銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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本作は、
銀英伝の荘厳さ+現代的な軽妙さ+皮肉と情のある政治劇
を意図して書かれています。

肩ひじ張らずに読める銀英伝。
でも、中身はしっかり銀英伝。

そんな作品になっていれば幸いです。

どうぞお楽しみください。


ファルケンハイン上級大将の憂鬱と栄光

 ヴァンフリート星域での地獄の撤退戦を終えて、俺は旗艦ロンゴミニアドの艦橋で、わざとらしくふんぞり返っていた。椅子の背もたれに体重を預け、足を組み、肘掛けを軽く指で叩く。こうでもしないと、心のどこかで「もう帰りたい」と泣いている自分をごまかせない。

「……で、俺たちは何をしているんだ?」

 

 視界の前には、戦闘シミュレーションのログが延々と流れている。ヴァンフリート4-2から脱出して、艦隊戦の全ログを整理しているわけだが、一言でまとめるなら「グダグダ」だ。

 

 いや、ほんとにグダグダだった。

 さっさと撤退していれば被害も少なく済んだのに、あのカオスな宙域で四月末まで粘らされ、しかも「戦略的撤退」などという聞こえの良い言葉でごまかされている。

 

実態は、前線にいた連中全員の疲労とストレスを積み上げる、悪趣味な長期耐久レースだった。

 

 おかげで、艦橋クルーの半分は顔色が土気色だし、レンネンカンプはいつ胃に穴が開いてもおかしくない顔をしている。あの男は元から真面目で胃が弱そうだが、ヴァンフリートでの経験は確実に寿命を削った。帝国軍人事部は、あいつに胃薬代を支給するべきだ。

 

 そんな地獄をくぐり抜け、ようやくオーディンへ帰還したのが五月。俺たちが「やっと風呂だ」「やっとまともなベッドだ」と喜んだのも束の間、待っていたのは昇進辞令の嵐だった。

 

 まず、ラインハルトが少将に昇進した。

 あいつは地上戦でセレブレッゼを捕まえた。あの戦場全体の評価が微妙だったぶん、地上で派手に暴れて将校を捕縛した金髪の若造は、上層部にとって「分かりやすい武勲」として非常に扱いやすかった。

 

 結果、ヴァンフリート戦役といえばラインハルト、みたいな空気が生まれた。

 

 いや、功績があるのは認める。あいつが強いのも、才能があるのも、俺はよく知っている。ただ、こうして後から書類を並べてみると「艦隊戦グダグダ」「地上戦だけやたら派手」というコントラストのせいで、ラインハルトの点数だけが変にインフレしている。

 

 そして、リューネブルクも少将。

 

 理由は簡単だ。ラインハルトを昇進させたのに、その上官であったリューネブルクを昇進させないのはおかしい、という発想。

 

 典型的な「ついで」人事である。

 

 正直に言おう。リューネブルクは有能だ。いや、むしろ厄介なほど有能だ。あの男は自分の欲しい地位と立場のためなら、どれだけ面倒な駆け引きも厭わない。

 

「少将昇進おめでとうございます」と祝辞を述べたときの、あの薄い笑み。絶対に何か企んでいる。あれは、自分の中で次の一手を五手先まで計算している男の顔だ。俺の中の危険センサーが、全力で警報を鳴らしていた。

 

とはいえ、ついでだろうが何だろうが、昇進は昇進だ。

 

そして、グリンメルスハウゼンの爺さん。

 

あの腹黒爺も、大将に昇進した。

 

 見事なまでに「名誉職です、もう前線に出なくていいです」というメッセージが詰め込まれた昇進だ。陛下からの「もう無茶しないで、静かに余生を過ごしてくれ」という優しい嫌がらせと言っていい。

 

 爺さん本人はまだやれるとか言いながら嬉しそうにしていた。人間、年を取ると素直になるのだろうか。それとも、単に勲章と肩書きが増えると機嫌が良くなる性質なだけか。どちらにせよ、ミュッケンベルガー元帥からすれば、常に目を配らなければならない厄介な現場指揮官が、名誉職の棚の上に片付いてくれた形になる。

 

 つまり「お守り対」が一人減ったわけだ。

 おかげで、ミュッケンベルガーの白髪が少し減ったかもしれない。いや、あの量はもう誤差の範囲か。

 

そして。

ここからが、俺にとって一番重要な話だ。

俺も昇進した。

 

上級大将。

 

響きだけなら、かなり偉そうだ。実際、偉い。大体の人間が敬語になる。貴族のご婦人方が、妙に柔らかい笑顔を向けてくる。軍の官僚どもが、急に丁寧な口調で話す。

 

理由はシンプルだ。

爺さんが昇進するのに、一緒にいた司令官である俺が昇進しないのはおかしい、という帝国軍お得意の忖度ロジックが発動した結果である。

 

要するに、爺さんを上げるなら、その近くにいた若いのもついでに上げておけという雑なパック商品。

 

 だが、俺はこういう雑な幸運が嫌いではない。

 

「よし、イエス。ありがとう、帝国軍の惰性システム」

 

辞令書を受け取った瞬間、俺は内心でガッツポーズを決めていた。

陛下直々の言葉もあった。

 

「話の分かる若者は、良いものだ」

 

そう言って、陛下は俺の肩に軽く手を置いた。

その瞬間、俺の背筋を冷たいものが走った。

 

 これは褒め言葉だ。表面的には、間違いなく褒め言葉だ。しかし裏を返せば、「これからも話の分かる若者として、都合よく動いてくれ」という、皇帝陛下からのフレンドリーユーザー登録みたいなものでもある。

 

 つまり、俺は「使いやすい若者」として、陛下と爺さんのブックマークに追加されてしまったわけだ。

 

ありがたい。非常にありがたい。

同時に、逃げ道がひとつ潰れた感覚もある。

ここまで来たら、元帥まで行くしかない。もはや途中で「やーめた」と投げ出すには、肩書きが重くなり過ぎた。

 

問題は、その先に待っているのが「英雄」なのか、それとも「便利な駒」なのかだ。

俺は、自分のことをそこまで高潔な存在だと思っていない。

どちらかといえば、楽をしたい。

 

 楽をするためには、ある程度の地位と権限が必要になる。それがたまたま、今の俺の場合は上級大将という形で提供されただけだ。

 

……と、自分に言い聞かせている。

しかし、問題はもう一人いる。

そう、ラインハルトだ。

陛下は、あいつのことも気に入っている。

これは爺さん経由で聞いた話だが、「今度、名のある伯爵家を継がせてやろうか」とまで言っていたらしい。

 

 金髪の天才少年に爵位を与える。物語としては実に分かりやすい。民衆も喜ぶ。貴族社会は警戒する。元老院は頭を抱える。

 

そして、ラインハルト本人は、きっとあの目で前だけを見て進むのだろう。

正直、面倒なライバルだ。

 

 俺としては、もう少し静かに、ほどほどに出世して、適度なところで安定したい。ところが、同じ戦場で暴れ回る金髪の化け物がいるせいで、常に比較対象を意識させられる。

 

「あいつほど野心はないぞ」と、何度自分に言い聞かせても、現実には同じテーブルに乗せられてしまう。

 

 俺が上級大将で、あいつが少将。肩書きの差だけ見れば、まだまだ距離はある。

 

 だが、問題は速度だ。

 ラインハルトの出世速度はおかしい。

 

 普通の将校が十年かけて積み上げるものを、数年で駆け抜ける勢いがある。あの勢いに巻き込まれたくないのだが、すでに同じヴァンフリート戦役で功績を並べてしまった以上、軍の記録上、俺たちはひとつのセット商品になりつつある。

 

 おまけに、アナとロイエンタールも、そのセットに含まれている。俺の私兵部隊は、気づけば「金髪閣下の友人枠」と「皇帝陛下のお気に入り若手枠」の両方に片足を突っ込んでいる。

 

どこで人生設計を間違えたのか。

 いや、そもそも「楽をしたい」という人生設計が、この銀河には向いていないのかもしれない。

ヴァンフリート星域のログを閉じながら、俺はため息をついた。

 

「……はあ。疲れたわ」

 

 口から漏れた本音に、すぐ横で控えていたロイエンタールが、小さく笑った。

 

「お疲れですな、上級大将閣下」

 

「その呼び方、まだ慣れない」

 

「すぐ慣れますよ。人は肩書きに順応する生き物です。それに、陛下のお気に入りというのは、なかなかに貴重な立ち位置ですぞ」

 

「その貴重さのせいで、寿命が縮む気しかしないんだが」

 

「それはレンネンカンプ閣下の専売特許では?」

 

「やめろ。あいつの胃にもう穴は開けないでやれ」

 

 ロイエンタールの皮肉に、思わず笑ってしまう自分がいる。

 そうだ。

 こうして笑えているうちは、まだ大丈夫だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 いきなり、ドン、と扉が乱暴に開く音がした。ノックゼロ。元気だけは無駄にある足音。金髪。だいたい犯人の顔は想像がつく。

 

「ファルケンハイン!」

 

 案の定、ラインハルトが嵐のように飛び込んできた。金色の瞳がギラギラしている。さっきまで陛下の前でそれなりに礼儀正しくしていたやつと同一人物とは思えない。

 

「納得がいかんぞ!」

 

「はいはい、俺の昇進に不満なら、元帥府に行ってこい。俺は知らん」

 

「そうではない!」

 

 机に両手をついて身を乗り出す。近い。距離感を学べ。

 

「なぜ、キルヒアイスが昇進しないのだ!」

 

 ああ、そっちか。

 俺は、とりあえず鼻をほじる代わりに、ペン立てをいじって気持ちを落ち着かせた。実際に鼻なんかほじったら、後で秘書官に説教される。

 

「しょうがないだろうが。お前が地上で俺たちと遊んでいる間、あいつはオーディンでケンプの手伝いをしていたんだ。書類まみれで留守番だぞ。前線に出てないのに、どうやって勲章を積み上げるんだ」

 

「書類仕事も立派な任務だ!」

 

「それはそうだが、上層部の老人たちは、爆発しない戦果に点数をつけるのが苦手なんだよ」

 

ラインハルトは歯噛みしている。これで床が削れないのが不思議だ。

 

「ならば、俺の功績を半分、あいつにくれてやる!」

 

出た。即決の暴論。

 

「お前、ポイントカードだと思ってないか。『本日二倍デーなので友人に山分け』みたいなノリで功績を配るな」

 

「構わん!ヴァンフリートでの地上戦の評価など、どうせ俺一人に集まっているのだろう。あれは俺だけの力ではない。キルヒアイスがいてこその戦果だ」

 

金髪の英雄候補生は、本気で言っている。

こういうところが憎めないのだが、同時に厄介でもある。

 

「それに、あいつは俺の片腕だ」

 

ラインハルトの声が少しだけ柔らかくなった。

 

「俺がどれほど無茶をしても、そばで支えてきた。貴族どもに取り囲まれていた頃から、ずっとだ。今回の戦役で昇進しないなど、理不尽にも程がある」

 

「……」

 

 言っていることは正しい…か?

 ただ、軍の人事制度というものは、正しさで動いてはいない。書類と印鑑と政治的配慮で動く。

 

 その現実を説明するのも面倒くさかったので、俺は早々に降参することにした。

 

「わかった。そこまで言うなら、キルヒアイスも大佐に昇進させて、お前の副官につけてやる。それで納得しろ」

 

ラインハルトの表情が、一瞬で変わった。

 

 さっきまで雷を落としそうな顔をしていたのに、ぱっと晴れる。満面の笑みとまではいかないが、あからさまに頬が緩む。

 

「それでいい」

 

それだけ言うと、くるりと踵を返し、そのまま去っていった。

嵐のように来て、満足して帰る。何だこの気圧の変化。

 

「……手のひら返し、早すぎだろ」

 

あの即落ち二コマみたいな反応、やはりそっちの趣味があるのではないかという疑惑が頭をよぎる。

 

あれはもう恋人への昇給交渉に近い熱量だ。

 

「キルヒアイスを昇進させろ。さもなくば暴れる」

 

完全に、職場恋愛のややこしいパターンである。

 

いや、もちろん、あいつらの関係をどうこう言うつもりはない。本人たちが幸せなら、それでいい。問題は、その余波で俺の仕事が増えることだ。

 

そんなことを考えていると、今度はノックがあった。

 ちゃんとノックをする紳士が、この艦隊にもいたのだ。

 

「入れ」

 

扉の向こうから、ロイエンタールが姿を現した。制服の襟は乱れていないし、目の下にクマもない。ラインハルトと違い、室内に嵐を持ち込まないタイプだ。

 

「先ほど、ミューゼル准将が出ていくのを見ましたが、何かありましたか」

 

「キルヒアイスへの愛を叫びに来ただけだ」

 

「……愛」

 

 ロイエンタールの片眉が、わずかに動いた。

 

「よろしいのですか、閣下。ミューゼル准将を、そこまで甘やかして」

 

「いいんだよ。あの二人、しばらく離れていたせいで、お互い世界が広がったと思うしな。ここらで一度、原点に戻しておいた方が扱いやすい」

 

「扱いやすい、ですか」

 

「そうだ。金髪が暴走するときは、大体キルヒアイスがブレーキをかけている。だったら、そのブレーキに公式な肩書きを与えておいた方が、周りも納得しやすい」

 

ロイエンタールは小さく息をついた。

 

「合理的ではありますな」

 

「だろう」

 

机の上に積まれた昇進関係の書類に目を落とした。そこには、ロイエンタールの名前もある。

 

「それに、今回はお前にもご褒美がある」

 

「ほう」

 

「俺の愚痴に付き合った功績で、准将に昇進だ」

 

ロイエンタールの表情が、ほんの一瞬だけ崩れた。

普段は冷静な目をしている男が、子供のようにわずかに目を見開き、それから笑みを浮かべる。

 

「それは……光栄です」

 

「これからは分艦隊司令として、俺の艦隊をもっと支えてもらう。覚悟しろ」

 

嬉しそうな顔が、その言葉で少しだけ曇った。

 

ロイエンタールの中に、ほんの少しだけ寂しさが浮かんだのが分かった。

 

俺は、そこでニヤリと笑う。

 

「まあ、俺の艦隊からは当分離さんからな。逃げたいなどと考えるなよ」

 

ロイエンタールは一瞬目を丸くし、それからいつもの皮肉げな笑顔に戻った。

 

「フッ。御意。貴方様の側が、一番退屈しませんからな」

 

「今の言い方、若干告白じみてなかったか」

 

「気のせいでしょう」

 

気のせいか。

 いや、さっきから俺の周りの男どもは、どうにも愛だの片腕だの、甘ったるい単語を連発している気がする。

 

 ラインハルトはキルヒアイス。

 ロイエンタールは俺。

 

 これ、ジャンルを間違えると、とんでもない方向に評価される作品になるのではないか。俺は一応、銀河英雄伝説カテゴリーのつもりで生きているのだが。

 

「まあいい」

 

ひとまず、ロイエンタールの昇進は決定だ。

新しい副官も必要になる。

ここで登場するのが、ミュラーである。

 

 あの真面目な青年も、いつの間にか少佐に昇進していた。戦闘中も淡々と仕事をこなし、必要な時にはきちんとリスクを取る。辛気くさいほど堅物でもなく、かといってシェーンコップほど騒がしくもない。

 

書類の管理を任せるには、ちょうど良いバランスだ。

 

「というわけで、新しい副官にはミュラーを連れてくる」

 

「妥当な人選ですな」

 

「だろう。お前ほど黒くもなく、ラインハルトほど眩しくもない」

 

「黒いと言いましたな、今」

 

「事実だからな」

 

ロイエンタールは肩をすくめ、それ以上は何も言わなかった。自覚はあるらしい。

 

問題は、アナだ。

 

今回の人事で、俺にとって唯一不満があるとすれば、アナの昇進が見送られたことだ。

あいつの白兵戦能力だけを見れば、もう一階級くらい上げても構わない。

 

 だが、俺が大将から上級大将に昇進したせいで、その周辺には妙な嫉妬と警戒が渦巻いている。ここでアナまで上げたら、「あの艦隊、身内だけ優遇している」などと陰口を叩かれるのは目に見えていた。

 

 夜道で斬りかかってくるやつなどいないにしても、嫌がらせや根回し合戦に付き合うのはごめんだ。

 

 その代わりと言っては何だが、うちの艦隊連中は軒並み昇進させてやった。

 

ケンプ。ケスラー。ミッターマイヤー。

 

前線で汗を流した連中には、きちんと報いる。

 

ラインハルトと違って、俺は周りを気にかけることができる優しい上官なのだ。

 

 自分で言うあたり、あまり褒められた性格ではないかもしれないが、実際、俺は部下の待遇には気を配っている。

 

 俺が楽をするためには、周囲が気持ちよく働いてくれる必要がある。

 

 尊敬や忠誠心は、最終的に「上司のために少しだけ割を食ってもいい」と思わせる潤滑油だ。

 

だから俺は、部下にちゃんと人事で恩を売る。

恩を売りつつ、「これはお前の実力があったからだ」と言っておく。

すると、勝手にやる気になってくれる。便利だ。

ロイエンタールは、新しい肩書きを手に入れても、俺の前では相変わらずだ。

 

ミュラーは、副官の席に座っても緊張で固まりすぎる様子もなく、真面目に仕事を覚えていく。

 

 ラインハルトは、キルヒアイスの昇進が決まったことで、明らかに機嫌が良くなった。

 そしてアナは、階級が変わらなくても気にした様子を見せず、いつも通りトマホークを研いでいる。

 

うん。この艦隊、やっぱり周りの方がしっかりしている気がする。

 

 

 

 

 

 

 

リューネブルク少将の自宅前に立ったとき、俺は心の中で深呼吸した。

 

目的はスカウトである。しかも、陸戦隊のイケメン枠を丸ごと抱え込む大仕事だ。

 

 隣にはアナスタシア。今日もキレイにキメているが、中身はトマホークを握った殺戮マシンである。ドレスの中身を知っている俺としては、玄関先でにこやかに微笑む姿を見て、少しだけ被害者への黙祷を捧げたくなる。

 

「閣下、顔がにやけておりますよ」

 

「にやけてない。戦略的笑顔だ」

 

「本当にそう見えますとよろしいのですが」

 

アナが薄く笑う。外面だけ見れば、聖女だ。中身はフルメタルだが。

 

 呼び鈴を鳴らすと、ほどなく扉が開いた。姿を現したのは、この家の主――ヘルマン・フォン・リューネブルク少将。その背後から、噂の美人の奥さんが顔をのぞかせた。

 

 おお。

 

 噂は誇張ではなかった。整った顔立ちに落ち着いた物腰。あれで夫がこの男なのだから、世の中はよく分からない。

 

ちらりと隣を見ると、アナもわずかに目を細めている。

 

あの顔は、「評価はしますが、私の方が上です」と言っている顔だ。自信満々である。そういうところ、嫌いではない。

 

「これは閣下。ようこそお越しくださいました」

 

リューネブルクが、実に社交的な笑みを浮かべて頭を下げた。

 

「急な訪問で悪いな。昇進おめでとう、少将殿」

 

「閣下こそ、上級大将へのご昇進、慶賀に堪えません。まさに時代の寵児ですな」

 

 口ではそう言っているが、目の奥が笑っていないあたりが、リューネブルクという男の面白いところだ。

 

この男は今、自分の頭の中でいろいろ計算している。

 

俺が直接家を訪ねた理由。わざわざアナまで連れてきた事情。

 

「どうせまたあの俗物が、俺を狡猾に利用するため、何か売り込みに来たのだろう」とか、そのあたりの予想までは確実についている。

 

そこまで読めるあたりが、今の軍で妙に冷遇される理由の一つなのだろう。

 

「立ち話も何でしょう。どうぞ中へ」

 

 客間に通され、ソファに腰を下ろす。テーブルには上品なお茶と菓子。皇帝陛下の前線視察より、よほど落ち着く空間だ。

 

 アナは一歩下がった位置に静かに控えているが、視線だけは相手の動きを逃さない。あの目で見られたら、たいていの諜報員は三分で白状する。

 

「それで、本日のご用件は?」

 

リューネブルクが本題を促してきた。相変わらず無駄がない。

 

こちらとしても遠回しに駆け引きする気はないので、ストレートに行く。

 

「単刀直入に言おう。リューネブルク少将、俺は貴官をスカウトしに来た」

 

「……スカウト」

 

わずかに眉が動く。

 

「貴官には、俺の全艦隊に所属する陸戦隊、その総司令官を任せたいと考えている」

 

リューネブルクは、すぐには返事をしなかった。

 

 紅茶を一口含み、カップを静かに置く。沈黙は十秒にも満たないが、その間にこいつの頭の中では、とんでもない情報処理が走っているはずだ。

 

「理由を伺ってもよろしいかな」

 

「いくつかある。まず一つ。貴官が今の軍で冷遇されていることだ」

 

「手厳しい評価だ」

 

「事実だろう。功績に比べて、扱いが悪すぎる。原因がどこにあるか、本人が一番よく知っているはずだ」

 

リューネブルクは薄く笑った。自覚はあるらしい。

 

「二つ目。俺が元帥になるからだ」

 

「ほう」

 

ここで、奥さんがわずかに目を見開いた。

アナは後ろで「当然です」といった顔で頷いている。

 

……俺の周囲は、俺の出世に関して妙に信頼度が高い。プレッシャーがすごい。

 

「元帥になれば、艦隊だけでなく、陸戦戦力も抱える必要が出てくる。ところが、今の俺の配下には、そっちの専門家がいまいち足りない」

 

「オフレッサー上級大将がいらっしゃるではありませんか」

 

リューネブルクが楽しそうに言う。

やはり意地が悪い。

 

「いや、あれは確かに優秀だが、顔が怖い。素で怒った都市伝説にしか見えない。俺はあまり長時間隣に立っていたくない」

 

「顔の問題ですか」

 

「重要だぞ。味方からも敵からも怖れられるのは仕事としては正しいが、毎日見る上司の顔が常に憤怒モードだと、部下の胃が死ぬ」

 

「なるほど」

 

リューネブルクの口元がわずかに緩む。

 

「その点、貴官はなかなかのイケメンだ。部下が付いてきやすい顔をしている。装甲擲弾兵の隊長がイケメン寄りか怪物寄りかは、士気に直結する」

 

「理由が予想外の方向から飛んできた」

 

「イケメンは武器だ。俺の艦隊の陸戦隊トップが貴官なら、女性将校からの人気も上がるし、広報資料の写真写りも良くなる」

 

ここで奥さんが小さく笑った。

 

 アナは後ろで無表情なまま、「顔面偏差値の高い陸戦隊」という新しい単語を頭の中で転がしていそうだ。

 

「もちろん、理由は顔だけじゃない。貴官が持つ現場経験、ローゼンリッターで鍛えた白兵戦のセンス、冷静さ、全部欲しい」

 

「褒め上手ですな、閣下」

 

「褒めているのは事実だ。それに、貴官の栄達は提督としてではない」

 

リューネブルクの目が、ほんの少し細くなった。

 

「……装甲擲弾兵総監の椅子、というわけですか」

 

「そう。今はオフレッサーがどっかり座っているが、いつまでもあの巨体が通路を塞ぎ続けるわけではない」

 

「失礼な表現ですね」

 

「事実だ。あの体格で廊下に立たれたら、完全に障害物だ」

 

想像して、思わず苦笑する。

 

「俺はまだ若い。これから十年、二十年と出世する。その間に、陸戦隊の人事にも口を出す。そこで貴官を前面に押し出したい」

 

「私を、ですか」

 

「そうだ。貴官の野心を、俺が利用する。俺の野心も、貴官に利用される。持ちつ持たれつだ。貴官が『俺が皇帝になる』などと言い出さない限り、満足させてやる」

 

一瞬、空気が止まった。

 

次の瞬間、リューネブルクは椅子から立ち上がった。

 

 その動きには、艦橋で…。いや、比喩はやめておこう。要するに、すごく楽しそうな顔だ。

俺も立ち上がり、右手を差し出した。

 

「どうだ。悪い話ではないと思うが」

 

リューネブルクは数秒こちらを見つめ、それから力強く俺の手を握った。

 

「ククク……面白い。乗ったぞ、ファルケンハイン閣下」

 

 握手の圧が強い。腕がもげるほどではないが、これで敵に組み付かれたら骨が軋むことは間違いない。

 

「よし。では契約成立だ。これで俺の艦隊の陸戦隊は、顔面レベルも戦闘力も銀河トップになる」

 

「ハードルを上げますな」

 

「上げといた方が、下から突き上げる連中も頑張る」

 

ここで俺は、調子に乗ってもう一段ギアを上げることにした。

せっかく野心家を口説き落としたのだ。餌は派手な方がいい。

 

「ついでに言っておく。俺が帝国宰相になった暁には、お前を帝国元帥にしてやる。陸戦隊出身初の元帥。どうだ、響きがいいだろう」

 

リューネブルクは一瞬ぽかんとし、それから大笑いした。

 

「はっはっは!それはいい。尽くしがいがあるというものですな!」

 

この反応で確信した。

 

この男は、約束の大きさよりも、その場のノリを楽しむタイプだ。

 

 俺の側からすれば、「最悪、約束を果たす前に自分が戦死したらチャラになる」くらいの軽さで口にした台詞だが、向こうは向こうで「そこまで言うなら利用してやろう」と思っている。

 

利害が一致しているから問題なし。

 

奥さんは少し呆れたような顔で笑っている。アナは後ろで、ゆっくりと頷いた。

 

「良いと思います」

 

短い一言だが、あれはアナなりの満点評価だ。

 

内心ガッツポーズを決める。スカウト成功。

 

 こうして、リューネブルク少将は俺の艦隊の陸戦隊総司令官候補として組み込まれた。正式な辞令はまだ先になるが、実質的なラインは引けた。

 

帰り際、玄関先で握手を交わしながら、リューネブルクが小声で言った。

 

「しかし閣下。本当に宰相を目指すおつもりで?」

 

「いや、あれは営業トークだ」

 

「営業トークで元帥職を約束されるとは、帝国も変わりましたな」

 

「安心しろ。本当にそのポストを取れたら、ちゃんと押し込んでやる。俺はそういうところだけは律儀だ」

 

「それは楽しみにしておきましょう」

 

別れの挨拶を済ませ、俺たちは車に乗り込んだ。

 

車が動き出したところで、アナが隣からじっとこちらを見ていることに気づく。

 

「何だ」

 

「さきほどの『イケメンだから採用』発言、本気でしたか」

 

「半分本気だ。顔は大事だ」

 

「私のトマホークよりですか」

 

「トマホークは既にうちのブランドだからな。そこにイケメンを足せば最強だ」

 

「なるほど。では私は、陸戦隊のマスコット枠でしょうか」

 

「それはそれで怖すぎるからやめろ」

 

アナが小さく笑う。

 

こういうどうでもいい会話をしている瞬間だけは、平和な気がする。

 

その数日後。

ラインハルトにこの話を伝えたところ、案の定というべきか、全力で噛みつかれた。

 

「貴様は節操というものを知らんのか!」

 

金髪が逆立つかと思うほどの勢いで怒鳴られた。

 

「ローゼンリッターの元連隊長を、よくもまあ平然と自分の配下に取り込む気になるな!」

 

「有能な人材は、過去の所属で差別しない主義でね。うちにはトマホークの鬼もいるし、今さら一人増えたところで何も変わらん」

 

「そういう問題ではない!」

 

「なら、お前も一人くらい元同僚を拾ってみるか?」

 

「いらん!」

 

即答である。キルヒアイス以外の人材に、今以上に頭を悩ませる気はないらしい。

 

元帥への道はあと少し。そして、その道中にいるメンバーの顔ぶれだけは、誰にも負けない自信がある。




ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

もし、
・アルの皮肉や独白が好きだ
・リューネブルクの勧誘シーンが刺さった
・ラインハルトとキルヒアイスの愛の温度に笑った
・アナがもっと見たい
・ロイエンタールの距離感が妙にエモい
・ここは分かりにくかった
・この先こうしてほしい
などなど――

一言でも感想をいただけると、本当に励みになります。

そろそろ長期連載になってきたので章ごとに簡単なあらすじ(ネタばれあり)をつけるべき?

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