銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
その答えが、このお話です。
本作の主人公アルブレヒトは、
「俗物」と揶揄されながらも、
帝国軍の最前線で戦い、
部下を守り、
そしてアナスタシアの膝の上で溶けていく男です。
戦争よりも恋愛のほうが彼を混乱させ、
政治よりもアナの指先のほうが彼の心拍数を上げる。
それでも、彼の判断はいつだって艦隊を救い、
銀英伝世界における別種の英雄像を作り上げていきます。
今回は、
・戦場帰りのアナとの静かな時間
・ラインハルトとの政治的駆け引き
・老人会との腹芸
・リューネブルクの怪しい笑顔
が同時に爆発する豪華回です。
どうぞ宇宙の片隅でくすぶる大将の私情と戦略を、お楽しみください。
戦場の余韻が残る艦内で、俺は今、非常に重要かつ繊細な任務に従事している。
そう、アナスタシア・ヴァン・ホーテン中将兼うちの嫁予定候補(長い)を膝に乗せて抱きしめるという、帝国軍機密レベルA級ミッションである。
ロンゴミニアドの執務室は、防爆仕様、防諜仕様、そして俺のメンタルケア仕様だ。外では建設班がヴァンフリート4-2に基地を作るために走り回っているが、ここだけは別世界。ふかふかソファと高級茶葉と柔らかいアナが揃っている、宇宙一平和な空間になっている。
「ねえ、アル様」
アナが俺の襟元をつまんで、するりと胸元に顔を埋めてきた。香水じゃなくて火薬とオゾンの匂いがするのに、それすら妙に色っぽいのがこの女のずるいところだ。
「なにかな、うちの破壊神」
「さっきの砲撃、とても良かったです。敵の主砲を一門ずつ黙らせていく感覚、ぞくぞくしました」
「褒め言葉の内容が怖いんだよな」
苦笑しながらも、腕の力を緩める気はない。戦場帰りのアナは、普段より数段ギアが上がっている。瞳の奥でまだ砲火が燃えている。このテンションをそのまま戦術会議に持ち込まれると、だいたいロイエンタールあたりが胃をやられるので、ここで俺が全身で受け止めておく必要がある。人はそれを愛と呼ぶ。多分。
「アル様」
「なんだ」
「このまま、少しだけ、何も考えずにいてもよろしいですか」
「いいぞ。考えるのは俺の仕事だ。お前は俺の上でくつろいでいろ」
「まあ。では遠慮なく」
アナは本当に遠慮しなかった。腰に腕を回してきて、俺のシャツのボタンを器用に一つ外す。おい、ここ司令官執務室だぞ。戦時だぞ。だが止めるつもりはない。止める資格もない。ここまで頑張ってくれた女に対して、口で「いけません」などと説教できる男は、ラインハルトくらいだ。
「なあ、アナ」
「はい」
「お前さ、戦場帰りになると、やけに積極的になるよな。普通こういうの、男側の役目なんじゃないのか」
「性別で役割を限定するのは、時代遅れですわ、アル様」
即答された。
「私の任務は、戦場で敵を焼き払い、戻ってきたらアル様の精神状態を正常値に保つこと。そのために必要な刺激は、私が判断して投下いたします」
「お前の中で俺のメンタルは、砲撃支援か何かか」
「とても脆弱で繊細な前線陣地、と認識しております」
「それはそれで傷つくな」
口では文句を言いつつも、心の中では深く納得している自分がいるのが悔しい。俺の精神状態がこいつの一挙手一投足で上下するのは事実だ。戦場でどれだけ冷静に計算できても、アナの機嫌が悪いと三割減、機嫌が良いと二割増しで判断が狂う。帝国軍の安全保障上、わりと深刻な問題だが、知ったことではない。
ふと、アナの指が俺の胸を軽く叩いた。
「アル様、鼓動が速いですわ」
「お前のせいだよ」
「嬉しいことを言ってくださる」
そこで、嫌なタイミングで執務机の端末が甲高く鳴った。俺とアナは同時に眉をひそめる。よりによって今か。空気が読めないにもほどがある。
「…無視しようかな」
「ダメです」
アナがぴしゃりと言い切る。
「もし緊急通信でしたらどうなさるのです。アル様の怠惰は私が許しても、艦隊が許しません」
「俺の嫁予定、容赦がないな」
「その分、あとでご褒美をあげますから」
「…よし、出る」
ご褒美という単語に弱い自分を殴りたいが、今は後回しだ。俺はアナを膝の上に乗せたまま、端末に応答した。画面には、やたらやる気のある金髪准将と、眉間にシワを寄せたレンネンカンプ准将の顔が並んだ。
「ファルケンハイン閣下」
「忙しいところ悪いねえ、とかいう前置きはないのか、お前ら」
「その前置きが無駄なので省略しました」
ラインハルトが即答してきた。こいつ、本当に遠慮がない。
「通信傍受ログの解析結果が出た。ヴァンフリート四の二近傍に、同盟軍の隠し基地が存在すると考えるのが妥当だ。早急に偵察する必要がある」
「私も同意見です、閣下」
レンネンカンプが真面目な声で続ける。
「補給線確保の観点からも、背後に基地がある可能性を無視するのは危険です」
「なるほどなあ」
椅子の背にもたれ、画面の二人を交互に見た。ラインハルトの目はいつも通りギラギラしているし、レンネンカンプはいつも通り真面目に死にそうな顔をしている。つまり、二人とも平常運転。平常運転の優秀な部下が揃って「危ないから偵察しろ」と言うなら、素直に聞くのが賢い上官の在り方だ。
問題は、俺が今、非常に個人的な任務の最中だという一点である。
「なあ、金髪」
「なんだ」
「お前さ、もう少しタイミングという概念を学ばないか」
「軍務にタイミングなど存在しない」
「あるんだよ、俺の生活には」
アナが画面の外から、無言で俺の脇腹をつねってきた。痛い。物理的圧力が飛んできた。了解した、仕事モードに切り替えろという合図だ。
「…わかったわかった。偵察の件、俺からグリンメルスハウゼン中将に上申しておく」
「頼む」
ラインハルトの目が一瞬だけ柔らいだ。こいつ、こういうところだけ妙に素直だ。
「ただし、いいか、金髪」
「何だ」
「偵察に出した部隊が同盟の伏兵に囲まれても、『それはそれで面白い』とか言って突撃させるのはやめろよ。お前そういう顔してるからな」
「言っていない。心の中だけだ」
言ってるのと同じだ。
「レンネンカンプ」
「はっ」
「お前はそのへんブレーキよろしく。ミュラーと一緒に、うちの孺子を暴走させるな」
「全力を尽くします」
そう言って敬礼するレンネンカンプの顔は、本気で「胃薬をください」と訴えていた。ご愁傷様。
通信が切れた途端、アナが俺の肩に額を預けてため息をついた。
「アル様」
「なんだ」
「せっかく良いところでしたのに」
「俺だってそう思ってる」
俺はアナの髪を指で梳きながら、天井の装甲板を仰いだ。帝国軍の装甲は分厚いくせに、俺とアナの間には入り込んでくる。軍務という名の第三者が。
「というわけでだ」
「というわけで?」
「俺はこれから、爺さんに『偵察させろ』って言いに行かなきゃいけない」
「グリンメルスハウゼン中将ですわね」
「ああ。あの沈黙五秒ジジイだ」
アナがくすりと笑う。
「相変わらず失礼な呼び方をなさいますね」
「事実だろ。あの人、何を聞いても必ず五秒黙るんだよ」
「慎重なだけかもしれません」
「慎重というのはな、二秒で考えて三秒で答えを整えることだ。五秒全部沈黙なのは、もはや芸だ」
「アル様」
「うん」
「私の留守中に、変なところで喧嘩を売らないでくださいね?」
アナの声が少し低くなった。戦場仕様のトーンだ。俺は思わず背筋を伸ばす。
「売らない売らない。俺は礼儀正しい門閥貴族だぞ?」
「自称だけなら、いくらでも」
「ひどくない?」
「ですが」
アナは俺のネクタイをつまんで、こちらをまっすぐ見つめた。
「アル様が『あの方は曲者だ』と判断された以上、油断は禁物です。皇帝陛下のお気に入りの高齢者は、総じて面倒ですから」
「同意する。だからこそ、真正面から喧嘩を売らず、さりげなく投げた石で水面を揺らす程度にしておく」
「上手に泳がせるのですね」
「そういうこと」
アナの額に軽く口づけしてから、彼女をソファに下ろした。
「悪いな。続きは帰ってきてからだ」
「待っていますわ」
その言葉が妙に色気を帯びて聞こえたのは、俺の思考が既にだいぶ汚染されているからだろう。責任は全部アナにある。そういうことにしておく。
執務室を出ると、廊下でロイエンタールが腕を組んで待っていた。目つきが完全に「また何かあったな」という顔をしている。
「閣下」
「おう、毒舌副官。ちょうどいいところに」
「いいところに、ではありません。艦隊司令からの緊急召集に、なぜ応答が三分も遅れたのか、後で記録を確認するよう軍務局から照会が来るに決まっています」
「三分くらいでガタガタ言うな。帝国の歴史から見れば誤差だ」
「その三分で沈む艦もあれば、死ぬ兵もおります」
「今日の説教成分多くない?」
「今日も、でしょう」
ぐうの音も出ない。
「で、何用ですか」
ロイエンタールはため息混じりに尋ねてきた。知っていて聞いている顔だ。さすが俺の副官。
「ラインハルトとレンネンカンプが、同盟の隠し基地があるかもしれないから偵察しろとさ。まあ正論だ」
「珍しく二人の意見が一致しましたか」
「珍しくと言うな。あいつら、軍事面ではわりと仲良しだぞ。性格は正反対だが」
「性格の方を見ていると、どうしてもそうは思えませんが」
ロイエンタールが肩をすくめる。
「それで、閣下はどうされるおつもりで」
「グリンメルスハウゼン中将に、偵察許可をもらいに行く。ついでに俺の株も上げる」
「また余計なことを」
「余計じゃない。元帥になるためには、上と下の両方からの評価が必要だ。上には『便利な若造』、下には『そこそこ頼れる上司』と思わせるのがコツなんだよ」
「閣下の自己評価に『そこそこ』という単語が入っているあたり、まだ救いがありますね」
「言っとくが、俺の自己評価は常に六十五点だ。完璧にやったと思っても六十五点。そういうマインドセットで生きている」
「それを聞いた者の評価は、大体九十点になると思いますが」
「よし、そのまま軍務局に流しておいてくれ」
「そんな内心まで報告する義務はありません」
そんな軽口を交わしながら、俺とロイエンタールはシャトルデッキへ向かった。オストファーレンへの移動用シャトルが既に準備されている。操舵席にはミュラーがちょこんと座って、チェックリストを確認していた。
「閣下、準備完了しております」
「ご苦労。お前もついてくるか?」
「はい」
「よし、行くぞ。俺様直々に、老人の心をくすぐってきてやる」
「閣下」
「なんだ、ロイエンタール」
「くすぐりすぎて心臓が止まらぬよう、ご注意を」
「それはお前が気をつけろ。医療班を待機させておけ」
◆
「では、会議を始める」
「まず、ファルケンハイン大将。貴官より具申のあった『同盟軍隠匿基地の存在可能性』について、検討を行う」
よし、ラインハルトとレンネンカンプが血眼になって集めたデータだ。ここで無視されたら、俺の愛の巣(ロンゴミニアド)の執務室でのイチャイチャ時間を削った意味がなくなる。
背筋を伸ばし、できるだけ有能な若手大将っぽい顔を作った。中身はただの俗物だけど、顔は大事だ。
「この宙域に、同盟軍の隠し基地がある可能性は高いと考えます。通信の傍受パターン、エネルギー反応の偏り、いずれも――」
そこまで言いかけたところで、早速、一人目の守旧派爺さんが噛みついてきた。
「危険すぎます、閣下。敵の罠かもしれん」
老将A。名前は覚えていない。覚える価値もあまりない。肩章の星と腹の出具合だけが立派な、テンプレ保守派将官だ。
「ここは、静観が上策かと……」
続けて、老将B。テンプレ2号。こういう時だけ、上策とか言う。上策って言えば頭が良さそうに聞こえると信じているタイプだ。
「……」
一瞬だけ天井を見上げた。出たよ。帝国軍の悪いところが、五秒で二連発だ。
危険だからやらない。罠かもしれないからやらない。静観が上策。つまり、「俺の椅子と年金が一番大事です」という宣言である。
「閣下。ここで無理をする必要はありません。既に我らは、同盟軍を牽制し得る宙域を確保しているのですからな」
老将Aは、そう言って胸を張る。胸を張る前に首を洗っておけ、と言いたい。
だが、ここであからさまに反論しても、爺さんたちは意地になるだけだ。帝都での政治ゲームと同じで、真正面から殴り合っても、勝てるのは若さと筋肉だけの喧嘩だ。ここは腹芸の場。
「ふむ……」
もちろん、俺の横で、ラインハルトの怒りゲージは急上昇中だ。あいつは、こういう老害発言にアレルギーがある。さっきから横で「ふん」とか「フッ」とか、短く毒を吐いている。音量は小さいが、殺気は大きい。
わざと足を組み替え、ラインハルトの靴先を軽く蹴った。
「(小声)おい、金髪。殺気が漏れてる。ここは憲兵隊じゃない。ここで人を殺すと、俺の責任になる」
「(小声で睨んでくる)……貴様は平然としていられるのか、ファルケンハイン。明らかに敵は動いている。偵察すれば、戦局を有利にできる。何故、ここまで臆病風に吹かれている連中の前で、もっと強く主張しない」
「(小声)強く主張したところで、この年代の人間は『若造が何を』で終わるんだよ。だから、味方を増やすのが先だ」
そう、味方。
この老人会にも、一人だけ、まともなやつが紛れ込んでいる。
「私は、偵察すべきだと考えます」
その声が響いた瞬間、俺は心の中でガッツポーズを決めた。待ってました、今日の主役(予定)、リューネブルク准将だ。
白銀に近い髪の色に、冷ややかな目。年齢は俺たちより上だが、老人会のメンバーよりは明らかに若い。軍服の着こなしも、やたらと決まっている。顔面偏差値だけなら、ロイエンタールといい勝負だろう。
「この宙域には、かつて同盟軍の臨時補給拠点がいくつもありました。私は、同盟領からの逆亡命者として、それらの位置や特性についての知識を有しております。今この時も、同盟のゲリラ部隊が活動していると見るのが自然です」
リューネブルクは、流れるような口調で続ける。声には自信と余裕があった。場慣れしている。
「危険を恐れて偵察を避ければ、その危険は、いずれ我々の喉元を噛み切る形で現れるでしょう。ここは、小規模な部隊による偵察行動を行うべきです」
老人たちがざわつく。「逆亡命者」「ゲリラ戦知識」というワードは、彼らにとっても無視できないらしい。なにしろ、失敗した場合に責任を押し付けやすい人物がいるということだからな。人間は卑怯な方向には賢い。
俺が内心で苦笑していると、横から刺すような視線を感じた。
ラインハルトである。ものすごく嫌な目で、リューネブルクを睨んでいる。
「(小声)……あの男。功績を横取りする気だ」
嫉妬に燃える金髪。
「(小声)お前なあ……」
別に間違ってはいないが、露骨だな、おい。リューネブルクの言っていることは半分善意で、半分出世狙いだろうが、どっちにしても戦局にはプラスだ。
そして、俺の元帥ロード的にもプラスである。
黙っていたグリンメルスハウゼンが、ゆっくりと目を開けた。例の「五秒沈黙」からの、低い声だ。
「……ふむ。リューネブルク准将の意見、もっともだ」
会議室の空気が、少しだけ動いた。老人たちが、恐る恐る中将の顔色を伺う。まるで駄目な部下の群れ観察会だ。
「だが、無謀な行動は避けねばならん。偵察を行うにしても、信頼できる部隊と指揮官に任せねば」
そこまで言ったところで、リューネブルクが一歩前に出た。
「その任、ぜひ私にお与えください。陸戦部隊を中心とする偵察隊を編成し、敵基地の有無を確認してまいります」
堂々としている。自信満々だ。嫌味なくらいに。
老人Aが、慌てて口を挟む。
「し、しかし、リューネブルク准将!危険が――」
「危険のない偵察など、ありません」
キッパリと言い切った。うまい。一言で「俺は覚悟してるけど、お前らはどうなの?」と責めている。
老人Aが押し黙る。その様子を、ラインハルトは心底腹立たしそうに見ていた。
そして、次の瞬間――
「つきましては」
リューネブルクが、俺の方を見た。笑顔。爽やか風味。一番怪しいタイプの笑顔だ。
「副将として、ミューゼル准将の助力を賜りたい。彼の勇名は、既に帝都でも聞き及んでおります。この作戦を成功させるためには、ぜひとも、彼の力をお借りしたい」
会議室の空気がさらにざわついた。
俺は、隣の金髪を見る。
顔が、もう完全にブチ切れ一歩手前である。
わかる。すごくわかる。
「功績を山分け」「責任はリューネブルクが取る」と、俺ですらわかる構図だ。つまり、帝国貴族式の「配慮」である。
そして、そういう配慮が、ラインハルトは何より嫌いだ。
だから、敢えて俺が口を挟む。
「(小声で)ほら、来たぞ。これだよ、配慮だよ?功績は山分け。何かあっても責任はリューネブルクが取るって、言ってるようなものだろうが。貴族的な配慮がわからんのか、お前は。怒るなよ、ラインハルト」
「(小声)ふざけるな!」
即答である。はい、知ってた。
「そんな施しを受けるために軍人になったわけではない!」
「(小声)お前、そろそろ『俺は功績を全て一人でかっさらうために軍人になった』って、胸を張って言えよ。その方がまだ爽快だぞ」
「黙れ、この俗物!」
会議中に「俗物」と呼ばれた大将は、銀河広しといえど俺くらいだろう。誇っていいのかどうかは知らないが。
とりあえず、金髪が本当にブチ切れて何か言い出す前に、俺が前に出る。
「グリンメルスハウゼン閣下」
椅子から立ち上がり、テーブル越しに軽く頭を下げた。ここで頭を下げておくのがポイントだ。若手大将が頭を垂れると、老人たちは急に機嫌がよくなる。
「リューネブルク准将の提案、私も支持いたします。我がファルケンハイン艦隊から、ミューゼル准将を偵察隊に預けましょう。彼は優秀です。必ずや、閣下のご期待に応えてみせます」
ラインハルトが「勝手に決めるな」という顔をしたが、無視だ。今は公の場だ。
「ただし」
ここからが、腹芸の時間。
「これは、グリンメルスハウゼン艦隊の偵察行動という名目です。責任の所在は、あくまで艦隊司令部にあります。もし何か不測の事態が発生した場合も、私の部下たちが個人的に裁かれることのないよう、重ねてお願い申し上げます」
老人会の耳が、一斉に「ピクッ」と動いた音が聞こえた気がした。責任問題と聞くと、途端に全員が覚醒するのは、逆にすごい。
グリンメルスハウゼンは、例の五秒沈黙を挟んでから、頷いた。
「……よかろう。ファルケンハイン大将の申し出、感謝する。ミューゼル准将の身柄は、我が艦隊が責任をもって預かる」
よし。これで、少なくとも「失敗したからと言って、勝手に憲兵送り」は防げる。
俺が内心でホッとしていると、斜め後ろから低い声がささやいた。
「(小声)……勝手に決めるな、ファルケンハイン」
ラインハルトだ。目が怒っている。まあ、怒るよな。わかる。
「(小声)お前にとっては、施しに見えるかもしれんがな。俺にとっては、『お前が理不尽に死なないための保険』だ。そこだけは、わかれ」
ラインハルトの表情が、一瞬だけ揺れた。納得はしていない。だが、完全には否定もしていない、そんな微妙な顔だ。
ここでさらに俺が何か言うと、またこじれるので、黙っておく。大人の対応。俺もやればできる。
そこへ、会議室の後ろから控えめな咳払いが聞こえた。ミュラーだ。うちの良心枠。
「(小声で)ミュラー、中佐。お前からも何か言ってやれ」
「(小声で困惑しながら)私は、あの……どちらの御意向も、理解できますが……」
「だめだこいつ、バランス感覚が良すぎる」
思わず頭を抱えた。ミュラーは本当に優秀だが、こういう時に中立を取る癖がある。良くも悪くも「真面目」なんだよな。
「よし。リューネブルク准将を先遣偵察隊の指揮官とし、ミューゼル准将とミュラー中佐を副将として同行させる。それでよいな」
爺さんの一言で、方針が固まる。
立ち上がり、ラインハルトとミュラーに向き直る。
「……というわけだ。リューネブルクの下につく形にはなるが、好きに暴れてこい。ただし、死ぬなよ。死なれたら、俺が面倒だ」
「……」
ラインハルトはしばらく黙っていた。怒りの矛先を探しているようにも見えるし、自分のプライドとの折り合いをつけているようにも見える。
やがて、彼は小さく吐息を吐いた。
「……行くからには、全力を尽くす。それだけだ」
「それでいい」
俺は頷いた。正直、これ以上何か言っても、あいつは納得しない。なので、あとはキルヒアイスに丸投げ……したいところだが、今日に限っていない。痛恨の不在。
「ちっ……キルヒアイスがオーディンに残ってるのが悔やまれる。抑え役が俺とミュラーって、バランス悪すぎだろ……」
「え? 私も、抑え役なんですか?」
ミュラーが心底驚いた顔でこちらを見る。お前以外、誰がいる。
「そうだ。お前が理性担当だ。何かあれば、お前が止めろ」
「や、やれる限りは頑張りますが……」
「――では、ミューゼル准将、ミュラー中佐」
背後から、リューネブルクの声がした。振り向くと、例の爽やか笑顔がそこにあった。
「共に、見事な戦果を挙げてみせましょう。帝国のために、そして、我らの名誉のために」
ラインハルトは、露骨に眉をひそめた。
「……勘違いするな。私は、誰かと『名誉を分け合う』ために戦うつもりはない。帝国のために戦い、その結果として、自らの武勲を手にする。それだけだ」
ああもう、この金髪は本当に。嫌いじゃないけど、扱いが難しい。
リューネブルクは一瞬だけ目を細めたが、すぐに笑顔を戻した。
「ふふ。若いですな。ですが、その若さも戦場では武器になる。期待していますよ、ミューゼル准将」
そう言って去っていく背中を見送りながら、俺は小さくため息をついた。
「……よし。面倒なフラグが、ここに一つ、建った」
◆
偵察任務のブリーフィングルームに入った瞬間、俺は盛大にため息をつきかけた。
正確には俺がため息をつく前に、金髪の孺子が先にため息を爆発させたので、タイミングを奪われたと言うべきかもしれない。相変わらず、俺の見せ場を平然と奪っていく男だ。
長方形の部屋の前方にはスクリーンがあって、ヴァンフリート4-2の地形データが映し出されている。クレーターだらけの地表、怪しげな熱源反応、同盟軍の隠し基地がありそうな地形。普通の軍人なら、その情報だけで胃が痛くなるだろう。
片側の席には、今回の任務の名目上の責任者であるリューネブルク准将と、その取り巻きの将校たち。もう片側には、俺とアナとロイエンタール。少し離れたところにミュラー。そして、アナの新しい副官として、グリルパルツァー少佐。さらに入口付近には、腕を組んだラインハルトが仁王立ちしている。
冷静に数えてみる。艦隊司令官が二人。副司令官が一人。副官クラスが二人。そこに参謀長クラスが一人。偵察部隊で行う偵察任務のブリーフィングとしては、頭がおかしいレベルの豪華編成だ。
俺はこういう無駄な豪華さが大好きだが、金髪の孺子はそうでもない。
案の定、ラインハルトが開口一番、怒鳴り声を上げた。
「で、なんで貴様らが全員ここにいる!」
鼓膜がじんわり震えた。やっぱりいい声だな。こいつ、将来元帥になれなかったら、オペラ歌手に転職できるんじゃないか。
ラインハルトは机をバンと叩き、こっちを睨みつけてきた。
「貴様らは艦隊司令官と副司令官と副官だろう。偵察は我々だけで十分だ」
軍人教科書に載せたいほどの正論。教本の一ページに「理想的な若手エースの発言例」として載せてやりたい。
だが残念なことに、この場にいるのは、教科書を枕にして昼寝するタイプの大将である。俺のことだ。
椅子の背にもたれながら、わざと気の抜けた声を出した。
「いやあ、それがさ」
アナが隣で肘でつついてくる。表情は完璧な冷静さなのに、肘の圧力だけやたら強い。お前、その力で敵の首をへし折るのやめろよ。俺の肋骨が折れる。
「ラインハルト君。お前のことが心配でさ。准将とはいえ、まだ十八歳だろ。危険な惑星に送り出すなら、保護者同伴が望ましい」
「誰が十八歳児だ!」
即答だ。さすがだ。声が一瞬裏返ったのは聞かなかったことにしてやる。
「それに艦隊はレンネンカンプに任せてあるから大丈夫だ。あいつ、俺がいない方が伸び伸び指揮できるタイプだしな。今回ぐらいの規模なら、司令官を任せても合格点だ」
「そういうことではない!!」
ラインハルトの額に青筋が浮かぶ。人類標準装備のストレスメーターが、見事に可視化されている。
「何かあったら、この部隊で、帝国軍のトップ二人の命を背負うことになるんだぞ」
トップ二人。いい響きだ。俺とアナは自然と顔を見合わせた。
アナが小さく頷く。「トップ二人」という単語が、妙に気に入ったらしい。後で名刺に印刷しておこうか。
わざと肩をすくめて見せた。
「光栄に思えよ」
「思わない」
これまた即答だ。気持ちいいほど迷いがない。
そこでロイエンタールが、腕を組んだまま、ふうとため息をついた。
「理屈だけ聞けば、ミューゼル准将の言い分が正しいですな。普通の軍隊なら」
「おいロイエンタール。お前まで正論側に行くな。俺の心が折れるだろうが」
俺が抗議すると、ロイエンタールはわざとらしく肩を竦めた。
「しかし閣下が普通であったことなど、一度でもございましたか」
「ないな」
自分で言って、妙に納得してしまった。いいぞ、このまま押し切ろう。
とはいえ、ラインハルトの心配が全くの的外れというわけでもない。
一度軽く息を吐いて、真面目モードを装った。
「よし、じゃあ少し真面目に話そうか、金髪」
「最初からそうしろ」
「最初からそうすると、俺が俺でなくなるから却下だ」
そんなやり取りを挟みつつ、俺は椅子から腰を浮かせて、スクリーンの前へ出た。地形図の上に自分の影が伸びる。これはちょっと司令官っぽくて気分がいい。
「まず大前提としてだな。偵察先に同盟軍の基地が存在する可能性は高い。レンネンカンプの解析と、お前の読みが揃っている時点で、俺はほぼ確定だと見ている。となれば、艦砲射撃だけで片付くとは思えない。高確率で白兵戦になる」
指を一本立てて、隣に座るアナを顎で示した。
「そこでこの女だ。ホーテン中将。うちの艦隊の近接戦闘の看板だ。トマホークと格闘戦に関しては、帝国軍でも指折りだぞ。格納庫でトマホーク投げを見たことがあるが、標的の支柱ごと真っ二つにしていた」
アナが静かに微笑む。あの顔のまま敵兵を解体するんだから、世の中恐ろしい。
「続いてロイエンタール。こいつは文句を言わせないレベルの万能型だ。サーベルも拳銃も優秀。なにより状況判断が冷静で、突撃したくてうずうずしている俺の襟首を掴んで引き戻してくれる」
ロイエンタールが小さく咳払いをした。
「閣下を止める役目は、もはや私の宿命ですか」
「諦めろ。前世からの因縁だ」
今度はミュラーに視線を移す。
「ミュラー。こいつは射撃に関しては天才だ。狙撃も制圧射撃も、教科書どおりにこなす。だがトマホークを持たせると、手が滑って自分の足元に落としかねない」
ミュラーが真っ赤な顔で立ち上がりかけた。
「そ、その件は訓練中に一度だけです、閣下。しかも、靴をかすった程度で」
「靴がかすった時点でアウトだ。あの時アナが拾い上げなかったら、お前の足は今頃惑星ヴァンフリートのどこかに転がっている」
アナがくすりと笑った。
「あの時のミュラー中尉のお顔、とてもいい色合いでしたわ。血の気が引くという現象を、あれほど教科書どおりに見せてくださるとは」
ミュラーがさらに青くなる。お前の反応は優秀だ。
そして最後に、壁際で固まっている新顔の少佐に目を向けた。
「そしてこいつが、アナの新しい副官、アルフレット・グリルパルツァー少佐だ」
部屋中の視線が集まる。グリルパルツァーは姿勢を正し、きっちりと敬礼した。教本から飛び出してきたような模範的軍人だ。だからこそ俺は不安になる。
「本職は測量と工兵。だが、オフの時は探検家をやっている」
ラインハルトの眉がぴくりと動いた。お前、その表情筋の律儀さどうにかならんのか。
グリルパルツァーが慌てて弁解する。
「た、探検家と言いましても、正式な肩書きというわけではありません。私は単に、未知の地形と未踏の土地に興味がありまして、休暇のたびに辺境惑星の山岳地帯や洞窟を調査しているだけで」
「それを世間では探検家と言うんだよ、少佐」
俺がフォローすると、アナが楽しそうに頷いた。
「野営技術も優秀です。雪山でも砂漠でも、必要な資材さえあれば三分で快適な拠点を作る才能をお持ちですわ。今回のような不安定な星域には、これ以上ない人材です」
腕を組み、まとめるように言った。
「つまりだ、金髪。このメンバーは、全部『偵察のついでに基地を発見した場合に備えた白兵戦用の増強戦力』だ。艦隊を離れて潜り込む以上、持てる戦力は出来るだけ持っていった方が良い。合理的だろう?」
ラインハルトは腕を組んだまま、じっと俺の顔を見た。その視線は鋭く、相手の嘘や誤魔化しを見逃さない目だ。
「戦力配分としては理解できる」と金髪が言った。
「だが役職的には明らかに過剰だ。駆逐艦一隻に、大将と中将と、艦隊副官級が二人。どう考えてもバランスがおかしい」
「知ってる」
「おかしいのは分かった上で乗るんだよ。俺の私情でな」
部屋の空気が一瞬固まった。ロイエンタールが噴き出しそうになるのを必死でこらえている。アナは口元に手を当て、肩を震わせている。ミュラーは、ああやっぱりという顔で天井を見上げた。
ラインハルトが低い声で繰り返す。
「私情、だと」
「そうだ。お前に何かあったら、俺の計画が台無しになる」
「俺は元帥になる気はなかった。なかったんだが、最近ちょっと事情が変わってな。アナと結婚するには、それなりの肩書きと発言力が必要だと痛感し始めている。だから仕方なく元帥を目指すことにした」
ロイエンタールが横で小さくうなずく。
「その辺りの話は、最近の閣下の仕事量の増加から察しておりました」
「お前は察しすぎだ」
「でだ。元帥への階段を駆け上がるには、派手な武勲と、それを支えてくれる優秀な部下が必要だ。その優秀な部下の筆頭がお前だ、金髪。だからこんなところで死なれると困る。俺の野望が一気に面倒くさくなる」
ラインハルトが目を細める。
「つまり、俺は貴様の元帥計画の部品というわけか」
「正確には、チーフエンジンだな。俺のロマン砲を動かす主機関だ」
ロイエンタールがとうとう爆笑した。
「ロマン砲という単語が出た瞬間に、一気に安っぽくなりましたな」
アナもつられて笑いながら言う。
「アル様らしいと言えばらしいですわ。究極に利己的で、究極に身内に甘い」
「褒め言葉として受け取っておく」
俺が胸を張ると、ミュラーが恐る恐る口を挟んだ。
「で、ですが閣下。その『身内』の中に、僕も入っているのでしょうか」
「当然だ。お前はトマホークが下手なこと以外は、だいたい優秀だからな」
「そこだけ強調するのやめてください!」
部屋に笑いが広がる。ラインハルトの表情も、いつの間にか少し和らいでいた。
「貴様のやり方は嫌いだ」と金髪がぽつりと言う。「筋は通っているが、私情まみれだ」
「俺は神じゃないからな。正義感だけで動けるほど、清く正しくは出来ていない。俺が守りたいのは、自分と俺の身内と、ついでに帝国の都合だ。その順番は変えない」
正直にそう言った。
「だからこそ、お前にもついていく。お前は帝国にとって有益だし、俺にとって面白い存在だ。俺の野望のために生きて働いてもらう。その代わり、俺も自分の命を賭けて、お前を守る。これでチャラだろ」
ラインハルトはしばらく黙っていた。やがて、ふっと小さく笑った。
「やはり貴様は、俗物だ、ファルケンハイン」
「褒め言葉と受け取るぞ」
「好きにしろ。ただし一つだけ言っておく。勝手に死ぬな。貴様は、俺がいつか越えるべき壁の一つだ。その壁が、俺の見ていないところで崩れては困る」
俺の評価が、妙な方向に伸びている気がしなくもないが、悪い気はしない。
「安心しろ。俺は簡単には死なん。アナが許さない」
「そういう問題なのか」
「そういう問題だ」
アナが恭しく一礼した。
「ラインハルト様。アル様の寿命管理は、私が責任を持って行います。勝手に散ることは絶対に許しませんので、ご安心ください」
「寿命管理という単語に、背筋が寒くなるのは気のせいか」とラインハルトがぼそっとこぼした。
ワクワクしてくる。もちろん、主な理由はアナと一緒のシャトルに乗れるからだが、その辺は黙っておいてやる。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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・印象に残ったシーン
・キャラの新たな一面
などがあれば、ぜひ感想で教えてください。
そろそろ長期連載になってきたので章ごとに簡単なあらすじ(ネタばれあり)をつけるべき?
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つけるべき
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いらない