銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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本章では、帝都で開かれる晩餐会を舞台に、
アルブレヒトたちが否応なく巻き込まれてゆく貴族社会の表と裏を描きました。

戦場の砲火とは違う、
沈黙と笑顔の中に潜む刃。

アルとラインハルト、そしてアナたちの人間関係が
少しずつ、しかし確実に軋み、絡まり、動き出すきっかけとなる回です。

どうぞ、あの騒がしくも胃に悪い夜をお楽しみください。


晩餐会の幕は落ちて、亡霊は笑う

 グレイマン閣下の右腕ドッキリで寿命を三年ほど削られたあと、俺はようやく自宅の書斎に戻っていた。

 

 机の上には、新たな現実逃避案件――ブラウンシュヴァイク公主催の晩餐会の招待状が存在感を主張していた。封蝋は派手、字面は仰々しい、そして同封の紙にさらっと恐ろしい一文が書いてある。

 

『なお、今次晩餐会には、皇帝陛下もご臨席あそばされる予定』

 

「……マジかよ」

 

思わず封筒を二度見した。

 

陛下が来る。つまり、帝都の上層部がこぞって集まる。門閥貴族、軍高官、財界の連中。その中に、俺と、公爵と、そして皇帝。どう考えても面倒の温床だ。

 

「とはいえ、行かないという選択肢は無いんだよなあ」

 

 俺は招待状をつまみ上げ、天井を見上げた。こういう場に顔を出しておかないと、最近ファルケンハイン見ないねとか言われて、勝手に失脚ルートを創造される。銀河帝国社交界は、噂と妄想で人の人生を勝手に作り替える悪趣味な遊び場だ。

 

「……あいつも、たまには出しとくか」

 

頭の中に、金髪の問題児の顔が浮かぶ。

 

 ラインハルト・ミューゼル。次期ローエングラム伯爵、将来の帝国の爆弾。あいつも、煌びやかな場に定期的に出しておかないと、「野心家の引きこもり」とかいう新しいレッテルを貼られかねない。

 

 通信端末を起動し、あいつの下宿に回線をつないだ。数秒待つと、端末に金髪の顔が映し出される。予想通り、不機嫌そうな表情だ。

 

『何の用だ、ファルケンハイン』

 

「元気そうで何よりだよ、ラインハルト。早速本題だ。今度ブラウンシュヴァイク公が晩餐会を開くらしい。皇帝陛下もご出席だそうだ。俺は顔を出すつもりだが、お前もどうだ」

 

『断る。貴族同士の腹の探り合いなど、反吐が出る。俺は忙しい』

 

即答拒否。

仕様なので驚かないが、このまま引き下がるわけにもいかない。まあ、想定済みだ。

 

「そうか……残念だなあ」

 

わざとらしく肩を落としてみせた。

 

「今回の晩餐会には、グリューネワルト伯爵夫人も来られると聞いたのだが……」

 

『――ッ!?』

 

金髪の目が、これ以上ないくらい見開かれる。

 

「まあ、お前が来ないなら仕方ないな。俺だけご挨拶しておこう。『弟君はとてもお忙しそうでした』と」

 

『待て!』

 

画面の向こうで叫び声が響く。

 

『行く!行くに決まっているだろう!今すぐ支度をする!いや、もう支度はできている!』

 

「いや、今さっき断ったばかりだろ」

 

『うるさい!姉上がおいでになるなら話は別だ!詳細を送れ!場所、時間、服装、出席者リスト!』

 

「ああ、はいはい。やっぱりお前、社交界嫌いじゃなくて、単に姉離れできてないだけだよな」

 

『何か言ったか?』

 

「何も?とにかく詳細送るから、ちゃんと時間守れよ。変に早く来るなよ?」

 

『ふん。そんなこと、言われるまでもない』

 

そう言った瞬間、通信は一方的に切られた。相変わらず通話のマナーが悪い。

 

「……って、切るの早っ」

 

 苦笑しながら端末を置き、俺は自分の礼服の状態を確認する。仕立て直したばかりなので、サイズは問題ない。問題があるとすれば、中に入る俺の内臓のやる気くらいだ。

 

そして当日――。

 

 結果から言うと、ラインハルトに襟首を掴まれて引きずられた俺たちは、開演時刻の六時間前に会場へ到着した。

 

「なあ、聞くだけ聞くが」

 

馬車から降り、まだ日が高い中、公爵邸の大ホール前に立った俺は、隣の金髪をじろりと見た。

 

「お前、晩餐会ってものの仕組み、理解してるか?」

 

「何を言う」

 

ラインハルトは、やけにきっちり決めた礼装の裾を翻しながら、平然と言い放つ。

 

「重要な場には、早めに赴くのが礼儀だろう」

 

「早めにも程度というものがある。開演六時間前は、もはや準備スタッフの時間帯だ」

 

「姉上が万一早めに到着されたらどうする」

 

「そんな心配、向こうの護衛がしてくれるから安心しろ。というか、来るわけないだろ。まだ厨房の鍋も温まってない時間帯だぞ」

 

 実際、入口を通ると、会場は見事に準備中だった。ホールの床には保護シートが敷かれ、巨大なシャンデリアには脚立が立てかけられている。壁際には、これから並べる予定の椅子が山積み。スタッフたちがバタバタと走り回り、「そこ押さえてて!」「テーブルはあと三列!」と叫び合っている。

 

完全に現場だ。

 

「見ろ。忙しそうだな」

 

「見りゃ分かるわ」

 

ラインハルトは、そんな現場感満載の光景をよそに、きょろきょろと周囲を見回している。

 

「姉上はどこだ。まだ来ておられないのか」

 

「来るか。六時間前に晩餐会場入りする貴族夫人なんて、仕事中毒のイベントオーガナイザーくらいだ」

 

「む……」

 

金髪が眉をひそめたその時、ホールの端から、聞き慣れた低い声が響いた。

 

「ほう?誰かと思えば、ファルケンハイン伯ではないか」

 

 振り向くと、ラフなジャケット姿のブラウンシュヴァイク公が、図面を片手に歩いてきていた。貴族然とした正装ではなく、完全に現場監督の格好である。

 

「それに、ミューゼル少将も。ずいぶんと早いですな」

 

公は豪快に笑い、腹を揺らした。

 

「公爵閣下、本日はお招きありがとうございます」

 

慌てて礼を取る。

 

「その……張り切りすぎてしまいまして。少々、早く着きすぎました」

 

「ふむ、感心な心がけだ」

 

公はご機嫌で頷いた。

 

「若いのが時間に余裕を持つのは良いことだ。もっとも、さすがに六時間前は予想しておらんかったがな。はっはっは」

 

笑いながらも、目がきらりと光る。嫌な予感がする。

 

「ちょうど手が足りなくてな」

 

来た。

 

「そこのテーブルを、あちらの壁際まで運んでもらえんか。ついでにクロスも敷いておいてくれると助かる」

 

公は、ごく自然な口調で言った。

 

「…………」

 

今、何て言った?

 

 帝国軍上級大将、ファルケンハイン伯アルブレヒト。さっきまで統帥本部で銀河の行く末について語っていた男に向かって、「あのテーブル運んどいて」と。

 

内心が激しく抗議のデモを始める。

 

いやいや俺、階級章見えません?

 

 しかし、公爵の機嫌を考えると、ここでいや、私そういう契約じゃないんでと言えるほど、俺の肝臓は強くない。

 

「承知しました。微力ながらお手伝いさせていただきます」

 

完璧な笑顔で答える自分の社交スキルが憎い。

 

「ラインハルト」

 

「なんだ」

 

「働くぞ」

 

「なぜだ」

 

「貴族社会とは、そういうものだ」

 

 適当なことを言いながら、俺はラインハルトの肩を叩いた。公爵に気に入られておくのは、将来を考えれば悪いことではない。なにより、「寵姫の弟」という肩書きだけで生きている金髪に、世の中の理不尽を体験させる良い機会だ。

 

 そうして、帝国軍上級大将と少将は、晩餐会会場の設営スタッフとして働く羽目になった。

 

「そっち持て、ラインハルト。もっと腰を落とせ。片側だけ上げるとバランス崩れる」

 

「ぐ……なぜ私は、戦場以外でもテーブルを担がねばならんのだ」

 

「文句言うな。これも将来、元帥になった時に役に立つ経験だ」

 

「どう役に立つ」

 

「『晩餐会の設営にかかる人件費と時間を、実体験をもって理解した元帥』として、経済感覚に優れた軍人という評価が付く」

 

「いらん肩書だ」

 

 ぶつぶつ言いながらも、ラインハルトはちゃんとテーブルの片側を抱えている。礼装姿の美形少将が汗をにじませながら家具を運ぶ光景は、なかなかシュールだ。スタッフの若いメイドたちが、遠巻きに見て頬を染めている。

 

「ミューゼル少将、自分の人気に気づけ。今のうちにサインでも配っておけ」

 

「やめろ」

 

 次に持ってこられたのは、巨大な丸テーブル用のテーブルクロスだ。分厚い布を広げると、どこがどこやら分からなくなる。

 

「おい、端が見えん」

 

「落ち着け。まずテーブルの中心を決めてから四方に伸ばすんだ。ほら、こうだ」

 

若いメイドが、おそるおそる近づいてきた。

 

「あ、あの……手伝いましょうか」

 

「助かる。すまないな」

 

 メイドを中心に、俺とラインハルトが両側から布を引っ張る。上級大将と少将が、よれたシワを必死で伸ばす姿は絵面的にどうかと思うが、本人たちは真剣だ。布のシワひとつ残せない戦場が、ここにはある。

 

「よし、こんなものか」

 

テーブルクロスがぴんと張られた。

 

そこへ、ブラウンシュヴァイク公が視察にやって来る。

 

「おお、綺麗に敷けておるではないか」

 

公は満足げに頷いた。

 

「助かったぞ、ファルケンハイン伯。それに、ミューゼル少将」

 

「恐れ入ります」

 

 俺が一礼する横で、ラインハルトも無言で頷く。頬に汗を浮かべているせいか、いつもの刺々しさが少し和らいで見える。

 

「若いのに勤勉だ」

 

公は、珍しく素直に褒め言葉を口にした。

 

「こういうところで汗を流せる者は、いざという時に大仕事もこなせる。覚えておこう」

 

 その一言で、ラインハルトの背筋がぴんと伸びる。単純だが、それでいい。門閥貴族のトップに勤勉と刻まれたなら、今後の政治的な動きで多少は得をする。

 

俺のほうにも、公はちらりと目を向けた。

 

「ファルケンハイン伯。君は本当に、妙なところで働くな」

 

「お役に立てるなら、どこででも」

 

「ふん。そういうところが気に入らん、と言いたいところだが……」

 

公は口の端を上げた。

 

「今日は素直に礼を言っておこう。助かったぞ」

 

「恐縮です」

 

 そう言いつつ、内心ではガッツポーズだ。門閥貴族からの「助かった」は、将来請求できる小さなポイントである。もちろん、あまり露骨に使うと面倒だが、いざという時のために、こういうテーブルポイントも侮れない。

 

「ファルケンハイン」

 

テーブルの影で、ラインハルトがぼそりと声をかけてきた。

 

「なんだ」

 

「……悪くないな、こういうのも」

 

「お、珍しく前向きな感想が出たな」

 

「勘違いするな。姉上のために少しでも見栄えを良くしておこうと思っただけだ」

 

「はいはい。動機がどうあれ、働いた事実は変わらんよ」

 

笑いながら、次のテーブルクロスに手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 会場設営を一通り終えた頃、ようやく晩餐会らしい空気が出てきた。テーブルクロスは皺ひとつなく張られ、花瓶には百合が活けられている。

 

さっきまで俺とラインハルトが汗だくで運んでいた家具も、今では「最初からここにありましたよ」という顔をしている。理不尽だが、内装とはだいたいそういうものだ。

 

 開演までまだ少し時間がある。俺は庭園に面したテラスで、グラス片手に深呼吸をしていた。真っ白な百合が一列に咲き誇る花壇が、いかにもブラウンシュヴァイク公らしい趣味を主張している。権力者は本当に百合が好きだな。いや、花の話だ。

 

そこへ、甲高い声が聞こえた。

 

「まあ!アナスタシアお姉様!」

 

 視線を向けると、庭園の小道の先で、エリザベートが全力で走ってきていた。ヒールを履いているはずなのに、あれは完全に短距離走のフォームだ。芝生が泣いている。

 

 そして、その突撃の行き先にいるのは、言うまでもなくアナだ。淡い色のドレスに身を包んだうちの副指令様は、今日は警備ではなく客側で参加している。どこからどう見ても絵になる美人だが、内情を知っている俺としては、このあと晩餐会が終われば戦略会議が始まる顔にしか見えない。

 

「お姉様、今日のドレスも素敵ですわ!」

 

 エリザベートは、勢いのままアナに飛びついた。百合の花壇の手前でぎりぎり急停止し、そのままアナの腕に絡みつく。純白の百合の向こうで、金髪お嬢様と黒髪女騎士が密着している光景は、なるほど百合の花咲く庭園というタイトルを付けたくなる仕上がりだ。

 

「ごきげんよう、エリザベート。今日も元気そうね」

 

 アナは、慣れた様子で微笑む。肩から下げた小さなクラッチバッグ以外、どこからでもナイフが出てきそうな雰囲気は隠しきれていないが、エリザベートはそんなことお構いなしだ。

 

「元気ですとも!お姉様にお会いできましたもの!あの、お父様に聞きましたの」

 

エリザベートは、きらきらした目でアナを見上げる。

 

「お姉様は、ファルケンハイン伯の奥方になられる予定だとか」

 

 遠巻きに眺めていた俺は、思わずグラスを止めた。どこの誰の話だ。その父親を連れてこい、今すぐだ。

 

「ええ、まあ。いずれは」

 

 アナは、さらっと答えた。さらっと言うな。俺は思わずテラスの柱に頭を打ちそうになる。

 

 もちろん、俺にその気が無いわけではない。無いどころか、むしろ全力である。問題は、その話がブラウンシュヴァイク公を経由して、娘の耳にまで届いているという点だ。情報ネットワーク、恐るべし。

 

「ならば!」

 

 エリザベートが、唐突に真剣な顔になった。庭園の百合を背に、ぎゅっとアナの手を握りしめる。

 

「お姉様がファルケンハインの『妻』になるなら、私はファルケンハインの『夫』になりますわ!」

 

「…………」

 

ちょっと待て。

 

「そうすれば、家族になれますもの!」

 

 満面の笑みで言い切られて、アナが一瞬固まる。俺も固まる。百合の花壇まで固まって見えるから不思議だ。

 

やばいな、この人。論理の階段を十段飛ばしで駆け上がっている

 

グラスを口元に運びながら、小声でひとりごちた。

 

俺の性別はどこへ行った。ファルケンハイン家の戸籍は、いま新しい概念に挑戦させられてないか

 

アナは、わずかに目を細めてから、いつもの落ち着いた声を取り戻した。

 

「エリザベート。それは……色々と制度的な問題があるわね」

 

「制度など、私が変えてみせますわ!」

 

「いや、そこまでの政治力はさすがに無いでしょう」

 

思わずツッコミが口から出た。エリザベートがこちらを振り返る。

 

「あら、ファルケンハイン様。お聞きになっていましたの?」

 

「聞こえないほうが難しい距離感だったからな」

 

庭園の広さを舐めてはいけない。貴族邸の庭は響くのだ。

 

「でも、発想は嫌いじゃないぞ。俺としては、アナが妻でもエリザベートが夫でも、幸せに暮らせるならそれでいい」

 

「それでいいのですか」

 

「俺の居場所さえ確保されていればな」

 

とりあえず、戸籍欄に「その他」の項目を増やすあたりから始めれば、ワンチャンあるかもしれない。帝国法務省に喧嘩を売る気はないが。

 

アナは、小さく咳払いをして話題を切り替えた。

 

「エリザベート、今日は百合が綺麗ね。あなたのために準備されているようだわ」

 

「まあ!お姉様までそんなことを!」

 

 お嬢様のテンションがさらに上がる。庭園一帯に百合と乙女の香りが充満していく。ラインハルトあたりをここに連れてきたら、きっと目をそらすに違いない。

 

……よし、この百合ゾーンはアナに任せよう。俺がこれ以上ここにいると、取り返しのつかない何かが成立しそうだ

 

 そう判断したところで、会場のほうから妙なざわめきが聞こえてきた。入り口付近が騒がしい。

 

「ん?」

 

 テラスからホールの入り口を見下ろすと、何やら巨大な包みを運び込んでいる男たちの姿が見えた。三人がかりで担いでいるが、それでもふらついている。

 

「なんだ、あのデカい荷物」

 

スタッフではない。護衛でもない。あの動きは、貴族付きの召使いか誰かだ。

 

 すぐ横で様子を見ていたブラウンシュヴァイク公が、包みの前に立った。公は布を剥がし、その中身を見た瞬間、息を呑む。

 

「こ、これは……見事な……!」

 

さすがの公爵も、目を丸くしている。俺もつられて身を乗り出した。

 

現れたのは、神君ルドルフ大帝の肖像画だった。しかも、その手のものに詳しくない俺が一目で分かるレベルで、とんでもない代物だ。筆致、構図、保存状態。どこをとっても只者じゃない。国宝級という言葉を軽々と飛び越えて、「これ一枚で惑星一つ買える」と言われても信じる。

 

「気合入り過ぎじゃないか、公爵。自腹でこんなもん持ち出してきたのか」

 

 独り言を漏らした俺は、ふと包みを運んできた老人に目をやった。白髪を後ろでまとめ、背筋を伸ばした老貴族。顔には深い皺が刻まれているが、眼光には妙な力が宿っている。

 

「……おや」

 

見覚えがあった。

 

「クロプシュトック侯爵じゃないか。生きてたのか」

 

つい本音が口から出た。

 

「誰だ、あれは」

 

 隣で同じように入口を眺めていたラインハルトが、小声で尋ねてくる。金髪の少将は肖像画そのものよりも、その持ち主に興味を引かれたようだ。

 

「いいか、よく聞け」

 

 俺は、急遽「貴族社会入門講座」を開くことにした。こういうときのために、俺の脳内には無駄な人間図鑑が詰め込まれている。

 

「あれはヴィルヘルム・フォン・クロプシュトック侯爵。三十年くらい前、先代皇帝の後継者争いがあったのは知っているか」

 

「噂程度には」

 

「そのとき今の皇帝陛下のライバルだったのが、クレメンツ大公だ。その大公の後ろ盾をしていたのが、あの爺さん」

 

ラインハルトが、ふむ、と小さく唸る。視線は老人から離れない。

 

「だが、大公が陰謀で失脚して、『事故死』したあと、この爺さんもまとめて政治的に処理された。ブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯あたりにとっては、邪魔な過去の亡霊みたいな存在だからな。中央政界から追放されて、ずいぶん長いこと表には出てこなかった」

 

「それが、なぜ今日ここに」

 

「さあな」

 

肩をすくめる。

 

「ルドルフ大帝の肖像画を抱えて、過去の亡霊が舞台に戻ってくる。どう考えてもろくな前触れじゃないが、少なくとも晩餐会は一気に面白くなるだろう」

 

 ラインハルトは、少しだけ目を細めた。

 

「よく知っているな」

 

「お前が貴族社会に興味なさすぎるだけだ」

 

ため息交じりに言った。

 

「これから伯爵家を継ぐんだから、最低限の人間関係くらい頭に入れておけ。さっきの晩餐会のテーブル配置だって、誰がどこに座るかだけで派閥争いの地図になるんだぞ」

 

「面倒だ」

 

「面倒だろうな。でも、面倒なことをきちんと把握しておくのが出世コースだ。安心しろ、情報はタダでくれてやるから」

 

 そこまで言うと、ラインハルトはしばし黙っていた。やがて、ほんの少しだけ視線を逸らしながら、ぼそりと呟く。

 

「……………………………………ありがとぅ」

 

ささやき声か。いまの、ギリギリ音になってないぞ。

 

「声が小さい!」

 

わざと大きめの声で返した。

 

「このツンデレめ!」

 

「誰がツンデレだ!」

 

即座に反論が飛んでくるあたり、反応速度だけは素晴らしい。

 

「なら、もう少し素直に言え。『教えてくれてありがとう、アルブレヒト兄さん』とか」

 

「死んでも言わん!」

 

「いい返事だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴィルヘルム・フォン・クロプシュトック侯爵。三十年ぶりの社交界カムバックにしては、ずいぶん重たい手土産を持ってきたもんだ。

 

「この絵と引き換えに、今一度、社交界の末席に加えていただきたく存じます」

 

しわがれた声が、静まり返った会場に響く。

 

 ブラウンシュヴァイク公は、完全に絵に釘付けになっていた。鼻先がキャンバスにめり込みそうな距離まで近づき、ひげをぴくぴくさせながら鑑賞モードに入っている。

 

「ふむ……ふむ……」

 

 感嘆なのか、独り言なのか分からない声だけが漏れる。

 

 グラスを片手に成り行きを眺めていた。ルドルフ大帝は立派だが、それより目の前で繰り広げられているのは、生きた貴族ドラマだ。三十年前に負けた側のスポンサーが、今さら顔を出してくる。しかも、国宝級の絵画を抱えて。

 

過去の清算か、最後の一発逆転か。どっちに転んでも、胃が重くなるパターンだな。

 

 公は相変わらず絵から目を離さない。微妙に笑っているようにも見えるが、「許す」という言葉はなかなか口から出てこない。さすが帝国の門閥貴族、じらし方が徹底している。

 

そこへ、空気を読まない塊が突っ込んできた。

 

「叔父上!何を迷っておられるのです!」

 

 フレーゲル男爵。今日も安定のうるささだ。見事なまでのテンプレ貴族顔を真っ赤にしながら、ずかずかと絵の前に歩み出る。

 

「クロプシュトック侯を追い落とした中心は、他ならぬ叔父上のはず!今さら何を!」

 

あーあ。俺は内心で額を押さえた。

 

「だからこそ、爺さんは公爵に頭を下げに来ているのさ」

 

つい口が出る。

 

「勝った側のトップに、負けた側のスポンサーが土産を持ってくる。過去の清算以外の何物でもないだろ」

 

 フレーゲルがギロリとこちらを睨んだ。あの眼光でワインが温まらないか実験してみたい。

 

「ファルケンハイン!部外者が口を出すな!」

 

「はい出ました」

 

「そこの金髪の孺子もだ!」

 

隣で静観していたラインハルトにも、とばっちりの弾丸が飛ぶ。

 

「お前たち成り上がりが、偉そうに貴族の歴史に口を挟――」

 

 成り上がり、という単語が聞こえた瞬間、俺の脳内で何かがカチッと音を立てて切り替わった。

 

「はあ?」

 

 思わず素で返してしまう。

 

「どこが調子に乗った要素だったんだ、今の会話に。事実を要約しただけだが」

 

「き、貴様など、所詮は成り上がりの……」

 

「おいおい」

 

今度はこっちが遮る番だ。

 

「ラインハルトはともかく、俺はもともと由緒ある伯爵家だぞ。先祖代々の正真正銘ファルケンハイン家。帝国の土地台帳を逆さにめくっても出てくるレベルの古参だ」

 

フレーゲルの顔が固まる。

 

「そ、そうだと……しても……」

 

「お前こそ、公爵の甥とはいえ爵位は男爵だろうが」

 

にっこり笑ってトドメを刺した。

 

「こっちは本業が伯爵、そっちは親族枠の男爵。さあ、どちらが格上かな」

 

「む、むうううううっ!」

 

 男爵の顔が、今度は真っ赤を通り越して紫に染まる。気の毒だが、これが帝国の身分制度だ。

 

「それにな」

 

ここで、さりげなくラインハルトの肩に手を置く。

 

「ラインハルトは俺の派閥の人間だ。子飼いを育てて前線に送り出す。成り上がらせてやる。これぞ貴族の甲斐性というやつだろう」

 

「誰が子飼いだ」

 

小声の抗議が横から飛んできたが、聞こえないフリをする。

 

「間抜けな身内を甘やかすより、優秀な若者を引き上げるほうが、よほど時代のためになると思うがな。……この間抜け」

 

最後の一語だけ、しっかりフレーゲルを指差してやる。

 

「なっ――!」

 

 男爵が一歩前に出かけたところで、ブラウンシュヴァイク公がようやく現世に帰還した。絵から目を離し、こちらに振り返る。

 

「これ、フレーゲル!」

 

雷のような声が大広間に響いた。

 

「ファルケンハイン上級大将に対し、無礼であるぞ。下がれ!」

 

「し、しかし叔父上!」

 

「黙れ。客人を前にみっともない真似をするな。お前の舌は、酒の席だけに使え」

 

それもどうかと思うが、今は同意しておこう

 

 フレーゲルは歯ぎしりしながら一歩退いた。悔しさをにじませた視線をこちらに向けているが、さっきの一撃で完全に主導権は公爵側に戻っている。

 

お、珍しくちゃんと叱ったな。

 

心の中で拍手した。

 

今の公爵は、俺との関係をこじらせる余裕が無い。領地改革も共同事業も、もうかなり深く結びついているからな。ここで甥の肩を持ってみろ。俺が手を引いた瞬間に困るのは、公爵の方だ。

 

損得勘定ができるだけ、ブラウンシュヴァイク公はまだマシな部類だ。

 

ひと騒ぎ収まったところで、俺は改めて公に向き直った。

 

「それで、公爵閣下」

 

「うむ」

 

「クロプシュトック侯爵の件、いかがなさいますか」

 

公はふと視線を肖像画に戻した。ルドルフ大帝の冷たい瞳と、向かい合ってしばし沈黙する。

 

「……まあ」

 

やがて、重々しく口を開いた。

 

「これほどの名画を寄贈してくれたのだ。今夜の晩餐会への出席くらいは、許してやろう」

 

 会場にざわめきが走る。さすがに社交界復帰を全面的に認めるとまでは言わなかったが、それでも三十年ぶりの表舞台だ。クロプシュトック侯爵は、深々と頭を下げた。

 

「痛み入ります、公爵閣下」

 

声は沈んでいるが、よく通る。

ただ、その目は笑っていなかった。

皺だらけの顔に貼り付いた微笑と、瞳の奥に宿る光の温度が違いすぎる。あれは、すべてを燃やしてでも何かをやり遂げようと覚悟した者の顔だ。

 

 俺は思わず、すぐそばに立っていたアナの肩を軽く小突いた。

 

「なあ、アナ」

 

「はい」

 

「どう思う。あれ」

 

 クロプシュトック侯爵が姿勢を戻し、再び絵の前に立ったところで、彼の横顔を盗み見ながら小声で尋ねる。

 

「ただの絵のプレゼントで済む雰囲気じゃないよな」

 

「そうですね」

 

アナは、視線をそらさずに答えた。

 

「今の目……全てを道連れにする覚悟を決めた人間の目でした」

 

「だよな」

 

「ええ。何もかも燃やして、残った灰で勝負する。そういう種類の人です」

 

さらっと物騒な分析をしてくれる。

 

「ふふ」

 

アナは小さく笑った。口元だけがわずかに上がる。

 

「晩餐会らしくなってきました」

 

「笑い事じゃないぞ」

 

顔をしかめた。

 

「貴族同士の駆け引きは、本当に胃にもたれる。戦場の方がまだ健全だ。そっちは、撃たれたら痛いし、死んだら終わりだし」

 

「こちらは?」

 

「こっちは、撃たれなくてもいつの間にか死んでることがある」

 

暗殺、政治的処刑、社会的死亡。だいたい全部経験したくないジャンルだ。

 

だが、この夜に待ち受けているのは、胃だけの問題では済まなかった。

 

この時の俺はまだ知らない。クロプシュトック侯爵が持ち込んだのは、ルドルフ大帝の肖像画だけではないということを。

 




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

晩餐会という舞台は、
普段の戦場とは違った意味で命のやり取りが行われる場所です。
アルやラインハルトの裏表、
アナとエリザベートの関係、
そしてクロプシュトック侯爵の帰還。

どの要素が読者の皆さまの心に残ったか、
ぜひ教えていただければ幸いです。

そろそろ長期連載になってきたので章ごとに簡単なあらすじ(ネタばれあり)をつけるべき?

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