銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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今回の章は、幼年学校で起きた「事故を装った事件」の決着編になります。

正義を貫こうとする者。
現実と折り合いをつける者。
目の前の命だけを守りたい者。
政治の波風を立てたくない者。

同じ事件でも、立場が違えば見える景色はまったく別です。

アルブレヒトは、いつも通り世界を救わないやり方で動きます。
彼の選ぶ道は華々しくも完璧でもありませんが――
誰かを救い、誰かを傷つけずに済むことがあります。

今回もまた「65点の正義」の物語をお楽しみください。


伏龍、事件を畳む――65点の落としどころ

ラインハルトの親父の葬式には、結局行かなかった。

いや、顔を出そうと思えば出せたけど、あいつの横にはキルヒアイスがいれば十分だろう。俺まで行ったら、「俗物のくせにしおらしい顔をするな」とか言われそうだしな。

 

 その代わり、俺はベルツの見張り役に回っていた。中将閣下が、十代のガキ一人にストーカーばりの密着監視。客観的に見ると、だいぶ絵面が危ない。だが仕方ない。万が一にも、うちの親戚筋のガキが死んだりしたら、親戚一同の集まりで延々と嫌味を言われるのは、この俺なのだ。

 

「ファルケンハイン家の分家の子を、よくも死なせたな」とか、「若君は領地経営は優秀なのに、親族への目配りが」とか。うるさい。今から予習だけで頭が痛い。

 

 そんなわけで、その日も俺は、幼年学校の廊下をベルツの二歩後ろあたりで歩いていた。授業に行くにも後ろ。食堂に行くにも後ろ。休み時間の度に一緒に歩く俺を見て、周囲の生徒たちは、若様の特別指導を受けているのだろうとか、やっぱり本家のコネは違うなどと勝手な噂を流してくれる。違う。俺が一番守りたいのは、自分の胃袋と精神だ。

 

そして、ついにその時は来た。

 

「失礼。トイレに行ってきます」

 

 ベルツがそう言って、男子トイレに消えたので、俺も自然な動きで後を追った。自然な動き、というのはとても大事だ。あからさまに尾行するのは痴漢であり、犯罪だが、たまたま同じタイミングでトイレに入りましたは、社会的にギリギリ許される。

 

 俺は個室に入り、蓋を閉めて、その上にしゃがみ込んだ。靴が見えないように、器用に壁に足を引っかける。軍人二十二歳、中将、やっていることは子供の隠れんぼと変わらない。

 

さて、と。校長が本当に動くとしたら、ベルツが一人になった瞬間だろうな

 

 そう考えていた、その時だった。トイレの扉がきしむ音。誰かが入ってくる気配。硬い靴音が、タイルの床をコツ、コツ、と踏みしめる。ゆっくり、ゆっくりと、奥の小便器に向かって。

 

 その足音には、聞き覚えがあった。朝から俺にランニングを課した張本人、シュテーガー校長。あのジジイの歩き方だ。やたらと背筋だけは伸びているくせに、内心の小物さが靴音に滲んでいる。

 

 ドアの隙間から、そっと覗く。案の定、そこにはベルツの背中。そのさらに後ろに、校長の影。そして、その右手には、光る何か。

 

ナイフ持ってんじゃねえか、ジジイ

 

 お前、よりによって男子トイレで暗殺を決行する気か。せめて場所を選べ、と思ったが、今ツッコむべきはそこではない。

 

今だ。

 

「いやあ、校長。奇遇だな」

 

 思い切り明るい声で言いながら、俺はベルツと校長の間に割り込む。正面から見れば、単に中将がトイレに乱入してきた、迷惑極まりない画だ。ただ、俺の身体の陰で、校長の手首は完全に隠れている。

 

「ふぁ、ファルケンハイン中将閣下!?な、なぜここに…!」

 

 校長の顔から、血の気がゴッソリ引いていく。ナイフを握った手が震え、刃先がかすかに揺れた。

 

「おう、ベルツ。続けろ続けろ。無理に止めると身体に悪いぞ」

 

 振り返りかけたベルツの肩を片手で押さえ、その瞬間、もう片方の手で、校長の手首を捻る。ナイフが、音もなく俺の掌に滑り込んできた。長年アナの奇襲攻撃から身を守ってきた成果が、こんなところで役に立つとはな。

 

「……校長?」

 

耳元で小声で囁くと、ジジイはカタカタと歯を鳴らした。

 

「な、何のことでしょうか、中将…」

 

「さっきまで握っていた物がなくなっている理由を、後でじっくり聞かせてもらうからな。今は、ベルツが終わるまで、紳士らしく前を向いていろ」

 

 笑顔でそう言うと、校長は素直に前を向いた。

 

 やがてベルツが、何も知らないまま手を洗って去っていく。うん、何も知らないままでいい。後で「実はトイレで暗殺されかけていたんだぞ」とか教えたら、一生俺を見る目が変わりそうだ。

 

ベルツが出ていったのを確認してから、俺は校長の背中を軽く叩いた。

 

「では、校長。場所を変えて、ゆっくり話をしようか」

 

 トイレで取り調べを始める趣味は、さすがに俺にもない。匂いの問題もあるが、「あの事件は便器の前で解決された」とか、後世の歴史書に書かれたくない。

 

 校長室に移動すると、さっきまで暗殺者顔だったジジイが、一転してしおれた観葉植物のようになっていた。ソファにへたり込み、ハンカチで額の汗をごしごし拭いている。その前で、俺は例のナイフを机の上にコトンと置いた。

 

「校長。説明を聞こうか」

 

「……」

 

しばらく沈黙が続き、やがてジジイが、観念したように口を開いた。

 

「ライフアイゼンの件は…事故だ。あの倉庫の棚は老朽化していて、あの日、たまたま崩れた。私は、後で怒鳴られるのが嫌で、清掃を優先した。それで、報告が遅れた。…そこまでは、本当に事故なのだ」

 

「そこまでは、な」

 

腕を組み、ソファの背にもたれた。

 

「その後だろう。あんたが余計なことを考えたのは」

 

ジジイは、さらに目の下のクマを深くして、小さく頷く。

 

「…ハーゼのことは知っていた。色覚に問題がある。だが、あの子の祖父は、私の元上官だ。軍人として優秀で、私は今でも尊敬している。検査の結果を握りつぶした。ハーゼには、特定の職域を勧めるつもりでいた」

 

「で、そのうちにバレそうになった」

 

「…そうだ。実習や図上演習で、どうしても色の識別が必要になる。そこでだ。もし、ライフアイゼンを殺した犯人にできれば、『実技で不自然な行動を取った』と言っても、誰も疑わない。『あれは色盲じゃなくて、犯人だからだ』と」

 

 言いながら、ジジイは自分の両手を見つめていた。皺だらけの掌が、小刻みに震えている。

 

「ベルツは?」

 

「…あの子は、貴家の親戚筋だ。首席と次席が消えれば、バルブルグが一位になる。私は…それで、すべて丸く収まると……」

 

「丸く収まるわけあるか、ボケ」

 

思わず本音が口から出た。校長はビクリと肩を揺らす。

 

「お前の頭の中では、『元上官の顔を立てる』『孫を首席にする』『自分の責任を減らす』、全部同じ天秤に乗ってるんだろう。だがな、その天秤の反対側には、ガキの命が乗っているんだよ」

 

「……承知しております」

 

「だったら、最初からやるな」

 

 俺がため息をひとつ吐くと、ジジイはさらに小さくなった。怒鳴る気には、あまりなれなかった。貴族社会のひずみと、古臭い軍隊の論理と、個人の卑小さが、全部混ざって、このしょぼくれた老人になっている。責任はもちろん取らせるとして、それ以上に、構造そのものがクソだ。

 

こういうときのために、アナがいる

 

懐から通信端末を取り出し、アナ専用回線に接続する。

 

『アル様。授業参観は、いかがですか?』

 

 開口一番、穏やかな声。だが、かすかに笑いを含んでいる。朝から俺がランニングさせられた話を、既にどこからか聞きつけている顔だ。

 

「最高に最悪だ。で、本題。今、校長室で殺人未遂の犯人を確保している」

 

『……はあ?』

 

 一秒で空気が変わった。さっきまでの柔らかな声が、一瞬で仕事モードに切り替わる。通信越しに、アナの眉間にシワが寄る気配がする。

 

 倉庫の事故の経緯から、校長がそれを利用しようとしたくだりまで、一気に説明した。途中でジジイが「利用しようなどと…」と口を挟もうとしたので、手で黙らせる。今はアナの反応の方が重要だ。

 

『なるほど。つまり、事故をきっかけに、政治的な調整と責任逃れを同時に済ませようとしたわけですね』

 

「そういうことだ。で、俺としては、この件を『事故』として落としつつ、ベルツとハーゼを守りたい。校長には相応の責任を取らせる必要があるが、幼年学校そのものの信用を完全に潰してしまうと、また別の貴族の面倒な抗議が飛んでくる。…正直、全部面倒なので、貴族式のスマートな解決を頼みたい」

 

『要するに、丸投げですね、アル様』

 

「うん。よくわかってるな、お前」

 

 通信の向こうで、深いため息が聞こえた。何回目のため息カウンターか、そろそろ記録をつけた方が良いかもしれない。

 

『わかりました。では、校長には健康上の理由での勇退を勧めます。ハーゼ君の件は、正式な医療記録を偽造した上で、適性に合った進路を提示しましょう。ベルツ君には、ファルケンハイン伯爵家から、奨学金と推薦状。『優秀な親戚を手厚く支援している良き本家』という宣伝も兼ねて』

 

「さすがアナ。全員の顔を立てながら、ちゃんと守りたいところは守る」

 

『その代わり、アル様。今回の件、ラインハルト様には、必要以上に話さないでくださいね』

 

「なぜだ?」

 

『彼は、制度の欠陥そのものと戦おうとする人です。今この瞬間に、この案件の全容を知れば、必ず正面から殴りかかる』

 

「……なるほどな」

 

 ラインハルトのあの顔が頭に浮かぶ。劣悪遺伝子排除法に憤っていた時の、あの目だ。あいつは、法律そのものを殴りたい。だが、殴るにはまだ腕力が足りない。

 

『今はまだ、アル様のような俗物のコネと、小さなごまかしで守れる範囲を守りましょう。それが、彼の夢を叶えるための、遠回りな準備です』

 

「俗物俗物言うな。…まあ、否定はしないが」

 

通信が切れた後、俺は校長に向き直った。

 

「というわけで、校長。お前には、体調不良を理由に、今期いっぱいで退職してもらう」

 

「……処罰なし、で、しょうか」

 

「処罰がゼロなわけあるか。お前がやろうとしたことは、一生背負え。ただ、公には『長年の功労者が惜しまれつつ勇退』という扱いにしてやる。その代わり、今後一切、ベルツとハーゼに近付くな」

 

ジジイは、崩れ落ちるように頭を下げた。

 

「恩に着ます、中将…」

 

「恩を売るのは好きなんだよ。将来、俺がまた幼年学校で何かやらかした時、『昔の校長はもっとひどかった』って言い訳に使えるだろう」

 

 

さて。あとは、ラインハルトが事件をどうまとめるか、だな

 

 たぶん、やつの報告書には、「倉庫の老朽化による事故。管理体制の見直しを要す」とか、実に真面目な文言が並ぶだろう。その裏で、トイレで校長のナイフをひっそり奪い取り、アナに丸投げして事態を収拾した中将の活躍は、一行も書かれない。

 

 いいさ。それで。

 

 

 

 

 

 

 

今回の一件を、一言でまとめるならこうだ。

 

はい、面倒くさかった。

 

以上。

 

 ……で済ませたいところなんだが、そうもいかない。なにせ俺は今、帝都オーディンの憲兵隊本部の一室で、金髪の孺子ことラインハルト・フォン・ミューゼルと、ガチで向き合ってる最中だからな。

 

 例の幼年学校殺人事件――いや、正確には「事故を、政治的都合で殺人事件にして、その責任までうまくスライドさせようとして自爆しかけたオッサンどもの小競り合い」が、一応の決着を迎えた日だ。

 

 捜査本部は解散。関係書類は山ほど。責任の所在はうやむや。死人は一人。これ以上増やさない、というのが、今回の俺の落としどころだった。

 

俺的には「まあ、65点」はつけていい出来だ。

 

……納得いってない奴が、一人いるのを除けば、な。

 

そう、その金髪。目の前の。

 

「……納得がいきません」

 

 開口一番、それだ。ラインハルトは、いつも通り金髪を完璧に整えた状態で、憲兵隊の簡素な会議室なのに、なぜか王宮の謁見室みたいな空気を作り出していた。才能だな、あれ。

 

「真実は闇の中です。ライフアイゼンの死も、彼を取り巻いていた人間関係も、何一つ、白日の下に晒されていない」

 

 こいつは本気で怒っている。眉間に皺を寄せて、拳を握りしめて。

 ああ、キルヒアイスがここにいたら、「落ち着いてください、ラインハルト様」って肩を押さえてくれるのだろうが、あいにく今は別室で事務処理中だ。

 

俺?俺は椅子にふんぞり返って、鼻をほじっている。

 

「証拠がないんだから、仕方ないだろうが」

 

指先についた目に見えない鼻くそを、テーブルの下でそっと払いつつ、俺は肩をすくめた。

 

「憲兵隊ってのはな、孺子。『知っていること』じゃなくて、『証明できること』で動かなきゃならん。校長のジジイが限りなく黒に近い灰色でも、決定打がない以上、法的にはセーフだ」

 

「しかし……!」

 

「それに、だ」

 

片手を上げてラインハルトの反論を遮った。

 

「お前が今ここで満足するような『勧善懲悪』をやろうとしたら、巻き添えを食う奴が山ほど出てくるぞ。ハーゼも、ベルツも、バルブルグも。それから、幼年学校に通う他のガキどももな。貴族の親たちが騒ぎ出せば、誰かが責任を取らされる。大人しく罪をかぶるバカがいないと分かったら、適当な生徒を一人、犯人に仕立て上げるかもしれん」

 

ラインハルトが、ぴくりと肩を震わせた。こいつの顔は、本当に分かりやすい。

 

「……そんなこと、許されるはずがない」

 

「許されないさ。だからこそ、やらせないように、先回りして手を打つのが、大人の仕事だ」

 

 机の端に置いてあった書類を、コンコンと揃えた。そこには、ハーゼとバルブルグの人事異動案が綺麗にまとめてある。アナが徹夜で仕上げてくれた、超絶スマートな書類の束だ。

 

「ハーゼと校長の孫は、俺が責任を持って士官の世話をする。表向きは『優秀なので、より相応しい部署へ』って建前だ。実際は、平穏で安全な後方勤務だがな。銃弾も飛んでこないし、変な権力闘争にも巻き込まれにくい。いいだろう? エリートコースだぞ」

 

「それは……」

 

ラインハルトは歯切れ悪く口ごもった。

 

「ライフアイゼンの死が、なかったことに」

 

「なるわけないだろう」

 

「死んだ人間は戻らない。どれだけ真相を解き明かして、誰かを処刑しても、だ。だから、残された人間がどう生きるか、どう守るかで、せめてモノを言おうとしてる。それが、今回の『迷宮入り』だ」

 

「……」

 

ラインハルトは黙り込む。

こいつの頭の中では、おそらく「理想の正義」と「現実の妥協」が、派手に殴り合っている。

 

 まあ、その気持ちは分からんでもない。俺だって若い頃――いや、今も若いが――十代の頃は、もっと単純明快な正義を信じてた。

 

でもな。

 

世の中には、誰か一人だけが気持ちよくなる正義ってやつが、山のように転がってる。

そいつをやると、大体別のどこかで誰かが泣く。

だから俺は、気持ちよさより、被害の少なさを優先する。

 

そういう意味で、今回の件は、俺の「65点」が出せた案件だ。

 

……と、ここで真面目な顔をしっぱなしだと、俺のキャラじゃない。

 

「それよりだな、孺子」

 

わざと話題をぶった切った。

 

「お前、今回の捜査、めちゃくちゃ頑張ったじゃないか。憲兵隊の腐れ書類を全部ひっくり返して、過去案件との類似も洗って、現場の聞き取りもほぼ一人でやって。ミュラーに下水道の図面暗記させる暇なんか、本当はなかっただろ」

 

「……まあ、仕事ですから」

 

照れてる。こいつ、分かりやすいな。

 

「でな」

 

椅子から立ち上がり、わざと偉そうに胸を張ってやる。

 

「その功績を踏まえて、俺から軍務省に推薦状を出しておいた。お前を、准将に昇進させろ、ってな」

 

ラインハルトの顔が、ビキッと固まった。

 

「……は?」

 

「お前、今大佐だろ。准将になれば、艦隊を預かれる。今の帝国の人材事情なら、ほぼ間違いなく実戦指揮権付きだ。お前が嫌いな『腐った上官』どもを飛び越えて、自分の艦隊を動かせるようになるってことだぞ。よかったな」

 

「よくありません!」

 

机を叩く勢いで、ラインハルトが叫んだ。

 

「私は、そんな『袖の下』のような昇進を望んでいない! 真実をねじ曲げた報償など、なおさらだ!」

 

俺は、あらかじめ用意しておいた台詞を、ニヤニヤしながら口にした。

 

「お前、どうせこう言うと思ったよ。『不本意だ』って」

 

「不本意ですとも!」

 

「だが、決まったものは仕方ない」

 

 ポケットからタバコの箱を取り出し、一本くわえた。もちろん、ここでは火はつけない。憲兵隊本部は禁煙だ。くわえるだけだ。雰囲気づくりだ。

 

「軍隊というのはな、孺子。『結果を出した奴』に肩書をくれてやる場所なんだよ。今回の件で、誰一人、冤罪で投獄されなかった。貴族の愚かな思惑も、一応は封じた。被害者は増えていない。統計上は『未解決事件一件』が増えただけだ」

 

「それが、そんなに立派なことだと?」

 

「少なくとも、何十人も冤罪で処刑するよりマシだ」

 

タバコの吸い口を指で弾く。

 

「軍務省や憲兵総監にとっちゃ、『貴族の息子が一人死んだが、他に大きな騒動は起きなかった』という結果だけが重要なんだ。そこの手柄を、お前に押し付ける。その代わり、准将の肩書も一緒に押し付けてくる。それがこの世界のやり方だ」

 

「…………」

 

ラインハルトは、納得してない顔のまま黙り込んだ。

 

よし、ここからが本題だ。

 

「それにな、孺子」

 

 少しだけ声を低くした。キルヒアイスが聞いていたら、「あ、珍しく真面目モードだ」とでも言うだろう。

 

「お前、劣悪遺伝子排除法の件でも、皇帝の肖像画の件でも、ずっと怒っていただろう。体制そのものに、だ」

 

「当然です」

 

「ならばだ」

 

 腕を組み、ラインハルトを見下ろす。身長はそんなに変わらないが、階級と年齢の上下関係が、無理やり俺を「上」にしてくれる。便利だな、階級。

 

「その怒りを、どこでどう使うつもりだ?」

 

「……帝国を正すために使います」

 

 即答だ。ほんとブレないな、こいつ。

 

「なら、なおさらだ」

 

「お前は准将になっとけ。嫌でもな。『真実を闇に葬った報酬』がどうとか言ってる場合じゃない。権力がないと、何も変えられん。お前の嫌いなこの世界は、そういう仕組みになってる」

 

「……貴族の論理ですね」

 

「そうだとも。門閥貴族様の論理だ。存分に利用しろ」

 

ラインハルトの表情が、ほんの一瞬だけ揺れた。

こいつは、なんだかんだで賢い。自分の理想を貫くために、汚れ仕事を利用する必要があることぐらい、とっくに理解しているのだろう。認めたくないだけで。

 

そこで、俺は最後の一押しをしてやることにした。

 

「それにな」

 

「……まだ何か?」

 

「好きな女、いるだろ」

 

「は?」

 

予想通りの間抜けな声が出た。よし。

 

「お前のことだから、『姉上を取り返す』とか、『自由にする』とか、その辺を人生の目標にしてるんだろう?」

 

ラインハルトの顔から、見る見るうちに血の気が引いていく。図星すぎたらしい。

 

「ならなおさらだ。お前は、出世できるだけ出世して、帝国の中心に殴り込んでいくしかない。准将なんざ、その通過点のひとつだ。いちいち『不本意だ!』と叫んでたらキリがない」

 

「……………」

 

長い沈黙のあとで、ラインハルトは、ぽつりと呟いた。

 

「……貴様のような俗物に、言われたくはありませんが」

 

「うん?」

 

「少しだけ、納得してしまった自分が、腹立たしい」

 

そう言って、奴は苦虫を百匹ほどまとめて噛み潰したような顔をした。

 

これは、かなりの譲歩だ。

 

「それでこそだ、孺子。お前は、お前の正義に従って、上を目指せ。俺は俺の俗物なやり方で、目の前の泥をかき回す。それでいい」

 

「……しかし」

 

まだ言うか。根性あるな。

 

「しかし、私はやはり、この結果に対して、『不本意だ』と言わずにはいられない」

 

「はいはい、不本意、不本意」

 

 俺は、どこから取り出したのか自分でもよく分からないが、ポケットから小さな金色の階級章のケースを取り出して、ラインハルトに放り投げた。

 

「ほら、不本意な准将殿。記念品だ」

 

「これは……」

 

「准将の階級章。正式な任命式は後日だが、先に本物をひとつ、俺のコネで掠め取っておいた。返したきゃ返してもいいが、その場合はミュラーの奴をもらっていくからな。うちの艦隊に、あれくらい根性のある副官が欲しい」

 

「それは困ります!」

 

食い気味に即答しやがった。

 

心の中でガッツポーズを決める。

 

はい、釣れた。

 

「なら、おとなしく受け取れ。お前が准将になることで、救われる命もあれば、マシな判断で助かる現場も増える。少なくとも、今の腐れ上官どもよりはな」

 

「…………分かりました」

 

ようやく、ラインハルトがケースを手に取った。

やれやれ。ここまで来るのに何行しゃべらせるんだ、この金髪。

 

「ただし」

 

まだ続くのか。

 

「私は、この昇進を、貴様の施しとは思わない」

 

「うむ?」

 

「私の手で掴んだ、帝国を変えるための武器だと、そう解釈します。それならば……受け取ってやらないこともない」

 

偉そうに言う。

が、その目は、ほんの少しだけ、輝いていた。

 

はいはい。素直じゃないところまで含めて、お前だよ。

 

「そうだな。その解釈でいい。俺も、自分のやり方で欲しいものを掴む。お前も、お前のやり方で帝国をぶん殴れ」

 

最後にもう一言、心の中で付け足す。

 

……ただし、俺の手の届く範囲でやれよ、孺子

 

 アンネローゼ嬢のためだろうが、劣悪遺伝子排除法への怒りだろうが、社会体制への反逆だろうが、なんだろうが。

 

俺は、お前を撃ちたくない。

 

 だからこそ、お前が暴走して世界を敵に回す前に、俺が、アナが、キルヒアイスが、ロイエンタールが、ミッターマイヤーが、その周囲の泥を少しでも片付けておく。

 

それが、俺の「65点」のやり方だ。

 

全部救うことはできない。

全部正すこともできない。

 

それでも、俺の手の届く範囲だけは、どうにかしたい。

 

 アナと結婚するために、元帥だの宰相だの、公爵だのを目指す羽目になった時点で、もう俺もだいぶおかしいとは思うが。

 

 ……まあ、いいか。

 

 好きな女を嫁にするために帝国をのし上がる中将と、姉を解放するために帝国をぶっ壊そうとしている金髪の孺子。

 

方向性は違うが、やってることは多分、そう変わらん。

 

だからこそ――

 

「よし、祝杯だ。キルヒアイスも呼んでこい。不本意な准将殿の出世祝いだ」

 

「勝手に決めるな!」

 

「ミュラーには、特別に甘いケーキでも奢ってやる。下水道図面を丸暗記した男への、ご褒美だ」

 

俺が勝手に話を進めていると、ちょうどタイミングよく、ドアがノックされた。

 

「失礼します。ミュラーです」

 

「おお、噂をすれば」

 

「何の噂でしょうか、閣下?」

 

「決まってるだろ。不本意な准将の補佐役、次の悲惨なブラック職場代表、お前のことだ」

 

「えっ」

 

ラインハルトが、心底イヤそうな顔で叫ぶ。

 

「不本意だ!!」

 

「俺も不本意だ!!」

 

俺も、つられて叫んでおいた。

 

 こうして、「不本意な准将」と、「不本意な俗物の中将」と、「よく分からないけど巻き込まれた有能な中尉」の妙なトライアングルが、帝国軍の未来に向けて動き出した。

 

 

とりあえず、今つけられる点数は――

 

俺の中で、静かに「65点」に丸をつけておいた。




今回の事件編、ついに一区切りとなりました。

もしよければ、あなたの「65点」はどこだったでしょうか?

トイレ暗殺シーンのカオス

アナの政治処理

ラインハルトの父の訃報

不本意な准将任命

それぞれの価値観の衝突

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