銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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本章では、アルブレヒト元帥がついに 「怠惰のための制度改革」 を本格的に推し進めます。

働きたくない——その一心で、貴族の虚栄心も、官僚の習性も、軍の構造もすべて巻き込み、
結果的に帝国が以前より回るという、なんとも銀河規模の皮肉。

アル、アナ、ロイエンタール、レンネンカンプ。
それぞれの「得意」「弱さ」「欲」といった人間味が、制度の中でどう転がっていくかも、ぜひ楽しんでいただければ幸いです。

今回も、笑いながら読んでいただければ本望です。


昼寝のための制度改革(帝国全土巻き込み)

帝国元帥府の執務室で、一番高価なはずのソファは、いま完全に「昼寝予備軍司令部」と化している。俺はそこに沈み込み、ネクタイをゆるめ、胸元のホックを外し、深く息を吐いた。

 

軍政の大改革ラッシュでここ数か月の記憶が怪しい。気づけば書類は減り、現場は勝手に動き、銀河はそこそこ平和に回っている。……のに、俺の昼寝時間は増えていない。これは重大な設計ミスだ。

 

「ふぅ。軍政の地獄も一段落、のはずなんだがな。午後に優雅なティータイムを楽しむ計画が、いまだに実現していない。おかしい。どこで間違えた」

 

ソファから片目だけ出してぼやくと、部屋の奥からかさかさと紙の音がした。ロイエンタールが、書類の山に半分埋もれた状態で顔を上げる。

 

「まだやるおつもりですか、閣下。すでに帝国軍は、閣下の改革で悲鳴を上げながらも高速回転していますが」

 

「甘いな、ロイエンタール。俺の目標は、銀河の平和でも帝国の再生でもない。『俺が昼寝していても勝手に回る軍政システム』だ」

 

「目的が俗っぽいどころか、逆に清々しいですね」

 

ロイエンタールのツッコミを華麗にスルーし、俺は天井の模様を見つめながら腕を組む。ここから先は、ただの効率化では足りない。構造改革が要る。もっと徹底的に、俺から仕事を引きはがさなければならない。

 

「よし、ブレインストーミングだ。案を出せ。条件は一つ、貴族どもの権威をある程度保ちつつ、実際にはこき使える仕組み」

 

「また厄介な注文を」

 

ロイエンタールは額に手を当て、少し考えてから口を開いた。

 

「やつらの弱点は二つ。プライドと金。そこを同時に刺激しつつ、責任だけはきっちり背負わせる構造にすればよろしいかと」

 

「採用」

 

即答した。こいつは本当に分かっている。

 

「では、具体策ですが」

 

「もう決めた」

 

ガバッと起き上がり、ローテーブルをドンと叩く。ソファのクッションが、抗議のような情けない音を出した。

 

「『辺境星域の領内警備から、正規軍を段階的に撤退』だ」

 

「はあ?」

 

ロイエンタールが、珍しく本気で素っ頓狂な声を上げる。

 

「待ってください。正規軍を引き上げたら、辺境の治安は誰が担うのです」

 

「決まっている。貴族直轄軍だ。あいつらの私兵を、パレード用の飾りから、実戦仕様の治安部隊に格上げする」

 

立ち上がり、壁に映された星図を指さした。辺境の星々が点々と光っている。そこに「予算削減」「人員整理」「昼寝時間確保」という、俺にしか見えない黄金の文字が並んでいる気がする。

 

「いいか、各領主にはこう告げる。『貴族直轄軍に、領内警備の正式な責任と権限を委ねる。その代わり、帝国は補助金と軍事顧問を提供する』」

 

ロイエンタールが目を細める。

 

「軍事顧問?」

 

「そうだ。正規軍の古参士官や、前線で腕を失ったけれど頭は切れる連中を、貴族軍の『顧問枠』として再就職させる。これで正規軍の人件費も圧縮できるし、退役兵士の仕事も確保できる。一石二鳥だろ」

 

指を二本立て、さらにもう一本増やした。

 

「それから、海賊や反乱分子の討伐実績に応じて、『報奨金』『勲章』『宮廷席次アップ』をセットで出す。貴族どもの大好物フルコースだ」

 

ロイエンタールの口元が、ようやくわずかにゆがむ。

 

「なるほど。名誉欲の塊である彼らは、こぞって辺境の治安に励むでしょうな」

 

「そういうこと。今までは、辺境の治安維持は『面倒な義務』扱いだった。これからは、『儲かるビジネス』に変える。金とランクが絡めば、やつらの行動力は三倍増しだ」

 

ただし、と俺は指を一本立て直す。

 

「人間、金と地位が絡む場には、必ず不正をやらかす馬鹿が混じる」

 

「同意します」

 

ロイエンタールが即答した。そこは疑う余地がないらしい。

 

「だから、監視の仕組みが要る。ふふふ。ここで一人、適任者がいるんだよな」

 

執務室の扉に向かって声を張る。

 

「レンネンカンプ。生きているなら出てこい」

 

書類の山の陰から、のそりと一人の男が現れた。きっちり整えられた軍服、よく磨かれたブーツ、顔の半分を覆う分厚い眼鏡。表情は真面目そのものだが、その奥の目つきが妙にギラついている。

 

「はっ。お呼びでしょうか、閣下」

 

「貴様を、『貴族軍総監察官』に任命する」

 

告げた瞬間、レンネンカンプの肩がぴくりと跳ねた。

 

「名目はこうだ。『貴族直轄軍の運用状況を定期査閲し、海賊討伐実績、治安維持状況、住民からの苦情件数などを点数化する』」

 

レンネンカンプの眼鏡が、ギラリと光る。気のせいではない。今、確実に光った。

 

「査察の結果に応じて、補助金と報奨の倍率が変わる。優秀な領主は儲かるし、怠け者は損をする。おまけに、不正が見つかった奴は、点数どころか首も飛ぶ」

 

レンネンカンプの口元が、ゆっくりとつり上がる。

 

「つまり私は……貴族の軍隊を、合法的に、徹底的に、隅から隅まで調べ上げてよろしいわけですね」

 

「そういうことだ」

 

「粉飾報告や架空戦果が見つかった場合は」

 

「容赦なく減点。悪質なら軍法会議送り。さらに、今後十年分の補助金カット。派閥単位で痛い目を見せてやれ」

 

レンネンカンプは、もはや全身から「やる気」を放出していた。珍しくロイエンタールが一歩引く。

 

「……閣下。彼の今の顔、なかなか危険な輝きですが」

 

「分かってる。だが、貴族の不正をここまで熱心に追い詰めてくれる人材も貴重だ。俺がやるより、はるかに効率がいい」

 

レンネンカンプは、敬礼しながら震え混じりの声を出した。

 

「素晴らしい任務です、閣下。これほど私の性格と職業倫理に適合した仕事を頂けるとは。貴族の不正を、数字と証拠で追い詰めるなど、夢のようです」

 

「『職業倫理』の隣に『嗜好』を並べるのやめろ。怖い」

 

内心でツッコミを入れつつ、俺は条件を一つ付け加える。

 

「ただし、真面目に職務を果たしている貴族まで潰すな。国が回らなくなる」

 

「無論です。私が狙うのは、制度の穴を利用して甘い汁を吸う連中のみ。真面目に働く者を守ることも、監察官の矜持であります」

 

こいつ、やっぱり危険だが有能だ。放っておくと突き抜けるが、今さら止めている余裕もない。

 

ロイエンタールが腕を組み、話を整理するように言った。

 

「つまり閣下の構想をまとめると、こうなりますな」

 

「まず、辺境から正規軍を順次引き上げる。代わりに貴族直轄軍に治安維持を任せる。帝国は補助金と顧問を提供し、貴族は自腹も切って軍備を整える」

 

「治安状態、海賊討伐数、住民の評価などを査定し、補助金と名誉を増減させる」

 

「監察官としてレンネンカンプを走らせ、不正を叩き潰す」

 

「結果、正規軍の負担は減り、貴族は競い合い、閣下は昼寝できる」

 

「最後の一行だけ、妙に主観的ですが、全体としては合理的です」

 

「一番大事なのはそこだ」

 

胸を張る。

 

「帝国の制度は、俺が昼寝してても動くように設計される。これは一流の経営者の条件だ」

 

ロイエンタールがため息まじりに笑った。

 

「昼寝を起点に国家制度を考える元帥は、銀河史上初でしょうな」

 

「誇るべき快挙だ」

 

そこへ、ノックもそこそこにアナが入ってきた。両腕いっぱいに書類の束を抱えている。

 

「失礼します、アル様。辺境警備の新体制について、早速各星系から質問が殺到しております。『補助金の算定基準』『顧問の任命権』『報奨の順位』などです。よかったですね。やることが増えました」

 

「増やすな!」

 

反射的に立ち上がった。

 

「いま俺がやっているのは、『俺の仕事を減らす作業』だ!なぜ一つ制度を作るたびに書類が十倍になる!」

 

アナは首をかしげ、涼しい声で答える。

 

「制度を一つ増やせば、説明と例外と問い合わせが十倍に膨らむものです。それが官僚制という仕組みです。アル様も、その頂点に立つお一人ですから、諦めてください」

 

「嫌だ。官僚制から俺だけ脱退したい」

 

ロイエンタールが肩をすくめる。

 

「ご安心を。制度が回り始めれば、我々補佐が徐々に負担を肩代わりします。閣下の昼寝時間も、そのうち五分くらいには増えるでしょう」

 

「五分とはなんだ。俺は午後三時間の熟睡コースを目指している」

 

アナが苦笑して、抱えてきた書類を机の上に積み上げた。塔ができた。

 

「ではまず、この改革案について、条文案と運用指針を百ページほど起案していただきます。昼寝はその後で」

 

「百ページ……」

 

ゆっくりとソファを振り返る。そこには、さっきまで俺の体温を吸い込んでいたクッションが、しょんぼりした顔で(に見える)俺を見ていた。

 

「待ってろよ。いつか必ず、お前の上で昼寝してやる」

 

小声でソファに誓いを立てる元帥というのも、なかなか悲しい光景だという自覚はある。それでも、この瞬間だけは妙に真剣だ。

 

アナがくすりと笑い、一歩近づく。

 

「アル様。昼寝の前に、まずはお昼ご飯をしっかり召し上がってください。血糖値が下がると、余計に眠くなりますから」

 

「それはそれで魅力的だな」

 

「仕事が進まなくなるという意味では最悪です」

 

三人の視線が、机の上の紙の山にそろって向かう。静かな沈黙。重い現実。

 

「……よし。昼寝のために働くか」

 

「はい。昼寝のために働きましょう」

 

「昼寝のために働く元帥に、敬礼」

 

ロイエンタールが皮肉半分、本気半分の敬礼を寄越し、俺も苦笑しながらサインペンを握った。

 

 

 

 

 

 

 

「さらに、だな」

 

と、俺は机を指でコンコンと叩き、真正面に立つロイエンタールを見た。

 

「貴族の子弟には、一家につき最低一人、『貴族直轄軍』への従軍義務を課す」

 

ロイエンタールの片眉がぴくりと動く。

 

「一家につき一人、ですか」

 

「そうだ。どうせ貴族だらけの軍隊だ。前線で本気の艦隊戦をやらせるわけでもない。領内警備と海賊退治だ。よほどの阿呆でなければ簡単には死なない」

 

口にしてから一瞬考え、脳裏にフェザーン産の高級菓子だけを楽しみに生きていそうな、ふやけた若様の顔が浮かぶ。

 

「……まあ、よほどの阿呆は死ぬが、それはそれで自然淘汰ということで」

 

「さらっと恐ろしいことを言いますね、閣下」

 

ロイエンタールが肩をすくめる。

 

「だが、軍務と領地経営で成果を出せなきゃ、親父やお祖父様から説教だ。頑張れば、家の食卓で褒められ、社交界で胸を張れる。これで若様たちに、やる気という名の火をつけられる」

 

手元の端末を操作し、試算結果をホロに表示させた。領地ごとの治安指数、税収の伸び率、軍事的貢献度。それらを総合して付けられるランクが、画面の隅に並んでいる。

 

「ここからが本題だ。軍務と領地経営で『Sランク』評価を獲得した家には、特権を与える」

 

ロイエンタールが身を乗り出す。

 

「どのような特権を?」

 

ニヤリと笑い、人差し指を立てた。

 

「『ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯への、優先的な口利き権』だ」

 

会議室の空気が、一瞬だけ静まり返った。ロイエンタールが珍しく言葉を失っている。

 

「……なるほど。上に繋がる階段を、ポイント制でぶら下げるわけですか」

 

「そういうこと。Sランク貴族は、二大門閥の謁見申請を優先枠で通せる。『うちの息子がこれだけ成果を出しましたので、ぜひ爵位の継承にご配慮を』とか、『うちの会社の新型艦を、閣下にだけ先にお見せします』とか、好きにやらせればいい」

 

俺はホロ画面に、適当に「S」「A」「B」の文字を並べていく。

 

「成果が上がれば上がるほど、公爵たちの威光も増す。下の連中は、『公爵閣下に取り立ててもらうために、うちも頑張らねば』と血眼になる。上も下も潤い、俺は昼寝できる。完璧だろう」

 

「やはり結論は昼寝なのですね」

 

ロイエンタールのツッコミをスルーし、俺はさらに続ける。

 

「この仕組みを聞いたうちの未来の義父たちは、きっとこう言うぞ。『君は天才か!』とか、『私が椅子に座っているだけで、部下が勝手に貢ぎ物を持ってくる仕組みではないか!』とな」

 

「想像できてしまうあたり、恐ろしい発想力です」

 

ロイエンタールが口元を押さえて笑う。

 

勢いに乗ったまま、話題を経済に移した。

 

「次は後方支援だ。補給と軍需産業。ここでもハイエナどもを、きちんと檻に入れて走らせる」

 

アナスタシアが、いつの間にか隣の席に座り、タブレットを開いていた。

 

「また新しい餌を思いつかれたようですね、アル様。今度は何ですか?」

 

「『ブランド化』だ」

 

指をぱちんと鳴らす。

 

「軍需物資には、貴族家ごとの『自家ブランド』を前面に押し出させる。例えば、『リッテンハイム重工製・標準装甲服』とか、『ブラウンシュヴァイク・モデル・主力戦艦』とか、派手な名前をつけさせる」

 

ロイエンタールがメモを取りながら尋ねる。

 

「名前をつけるだけで、何か変わりますか?」

 

「変わる。前線での評価データを公開する」

 

ホロに仮の一覧を出す。

 

「『ブラウンシュヴァイク・モデル・主力戦艦:平均生存率九二%』『リッテンハイム重工製・装甲服:着用兵士の生還率八九%』……こういう数字を、公式記録として毎年発表するんだ」

 

アナスタシアが頷いた。

 

「なるほど。数字がそのまま、『名誉』になりますね」

 

「逆に、粗悪品を出した家のブランドの横には、『運用一年目での損耗率一二〇%』『着用中の故障報告数、帝国平均の三倍』などと書かれる」

 

ロイエンタールが苦笑する。

 

「『あそこの戦艦は紙装甲』と陰口を叩かれる未来が見えます」

 

「そうなれば、貴族どもは震える。『名誉ある我が家の戦艦が、安物呼ばわりされた』となれば、面子を守るために私財をつぎ込んででも改良する。こっちは品質向上に口を出さず、評価だけ行う。楽でいい」

 

椅子から立ち上がり、スクリーンに歩み寄る。

 

「さらに極めつけは、軍需産業の『皇室独占』をやめることだ」

 

その場にいた将官たちの背筋が一斉に伸びる。ミッターマイヤーが思わず声を上げた。

 

「皇帝陛下の専売事業を、解放するおつもりですか。さすがに危険では?」

 

「心配するな。皇室の工廠は残す。だが、貴族も自由に軍需企業を興してよい。皇室ブランドと貴族ブランドの競争だ」

 

両手を広げ、席に戻った。

 

「考えてみろ。今は皇帝の工廠しかないから、皆、そこに甘える。『多少質が悪くても、他に買う場所がない』という状況だ。だから技術革新の速度も遅い。そこに、貴族ブランドが分厚く割り込む」

 

アナスタシアが冷静に補足する。

 

「つまり、貴族たちの虚栄心と金欲を、技術競争の燃料に変えるわけですね」

 

「そういうことだ。『皇帝ブランドに劣る装甲服で良いのか』『我が家の砲が、ファルケンハイン元帥の艦に載らなくても構わないのか』と、夜も眠れなくなるまで悩ませてやる」

 

ニヤリと笑い、机を軽く叩いた。

 

「皇室側も黙ってはいない。『家臣の武器に負けた』となれば、威信に関わるから、必死で新型を出すだろう。結果として、皇帝も貴族も、互いに上を目指して勝手に性能を上げる」

 

ロイエンタールが腕を組んでうなずく。

 

「そして閣下は、性能比較表を眺めながら、どのブランドを採用するか決めるだけ。相変わらず、自分の手を汚す範囲を最小限に抑えますね」

 

「それこそが指導者の仕事だ。現場でネジを締めるのは職人の領分。俺は、誰が一番高性能なネジを作るか決める側にいる」

 

アナスタシアが端末に何かを打ち込みながら、ふと顔を上げた。

 

「ただ一つ、懸念があります。ブランド競争が過熱しすぎると、見栄を張りたいあまりに、帳簿の数字をいじる家が増えます」

 

「そこはレンネンカンプの出番だ。貴族軍の監察だけでなく、軍需ブランドの品質監査もセットでやらせる」

 

会議室の隅で静かに座っていた眼鏡の男に視線を送る。

 

「試験購買、現地調査、抜き打ち検査。あと、前線兵士への聞き取り調査もやれ。『最近壊れやすい装備』『現場の信頼が厚いブランド』を、匿名で集計するんだ」

 

レンネンカンプが、眼鏡を押し上げながら深々とうなずいた。

 

「了解しました。数字と現場証言を突き合わせれば、粉飾はすぐに露見します。貴族がどれほど飾り立てても、真実からは逃れられません」

 

「怖いことを嬉しそうに言うな」

 

苦笑しつつも、内心では拍手していた。こいつがいれば、虚飾だけのブランドは長持ちしない。

 

「総まとめだ」

 

椅子の背にもたれ直し、全員を見回した。

 

「貴族の子弟には、直轄軍で汗を流させる。成績優秀者の家には、公爵への口利き券とブランドポイント。後方支援では、皇室と貴族の軍需ブランドを競わせる。評価はすべて数字で公開。監査役には、異常に真面目で、ちょっと怖い男を配置」

 

「ハイエナどもには、骨付き肉を与えつつ、首輪もリードも忘れない。これが、俺流の『ハイエナの飼い方』だ」

 

ロイエンタールが口元を押さえ、静かに笑った。

 

「……その表現を、公の場でだけは使わないでください。命に関わります」

 

「分かっている。本人たちの前では、『帝国貴族の自立と栄光を高める制度』と呼ぶ。心の中ではハイエナでも、口から出る言葉は称賛だ」

 

アナスタシアが、ふっと柔らかく笑う。

 

「本当に、アル様はハイエナを扱うのが上手です。私も、そんなアル様が大好きですよ」

 

「お、おう。急に真正面から好意を向けるのはやめろ。照れるだろ」

 

「では、照れつつ働いてください。まずは、この制度案の正式文書化からですね」

 

アナスタシアが新たな書類束を机に載せる。その瞬間、さっきまで誇らしげに鳴っていた俺の心のファンファーレが、静かに止まった。

 

「……餌を撒いたはずなのに、なぜ俺の方にも鎖が増えている気がするのか」

 

誰にともなくつぶやくと、ロイエンタールが即答した。

 

「気のせいではありません。自業自得です、閣下」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、アナ」

 

「はい、アル様」

 

すぐ隣の椅子で端末を操作していたアナスタシアが、顔だけこちらに向ける。こいつの手元では、軍政と財政と人事が同時進行で回っている。俺の脳味噌では完全にオーバーフローする領域だ。

 

「俺が作ったこの『欲望ドライブ式帝国システム』な。つくづく、自分で言うのも何だが完成度が上がってきたと思わないか」

 

「自画自賛が始まりましたね。ええ、残念ながら事実です。貴族は相変わらず欲深く、平民は相変わらず逞しく、軍は前よりよく働くようになりました」

 

「だろう?要するに、人間の欲そのものをエンジン扱いした結果、放っておいても勝手に推進力が出てくる。個々人の人格がアレでも、システムが生きている限り、帝国は前に進む」

 

窓の外で、軌道エレベーターを行き来する輸送艇の光が点滅する。それを見ながら、俺は指を一本立てた。

 

「ここから先は、完全に俺の妄想だ。法整備と運用があと五年続けば、ルールは『当たり前』になる。貴族どもは、今日も海賊を追い回し、領民の税収アップに励む。皇帝の工廠は、面子を守るために最新兵器を量産する。俺は――」

 

そこで一度、言葉を切る。口元が自然に緩んでいくのを、自覚していた。

 

「――俺は、仕事を全部部下に丸投げして、お前と二人でハネムーンに行く」

 

アナスタシアは、端末から視線を外し、何故かとても優しい笑顔を浮かべた。

 

「五年後、ですか?」

 

「ああ。五年後だ。さすがの帝国も、一朝一夕で変わるわけじゃない。法律が染み込んで、皆が『こういうものだ』と諦めてからが本番だ。その頃には、ロイエンタールもミッターマイヤーも、現場の裁量で勝手に決裁できるようになっている」

 

指折り数えながら、未来の光景を頭の中に並べていく。

 

「ロイエンタールは統帥本部あたりで、妙に気の利く参謀長を演じている。ミッターマイヤーは、宇宙艦隊司令長官代理のくせに、『代理』の看板を外せないでいる。レンネンカンプは、不正を見つけるたびに寿命を伸ばしていそうだ。ケスラーは憲兵隊で、貴族と平民の両方に嫌われつつ尊敬もされている」

 

「そしてアル様は?」

 

アナスタシアが、楽しそうに問い返してきた。

 

「俺は決まっている。どこか静かな温泉惑星に別荘を建てて、昼寝と読書とたまの視察だけで暮らす。朝は好きな時間に起きて、ブランチを食べて、昼からソファでごろごろしながら、お前の膝を枕にして帝国からの『問題なし報告』を聞くんだ」

 

「視察より昼寝がメインなのですね」

 

「当然だ。俺の人生の最終目標は『真面目に働かなくても帝国が回る状態』だからな。働かないことは、最高レベルの贅沢だ」

 

そこでアナスタシアが、くすっと喉を鳴らした。

 

「……恐ろしいお方です。人の欲望と怠惰を、まるごと国家の燃料にしてしまうのですから」

 

「褒めてるよな、それ?」

 

「もちろんですとも」

 

一応そう言ってくれたので、素直に嬉しい。どう見ても皮肉だが、気づかないふりをするのも指導者の器量だ。

 

立ち上がり、窓辺まで歩く。分厚い強化ガラスの向こうには、帝都の雑多な光が広がっている。五年前と比べて、貨物ドックの稼働率は二倍近くに増えた。治安も良くなり、夜間に出歩く人影が明らかに増えた。数字だけではなく、肌感覚でも分かる変化だ。

 

「見ろよ、アナ。俺たちがむりやり動かした仕組みが、ちゃんと回り始めている。海賊相手に張り切る貴族の報告書なんて、最初に読んだ時は笑うしかなかったぞ」

 

机の上から一枚の報告書をつまみ上げる。

 

「『当家の若き子息○○○は、今回の出撃において海賊母船三隻を撃破し、領民の安全に寄与しました。何卒、Sランク評価へのご高配を』……おいおい、五年前なら『領民ごと絨毯爆撃しました。遺族には黙っていてもらいます』がテンプレだった連中だぞ?」

 

「文字通り、別人のようですね」

 

アナスタシアが苦笑する。

 

「別人になったわけじゃない。別人に見えるように、枠組みを変えただけだ。あいつらの腹の中は変わらない。褒賞と勲章と席次のために動いているのは今も同じだ。ただ、方向を矯正した」

 

そう言いながら、俺は報告書を元の山に戻した。紙がカサリと音を立てる。その下には、まだ目を通していない書類が、これでもかと積み重なっている。

 

……うん。現実に引き戻される音って、だいたい紙の擦れる音だよな。

 

「アル様」

 

アナスタシアが立ち上がり、そっと俺の隣に並ぶ。窓に映る二人分の姿が、妙にこそばゆい。

 

「五年後。本当に、どこかへ行きましょうか」

 

「お、前向きな発言が出たな」

 

「ええ。私も、たまには軍務と帳簿から離れて、ゆっくり湯に浸かりたいですから。それに、アル様が完全に現場から退いた方が、部下たちも自分で考えるようになります」

 

「それ、若干ひどくないか?」

 

「いいえ。今のアル様は、何でも自分で抱え込み過ぎです。帝国を自動運転にしたいなら、アル様自身が『いなくても回る』ことを実践しなければなりません」

 

刺さる。ぐうの音も出ない正論だ。

 

「じゃあ決まりだ。五年後、全ての制度が安定したら、俺は元帥の椅子を誰かに預ける。名目上は病気療養でも、精神的疲労でもいい。とにかく、表向きには『しばらく前線を離れる』ってことにする」

 

口にした瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなる。もちろん本当にそうなるかは、五年後の銀河情勢次第だが、希望を持つのはタダだ。

 

「その時は、どこへ行きましょう」

 

アナスタシアが、楽しげに問いかけた。

 

「候補は多いぞ。温泉惑星、保養星系、海だけが広がるリゾート星。いっそ、イゼルローンの人工ビーチでバカンスする手もあるな。ラインハルトのやつに、要塞内に特別休暇区画を作らせてだな……」

 

「公私混同の極みですね」

 

「ほっとけ。また、辺境の小さな田舎星も良い。電波も弱くて、通信が入りにくい場所だとなお良いな。『すみません、電波状況が悪くて元帥閣下にお繋ぎできません』と、堂々と言える」

 

「五年かけて整備した通信インフラを、自分から回避しないでください」

 

アナスタシアが肩をすくめる。俺は笑いながら、ソファに戻った。

 

「大事なのは、俺がいなくても誰も困らない状態を作ることだ。ロイエンタールとミッターマイヤーが政治と軍事を回して、レンネンカンプとケスラーが治安と監査を締める。ケンプとリューネブルクは、元帥府の運営を勝手にやる。アナ、お前は……」

 

「私は?」

 

「俺の隣で、昼寝の時間割を管理する」

 

真顔で言ったら、アナスタシアが一瞬固まり、それから頬を染めた。

 

「……それは、それなりに魅力的な役職ですね」

 

「だろう?帝国元帥専属・昼寝管理官兼正妻。たぶん、銀河で一番偉い職業だぞ」

 

「肩書きが長すぎます」

 

二人でそんなくだらないやり取りをしていると、執務室のインターホンが鳴った。

 

『元帥閣下、至急サインが必要な書類が百二十件、届いております』

 

現実は、遠慮という言葉を知らない。

 

「ほら、アル様。五年後のためには、今日の書類から逃げないことです」

 

アナスタシアが、どこか愉快そうに書類の束を抱えて戻ってくる。その腕には、昼寝用クッションもちゃっかり乗っていた。

 

「クッションは何だ」

 

「ご褒美です。三十件処理するごとに、五分だけ目を閉じていいことにしましょう」

 

「小学生の宿題方式やめろ!」

 

叫びつつも、俺はペンを取る。クッションの柔らかさを横目で確認しながら、サイン欄に名前を書き殴っていく。

 

……五年後。俺は本当に、この地獄から解放されているだろうか。

 

いや、解放してみせる。俺の怠惰と、部下たちの有能さと、貴族どもの煩悩を総動員してな。

 

そうだ。俺の「サボるための努力」が、帝国を黄金時代に連れていく。その事実だけ思い出せば、書類の山も少しは軽く感じられる。

 

……気がする。

 

「よし、アナ。まず十件だ。クッションの準備をしろ」

 

「はい、アル様。五年後の夢に向けて、今日も一歩前進ですね」

 

俺は、ため息半分、笑い半分で、次の書類にペン先を滑らせた。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

もし読んでいて——

「この制度だけはヤバい」

「アルの怠惰の到達点が天才すぎる」

「ロイエンタールが不憫かわいい」

「アナがヒロイン力を上げすぎ」

「レンネンカンプの顔が光った瞬間で笑った」

など、どれかひとつでも心に引っかかるところがあれば、ぜひ感想で教えてください。

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