銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
そのどこかで、今日も一人の男が「少佐です!」と名乗りながら、
トマホーク片手に最前線を駆け回っています。
本作の主人公・アルブレヒトは、
肩書きも、立場も、実力も、そして恋愛事情まで、
すべてがややこしい男です。
彼は無能か?有能か?
俗物か?英雄か?
その答えは、読者の皆さまの目で確かめていただければ幸いです。
銀英伝の世界観に敬意を払いながら、
時に真剣、時に軽妙、そして時にアホらしい――
そんな物語をお届けします。
どうか気軽に楽しんでいただければと思います。
偵察任務とかいう名目で、俺は今、ヴァンフリート星域のどこぞの谷の中を全力で走っている。銃声、爆発、悲鳴。うるさい。
俺はラインハルトについていったあと、訝しがるリューネブルクにさりげなく自分を「ミューゼル准将麾下の、ただのアルフレッド少佐です」と紹介した。階級を二階級ほど低めに申告したのは、決して卑怯ではない。これは高度な自己防衛である。前線で大将が死んだらニュースになるが、少佐が一人いなくなっても、誰も気にしない。なら、俺は今日だけ少佐でいい。
……と、そこまで完璧に計算していたのだが、リューネブルクの奴が、微妙な顔で俺を見てきたのは想定外だった。
「ほう。ミューゼル准将の部下の少佐、ね」
あの時の目つき。完全に「絶対ただ者じゃない」と思っていた顔だ。だが気にしない。気にしたら負けだ。
で、今だ。
「伏せろ!」
敵のブラスターが頭上をかすめる。俺は地面を転がりながら、そのまま前に出て、目の前の同盟兵の顎をトマホークでかち上げた。装甲ごと砕け散る感触。うん、今日も俺のトマホークは元気だ。
「っていうか、なんでこんなに強いんだこいつら!?」
森の中で暴れている連中は、ただの偵察兵の動きじゃない。遮蔽物への入り方、連携の速度、弾幕の厚さ。全部、前線の精鋭級だ。
横で、アナが落ち着き払って敵のヘルメットを撃ち抜きながら、さらっと言う。
「アル様。あの肩章をご覧になって。薔薇の紋章です」
「ん?」
「ローゼンリッターです。自由惑星同盟で、最強とされる陸戦部隊です」
「はあ!?アナのお爺様の在籍されていた?」
思わず聞き返した。
「あの、同盟最強の?そんな連中が、偵察任務のついでに森をお散歩してるのか!?聞いてないぞ!偵察って言葉の意味を辞書で引き直せ、あのジジイども!」
トマホークで敵のライフルを叩き折り、反動でその首元に蹴りを叩き込みながら、俺は全力で愚痴をこぼす。
その横で、ロイエンタールがトマホークを滑らせるように敵の喉を切り裂き、冷え冷えとした声を投げてきた。
「雑談しながら、敵の最精鋭を粉砕している人間の台詞とは思えませんな、閣下」
「おいロイエンタール!今はアルフレッド少佐だと言ってるだろ!」
「はて。少佐殿は、敵兵を片手で持ち上げて、トマホークで鎧ごと両断したりはしないと思いますが」
「人聞きの悪い誇張をするな!」
しかし、本当に厄介だ。この森の中、視界も悪い。敵は装甲服に身を固めたローゼンリッター。こっちは、偵察の名目で少数精鋭、という名の「ラインハルトの様子見部隊」だ。
さすがに、この状況で死ぬわけにはいかない。アナを残して死んだら、あいつ、後追いしそうだし。そんな重い愛は、俺のキャパシティを超えている。
先頭では、リューネブルク准将が暴れている。あいつはあいつで、トマホークを叩きつけるたびに敵が吹き飛んでいく。正直、鬼神という言葉がよく似合う。
敵兵を一人、盾代わりに抱え込みながら、なんとなくその隣に並んでみた。
「よお、リューネブルク准将。お前、なかなか強いな」
リューネブルクの肩越しに、敵の銃口がこちらを向いた。俺は盾にしている敵の頭を掴んで引き寄せ、ビームを無理やり受け止めさせる。そのまま相手を投げ捨て、トマホークを逆手に構え直した。
リューネブルクは、そんな俺を横目で一瞥し、低く呟く。
「……貴様、俺の知る『少佐』は、准将にそんな口はきかんのだが?」
「あ」
俺の脳内で、さっきの自己紹介がフラッシュバックした。
『ミューゼル准将麾下の、ただのアルフレッド少佐です!』
そうだ。俺は、そう名乗った。
今この瞬間も、俺は敵兵の腕を掴んで自分の前に引きずり出し、その隙に足を刈っている。どう見ても「ただの少佐」の動きではない。大体、「准将に向かってお前呼ばわり」は、ただの少佐がやったらその場で射殺案件だ。
「おい、アルフレッド少佐」
リューネブルクが、ぐいっと俺の胸ぐらを掴んできた。目の前をレーザー弾がかすめ、二人まとめて陰に押し込まれる。
「ミューゼル准将の部下に、そんな獣じみた動きをする男がいた覚えはないが?」
「獣じみた、とは心外だな。俺は紳士だぞ」
「紳士は敵兵を盾にしない」
「状況による!」
押し問答している間にも、アナの銃声が一定のリズムで響き、ロイエンタールのトマホークが光る。一歩下がった位置では、ミュラーがきっちり射線を計算して援護射撃をしている。うちの部下は優秀だ。問題は俺の身分だけだ。
「質問を変えよう」
リューネブルクが、声を潜める。
「貴様、どこの『アルフレヒト』だ?」
ドキリとした。俺の名前を、ほぼそのまま言いやがった。さすが元同盟軍、敵情把握は抜かりがない。
ここは、なんとかごまかすしかない。
「よくある名前だろう?アルフレヒト・シュミットとか、アルフレヒト・ミュラーとか」
「ミュラーはあそこにいるだろうが」
リューネブルクの視線の先で、うちのミュラーが、敵の膝を撃ち抜いていた。真面目そうな顔で容赦ないことをする。
「……そういえばそうだな」
「それに、貴様のトマホーク、その形状」
リューネブルクが俺の手元を顎で示す。
「帝国軍標準の制式装備ではない。貴族が趣味で作らせるオーダーメイドだ。しかも、かなり高級品だな?」
「趣味に口を出すな。男のロマンだ」
「そのロマンが、敵兵の血まみれだという事実からは目を逸らすのか?」
「うるさいな!戦場なんだから仕方ないだろ!」
リューネブルクは、そこでふっと笑った。さっきまで鬼神みたいに暴れていた男が、一瞬だけ人間の顔を見せる。
「……まあいい。俺は、貴様の正体に興味はない」
「ないのかよ」
「今必要なのは、ローゼンリッターを追い払う戦力だ。目の前でこれだけやれる男に、
『少佐らしくしろ』と説教している暇はない」
そう言うと、リューネブルクは再び前を向き、敵の隊列に突っ込んでいった。俺は肩をすくめて、その横を並走する。
「最初からそう言えよ。めんどくさい男だな」
「お互い様だろう、アルフレヒト少佐」
銃声が一段と激しくなる。敵がこちらの戦力を本気で警戒し始めた証拠だ。岩の間を縫って飛ぶ弾丸の軌跡が、視界に白い線を描く。
「アル様!左翼が押されています!」
アナの声が飛ぶ。そちらを見ると、同盟兵の一隊が側面から回り込もうとしていた。
「ロイエンタール!左を抑えろ!ミュラー、右からクロスファイアを組め!」
「了解」
「了解しました」
返事と同時に、二人の動きが変わる。ロイエンタールは低く構え、敵の懐に滑り込むように突っ込んでいく。ミュラーは岩の陰から岩の陰へと移動しながら、一発も外さずに敵の関節部を撃ち抜いていく。
リューネブルクが、ちらりと俺を見る。
「おい、アルフレヒト少佐」
「なんだ」
「お前の部下、全員おかしい」
「今さらだな!」
笑いながら、近づいてきたローゼンリッターの首元をトマホークで払った。装甲の隙間に刃が潜り込み、ヘルメットごと頭が宙を舞う。
そう、俺たちはおかしい。俺も、アナも、ロイエンタールも、ミュラーも。そして、こんな戦場にわざわざ首を突っ込んできたラインハルトもだ。
「アルフレヒト少佐!」
前方から、ラインハルトの怒鳴り声が飛んできた。
「そこで遊んでいる暇があったら、とっとと突破口を開け!」
「誰が遊んでるか!今、突破口を作ってるところだ!」
「ならば三分で済ませろ!俺は五分以上待てん!」
「わがままな孺子だなあ!」
そんな罵り合いをしながらも、俺は三分きっかりで敵の隊列を崩した。時間感覚だけは正確だと、自分でも思う。
◆
「……フン。腕が鈍ったな、大佐」
リューネブルクが、バーンシャッフェとかいうオッサンを一撃で沈めた。
ローゼンリッター現連隊長、バーンシャッフェ大佐。
対するは、元連隊長であるリューネブルク准将。
元上司と現上司の、職場修羅場スペシャル。
お互い、笑顔で酒を酌み交わして済む関係じゃないのは、素人目にもよくわかる。
「おお、勝ったな、リューネブルク!」
思わず声を出したら、アナに肘で突かれた。
「アル様。少佐(自称)なのを忘れておいでですか?」
「あっ……そうだった。えーと、リューネブルク准将、さすがです、尊敬します。これでいいか?」
ロイエンタールが、敵兵の兜を踏みつけながら、ジト目を向けてきた。
「尊敬している人間に対して、その口調ですか、少佐」
「お前も敵兵を踏む足を止めてから皮肉を言え。絵面の迫力がすごい」
そんな調子で、俺たちは着々と敵を片付けていく。
銃声と爆発音の中、少し離れた場所で、ローゼンリッターがこちらに照準を合わせているのが見えた。
「アナ、右三十度。マーク三つ」
「了解しました、アル様」
アナは軽くスコープを覗き、三発の銃声。
次の瞬間、敵の火線がすうっと消えた。
「ナイスショット。さすが俺の女だ」
「後で、もっと褒めていただきますわね、戦果報告を兼ねて」
この人、褒めると自分へのご褒美を勝手に増やしてくる。
だが、まあ、そのご褒美がこちらにも美味しいので何も言えない。
バーンシャッフェが完全に動かなくなったのを確認したローゼンリッターは、一斉に包囲を解こうとしていた。
敵の中では、あのオッサン人望ないんだろう。象徴が倒れると、途端に腰が引ける。戦場あるあるだ。
「さて、どうする、リューネブルク」
問いかけると、リューネブルクは兜越しでも分かる渋い顔になった。
「どうするも何も、連隊長を捕虜として確保する。それが任務だ」
「生きてるのか? あのオッサン」
バーンシャッフェの首元を軽く押さえてみる。脈はある。
さっきの一撃、ギリギリ殺さない力加減だったらしい。さすが元上司、情けはある。
「……なあ、正直聞くけどよ」
小声で尋ねた。
「嬉しいか? 元部下に勝って」
リューネブルクが、わずかに目を細めた。
「元部下」という単語に、いろいろ刺さるものがあるのだろう。
「嬉しいかどうかは、今さらだな」
「言い方」
リューネブルクは肩を竦めた。
「俺は祖国に見切りをつけただけで、自分が正義だと思ったことは一度もない。
だが、連隊長として鍛えた男の腕が鈍っていたのを見た時、少しだけ、胸がモヤモヤした」
「モヤモヤ?」
「そうだ。もっとやれただろう、お前ってな。俺が勝ったことより、そっちの方が気に障る」
ああ、わかる気がする。
俺も、ラインハルトが妙に納得しない負け方をするとムカつくし。
勝った負けたというより、「もっと派手にやれたろ、金髪」と思うからだ。
◆
奥からさらに激しい足音が響いてきた。地面が小刻みに揺れる。嫌な予感しかしない。俺の危険察知センサーが、久々に最大出力で鳴りっぱなしになった。
「連隊長、無事か!」
飛び出してきたのは、一人の男だ。背は高く、無駄な肉がまるでない。しかもその男、走りながら平然と弾幕の中を抜けてくる。うちの歩兵が一斉にブラスターを浴びせても、少し身体を傾けたり、岩を蹴って軌道を変えたりして、全部かわしてしまう。
「は?今の当たらないのかよ」
思わず声が漏れた。いや、うちの兵の射撃精度に文句をつける気はない。むしろ帝国標準からすると優秀な部類だ。それを易々とすり抜けてくるあの野郎の感覚が、完全に常識の外側にいる。
男は倒れているバーンシャッフェの方へ一直線に突進した。どうやら助けに来たらしい。忠義心は結構なことだが、救出させたらこちらの手柄が減る。
「させるかよ!」
即座にトマホークを抜き、全力で投げつけた。狙いはバーンシャッフェにかがみ込もうとした男のヘルメット。回転軌道も完璧、自分で言うのもなんだが教本に載せたいレベルの投擲だ。さらに予備としてブラスターも連射しておく。刃と光弾の二段構え、普通ならどちらかは命中する。
結果は、普通ではなかった。
男は、少し腰を落としただけで、俺のトマホークを紙一重でやり過ごし、その勢いのまま足元の石を蹴り上げてきた。狙いは弾丸の軌道。飛んできた石が、ちょうどブラスターのビームラインをずらす位置に入り込み、光の矢は全部違う方向へ吸い込まれていく。
「おい、重力と慣性の勉強を一からやり直せ。物理法則を捻じ曲げるな」
ツッコミを完了する前に、奴の姿が目の前に迫っていた。早い。ワープでもしたのかと疑う距離の詰め方だ。
視界いっぱいに拳が広がる。
次の瞬間、世界が横向きになり、そのまま一回転した。
背中から地面に叩きつけられ、肺から空気が全部絞り出される。変な声が勝手に喉から飛び出した。
「ぐへっ…お、おおお……」
目の前で星が三つほど回る。頬骨がジンジンする。頭の中で俺の顔面の市場価値が、株価チャートの急落グラフになっていく映像が浮かんだ。
「おのれ……俺の美しい顔に、よくも拳を入れてくれたな……」
貴族にとって顔は資産だ。政治にも恋愛にもあらゆる場面で必要になる。しかも俺の場合、アナに甘やかしてもらう時の重要アイテムでもある。その顔に、真正面からパンチを叩き込むとは、あいつ、将官に対するテロ行為の自覚があるのか。
男は、俺が一撃で沈んだと判断したのか、ブラスターを投げ捨ててナイフを抜いた。装甲服の継ぎ目を狙う、教科書通りの動きだ。迷いがない。完全にここで息の根を止める前提で近づいてくる。
さすがに少しマズい。体を起こそうとしたが、腹の中で内臓会議が始まっているらしく、全員一致で「しばらく動くな」という決議が可決されたようだ。力が入らない。
ナイフの切っ先が、ゆっくりと俺の視界を覆う。その瞬間。
「アル様に、触れるな」
鼓膜を震わせる金属音が響いた。甲高くて、やたら気持ちの良い音だ。
俺の目の前で、アナのトマホークがナイフの一撃を受け止めていた。細い腕から想像できないほどの重い衝撃を、真っ向から止めている。刃同士が押し合うたびに、地面の土が震え、小石が俺の頬にぱらぱらと当たった。
「……今日も頼もしいな、アナ」
思わず笑いが込み上げる。頬が痛んで顔が変な形になったが、それでも笑った。銀河で一番格好いい女が、自分のことを当然のように守ってくれる。これでニヤつくなという方が無茶だ。
男は驚いたように目を細めた。
「ほう。帝国にも、こういうレディがいらっしゃるとは。正直、想定外だな」
軽い口調だが、腕は一切緩んでいない。ナイフの切っ先が僅かに揺れ、そのたびにアナのトマホークも追従する。一歩でも判断を誤れば、即座に血が飛ぶ距離だ。
アナは冷たい声で答えた。
「想定の甘さは、戦場では命取りになりますよ。アル様の頬に痣を作った件、重罪です」
「それは悪かった。あまりに油断した顔で突っ立ってたから、反射的に殴りたくなっただけさ」
「その理由も、減点対象です」
あの冷静なアナが、珍しく本気で怒っている。これは後で慰めてやらないと、とぼんやり考える自分がいた。
地面に寝転がったまま、横にいるロイエンタールに声をかける。
「おいロイエンタール、現在の状況を実況しろ。俺の目はまだ星が回っててな」
「自分で立って確認なさるのが、一番のリハビリになるかと」
「俺の腹の中で内臓会議が紛糾中なんだ。議長の俺が立ち上がると、全員退席する。決議どころじゃない」
「くだらない比喩を口にできるなら、生命の危険はなさそうですな」
そう言いながらも、ロイエンタールは真面目に解説してくれる。こういうところが、こいつの憎めない部分だ。
「敵の増援は一名。ただし、その一名で前衛の半分以上を突破。格闘能力と回避能力は、帝国基準の上限付近。現在はアナスタシア中将と一対一で交戦中。白兵戦だけなら、キルヒアイスと並ぶか、それ以上かもしれません」
「だろうな。アナと互角にやり合えるなら、人間としては最上位クラス確定だ」
「あなたの中の人間ランク表は、あいかわらず信用しがたい」
ロイエンタールが小さく息を吐く。
「少しは腕が上がったようだな、シェーンコップ」
リューネブルクだ。
俺は思わず叫んだ。
「知り合いなのかよ!」
肋骨が軋んだ。ツッコミ一つ入れるにも命がけだ。
アナと斬り結んでいる男が、口元だけで笑った。
「ご無沙汰しています、元連隊長殿。こちらも連隊の方が忙しくてね」
「その忙しい合間に、うちの大将を殴る余裕はあったようだがな」
リューネブルクの皮肉に、男は肩をすくめた。
「そいつが大将?帝国の人事は、なかなか冒険的だな」
「聞こえてるからな」
必死で上体を起こし、指を突きつける。
「いいか、シェーンコップとか言ったな。俺は正式には大将、非公式にはアナの婚約者候補、ついでに帝国屈指のトマホーク投げの名手だ」
「最後だけ異様に安っぽい肩書ですね」
ロイエンタールがすかさず切って捨てた。
「さっき、その名手の投げた武器を、敵が普通に避けていましたが」
「今日は調子が悪かっただけだ。たまには空振りもする」
「それを世間では凡庸と言います」
心のHPが、物理ダメージと精神ダメージのダブルアタックで削られていく。あとでこいつの給料査定を下げる、と心に決めた。
その間にも、アナとシェーンコップの攻防は激しさを増していく。トマホーク同士が火花を散らし、装甲服同士がぶつかる鈍い音が重なる。二人とも息が乱れる気配はない。むしろ楽しんでいるようにすら見える。
シェーンコップが笑いながら言った。
「帝国のレディ、なかなかやる。腕がちぎれそうじゃないか」
「ご心配なく。アル様を抱きしめる筋力で鍛えておりますので」
「その訓練内容、ぜひ詳しく――」
「それ以上は、同盟紳士の品位を疑います」
アナの声が、少しだけ低くなった。その瞬間、攻撃のテンポが変わる。今まで互角だった攻防が、じわじわとシェーンコップ側にとって窮屈な形になっていく。
そこへ追い打ちをかけるように、リューネブルクが前へ出た。さすがに空気を読む。
「いつまでも遊んでいる暇はないぞ、シェーンコップ。貴様の連隊長は、まだ寝ている」
「ああ、そうだった」
シェーンコップは小さく息を吐き、視線だけでバーンシャッフェの方を確認した。ほんの一瞬の隙。それで十分だ。
アナが踏み込む。トマホークの刃が、シェーンコップの装甲の肩口をかすめた。火花が散り、外装が浅く裂ける。
「っと、危ない」
シェーンコップは素早く後方へ跳び、その勢いのまま地面に転がるバーンシャッフェの襟首を片手で掴んだ。軽々と持ち上げ、そのまま肩に担ぎ上げる。
「連隊長に傷が付いたら、今夜の酒が不味くなる」
さらりと言いながら、俺たちとの距離を一気に開けた。足の動きが尋常ではない。一歩ごとに数メートル単位で間合いが広がる。
アナが追撃に移ろうとした瞬間、俺は肺の反対を押し切って叫んだ。
「アナ、深追いはするな!」
自分でも驚くほどの大声になった。胸が痛む。だが構わない。
「偵察の目的は、敵の殲滅じゃない。敵の質と規模の確認だ。ローゼンリッター本隊がここにいることも、連隊長とよく動く奴の顔も把握した。ここまでくれば十分成果だ。あとは俺の顔面の損害を、後方でゆっくり回復させればいい」
「最後の一文が本音でしょう」
ロイエンタールの呆れ声が飛ぶ。それでも、アナはすぐに速度を落とし、追撃をやめてくれた。
「了解しました、アル様。深追いは控えます」
シェーンコップは戦車に乗って消える直前、ちらりとこちらを振り返り、右手を額に当てて軽く敬礼した。
「帝国の変わった大将と、その恐ろしく強い恋人殿。また会える日を楽しみにしている」
「変わったの一言、余計だ!」
俺がそう怒鳴った時には、もう姿は向こうに消えていた。
森の中に残されたのは、倒れた同盟兵と、拘束されつつあるローゼンリッターの数名。それから、頬を押さえている俺と、ため息をつきながら戦況を確認するロイエンタール、淡々と周囲の警戒を続けるアナだ。
ミュラーが近づいてきて、おずおずと尋ねる。
「追撃は、本当に行わなくてよろしいのですか、閣下」
「いらん。面倒だ」
即答すると、ミュラーが苦笑した。
「理由が雑過ぎます」
「じゃあ、付け足してやる。今の一戦でわかったことは多い。ローゼンリッター本隊がこの星にいること、連隊長と部隊の能力、部隊の練度。それと、連隊長を抱えてでも撤退を優先する程度には、あの男が情に厚いこと」
指を折りながらまとめていく。途中で肋骨がきしんで顔が歪んだが、見なかったことにする。
「情に厚い敵指揮官は、やりようによっては味方にできる。無闇に追い込みすぎるより、次の一手の余地を残した方が得だ。そういう判断だ」
ミュラーは真面目に頷いた。
「なるほど。そういう観点もあるのですね」
「お前も、もう少し歳を取ればわかる。世の中の半分は戦術で動き、残りの半分は面倒くささで動く」
ロイエンタールが肩をすくめる。
「結論としては、頬を殴られて撤退しただけの出来事を、そこまで高度な言い訳で装飾する才能が、さすが閣下ということですな」
「黙れ。軍人の報告書の大半は、後付けの理屈でできている。俺だけ責めるのは不公平だ」
ようやく立ち上がると、視界の星が減ってきているのに気づいた。これなら歩ける。
「よし、撤収するぞ。全員、基地まで下がれ。リューネブルク、文句なら後でまとめて聞いてやる。今は生きて艦に帰る方が先だ」
号令をかけると、部隊は手際よく動き始めた。さすがローゼンリッターを正面から迎え撃って、まだ呼吸をしている連中だ。足並みは揃っている。
徐々に銃声が消え、かわりに風の音が戻ってきた。ついさっきまで殺し合いをしていた場所とは思えない。
アナがそっと俺の腕を支える。
「歩けますか、アル様」
「ああ。頬が少し痛いのと、自尊心に若干ヒビが入っているだけだ。風呂に入って、アナに薬を塗ってもらえば回復する」
「でしたら、本日中に完全回復していただきます」
それを聞いて、頬の痛みが少し和らいだ気がした。
こうして俺たちの偵察任務は終了した。
成果は、敵最強部隊の確認、重要人物二名の顔と癖の把握、自軍の損害は最小限。そして、司令官の顔面に軽い打撲。
「最後の一項目は、報告書から削除した方が良いのでは」
ロイエンタールが真顔で言う。
「いや、むしろ太字で書いておく。職務中に受けた傷は、勲章の一種だ。俺の顔は帝国の文化財だからな」
「文化財を自称する軍人まで抱えるとは、帝国軍も懐が深い」
呆れた声を背中で聞きながら、俺は密かに決めた。
次にシェーンコップと会った時には、倍返しで殴り返してやる。その時に俺の頬に痣が残っていないよう、今夜はアナにたっぷり手当てをしてもらうとしよう。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
もし、
・このアルは好きだ
・アナが最強ヒロインだった
・リューネブルクの使い方が良かった
・シェーンコップ戦が熱かった
など、少しでも心に残る部分がありましたら――
ぜひ感想をお寄せください。
そろそろ長期連載になってきたので章ごとに簡単なあらすじ(ネタばれあり)をつけるべき?
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つけるべき
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いらない