銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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銀河英雄伝説の世界では、政治・軍事・貴族社会が常に複雑に絡み合い、
時に戦場以上に血の気の多い闘いが繰り広げられる。

本編では、イゼルローン回廊の緒戦という華々しい戦果の裏側で、
ひっそりと、しかし元帥府の未来を左右する重大な案件が動き出す。

本話は、そんな裏の戦場でアルブレヒトがどう戦い、
どう判断し、どれほど俗物らしく、そしてどれほど残酷に義理を通すか──
その一端を描いた記録である。

読者諸賢よ、どうか軽口の奥に潜む刃を楽しんでいただければ幸いだ。


元帥府秘録:リューネブルク事件とアルブレヒトの俗物的仁義

緒戦の戦果報告を聞き終えた俺は、《ロンゴミニアド》のブリッジをうろうろ歩き回っていた。

 

落ち着きがないと言われればその通りだが、こっちとしては脳みそがまだ戦闘モードから通常運転に切り替わっていないだけだ。

 

いきなり省エネモードに落とすとフリーズする危険がある。俗物なりに繊細なのだ。

 

「ミューゼル艦隊の損害、概算で一千隻前後。中央部、並びにレンネンカンプ艦隊の損失は合計三百隻前後との報告です」

 

オペレーターが淡々と読み上げる。数字だけ見れば、敵前衛を一万隻規模で吹き飛ばした割にこちらの損害は軽微だと言える。だが、艦の数の裏には人間がいる。何千という単位で、さっきまでコーヒーを飲んでいた連中が真空の塵になったわけだ。

 

ラインハルトは前方スクリーンを睨んだまま腕を組み、小さく息を吐いた。

 

「突撃を命じた以上、被害は覚悟していた。だが、これで同盟の侵攻速度は確実に鈍る。彼らも、前衛を丸ごと持っていかれるとは思っていなかったはずだ」

 

「そうだな」

 

元帥杖の先で床をこんこんと突きながら答えた。

 

「お前は今ごろ心の中でドヤ顔しているんだろうが、その一方で一万人以上吹き飛んでいるからな。そこはちゃんと覚えておけよ」

 

そう言ってから、自分で苦笑する。

 

「まあ、俺はわりとすぐ忘れるけど」

 

「さらっと本音を言わないでください」

 

アナスタシアが隣でじとっとした目になる。だが否定はしない。

 

俺が本当に全部忘れていたら、とっくに部下は誰もついてきていないだろう。忘れたふりをして、夜中にこっそり戦死者名簿を開くくらいの良心はある。

俗物なりの分別だ。

 

「アル様」

 

アナが状況報告に切り替える。

 

「敵は一時的に後退を開始しましたが、完全な撤退ではありません。陣形を立て直しながら、なおも回廊内へ前進する構えに見えます」

 

「まあそうなるよな」

 

俺は大きく伸びをして、艦長席にどかっと腰を落とした。

 

「六回目の求婚をしに来て、入口で平手打ちされたくらいで諦める根性なら、最初からここまで出てきていない。どうせ『今度こそ本気だから』とか言いながら、もう一回突っ込んでくるさ」

 

ブリッジクルーの何人かが吹き出した。ロイエンタールは呆れ顔でため息をつく。

 

「閣下。ここは銀河有数の要衝であって、婚活会場ではありませんが」

 

「違うのか」

 

わざと真顔で聞き返す。

 

「ここ数年、ほぼ毎回同じ相手から求婚されているんだぞ。ここまで来ると執念を通り越してストーカーだ。警備担当としては真面目に被害届を出したい」

 

「被害届を出されるのは、どちらかと言えば我々の側かと」

 

ロイエンタールの突っ込みは相変わらず冴えている。

「まあいい」

 

ひらひらと手を振った。

 

「とにかく予定通り、一度下がる。トールハンマーの射程ぎりぎりより、かなり手前までだ。今さら同じパターンで釣られてくれるほど、同盟軍もお人好しじゃない。せっかくだから、回廊内での新しい遊び方をいろいろ試してやるさ」

 

「遊び方という表現はやめてください」

 

アナがこめかみを押さえる。

 

「今ので戦死者遺族に向けた説明資料の書き方を悩む担当官が十人は増えました」

 

「じゃあ言い換えよう。新しい勤務改善だ」

 

「もっと悪化しそうです」

 

「細かいことは後でレンネンカンプに丸投げするとして」

 

「ついでに今夜の夕食は豪華にしよう」

 

そこで唐突に話題を変えた。

 

「緒戦でこれだけ派手に勝ったんだ。ステーキくらい出るだろ。一周回ってイゼルローン名物ホットドッグでもいい」

 

「この状況で夕食の献立ですか」

 

ロイエンタールが半眼になる。

 

「宇宙艦隊司令長官の胃袋は、実に安定しておられる」

 

「胃腸の安定こそ長生きの秘訣だぞ」

 

胸を張る。

 

「戦争が終わった後も長く生きて、老後資金をどう運用するか悩まないといけないからな」

 

「その頃まで生きている敵がどれだけいるか、という視点はないのですか」

 

「あるけど、それはそれ。まずは自分の通帳の数字が大事だ」

 

そんな馬鹿話をしていたその時、通信士が小走りで近寄ってきた。

 

「閣下。オーディンより最優先暗号通信。発信者、グリンメルスハウゼン大将」

 

「うげ」

 

顔をしかめた。

 

「よりによって今か。爺さん、いいところで水を差してくるな」

 

 ブリッジで受けるような内容ではなさそうだ。俺はアナスタシアに目配せする。

 

「アナ、ついてきてくれ。変な政治の匂いがする」

 

「了解しました」

 

俺たちは簡単な指示を残してからブリッジを離れ、元帥用の自室へ向かった。

 

最新式の防音と盗聴対策が施された、俗物用とは思えない豪華な部屋だ。まあ、俗物だからこそここまで気を遣うとも言える。

 

「では、回線を開きます」

 

アナがコンソールに指を走らせる。モニターに、見慣れた皺と髭の塊が映し出された。

 

「やあ、グリンメルスハウゼン大将の爺さん」

 

いつもの調子で手を振る。

 

「まだ生きていたのか。もとい、お元気そうで何よりです」

 

「まだ棺桶の中に片足を突っ込む気はない」

 

爺さんは渋面を崩さず答えた。

 

「貴官のように、隠居して昼寝に専念する未来にも憧れるがな」

 

「笑えませんよ、その未来予想図」

 

ソファに腰を沈めた。

 

「で、そんな冗談を言いにきたわけじゃないでしょう。最優先暗号で、わざわざ俺の昼寝候補時間を潰してきた理由は何です」

 

「単刀直入に言おう」

 

グリンメルスハウゼンは姿勢を正し、こちらを真っ直ぐ見据えた。

 

「リューネブルク大将の件だ」

条件反射で呼び出しボタンに手を伸ばしかけた。

 

「本人をここに呼びましょうか」

 

「待て」

 

低い声が飛ぶ。

 

「本人の同席は不要だ。今から話す内容は、貴官と私だけで十分だ」

 

アナが横でわずかに眉をひそめる。これはロクな話ではない。俺も姿勢を正した。

 

「分かりました。聞きましょう」

 

「リューネブルクの奥方、エリザベートのことだ」

 

爺さんの声色は淡々としているが、目の奥に重い影が宿っていた。

 

「ブラウンシュヴァイク公の令嬢と同名だが、別人だ。貴官も一度くらい顔を見たことがあるはずだ」

 

「ああ」

 

記憶の引き出しを探る。

 

「確かに一度だけ会いました。綺麗な人でしたね。アナには及びませんが」

 

「アル様……」

 

アナスタシアが耳まで赤くなる。

 

「こういう時に毎回挟んでこなくて結構です」

 

「コホン」

 

グリンメルスハウゼンが咳払いで二人まとめて黙らせた。年の功は恐ろしい。

 

「惚気は後にせい。話を続けるぞ」

 

「お願いします」

 

背筋を伸ばす。爺さんの咳払いは、前線の一斉砲撃より威力がある。

 

「それで、そのエリザベート夫人がどうかしましたか」

 

「彼女は」

 

爺さんは淡々と言った。

 

「実兄であるハルデンベルク伯爵を殺害した」

 

「……は?」

 

間抜けな声が自分の喉から出た。

 

「ちょっと待ってください。あの伯爵って、あのハルデンベルクですよね。頑健で、やたら健康診断の数値がいいタイプの。酒も強いし剣もそこそこ、医者泣かせの健康体。あれを一人で仕留めたって?」

 

「事実だ」

 

グリンメルスハウゼンは短く言った。

 

「流石と評すべきかどうか迷うがな」

 

「流石、リューネブルクが選んだ妻というべきか」

 

額を押さえた。

 

「夫婦揃って只者じゃない」

 

アナスタシアが静かに口を開く。

 

「詳しい経緯をお聞きしてもよろしいでしょうか」

 

「もちろんだ」

 

爺さんは頷き、淡々と過去を語り始めた。

 

「発端は、彼女の婚約者カールマチアスだ。フォルゲン伯爵家の四男だが、身分の割に金がなかった。結婚資金を得るために、愚かにもサイオキシン麻薬の密売に手を染めた」

 

「よりによってサイオキシン」

 

思わず顔をしかめる。

 

「同盟と帝国が一時的に手を組んでまで叩き潰そうとした、あの危険物ですか」

 

「そうだ」

 

爺さんは目を細めた。

 

「ハルデンベルク伯爵とフォルゲン伯爵は、その事実を知った。家名とエリザベートの将来を守るため、カールマチアスを最前線へ送る手配をした。過酷な戦線だ。程なくして彼は戦死した。貴族らしいと言えば貴族らしい、穏当な処理だ」

 

「俺なら病死にするところですが」

 

思わず本音が漏れる。

 

「書類一枚で片付く分だけ、医者の方が話が早い」

 

「貴官はそういうところだけ妙に実務的だな」

 

グリンメルスハウゼンは軽く眉を上げた。

 

「ともかく、カールマチアスを討ち取ったのは、ローゼンリッター連隊だった。そして、当時の連隊長こそ、若かりし頃のリューネブルクだ」

 

なるほど、と俺は思う。そこで話が繋がる。

 

「つまり、戦死した婚約者を倒した連隊長に、エリザベートを嫁がせたわけですね。復讐の対象と、一番近いところに置いておけば、傷も癒えると」

 

「その表現は少々乱暴だが」

 

爺さんは苦く笑った。

 

「彼女の精神的な再建を、伯爵は期待したのだ。ローゼンリッターの連隊長は勇敢で誇り高い。そのような男に嫁げば、過去の傷も癒えると考えた」

 

「……いやあ」

 

「それ、どう考えてもリューネブルクが気の毒すぎませんか。過去の男を撃った本人が、知らない間にその女の旦那にされるって、どんな罰ゲームです」

 

「当人同士は順調だったはずだ」

 

爺さんの声には、どこか自分への言い訳めいた響きが混じる。

 

「少なくとも表面上はな」

 

「で?」

 

「その『順調だったはずの家庭』がどうして兄殺しに発展したのか。その鍵はどこに」

 

一瞬、画面の向こうで沈黙が落ちた。数秒後、爺さんはわずかに視線をそらしながら認めた。

 

「……ワシが話した」

 

「はい?」

 

聞き返した俺の声は、先ほどよりずっと間抜けだ。

 

「何を、誰に」

「全てをだ」

 

グリンメルスハウゼンは観念したように言葉を続けた。

 

「一度だけエリザベートの様子を見に行った。あまりに気の毒に思えてな。酒を酌み交わすうち、思わず口が滑った。カールマチアスがなぜ死んだのか、誰が手配したのか。ローゼンリッターの連隊長が、どのような経緯で彼を討ち取ったのか」

 

「爺さん」

 

額を押さえた。

 

「それを聞いて、どうなると思いました?」

 

「何にせよ決着がつくだろうと」

 

爺さんは苦い笑みを浮かべる。

 

「真実を知らされないまま生きるのは、残酷だからな」

 

「甘い」

 

即答した。

 

「爺さん、男女の仲を甘く見すぎです。そんな爆弾、真顔で手渡ししておいて、『どう転んでもよかろう』はないですよ」

 

「歳を取ると、判断が鈍る。認めよう」

 

グリンメルスハウゼンは小さくため息をついた。

 

「その後の顛末は、貴官も想像がつくであろう」

 

想像はつく。つきたくないが、つく。

エリザベートの胸の内を勝手に推理するなら、こうだ。

恋人を失った悲しみ。その死が「家の都合」で仕組まれたものだと知った怒り。さらに、その恋人を討った男を愛してしまったという事実。感情という感情がぐちゃぐちゃにかき回され、最後に残るのは、最も身近な仇への憎しみだ。

 

「ハルデンベルク伯爵の詳細な死亡状況を教えてください」

 

アナが冷静に尋ねる。

 

「事故死として処理されている、という前提でよろしいのでしょうか」

 

「表向きはな」

 

爺さんは頷いた。

 

「階段からの転落死だ。酩酊状態で足を滑らせた、ということになっている。エリザベートも同席していたが、彼女は正気だった。監察の目から見れば、疑わしい点は多い」

 

「で、実際は」

 

俺が促す。

 

「実際は」

 

グリンメルスハウゼンは淡々と言った。

 

「突き落とした。彼女自身の手でな。証拠も証言も揃っている。隠すのは不可能だ。だからこそ、貴官に連絡したのだ」

 

重い沈黙が、数秒部屋を支配した。

アナは表情を変えない。ただ、指先がわずかに固く握られている。

 

「つまり爺さんの見立てでは」

 

ゆっくり口を開いた。

 

「リューネブルクをこのまま重用すると、俺の評判に傷がつく。貴族社会は、そこまで甘くない。だから今のうちに手を引け、と」

 

「厳密には、貴官がどう判断するかは自由だ」

 

グリンメルスハウゼンは静かに言った。

 

「ただ、事実を知らぬまま進むのは不公平だと思ってな。もしこの情報が他の経路から広まった時、貴官は『知らなかった』と言えなくなる。だから先に伝えておく。ワシが犯した失策の後始末を、若い世代に押し付けるのは心苦しいが」

 

「心苦しい割には、仕事を投げる角度が絶妙ですね」

 

ため息をついた。

 

「最近の老人は、タスクの丸投げスキルが高すぎる」

 

「それも老獪さというやつだ」

 

爺さんの口元に、ほんのわずかに笑みが浮かんだ。

 

「で、ファルケンハウイン元帥。貴官はどうする」

 

どうするか。

正直に言えば、一番楽なのはリューネブルクを切り捨てることだ。

 

 奥方が殺人を犯した。しかも相手は実兄であり伯爵家の当主だ。そこにローゼンリッター、麻薬密売、貴族同士の密約が絡んでいる。ドロドロを通り越して、もはや銀河スープだ。

 

 普通の上官なら、「そんな面倒な案件を抱えた部下はごめんだ」と考えるのが自然だろう。さっさと線を引き、「彼は有能ではあったが家庭の事情がね」などとそれっぽい顔で片付ける。そうすれば、自分の評判には曇りがかからない。

 

 

 

だが。

 

「俺は」

 

気付けば、口が勝手に動いていた。

 

「奴を切り捨てる気はありませんよ」

 

アナが横でちらりと俺を見た。グリンメルスハウゼンも、わずかに目を見開く。

 

「リューネブルクは狡猾で、抜け目のない男です」

 

「裏工作も平然とやるし、性格に難も多い。だが、それでも勇敢で、有能で、戦場では頼りになる。俺のためにきっちり働く部下を、こんな形で棒に振るつもりはない」

 

「しかし」

 

爺さんが口を開く。

 

「貴族社会は」

 

「貴族社会なんてものは、昨日今日で出来たわけじゃありません」

 

肩をすくめた。

 

「あの連中は、自分たちの醜聞に関してはプロだ。自分たちが裏で何をしてきたか、よく分かっている。だからこそ、他人のスキャンダルにも妙に寛容だ。『自分もやっているからな』と、心のどこかで理解している」

 

グリンメルスハウゼンが目を細める。

 

「理屈としては分かる。だが、表向きの体裁というものが」

 

「そこは俺がどうにかします」

 

きっぱり言った。

 

「それに、一度『捨てない』と約束したんですよ。リューネブルクには」

 

まだ俺が一介の提督に過ぎなかった頃、彼を拾った時のことを思い出す。

 

あの男は、自分の身の振り方を誤れば、敵にも味方にも刃を向けかねないタイプだった。だからこそ、俺は自分の手元に置くことにした。

 

その時に言ったのだ。「裏切らない限り、俺はお前を捨てない」と。

 

俗物の口約束に、どれほどの価値があるかは知らない。だが、少なくとも俺にとっては、政治だの軍律だのより優先度が高い。

 

「俺の俗物的な義理は、何よりも固いんです」

 

「金と女と約束だけは裏切らない。それがファルケンハイン流です」

 

「最後の一つだけ取り出せば多少美談なのが惜しいですね」

 

アナがぼそりと呟く。

 

「前二つが濃すぎます」

 

「グリンメルスハウゼン大将」

 

画面の向こうの老人を見据えた。

 

「ご報告感謝します。あとは俺がやります。貴方も、これ以上この件には深入りしないでください。陛下にも、そのようにお伝えを」

 

 数秒の沈黙の後、爺さんはゆっくりと頷いた。

 

「……承知した。若者の前途を閉ざすのは、老人の役目ではない。ワシは自分の失敗を胸の内にだけ留めておこう」

 

「それが一番です」

 

肩の力を抜いた。

 

「爺さんが変に動くと、また余計ややこしくなる。隠居予備軍は、時々茶を飲んで口を滑らせるくらいでちょうどいい」

 

「反省しておこう」

 

グリンメルスハウゼンは小さく笑い、通信を切った。

モニターが暗転し、部屋には俺とアナだけが残された。

 

「……どうなさいますか、アル様」

 

アナが静かに尋ねる。

「決まっている」

 

ソファの背にもたれ、天井を見上げた。

 

「リューネブルク夫人には、いなくなってもらう」

 

「いなくなる」

 

アナの目がわずかに細くなる。

 

「具体的には」

 

「殺人は殺人だ」

 

淡々と言った。

 

「どんな事情があろうと、人を突き落として頭を砕けば、それは立派な殺し屋だ。情状酌量の余地はあるだろうし、同情もする。だが、それとこれとは別だ」

 

アナは黙って聞いている。

 

「問題はやり方だ」

 

「表立って処刑すれば、法の正義は保たれる。だが、その瞬間に『リューネブルクの妻が兄を殺しました。だから夫も怪しいですね』という噂が貴族社会を駆け巡る。彼の軍歴にも、俺の元帥府にも、でかい傷がつく」

 

「裏でこっそり処理しても」

 

アナが補う。

 

「『処刑された』という事実そのものは残る。記録を完全に消すには、関係者全員を葬る必要がある」

 

「そんなのは面倒くさすぎる」

 

鼻で笑った。

 

「だから、それはやらない」

 

「では」

 

「事故死だ」

 

短く言った。

 

「ハルデンベルク伯は事故死。その妹も一緒に事故死。これで行く」

 

「……二人まとめて」

 

アナは小さく息を呑む。

 

「かなり大胆な筋書きですね」

 

「貴族の家の階段は、伝統的に滑りやすいんだよ」

 

適当なことを言う。

 

「うっかり手すりが壊れて二人同時に落ちることもある。不運って怖いな」

 

「物理法則が泣きます」

 

「泣かせておけ」

 

立ち上がった。

 

「オッペンハイマー伯に繋いでくれ。こういう時に頼りになるのは、あの辺りの腹黒連中だ」

 

「回線、開きます」

 

アナが手早く操作をする。すぐに画面に、ふてぶてしい笑みを浮かべた友人の顔が現れた。

 

「おお、ファルケンハイン元帥。前線からの直通とは珍しい」

 

オッペンハイマー伯が肩をすくめる。

 

「イゼルローンの戦果自慢なら、後でゆっくり酒の席で聞こう」

 

「戦果自慢なら全銀河放送でやる」

 

手を振った。

 

「今は別件だ。ハルデンベルク伯の件で、今から言う通りに動いてくれ」

 

 オッペンハイマーの顔色が僅かに変わる。

 

「……もうそこまで情報が来ているか。緘口令は敷いたつもりだが」

 

「爺さん経由だ」

 

率直に言う。

 

「グリンメルスハウゼンが全部喋った。いい意味でも悪い意味でも正直者だな、あの老人は」

 

「はあ」

 

オッペンハイマーは額を押さえた。

 

「で、貴官のご要望は」

 

「まず当然だが、緘口令は続けろ」

 

「そして結論から言う。ハルデンベルク伯は事故死だ。いいな」

 

『そのつもりで処理する予定だった』と言いかけた伯爵を、俺は手で制した。

 

「ちょっと待て。そこはそういう話じゃない」

 

「貴族の顔を立てる事故死、ではなくてだ」

 

「ハルデンベルク伯は、妹と共に事故死した。ここが重要だ。二人だ。間違えるな」

 

「……二人同時に」

 

オッペンハイマーの目が細くなる。

 

「かなり思い切りましたね」

 

「その代わり、便宜はいくらでも図る」

 

ニヤリと笑った。

 

「今後五年間、軍需関係の契約で、オッペンハイマー家にプラスになる案件を優先的に回す。俺の財布じゃなくて帝国の予算からな」

 

「それは実に魅力的な条件だが」

 

伯爵は苦笑した。

 

「分かった。そういうことなら、事故死として処理しよう。『二人仲良く階段から転落』だな」

 

「表現はもう少し上品に頼む」

 

肩を竦める。

 

「あと、この件をほじくり返そうとするやつがいれば」

 

「いれば?」

 

「それはファルケンハイン家に宣戦布告したものとして扱う」

 

「貴族でも軍人でも、学者でも新聞屋でもだ。そいつは、俺の喉元に刃を突き付けたのと同じ行為として認定する。そう伝えて構わない」

 

オッペンハイマーは数秒黙り込み、やがて吹き出した。

 

「相変わらずだな、友よ。分かった。そう扱おう。帝都でその件に触れようとする馬鹿がいれば、『元帥府に喧嘩を売る覚悟があるのか』と親切に確認してやる」

 

「助かる」

 

「恩は忘れない。今度、イゼルローン名物ホットドッグセットを送ってやる」

 

「それは正直いらん」

 

オッペンハイマーは心底嫌そうな顔をして、通信を切った。

モニターが暗くなり、部屋にはまた静寂が戻る。

 

「アル様」

 

アナが、いつもより少しだけ丁寧な口調で言った。

 

「今のお話、記録は最小限に留めておきます。発言ログも暗号化し、閲覧権限を限定します」

 

「頼む」

 

ソファに沈み込んだ。

 

「これで少なくとも、公式記録上は『兄妹揃って痛ましい事故死』だ。残酷な話だが、そういうことにしておくのが彼女のためでもある」

 

「彼女のため、ですか」

 

アナが首を傾げる。

 

「刑場に引きずり出されて晒し者になるよりは」

 

「事故死なら、周囲は勝手に綺麗な話に仕立て上げる。『兄の後を追ったのだろう』とか『仲の良い兄妹だった』とか、いくらでも脚色してくれる。人は悲劇が好きだからな」

 

「たしかに」

 

アナは目を伏せる。

 

「そのほうが、残された者のためにもなるかもしれません」

 

「残された者といえば」

 

身体を起こした。

 

「リューネブルクだ」

 

アナの瞳が静かに揺れる。

 

「呼びましょうか」

 

「頼む。……いや、ここは少し演出しよう」

 

考え直した。

 

「ホーテン上級大将として伝えてくれ。『元帥がお前の傷心を慰める準備が整った』とな」

 

「随分と横暴な慰問ですね」

 

アナはくすりと笑う。

 

「承知しました」

 

彼女が部屋を出ていくと、静寂の密度がさらに増した気がした。俺はテーブルの上のカップを手に取り、冷めかけのコーヒーを一口すする。

 

苦い。だが、不思議と今の気分に合っていた。

俺のやったことは、綺麗事とは程遠い

 

貴族社会の闇を、さらに厚い闇で覆い隠しただけだ。

だが、その闇の下で、何人かの未来は辛うじて守られる。

リューネブルクの軍歴。元帥府の機動力。

 

「アル様の義理は、時に宇宙一残酷ですね」

 

先ほどアナが漏らした言葉を思い出す。

その通りかもしれない。

俺は自分の都合のために、人を救い、人を切り捨てる。

だが少なくとも、俺は自分に尽くす者をただの駒としては扱わない。使い捨てにするくらいなら、もっと効率の良いやり方を探す。俗物なりの仁義だ。

 

 数分後、ドアチャイムが鳴った。「リューネブルク大将をお連れしました」アナの声がする。

「入れ」俺は姿勢を正し、いつもの軽薄な笑顔を顔に貼り付けた。

リューネブルクが現れた。背筋は真っ直ぐ伸びている。

 

「お呼びと伺いました、閣下」

 

彼は規律正しく敬礼した。

 

「よく来たな」

 

 

彼がわずかに目を瞬かせる。その表情を見ながら、俺は心の中で呟いた。

 

さあ、俺の義理を見せてやろうか

 

宇宙一残酷で、宇宙一俗物なやり方で。




お読みいただき、ありがとうございました。

今回の話は、純粋な戦闘回ではなく、
貴族社会の闇と政治判断の極みを描く外伝のような位置づけになりました。

アルブレヒトは俗物で無責任なようでいて、
約束と義理だけは誰よりも重く扱う男です。
そんな彼がどんな線引きをするのか──作者としても書き甲斐がありました。

読者の皆さまにおかれましては、

どの場面が印象的だったか

アルの判断は妥当だったか

アナの反応はどう映ったか

リューネブルクを切らない俗物的仁義をどう感じたか

など、率直な感想を寄せていただけると、
作者はアルのようにニヤつきながら喜びます。

そろそろ長期連載になってきたので章ごとに簡単なあらすじ(ネタばれあり)をつけるべき?

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