銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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皆さま、いつもお読みいただきありがとうございます。
今回の章では、アルブレヒト伯爵が「爆心地→病院→即・総司令官」という、なかなか忙しいコースを辿ることになりました。

命の危険があっても、政治の借りは待ってくれない。
怪我をしていても、貴族社会の面倒は減らない。

そんな帝国貴族の悲喜劇を、少し笑いながら描けていれば幸いです。

気軽に楽しんでいただけるのが一番の喜びです。


ファルケンハイン伯爵は休ませてもらえない

 白い天井が、じっと俺を見下ろしている。

 

 瞬きをしようとして、まぶたがやたら重いことに気づいた。頭の中も、綿を詰め込んだみたいにぼんやりしている。

 

 消毒液の匂いがする。シーツはやたら清潔で、枕はふかふかだ。体中あちこちがじんじんするが、燃えるような痛みじゃない。どこか遠くから、規則正しい機械音が聞こえている。

 

……ここは、天国か?

 

脳みそが、まだ現実と夢の境界線をうろついている。

 

 もしここが天国なら、天使が一人くらい出迎えに来てくれてもいいはずだ。白いドレスの絶世の美女で、銀髪を揺らしながら俺の名を呼ぶ。涙に濡れた瞳で「アル様……」とか言いながら、俺の手を――

 

「アルブレヒト君!」

 

いきなり耳のすぐそばで怒鳴られた。

鼓膜が逆戻りしそうな声量に、俺は条件反射で目を見開いた。

 

 視界いっぱいに、巨大な面が迫っていた。

 

 赤く充血した目。濡れた頬。鼻の脇に溜まった涙の粒。顔面がここまでアップになることなど、通常の人生ではまずない。あってほしくもない。

 

「おお! アルブレヒト君! 気がついたか!」

 

 ブラウンシュヴァイク公が、ベッドの縁にしがみつくようにして身を乗り出している。

 その隣で、これまた涙目の中年男が、ハンカチで何度も顔を拭いている。リッテンハイム侯だ。二人そろって、顔をくしゃくしゃにしてこっちを覗き込んでいる。

 

……………………

 

 俺の内側で、さっきまで「ここは天国か?」としおらしくつぶやいていた天使が、無言で首を横に振って消えた。

 

地獄かよ!!

 

叫びたい気持ちを、なんとか表情筋で押しとどめる。

 

 不意打ちが過ぎる。天使どころか、ヒゲが二本生えてきた。いや、正確には一本と、横に細いのが一本だが、どっちにしろ俺の理想の目覚めとは距離がありすぎる。

 

「よかった! 本当によかった!」

 

 リッテンハイム侯が、鼻をすすり上げながら俺の手を両手で包み込んできた。やめろ。俺の天使枠を勝手に奪うな。しかもハンカチで拭ききれていない涙と鼻水で、指先がぬるい。

 

「心配したぞ!」

 

 ブラウンシュヴァイク公まで、ぽたぽたと涙を落としてくる。湿気がすごい。ここは温室か。

 

「……あ、あー……」

 

喉がカラカラで、声がうまく出ない。乾いた音だけが漏れる。

それでも、俺は軍人としての最低限の礼儀を思い出し、ゆっくりと言葉を探した。

 

「申し訳……ありません。ご心配を、おかけして」

 

「何を言う!」

 

 ブラウンシュヴァイク公が、ずいと顔を近づけてきた。近い。

 

「君は私の命の恩人だぞ! あの場で、君が私を庇ってくれなければ、今頃私は……ウウッ!」

 

 言葉の途中で、感極まったのか、また泣き始めた。胸元あたりにある勲章がカチャカチャ鳴っている。

 

ああ……そんなこともあった…??

 

 爆発。炎。崩れ落ちる天井。俺は反射的に目の前にいた体を押し飛ばし、その代わりに自分が破片をもらった??

 

 

まあ、恩を売れたなら良しとするか

 

 これで公爵相手には、一生分の貸しを確保したようなものだ。今後、どれだけ面倒な戦場に送り込まれても、「あのとき命を張ったよね?」と一言添えれば、少しは条件を上乗せしてくれるかもしれない。危険手当とか、兵站とか、撤退の自由とか。

 

「本当に、よかった……」

 

 リッテンハイム侯が、まだ俺の手を離さない。

 この人、こんな感情豊かだったか。普段は打算と計算の塊みたいな動きをするくせに、こういう時だけ妙にストレートだ。

 

「帝都中が大騒ぎだったのだぞ」

 

涙声のまま、彼が続ける。

 

「ブラウンシュヴァイクの邸で爆発。多数の負傷者。主賓級の将官が血まみれで運び込まれたと聞いたときには……心臓が止まるかと思ったわ」

 

「止まってから言ってください」

 

喉が少し潤ってきたので、俺もようやく普段通りの口調で返す余裕が出てきた。

 

「俺の心臓は一回も止まってませんからね。仕事が増えるのはごめんです」

 

 二人の顔に、力の抜けた笑いが浮かんだ。

 どうやら、この部屋の空気は、さっきまで相当重かったらしい。白い壁と、静かな機械音と、おっさん二人のすすり泣き。想像するだけで胃が痛い。

 

「しかし、君は無茶をする」

 

リッテンハイム侯が、少しだけ目元を拭ってから真面目な声を出した。

 

「医師の話によれば、太ももの傷はかなり深かったと聞く。止血が遅れていれば、命が危なかったと」

 

「そうなのか」

 

 言われてみれば、左足のほうから、鈍い痛みがじんわりと広がっている。包帯の感触もある。動かそうとすると、下半身全体が「やめろ」と抗議してくるので、素直に従うことにした。

 

「腕も痛々しいぞ」

 

ブラウンシュヴァイク公が、包帯ぐるぐる巻きの左腕を見て眉をひそめる。

 

「シャンデリアと戦ったんだっけな」

 

「戦う相手を間違えておらんかね、君は」

 

リッテンハイム侯のツッコミが、今日いちばんまともだ。

 

「本来、貴族はシャンデリアにぶつからないよう、広い場所で優雅に踊るものだ」

 

「俺もそうしたかったんですよ。人生設計では、もっと優雅に動く予定でした」

 

 現実は、シャンデリアの落下と爆発と流血と、床での寝落ちだ。予定と結果のギャップがひどい。

 

「……で、アナは?」

 

 ようやく本題を思い出して、俺は首だけ動かして周囲を見回した。

 特別病室らしく、広さには余裕がある。が、見えるのはおっさん二人と、控えめな距離で控えている医師団と看護師だけ。白衣率が高い。

 

「アナスタシアなら、さきほどまでここにいた」

 

リッテンハイム侯が答えた。

 

「医師に『はい、五分だけですよ』と言われたのに、一時間近く泣きながら君の側を離れなかった。さすがに看護師長に追い出されたがな」

 

「追い出されたって」

 

俺の彼女、やりたい放題だな。いや、いつものことか。

 

「今は、医師から説明を受けている。もうすぐ戻ってくるだろう」

 

ブラウンシュヴァイク公がそう付け加えた。

 

「説明?」

 

「君の今後の経過についてだ」

 

リッテンハイム侯が、意味深な表情をする。

 

「安心しろ。命に別状はない。太ももも神経は無事だし、歩行にも支障は残らんそうだ。ただし――」

 

「ただし?」

 

「しばらくは、走ることと無茶な白兵戦は禁止」

 

医師が横から口を挟んだ。

真面目そうな中年医師で、カルテを抱えたまま俺をじっと見る。

 

「貴方の体は、想像以上にボロボロです。ここ数年の働きすぎが、全部まとめて請求書になって届いたようなものですな」

 

「働きすぎ?」

 

思わず眉をひそめた。

 

「俺、そんなに働いてましたか」

 

「ご自身の自覚が一番ないタイプです」

 

医師がため息をついた。

 

「この短期間に、最前線での指揮、地上戦、政治交渉、派閥づくり、領地経営。そのうえ今回の爆発です。そろそろ体にガタが来ても不思議ではありません」

 

「つまり、俺は優秀すぎたと」

 

「そういう解釈もできますな」

 

医師が苦笑する。ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯もうなずいている。

 

「やはり、君は我々にとって必要不可欠な存在だ」

 

「吹きこむなよ、公爵」

 

 褒められるのは嫌いじゃない。むしろ大好きだ。だが、その結果として仕事が増えるのはもっと嫌だ。褒められても何もできない体にしてくれ。そうすれば堂々と休める。

 

「ともあれ、だ」

 

リッテンハイム侯が、ようやく俺の手を離し、椅子の背にもたれた。

 

「今は、ただ生きていてくれたことに感謝する」

 

「同感だ」

 

ブラウンシュヴァイク公が、大きくうなずく。

 

「君がここで死んでいたら、私はリッテンハイムの顔を見られんところだった」

 

「なぜ私だ」

 

「君に頭を下げて、『ファルケンハインの代わりを探そう』と相談せねばならんだろう。そんなのはごめんだ」

 

「それは私もごめんだな」

 

 二人して勝手なことを言い合っている。

 このおっさんコンビ、権力争いでは犬猿の仲なのに、俺のベッド脇では妙に息が合っている。

 

そう思っているところで、廊下側の扉がノックもなく勢いよく開いた。

 

「アル様!」

 

俺の天使が、やっと視界に飛び込んできた。

 

 

 

 

 

 

 

黒色の弾丸が飛び込んできて、そのまま俺の胸に激突した。肺から空気が全部抜ける。

 

「ぐえっ……!」

 

 目の前に、涙と怒りと安堵を全部盛りにしたアナの顔。次の瞬間には全力で抱きつかれて、包帯だらけの胸に衝撃が走った。

 

「こらこらこらこら!」

 

軍医が慌てて叫ぶ声が聞こえる。

 

「閣下は一週間も昏睡状態ですよ!やっと目を覚ましたところなんですから、衝撃は厳禁です!」

 

一週間?そんなに寝てたのか

 

思考が追いつく前に、ベッドの周りにさらに影が増えた。ロイエンタール、ミッターマイヤー、ミュラー、ケンプ。おまけに金髪コンビまでぞろぞろ入ってきて、狭い病室が一気に軍人まみれになる。

 

「おい、全員入ってくるな。酸素が薄くなる」

 

 文句を言う間もなく、ロイエンタールがにやりと笑いながらベッド脇に腕を組んで立ち、ミッターマイヤーが身を乗り出し、ミュラーは控えめに足元の方へ、ケンプは堂々と胸を張って中央を陣取る。ラインハルトとキルヒアイスは、なぜか入口近くでモジモジしている。

 

「元気そうで何よりですな、閣下」

 

ロイエンタールが、わざとらしく肩をすくめた。

 

「もう少しくたばっていてくだされば、閣下の席を巡って帝都がさらに面白いことになっていたのに」

 

「お前、心配の仕方が斜めなんだよ」

 

ミッターマイヤーは真逆に、目をうるませて拳を握っている。

 

「本当に……よかった。閣下が目を開けられたと聞いたときは、胸が締めつけられるようで……」

 

「お前は恋人か」

 

 ミュラーはミュラーで、きっちり背筋を伸ばしたまま、しかし声だけは少し震えていた。

 

「目を覚まされて、本当によかったです、閣下。艦隊の皆も心配しておりました」

 

「ケンプは?」

 

「むろん安心しましたとも!」

 

ケンプが自信満々に腰に手を当てる。

 

「閣下のいない帝国軍など、味噌の入っていないグヤーシュのようなものです!」

 

「例えがいまいちうまそうじゃないんだよ」

 

騒ぎがピークに達したところで、軍医がとうとうブチ切れた。

 

「静かに!ここは戦場ではなく病院です!閣下は血が足りなくて死にかけたんですよ!採血した私の手が震えるレベルの出血量なんですからね!」

 

「血が足りなくて、ねえ」

 

 自分の腕に巻かれた包帯を見下ろした。点滴の管が何本もつながれていて、変な実験動物になった気分だ。

 

「ということは、輸血をしたわけだ」

 

「もちろんです」

 

軍医が胸を張る。

 

「幸い、ここには健康で若い将校が毎日のように押しかけてきましたからな。献血希望者には事欠きませんでした」

 

「健康で若い将校……」

 

 ゆっくりと視線を巡らせる。

 アナ。ロイエンタール。ミッターマイヤー。ミュラー。ケンプ。それから、入口近くで相変わらずツンとした顔の金髪。それに赤毛。

 

「あー……なるほど」

 

なんとなく、胸の内側に湧き上がる妙な感情の原因に心当たりが出てきた。

 

「目が覚めた瞬間からな。妙なんだ」

 

眉をひそめる。

 

「『宇宙を手に入れたい』とか、『金髪を見ると無性に張り倒したくなる』とか、『やたら走り回りたい』とか、『理不尽な命令を冷笑しながら実行したい』とか、『上官を静かに補佐したい』とか、『意味もなく突撃号令をかけたい』とか、人格が何人か増えた気がする」

 

「おい」

 

いろんな方向から抗議の声が飛んだ。

 

「誰の血がどこにどう混ざったら、そんなカクテルになるんです」とミュラー。

 

「突撃号令のところは私ではありません」とミッターマイヤー。

 

「理不尽な命令を冷笑しながら実行、は間違いなくロイエンタールだな」とケンプ。

 

「宇宙を手に入れたい、は言わずもがなですな」とロイエンタールが金髪を顎でしゃくる。

 

当の金髪は、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 

「貴様のようなしぶとい男が、そう簡単に死ぬとは思っていなかった。それだけだ」

 

 ラインハルトは、いつもの尊大な声音を保とうとしているが、目の下にうっすらクマができている。髪も普段より少し乱れているし、軍服の襟もとがわずかに曲がっていた。

相当余裕がなかったのだろう。

 

「ラインハルト様も、毎日お見舞いにいらしていました」

 

キルヒアイスが、隣でさらっと爆弾を投げた。

 

「最初の日など、『俺の血を全部持っていけ』と医師に詰め寄っておられましたよ」

 

「余計なことを言うな、キルヒアイス!」

 

 金髪が真っ赤になった。耳まで染まっている。宇宙を手に入れる男の耳が、こんなに可愛らしく色づく日が来るとは思わなかった。

 

「全部持っていかれても困るんだが」

 

苦笑しながら、自分の胸に手を当てる。

 

「そのうち、中身が半分くらいミューゼル家製になりそうだ」

 

「貴様にくれてやる血など、一滴で十分だ」

 

「おや?じゃあ、一滴だけ入ったんですか?」

 

ロイエンタールが楽しそうに目を細める。

 

「それはそれは希少な名酒ですな。ファルケンハイン閣下、今後しばらく気をつけてください。唐突に『金髪無双』が始まるかもしれません」

 

「やめろ。そのバグはいらん」

 

アナが、ようやく涙を拭いながら深く息をついた。

 

「アル様。本当に……よかったです」

 

 いつもの冷静な瞳が、今はしっとりと濡れている。俺の右手を両手で包み込んで、離す気配がない。

 

「ですが、もう二度と、私を置いていかないでください。あの時、アル様が血だらけで倒れていた光景が……頭から離れません」

 

「悪かった」

 

素直に謝るしかない。

アナにあんな顔をさせてしまうのは、俺のポリシーに反する。

 

「ああ。約束する。次からは、もう少し器用に避ける」

 

「そういう問題ではありません」

 

すかさずツッコミが飛んでくる。うん、アナが元気ならそれでいい。

 

「アナにケガがなくて、本当に安心した。それが一番だ」

 

これは本心だ。

 

 俺の体は替えがきかないが、最悪どうにかごまかせる。アナに傷が残るのは、全銀河レベルの損失になる。歴史的文化財を火に投げ込むのと同じだ。

 

「さて」

 

 ようやく頭もクリアになってきたところで、俺は上半身を少し起こそうとした。すかさず軍医とアナに押し戻される。ベッドの上の独裁者に行動の自由はない。

 

「状況を教えてくれ。あれからどうなった?」

 

俺が尋ねると、ロイエンタールが代表して口火を切った。

 

「犯人は予想通り、クロプシュトック侯爵でした」

 

「やっぱりな」

 

 あの目は、何かをやらかす決意を固めた人間のものだった。貴族の笑顔は信用していないが、あの無表情だけは逆方向に信用できた。

 

「すでに帝都を脱出。大逆未遂犯として爵位を剥奪され、討伐の勅命が出ております」

 

ミッターマイヤーが眉をひそめる。

 

「問題は、その討伐軍でして……」

 

「どうせロクなメンバーじゃないだろうな」

 

 先にため息をついておく。どうせそうだ。こういう時、まともな戦争屋は呼ばれない。呼ばれるのは、名誉と名声が大好物の貴族たちだ。

 

「正規軍と、貴族たちの私兵の混成部隊です」

 

ケンプが淡々と続ける。

 

「指揮官として名乗りを上げているのが、フレーゲル男爵、ヒルデスハイム伯爵、そのほか数名。いずれも軍事的な実績より、社交界での発言力の方が目立つ連中ですな」

 

「最悪だな」

 

頭を抱えたくなるが、腕を動かすと痛いので、代わりに枕に後頭部を押しつける。

 

「あの軍事素人どもが、功名争いで前へ前へと突っ込む未来しか見えない」

 

「その上で、相手もまた厄介です」

 

ミュラーが資料を取り出して、簡潔に説明してくれる。

 

「自領に帰還したクロプシュトック侯は、持ち前の財力で多数の傭兵を雇用。領内の要所を要塞化し、長期籠城の構えを見せています。兵の規律も、傭兵隊長たちの経歴を見る限り、そこまで悪くありません」

 

「つまり、堅い砦の中に、そこそこ戦える連中が引きこもり、外からは貴族が『俺が先だ』とわめきながら突撃をかける構図か」

 

「ええ。おそらく、そうなりますな」

 

ケンプの表情は真剣だった。

 

「正規軍の参謀たちが止めようとしておりますが、何分、今回の件ではブラウンシュヴァイク公もリッテンハイム侯も怒り心頭でして。『貴族の恥は貴族の手でそそぐ』という声が強く、冷静な意見が通りにくい状況です」

 

「まあ、爆弾を投げ込まれた場所があの公爵邸だからな」

 

大きく息を吐いた。

 

「完全にメンツの問題になっている。軍事じゃなくて感情で動く戦争ほど、兵士にとって迷惑なものはない」

 

「閣下がいらっしゃれば、何とかできたのですが」

 

ミッターマイヤーが、悔しそうに拳を握る。

 

「いらっしゃったら、さらに前線に放り込まれますわよ、アル様」

 

アナが、冷静に現実を指摘してきた。

 

「今は動けないことを、むしろ感謝すべきかもしれません」

 

「それはそれでしゃくに障るな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よし」

 

そう呟くと同時に、俺は片手で点滴を外しにかかった。

 

「アル様!?」「閣下!?」「ちょ、何やってるんです!」

 

アナ、軍医、ロイエンタールあたりのツッコミがきれいにハモる。合唱団か。

 

「落ち着け。別に死ぬ気はない。ただ、そろそろ寝床から出て働かないと、怠惰の神としてのイメージが崩れる」

 

「どういう理屈です、それは!」

 

軍医が半泣きで俺の手を押さえようとするが、こっちは上級大将だ。権限で押し切る。

 

「アナ、俺の軍服を用意してくれ」

 

病室の空気が一拍止まり、次の瞬間、全員の声が揃った。

 

「「「はあ!??」」

 

見事なユニゾン。こいつら、合宿でもしたのか。

 

「なりませぬ!」

 

アナが、今にも刀を抜きそうな気迫で俺の枕元に立った。

 

美人が本気で怒ると、病室の空気まで凍る。軍医が一歩下がった。

 

「アル様はまだ全快しておりません。歩くどころか、立つのも控えるよう申し上げたはずです」

 

「大丈夫だよ。ちょっと貧血気味なだけだ。それに――」

 

顎で、部屋の隅を示した。

 

 そこでは、さっきからブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯が、所在なさげに立ち尽くしている。

 

大貴族二人が、病室の隅でオロオロしている光景は、なかなかにシュールだ。

 

「見てみろ、あのお二人の顔を」

 

 ブラウンシュヴァイク公は、ずっとハンカチを握りしめたまま、何か言いたげに口を開きかけては閉じている。

 

 リッテンハイム侯に至っては、落ち着きなく足を踏み替え続け、視線を床と天井の間でさまよわせていた。

 

あの様子だと、たぶん頭の中ではこうだな

 

俺は内心で、二人の心の声に字幕を付けてみる。

 

「討伐軍は失敗しそうだ。でも今さら部下に任せると言い出した手前、引っ込みもつかない。どうしよう」

「このままフレーゲルに任せたら、絶対にやらかす。でも『やめろ』と言ったら、甥のプライドがズタズタ。どうしよう」

 

うん、だいたい合っているだろう。

 

「公爵、侯爵」

 

ベッドの背もたれに体を預け、できるだけ普段通りの声を出した。

 

「俺が、討伐軍の総指揮を執りましょう」

 

二人の肩がビクッと動いた。

 

「このままでは、余計な犠牲が増えるばかりか、お二人の顔に泥を塗ることになりかねません。ここは、俺に任せていただきたい」

 

「な、何を言うか!」

 

ブラウンシュヴァイク公が一歩踏み出す。目が血走っている。

 

「君は重傷人だぞ!片足を失ってもおかしくない出血量だったと聞いておる!そんな身で前線に立てなどと、正気の沙汰ではない!」

 

出血量の話は今しなくていい

 

軍医が後ろで「そうですそうです」と全力で頷いている。

 

リッテンハイム侯も、青ざめた顔で両手を振る。

 

「そうだとも!ファルケンハイン君に何かあれば、帝国の損失……いや、我々の損失が大きすぎる。討伐軍の指揮には、他の将官を当てよう」

 

「他の将官ねえ」

 

ロイエンタールの方をちらっと見た。

 

彼は肩をすくめるだけで何も言わない。こういう場面で「自分が行きます」と言い出すタイプではない。

 

ミッターマイヤーなら飛び出しかねないが、今は黙って俺の出方を見ている。

 

「公爵、侯爵」

 

少しだけ声のトーンを落とす。

 

「俺のことは心配無用です。医者いわく、『この男はしぶといから大丈夫』だそうですよ」

 

「言ってません!」

 

軍医が即座に否定した。してないか。まあいい。

 

「それに、こう見えても、俺はまだ『伯爵』ですよ」

 

そこで、わざとらしく笑ってみせる。

 

「指揮官が『男爵』では、他の貴族も納得しにくいでしょう。フレーゲル男爵たちも、伯爵階級の俺が総指揮に立てば、渋々でも従いますよ」

 

「う……」

 

ブラウンシュヴァイク公の目が揺れた。貴族は、階級の話に弱い。

 

リッテンハイム侯も、腕を組んで唸り始める。

 

「それに――」

 

ここからが本題だ。

 

ニヤリと笑い、二人を順番に見た。

 

「これで、ラインハルトの件と、侯爵昇進の件。お二人への『貸し』は、チャラということで。いかがです?」

 

一瞬、病室の空気が静止した。

次の瞬間、二人の顔が、同時にパァアアアっと明るくなる。

 

「「おお!!」」

 

今度はこの二人までハモった。やっぱり合宿しているだろ。

 

「なんという殊勝な心がけ!」

 

リッテンハイム侯が、感極まった様子で両手を広げる。

 

「そうか、そうか!君はそこまで我らを思ってくれているのか!」

 

思ってない。思っているのは、自分の将来とアナの生活水準だ

 

心の中でだけ訂正しておく。

 

「よかろう!」

 

ブラウンシュヴァイク公が、ドンと胸を叩いた。

 

「討伐軍の全権は君に任せる!フレーゲルにも、君の命令には絶対服従と命じよう。思う存分やりたまえ!」

 

「感謝いたします、公爵閣下、侯爵閣下」

 

ベッドの上から、できるだけ優雅に頭を下げてみせた。

 

実際は点滴スタンドにつかまりながらなので、優雅というより危なっかしいが、細かいことは気にしない。

 

よし。これで面倒な『借り』は完済だ。

 

リッテンハイム侯にはラインハルトの後見問題。

 

ブラウンシュヴァイク公には侯爵昇進の根回し。

 

どちらも、放置すると将来に大きなツケを残す案件だった。

 

ここで一仕事しておけば、今後「この前の件」を延々と持ち出されるリスクはかなり減る。借金は、返せる時に一気に返すのが鉄則だ。

 

頭の中で、見えない帳簿に大きく二本の線を引いた。

 

「……アル様」

 

横から、低い声がした。

アナが、じっと俺を見ている。瞳の奥で、怒りと不安と諦めが入り混じっていた。

 

「やめろと言っても、聞きませんね?」

 

「聞かないな」

 

素直に答える。

 

「だって、これは仕事というより、後始末だ。俺が撒いた種も混じっている」

 

「どこがです」

 

「ブラウンシュヴァイク公の晩餐会で俺が踊らなければ、爆弾のタイミングがずれていたかもしれない」

 

「理屈になっていません」

 

きっぱりと言われた。正論である。

 

「でもな、アナ」

 

彼女の手を握り返した。

 

「これは、俺たちの将来を守るための投資でもある。あの二人の機嫌を取り続けるより、今ここで一度きっちり片をつけた方が、あとあと楽になる」

 

「……楽になりたいから、戦場に行くと言う人を、初めて見ました」

 

「俺も初めて言った」

 

思わず笑いが漏れる。

自分で言っておいてなんだが、本当にろくでもない理屈だ。

 

「ファルケンハイン」

 

呆れたような声が頭上から降ってきた。

ラインハルトが腕を組み、ベッドの足元で見下ろしている。

 

「貴様という男は、転んでもただでは起きんな」

 

「当たり前だ。タダ起きするようなら、最初から転ばない」

 

「その自信は、どこから湧いてくるのだ」

 

「自尊心と、アナへの執着と、将来の金だな」

 

ラインハルトが、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

「……まあいい。どうせ止めても聞かんのだろう」

 

「よくわかっているじゃないか」

 

キルヒアイスが、おそるおそる口を挟む。

 

「しかし、本当にご出陣なさるのですか?お体は……」

 

「そこで、お前たちの出番だ」

 

俺は、ロイエンタールたちの方に視線を向けた。

 

「さあ、行くぞお前ら」

 

ベッドの脇に置かれていた折りたたみ式の車椅子を、コンと足でつつく。

 

「俺の車椅子を押せ。出撃だ」

 

軍医が頭を抱えた。

 

「そういう用途の車椅子じゃありません!!」

 

「いいから貸せ。これなら転んでも、地面までの距離が短い」

 

「発想がもう患者ではありません……」

 

ロイエンタールが、くくっと笑いを漏らした。

 

「さすが閣下。負傷してもなお、絵面を取りに行く姿勢は崩れませんな」

 

「当然だ。どうせ行くなら、記録映えする方がいい」

 

「記録係はミュラーに任せましょう」

 

ミッターマイヤーが冗談めかして言うと、ミュラーがわずかに目を丸くした。

 

「わ、私ですか?」

 

「君の報告書は読みやすいからな。『負傷した上級大将が車椅子で総指揮を執る』などという珍妙な事例、後世の軍事大学校の課題にぴったりだ」

 

「そんな前例、作る必要ありますか」

 

アナのツッコミが、今日一番鋭かった。

 

「よし」

 

 俺は、点滴の針を抜こうとした手を軍医に押さえられたので、仕方なく黙認しつつ、別ルートを探る。

 

「軍医。俺が移動している間だけ、点滴スタンドも一緒に連れていくというのはどうだ?」

 

「どういう意味です?」

 

「つまりだな。車椅子の背もたれに、点滴スタンドを縛り付ければ、移動式治療ユニットの完成だ」

 

「そんな戦地仕様にする前提で設計してません!」

 

「じゃあ新兵器として売り出そう。『ファルケンハイン型前線指揮車椅子』負傷しても指揮を継続できる優れものだ」

 

「商品化しないでください!」

 

病室の中に、疲れた笑いが広がった。

重苦しい空気が、少しだけ軽くなる。

 

「……アル様」

 

アナが、静かに息を吐いた。

 

「行くのを止めることは、もうしません。その代わり、私も同行します」

 

「もちろんだ」

 

これについては即答だ。

 

「お前を置いていくわけないだろう。あちこち勝手に突撃されても困る」

 

「突撃するのは、そちらでしょうに」

 

少し呆れた顔をしながらも、アナの口元にようやく笑みが戻った。

 

「では、アル様が倒れたら、その場で私が指揮を引き継ぎます」

 

「それはそれで頼もしい」

 

ロイエンタールが肩をすくめた。

 

「閣下が倒れたら、まずは退路の確保をお願いしますよ、ホーテン閣下。私の肝臓のためにも」

 

「どうせ飲み過ぎで痛めてるんだろ」

 

 そう言い合っていると、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯が、改めてベッドのそばに歩み寄ってきた。

 

「アルブレヒト君」

 

ブラウンシュヴァイク公は、先ほどとは打って変わって、落ち着いた声になっていた。

 

「君に任せよう。君のやり方でよい。クロプシュトックの老いぼれに、帝国の恐ろしさを思い知らせてやってくれ」

 

「承知しました」

 

「リッテンハイム家の名においても、討伐軍全体に君への協力を命じよう」

 

リッテンハイム侯も、珍しく引き締まった表情で言う。

 

「フレーゲルにも言い含めておく。……できれば、あの子の面子も、少しだけは守ってやってくれんかね」

 

「……善処します」

 

曖昧な言葉で返しておく。

 

戦場で面子と現実を両立させるのは難しいが、完全に叩き潰すと後味が悪い。ほどほどに転ばせて、ほどほどに立たせるくらいがちょうどいい。

 

「では」

 

 俺は深呼吸を一つして、車椅子へと体を移した。

 

 思った以上に足に力が入らず、ロイエンタールとミッターマイヤーが両側から支える。情けないが、今はこれでいい。

 

「作戦会議を開こう。場所は……統帥本部の会議室でいいな?病院のロビーでやると怒られそうだ」

 

「当然です!」

 

軍医が即座に噛みついてきた。

 

「くれぐれも、途中で倒れないように!点滴は絶対に外さないでくださいよ!」

 

「外さなきゃいいんだろ。……よし、出発だ」

 

車椅子の背後に、そっと手がかかった。

振り返らずとも、誰のものか分かる。

 

「アナ。押してくれるのか」

 

「はい。全速前進でよろしいですね?」

 

「前のめりに転倒しない程度にな」

 

くすっと笑い声が耳元で聞こえた。

 

こうして俺は、点滴スタンド付き車椅子という情けない形で、討伐軍総司令官としての第一歩を踏み出した。

 

 借金返済のチャンスという名の面倒ごとへ、華々しく――そして、少しふらつきながら――出撃するのであった。




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

もし、

アルの復活シーンの印象

アナの描写

ラインハルトの反応

車椅子で出撃する絵面

今後の展開予想

など、何か一つでも心に残る場面があれば、ぜひ感想をいただけると励みになります。

この物語はどこまで続けますか?

  • 原作開始(アスターテ)まで
  • リップシュタット戦役まで
  • 宇宙統一まで
  • 原作終了まで
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