銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
銀河英雄伝説という世界は、壮麗であると同時に
「なぜこんなに非効率なんだ……」
と首をかしげてしまう部分がある世界でもあります。
そこで今回は、
「怠惰もまた政治理念である」
というアルらしい視点から、
帝国政治の歪みを利害調整型システムへと変換していきます。
また、後半には皇帝陛下と「あの老人」が再登場し、
アルがどんな権力の使い手として評価されているのかも描いています。
どうぞ、帝国の一歩目の改革劇をお楽しみください。
帝都オーディンの軍務省本庁舎、その中枢にある元帥府大会議室は、今日も空気が重い。
いや、重くしている張本人は、他でもない、この俺だ。
銀河帝国宇宙艦隊司令長官兼軍務尚書、アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン。
肩書きは豪華、仕事量は地獄、睡眠時間は絶賛削減中。
それでも、俺は諦めない。最終目標はただ一つ、「楽して昼寝」である。
その崇高な怠惰の実現のため、今日も改革会議だ。
長い楕円形の会議卓の最奥、上座にはブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯。
両側にはロイエンタール、ミッターマイヤー、レンネンカンプ、ケスラー、それからアナ。
プロジェクターに映した改革案の資料をペン先でコツコツつつきながら、真面目そうな顔をキープした。
「――というわけで、軍需物資の『ブランド化』と、『貴族直轄軍』の活用で、帝国全体の戦力を底上げしつつ、正規軍の負担軽減を図る。ここまで、質問あるか」
一同、沈黙。
ここで誰かが「完璧です」と言ってくれれば、俺は晴れて午後のティータイムと昼寝に移行できる。
だが、そういう時に限って、世界は優しくない。
重厚な椅子にどっかり座ったブラウンシュヴァイク公が、顎鬚を撫でながら咳払いをした。
「ふむ……ファルケンハイン元帥。概ね賛成と言ってよい。貴族の名誉欲を刺激しつつ戦力を強化する案、それ自体は悪くない」
よし、と心の中でガッツポーズを作りかけた、その直後。
「だがな」
公爵は、資料に視線を落としつつ淡々と言葉を継いだ。
「各家が勝手な仕様で兵器を作り始めれば、前線は混乱する。砲弾の口径が微妙に違う、接続端子の形が合わない、予備部品の共用ができない。補給線が崩壊する危険がある」
俺の思考が止まった。
……そこまで考えてなかった。
「えーと、公爵閣下」
「なんだ」
「今の、率直な感想を言っていいですか」
「申せ」
「すごい。普通に有能」
ブラウンシュヴァイク公の鼻髭がピクッと動いた。
「ほう? 私は最初から有能だが?」
「いや、これまでの印象が酒と宴会全振りだったせいで。兵站規格の話がその口から出てくるとは思わなかったです。大貴族の頭脳、恐るべし」
内心では、床に額をこすりつけて謝罪したいくらいだ。
この人、利権と金の気配がした瞬間にCPUがブーストするタイプだな。
横でリッテンハイム侯が、楽しげに肩をすくめた。
「ブラウンシュヴァイクは、古典的戦略論の講義を始めると長いぞ。兵站軽視は愚者のすることだ、と日常的に説いておる」
「言っている割に、領地の倉庫管理が怪しい件は目をつぶれ」
公爵が軽く咳払いで話題を切る。
完璧ではないところに人間味がある、ということにしておこう。
すぐに端末へ入力を始めた。
「では、次のように修正しましょう。兵器の基本規格は、現行の軍標準を厳守。口径、出力、接続規格、全部、宇宙艦隊の基準から一歩も動かさない」
「ふむ」
「その上で、貴族家には、その規格内でどれだけ高性能な物を作れるかを競ってもらう。外装や追加機能、耐久性、整備性……その評価の舞台として――年に一度、『帝国軍兵器コンペティション』を開催する」
会議室に、妙な静けさが落ちた。
ミッターマイヤーがぽつりと声を漏らす。
「兵器の……コンペ」
ロイエンタールが、口角をわずかに上げた。
「耳障りの良い名前ですな。貴族たちは好きそうだ」
上々の反応だ。用意していた次のスライドを表示した。
「コンペの評価項目は、実射試験の成績、整備にかかる工数、前線からのフィードバック、そして――」
ここで、わざと間を取り、上座の二人をじっと見る。
「――スポンサーシップと、宮廷社交への貢献」
ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の瞳に、同時に嫌な光が宿った。
ああ、この人たち、完全にスイッチ入った。
「具体的には、会場設営、式典運営、コンペの中継、グッズ販売などの権利を、『特別最高顧問』たるお二人に一任したい。兵器そのものの採否は軍が決める。だが、それを取り巻く栄誉と利益は、お二人の掌中に収めていただければ」
営業スマイル全開で頭を下げる。
要するに、「一番おいしいところはあなた方の仕事です」という宣言だ。
予想通り、二人は顔を見合わせ、満足そうに笑った。
「……君は、実に親孝行だな、ファルケンハイン元帥」
「若いのに、話が分かる。椅子に座っているだけで、向こうから栄誉と金が歩いてくる仕組みを持ち込むとは」
内心でガッツポーズ三連打。外側は控えめに頷いておく。
「ありがたいお言葉、痛み入ります。どうぞ、思う存分ご活躍ください。その代わり――兵器規格を乱す輩だけは、遠慮なく叩き出していただければ」
「任せろ。規格を軽んじる愚か者は、派閥の恥だ」
笑顔の奥に、結構な殺気が見えた。
頼もしい。色々と怖いが、頼もしい。
そこで、アナが静かに手を上げる。
「アル様。私からも一案よろしいでしょうか」
「うむ、聞こう。我が家宰殿」
「この兵器コンペで優勝したブランドには、正式採用と同時に、一般市民向けの縮小模型販売を許可してはいかがでしょう」
空気がまた止まる。
ミッターマイヤーが戸惑った声を出した。
「模型、ですか」
「はい。『ブラウンシュヴァイク・クラス戦艦レプリカ』や、『リッテンハイム・モデル強襲機』の玩具です。売上の一部を皇室財政と軍事予算に回し、残りをブランド元の貴族家に還元する枠組みを作ります」
おお、と素で感嘆が漏れてしまった。
「つまり、兵器が人気になればなるほど、皇室も軍も貴族も儲かるわけだな。子供たちは各家の主力艦のミニチュアを集めて遊び、そのうち『この家の士官になりたい』と言い出す、と」
「そうなります。自然な形で家ごとのファンが育ち、自発的に人材が集まります」
ブラウンシュヴァイク公が喉の奥で愉快そうに笑う。
「子供たちが、我が艦を手にしている姿か……よい。『ここが砲塔でな、ここに秘密の増設装甲があるのだ』と、つい説明して回りたくなるな」
リッテンハイム侯も、片眉を上げて頷いた。
「社交界で、『次の新型はいつですか』とせがまれるのも悪くない。人気投票のようなものだ。燃えるな」
……既視感がすごい。
どこかの時代で、玩具会社と映像会社が手を組んで、変形ロボを量産していた光景が脳裏をよぎる。
「アル様」
アナスタシアが、小声で耳元にささやいた。
「もちろん、玩具の設計管理と品質保証、それから販売網の一部は、ファルケンハイン財団グループで一括受注します」
「笑顔で恐ろしいことを言うのをやめようか、アナ」
「アル様の昼寝資金が増えます」
一撃必殺の説得力だ。ぐうの音も出ない。
ロイエンタールが、珍しく楽しそうに顎に指を添えた。
「兵器コンペとその周辺ビジネス……。うまく機能すれば、帝国全体の技術力向上にもつながりますな。互いを意識して競い合う構図ができる。技術者たちにとっても刺激的です」
「そうそう。どうせ貴族が金を散らすなら、技術と雇用に化ける方向にしてもらわないとな。俺の昼寝の邪魔をしない範囲で銀河が発展してくれれば、それでいい」
レンネンカンプが、資料を見つめながら静かに告げる。
「玩具が武器に準じた形状を持つ以上、安全基準の策定が不可欠です。誤作動や爆発事故などが起きれば、帝国の責任問題になります」
「そこは任せる。安全基準案を三パターンほど、今週中に準備してくれ」
「……了解いたしました」
レンネンカンプの瞳に、またしても危険な輝きが宿る。
新しい規則を増やすことに喜びを見いだす男だ。ある意味、天職だな。
会議室の雰囲気は、さっきまでの重さから一転、奇妙な熱気に包まれていた。
ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯は、「コンペで勝つには?」を真剣な顔で議論している。
「我が家の強みは主砲火力だ。数値として分かりやすい」
「うちは耐久性で行く。『絶対沈まない艦』として印象を固める」
「いっそ、低価格量産機路線も良い。貧しい伯爵家や子爵家でも導入しやすいモデルにすれば、影響力が広がる」
完全にノってきている。
この二人をここまで本気にさせてしまえば、あとは勢いで制度が動く。
椅子の背にもたれ、深く息を吐いた。
「よし。『ブランド化とコンペ制度』は、この方向でまとめよう。細かい規則案の整備は、ロイエンタールとアナ、それからレンネンカンプに――」
そこで少し声を張る。
「――盛大に丸投げする!」
「堂々と宣言なさらないでください、アル様」
アナが呆れ声を上げた。
ただ、口元はほんの少し笑っている。
絶対にこういうカオスが嫌いじゃない。
ミッターマイヤーが、遠慮がちに手を挙げる。
「閣下、お願いが一つあります」
「言ってみろ、疾風ウォルフ」
「コンペの採点に、『整備兵からの聞き取り評価』を入れてください。整備のしやすさや故障率は、実戦での強さに直結します。そこを外すと、見栄えだけで中身のない兵器が上位に来てしまいます」
「良案だ」
即答で頷いた。
「前線の評価は、しっかり点数に反映させよう。整備の手間、故障頻度、部品交換の簡単さ。そこが悪いブランドは、どれだけ見た目が豪華でもコンペで公開処刑だ」
「光栄です、閣下」
ミッターマイヤーが、どこか誇らしげに敬礼した。
本当に扱いやすい軍人だ。ボーナスを少し増やしておくべきかもしれない。
◆
「もう一点ある」
その一言で、俺の背筋が自然と伸びる。
リッテンハイム侯フランツだ。あの絶妙に偉そうな姿勢で、資料を指先でトントンと叩きながら、実に真面目な顔をしている。
この男が「もう一点」と言い出したとき、ろくな事態になった試しがない。が、同時に重要な指摘しかしてこないのも事実だ。厄介な高性能機器と同じだな。扱いにコツがいる。
「貴族直轄軍と正規軍の分離は理解した。しかし、統合作戦を行う際、ここまできっちり線を引くと、必ず指揮系統で揉める。『なぜ名門の私が、正規軍のあいつに従わねばならんのか』という話になる」
心の中で静かにうなずいた。
……ごもっともすぎる。
「ファルケンハイン元帥」
リッテンハイム侯の視線が、真正面からこちらを射抜く。
その横で、ブラウンシュヴァイク公も腕を組み、黙ったまま様子をうかがっている。
二人とも、こういう「貴族社会の面倒くさい話」になると、目が冴え渡る。さっきまで兵器コンペで楽しそうに盛り上がっていたおじさんとは別人の集中力だ。
一度軽く息を吸って、いつもより少しだけ丁寧な口調を選んだ。
「承知しました。その懸念は、確かにもっともです。ですので、こう明記しましょう」
端末を操作し、改革案の別ページを呼び出す。
「『統合作戦においては、指揮官には爵位と階級の両面で、参加戦力の中で最上位の者を充てる』と。ただし――」
ここで一拍置いて、二人を見た。
「『前線勤務の経験があること』を、絶対条件とします」
会議室の空気が、少しだけ揺れた。
ブラウンシュヴァイク公が、興味深そうに眉を上げる。
「前線勤務、か」
「はい」
用意しておいた理屈を滑らかに並べた。
「貴族の顔を立てるために、爵位と階級の上下関係は守る。正規軍側も、それを前提に統合作戦の指揮系統を受け入れる。
その代わり、指揮官になりたければ、最低限、一定期間は前線で汗をかく必要がある。机上だけの将軍は、書類の上では偉くても、戦場では口出しさせない」
「ふむ……」
「統合作戦の指揮権は、貴族にとって甘美です。『全軍の指揮官』という肩書きに惹かれて、各家は有望な子弟を前線に送り込みます。
冷遇されている次男、三男にもチャンスが生まれる。『武勲を立てれば、本家を超えられる』わけですからね。
結果として、貴族社会全体の活力が上がります」
そこまで言ってから、心の中でさらに一行書き足す。
ついでに、無能な長男が前線で消えてくれれば、優秀な次男が跡を継げる。家のためにも帝国のためにも良い
口には出さないが、顔に出そうになっていたのかもしれない。
横から、ロイエンタールとアナスタシアの視線が同時に突き刺さる。
いつもなら「またろくでもない事を考えてるな」という冷たい光だが、今日はどこか穏やかだ。
ロイエンタールが、わざとらしく咳払いした。
「……閣下の本音はさておき、その仕組み自体は有効だと考えます。前線で汗をかいた指揮官なら、我々もまだ従う気になれますので」
アナスタシアも、小さな笑みを浮かべたまま囁く。
「このシステムには、適度な腐敗と適度な野心が必要ですからね。アル様の性根には実に適合します」
「褒め言葉として受け取るぞ」
俺が胸を張ると、ミッターマイヤーが苦笑混じりに口を挟んだ。
「貴族の若い方々が前線に出る機会が増えれば、我々としても、彼らに『現場の現実』を叩き込めます。運が悪ければ、砲撃に巻き込まれて――」
「そこまで言うな、疾風」
ロイエンタールが肩を押さえて止める。
お前ら、もう少しオブラートという言葉を学ぼう。
あらためて、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯に向き直った。
「要するに、統合作戦での指揮官は『名門の看板』と『前線経験』の両方を持った人材に限定するわけです。
血筋だけで座る椅子ではなく、実績という背もたれが必要になる。
これなら、貴族のプライドと軍の合理性、両方を守れます」
しばし沈黙。
二人は視線を落とし、資料の該当箇所をゆっくりと読み返した。
最初に顔を上げたのは、ブラウンシュヴァイク公だった。
「……悪くない。我々としても、前線経験のない若造が勝手な命令を出して、艦隊を吹き飛ばされては困る。ブランドイメージの低下につながるからな。前線勤務を条件に加えるなら、名門としての面子も立つ」
リッテンハイム侯も小さく頷いた。
「指揮権を欲しがる家は、まず『前線に出す価値のある人材』を育てねばならぬというわけか。教育熱心な家が増えるな。……弟や従兄弟に出し抜かれぬよう、長男も必死になる」
「教育と競争が勝手に起きる仕組みです。俺がわざわざ『勉強しろ』『訓練しろ』と説教しなくても、椅子さえぶら下げておけば、勝手に走り出します」
口元を少しだけ歪めた。
「もちろん、その過程で何人かは足を滑らせるでしょうが……帝国史の定めということで」
今度はきっちり軽蔑ビームが飛んできた。
さっきまで優しかった眼差しが、一瞬で冷気を帯びる。
だが、もう遅い。口から出た言葉は戻らない。
アナスタシアがため息をつく。
「……せめて、表向きはもう少し言い方を選びましょう。今のは完全に本音でしたね」
「隠したつもりだった」
「隠せていません」
ロイエンタールも肩を揺らす。
「しかし、閣下のその冷徹さがなければ、この改革案はここまで徹底されなかったでしょうな。私情に流された改革など、すぐに骨抜きにされます」
それをフォローと捉えるか追い打ちと捉えるかは、非常に微妙なところだ。
咳払いして、話を続ける。
「統合作戦については、もう一つルールを追加しよう。
指揮系統は上から一本にするが、実務の補佐として『戦術参謀』『政治参謀』『貴族調整参謀』の三系統を配置する」
ミッターマイヤーが首をかしげる。
「貴族調整……ですか」
「そうだ。統合作戦本部には、必ず『貴族様のご機嫌取り担当』を置く。どれだけ戦術的に正しくても、貴族の顔に泥を塗り続ければ、最終的に背中から撃たれる。その役目を、俺たち現場指揮官から切り離す」
ロイエンタールが、わずかに目を細める。
「ということは、その役目を担う者には、かなりの政治的手腕が求められますな。誰か心当たりは」
「……グレイマン閣下あたりに、適任を推薦してもらおう。統帥本部の人間で、貴族社会にも顔が利く連中だ。俺はできればやりたくない。俺がやると喧嘩腰になる未来しか見えん」
アナスタシアが、即座に口を挟む。
「アル様を貴族調整担当にした場合、三日以内に貴族会議が大炎上しますね。やめておきましょう」
「だろうな」
自覚はある。俺の舌は剣並みの殺傷力を持つ。主に自分の今後に対して。
一方で、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯は、この「貴族調整参謀」という言葉に妙な納得を見せていた。
「確かに、名門の顔を立てつつ作戦を動かせる者は、貴重だな」
「そういう役目の者が間にいれば、我々も余計な隊列争いに時間を割かずに済む。前線のことは、前線の者に任せる方がまだ気楽だ」
そう言いつつ、二人ともチラリとこちらを見る。
どうやら俺に対しても一定の信頼を置いてくれているらしい。
……信頼と、管理対象としての興味と、財布としての期待が混ざった視線だけどな。
最後に、さっき端末に打ち込んだ条文案を読み上げた。
「まとめると――
一、兵器の基本規格は統一。勝手な変更は即アウト。
二、品質、デザイン、整備性を競う『帝国軍兵器コンペ』を毎年開催。
三、会場運営や放映権、グッズ販売などの栄誉と利益は、公爵と侯爵に一任。たっぷり稼いでいただく。
四、玩具展開とブランド育成で、子供の頃から家ごとのファンと人材を育てる。
五、安全基準と監査は、レンネンカンプとケスラーが血の涙を流しながら整備する」
「一、貴族直轄軍と正規軍は財源を分けるが、統合作戦時には一本の指揮系統に従う。
二、その統合作戦指揮官は、爵位・階級ともに最上位、かつ前線勤務経験者であること。
三、指揮官の下に『戦術』『政治』『貴族調整』の三系統参謀を配置し、役割を分担する。
四、前線での失敗の責任は、基本的に指揮官が負う。
五、指揮官の椅子が欲しければ、貴族も正規軍も、前線で汗を流してから物を言え」
言い切ってから、わざと少しだけ笑う。
「簡単な算数だ。
『名門』の肩書きだけで椅子を取りに来る貴族は、ここでふるい落とされる。
前線経験と政治力、その両方を揃えた奴だけが、統合作戦の看板を掲げられる」
リッテンハイム侯が、ゆっくりと頷いた。
「我々から見ても、筋は通っている。貴族にだけ特権を与えるのではなく、『前線に立つ責任』という対価を支払わせる形だな」
ブラウンシュヴァイク公も、どこか満足げに言った。
「貴官のやり方は、時に冷徹に過ぎる。だが、論理が通っていれば、我々も反対はしにくい。……よかろう。この指揮系統案、私も支持しよう」
その言葉を聞いて、会議卓の片側から小さな安堵の息が漏れた。
ロイエンタールとミッターマイヤーだ。
二人とも表情は崩していないが、肩の力がほんの少し抜けていた。
アナスタシアが、俺の横でそっと囁く。
「貴族に対して、ここまで条件を飲ませられる人間は、帝国でも数えるほどしかいませんよ」
「それはつまり、俺が有能という評価だな」
「性格が悪い、もセットです」
お約束の追い打ちだ。だが、その目はほんの少し優しい。
……そうか。
この数年で、こいつらも俺の毒に慣れてきたのかもしれない。
露骨な強権ではなく、欲とプライドを計算に組み込んだ仕組み。
そこに、ほんのり人間の情けを混ぜる。
それくらいが、銀河帝国という巨大組織を動かすにはちょうどいい。
会議室の天井をちらりと見上げた。
「よし。これで、『指揮系統のジレンマ』も一応の解決ということでいいか」
ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯が、同時にうなずく。
「よかろう」
「異存はない」
ロイエンタールが小声でささやく。
「……閣下。これでまた一歩、帝国が円滑に回るようになりましたな」
ニヤリと笑って肩をすくめた。
「そうだろう?
その分、俺がサボれる時間も、ほんの少し増える。
帝国の未来のため、俺の昼寝時間のため、引き続き全力で働いてくれ」
ロイエンタールは、呆れたように目を細める。
「結論が台無しです」
アナスタシアも、肩を落としながら微笑んだ。
「でも、アル様らしくてよろしいかと」
……まあ、その歯車を回転させるための潤滑油として、しばらく俺の血と胃が削られるのは、仕方ない。
五年後に堂々と昼寝するための投資だと思えば、安いものだろう。
◆
帝都オーディンのノイエ・サンスーシは、相変わらず無駄に豪華だ。
金ピカの柱、天井画、ふかふかの絨毯。ここだけ別世界だ。俺のデスクの上に積み上がる決裁書類の山も、この空間に飾っておけば芸術品扱いになりそうだが、誰もやってくれない。
今日は軍務尚書として皇帝陛下に改革案の奏上だ。腹の中では「昼寝を増やすための最終調整」なんだが、表向きの名前はもっと立派なものが付いている。「帝国軍運用効率化および財政健全化に関する提言」とかいう、字面だけで眠くなるやつだ。
侍従に案内されて通されたのは、陛下の私室に隣接する控えの間……のはずなのに、入口の前から妙な気配がしていた。
扉が開き、中に入った瞬間、俺は思わず足を止めた。
……は?
皇帝フリードリヒ四世が、窓際のソファでティーカップを片手にくつろいでいる。その隣には、見覚えがありすぎる老人の姿。
グリンメルスハウゼン。
ついこのあいだ「齢も齢ですので」などと言って、さっさと隠居していったはずだ。のはず。なのに。
なんで現役時代よりリラックスした顔で、皇帝の真横に座ってお茶菓子つまんでいるんだ、このじいさん。
「おお、来たか、ファルケンハイン元帥」
陛下が、気さくに手を振る。その仕草も相変わらずだ。
皇帝というより、少し偉い親戚のおじいさんにしか見えない。いや実際、遠い意味では親戚なんだが。
「グリンメルスハウゼンも呼んでおいた。退屈せぬ話し相手でな」
「……やあ、元帥閣下。精が出ますな」
老人は、以前と変わらない柔らかい笑みを浮かべていた。
ただ、目だけは全然笑っていない。相変わらず、薄暗い倉庫の在庫まで一瞬で数えそうな目をしている。
隠居したんじゃなかったのか、この妖怪在庫管理人。なんで皇帝の隣の席が指定席になっているんだ。
俺が内心ツッコミを入れていると、じいさんは懐から小さなメモ束を取り出した。
分厚くもない、ただの紙切れの束に見えるが、嫌な予感しかしない。
「……改革には、反対する貴族も多いでしょう」
老人は、天気の話でもするような穏やかな口調で続けた。
「もし説得にお困りでしたら、ここに主要な諸侯や侯爵家の『弱み』を簡単にまとめておきました。納税状況、裏金の流れ、私生活上の問題点など……必要最低限の、ささやかなものです」
ささやかな、の部分に悪意がにじみ出ている。
そっと差し出されたメモを受け取り、俺は一枚目だけ目を走らせた。
…………
一行目からパンチが重すぎた。
「某公爵家、二重帳簿。裏財務状況はこちら」
二行目「愛人三人を別星系に囲い、子を六人認知せず」
三行目「軍需契約における賄賂のルート。支払記録は以下」
四行目以降も似たような香りしかしない。
……うん。
このメモを片手に各家を訪ねて、にっこり笑ってこう言えばいい。
「協力してくれたら、この紙は燃やしますよ」と。
一瞬で静かになるだろう。
さっき俺が汗水たらして組み上げた「利害調整システム」が、全部いらなくなる程度には。
だからこそ、俺は深く息を吸い込み、そのままメモをじいさんの手に押し戻した。
「いえ、いりません」
「ほう?」
グリンメルスハウゼンの目が、細くなる。陛下も、興味深そうにこちらを見た。
「理由を聞いてもよろしいかな」
「簡単ですよ」
肩をすくめた。
「帝国貴族というのは、広いようで狭い社会です。同じ学校に通って、同じ舞踏会で踊って、同じ親戚の葬式に顔を出す。顔を合わせるたびに『この人、うちの家計簿のコピー持ってるんだよな』と考えるの、嫌になりません?」
メモ束を指で軽くつついた。
「親戚を脅して言うことを聞かせるのは、たしかに手っ取り早いです。でもそれをやった瞬間、『対等な親戚』じゃなくて『いつ背後から刺してくるかわからない怪物』になる。
美しくないです。あと単純に、気まずすぎて社交界に出るのが面倒になる」
本音を言った。恐怖政治を否定する高尚な理念で動いているわけではない。
日々の生活がギスギスするのが嫌だという、ごく個人的な事情だ。
「俺のやり方は違います。弱みではなく『得』を提示する。協力してくれたら儲かるし、領地も潤うし、陛下から褒められる。何もしなければ、今まで通りのしょっぱい生活。
それだけで十分です」
俺は、あえて笑ってみせた。
「金と名誉で動くのが帝国貴族です。なら、その二つを山ほど用意して、笑顔で首輪をつけた方が早い。脅すより、餌で釣り上げた方が、あとが楽なんです」
言い終わると、部屋の空気が少し変わった気がした。
陛下とじいさんが、同時に視線を交わす。
それから、どこか柔らかい表情で、こちらを見た。
「……うむ」
フリードリヒ四世が、ティーカップをソーサーに戻し、ゆっくりと頷く。
「それでこそ、だ。余は陰湿なのは好かん。スキャンダルの束で貴族を縛る統帥など、見ていて退屈だ」
グリンメルスハウゼンも、細い目をさらに細めた。
「合格ですな、元帥閣下」
「え、試験だったんですか、今の?」
思わず素で返してしまった俺に、老人は悪戯っぽい笑みを向ける。
「強大な権限を手にした人物が、まず手を伸ばすのが『恐怖』か『利害』か。それを確認するのは、老いぼれの最後の仕事でしてな」
「性格の悪いテストですね」
「お褒めにあずかり光栄です」
こいつ、やっぱり妖怪だ。さっきまで穏やかな好々爺の顔をしていたくせに、やっていることが完全に情報屋だ。
そこへ、ノックもなにもなく、もう一人の爺さんの名前が会話に上がった。
「ところで、国務尚書の意見も聞いておこうと思ったのだがな」
皇帝がふと視線を上げる。
「リヒテンラーデは『前例がない』と延々と反対しておった」
「でしょうね」
リヒテンラーデのじいさんが新しい制度を好んで採用した場面を、俺は一度も見たことがない。
「あれは過去の判例にそぐわぬ」「これは前例が」しか言わない専用自動人形だ。
「だが、余は退屈な話より、若い者の夢が見たい」
陛下は、そこでにやりと笑った。
「夢を見るには多少の無茶が必要だ。貴様の案は、充分に無茶で、充分に面白い。帝国の将来を見てみたい。……ゆえに、採用だ」
さらっと、とんでもないことを言い放つ。
この人、気分屋に見えて、時々すごく本質的なことを言うから扱いに困る。
「ありがたき幸せに存じます」
慌てて跪き、頭を下げた。
内心では「よし、これであと数年頑張れば昼寝放題だ」と皮算用している。
奏上を終え、退出の許しを得て部屋を出る直前、グリンメルスハウゼンがもう一度声をかけてきた。
「ファルケンハイン元帥」
「はい?」
「弱みのメモは、燃やしておきましょう。不要な火種は、少ないに越したことはない」
「お願いします。ああいう紙束を机の引き出しに入れておくと、うっかり酒の席で落としそうで怖いので」
「……そういう意味でも、やはり合格ですな」
本当に何の試験なんだ。軽く会釈し、部屋を後にした。
廊下の向こうで、アナスタシアが待っていた。
きっちり軍服姿、表情はいつも通りの冷静モードだが、わずかに目尻がゆるんでいる。
「お帰りなさいませ、アル様。ご審議はいかがでしたか?」
「なんか、じいさん二人に囲まれて、性格診断テストを受けさせられた気分だ。グリンメルスハウゼンのじいさん、まだ現役で陰謀をやっている。怖い」
俺が簡単に事情を説明すると、アナはすぐに納得したように頷いた。
「多分、試されていたのですよ」
「試されていた?」
「ええ。アル様が、その権力を『恐怖』で使うのか、それとも『利害と調和』で使うのか。もしあそこで弱みリストを受け取っていれば……陛下はアル様を、潜在的な脅威として扱ったでしょうね」
背中を冷たい汗がすうっと伝う。
「勘弁してくれ。俺、ただ単に『あんなもの使ったら親戚付き合いがギスギスする』としか考えていなかったぞ。『あの人、うちの脱税ルート全部知ってる』と考えながら晩餐会に出るの、胃が痛いだろう」
アナスタシアはくすっと笑った。
「その俗っぽさこそが、アル様の最強の武器です。『自分が気持ちよく昼寝するためには、周囲がほどほどに平和でなければならない』という発想は、結果として帝国全体の安定につながりますから」
「俺の昼寝欲が、帝国の礎になっているのか。なんだか複雑だな」
「でも、誰も困りませんよ。困るのは、搾取だけして何もしない方々くらいです」
「それは……まあ、困ってもらって構わない連中だな」
俺が肩を回しながら歩き出すと、アナが横に並んだ。
「では、戻りましょうか。『最強の帝国』を作るために」
「うん、そうだな。戻って、書類を山ほど片付けて、会議に出て、また新しい規則を作って……よし」
一瞬だけ気合を入れる。二秒後には、溜息に変わった。
「やっぱり今日は帰って寝たい」
「ダメです」
即答だった。間髪入れず、きっぱりと、なんのためらいもなく。
「今、元帥府の机の上には、アル様の決裁待ち書類が八百七十四件あります」
「具体的な数字はやめろ。現実を見せるな」
「さらに、今回の改革を受けて各方面から上がってくる質問状と陳情書が、すでに百件以上届いています。さっさと片付けて帝国を安定させれば、そのぶんアル様の昼寝時間が増えますよ?」
「くっ……。俺の弱点を、完全に握ってやがる……」
「ええ、婚約者ですから」
アナスタシアは、ごく自然にそう言って微笑んだ。
その一言で、さっき皇帝の部屋で受けた心理テストよりよほど強いダメージを受けた気がする。
「……わかったよ。働く。働きます。俺が自分の午後の睡眠時間を守るために、全力で帝国を黄金時代にしてやる」
「それでこそ、アル様です」
そう言ってアナが歩調を速める。俺も渋々、その背中を追った。
こうして、俺の「サボるための改革案」は、皇帝の承認を得て正式に動き出した。
恐怖ではなく、利害と面倒くささの回避欲求で動く帝国。
きっとどこかの歴史家が後にこう書くのだろう。
「帝国の黄金時代は、一人の元帥の昼寝願望から始まった」と。
……まあ、その頃には俺は、ハンモックの上で優雅に熟睡している予定だがな。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回はシリーズでもっとも政治色が強い回でしたが、
読者の皆さまには 「アルという人物の本質」 を
より深く感じていただけたら幸いです。
──恐怖ではなく、利害で動かす。
──脅迫ではなく、面倒の回避で調和させる。
──そして、最終目標は昼寝。
この矛盾の塊のような人物が、どこまで帝国を変えられるのか。
どこまで自分の生活を快適にできるのか。
どこまでアナに管理されるのか。
そのあたりも含めて(笑)
ぜひ皆さまの感想をお聞かせください。
この物語はどこまで続けますか?
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原作開始(アスターテ)まで
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リップシュタット戦役まで
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宇宙統一まで
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原作終了まで