銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
どうなるのか――。
本作は、そんな作者の悪ふざ…いえ、実験精神から始まりました。
アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン。
彼は決して英雄ではなく、天才でもなく、ましてや清廉潔白でもありません。
……にもかかわらず、気づけば銀河を動かし、門閥貴族をまとめ、
そしてなぜかロリコン疑惑まで背負う羽目になった男です。
読者の皆さまには、彼の苦悩と誤解と奮闘を、
どうか温かい目で、時々は腹を抱えて笑いながら見守っていただければ幸いです。
帝都オーディンの空は今日もどんよりしているのに、元帥府の窓から見える景色だけは、やたらと晴れやかに見える。理由は単純、俺の仕事がひとつ減ったからだ。
貴族直轄軍制度、稼働開始。
結果、辺境で暴れていた海賊どもは、今や貴族の餌だ。勲章と報奨金のにおいをかぎつけた領主たちが、こぞって私兵を「領内防衛軍」として再編し、海賊狩りに駆り出している。
窓の向こうに並ぶ報告ホログラムを眺めながら、俺はソファに深く沈み込んだ。
「……ふむ。俺の帝国自動運転化計画、順調だな」
つぶやくと、背後の机からアナが顔を上げた。
トマホークの代わりにペンを構えているが、目の鋭さは戦場仕様のまま。
「はい。海賊討伐件数、前年度比で二百パーセント増です。特に、貴族直轄軍の参加率が高い星域ほど、治安の回復が顕著です」
「だろうな。金と勲章をぶら下げれば、貴族は全力で走る。便利な連中だ」
報告ホログラムには、各領地の成果がきれいにグラフ化されている。
「討伐数」「拿捕艦数」「被害額減少率」、その横に並ぶ「授与勲章候補」「追加補助金額」……眺めているだけで、帝国全体の財布が太っていくのが分かる。
で、その下に小さく表示されているのが「戦死貴族一覧」だ。馬鹿の墓場コーナー。
「……アナ。この『フレーゲル領臨時艦隊』の報告書、なんだ」
「ご覧になりますか?」
アナが指先で空中のウィンドウを開く。そこに映った作戦記録は、予想通り惨憺たる内容だった。
『敵海賊艦隊、戦力推定八隻。我が軍、旗艦一隻。』
開幕からイラッとする。
「なぜ八対一なんだ」
「フレーゲル男爵が、『高貴なる我が剣に、下等な海賊ごとき敵ではない。旗艦同士の一騎打ちで名誉ある勝利を収める』と宣言なさったそうです」
「一騎打ちで勝てるなら、俺がトマホーク一本で銀河統一している。どうなった」
アナは淡々とスクロールする。
「敵海賊、集中砲火。フレーゲル艦、エンジン部被弾により行動不能。救援に入った配下の小艦隊も巻き添えで中破。最終的には、近隣のファーレンハイト艦隊が救出に向かい、敵を殲滅したとのことです」
「……フレーゲル、生きてるのか」
「一応、生存されています。現在は戦傷療養名目で本星に引きこもり中です」
「『名目』って言ったな今」
「はい。周囲の証言によると、療養の半分以上は自尊心の修復に費やされているそうです」
それは医療技術でも治らない類いの傷だろう。
別のホログラムがポップアップした。そこには、同じような赤い警告マークが並んでいる。
「こちらはヒルデスハイム辺境伯領軍です。『敵の挑発に乗り、旗艦を先頭に突撃』と」
「またか。貴族の辞書から『陣形』という単語が消えているのか」
「どうやら、『先頭に立てば格好いい』という認識が強いようです。残念ながら、敵のレーザーは見た目に関しては遠慮してくれませんでした」
「生存率は?」
「フレーゲル殿よりはマシな程度で」
深く溜息をついた。
「……まあ、想定の範囲内だな。あいつらにいきなり機動戦をさせた俺も悪い」
「そのかわり、成功例も多数あります」
そこでロイエンタールが、壁際の端末から会話に入ってきた。
さっきまで黙々と書類を片付けていたくせに、こういう話題になるとすぐ参加してくる。
「特に顕著なのが、このファーレンハイト艦隊です」
ロイエンタールが軽く指を弾くと、戦術データが拡大表示された。
矢印と赤い×印が、きれいな流れを描いている。
「海賊艦隊の後背を突く迂回機動、退路を断つ布陣、投降勧告後の迅速な拿捕。教範に載せてもいいくらい整った作戦です」
「ふむ……」
身を乗り出して、詳細なログに目を通した。
通信ログの短い指示文、そのタイミング、砲撃開始から収束までの時間。
「言葉遣いは鼻につくが、命令文の切れ味は悪くないな。損害は?」
「味方艦艇、軽微な損傷のみ。死傷者ゼロ。敵は全艦拿捕または撃沈。そのうち拿捕艦は七割以上、生きたまま鹵獲に成功しています」
「ほう。金の匂いがするな」
海賊艦を丸ごと拿捕できれば、船体も兵器もそのまま再利用できる。
解体して資源として売り払ってもいい。
どちらにせよ、領主の懐には太い収入が転がり込む。
「その後、ファーレンハイトは?」
ロイエンタールの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「他の貴族から引っ張りだこです。『うちの馬鹿息子に艦隊運用を教えてくれ』と頼まれ、臨時の軍事顧問を兼任しているとか」
アナが補足する。
「実力を認められた士官には、自然と仕事が集まる。制度が働いている証拠ですね」
「そういうことだ」
満足げに頷いた。
「もともと、貴族は教育だけは山ほど受けている。基礎知識と環境さえ与えてやれば、その中からまともなのが数人は出てくる。問題は、今までその数人が埋もれていたことだ」
書類の束から、ファーレンハイトの評価レポートを引き抜く。
「計画性」「部下掌握」「補給意識」「現場情報の吸い上げ」、どれも高得点だ。
「……気に入った。こいつ、そのうち前線の独立艦隊に引き抜こう」
「また人材強奪ですか、閣下」
ロイエンタールが苦笑する。アナも、少し困ったような、しかし誇らしげな表情を浮かべる。
「それが嫌なら、最初から帝国全域の人事権を俺に寄越せと言いたい」
「それはさすがに、陛下のお手元から権限を奪いすぎです」
「だから言ってないだろう。心の中でだけだ」
ついでに、フレーゲルとヒルデスハイムの評価レポートも表示させた。
こっちはひどい。
「『敵を侮り、危険な突出を繰り返す傾向あり』『戦略より自己顕示を優先』『旗艦を装飾過多にする癖があり、カラーリングが視認されやすい』……」
思わず吹き出した。
「カラーリングってなんだ。戦場であんな目立つ色に塗るなと言ったのに」
「『黄金の獅子のごとく、敵に畏怖を与える』のが意図だったそうです」
アナが淡々と説明する。
ロイエンタールが肩をすくめた。
「実際に畏怖していたのは、横で見ていた味方の士官たちでしょうな。『あそこまで派手だと、むしろ狙われる』と」
「そしてその不安は、見事現実になった」
別ウィンドウの戦闘ログを開く。
敵の攻撃ログのところに、赤字で注釈が踊っている。
『敵旗艦、異常に目立つ塗装のため優先目標に指定』
「自業自得にもほどがある。あいつら、いっそ社交界でクラブでも開いていれば平和に暮らせたのに」
「ですが、アル様」
アナがゆっくりと首を振った。
「そういう方々が失敗するからこそ、ファーレンハイトのような人物が浮かび上がるのです。愚かな例と、成功例。両方揃って、初めて制度が機能していると評価できます」
「つまり、馬鹿の犠牲は必要経費か」
「はい。帝国規模の実験台とお考えください」
ロイエンタールが、少しだけ感心したような目で俺を見る。
「しかし閣下、本当に感心しますよ。彼らが金と名誉目当てで動いているだけなのに、その結果が帝国全体の治安向上と軍備増強につながっている」
「人間の欲望を否定しないことだ。俺もそうだが、楽して金を稼ぎ、昼寝して過ごしたい。それを正直に認めたうえで、『じゃあ、その欲望を国家の役に立つ形で燃やしてもらおう』と考えればいい」
アナがくすっと笑った。
「やはり恐ろしい方です。自分の怠惰まで、ちゃんと国家戦略に組み込んでいるのですから」
「褒めてるのか、それ」
「もちろんです」
アナは、楽しそうに微笑んだまま、手元の端末を操作した。
俺の前のテーブルに、また新しい報告ウィンドウがぽんぽんと出現する。
「さて、ではそんなアル様の名誉のために、もう一つ良いニュースを。多くの貴族が、アル様の改革を『我が家に利益をもたらした史上最高の制度』と評価し、元帥府に謝意を送ってきています」
「お、それはいい」
「内容の半分は、『もっと補助金を増やしてほしい』という要望書ですが」
「やっぱりハイエナだな、全員」
そう言いつつ、口元がゆるむのを自覚する。
金欲しさでもいい。
どうせ税金はきちんと払わせる。
領地が豊かになれば、帝国の税収も増える。
俺の昼寝時間も増える。
すべては連動している。完璧な方程式だ。
「そう考えると、優秀なハイエナは大歓迎だな」
窓の外の宇宙港で、貴族の紋章を掲げた新造戦艦がゆっくりと浮上していく。
艦首には、でかでかとブランド名がペイントされている。
『ファーレンハイト・モデル・第一号』
「ほら、見ろ。自分の名前を貼り付けた船が、敵をぼこぼこにして帰ってきたら、あいつは生涯あのブランドを磨き続ける。俺は何もせず、勝手に武器の質が上がる。最高じゃないか」
ロイエンタールが、窓の外の艦を眺めながら小さく笑う。
「そういう意味では、閣下は帝国一のハイエナ育成家ということになりますな」
「言い方が悪い」
「でも事実です」
アナが横から追い打ちをかけてきた。
「アル様の撒いた餌で、銀河中のハイエナが走り回っているのですよ。しかも、アル様のために」
「昼寝のためにな」
俺は、ソファの背にもたれかかった。
背中に沈み込むクッションが、妙に心地いい。
「よし。結論として、ファーレンハイトは『優秀なハイエナ第一号』として表彰しておけ。ついでに、今後の人事候補リストに入れておくように。将来的には、俺の艦隊の一角を任せる」
「承知しました。すでに候補リストに追加済みです」
アナが一歩先を行っていた。
相変わらず、俺の考えを読むのが早すぎる。
「そしてフレーゲルとヒルデスハイムは?」
ロイエンタールが事務的な声で尋ねる。
俺は少しだけ考え、あっさり答えた。
「反面教師として教材にしろ。士官学校で『やってはいけない指揮』の実例講義に使え。
あいつらの作戦ログ、全部教材用フォルダに回せ」
アナがうなずいた。
「すでにカリキュラム案を作成中です。タイトルは『名門貴族の華麗な自滅』でよろしいでしょうか?」
「センスが黒いぞ」
「アル様の婚約者ですから」
そんな会話をしているうちに、窓の外の戦艦がゆっくりと視界から消えていく。
新しい秩序、新しい戦場、新しい金の流れ。
そのどれもが、俺の昼寝というちっぽけな願望から始まっていると思うと、笑うしかない。
「……よし。今日のところは満足した。アナ、午後の会議を二つほどキャンセルして、俺のスケジュールに『戦略的休憩時間』を入れてくれ」
「内容は『ソファでのうたた寝』ですね?」
「そう、それ」
「却下です」
即答。容赦ゼロ。
俺の夢の午後が、秒で撃墜された。
「なぜだ!」
「今週はまだ、決裁すべき案件が山のように残っています。この制度を軌道に乗せるまでは、アル様には『優秀なハイエナの飼育係』として働いていただきます」
「俺、元帥なんだけど」
「元帥だからです」
さらりと返されて、言葉が詰まる。
論理がおかしいはずなのに、妙に納得してしまう自分が悔しい。
俺は天井を仰いで、深く息を吐いた。
「……わかった。働く。働いて、働いて、全員に仕事を押し付けて、最後には絶対に昼寝王になる」
「はい、その日までお付き合いします」
アナの穏やかな声が、さっきまでより少し近くに聞こえた。
気づけば、いつの間にか彼女はソファの背にもたれた俺のすぐ横まで来ていて、さりげなく書類束を膝の上に置いている。
「まずは、この三百件からですね。アル様」
「数字を言うなあああああああああ!」
◆
ノイエ・サンスーシ宮殿へ向かう専用リムジンの中で、俺は襟元を直しながら深く息を吐いた。
今日の呼び出しは不穏な匂いしかしない。ロイエンタールが「粛清の時間」などと縁起でもないことを言ったせいで、心拍数が無駄に上がっている。健康診断表に載せたら担当医が首をかしげるレベルだ。
「やめろロイエンタール。今からでも撤回してくれ。『陛下はきっと褒めてくださいますよ』くらい言え」
「申し訳ないですが、現状を見る限り楽観視は困難ですな」
隣の席で、ロイエンタールがいつもの涼しい顔で爆弾発言を続ける。内容だけ聴くと遺書の前口上だ。
「最近の改革は、どれも既得権益を揺さぶっています。しかも速度が速い。危機感を抱いた貴族が、『陛下の権威をお守りするため』などという名目で、閣下の排除を進言している可能性があります」
「そういうことは、改革を始める前に言え。全部やり終わってから言われても手遅れだ」
「当時は、ここまで大胆な内容になると思いませんでしたので」
真顔で平然と失礼な評価をするな。
正面の席では、アナが膝の上に分解したブラスターを並べている。
油を差し、スライドの滑りを確認し、エネルギーパックの残量をチェック。
どう見ても、恋人の安全な送迎というより暗殺任務前の準備だ。
「アナ、その武装は何のためだ。宮殿の警備は近衛兵が担当する」
「その近衛兵からアル様を守るためです」
「物騒なことをサラッと言うな。皇帝近衛兵を敵認定するのはやめろ」
「陛下ご本人がアル様の命を狙うなら、宮殿ごと排除する必要があります」
即答。しかも微笑顔。
思わず車内の非常ボタンを探しそうになった。
「やめろ、巻き込む方向で考えるな。宮殿を吹き飛ばした瞬間、反逆罪の主犯にされるのは俺だぞ。『ファルケンハイン元帥、愛人の暴走により陛下爆散』とか、後世に残したくない」
「ご安心を。爆破ではなく、軌道上からの精密射撃にします」
「手段の問題じゃない」
頭が痛くなってきた。
この女、本気を出せば大抵の作戦を実行できるからタチが悪い。
そんな不穏な会話を続けているうちに、ノイエ・サンスーシが視界に入ってきた。
いつ見ても無駄に豪華な建物だ。金箔と大理石と天井画を詰め込んで、「ここに予算を流しました」と自己申告している巨大建造物という印象だけが残る。
車はゆっくりと停車し、従者が恭しくドアを開ける。
覚悟を固めて外に出た。背中にはロイエンタール、少し後ろには、ブラスターを丁寧にホルスターへ納めたアナ。
あれだけ調整しておいて、しっかり携帯しているあたり逃げる気はゼロだ。
「アル様。もしもの時は――」
「『もしも』を増やすな。今日は笑顔で帰る。これは元帥命令だ。いいな」
「……了解しました。できる範囲で善処します」
全然安心できない返事だ。
俺たちは案内役の従者の後について宮殿の内部を進んでいく。
通されたのは、陛下の私室に隣接する小広間。
ここに呼ばれた時点で、もう普通の用件ではない。
謁見室なら儀礼の範囲だが、私室横は本気の相談か、本気の処刑宣告かのどちらかだ。
扉が静かに開き、俺は姿勢を正して中に入る。
フリードリヒ四世は、窓際のソファに腰掛け、いかにも機嫌の良さそうな笑顔でこちらを見ていた。
その隣には、やっぱりグリンメルスハウゼンの爺さん。
茶菓子付きで当然のように鎮座している。
引退したはずなのに、なぜか仕事量が増えていそうな顔だ。
「来たか、ファルケンハイン元帥」
陛下が楽しげに声をかける。
その笑みが眩しすぎて、逆に恐怖感が増す。
「お呼びにより参上いたしました、陛下」
形式通りに跪き、胸に手を当てて礼を取る。
背後から、ロイエンタールの張り詰めた空気と、アナの静かな殺気が伝わってくるが、あえて無視。
ここで余計な動きをすれば、本当に誰か撃ちかねない。
「良い顔になったな、元帥。今日は良い話だ」
その一言で、心臓が妙な跳ね方をした。
経験則から言うと、「良い話」という前置きで本当に良かった経験は驚くほど少ない。
たいてい、何かの地獄コース開幕宣言だ。
「は、はあ……恐悦至極に存じます」
「単刀直入に言おう」
陛下は軽く顎を上げ、さらりと言った。
「エリザベートとサビーネとの婚約を、今すぐ公表しろ」
「…………」
頭の中で何かがフリーズした。
次の瞬間、意味だけが遅れて流れ込んでくる。
「い、いえ、陛下。その件は、まだ正式な形にはなっておりませんでして、各家との調整も、こう、段階的に――」
自分の舌が滑り始める気配を察知して、慌てて口をつぐむ。
これ以上しゃべると、墓穴を掘るだけだ。
「何を言っておる」
陛下が心底不思議そうに首を傾げた。
「そなたの提出した改革案を最後まで読めば、誰でもそう理解する。ゴールデンバウム王朝の二大門閥を完全に味方へ引き入れる構想だろう。ならば、その象徴として婚約を公表するのは当然ではないか」
横で、グリンメルスハウゼンが楽しげに頷いている。
あの顔は絶対に何か知っている顔だ。
「計画通り」と額に刻印されている気がする。
「……しかし、サビーネ令嬢はまだ年若く――」
「何か問題があるのか」
即座に返されて、言葉に詰まる。
「あの、その、倫理というか情緒というか、世間の視線がですね――」
「そなた、自分でこう書いている」
陛下がホログラムの一文を指差す。
『※二大門閥との縁戚関係を早期に既成事実化し、利害共同体として固定すること』
やめてくれ。
過去の俺、後先考えずにメモを書くな。
今の俺にクリティカルヒットしている。
「さらに」
グリンメルスハウゼンが一歩前に出た。
「二大門閥は、長期にわたる派閥争いと浪費で疲弊しています。そこへ若く有能な元帥が娘婿として入り、領地経営と軍政に関わる。これほど安心できる材料はありません」
「理屈は理解する。理解だけはな」
「加えて申し上げると、ご令嬢方も前向きですぞ」
「は?」
また変な声が出た。
「サビーネ殿は、以前から『伏龍のお兄様のお嫁さんになる』と毎日のように侯爵へ訴えておられる。エリザベート殿は、アナスタシア殿と同じ家に入れる日を心待ちにしている」
脳裏に、金髪の少女と栗色の髪の少女が浮かぶ。
両側から「お兄様」「お姉様」と呼びながら駆け寄ってくる光景が、スローモーションで再生される。
その真ん中、微妙に所在なさげに直立している俺。
背中には責任と書類と婚約契約書の束。
完全に「間に挟まるクッション」だ。
「しかし陛下、私は……まずアナスタシアと、正式な順序を踏んでから――」
「順序なら、そなた自身がすでに崩しておる」
陛下の視線が、俺の左手に落ちた。そこには、先日アナに装着された指輪が光っている。
「ファルケンハイン元帥。家宰に指輪をはめさせておいて『順序を守りたい』とは、説得力に欠けるな」
「これは、その、状況の勢いで……」
振り返ると、アナが淡々と頭を下げた。
「陛下のご理解に感謝いたします。婚約発表に関しては、既に実務面の準備を整えております」
「お前もグルだったのか!」
叫ぶと、グリンメルスハウゼンまで楽しそうに笑う。
「若者は、時として背中を押してやらねば前に進みません。特に、仕事は速いのに結婚は遅い方の場合は」
「誰が結婚だけ遅い男だ」
「アル様です」
アナと爺さんと陛下、三方向から同じ評価を受ける。
この包囲殲滅陣はひどい。
「……つまり、こういう構図というわけですね」
ロイエンタールが冷静に状況整理に入る。
「閣下の改革を安定させるため、二大門閥と閣下、そして皇帝陛下が婚姻関係を通じて一体化する。その象徴が、この三重婚約であると」
「要約するな。逃げ道がゼロであることがくっきりするだろ」
陛下が満足そうに頷いた。
「その通りだ。そなたの構想の中心には、常に『利害の共有』という発想がある。ならば、そなた自身が最大の共有点になればよい。二大門閥、皇室、元帥府。この三つが一つの家族となれば、誰も軽率な裏切りは考えられぬ」
「裏切った瞬間、本人より先に親族一同から詰められますね」
アナが淡々と補足する。
「親族会議がそのまま安全保障会議です。情緒の負担は大きいですが、政治構造としては合理的です」
「情緒の負担の部分は、全部俺が受け止める形になっているがな」
天井を仰いだ。側室一人どころか、最初から三人セット。
うち二人は門閥貴族の令嬢、もう一人は家宰兼参謀兼婚約者。
どこを向いてもヘビー級。
「……最後に一つだけ確認したいことがあります」
「申せ」
「この三名との婚約を正式に公表した場合、帝国法上、私は何かしら罪に問われたりしませんか。重婚予備軍とか、倫理条項違反とか」
「心配性だな」
陛下は豪快に笑った。
「皇帝が許可を出している。そなたの婚約は、帝国の安定に資する国家事業だ。処罰などありえぬ。むしろ、楽師たちが勝手に美談として歌い上げるだろう」
「歌にされるのは、さすがに少し気恥ずかしい」
「安心せよ。楽師ほど勝手に盛る連中もおらん」
安心材料にならない。
だが、ここで首を縦に振らない選択肢もない。
「……承知いたしました。アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン、この身と……ついでに残っているわずかな節操も含めて、帝国のために差し出す覚悟を固めます」
「節操は最初から薄めだったと思いますが」
背後からアナの冷静な感想が飛んできた。
「聞こえているぞ」
「聞こえるように申しました」
俺が肩を落とすと、陛下が立ち上がり、軽く手を振る。
「ではさっそく記者会見の準備を進めよう。帝国軍報道局にはすでに通達してある」
「仕事が速い。俺に決断権があった気がしない」
「そなたが迷う時間を見越して、先に指示しておいた」
やはりジジイ連合、抜かりがない。
数時間後。
帝国軍報道局のメインスタジオで、俺は照明に照らされていた。
正面にはホログラム・カメラの群れ、左右には山ほどの記者。
背後には、正装に身を包んだサビーネ、エリザベート、アナの三人が並ぶ。
「……ごほん」
軽く咳払いをして、マイクの前に立つ。
元帥服の襟がやけに硬い。息苦しさは緊張のせいか、未来の生活への不安のせいか。
「本日、帝国軍宇宙艦隊司令長官兼軍務尚書、アルブレヒト・フォン・ファルケンハインは――」
自分の肩書を読み上げながら、心の中のもう一人の俺がぼやく。
本当は、どこかの片田舎でアナと二人、書類の少ない生活を送る予定だった。昼寝用のソファと、静かな庭と、たまの視察だけで十分な人生のはずだった。
「――リッテンハイム侯爵令嬢サビーネ殿、ブラウンシュヴァイク公爵令嬢エリザベート殿、ならびに我が家宰アナスタシア・ヴァン・ホーテン上級大将と、三名同時に婚約することとなった」
一瞬の静寂。
その後、会場は爆発でも起きたかのようなざわめきに包まれた。
ホログラムのフラッシュが一斉に光り、質問が渦を巻く。
「ご関係の形態は――」
「序列は――」
「寝室の――」
「今、過激な質問をした記者は、後で別室へご案内しろ」
思わず口から出た一言に、どっと笑いが起こる。
横でアナが上品に笑みを浮かべているが、目が笑っていない。
「本当に連行しますけれど?」という圧が視線からにじんでいる。
「ええと、とにかく」
両手を軽く広げて、会場全体を見回した。
「これは単なる私事ではない。皇帝陛下のご意志のもと、帝国の安定と発展を願う結びつきだ。我がファルケンハイン家は、この三家と共に、銀河帝国の未来に責任を負う覚悟である」
自分で口にしながら、心の中で別の本音が顔を出す。
俺の睡眠時間と心の平穏も、誰かに補償してほしい
◆
俺のあだ名が増えた。
いや、増えること自体は別にいい。
「門閥貴族を一つにまとめた若き英雄」とか、「裏皇帝」とか、その辺はまだ許容範囲だ。
問題は、その後ろにくっついている余計なワードである。
――ロリコン。
誰だ命名したのは。名乗り出ろ。今すぐ出てこい。説教してから抱きしめて泣きついてやる。
元帥府の執務室。
今日も机の上には書類の山、ソファの上には俺。
いつものように「あと三枚片付いたら休憩」と自分に甘いノルマを課していたところに、扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞー!…って言う前に入ってくるのやめろ」
扉が開くと同時に、黒髪と金髪が視界に飛び込んでくる。
ロイエンタールとミッターマイヤー。俺の両翼、そして最近のあだ名事情の主犯格である可能性が非常に高い二人だ。
「閣下。少しお時間よろしいでしょうか」
ロイエンタールが丁寧な口調で切り出し、隣でミッターマイヤーが柔らかい笑顔を浮かべる。
このコンビが並ぶと、普通なら「有能な部下に慕われる上司」の図に見える。
今日の俺には「笑いを堪えている犯人グループの代表者」にしか見えない。
「ちょうどいい。座れ」
二人をソファに座らせ、自分は机の前にどっかり腰を下ろした。
威厳を演出するには、まず座高の高さからだ。
「で、用件は何だ。悪い報告なら先に聞いておく。ロリコンの件はあとで片付ける」
二人の肩が、ぴくっと同時に跳ねた。
「……ロリコン、ですか」
ロイエンタールが低く復唱し、ミッターマイヤーがえらく苦しそうに口元を押さえる。
「おい、今『吹き出すのギリギリです』という顔をしているぞ、疾風ウォルフ。笑ったら階級を一個下げる。ブロンズ・ウルフにする」
「そ、それだけは勘弁してください」
「なら笑うな」
「努めます」
全然自信のない返事だ。
「最近な」
机の端を指で軽く叩きながら、わざとゆっくり話し始める。
「廊下を歩いていると、兵たちが俺を見てヒソヒソやる。『門閥をまとめたお方だ』まではまだ良い。問題はその後、やたらと小声になる部分だ。お前ら、耳が良いから聞こえてるよな?」
二人が気まずそうに視線をそらした。
答え合わせ終了である。
「で。確認したい。あの妙なうわさを最初に言い出したのは誰なのか。自主申告すれば、せいぜい残業三百時間で許してやる」
「死ぬ量ですよ、それは」
ミッターマイヤーが即座にツッコミを入れる。
こいつ、最近だいぶ遠慮がなくなってきた。
「では、閣下」
ロイエンタールが、笑いを飲み込みながら真面目な表情を作る。
「正直に申し上げますと……発生源は不明です。ただ、最初期の噂では『リッテンハイム侯爵令嬢に甘い笑顔を向けていた』という目撃情報が中心でした」
「俺が笑顔を向けたら即ロリコン認定なのか。じゃあ今後は眉間に皺を寄せて唸っていればいいのか」
「それはそれで、別の属性を新規獲得なさる危険があります」
「どういう属性だ」
「ご想像にお任せします」
こいつ、絶対楽しんでいる。
真顔なだけで精神は完全にエンタメ側だ。
「言っとくぞ。俺はな」
机をばんと叩き、執務室の空気をピンと張りつめさせる。
「年齢に関係なく、可愛い者は可愛いと言う。それだけだ。愛でる対象と婚姻対象は別枠だ。サビーネとエリザベートは、政治的事情で婚約者になったが、俺の中の分類ではいまだに『可愛い保護対象』だ。ここ重要だから期末テストに出す」
「ですが閣下」
ミッターマイヤーが、とうとう肩を震わせながら口を開く。
「公の場でサビーネ様の頭を撫でながら『よしよし、宿題はちゃんとやったか』とおっしゃっていたのを見た者が多数おりまして」
「伯父か父親を目指している。夫ではない」
「その弁明が、火に油を注いでおります」
ぐうの音も出ない。
自分でも若干そう思うから余計に反論しづらい。
「ミュラー!」
最後の希望の名前を呼んだ。
机の隅で書類仕分けをしていた若き副官が、びくっと立ち上がる。
「は、はい、閣下!」
「お前だけはわかっていると言ってくれ。俺がどれほど清廉に、健全な距離を保っているかを」
ミュラーは、少しだけ俺を見つめ、それから視線を逸らした。
「……申し訳ありません。先ほど廊下で、兵たちが『元帥閣下の将来の嫁候補は、平均年齢がやけに低い』と話しておりまして。思い出したら涙が」
「なんで泣く。そこで笑うところだろうが」
「笑うと不敬になる気がして……」
「正しい判断だが、結果として俺の心が傷ついているから無罪にはならん」
俺が頭を抱えてうずくまると、部屋の隅から静かな足音が近づいてきた。
「アル様。お茶のおかわりをお持ちしました」
恐ろしいタイミングでアナが登場する。
銀盆の上には湯気の立つカップ。表情は穏やか。
だが、その目の奥で何かがきらりと光った気がする。
「ちょうど話題にしていたところだ」
涙声で訴える。
「アナ、聞いてくれ。俺の周囲で、理不尽な風評被害が発生している。俺の清く正しい貞操観念に対する、大規模な中傷だ」
「存じております」
即答。
情報共有の早さに、さすがは家宰と感心している場合ではない。
「存じております、とはどういう意味だ。まさかお前まで――」
「いえ、私は一度も閣下をロリコンとお呼びしておりません」
「おお、やっと味方が」
「せいぜい、『年齢層の偏りに特徴のある婚約者選出をなさるお方』と表現しただけです」
「長い。要約して一語にすると、完全にロリコンだろうが」
部屋に再び笑いが広がる。
ロイエンタールとケンプが肩を震わせ、ケスラーが眼鏡を外して目頭を押さえる。
レンネンカンプは真面目な顔を保とうとしているが、口元が微妙に痙攣中だ。
「ちょっと待て。俺は基本的にアナ一筋だ。そこは否定しなくていい」
「承知しております。ただ、結果として十八歳以下の婚約者候補が二名いる事実は変わりません」
「そこを数字で言うな」
「統計ですので」
アナは淡々と告げる。
その冷静さがかえって致命傷になる。
「……リューネブルク」
最後の砦に声をかけた。
部屋の隅で静かに立っていた装甲擲弾兵総監が、一歩前へ出る。
「閣下」
「お前はどう思う。俺が若い婚約者を持つのは、そんなに奇異か。お前の主観でいい」
リューネブルクはしばらく考え込むと、非常に真剣な声で答えた。
「率直に申し上げます。閣下の行動は、全て銀河と帝国のため。しかしながら、サビーネ様とエリザベート様があまりにも愛らしく、無邪気で、守って差し上げたくなる方々である以上」
「そこまでは良い」
「そのような方々と婚約を重ねておられる姿を拝見すると……第三者から『嗜好に誤解が生じても仕方ない』と受け取られる可能性は、否定しきれません」
「お前まで慎重な言い回しで追い打ちをかけるな!」
俺の悲鳴と共に、今度こそ部屋中が爆笑の渦に包まれた。
壁際の護衛兵まで肩を震わせている。
笑うな。そこは笑いをこらえる立場だろう。
「いいか、お前ら」
立ち上がり、両手を腰に当てて全員を睨みつける。
「ハーレム元帥とか、裏皇帝とか、俗物とか、そういうあだ名はまだ受け入れる。俺には心当たりが山ほどある。だがロリコンだけは違う。そこだけは全力で否定しておく」
ロイエンタールが挙手するように片手を上げた。
「確認ですが、閣下。今後サビーネ様が成人なさった後も、頭を撫でたり、抱き上げたりなさるご予定は?」
「当然だ。かわいいもの。いや、待て。今のは撤回だ」
「はい、証言録取完了です」
「やめろ、議事録に残すな!」
アナが咳払いを一つ。
「……では、こういう整理でよろしいでしょうか」
「お前がまとめるのか」
「はい。アル様は『若い令嬢に対しても、父性的な愛情表現を惜しまない、人間的に温かいお方』その結果として、外部からは『若い令嬢に甘い元帥』と認識されている」
「すごく柔らかく包んだが、中身はあまり変わっていない気がする」
「表現は重要です」
アナはにっこりと笑い、盆をテーブルに置いた。
「ご安心ください、アル様。ロリコンではなく、『心の若い育成型元帥』という名称に修正しておきます」
「そんな広報文句を勝手に作るな。どこの育成ゲームだ」
笑いの波が一段落したところで、ミュラーが恐る恐る手を挙げた。
「あの、閣下」
「なんだ。次はどんな追い打ちだ」
「私は……閣下のことを、心から尊敬しております。ロリコン疑惑がどうであれ、命を預ける価値のある上官であると、そう信じております」
部屋の空気が少し変わる。
ロイエンタールも、ミッターマイヤーも、ふっと目を細めた。
アナが俺の横に歩み寄り、静かに肩に手を置く。
「皆、分かっているのですよ。この婚約が、アル様個人の楽しみのためではなく、帝国の将来のためであることを。その上で、からかい半分で冗談を口にしているだけです」
「……分かっているなら、ほどほどにしてくれ」
「ほどほどにします」
即答。
信頼度はあまり高くないが、さっきよりは少しだけマシな気がする。
「まあいい」
深く息を吐き、椅子にもたれかかる。
「ロリコン疑惑は、いずれ自然と消える。サビーネもエリザベートも、そのうち立派なレディになる。そうなれば、誰も何も言わん。それまで俺は、清く正しく健全に、距離感を間違えないように努める」
「はい。私が監視しておきます」
「その言い方やめろ」
再び笑いが起こる。
さっきまで「孤立無援」と叫んでいたはずなのに、気づけば周りは賑やかな顔ぶれで埋まっている。
ロイエンタール、ミッターマイヤー、ケンプ、ケスラー、レンネンカンプ、リューネブルク、ミュラー。
そしてアナ。
全員、好き勝手に笑いながらも、視線の奥には信頼がある。
そのことだけは、さすがの俺でも分かる。
「……仕方ない」
小さく苦笑し、両手を広げた。
「ロリコンでも裏皇帝でも、俗物でもいい。この際、呼びたいように呼べ。その代わり、お前ら全員、俺が昼寝するために死ぬ気で働け」
「「「了解しました、閣下」」」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
アルの改革は進み、誤解は増え、あだ名は増殖し、婚約者は増え…
作者自身が「どこへ向かっているのか」と震えながら書いております。
本作は、読者の皆さまからの感想・お気に入り・評価が
本当に支えになっています。
・キャラの掛け合いの好きなところ
・アルの発言で笑ったところ
・政治制度の感想
・あの場面の続きが読みたい!
何でも構いません。
感想をいただけると、作品の方向性を深める大きな助けになります。
どうか、あなたの一言を、お気軽に届けてくださいね。
そろそろ長期連載になってきたので章ごとに簡単なあらすじ(ネタばれあり)をつけるべき?
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つけるべき
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いらない