銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

73 / 222
ようこそファルケンハイン元帥府へ。
本章では、アルブレヒトがついに帝国軍政の最前線へ放り込まれ、文字通り紙の山に埋もれながら銀河帝国改革へ踏み出していきます。

「崇高な理想」よりも先に「残業を減らしたい」が来る男が、宇宙規模の制度と派閥争いをどう料理するのか――
そんな、銀河の命運よりアルの肝臓のほうが心配になる物語を、どうぞ楽しんでいただければ幸いです。

なお、今回もアナスタシアは健在です。鋭い指摘と冷静な笑みで、アルの暴走を止めたり止めなかったりします。

それでは、銀英伝世界の裏側にある「書類と利権の銀河史」をお楽しみください。


元帥なんてやるんじゃなかった! 〜銀河帝国軍政地獄日誌〜

帝都オーディンの軍務省大講堂は、朝から妙な熱気に包まれている。

 

銀河帝国海軍の高官がずらりと並び、ホログラムカメラが空中でふよふよ動いている。式典の豪華さだけ見れば、これは栄光の瞬間だ。若くして大出世、宇宙艦隊司令長官就任。歴史の教科書に載るコースである。

 

問題は、その裏にある事情だ。

 

俺は壇上で、ミュッケンベルガー元帥の横に立ちながら、あのもみあげ老人の横顔をガン見していた。長年帝国艦隊を支えてきた名将。その眼光はなお鋭い。

 

……はずなのだが。

 

今日はやけにスッキリした顔をしている。肩の力が抜けて、何かから解放された人間特有の晴れやかな表情。

 

「ファルケンハイン元帥」

 

小声でそう呼びかけられた。ミュッケンベルガーが、こっそり肘で俺のわき腹をつつく。

 

「本日をもって、わしは宇宙艦隊司令長官を退く。あとは若い者に任せるさ」

 

「……その若い者というのが、この俺というわけですね」

 

「うむ。期待しておるぞ」

 

にこにこと笑っているが、その笑顔がもう駄目だ。絶対に何かを押し付けた人間の顔である。

 

視線を横にずらすと、エーレンベルグ元帥がいた。こちらも長年の事務方の柱だが、今日は顔色がやたら良い。肌ツヤまでいい。

 

「しかし、よかったなファルケンハイン君。君のような有能な若者に軍務尚書を託せるとは、わしもようやく肩の荷が下りる」

 

「荷をそのまま投げつけられている当人としては、なかなか笑えませんが」

 

「はっはっは。若さとは素晴らしい。わしはこれから、しばらく温泉巡りでも楽しむつもりだ」

 

そう言って腹を揺らして笑う。

 

さらに隣では、シュタインホフ元帥が静かに手を組んでいた。こちらは寡黙な武人だが、やはり表情が軽い。

 

「ファルケンハイン元帥」

 

「はい」

 

「今後、帝国艦隊は君の双肩に懸かる。わしは故郷の山荘に戻って、犬と暮らす」

 

「犬、ですか」

 

「犬だ。可愛いぞ」

 

しみじみと言うな。こっちはこれから、可愛さゼロの書類と戦略会議に囲まれるのだ。

 

壇上から会場を見下ろすと、無数の制服が規則正しく並んでいた。提督、将官、参謀、事務官。俺が一声かければ、この連中が一斉に動き出すことになる。

 

……正直、背中がむずむずする。

 

銀河の命運が懸かるとか、帝国の未来を託されたとか、そういう重苦しいフレーズで自分を鼓舞する趣味はない。

 

俺の本音はシンプルだ。

 

仕事量、何倍になるんだこれ

 

軍務省の新しい組織図が頭の中に浮かぶ。

 

宇宙艦隊司令長官:アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン元帥。

軍務尚書:同じく、アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン元帥。

元帥府長官:やはり俺。

 

名前が増えれば増えるほど、負担も増える。人間三人分の仕事を、一人でこなせというのか。

 

ジジイども、裏で談合したな

 

頭の中で、三人の老人が楽しそうに酒を酌み交わしている光景が浮かぶ。

「そろそろ潮時だな」「若いあいつに押しつけるか」「そうしようそうしよう」

こんな調子で決めたに違いない。

 

壇上では、統帥本部長に繰り上がったグレイマン閣下が、淡々と祝辞を読み上げていた。こちらは相変わらずの石像フェイスだが、瞳の奥がほんの少し笑っている気がする。

 

「……斯くして本日より、宇宙艦隊司令長官の任を、ファルケンハイン元帥に引き継ぐ。諸君、盛大な拍手を」

 

わああああ、と会場が沸き立つ。

拍手の音が、なぜか「ご愁傷様」と聞こえるのは気のせいか。

 

式典は滞りなく進行し、俺は正式に宇宙艦隊司令長官兼軍務尚書に就任した。胸には勲章、肩には元帥肩章、手には元帥杖。見た目だけなら完璧な栄光コースである。

 

問題は、その直後だ。

 

式が終わるやいなや、三人の老人は驚くほど軽やかな足取りで控室へ引っ込んだ。

その背中を見送りながら、俺は悟る。

 

あれは逃げる速度だ

 

案の定、控室に入った瞬間、ミュッケンベルガーが満面の笑みで両手を広げてきた。

 

「いやあ、これで心置きなく老後を楽しめる。いや、実に清々しい」

 

「待ってください。まだ何も引き継がれていませんが」

 

「細かいことはグレイマンが知っておる。戦略の大枠は君の得意分野だ。事務はエーレンベルグがきちんと整理しておいた。心配いらん」

 

「心配しかありませんが」

 

横でエーレンベルグが、書類の束をどさりとテーブルに載せる。

 

「はい、こちらが宇宙艦隊および軍務省の現行案件一覧です。二百七十四件あります」

 

「今、軽い声で恐ろしい数字を出しましたね」

 

「うち、至急対応が必要なのは四十二件。特に予算関連が――」

 

「予算は後でいいです!」

 

思わず声が裏返った。

予算の話を聞いた瞬間、アナスタシアの顔が脳裏をよぎる。

きっと今頃、元帥府のオフィスで「わあ、また赤字予備軍が増えましたね」とか言いながら、静かに電卓を叩いている。

 

シュタインホフが、珍しくニヤリと口角を上げた。

 

「若者よ。仕事とは、やっているうちに慣れる」

 

「慣れる前に死ぬ可能性については」

 

「それは若さで乗り切れ」

 

老人たちのアドバイスは、総じて雑だ。

 

「それでは、わしらは退く。あとは任せたぞ、ファルケンハイン元帥」

 

ミュッケンベルガーが立ち上がる。椅子のきしむ音すら、今日は軽快に聞こえる。

 

「温泉宿はもう予約してあるのか」

 

思わず、意地の悪い質問を口にしてしまった。

老人は一瞬だけ目を泳がせ、すぐに咳払いした。

 

「な、何を言う。まだそのような……まあ、既にいくつか候補は」

 

「既に」

 

エーレンベルグは、懐から何かを取り出した。

小さなホロチケットの束。そこには「銀河温泉めぐり豪華プラン」「老将の休暇を応援します」といった、実にのんきな文字が並んでいる。

 

「こちら、先日三人で共同購入しました」

 

「完全に逃げる気満々じゃないですか」

 

「長年の功労に対する、ささやかなご褒美というやつだ」

 

シュタインホフは、犬用のホロカタログを嬉しそうに眺めている。

「大型犬用高級クッション」「ドッグスパ付き山荘」など、やけに充実したラインナップだ。

 

「……あの」

 

俺は、ついに堪えかねて口を挟んだ。

 

「せめて、最初の一ヶ月くらいは残ってもらえませんか。質疑応答係として」

 

三人は顔を見合わせ、同時に首を横に振る。

 

「無理だな」「無理だ」「無理」

 

ハモるな。

 

ミュッケンベルガーが、少し申し訳なさそうな顔を作った。

 

「ファルケンハイン元帥。君ならできる。君には元帥府があり、有能なたくさんの部下がいる。わしらが残るより、君に一任したほうが混乱は少ない」

 

「その理屈を、『今この瞬間逃げたい』という本音の隠れ蓑に使わないでください」

 

「若者よ。人間、逃げるタイミングを見誤ると惨事を招く」

 

「だから今逃げると」

 

「そうだ」

 

堂々と肯定された。

 

エーレンベルグが書類を指さしながら続ける。

 

「ここに書いてある案件は、どれも爆弾だ。派閥争い、予算争い、人事争い。長年、わしらが宥め、なだめ、なだらせてきた。だが、もう限界だ。これ以上は若い肝臓でないと持たない」

 

「肝臓単位で判断しないでください」

 

「君はまだ若い。たくさん酒が飲める。たくさん徹夜もできる」

 

「若さへの信頼が、妙な方向に向かっていませんか」

 

シュタインホフが、最後にぽつりと付け加えた。

 

「……正直に言おう。わしらは、もう戦場で死ぬ体力も、政治の泥沼に付き合う気力もない。だから、まだ未来のある君が背負え」

 

しんみりした空気が流れる。

老人の本音には、それなりに重みがある。

 

だが。

 

「それ、感動的なふりをした押し付け宣言ですよね」

 

エーレンベルグが肩をすくめる。

 

「ばれましたか」

 

「最初から丸見えです」

 

ミュッケンベルガーが、俺の肩にぽんと手を置いた。

 

「安心せい。何かあればホロで相談には乗る」

 

「温泉宿からですよね」

 

「電波さえ通じれば問題ない」

 

問題しかない。

 

老人たちは、それでも容赦なく帰り支度を始めた。軍服から、もう少しゆったりした外出着へとさっさと着替え、軍帽を置いて、柔らかそうな帽子をかぶる。

 

その変身ぶりは見事だ。さっきまで銀河帝国の柱だった人間が、数分でただの旅行好きのおじいちゃんへと変化していく。

 

「では、これで」

 

ミュッケンベルガーが出口へ向かう。

エーレンベルグとシュタインホフも続いた。

 

「最後に一つだけ聞かせてください」

 

俺は叫ぶように問いかけた。

 

「これ、本当に俺一人で引き受けるしかないんですか」

 

三人は同時に振り返り、実にいい笑顔を見せる。

 

「うむ」「そうだ」「頼んだ」

 

そして、そのまま扉の向こうへ消えた。

 

静寂が落ちる。

 

控室には、山のような書類と、ホログラム端末の山。テーブルの上には、さっき渡された案件一覧が分厚い束となって鎮座している。

 

俺はしばし、その光景を見つめたあと、天井を仰いだ。

 

「……逃げたな」

 

誰にともなくつぶやいた瞬間、ポケットの端末が震える。

画面には、アナスタシアからのメッセージが表示されていた。

 

『宇宙艦隊司令長官就任、おめでとうございます。つきましては、本日中に新しい予算案と組織図にサインをお願いします。元帥府の残業枠の見直しについても、ご相談があります』

 

俺はゆっくりと椅子に腰を下ろした。

 

「……ジジイども。温泉でのんびりしてる場合じゃないぞ。俺が倒れたら、あんたら宛てに請求書送るからな」

 

 

 

 

 

 

 

机の上には書類の塔。床にも書類。ソファの上にも書類。もはやどこからが家具で、どこからが公文書なのか判別がつかない。唯一はっきりしているのは、俺がその山の中心で、死んだ魚のような目でペンを走らせているという事実だけだ。

 

「……終わらん」

 

思わず声が漏れる。誰に聞かせるでもない独り言だが、口を動かさないと眠気に負けそうなので、セルフBGM代わりだ。

 

宇宙艦隊司令長官就任から数日。俺は悟った。銀河帝国の真の敵は自由惑星同盟ではない。紙だ。紙と判子と予算調書だ。

 

「なぜ、この宇宙には、こんなに決裁欄が多い」

 

一枚めくると軍需物資の支払い申請。次は貴族家の私兵に関する補給費の案分協議。その下には、「どっちの財布から出すか」を真剣に討論した会議録。どこを読んでも、敵艦はひとつも沈まない。

 

ペンを置き、こめかみを押さえた。

 

「そうだ。元凶はここだ。正規軍と貴族の私兵が、同じ鍋から飯を食っているから、毎回スプーンの取り合いになるんだ」

 

そこへノックもそこそこに扉が開き、レンネンカンプが書類の束を抱えて入ってきた。

 

「閣下。補給局からの回覧で、どうしてもご裁可が必要な案件が」

 

「聞きたくはないが、聞こう。どこの誰が今度はどれだけ盗んだ」

 

「正規軍用燃料と、某公爵家私兵艦隊用燃料が、同一伝票で請求されています。内訳を見ますと、私兵分が二倍以上で」

 

「またそれか」

 

書類をひったくり、ざっと目を通した。妙に上等な紙だ。厚手で手触りもいい。暖炉の燃料にはなるが、そんな使い道のために予算を割り当てた覚えはない。

 

「名称は立派だな。『帝国臨時即応戦力』実態は、あの家の私兵船団。戦時は『帝国のため』と主張して軍費を使い、平時は『家の威光』と称して勝手に動く、便利な二重看板」

 

レンネンカンプの眉がぴくりと動く。

 

「恐れながら、その手の抜け道こそが、諸侯の横領の温床でありまして」

 

「それくらい知ってる。俺の肝臓より昔から悪化している」

 

椅子の背にもたれ、天井を見上げる。視界いっぱいに白い天井と、隅の方にクモの巣。あの蜘蛛はいつから勤務しているんだ。給料は出ているのか。

 

「だがな。ここで『全部禁止』と崇高なことを言うと、どうなると思う」

 

「不満を持った貴族が一斉に裏で動き出します。帳簿の改竄、架空名義、裏口座」

 

「その汚れ仕事を片付けるのは誰だ」

 

「閣下と、我々です」

 

「そういうことだ」

 

バン、と机を叩いた。書類の一部がふわっと浮いて、また山に戻る。紙吹雪すら豪華だ。

 

「よし、決めた。腐敗はゼロにはしない。そんな理想を掲げたら、監査だけで人が死ぬ。だったら『どう腐敗するか』を、こちらで設計してやる」

 

レンネンカンプが目を丸くする。

 

「設計…」

 

「そう。あちこち勝手に穴を開けられるから混乱する。なら、最初から太い一本の公式トンネルを掘って、入口に料金所を作ればいい」

 

「料金所」

 

「名前は……『貴族直轄軍予算』だな」

 

新しい紙を引き寄せ、ペンを走らせる。

 

「今後、私兵はすべて『貴族直轄軍』として登録。正規軍とは完全に別枠の予算から払う。正規軍の財布には、指一本触らせない。その代わり、自分の枠内なら金ピカの艦装飾でも、宮廷楽団でも、好きに雇え」

 

レンネンカンプが慎重に口を開く。

 

「それは……腐敗の公認と取られませんか」

 

「甘いな、レンネンカンプ」

 

「人間は、盗む。これは前提だ。盗まない聖人もいるが、制度は最悪を基準に作る。じゃあ一番マシな形は何か。どこまでなら盗んでいいかを数字で決めて、その線を越えたら叩き潰す。これが一番コスパがいい」

 

「数字、ですか」

 

「そう。『ここまでは手数料』って線を引いておけば、越えた瞬間にはっきり犯罪者と呼べる。摘発しやすいし、帳簿も見やすい。今みたいに裏庭に勝手に穴を掘られるからややこしい」

 

その時、アナスタシアが紅茶のトレイを持って入ってきた。書類の隙間を器用に避けながら、俺の手元にカップを置く。

 

「アル様。表情が非常にしんどそうですよ。鏡をお持ちしましょうか」

 

「やめろ。現実を直視させるアイテムは禁止だ」

 

アナは小さく笑い、レンネンカンプの抱える書類の山に視線をやる。

 

「今度はどの前時代的制度を、どの程度まで殴ることにしたのですか」

 

「言い方を選べ。改革だ、改革」

 

咳払いし、新しく書いた案を読み上げる。

 

「『貴族直轄軍予算』を新設して、正規軍と財布を分ける。補給関係の中抜きは原則禁止。その代わり、『正規マージン』を認める」

 

アナが片眉を上げる。

 

「正規マージン」

 

「輸送と調達のコストに対して、一五パーセントまでは上乗せを許可する。そこまでは公式の手数料。それ以上抜いたら軍法会議行き」

 

レンネンカンプが慌てる。

 

「一五パーセントという数字は、いささか大きすぎるように聞こえますが」

 

「お前、今まで連中が何パーセント抜いてたか忘れたのか。三〇どころか五〇行ってたぞ。そこから一五に絞るんだ。健康診断で『今日から酒を一本に減らしなさい』と言われた飲兵衛と同じくらいには、厳しい」

 

アナがくすくす笑い、うなずく。

 

「なるほど。最初から『このあたりまでなら見逃します』というラインを明示しておけば、監査も楽になりますし、予算の予測も立ちますね」

 

「そういうこと。こそこそ盗むな、どうどうと伝票に書け。その代わり、数字はこっちで全部追うから覚悟しろ。盗み方を合法化した瞬間に、責任も名簿付きでプレゼントだ」

 

法案案の欄にさらさらと書き足す。

 

『補給および調達で計上できる正規マージンは、総額の一五%まで』

『これを超える中抜きは、帝国財政への敵対行為とみなす』

 

文字だけ見れば、格好のいい財政規律だ。中身は、「いいからここで止めとけ」の踏み絵だが、知らなければ幸せなので黙っておく。

 

「さて、次は人事だ」

 

机の端に山積みになっていた人事資料を引き寄せた。

 

「実力で決めるか、身分で決めるかで、帝国中が喧嘩しているこの問題。今日ここでケリをつける」

 

アナが紅茶を飲みながら、静かに首をかしげる。

 

「どのような形で」

 

「住み分けだ」

 

空中に二本線を引くジェスチャーをした。

 

「前線は実力。後方は権威。以上」

 

レンネンカンプが瞬きを繰り返す。

 

「……以上」

 

「そう。前線で艦隊を動かす権利は、実戦経験と試験で認定された指揮官だけに与える。貴族か平民かは不問。旗艦に乗りたければ、自力で資格を取れ」

 

アナが手元の端末を操作し始める。

 

「前線指揮資格の制度が必要ですね。戦術・戦略・統率・ストレス耐性。それなりの基準を満たさない者は、どれほど家柄が良くても艦隊司令官にはなれない、と」

 

「それだ。どうしても旗艦に乗りたいお坊ちゃまは、後方名誉職として応接室のソファに座らせておけばいい。艦隊の実権は、資格持ちの現場指揮官に集中させる」

 

レンネンカンプが、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

「では、『私は貴族だから前線で命令したい』と言う者には」

 

「『素晴らしい志ですね。では後方で予算書に命令してください』と笑顔で伝えろ。兵の代わりに勘定科目と戦ってもらう」

 

アナが楽しそうに指を折って数え始める。

 

「現場の士気上昇。補給線の混乱減少。予算の透明性向上。監査負担の軽減。そして――」

 

「俺の残業削減」

 

ここが最重要だ。

 

レンネンカンプが肩をすくめた。

 

「しかし、貴族たちが黙って後方に下がりますかね」

 

「餌をやる。後方利権という、大変カロリーの高い餌を」

 

にやりと笑った。

 

「兵站基地の管理権、人事異動の承認権、補給線の配分権。全部まとめて、『後方貴族コース』の特典にする。高位貴族専用の役職と椅子を用意して、好きなだけ肩書きを並べさせてやれ」

 

アナが淡々と付け加える。

 

「その代わり、『前線作戦への直接介入禁止』『現場指揮官の解任は元帥府の承認必須』などを、法律に書き込む必要がありますね」

 

「当然だ。前線は現場のもの、後方は貴族のもの。領分さえ守れば、両方満足する。越境した瞬間、上から俺の判子が飛んでいく」

 

レンネンカンプの表情が、いつの間にか晴れやかなものに変わっていた。

 

「……なるほど。後方で面子と利権は満たされ、前線では実力が尊重される。どちらの陣営にとっても、妥協点として悪くない」

 

アナが小さく笑う。

 

「結果として、アル様の机の上の書類が減るなら、私としても大賛成です」

 

「そこだ。帝国のためにも、俺のためにも、最優先事項はそこだ」

 

そう言って胸を張ると、すかさずアナが釘を刺してきた。

 

「ですが、油断は禁物です。制度が整っても、書類がゼロになることはありません。アル様のサインがなければ動かない紙が、山ほどありますから」

 

「その紙を減らすために制度を作っているんだが」

 

「安心してください。増える速度のほうが早いです」

 

「慰めになっていない」

 

レンネンカンプが堪えきれずに笑い声を漏らした。

 

「いやはや。腐敗も身分制度も、ここまで計算に組み込むとは。さすがファルケンハイン元帥。上から下まで、全員を労働力として最大限活用するおつもりだ」

 

「誤解するな。搾り取るのは俺の仕事量だ。お前らには、俺の残業を削るために働いてもらう。それで結果として帝国がちょっとマシになるなら、安い投資だろ」

 

新しいフォルダに書類をまとめ、決裁印を押した。

 

こうして、帝国史上初の「腐敗を効率化する改革案」は、静かに動き始めた。

高貴な理想からでもなく、感動的な演説からでもなく、ひとりの元帥の労働時間を守るという、ひたすら個人的でしょっぱい理由から。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ペンを握った右手が震える。疲労か怒りかは知らない。どちらにしてもロクな理由ではない。

 

「……軍政は苦手だ。というか嫌いだ。アナ、助けろ。ロイエンタールもだ。誰か俺を救済してくれ」

 

素でぼやくと、部屋の隅で静かに書類を選別していたロイエンタールが顔を上げた。こいつ、いつ入ってきたんだ。気づいたら視界の端にいるので、若干ホラー寄りだ。

 

「閣下。助けを求める先が違います。まずは現状把握からですな」

 

落ち着き払った声で、新しい報告書を差し出してくる。俺は受け取りながら、心の中で「また紙か」と毒づいた。

 

「イゼルローン要塞の駐留艦隊についてです。現在、ゼークト艦隊のみですが、どう考えても戦力不足です。あそこは帝国の門です。門番を一個艦隊だけに任せるのは無謀です」

 

なるほど。正論だ。正論なのは分かるが、過労でふやけた脳みそは、反論どころか相槌を出すのも面倒になっている。

 

「……じゃあ、増やそう」

 

自分で言っておいてなんだが、恐ろしく雑な結論が口から出た。人間、眠いと決断がシンプルになる。

 

「ラインハルトの艦隊を回せ。あいつなら、放っておいても勝手に武勲を積み上げる。ゼークトと合わせて、常時二個艦隊体制。それで文句ないだろ」

 

ロイエンタールがわずかに目を細める。

 

「なるほど。ラインハルトを要塞という箱に閉じ込めつつ、武勲を立てる機会も与える。長官としても兄貴分としても、なかなかおいしい一手ですな」

 

「兄貴分という表現を大声で言うな。本人に聞かれたら、全力で否定される」

 

俺が顔をしかめると、背後で書類をめくっていたアナが静かに口を挟んだ。

 

「ゼークト元帥とシュトックハウゼン上級大将には、ラインハルト様に対する事前説明が必要ですね。『私の弟分ですので、粗略に扱えば元帥府が本気で怒ります』くらいの文面を送っておきますか」

 

「うむ。文章は柔らかく、内容は全力で脅しにしておけ」

 

俺がうなずくと、アナは淡々とメモを取る。家宰兼副司令官兼翻訳機。役職の盛り方が雑だが、仕事ができるので黙認している。というか、ここから一人でも減ると本気で死ぬ。

 

「ついでにだ」

 

机上の軍法会議関係の紙束を指でつついた。

 

「軍規も手を入れる。今の規定は曖昧な条文が多すぎる。そのせいで解釈合戦が起きて、全部俺の決裁に上がってくる。こんな調子なら、俺の寿命より先に書類が限界を迎える」

 

ロイエンタールが、あきれ顔で笑う。

 

「軍規改定の理由が、長官の過労対策というのは、なかなか聞きませんな」

 

「動機なんてその程度で十分だ。結果的に軍がまともに回れば、歴史書にはきれいな言葉で書いてくれる」

 

背筋を伸ばし、半分自分を奮い立たせるために演説モードに入った。

 

「よし、方針は決めた。『厳罰化』じゃなく『厳格化』だ。条文を増やして威嚇するより、ルールを整理して曖昧さを潰す。どの行為がセーフでどれがアウトなのか、一目で分かるようにする」

 

アナが素直に頷く。

 

「帝国軍人に、複雑な解釈を要求するのは酷ですからね。書類も読まずにサインする将官も多いですし」

 

「誰のことを言っている」

 

沈黙が落ちる。視線がこちらに突き刺さる。やめろ、俺だとは分かっているが、言葉にするな。

 

ロイエンタールが、さらに踏み込んだ案を投げてきた。

 

「それと、貴族に対する軍規の適用範囲も明文化したほうがよろしいかと。書類上は平等、運用上はやりたい放題という現状は、さすがに歪です」

 

「それだ」

 

指を鳴らした。

 

「貴族には『明確に適用されない範囲』を作る。爵位別に、『ここまでは例外的に許す』という線を決める。そこを越えた瞬間にだけ、容赦なく裁く。今はどこまでがグレーなのか誰にも分からんから、調査しては揉め、揉めては書類が増えている」

 

アナが少しだけ目を丸くする。

 

「つまり、『特権』を逆に枠で囲うわけですね」

 

「そういうことだ。特権をゼロにはできない。ならば最初から枠の形を決める。公爵にはここまで、侯爵にはここまで、子爵以下にはこれだけ。それを軍法に書き込んで、線の外に出た瞬間だけ、俺たちが鉄槌を振り下ろす」

 

ロイエンタールが、半分呆れ、半分感心した声を出した。

 

「家柄を前提にした階段を、公然と制度に組み込むことになりますが」

 

「家柄も才能の一部だ。それを使いこなせる奴は偉くなる。個人の腕も同じ。どちらも資源だ。俺は両方持っているから、最上階の特等席に座らせてもらう」

 

胸を張った瞬間、左右から冷水を浴びせるような声が飛んできた。

 

「無能」「怠惰」

 

アナとロイエンタールの声が、きれいに重なる。俺は膝から崩れ落ちそうになるのをどうにか耐えた。

 

「ぐっ……今、良いことを言った気でいたのに!」

 

「理想を語る時だけ、声量が三割増しになりますね、アル様」

 

「働きたくないという本音も、同じくらいはっきり聞こえていますが、閣下」

 

やかましい。俺は髪をわしゃわしゃと掻いた。

 

「ミュラー!ミュラーはどこだ!こういう時こそ副官のフォローがだな!」

 

アナが、さらっと恐ろしい報告を寄越す。

 

「先ほど、山のような回覧と決裁待ちの束を抱えて、自室に運び込んでいきました。顔色は、今のアル様と同じ色でしたね」

 

「もう手遅れじゃないか!」

 

貴重な副官が一人、書類の下敷きになっている姿が脳裏に浮かぶ。人材が紙に潰されていく音が聞こえる気がした。

 

書類は増える。人の脳みそは増えない。このペースだと、銀河帝国の滅亡原因が「事務量の増加」とかいうギャグになりかねない。

 

「……よし、決めた」

 

勢いよく立ち上がった。椅子がギギ、と不満そうな悲鳴を上げる。

 

「総力戦に切り替える。ここから先、軍政は俺ひとりでは抱えない。元帥府の提督全員を巻き込む。これは命令だ。連帯責任制を採用する!」

 

ロイエンタールが目を細める。

 

「巻き込まれる側からすると、あまり嬉しくない制度ですな」

 

「黙れ。最初に名前を呼ばれなかっただけ、まだ良心的だと思え」

 

机の端から人事表を引き寄せ、ペン先で名前を順番に突いていく。

 

「まずロイエンタール。お前は統帥本部行きだ。グレイマン本部長の右腕になれ。あの人は真面目すぎて、そのうち書類に押し潰される。お前が冷静さでブレーキをかけろ」

 

「は……いえ、その役目は本来、閣下が」

 

「俺は既に自分の仕事でいっぱいいっぱいだ。安心しろ、統帥本部が炎上したら、責任は全部俺が被ってやる。表向きはな」

 

ロイエンタールは一瞬黙り、それから小さく笑った。

 

「了解しました。燃え上がった炎の後始末も、喜んでお引き受けしましょう」

 

「次、ミッターマイヤー」

 

名前を口にした瞬間、遠くの執務エリアから、ものすごく豪快なくしゃみが聞こえた気がする。今ごろ嫌な予感に震えているに違いない。

 

「奴は宇宙艦隊司令長官補佐だ。つまり、俺の代わりに実務をやれ。会議の準備、各艦隊との調整、演習計画の立案。ぜんぶまとめて投げる」

 

数分後、本人に通達した時の固まった笑顔が目に浮かぶ。きっと「光栄です」と言いながら、内心で魂を吐き出す。

 

「レンネンカンプは軍務尚書補佐。あの几帳面さは、書類地獄に突き落とすために存在する。提出期限を一日でも破った奴は、全員あいつに説教されろ。俺の喉を守るためだ」

 

アナが目を細めて口元を押さえる。

 

「それは相当な抑止力になりますね。書類よりもレンネンカンプ閣下の説教を恐れる将官が増えそうです」

 

「それでかまわん。結果的に締切が守られれば、俺の勝ちだ」

 

口角を上げ、次の名前へとペン先を滑らせた。

 

「ケスラー。こいつは憲兵隊送り。オッペンハイマー伯の副官として、貴族の不正監視を任せる。貴族の利権を守りつつ、その貴族を取り締まる。毒を使って毒を制す役目だ」

 

「毒物管理担当、というところでしょうか」

 

アナの一言に、ロイエンタールまで肩を震わせて笑う。

 

「ケンプとリューネブルクは、元帥府の運営全般だ。予算配分、基地建設、兵站管理。派手な出征が必要になったら、その時だけ俺を呼べ。普段は裏方で汗を流せ」

 

「つまり、普段はアル様が汗を流さない、という宣言ですね」

 

「その通りだが、真実をそんなにはっきり言うな」

 

アナは涼しい顔で紅茶を一口飲む。元帥が労働に悲鳴を上げている横で優雅さを崩さないのは、若干腹立つが、あの冷静さがなければ、この地獄はもっとカオスになるので文句も言えない。

 

「最後に、アナ」

 

正面から向き直り、できる限り真剣な顔を作った。

 

「お前は、俺の補助だ。これは軍政でも人事でもない。完全に個人的な要請だ」

 

アナの瞳が、少しだけ柔らかくなる。

 

「内容を伺いましょう」

 

「俺の心が折れそうになったら、ベッドで慰めろ。膝枕と耳かきと、愚痴を聞く義務を課す。これは元帥命令だ」

 

アナは一瞬ぽかんとしたあと、小さく吹き出した。

 

「喜んで。膝枕も耳かきも、サービス残業枠で対応いたします」

 

「お前まで残業漬けか」

 

「その代わり、アル様もサインを止めないでくださいね。はい、今日の分の残りは……」

 

アナが端末を操作し、俺の机の上に、さらに分厚い束を置いた。

 

「約三千枚です」

 

「数字の桁を間違えていないか」

 

「間違えていません。再確認しました」

 

書類の山を見上げ、天井を仰いだ。

 

「殺す気かあああああ!」




ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

今回のアルは、戦場よりも書類との戦いがメインでした。
読者の皆さまの中にも、
「分かる。書類は敵だ……」
と頷いてしまった方がいるかもしれません。

もし少しでも笑ったり、アルに同情したり、
「この改革案、意外と合理的じゃん?」
と思っていただけたなら、ぜひ 感想 をいただけると励みになります。

アルもアナも、あなたの一言で元気が出ます。
(ロイエンタールは多分黙って読みます)

作者にとって、読者の声ほど力になるものはありません。
今後の展開で見たいキャラ、気になる伏線、好きな掛け合いなど、なんでも書いてくださると嬉しいです。

この物語はどこまで続けますか?

  • 原作開始(アスターテ)まで
  • リップシュタット戦役まで
  • 宇宙統一まで
  • 原作終了まで
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。