銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
本作は、銀英伝という重厚な宇宙史劇を、容赦なくコメディへと引きずり込んだ異端作品でございます。
アルブレヒトは本来「無能で俗物」という出発地点でしたが、物語の進行とともに読者諸賢のご期待と、作者の筆の勢いに押され、気づけば元帥になり、婚約を巡って門閥貴族の中心に放り込まれました。
今回の話では、そんなアルの大人の階段……ではなく婚約の階段が、思いのほか険しいという現実をご覧いただきます。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
銀河の片隅から、引き続きご声援をいただければ、この上ない喜びです。
帝都オーディンの軍務省、その一番偉そうなホールのど真ん中で、俺はピカピカの元帥杖を握りしめている。
アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン、帝国元帥。
ついにここまで来た。子供の頃、親父の書斎で黄ばんだ年鑑を眺めながら「元帥とかマジで何者だよ」と首をひねっていたあの頃から考えると、大出世もいいところだ。
もちろん、顔には余裕の笑みを浮かべる。
内心でテンションがジェット噴射でも、外から見えるのはあくまで貴族的余裕でないといけない。
元帥杖をくるりと回し、軽く肩に担いでみせる。
ふっふっふ。
ついに、この頂に到達した。
というか、ここだけの話、俺が本気を出した結果にしては順当な帰結だ。
帝国元帥なんて、やる気になった俺からすれば、少し重めの昇進辞令程度の扱いでいい。
銀河帝国、案外チョロい。
……と、そこまで考えた瞬間。
ドゴッ。
バキッ。
ガスッ。
「いっっっっっっっっっっ……!」
背中、後頭部、脇腹に立て続けの衝撃が走る。
俺は思わず前につんのめって、危うく元帥杖を床に落としかけた。
何事かと振り返ると、そこには殴打ポーズを決めた部下たちの姿が並んでいた。
ロイエンタールが器用に拳をさすり、ミッターマイヤーはなぜか自分の足首を押さえ、ラインハルトは清々しい顔で腕を組んでいる。
「なんで全員で俺を殴るんだ!」
まずそこを確認したい。理不尽は嫌いだ。
ロイエンタールが、肩をすくめた。
「調子に乗るな、との天啓が降りてきましてな」
続いてミッターマイヤー。
「同じく。身体が勝手に動きました」
ラインハルトに至っては、悪びれもせず言い切る。
「元帥杖が似合わなすぎて、ムカついたからだ」
ひどくないか。
俺、今、帝国元帥だぞ。一応この場で一番偉い。
その一番偉い男を、よりによって部下がフルコンボで殴るとか、組織としてどうなんだ。
「お前ら……上官暴行罪という言葉を知ってるか?」
そう言うと、ロイエンタールが小さく咳払いをした。
「ご心配なく。目撃者は全員、閣下の部下です」
「その理屈はおかしい」
ミッターマイヤーも、どこか楽しそうに笑う。
「閣下なら、この程度では壊れませんし」
「壊れはしないが普通に痛い。今日の主役は俺なんだが」
そう抗議すると、ラインハルトがわざとらしく眉をひそめた。
「心配するな。主役の座は、さほど揺るいでいない。ただ、姿勢を少し正した方がいい」
「なんだその抽象的なダメ出しは」
アナが、ようやく口を開く。
「アル様。元帥杖を肩に担がないでください。威厳が半減します」
「細かいな」
しかし、アナの言うことはだいたい正しいので、素直に構えを直す。
元帥杖を両手で持ち、適度な角度で立ててみる。
うん、さっきよりは多少それらしく見える気がする。
式が終わり、一段落ついたところで、俺は皆を追い払った。
「はい解散。お祝いの続きはあとでやろう。俺には大事な用事がある」
ロイエンタールが片眉を上げる。
「仕事、ではありませんな」
「当たり前だ。今日は私用だ」
ラインハルトがニヤついた。
「やっとか。随分引っ張ったものだ」
「うるさい。お前に茶化される筋合いはない」
そう言いつつ、内心では同意していた。
確かに、引っ張りすぎた。
元帥になると約束し、それを条件に求婚を保留された日から、ここまでどれだけ血を吐く思いで働いてきたか。
まあ途中、普通に楽しんでいた気もするが、それはそれ。
人払いを済ませた執務室で、俺はアナと向かい合った。
軍務省の重厚な扉の向こうには、誰もいない。
ここから先は、公務ではなく、完全に個人的な戦場だ。
アナもまた、新調された大将の制服に身を包んでいる。
金色の肩章がよく似合う。
俺の視界には、アナと元帥杖しか入っていない。
完璧なシチュエーションだ。
ここで決められなければ、男として終わりでいい。
「ゴホン。えー……とにかく、だ」
余計な前置きはやめよう。
俺は元帥杖を片手に、もう片方の手をアナへ差し出した。
「約束通り、俺は元帥になった。派閥も整えた。借金も、政治的負債も、だいたい片付けた」
深呼吸。
心臓が騒がしい。
銀河の戦場で敵艦隊に突撃した時より、よほど緊張する。
「だから、アナ。結婚しよう」
言い切った。
これ以上ないシンプルなプロポーズ。
これで駄目なら諦めもつく。
……そう自分に言い聞かせるが、内心では全力で成功しか想定していない。
アナは、一瞬だけ驚いた顔を見せ、それからすぐにいつもの冷静な表情に戻った。
「駄目です。アル様」
世界が揺れた。
俺は勢いよく前のめりになり、机に額をぶつける。
「なぜにーーーー!!!」
あまりにも見事な即答。
間髪入れない拒絶。
ここまで気持ちいいほどの却下をもらったのは、生まれて初めてかもしれない。
「お祖父様方も、『元帥になれば文句はない』と言っていたはずだろ!条件は満たしたぞ!もしかして、この短期間で俺への愛情が冷めたのか!?」
気づけば、声が裏返っていた。
元帥の威厳ゼロだ。
アナは、淡々と首を横に振る。
「いいえ。愛しています」
「なら、なんで」
本気で分からない。
条件クリア、実績十分、将来性抜群、イケメンとは言い難いが性格は悪くない自信がある。
これで断られる筋合いがどこにある。
アナは、少しだけ視線を落とし、それからこちらをまっすぐ見つめた。
「現在、アル様が独身であるこの状況は、ファルケンハイン家にとって、政治的に非常に都合の良い状態なのです」
「……はい」
情報量が多い。
「公爵家、侯爵家、そして新興財閥からも、アル様との婚姻を条件にした提携話が、山のように届いております」
アナは、机の上に積まれた書類の束を指で示した。
よく見れば、どの封筒にもやたら立派な紋章が押されている。
「なにこれ。全部そんな話か」
「はい。王朝の有力者たちは、アル様が元帥であると同時に独身であることに価値を見出しています。誰にでも手を伸ばせる空席であるからこそ、魅力的なのです」
「……俺、人間扱いされてない気がする」
「人間としては扱っております」
「それ、慰めになっていない」
アナは淡々と続ける。
「もし、今ここで私と結婚なさる場合」
その言葉の前置きだけで、心臓が一瞬期待に跳ねる。
やめろ、その前置きの仕方。期待する。
「アル様の伴侶が、非公爵家の、しかもファルケンハイン家の家宰である私という事実は、政治的に微妙です。誰のものにもならない切り札が、自家消費されるのですから」
「自家消費と言うな」
「公爵家や財閥からの婚姻提携は減り、ファルケンハイン家は独立性は保てるものの、帝都の派閥バランスにおいて、譲歩を引き出すカードを一つ失います」
「……つまり」
「家宰としては、今の絶妙なバランスを維持するのが最善です」
きっぱりと言い切られた。
婚約者の口調ではなく、冷静な参謀の声だ。
「アナ。その家宰モード、今日くらいはオフにならないか」
「残念ながら、常時オンでございます」
「節電モードとかないのか」
「アル様が勝手に戦場へ飛び出す癖を直されるなら、検討します」
それは相当きつい条件だ。
俺の趣味と合わない。
「じゃあ逆に聞こう。政治的な話を抜きにした、アナ個人の気持ちとしては」
アナは、そこで初めて頬をうっすら赤く染めた。
「個人的には……今すぐにでも、結婚したいです」
心臓が変な音を立てる。
「じゃあ結婚しよう」
「駄目です」
即答。
さっきより速い。
俺は頭を抱えた。
「感情と政治を同じ秤に乗せないでください、アル様。バランスが崩れます」
「いや、乗せるだろ普通。結婚はそういうものだろ」
「アル様の結婚は、個人の問題ではなく、帝国規模の外交案件です」
重い。
俺の人生イベント、規模がでかすぎて胃が痛くなる。
◆
「いいですか、アル様。アル様には、私を娶っていただきます。それは確定事項です」
その一言で、俺の脳内ではファンファーレが鳴り響いた。
来た。ついに来た。今まで散々引き延ばされてきた結婚フラグが、ここにきてようやく回収される。
「おお、それなら――」
続きを言おうとした瞬間、アナが人差し指を突きつけてきた。動きが妙にキレている。
「た・だ・し」
嫌な予感しかしない間を挟んで、アナはさらりと告げた。
「リッテンハイム侯のサビーネ様と、ブラウンシュヴァイク公のエリザベート様。このお二人も、一緒に娶っていただきます」
俺の時間が一瞬止まった。
耳に入ってきた単語を、頭の中でゆっくり並べ替える。誤訳であってほしい。聞き間違いであってほしい。どこかで通信が乱れたということにならないか。
「…………なにーーーーー!!!」
結局、俺の口から出たのは、叫び声だけだった。
元帥になったばかりの男の声とは思えないほど情けない音程だった気がするが、今は気にしていられない。
「お前、正気か。三人まとめてと言ったか。しかも、二人ともまだ子供だろう」
ようやく絞り出した抗議を、アナは涼しい顔で受け流した。
「そうです。ですから、一番お若いサビーネ様が、結婚可能な年齢に達するまで、結婚は駄目です」
さらりと言いながら、机の引き出しからどこかの統計資料を取り出そうとする。やめろ、結婚を年齢統計で語るな。
「今、何歳だ」
「十二歳と七か月です」
即答された。
その答えの速さに、逆に背筋が冷たくなる。絶対、すでに何通りかのシミュレーションを終えている顔だ。
「ということは、あと二年」
「少なくとも、それくらいは必要です」
俺は指を折ってカウントした。二年。二十四か月。七百三十日。
数字に変換すればするほど、禁欲生活がずっしりと胸にのしかかる。
「俺に七百三十日も禁欲生活を続けろと言うのか」
「はい」
迷いゼロ。
さすが帝国最強の家宰、判断が一ミリもぶれない。
「それに、無理やり政略結婚で縛るのは俺の好みではない。愛のない結婚に巻き込むのは、サビーネやエリザベートに悪い」
せめてそこは譲れない。銀河帝国貴族である前に、一応一人の人間としての良心もある。
だがアナは、その善意を軽く上から塗り替えてきた。
「ご心配なく。調査済みです」
「調査って何を」
「まず、サビーネ様です。アル様に完全に惚れておられます」
アナは、さらっと恐ろしい情報を口にした。
「『伏龍のお兄様のお嫁さんになる』と、毎日リッテンハイム侯にねだっておられるそうです」
リッテンハイム侯の立場を想像すると、頭が痛くなる。毎晩、少女におねだりされながら、政治的利害の計算をしているのだろうか。地獄だ。
「マジか。あの子、見る目あるな……いや、そこじゃない」
褒めるポイントを間違えた気がするが、もう遅い。口が勝手に動いてしまった。
「そして、エリザベート様に関しては、もっと簡単です」
アナは、なぜか得意げな表情を浮かべた。胸を張らないでほしい。嫌な予感しかしない。
「エリザベート様は、私に惚れておられます」
「はい?」
俺を無視したところで矢印が飛び交っている。
「詳しく」
「『アナスタシアお姉様と同じ家に入り、家族になりたい』と、先日の晩餐会の後も、何度も手紙をいただきました。『ファルケンハインの夫の妻でも構わない』との明記もございます」
「待て。その言葉、解釈が難しいのだが。俺の夫の妻という概念がもうおかしい。そこに俺はいるのか」
「書簡の原文通りにお伝えしました」
アナは、懐から小さなメモを取り出して見せる。
本当に書いてある。エリザベート、恐るべし。
「つまり、お前目当てでファルケンハイン家に入りたいだけではないか」
「はい。その通りです」
即答。笑顔。爽やかな自己認識。
すがすがしいまでに俺がダシ扱いだ。
「俺、完全に百合の間に挟まれる添え物になる未来しか見えないんだが」
「素晴らしい光景です」
即答二回目。少し間を置いてほしい。
「どこが素晴らしい」
「アル様を中心とした、門閥貴族とファルケンハイン家の統合体制が完成します」
また政治の話に戻った。
どうやらアナの頭の中では、「百合」と「権力構造」が同じパレットの上に置かれているらしい。
「整理しましょう」
アナは手早く紙を取り出し、さらさらと書き始める。
「アル様―私。これは既に確定」
紙の上に線が引かれる。
俺とアナを結ぶ一本の太い矢印。ここまでは分かる。
「私―エリザベート様。これもほぼ確定」
今度はアナからエリザベートへ矢印が伸びる。
ついでに、エリザベートからアナへの矢印も書き足される。両想いらしい。
「アル様―サビーネ様。こちらも、ほぼ確定」
「待て。俺はまだ何もしていない」
「存在しているだけで十分です」
ひどい理屈だが、言い返せないのが悔しい。
「そして、リッテンハイム侯家とブラウンシュヴァイク公家。ここから、ファルケンハイン家へそれぞれ資本と兵力が流れ込みます。結果として、門閥貴族全体をアル様が掌握できます」
アナのペン先が、紙の上で矢印を増殖させていく。
経済権、軍事権、人脈、領地。あらゆる線が、俺の名前の周辺でごちゃごちゃと交差し、最終的に一つの巨大な円に収束する。
「まとめると、こうです」
アナが描き上げた図には、でかでかと「ファルケンハイン中央集権型ハーレム構造」と書かれていた。
「タイトルがひどい」
「分かりやすさを重視しました」
「それを軍務省の机の上に堂々と置くな。誰か見たら説明不可能だ」
慌てて紙を奪い取って折りたたむ。
よりによって、こんな図を帝国元帥の執務室で広げるな。
「とにかく、だ」
「政治的な合理性は理解した。理解したが、俺の精神はまだ追いついていない」
「順応してください。アル様なら可能です」
「無茶振りが過ぎる」
◆
「アル様。とにかく、結婚式は二年後です。それまでは――」
そう言うと、アナは軍服の内ポケットから、小さなベルベットの箱を取り出した。見覚えがある。というか、忘れようにも忘れられない品だ。
俺が以前、あれこれタイミングを計っているうちに渡しそこねた、あの指輪の箱。
箱が静かに開かれる。中で、銀色の指輪がひっそりと輝いていた。俺が夜な夜なカタログと睨めっこして選び抜いた、ささやかな給料三か月分の結晶だ。
「それまでは……婚約者、ということで。……その、我慢してください」
アナの声が、いつもよりほんの少し高い。普段は何万隻の艦隊を無表情で操っているくせに、こういうところだけ妙に人間臭い。
アナは震える右手で指輪をつまむと、何のためらいもなく、俺の左手を取った。
いや、正確には、ためらいはあるのだろうが、顔が真っ赤になっている以外、一切の動きに迷いがない。プロの暗殺者が首を狙う時より迷いがない。
するすると、俺の左手の薬指に指輪が押し込まれていく。
きゅっ、と小さな感触がして、指輪がぴたりと収まったところで、アナがほっと息を吐いた。
「……はい。これで」
あまりのスピードに、俺の思考が数秒遅れて追いついた。
ん?
今、何が起きた?
俺は求婚しようとしていた。指輪もそのために用意していた。だが現実に起きたことは、なぜかアナが俺に指輪をはめている、という怪現象である。
俺がする側じゃなく、される側になっている。
「……やっぱり、逆だろ!」
気がついたら声が出ていた。
アナがびくっと震える。
「ふ、逆とは何のことですか」
「いやいやいや。普通こういうのは、男が女にはめるものだろうが。どう見てもプロポー
ズされてるの俺じゃないか。立場が入れ替わってないか」
俺が抗議すると、アナの顔色がさらに赤くなる。ここまで赤いアナを見るのは、敵艦隊を皆殺しにする案を却下された時以来だ。
「う、うるさいです。アル様がいつまでもモジモジなさっているから悪いのです。何度も機会を差し上げましたのに、ぐずぐずして、先延ばしになさって。私が直接やるしかなかったのです」
「ぐっ。耳が痛い」
言い返せない。あの晩餐会の後も、その前も、その前の前も、俺は「今日こそ渡すぞ」と意気込んでは、妙な妄想や政治的な計算や、アナの視線の鋭さに負けて退却を繰り返してきた。
前線の敵陣より、愛の一歩が一番突破しづらい。これは人類共通の課題だと思う。
アナは、まだ真っ赤なまま、俺の左手を離さない。薬指の上で、細い指がそっと輪郭をなぞる。
「これで、アル様は私のものです」
さらっと、とんでもないことを言った。
「い、いや、あのな。そういうのはさ、もう少しロマンチックに――」
「浮気したら、物理的に去勢しますから」
「前言撤回。今の語尾に殺意が乗ってなかったか」
アナがきょとんとした顔で首をかしげる。
「当然の予防措置です。アル様はお優しいですから、うっかり誰かを泣かせる可能性があります。ですので、前もって警告しておきます」
「去勢が前もっての警告で済むか。もはや最終手段のその先だろう」
思わず股間を押さえる。俺の未来の子孫たちが、一斉に避難訓練を始める気配がした。
そこへ、コンコン、と扉がノックされた。
「閣下、失礼いたします。お祝いの言葉を述べに来た――」
扉が開き、ラインハルトがすっと姿を見せた。後ろにはキルヒアイス。さらに、その影から、ちゃっかりロイエンタールとミッターマイヤーの顔も覗いている。
全員、俺の左手を見て固まった。
視線の先には、キラリと輝く指輪。そして、その指輪にそっと触れたままのアナ。
……うん、誤解しかしない構図だなこれ。
一番早く口を開いたのは、案の定ロイエンタールだった。
「これはまた、見事な逆プロポーズの現場ですな」
「うるさい。実況するな」
ミッターマイヤーの瞳が、なぜかキラキラしている。
「アナスタシア大将の方から元帥に指輪を……なんだか新しい時代を感じます!」
「お前はすぐ時代の節目に立ち会いたがるな」
ラインハルトはしばらく無言で俺の手とアナの顔を交互に眺めていたが、やがてニヤリと笑った。
「銀河帝国史上初の家宰からの求婚か。新しい記録だな」
「誰がそんな記録を更新したいと言った」
キルヒアイスが、いつもの穏やかな笑みを浮かべながら口を挟む。
「おめでとうございます、元帥閣下。指輪、とてもお似合いですよ」
「ありがとう。だが若干、羞恥心の方が勝っている」
アナは、みるみるうちに表情を引き締めた。
「全員、勘違いなさらないでください。これは、家宰としての職務の一環です」
「どのあたりがだ」
即答でツッコミを入れる俺を、アナがじろりと睨む。
「アル様を門閥貴族の渦中に投げ込む前に、所有権を明示しておく必要があります」
「人を荷物扱いするな」
ロイエンタールが、感心したように頷いた。
「所有権表示を指輪で行う。合理的ですな」
ミッターマイヤーが、拳を握りしめる。
「なんて分かりやすい愛の形だ……!」
ラインハルトが小さく肩をすくめた。
「どこがだ。俺には、鎖の形に見える」
アナが、さらりと恐ろしいことを付け足す。
「浮気防止の魔道具です」
「物騒な単語を付け足すな」
俺は観念して、左手をひょいと持ち上げてみせた。
「……まあ、いいか」
思わず本音が漏れた。
ラインハルトが眉を上げる。
「諦めが早いな」
「諦めじゃない。覚悟だ。俺の貞操と命は、今この瞬間からアナの管理下に入った。つまり、銀河で一番厳重なセキュリティだ」
「褒め言葉として受け取っておきます」と、アナがうっすら微笑む。
この顔で「去勢しますから」とか言うのだから、本当にタチが悪い。
ロイエンタールが面白そうに笑った。
「なるほど。では今後、我々がどれほど無茶な作戦に巻き込まれても、閣下の命の心配は不要ということですな」
「そういう解釈になるのか」とミッターマイヤー。
キルヒアイスまで真面目にうなずく。
「ホーテン閣下が守ると決めた以上、元帥閣下はそう簡単に死なないでしょう」
「ちょっと待て。俺の死亡フラグを勝手に管理契約みたいにまとめるな」
そう言いながらも、どこかで納得している自分がいる。
これまで戦場で何度も死にかけてきたが、そのたびに一番冷静に、そして一番容赦なく俺を生かそうとしてきたのは、この女だ。
「……まあ、命を預ける相手としては、これ以上ないな」
ぽつりと漏れた本音に、アナの肩がぴくりと震えた。
「当然です」
ほんの少しだけ、声が揺れていた。
俺は深く息を吸い込んだ。
「よし。分かった。結婚式は二年後。それまでは婚約者で我慢する。その代わり、二年後は絶対に逃がさないからな」
「望むところです」
アナがきっぱりと言い切る。
「その日までに、全ての政治的布石を整えておきます。ファルケンハイン家、リッテンハイム家、ブラウンシュヴァイク家、その他諸々。全ての利害を一本にまとめて、アル様と私の結婚式を、銀河最大の政治イベントにしてみせます」
「俺の人生の一大イベントが、同時に株主総会みたいな扱いなのはどうなんだ」
「効率的です」
やっぱりそこに帰結する。
ラインハルトが、呆れ半分、楽しさ半分の顔で笑った。
「安心しろ。その日が来たら、俺も最前列で見物していてやる」
「お前は祝辞を読め。ついでにスピーチで俺を褒めろ」
「検討しておこう」と、実に気のない返事が返ってくる。
そんなやりとりを聞きながら、キルヒアイスが穏やかに口を開いた。
「いずれにせよ、おめでとうございます」
ロイエンタールとミッターマイヤーも、同時に敬礼した。
「おめでとうございます、閣下」
「お二人の未来に、武運と繁栄を」
少し照れくさくなって、頭をかきながら笑った。
「……まあ、銀河の覇権はともかくとして。とりあえず、サビーネちゃんが十四歳になるまでの二年間」
左手の指輪を、軽く親指で押さえる。
「俺の貞操と命は、アナに鉄壁に守られることになった」
そう心の中で締めくくった瞬間、アナがにこりと笑った。
「ご安心ください。アル様の心も、できる限り守って差し上げます」
「できる限りが不穏だが」
「必要であれば、余計な感情は切り捨てます」
「やめろ。人間らしさまで削減対象にするな」
皆の笑い声が、元帥執務室に響き渡る。
こうして俺は、帝国元帥となり、最強の婚約者兼管理官を正式に手に入れた。
銀河の未来も、俺の未来も、そして俺の大事な急所も、当分のあいだは彼女の掌の上だろう。
それを「幸せ」と呼ぶか「監視」と呼ぶかは、人によって意見が分かれるだろうが――少なくとも、俺は悪くないと思っている。
ここまでお読みいただき、心より御礼申し上げます。
・アルの無能設定はどこへ行ったのか
・アナの婚約戦略は合理なのか狂気なのか
・ラインハルトたちのツッコミは過剰ではないか
読者の皆さまの感じたこと、率直なご意見をぜひお聞かせください。
感想のひと言が、次の話を書くための大いなる推進剤となります。
この物語はどこまで続けますか?
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原作開始(アスターテ)まで
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リップシュタット戦役まで
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宇宙統一まで
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原作終了まで