負だ。伯爵家の知恵を甘く見るな!」

 

……もちろん不正はアナにバレていた。「アル様、後で反省会です」と冷たく告げられた時の背筋の寒さは、正直ラインハルトに殴られるより恐ろしかった。

 

また別の日。

 

「ファルケンハイン!三次元チェスで決着をつけよう!」

 

「望むところだ!俺の知略を思い知れ!」

 

寮の娯楽室で、俺と金髪は三次元チェスの盤を挟んで睨み合っていた。ルールは複雑だが、要は頭脳戦だ。俺は貴族の子息として、家庭教師から叩き込まれた知識を総動員して戦った。

 

結果?やっぱり負けた。理由は簡単だ。俺は途中で眠くなってうっかり寝落ちしたのだ。

 

「おいファルケンハイン!今寝てただろ!」

 

「な、何を言うか!これは深遠なる思考の結果だ!瞑想だ!」

 

「駒を三つ同時に落としたのはどう説明する!」

 

……あの時の周囲の爆笑は今でも忘れない。

 

さらにまた別の日。

 

「ファルケンハイン!ドミノ倒しだ!」

 

「よかろう!美的感覚でも俺の方が上だと証明してやる!」

 

寮の廊下に延々と並べられるドミノ。俺と金髪はそれぞれチームを率いてド派手なドミノアートを作り上げた。だが完成直前、俺がくしゃみをしたせいで俺のチームのドミノが全部倒れ、惨敗。

 

「く、くそっ……俺は悪くない!この季節の花粉が悪いんだ!」

 

「負けは負けだ!情婦に慰めてもらうがいい!」

 

「言ったな金髪!アナを侮辱するな!」

 

そしてまた取っ組み合いの喧嘩に発展する。結局、俺とラインハルトの勝負は常にこんな調子だった。

 

だが、周囲から見れば俺と金髪はまるで腐れ縁のようで、いつしか「悪友」扱いされるようになった。俺は心底嫌だったが、アイツもまんざらでもなさそうにしているのが腹立つ。

 

アナに愚痴をこぼすと、彼女は淡々と本を閉じて言った。

 

「真相は、アル様が絶妙にラインハルト様の癇に障る挑発をしたり、逆にラインハルト様が分かりやすい挑発をアル様にするので、そのたびに仲の悪い兄弟のように喧嘩していただけですね」

 

「誰が兄弟だ!あんな金髪チビと一緒にされるなど心外だ!」

 

「張り合う内容も、食堂での大食い競争とか、娯楽室でのドミノ倒しとか、三次元チェスとか……実にくだらないことばかりでしたね」

 

「う……!そ、それはだな!殴り合いだと、アイツはまだ体が小さいから、俺が本気を出すと可哀想だろうが!ハンデだ、ハンデ!」

 

「ボコボコにされるのは、いつもアル様の方でしたけどね」

 

「うるさいわ!」

 

こうして俺と金髪の不毛な戦いは、周囲を巻き込みながら続いていった。俺はただ静かに暮らしたいだけなのに、なぜか毎日「宿敵」として扱われる。銀河の理不尽は、幼年学校の時点ですでに始まっていたのだ。

 

 

 

 

 

(ラインハルト視点)

 

俺の人生において、最も屈辱的な時間のひとつを挙げろと言われたら、この瞬間だろう。

俺はキルヒアイスに腕をつかまれ、ずるずると医務室の廊下を歩かされていた。まるで悪さをして教師に引きずられる生徒そのものだ。いや、実際そうなんだが。

 

「ラインハルト様。いいですか。昨日の件、どう責任を取るつもりなんです」

 

「責任も何も、あの俗物が悪いんだ!貴族のくせに女を盾にして、俺を挑発したんだぞ!」

 

「挑発に乗ったあなたが悪いんです。しかも女性を侮辱した。あれは駄目です」

 

「……むぅ」

 

俺は言葉に詰まった。なぜかというと、キルヒアイスが言っていることは全面的に正しいからだ。俺はあの無能な伯爵野郎の女――いや、あのホーテン嬢とかいう娘に対して、とんでもなく下品な言葉を吐いたのだ。正直、今思い出しても冷や汗が出る。

 

しかも俺は貴族の腐敗を憎んでいるのに、自分自身が一番腐った態度をとっていたという皮肉。……あー、もう、思い出したくない!

 

「ラインハルト様。せめて謝罪を」

 

「……くっ。キルヒアイス、お前がそう言うなら仕方ない」

 

俺は渋々頷いた。謝罪だ。俺が、あの伯爵風情に謝罪だ。なぜここまでの辱めを受けなければならないんだ。

 

――そうして医務室に入ると、ベッドの上で偉そうにふんぞり返る伯爵がいた。頬に青あざを作ってはいるが、態度だけはやたらとデカい。その横では、例のホーテン嬢が本を読んでいる。

 

「……ファルケンハイン上級生。そして……ホーテン嬢。昨日は、私の不行き届き、まことに申し訳な……」

 

俺が頭を下げかけた、その瞬間。

 

「はっ!わかったか、金髪の孺子め!」

 

伯爵が、ドヤ顔で吠えた。

 

「下級貴族の帝国騎士ごときが、ファルケンハイン伯爵家に逆らうなど100年早いのだ!俺のアナに二度と馴れ馴れしい口をきくな!」

 

……。

 

俺は拳を握りしめた。頭の血管がプチッと切れた音がした。

 

「……今の言葉、取り消せ」

 

「なんだと?聞こえなかったのか?この伯爵様が直々に――」

 

「もう一度、殴られたいらしいな!」

 

「上等だ!昨日のようにはいかんぞ!」

 

昨日のようにはいかん?ふざけるな。昨日の俺はまだ手加減していたんだ。本気の俺を知らしめてやる!

 

俺はすかさず踏み込み、顎めがけて拳を突き上げた。

 

――ズドンッ!

 

いい音がした。伯爵の顎が跳ね上がり、白目をむいたかと思うと、そのままベッドに沈んだ。

 

……終わった。

 

あまりに一瞬すぎて、俺は呆然と立ち尽くした。昨日の気迫はどこへ行った。あの時の「アナを侮辱する奴は許さん!」という鬼気迫る迫力はどこへ消えたんだ。今日のはただの木偶人形だぞ。

 

「……なんだ、こいつは」

 

俺が思わず漏らした言葉は、それだけだった。

 

すると、横にいたホーテン嬢とキルヒアイスが、まるで示し合わせたかのように同時にため息をついた。そして二人して俺に向かって頭を下げた。

 

「うちの主人が、大変申し訳ありません……」

 

……いや、ちょっと待て。なんで俺が悪いみたいな空気になってるんだ。殴ったのは確かに俺だが、原因を作ったのは間違いなくあの伯爵だろ!なんで俺が二人の家臣から「申し訳ありません」と言われなきゃいけないんだ!

 

「ちょ、ちょっと待て!なんでお前らが揃って謝るんだ!」

 

「私の主がすぐにカッとなるのが悪いのです」

 

「私の主人がいつも偉そうなのが悪いのです」

 

……え、何これ。どっちも俺のせいってこと?俺が悪いの?おい!

 

俺は頭を抱えた。銀河帝国の理不尽を憎んでここまで来たが、目の前のこの状況こそ最大の理不尽じゃないか。

 

こうして俺の「謝罪作戦」は、謝罪を言う前に終わった。代わりに俺が二人から「またすみません」と謝られる、意味不明な茶番で幕を下ろしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時の俺はまだただの金髪ガキだった。いや、本人は至って真剣に「帝国を変える」と息巻いていたわけだが、周囲から見ればただの反抗期の子供だ。

 

そんな俺の前に立ちはだかったのが――いや、正確に言うと立ちはだかるどころか、無駄に視界に入ってきて俺の神経を逆なでする存在がいた。

 

アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン。

 

門閥貴族の典型。取り巻きに飯を運ばせ、試験の答案はなぜか妙に高得点。横には常に女――ホーテン嬢――を侍らせている。おまけに本人は「俺様は謙虚である」とか言いながら、会話の七割が自慢話だ。

 

正直、ああいう男が一番嫌いだ。いや、嫌いどころか、存在していること自体が俺の正義感を刺激する。

 

俺が帝国の腐敗を憎むなら、アルブレヒトはその具現化だった。

 

だから、ついつい絡んでしまうのだ。

 

……と言うと、俺が悪者みたいだが、実際はあいつの方から挑発してくる場合も多い。

 

ある日の昼食時のことだ。

 

俺が食堂でパンをかじっていると、アルブレヒトが取り巻きに囲まれて豪勢なランチを食っていた。ステーキに山盛りポテト、デザートのプリンが三つ。

 

「おい金髪。貧民食のパンだけか?可哀想になあ。俺様の余り物を分けてやろうか?」

 

……聞いた瞬間、パンを握りつぶしていた。挑発の才能にかけては、あいつは天才かもしれない。

 

「要らん!俺はお前の残飯を食う犬ではない!」

 

「ふん、犬以下がよく吠える」

 

「何だと!」

 

結局その日、俺はアルブレヒトと大食い競争をする羽目になった。俺はパンを山ほど食べ、アルブレヒトはプリンを山ほど食べ、二人揃って医務室に運ばれた。

 

……何をやっているんだ俺は。

 

別の日には娯楽室で三次元チェスをやった。

 

「ふふん、見ろ金髪。俺の知略の前ではお前など赤子同然よ!」

 

「言ってろ!詰みは俺の方が早い!」

 

その言葉通り、俺は完璧に勝てるはずだった。だが――

 

「おっと、駒を落としてしまったな。あー、仕方ない、今の一手はノーカウントだ」

 

「ずるい!」

 

「ふふん、貴族は常に裁定者なのだ」

 

その瞬間、盤ごとひっくり返した。後で教官にこっぴどく怒られたが、あの時の俺はどうしても我慢できなかった。

 

さらに別の日。

 

校庭で訓練用の模擬剣を振っていた時だ。

 

「金髪、遅いぞ!その剣では俺のアナの笑顔は守れん!」

 

「アナの笑顔を守るのはお前じゃなくて俺の勝手だろ!」

 

なぜか俺が「アナスタシアを守る」みたいなことを口走ってしまい、キルヒアイスに全力で止められた。いや、本当に何をやっているんだ俺は。

 

……とにかく、こんな調子で毎日が戦いだった。いや、戦いというより、子供のじゃれ合いの延長かもしれない。

 

でも一つだけ言える。

 

俺はあの男に負けたくなかった。

 

理屈では説明できない。ただ、奴の鼻持ちならない態度を見ると、どうしても「こいつだけには勝ちたい」と思ってしまうのだ。

 

俺は下級貴族の子供。奴は門閥貴族のお坊ちゃま。どちらが帝国の未来を担うべきか――答えは明白だ。俺だ。

 

……なのに、なぜか俺の方が毎回キルヒアイスに叱られる。

 

「ラインハルト様。どうして毎回あの人に挑発されてしまうんですか」

 

「挑発に乗っているわけじゃない!俺は正義を貫いているだけだ!」

 

「正義がプリン早食い競争なんですか」

 

「……ぐっ」

 

その横でホーテン嬢が無表情で紅茶を飲んでいるのがまた腹立たしい。

 

「アル様は今日も立派でしたよ」

 

「そうだろうそうだろう!」

 

「立派にプリンを七個食べて倒れましたね」

 

「うるさい!」

 

俺は机を叩いた。

 

ああ、もう!なぜだ!なぜ俺は毎回こうやってこいつらに振り回される!

 

……だが、不思議と悪くなかった。

 

毎日がくだらない勝負で埋め尽くされると、俺の心の中の重苦しい怒り――姉が後宮に奪われたあの理不尽――が、少しだけ薄らぐのだ。

 

だから、気づけばあの伯爵を探している自分がいた。

 

本当に、認めたくはないが――

 

アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン。

 

あいつは俺にとって、初めての「好敵手」だった。

 

 

 

 

 

(アル視点)

 

ついにこの日が来た。卒業式だ!俺は壇上で卒業証書を受け取りながら、心の中でガッツポーズを決めていた。ああ、長かった。地獄のような幼年学校生活。鬼教官の説教、筋肉バカどもの無駄に熱い友情、そして毎日のように俺をボコりに来る金髪チビ。あの悪夢のような日々とも今日でおさらばだ。これからは領地に戻ってアナと一緒に優雅な日々を過ごすのだ。朝はメイドたちに囲まれてブランチ、昼は狩り、夜は舞踏会。いや、毎晩が舞踏会。違う、毎晩が酒池肉林!ハーレム!人生イージーモード!

 

式が終わって、皆が記念撮影だの恩師に感謝だのと涙ぐんでいる中、俺はにやにやが止まらなかった。だって俺は自由になるんだぞ?こいつらとは違う。もう二度と銃を持たなくていいし、腹筋百回もしなくていい。俺は勝ち組だ!

 

「若様」

 

後ろから聞き慣れた声がした。振り返ると、ファルケンハイン家の執事が立っていた。俺の家の古株で、祖父の代から仕えているじいさんだ。俺は思わず笑顔を浮かべた。

 

「おお、わざわざ来てくれたのか!卒業祝いか?領地に帰ったら宴会だな!」

 

じいさんは恭しく頭を下げ、一枚の封筒を差し出してきた。

 

「旦那様と先々代様からの贈り物にございます」

 

おお!これは絶対金か宝石か、それとも豪邸の鍵か!?俺の未来がついに本気を出したか!?俺は震える手で封筒を破り、中身を取り出した。

 

……白い書類。

 

……見慣れた公式印。

 

……「帝国軍士官学校 入学許可証」

 

俺はその場に崩れ落ちた。

 

「……」

 

視界がぐるぐる回る。俺の頭は真っ白になった。いや、真っ黒かもしれん。とにかく色が消えた。俺は完全に理解した。これは罠だ。俺の家族ぐるみの壮大な罠だ。

 

「……どういうことだ」

 

執事は涼しい顔で答える。

 

「先々代様が仰せでした。『あの馬鹿を放っておいたら女に溺れて骨抜きになる。士官学校で軍人としての矜持を叩き込め』と」

 

……じい様あああああああああああ!!!!

 

俺は地面に突っ伏して叫んだ。なぜだ。なぜ俺の自由はこんなにも短いのだ。せっかく地獄を卒業したというのに、なぜ次の地獄への切符を渡されるのだ。ふざけんな、帝国。

 

そのとき、背後から涼しい声がした。

 

「おめでとうございます、アル様。次は士官学校ですね」

 

振り返ると、アナが立っていた。手には分厚い参考書。顔にはいつもの無表情。

 

「……アナ」

 

「幼年学校より課題が増えますから、今のうちに勉強を始めましょう」

 

「始めません!」

 

俺は涙目で叫んだ。

 

「俺は卒業したんだ!もう十分勉強した!努力した!筋肉もつけた!アナに毎晩無茶振りされて死ぬほど鍛えられた!なのに、なぜまた学校に行かなきゃならん!」

 

「それがファルケンハイン家のご意向だからです」

 

「ちくしょうおおおおお!」

 

俺は天井を仰ぎ見て吠えた。これが絶望か。これが運命か。いや、違う。これは嫌がらせだ。

 

翌日から俺は泣く泣く士官学校に通うことになった。周りは真面目な軍人志望ばかり。俺は完全に浮いていた。教官たちも厳しい。幼年学校以上に地獄。だが唯一の救いはアナが隣にいたことだ。

 

最初の成績発表の日。俺は祈るような気持ちで掲示板を見上げた。

 

――首席、アナスタシア・ヴァン・ホーテン。

 

――七位、アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン。

 

俺は固まった。

 

「……七位?」

 

そうだ、七位だ。幼年学校では六位だったのに、一つ下がった。

 

横でアナが静かに言った。

 

「一つ順位を下げましたね、アル様」

 

俺は顔を引きつらせ、しばらく黙ってから、ぽつりと答えた。

 

「……………………ごめんなさい」

 

なぜ俺が謝っているんだ。なぜ俺が敗北を認めているんだ。でも、アナの前だと勝てる気がしない。俺の全てを見抜かれている。

 

 

 

 

 

 

 

士官学校を卒業したその日、俺はようやく長かった受難の日々から解放されると思っていた。幼年学校から始まり、地獄みたいな勉強漬けの毎日。鬼のような教官に怒鳴られ、アナに毎晩勉強を強制され、同級生たちからは「伯爵様」だの「無能貴族」だの呼ばれて散々だった。卒業したらさすがにゆっくりできるだろう、と俺は信じていた。信じていたんだ。

 

卒業式を終えて、俺は自分の未来図を鮮やかに思い描いていた。領地に帰ったら大広間で宴会を開く。酒は高級品、料理は肉中心、デザートはプリン食べ放題。そして俺の両隣にはアナと、あと適当に集めた美女軍団。昼間は狩りをして、夜は舞踏会。寝る前には風呂に薔薇の花びらを浮かべて、ぐっすりと眠る。完璧だ。これが貴族の人生だ。ここまで頑張った俺へのご褒美に違いない。

 

そんな甘い妄想を胸に抱きながら実家へ戻ると、玄関ホールで父上と祖父様が待ち構えていた。俺は「おお!やっと褒めてもらえる!」と胸を張って歩み寄った。ところがだ。

 

「アルブレヒト」

 

父上の低い声。

 

「お前のために用意した『お祝い』がある」

 

嫌な予感しかしない。俺はおそるおそる問い返した。

 

「お、お祝い……ですか?酒?金?それとも別荘?」

 

祖父様は鼻で笑った。

 

「貴様には最前線での勤務命令を授ける」

 

俺はその場で膝から崩れ落ちた。

 

「最前線!?いやいやいや!待ってください!俺は優雅に生きるために頑張って卒業したんですよ!?なぜわざわざ死地に送るんですか!?」

 

祖父様はご満悦の顔で言い放った。

 

「若いうちに戦場で汗を流し血を吐かねば、本物の軍人にはなれん!貴様の性根を叩き直す絶好の機会だ」

 

「いや俺、軍人になりたいなんて一度も言ってませんけど!?貴族として優雅に暮らしたいって何度も言ったはず!」

 

父上までニヤリと笑う。

 

「安心しろ。最前線には補給も薄く、娯楽も少ない。お前のような軟弱者には最高の環境だ」

 

最高じゃない!最悪だ!

 

俺は必死に抵抗した。土下座してでも領地に残ろうとした。しかし祖父様は耳を貸さない。父上も「お前のためだ」とか言って完全にグル。俺は逃げ場を失った。

 

その時、横から澄ました声が響いた。

 

「良かったですね、アル様。ついに本物の戦場でご活躍できるのですから」

 

アナだ。無表情のくせに声が妙に弾んでいる。

 

「なにが良かっただ!死ぬわ!俺死ぬわ!俺の計画が崩れ去ったわ!」

 

「大丈夫です。私が傍におります。敵兵は私が全部斬りますので、アル様はテントの中でお休みください」

 

「なんだその屈辱的な未来予想図!俺は布団の中で震えてるだけの人間か!」

 

アナは淡々と本をめくりながら言う。

 

「これからは、私の華麗な活躍が描かれますね」

 

「やめろ!主人公は俺だ!俺がメインなんだ!」

 

「物語は常に事実を映すものです。アル様は後方で震えていてください」

 

「震えねえ!……いや震えるかもだけど、少なくとも俺の意思ではない!」

 

俺は頭を抱えた。どうしてこうなった。俺はただ、美味い飯を食って酒を飲んで美女に囲まれて暮らしたかっただけなのに。なぜ毎回こうして絶望がやってくるのか。

 

思い返せば、幼年学校の入学初日から全て狂っていた。アナと同室になるわ、金髪チビと殴り合うわ、アナに勉強漬けにされるわ。全部狂ってた。そして士官学校ではさらに狂った。俺は努力した。逃げようとした。でも結局、成績は七位。アナは首席。しかも「一つ順位を下げましたね」と冷静に刺される。俺は謝るしかなかった。

 

そして今、待っていたのは最前線勤務。俺の未来のハーレム計画は完全に破綻した。

 

……いや、まだだ。

 

「アナ」

 

「はい、アル様」

 

「最前線に行っても、俺が死なないように守れよ」

 

「当然です。アル様が死んだら、私の存在意義が消えますから」

 

その即答に、俺は少しだけ安心した。まあ、アナがいれば死にはしないだろう。俺が戦場で役立たずでも、アナが全部片付けてくれる。

 

……それを否定できない俺がいるのが、一番腹立たしい。




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今回のアルは「威張ってワンパン」「くだらない勝負で宿敵扱い」「士官学校で七位」「最前線送り」と、まさに喜劇のオンパレードでした。
しかし同時に、彼は一度だけ「アナを侮辱するな」と本気で叫び、彼女にとって唯一の存在であることを証明しました。普段は無能で俗物でも、その一瞬の輝きがあるからこそ、彼はただの道化ではなく「愛すべき主人公」なのだと思います。
次はいよいよ戦場編。果たしてアルは本当に布団の中で震えているだけなのか、それともまた「誤解による英雄」へと祭り上げられるのか。どうぞ引き続きお楽しみください。

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