銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
本話では「地上戦」「決着」「統治パート」と、大きな区切りを描いております。
アルブレヒトの強欲と合理性、
アナの静かな狂気、
そしてミッターマイヤーの誤解による美談化──
それぞれの歯車が噛み合い、
銀英伝らしさとこの作品ならではの悪趣味なユーモアが
ほどよく混ざった章になったかと思います。
楽しんでいただければ幸いです。
クロプシュトック本星の領主館は、金に飽かせて建てた成金趣味の極みだ。大理石の柱、金箔の装飾、無駄にでかい肖像画。つい数時間前まで、ここでワイン片手に政治ごっこをしていた連中がいたのだろう。
今は、床一面が赤い。
いや、赤い絨毯は最初から敷いてあったが、その上に別の赤がべったり広がっている。壁には銃痕と焼け焦げ、転がる武器、転がる首。端的に言って掃除当番に謝れと言いたくなる光景だ。
その地獄のど真ん中を、俺とアナは並んで歩いていた。
「ほいっと」
右から飛びかかってきた傭兵の腹を、トマホークで横に払う。防弾ベストごと骨まで割れる感触が手首から肩に抜けた。勢いで敵が半回転し、壁に叩きつけられ、そのまま二度と動かなくなる。
「ふふ〜ん♪」
つい鼻歌も出る。リズムに合わせて斬ると、腕への負担が少ない。医者に知られたら殴られる理論だが、実際やってみると調子がいい。
「……って、おいリューネブルク。これ、どういう状況だ」
トマホークを振り抜いた姿勢のまま、背後の男に声をかけた。
背中側の通路では、ヘルマン・フォン・リューネブルク少将が、部下の装甲擲弾兵たちを指揮しながら、淡々と敵を片付けている。銃声、爆音、悲鳴。なのに彼の顔は、書類仕事でもしているかのように落ち着いていた。
「何か不都合が?」
リューネブルクは、手にした突撃銃でこちらに突進してきた敵を二人まとめて撃ちながら、肩越しに視線を寄こす。
「不都合というか、弱すぎる」
足元に転がった敵のブーツを軽く蹴った。
「ここ、本星の領主館だよな?クロプシュトック侯の最後の牙城だよな?もう少しこう、絶望感とか達成感とか、命がけのロマンとか、そういうのが欲しいんだが」
「閣下の言う『ロマン』は、たぶん一般的なそれと意味が違います」
「違わない。俺は、アナとの久々のデートを楽しみにしていたのだ。危機一髪の共同戦線、肩を寄せ合っての窮地脱出、そのあと無事に生存を祝ってキス。そういう流れを期待していた。なのにこの有様だ。作業じゃないか」
前方から悲鳴を上げながら突っ込んでくる傭兵を、アナが片手のナイフで喉だけを正確に切り裂く。敵は数歩走ったところで膝から崩れ、静かになった。
「アル様」
アナスタシアが、血飛沫を浴びた頬をぬぐいもせず、こちらを振り向く。髪が血で重くなっているが、その表情はいつもどおりの涼しい笑顔だ。
「お気遣い感謝いたします。ですが、今のところ十分に楽しんでおります」
そう言って、足元に転がる死体を軽くまたぐ。スカートの裾に付いた血が、歩くたびに揺れた。
「楽しんでるのか……」
「ええ。アル様とご一緒に歩けますし」
さらっと言われて、少しだけ頬が熱くなる。
「それは……まあ、俺も楽しいがな」
「それに」
アナは、床に転がる敵から予備マガジンを抜き取り、自分のベルトポーチに入れながら続けた。
「アル様は、まだ八十三人しか倒していません」
「お前数えてたのか!」
「当然です。トマホークで六十七人。拾った銃器による射撃で十六人。左腕を蹴りで叩き折った方は、意識が残っているかもしれませんので、カウントから外しています」
「細かい……」
「修行不足ですね。百人までは準備運動です。あと十七人、どこかから走ってきませんかしら」
彼女は廊下の奥を期待に満ちた目で見つめた。血煙の向こうで、怯えた傭兵たちが顔を引きつらせるのが遠目にも分かる。
あー……完全に獲物を見る目だな
「リューネブルク」
少将に向き直った。
「これはどういうことだ。俺のデートプランを返せ」
「知りませんよ、そんなものは」
彼はため息をついた。
「ホーテン閣下は、この廊下に入ってからまだ五分と経っていません。その間に、お一人で百人は戦闘不能にしました。運動量としては、十分どころか過剰です」
「過剰とは心外だな。俺はまだ軽く汗をかいた程度だ」
「それを世間一般では『地獄』と表現するのです」
「世間一般の基準は狭い」
「広げる必要はありません」
そう言いつつも、リューネブルクの口元にはうっすら笑みが浮かんでいた。陸戦屋にとって、状況が自分の掌の上にあるという感覚は何よりの酒だ。
「それに、閣下。シェーンコップほどの化け物が、そういくつも存在したら銀河の治安が崩壊します」
「まあ、あれが複数いたらさすがの俺も嫌だが……」
記憶の中のヴァンフリートの基地の廊下を思い出す。あのとき、ローゼンリッター連隊長とやり合ったのだ。あの刺すような殺気、膝が笑うほどギリギリの斬り結び。今思い返しても背中が冷たくなる。
「あのレベルでなくてもいい。せめてバーンシャッフェくらいの猛犬がいてもよかった」
「閣下の基準、完全に壊れてますよ」
リューネブルクは、肩をすくめながらも足は止めない。角を曲がるたびに、事前に送り込んでおいた部隊から「制圧完了」の報告が上がってくる。
『西翼階段ホール、抵抗制圧。負傷者少数』『中庭にいた傭兵部隊、降伏を申し出ています』
「降伏か。賢明だな」
「戦況判断ができるだけ、ここまでの敵よりは上等ですね」
アナが、最後のあがきでナイフを投げてきた敵の腕を撃ち抜いた。ナイフは情けない音を立てて床に落ちる。
「降伏するなら武装解除と拘束を。抵抗するようなら撃って構いませんが、なるべく殺さないように。尋問は後で必要になります」
指示を飛ばすと、通信の向こうから一斉に「了解」の声が返ってきた。
「しかし」
リューネブルクが、ふと俺を横目に見た。
「閣下は本当に楽しそうですね」
「楽しいぞ?」
即答した。
「アナと二人で並んで歩き、敵が次々と倒れていく。俺の右側にアナ、左側にリューネブルク。前方からは傭兵、後方からは装甲擲弾兵。完璧な布陣だ」
「デートの定義を再考した方がいいのでは」
「うるさい。お前だって楽しいだろ。ほら、その目。完全に獲物を狩る目だ」
「仕事です」
「仕事が楽しいタイプの人間は、総じて危険だ」
そう言いながらも、内心では少しだけ満足していた。
「しかし」
アナが不意に口を開いた。
「アル様。さきほどから気になっていたのですが」
「なんだ」
「貴方様、左足の感覚が鈍っていませんか?」
ドキリとした。
「……何で分かった」
「歩幅が普段より一割ほど狭いです。それから、右足への重心の乗せ方が、昨日と違う」
「昨日も俺の歩き方を観察していたのか」
「もちろんです」
なぜそこに自信を持つのか。この女は本当に俺専用の暗殺兵器なのではないかと、ときどき真剣に悩む。
「医療班の判断では、まだ激しい運動は控えろと言われていましたよね」
「控えてるぞ。今日はジャンプしてない」
「そういう問題ではありません」
アナは眉をひそめた。
「これ以上無理をなさるようなら、私が気絶させてでもお止めします」
「物騒なプロポーズだな」
「プロポーズではありません」
とは言いつつ、瞳の奥には本気の色があった。
爆弾事件のあの日、俺が血の海の中で倒れたとき、彼女がどんな顔をしていたか。薄れゆく意識の中で見た涙の跡は、今でもはっきり目に焼き付いている。
あれをもう一度見たいとは……さすがに思わないな
「分かった。無茶はしない」
トマホークを肩に担ぎながら言った。
「侯爵様のお屋敷の中で失血死なんて、格好がつかないしな。ここはリューネブルクに花を持たせよう」
「そうしていただけると助かります」
リューネブルクが深くうなずいた。
「俺の部隊は、こういう市街戦……いえ、邸宅攻略戦に特化した訓練を積んでいます。閣下は後ろから命令を下してくださればよろしい」
「後ろから、ねえ」
少しだけ唇を曲げる。
「まあいい。今日のところは『後ろから』にしておいてやる。あとは……敵のボスに一発くらいは殴りかかりたいが」
「そこは交渉次第で」
「交渉する気あるのかそれ」
そんな会話をしていると、前方の角を曲がった偵察班から、息を弾ませた声で報告が入った。
『こちら先遣班。領主館中央ホールまで制圧完了。敵の抵抗は散発的。クロプシュトック侯爵と思しき人物、奥の大広間に籠城している模様』
「ようやくだな」
トマホークを持ち直し、血で滑りやすくなった床を慎重に踏みしめる。
「さあ、ラスボスの挨拶に行くか。アナ、準備はいいか」
「いつでも」
アナは、トマホークの刃についた血を指で払うと、その指を軽く舐めた。
「……今日の血は、少し味が薄いですね」
「グルメコメントやめろ」
リューネブルクが、思わず額に手を当てた。
「ホーテン閣下。陸戦隊総司令官として一つだけお願いがあります」
「なんだ」
「今後、『愛の殺戮』などという名前で作戦日誌に記録するのはやめてください」
「誰もそんなことは言ってない」
「先ほどからずっと独り言で繰り返していました」
……口に出ていたのか。危ない。
「訂正しよう。これは愛の共同作業だ」
「どっちにしろ記録には残しません」
そう釘を刺されつつも、俺の足取りは軽かった。
◆
分厚い木の扉には、銃痕と焼け焦げの跡がいくつも刻まれている。リューネブルクの部下が爆薬で蝶番を吹き飛ばした名残だ。廊下の血の匂いに、薬品の酸っぱい匂いが混じってくる。
「行きますか、アル様」
アナが軽く顎を引いた。トマホークの刃には既に何層もの血と肉片がこびりついているが、本人はまったく気にしていない。俺も片手で持ち直し、リューネブルクに目配せした。
「突入は任せる。俺は見た目だけ指揮官らしく、最後に決め顔で入る」
「いつもどおりですね」
皮肉まじりの返事を聞きながら、扉がきしみを上げて開いていく。
クロプシュトック侯爵の執務室は、意外なほど静かだった。さっきまで銃火に包まれていた館の中心とは思えないほど、物が整っている。
机の上には、整然と並んだ書類、古い家系図、使い込まれた羽ペン。壁には歴代の肖像画。窓辺にかけられた重たいカーテンだけが、爆風で少し破れて揺れていた。
そして、机のそばの椅子にもたれかかるようにして、一人の老人が座っていた。
胸元には、自分の家紋を刻んだ勲章。顔色は紙みたいに白く、唇は紫がかっている。指先からは、半分ほど中身の減った小瓶が滑り落ちていた。
「……遅かったか」
歩み寄り、老人の鼻先に手をかざした。息はない。脈もない。
机の上には、短い走り書きが置いてある。
『帝国に栄えあれ。愚かなる老兵、ここにて退場す』
「毒ですね」
アナが机に落ちた小瓶を拾い上げ、匂いを確かめる。
「即効性のあるもの。苦しみは少なかったでしょう」
「最後の最後で、他人に迷惑をかけない選び方をするあたり、貴族の矜持ってやつかな」
紙片をひらひらさせながら、肩をすくめた。
この老いぼれが晩餐会を吹き飛ばした張本人であることに変わりはない。だが、ここで安っぽい悪口を浴びせるのも違う気がした。
こいつはこいつなりに、全員道連れにして退場するつもりだった。失敗して、自分だけ先に逝った。
それだけの話だ。
「遺体は私たちが確保します。検分が終わり次第、適切な形で」
リューネブルクが淡々と報告する。
と、そのときだった。廊下の方から、耳障りな足音と怒鳴り声が響いてきた。
「どけどけ!危険は去ったのであろう!今度こそ俺の出番だ!」
聞き慣れた残念な声だ。
扉の前に、息を切らしたフレーゲル男爵が飛び込んできた。その後ろに、お揃いのド派手な軍服を着た取り巻きの貴族たちがぎゅうぎゅうに詰まっている。
見事なまでに、誰一人として血を浴びていない。
「クロプシュトックはどこだ!」
フレーゲルが部屋の中を見回し、椅子にもたれた老人の姿を見つけて、顔を真っ赤にした。
「死んでいるではないか!ファルケンハイン!その逆賊の死体をよこせ!首を刎ねて城門に掲げる!私の忠義を帝国に示してやる!」
その瞬間、部屋の空気が少しだけ冷えた。
アナが一歩前に出る。トマホークの血が、床にぽたぽたと滴り落ちた。
リューネブルクの陸戦隊も、ぴくりとも動かない。銃口は下がっているが、少し力を込めればいつでも上がりそうな位置だ。
クロプシュトックの亡骸をもう一度見下ろした。白く乾いた老人の手は、今にも机の端をつかみそうに伸びている。あの時代の人間にとって、どれだけ家名が重かったか。想像するくらいの知能は、俺にもある。
それでもこいつは、俺たちを巻き添えにした。俺は晩餐会で吹き飛ばされ、アナに泣かれた。正直に言えば、一発くらい腹を蹴りたい気持ちもある。
それはそれとして。
戦場に来てもいないハイエナどもに、最後の一線を踏み荒らされるのは気分が悪すぎた。
「お前ら、戦闘が始まってから今まで、どこにいた」
ゆっくり振り返り、フレーゲルたちを見た。
声を張り上げたわけでもないのに、部屋の隅までちゃんと届いた。陸戦隊の連中が一斉に背筋を伸ばしたのが分かる。
「な、何を……」
「前線では見なかったな。砲撃の中で走っている姿も、降伏交渉をしている姿も、負傷兵を運ぶ姿も、遺体を並べる姿も。どこにもいなかった」
フレーゲルの顔から、さっきまでの血の気が消えていく。
「私は……私は、全体状況を把握するために後方でだな……」
「そうか。それなら一つ、教えておいてやる」
トマホークを持った右手を、わざとらしくひらひらと動かした。
刃についた血と肉の破片が、ぱらぱらと床に落ちる。
「何もしていない奴に、死体を汚す権利はない」
フレーゲルの喉が、ごくりと鳴った。
「こいつは逆賊だ。晩餐会を吹き飛ばし、皇帝暗殺未遂までやらかした。俺も、こいつのせいで病院食の世話になった。責任は山ほどある」
そこで一度言葉を切り、老人の顔を指さす。
「それでもな。こいつは、最期くらい自分で片をつけた。毒を飲む程度の度胸は残っていた。少なくとも、今ここで俺の足元で震えている連中よりは、まだ貴族の端くれに見える」
「だ、黙れ!」
フレーゲルが顔を真っ赤にし、拳を振り上げる。
「貴様も所詮は成り上がりだ!俺はブラウンシュヴァイク公の甥だぞ!血筋が違う!」
「そうだな」
素直にうなずいた。
「俺は成り上がりだ。お前とは血筋が違う」
「ならば――」
「だから何だ」
すっと笑ってみせると、なぜかフレーゲルが一歩下がった。
「言っておくが、俺はもともと伯爵家の出だ。お前は公爵の甥でも爵位は男爵。序列的には俺の方が普通に上だぞ。数字も読めんのか」
「ぐっ……」
「しかも今は侯爵だ。つまり、肩書でも実績でも、お前に頭を下げる理由が一つもない」
ひい、と誰かが小さく息を呑んだ。
取り巻きの一人だろう。妙なところで正直な反応をする。
「それにこいつはな」
椅子にもたれた老人の胸元を軽く押した。
「俺の艦隊が半日かけて叩き潰した相手だ。うちの連中が、命を張ってここまで道を開いた。その結果としてここに転がっている。ある意味で、俺の土産物だ」
「土産物……」
「そうだ。俺とアナとリューネブルクと、その部下たちの血と汗と火薬の結晶。お前が手を出していい品じゃない」
アナが、静かに一歩前へ出た。
白いドレスは、もはや原型が分からないほど赤く染まっている。髪にも頬にも、乾きかけた血が筋を描いていた。
その姿で、トマホークを肩に担ぎ、氷のような眼差しでフレーゲルを見据える。
「先ほどから聞いていれば、ずいぶんと口が滑らかですね、男爵」
声だけは、普段の柔らかい調子のままだった。
「あなたが撃たれもせず、斬られもせず、血も流さずにここまで歩いて来られたのは、誰のおかげでしょう」
「そ、それは……」
「クロプシュトック侯の領民の上に落ちた砲弾。あなたの代わりに死んだ傭兵。先に突入した装甲擲弾兵。アル様の医療記録。どれも、あなたの軍服を一滴も汚さないための代償です」
アナはそこで言葉を切り、ゆっくりと微笑んだ。
笑っているのに、目はまったく笑っていない。
「その上で、何もしていないあなたが、死者の身体を玩具にする。とても無礼です。……次にそのようなことを口にしたら」
トマホークの柄を、きゅっと握り直す。
「この斧で、あなたの肩を切り落とします」
「ひっ」
フレーゲルの膝が、目に見えて震え始めた。
リューネブルクが、咳払い一つ。
「ホーテン閣下」
「何だ、止めるのか」
「いえ、非常に教育的な講義でした。追加で一点だけ」
少将は、フレーゲルに向き直る。
「この場であなた方が騒げば騒ぐほど、記録映像に残ります。我々のヘルメットカメラは、現在も全て稼働中ですので」
「き、記録……」
「のちほど統帥本部に提出されます。『誰がどこで何をしていたか』が、一秒単位で確認できる優れものです」
フレーゲルの顔色が、一気に土色になった。
「こ、この件は……叔父上に……!」
「どうぞご自由に」
「公爵には、晩餐会で庇った礼もある。そのうち酒を飲みながら、今日の戦いをゆっくり語ってやるさ。どいつがどこで何をしていたかも含めてな」
「ひいぃぃっ!」
男爵とその一味は、きれいな悲鳴を上げて踵を返した。
新調した靴を鳴らしながら、廊下の奥へと団子になって走り去っていく。
部屋の中に、しばし静寂が戻った。
「……逃げたね」
アナが、トマホークを下ろしながらぽつりとつぶやく。
「まあ、あいつらの胃腸じゃ、この光景は刺激が強すぎるだろう」
床には、血の跡が点々と続き、壁には弾痕。
その中心で、毒をあおった老人が、何もかも終わらせた顔で座っている。
「さて」
大きく息をついた。
「遺体は丁重に扱え。検分が終わったら、しかるべき礼をもって土に返す。首を切って晒す趣味はない。そんなことをしても、死者も喜ばん」
「了解しました」
リューネブルクが短く答え、部下に指示を飛ばす。
白いシートが運び込まれ、クロプシュトック侯の身体が静かに横たえられた。
「アル様」
アナが、そっと俺の袖を引いた。
「そろそろ、足の包帯を替えた方がよろしいかと。だいぶ滲んでいます」
「おっと、忘れていた」
見下ろすと、太ももの包帯が赤く染まっている。興奮していると痛みを忘れるから怖い。
「……まあ、任務完了だしな。そろそろ真面目に治療を受けるか」
「はい。今度はきちんとベッドで寝てくださいね」
「もう二度と、立ったまま気絶するなと?」
「ええ」
アナは微笑んだ。今度はちゃんと、目も一緒に。
「次に気を失うときは、私の膝の上にしてください」
「それはぜひお願いしたい」
苦笑しながら、クロプシュトック侯の覆いかけられたシートに軽く会釈した。
◆
クロプシュトック侯爵家の領主館を出た瞬間、俺は空を見上げて深呼吸した。青い。平和。さっきまで血と火薬とハイエナの悲鳴が渋滞していたのに、外は観光パンフレット級に澄んでいる。世の中、落差がひどい。
「さて、と。ここからが本番だ」
本番という言葉を口にした自分に腹が立つ。戦闘は派手で短い。面倒は地味で長い。つまり、俺が嫌いなタイプの長編作品が始まる。しかも読者は俺だけ。最悪だ。
クロプシュトック領は広大だ。住民も多い。工場もある。港もある。税収もある。つまり、俺の未来の贅沢生活の燃料が大量に眠っている。だからこそ、ここを放置すると俺のワインが薄くなる。薄いワインは敵だ。断固排除する。
問題は、勝った側の兵士と貴族の脳みそが、たまに原始時代へ退化することだ。勝利の余韻でテンションが上がり、「よし、戦利品だ」と言い出す。戦利品という単語の中身が、家財や食料だけならまだしも、人格まで含めようとする奴がいる。そういう奴は、未来の納税者を自分で燃やすタイプだ。資産管理としては論外である。
なので俺は、治安維持担当を呼んだ。疾風ウォルフこと、ウォルフガング・ミッターマイヤー准将。先日の戦いで、速度と正確さと胃の強さを証明して昇進した男だ。うちの艦隊は二つ名を付けると強くなる。俺の気分も良くなる。最高のシステムだ。
臨時の司令部は、元領主館の別棟をそのまま使った。豪華な応接室に地図と端末を並べ、俺は椅子に座る。椅子がふかふかで、危うく眠りかけた。寝るのは後だ。俺は自分に言い聞かせた。寝たら、誰かが勝手に略奪を始める。寝たら、俺の財布が泣く。
ミッターマイヤーが入ってきた。背筋が真っ直ぐで、敬礼が清潔で、目が真面目すぎる。真面目すぎる奴は、たまに危険だ。こちらの冗談を本気で受け取る。俺は慎重に言葉を選ぶ必要がある。
「准将。君に本星の治安維持を任せる。要点は二つ。秩序、そして税収」
俺の方針はいつも正直だ。秩序がなければ商売が止まり、税収が減る。税収が減れば俺の生活が荒む。荒むと俺は働く。働くと死ぬ。つまり、秩序は俺の寿命を伸ばす。
ミッターマイヤーは「はっ」と短く返し、すぐに質問を投げてきた。真面目だ。真面目すぎて怖い。
「閣下。占領地における略奪の許可範囲は、いかがいたしましょう。兵のガス抜きも必要かと」
その瞬間、俺は耳を疑った。いや、疑う必要はない。帝国では普通にある話だ。普通にあるのが問題だ。
「ならん」
即答した。早口で言った。勢いで言った。反射で言った。もはや生理現象だ。
ミッターマイヤーが固まる。「は?」という顔を、軍人の礼儀で必死に隠している。隠し切れていない。目が「え、今の聞き間違いか」と言っている。
「いいか。略奪、暴行、強姦は厳罰。見つけ次第、逮捕。軍法会議にかける。現場で撃って終わりはなし。手順を守れ」
指を折りながら淡々と言った。淡々と。ここ大事だ。熱く語ると、善人認定される。善人認定されると、後で面倒が増える。俺は面倒が嫌いだ。
続けて釘を刺す。
「混乱に乗じた商人の不当な値上げ、買い占め、物価操作も締めろ。生活物資は安定供給が最優先。食料、医薬品、燃料、通信。ここが崩れると暴動が起きる。暴動が起きると生産が止まる。生産が止まると税が止まる。税が止まると俺が泣く」
最後の一文を言った瞬間、俺は失敗したと気づいた。真面目な会議のはずが、急に俺の涙で締まった。だが撤回はしない。俺の涙は国家の危機だ。たぶん。
ミッターマイヤーは、俺を見つめた。目がキラキラしている。いや、やめろ。その目は危険だ。聖人を見る目だ。俺は聖人ではない。俺は楽したいだけだ。なんなら祈るとしたら「寝かせてください」だ。
「閣下……」
声が震えている。感動している。誰が。なぜ。
「なんと慈悲深く、公正な……敗者の領民に対しても、そこまでの配慮を。私がこれまで仕えた貴族は、占領地を金庫としか見ておりませんでした」
やめろ。金庫扱いは俺もする。ただし金庫を壊して燃やす気がないだけだ。金庫は丁寧に扱う。金庫に向かって銃を乱射する奴は、金融の素人だ。
「ん?どうした。泣きそうな顔をするな。まだ戦場だぞ」
俺が言うと、ミッターマイヤーは胸を張った。いや、張りすぎだ。制服がはち切れるぞ。
「尊敬いたします。私は一生、閣下に従います」
待て待て。重い。台詞が重い。俺の肩が折れる。俺は誰かに一生従われるほど立派ではない。従わせるなら、せいぜい午後の昼寝時間だけだ。
「よせ。俺は当たり前を言っただけだ」
さらっと流そうとしたが、彼はさらに感動した顔でうなずく。何に。流したのに。
仕方がないので、俺は本音を見せた。これで目が覚めるはずだ。善人フィルターを破壊する。俺は悪役寄りの資本家だ。分かってもらう。
「聞け。略奪して民が死んだり逃げたりしたら、今後誰が税を払う。復興が遅れれば俺の懐に入る金が減る。俺は将来の俺の財布を守っているだけだ。慈悲でも理想でもなく、単なる投資だ」
胸を張った。どうだ。これで夢から覚めたか。俺は金の亡者だぞ。怖いだろ。引くだろ。
しかしミッターマイヤーは、目を輝かせたまま言った。
「ご謙遜を。長期的視野こそ名君の証。閣下の算盤は、民の命を救い、秩序を守り、帝国の未来を育てます」
違う。算盤はワインセラーの拡張に直結するだけだ。俺の未来は樽の数で決まる。だが彼は完全に美談に変換している。会話が通じない。疾風が速すぎて、俺のツッコミが追いつかない。
「ちょっと待て。俺は今、強欲の説明をした」
「はい。強欲でありながら、手段が公正です。そこに品格があります」
「品格という単語を、強欲にくっつけるな」
「閣下はそれを自然に両立させておられます」
俺の頭が痛くなった。戦場よりも痛い。言葉の戦場は凶悪だ。勝てない。
そこへ、後ろでずっと無言だったアナが、血のついた手袋を外しながら口を挟んだ。淡々と、あくまで事務的に。
「アル様。悲しいことに、『殺して奪うより、生かして搾り取る方が得だ』という程度の計算すらできる貴族が、帝国には少なすぎます」
「……それ本当か」
真顔になった。冗談の余地がない。税務の話は俺にとって宗教だ。
「はい。未来の納税者を殴り倒し、職人を逃がし、工場を燃やし、最後に『領地が荒れた』と泣く。そういう者が多いのです」
「終わっている。貴族ども、算数のテストからやり直せ」
「ですから、アル様が相対的に聖人君子に見えます。皮肉ですね」
「俺はただ楽して贅沢したいだけだ。聖人は苦行をする。俺は苦行が嫌いだ」
ミッターマイヤーは、そのやり取りを聞いてさらに胸を熱くした顔をした。なぜだ。今のは完全に開き直りだ。聖人要素はゼロだ。
彼は敬礼し、背筋を伸ばしたまま宣言する。
「承知しました。占領地を守り、秩序を整え、民を保護し、復興を加速させ、閣下の……いえ、帝国の未来を支えます」
途中で言い直したな。今「閣下の財布」と言いかけたな。俺は聞き逃さない。いいぞ。少しだけ真実に近づいた。
「よし。あと一つ」
机の端末を叩き、配給計画と通貨流通のデータを表示した。
「現地の役人を全員切るな。腐っているのは上澄みだけのこともある。使える奴は使え。使えない奴は外す。感情でやるな。数と結果で判断しろ」
「了解」
「あと、兵の不満は別の形で抜け。例えば掃除。例えば土木。例えば講習。例えば……そうだな、体力が有り余っている奴は道路補修に突っ込め。汗は出るし、後で物流が良くなる」
ミッターマイヤーは「はい!」と勢いよく答えた。完全に善政の教科書だと信じている。違う。これは俺の物流最適化であり、将来の徴税効率を上げるための筋トレだ。
「行け。疾風ウォルフ。風のように働け。だが無駄に速く走って壁に頭をぶつけるな。現場の人間は壁ではない」
「はっ!」
彼は颯爽と去った。去り際の足音すら速い。あれで歩いているのか。滑走しているのか。疾風の名は伊達ではない。
扉が閉まった瞬間、俺は椅子にもたれた。
「……なあアナ。俺、今、立派な統治者として見られている」
「はい。非常に困りますね」
「困る。俺は怠惰の王として崇められたい」
「残念ながら、帝国では怠惰は尊ばれません。働いた者が英雄です」
「嫌な国だ」
「ですが、アル様は働いているふりをして、実際には最小の労力で最大の利益を取りに行
きます。その姿勢が、周囲には改革者に見えるのです」
「俺の合理性が誤解を生む」
「ええ。さらに言えば、真面目な部下が勝手に美談へ加工します」
俺は遠い目をした。遠い目は便利だ。言葉にできない悲しみを表現できる。
「よし。決めた。復興が終わったら、俺は盛大に休む。誰が何と言おうと休む。休むことを国是にする」
「では、そのために復興を急ぎましょう」
「結局働くのか」
「はい。最短距離で休むために」
アナが涼しい顔で言う。俺は笑ってしまった。そうだ。この女は俺の弱点を正確に突く。休みたければ、先に片付けろ。正論で殴るのはやめろ。
こうしてクロプシュトック領は、俺の強欲な善政により、奇妙な速度で落ち着いていった。領民は「優しい占領軍だ」と噂し、商人は「値段を吊り上げると捕まる」と学び、兵は「略奪できないなら道路を直す」と汗を流した。
誰も幸せにならないはずの占領が、なぜか地味に回る。俺は納税者を守り、納税者は俺のワイン代を支える。両者は手を取り合い、誰も望んでいない平和が完成する。
俺は机に突っ伏し、小さくつぶやいた。
「俺、ただ贅沢したいだけなんだが」
アナが紅茶を置き、淡々と答えた。
「ええ。だからこそ成功するのです。欲望は強い動力ですから」
欲望が動力なら、俺は永久機関だ。嬉しいのか悲しいのか分からない。とりあえず、今日は寝る。寝て、明日また税のことを考える。俺は立派な貴族だ。最低だ。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
もし、
この章のどこが刺さったか
誰の言動が好きか(アナの血まみれ講義?ミッターマイヤーの感動?)
アルの統治路線についてどう感じたか
などなど、何か一言でも感想をいただけると、
今後の話づくりの大きな励みになります。
この物語はどこまで続けますか?
-
原作開始(アスターテ)まで
-
リップシュタット戦役まで
-
宇宙統一まで
-
原作終了まで