銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
その理想と現実、そして政治と軍事の継ぎ目が、もっとも鮮明に現れる瞬間があります。
本話は、ヤン・ウェンリーという男のらしさと、
同盟軍の構造的な脆弱さが、
ロボスの会議という狭い空間に凝縮された回です。
皮肉・紅茶・理性。
この三つで戦う大佐の奮闘を、どうか見届けてください。
自由惑星同盟軍旗艦【アイアース】の司令部には、静かな圧力が満ちている。
艦橋の空調はいつもと同じ温度のはずなのに、妙に肌寒い。多分、空気のせいではなく、隣に立っているロボス大将の機嫌のせいだ。
私はマグカップを両手で抱えたまま、戦況表示パネルをぼんやり眺めていた。
少し前までぎっしり詰まっていた青い味方アイコンは、今や無残に減り、しかも配置が歪んでいる。帝国側の黄色いマーカーは、やけに整った隊形でこちらの方を向いていた。
ロボス大将が、低い声で言う。
「……総損害、九千隻か」
幕僚長のグリーンヒル中将が、背筋を伸ばして答える。
「はい。全体の二十六パーセントに相当します。緒戦としては、看過できない損害です」
看過できないどころか、「もう帰りませんか」と誰かが言い出してもいいレベルだ。
もちろん、そんなことを口に出せる人間は、この部屋に一人しかいない。残念ながら、その一人が私だ。
ロボス大将は、さらに重々しい声を絞り出す。
「……あまりにも手痛い敗北だ」
わざわざ言わなくても、全員分かっている。
ただ、総司令官として何か言葉を出さないと、場がもたないのだろう。そういう役回りの人も大変だと、他人事のように思う。
「ファルケンハイン元帥の……過去の作戦の裏をかく電撃分断戦術に、見事に嵌められました」
グリーンヒル中将が、言葉を選びながら説明を続ける。
「見事に」という副詞は、もう少し別の事案に使ってほしいと私は思う。たとえば「見事に勝利しました」とか、「見事に予算を勝ち取りました」とか。
「トールハンマーの射程に入る前に、艦隊の楔を折られました。先鋒が分断され、そのまま包囲殲滅されています」
パネルには、その顛末が丁寧に表示されていた。
帝国艦隊がいつものように後退する。こちらが追う。そこまでは前回のイゼルローン攻防戦と同じだ。
違うのは、その途中で左翼の帝国艦隊が急旋回して空間を作り、その空間からミューゼル提督の艦隊が飛び出してきたことだ。
その瞬間の記録映像も、何度も再生されている。
同盟の先鋒が、きれいに「パキッ」と割れていく。
宇宙空間に効果音は存在しないはずだが、どうしても頭の中で「パキッ」という音が鳴る。編集班にセンスがあるのか、私の脳が疲れているのか、どちらかだ。
「……分かっている」
ロボス大将が、苦いものを噛んだ顔になった。
「だが、このままでは、全く良いところなく撤退することになる。国民からの批判は免れんぞ」
その通りだ。
そして、国民からの批判が免れないからといって、戦死者の数が減るわけでもない。
そこが軍事と世論の噛み合わない部分であり、私の紅茶摂取量が増える原因でもある。
「私は、この作戦で、何としてでも功績を立てねばならんのだ!」
ロボス大将の声が、ほんの少しだけ裏返った。
この人は、自分の感情を隠すのがあまり上手ではない。ある意味で正直だと言えるし、ある意味で危ういとも言える。
そこへ、司令部の扉が開いた。
「総司令官」
やつれた顔で入ってきたのは、今回の作戦立案者であるホーランド提督だった。
目の下の隈が濃い。多分ここ数日はまともに眠っていない。私が紅茶を飲んでいる時間より長く、作戦プランとにらめっこをしていたのだろう。
「ホーランド提督」
ロボス大将が彼を迎える。
「……申し訳ありません」
ホーランド提督は、開口一番、頭を下げた。
「全ては、私の作戦の読みが浅かったゆえです。この損害を受けては、これ以上兵を無駄にすべきではありません。一度、撤退すべきだと考えます」
まっとうだ。
誰が聞いても「そうですね」と頷きたくなる進言だ。
私は心の中で盛大に拍手を送りながら、マグカップをくるくる回した。
このままホーランド提督の意見が通れば、私の紅茶消費量も少しは減るかもしれない。
……まあ、その希望が叶ったことは、歴史上ほとんどないのだけれど。
◆
「私も、ホーランド提督と同じ意見です」
気だるさだけはいつも通りの声で、私は口を開いた。
「正直なところ、このままでは犠牲が大きくなるばかりでしょう」
ロボス大将が、険しい目でこちらを見る。
私はあえて、その視線を正面から受け止めた。
そのかわり、片手はしっかりマグカップを握りしめておく。精神安定剤だ。
「そもそも、今回の作戦名の時点で、嫌な予感はしていたんですよ」
「……作戦名?」
グリーンヒル中将が眉をひそめる。
真面目な人ほど、こういうところで眉をひそめる。
「はい。ほら、あの『D線上のワルツ作戦』というやつですよ」
肩をすくめた。
「あれ、発表されたときに、士官学校の同期から軒並み苦情が届きました。『物理的に穴を開ける作戦に、そんなロマンチックな名前を付けるな』『もっとこう、直球で分かりやすい名称は無かったのか』などなど」
「作戦の名称など、本質ではない」
グリーンヒル中将がきっぱり押し返す。
「問題は、ファルケンハイン元帥の読みの深さと、帝国艦隊の運用力です。我々は、そこに敗れた」
「ええ、その通りです」
素直に頷いた。
「ただ、今から撤退するとなったら、上層部や世論への言い訳が必要になりますよね。『作戦名が悪かったのだ』というのは、非常に便利なスケープゴートだと思いまして」
「ヤン大佐」
グリーンヒル中将の声には、やや怒気が混じっていた。
「冗談を言っている場合ではない」
「冗談ではなく、建設的な皮肉ですよ」
できる限り真顔を保ったまま返す。
「今ならまだ、損害を抑えて撤退できる段階です。このまま曖昧に戦線を維持し続ければ、被害はさらに増えます。それに、撤退のタイミングを失います」
そういう例は、歴史書に山ほど載っている。
「もう少し頑張れば勝てるかもしれない」と粘って全滅した軍隊の話は、読めば読むほど胃が痛む。今この宇宙で、同じようなページを増やしたくないのが本音だ。
「一度、仕切り直すべきでしょう」
そう言い終えた瞬間、ロボス大将の手が、肘掛けをぎゅっと握りしめる動きが見えた。
「仕切り直し、だと?」
彼の声が低く響く。
「……簡単に言ってくれるな、ヤン大佐」
マグカップの中身を今のうちに飲み干しておいた方が良さそうだったので、私は一口で半分ほど流し込む。舌が少し火傷した。
「総司令官?」
グリーンヒル中将が、不安そうにロボス大将を見る。
「ホーランド提督も、ヤン大佐も、正論を言っているのは分かる」
ロボス大将は、しばし沈黙したあと、低く続けた。
「だがな」
「私は許されんのだ」
「……は?」
思わず変な声が出そうになるのを、私は何とか飲み込んだ。
「シトレを見ろ」
ロボス大将の目が、どこか遠くを見るような光を宿す。
ああ、この流れだと話題はあの人に行くのか、と私は理解した。
「前回、イゼルローン要塞に肉薄した、ただそれだけで、今や『元帥』だ。あのファルケンハインと対等の相手だと、向こうの宣伝部にまで認識されている」
それは確かに、すごいことだ。
そして、それを羨ましがる総司令官という構図は、できれば見なかったことにしたい。
「もともと、私とシトレは同格だった。そうだろう?」
誰に同意を求めているのか分からない問いを発しながら、ロボス大将は拳を握る。
「それなのに、この私が、何の戦果も挙げずに、ここで撤退したらどうなる?」
どうなるか。
おそらく、作戦会議室でこうして悩んでいる以上に、新聞の四コマ漫画でネタにされるだろう。
「また負けたロボス大将」とか、「家に帰るまでが作戦です」とか、そういうタイトルで。
「私は、この軍を、国民を、どう統率すればいい?」
国民の統率は政治家の仕事であり、軍人の役割は「無理筋な作戦を現実的な損害で収めること」だ。
「総司令官」
ホーランド提督が、苦しげな顔で口を挟む。
「それはあまりに、個人的な問題ではありませんか」
「個人的ではない」
ロボス大将は、即座に否定した。
「これは、同盟軍の士気の問題だ」
そう言い切る彼の姿は、一応、外から見れば立派な指揮官のように見えるだろう。
中にいる私から見ると、「退路を塞いで突撃しようとしている人」にしか見えないのが、悲しいところだ。
「総司令官。今ならまだ、兵力の半分以上が残っています。ここで撤退すれば、再編成も可能ですし、政治的にも戦略的にも、次の一手は打てます」
ホーランド提督は、なおも食い下がる。
「しかし、このまま戦力を漸減させていけば、本当に立て直せなくなります。ここは一度――」
「ホーランド提督」
ロボス大将が、彼の言葉を遮った。
「私は、君の作戦立案能力を評価している。だからこそ、この作戦を一任した。それに、この緒戦の敗北は、すべて君の責任ではない。相手が悪かったのだ」
それは半分は正しい。
相手が悪いというより、「相手の上司が悪質な俗物」であるというのが正確な表現だ。
帝国側のファルケンハイン元帥は、噂によれば「サボるために改革をした男」らしい。
その結果、我々はその改革の余波で、こうして宇宙空間に戦死者を量産している。世の中の因果関係は、不条理すぎる。
「……では」
ホーランド提督の声が、わずかに震える。
「それでも、総司令官は……後退せず、戦線を維持なさるおつもりですか」
「戦線の維持ではない」
ロボス大将は、椅子から立ち上がった。
その動きに合わせて、周囲の幕僚たちの視線が、一斉に彼へと向かう。
「再度の攻勢だ」
私の胃が、きゅっと縮む音がした気がした。
「作戦目的を変更する」
ロボス大将は、戦況パネルを指さした。
「イゼルローン要塞の占領に固執するのはやめる。目的を、敵戦力の漸減に切り替える」
それはつまり、「勝てないならせめて相手も疲れさせよう」という発想だ。
歴史上、それでうまくいった例がゼロではない。だが、それはたいてい、敵よりも資源が多い側がやる戦い方だ。
同盟が、帝国より豊かだった時代があったかどうか、私は一度も聞いたことがない。
「各艦隊に伝令を送れ!」
ロボス大将の声が、司令部に響き渡る。
「次なる攻撃目標を定める。敵艦隊の動静を分析し、最も効果的にダメージを与えられるポイントを探せ。われわれは、ここから反撃に移る!」
周囲の幕僚たちが、一斉に「了解!」と答える。
「総司令官」
マグカップをそっとコンソールの脇に置き、ゆっくりと立ち上がった。
「……何だ、ヤン大佐」
「確認だけさせていただきたいのですが」
できる限り礼儀正しく、静かな声で問いかける。
「今回の緒戦の結果を踏まえ、ファルケンハイン元帥の戦術的柔軟性と、帝国艦隊の質について、総司令官はどう評価しておられますか?」
「どう、とは?」
「正面からぶつかれば、こちらが損害を上回る可能性が高い、という認識は共有されているでしょうか」
「それは……そうだろう」
「では、『敵戦力の漸減』という目標は、実質的に『こちらも削られながら、相手も少し削る』という意味合いになりますね」
ロボス大将は、少し顔をしかめた。
「それは、戦争の基本原理だ」
「ええ。ただし、その原理は『より多くの兵力と資源を持つ側』が採用する時に、ようやく有効になります」
目の前のパネルに映る星図を指さした。
「帝国の総艦艇数、予備兵力、補給能力。それらの推定値は、グリーンヒル中将が既にまとめておられます。そこに、今回の損害の数字を乗せて――」
グリーンヒル中将が、苦々しい顔をしながらも「その通りです」と頷く。
「……つまり?」
「このまま『漸減戦』を仕掛ければ、長期的に見て削られすぎるのは、こちらの方になる可能性が高いです」
淡々と結論を口にした。
「今はまだ、引き返せる地点です。ここで無理に攻勢を続けるより、一度後退し、補給と編成を立て直し、政治的にも戦略的にも、次の一手を用意した方が――」
「ヤン大佐」
ロボス大将の声が、再び私を遮る。
「君の言っていることが合理的なのは分かる」
「では――」
「だが、私はそれを選べない」
言葉が、そこで切り落とされた。
合理性よりも、別の何かが優先されている。
それが何かは、さっきから聞かされているので、説明されなくても分かってしまうのが悲しい。
「シトレが、イゼルローンに肉薄した時、世論はどう動いた」
ロボス大将は、自分に言い聞かせるように続ける。
「『彼こそ英雄だ』『あの将軍に全権を委ねよ』――そういう声が、あちこちで上がった。彼はそれを利用せず、軍人としての節度を守った。だからこそ、今も尊敬されている」
心の中で小さく苦笑する。
シトレ元帥は、尊敬に値する人物だ。だが、「節度を守ったから尊敬されている」という認識は、少しだけ現実と違う気もする。
「私は違う」
ロボス大将は、拳を胸に当てた。
「私は、ここで何の戦果も挙げずに退くわけにはいかん」
それを「私情」と呼ぶのではないかと、ホーランド提督がさっき言っていた。
私から見ても、その通りだ。
「この作戦で、私は、自分の存在を示さねばならんのだ」
ロボス大将は、そう言い切った。
この時点で、「論理的説得による方向転換」は、ほぼ不可能になったと判断していい。
「……分かりました」
椅子に座り直し、視線を戦況パネルへと戻す。
「総司令官の命令に従い、作戦プランを再調整します」
「やってくれるか、ヤン大佐」
「ここで『嫌です』と答える選択肢があるなら、最初から軍人にはなっていません」
皮肉半分、本音半分の言葉を返す。
「どうせやるなら、なるべく被害を少なくする形を考えます。それが一応、私の専門分野ですから」
ロボス大将は、大きくうなずいた。
「頼むぞ、ヤン大佐」
彼の背中を見ながら、私は内心でこっそりため息をつく。
……また歴史書のページが一枚増えるな
どうせ増えるなら、「最小限の損害で済んだ」と脚注に書かれるページにしたい。
その程度のわがままは、許されてもいいだろう。
◆
司令部の重苦しい空気のなかで、私はこっそりと自席の端末にメモを開いた。
【個人的備忘】
・今回の敗北の直接原因:→帝国側ファルケンハイン元帥の「電撃分断戦術」
→ミューゼル提督の突撃のタイミングが完璧。
・こちら側の問題点:→作戦の思想は悪くないが、相手の柔軟性を侮った。
→作戦名のセンスも悪い。何とかしろ、広報部。
書きながら、ふと気づく。
……私は、こんなところで何をやっているんだろう
神様に文句を言えるなら、今すぐ列に並びたい。
「ヤン大佐」
隣の席から、グリーンヒル中将が小声で呼びかけてきた。
「先ほどは、失礼な物言いをした」
「いえ。真面目な人ほど、作戦名で話を広げる人間には腹が立つものです」
軽く肩をすくめる。
「それに、中将の言う通りです。本質は、作戦名ではなく中身ですから」
「分かっているなら、最初からそう言ってくれ」
「最初から本質だけ言っても、誰も聞きたがらないのが人間の悲しいところなんですよ」
グリーンヒル中将が、苦笑いを浮かべる。
「……ロボス閣下の気持ちも、分からなくはない」
「そうでしょうね」
素直に認める。
「シトレ元帥が英雄視される一方で、同格だった自分には何の勲章も回ってこない。そういう状況は、軍人でなくても面白くないでしょう」
「しかし、その感情で作戦方針を決められては困る」
「ええ」
だからこそ、私の胃が痛むのだ。
「だから、せめて被害を抑えましょう。中将の補給計画と、私の被害予測を組み合わせれば、最悪の事態だけは避けられるかもしれません」
「……頼りにしている」
「その言葉を聞くと、逃げたくなりますね」
そんなやり取りを交わしながら、私は再度、戦況パネルに視線を戻した。
帝国側の黄色いマーカーが、またじわじわと動き始めている。
向こうの司令官も、きっと働きたくないに違いない。
彼も彼なりに、「どうやって楽をしながら勝つか」を考えているのだろう。
……あちらの元帥とは、一度ゆっくりお茶でも飲んで話してみたいものだ
戦争が終わってから、という前提付きだが。
そう願いつつ、私は冷めかけた紅茶の残りを飲み干した。
だが、それでも私はカップを置き、次の攻勢のためのプランニングに取りかかる。
歴史家志望だろうが何だろうが、今の肩書きは「大佐」で、目の前には「仕事」がある。
その仕事の結果が、どれだけマシな歴史のページになるか。
それは、私の紅茶と皮肉と、少しばかりの戦術眼にかかっている――らしい。
できることなら、そのページの端っこに、こう書いておいてほしいものだ。
『※この時、大佐は本気で撤退を進言したが、聞き入れられなかった』
せめてもの自己弁護として。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
読んでくださった皆さまの、
「ここが刺さった」「この台詞が良かった」
という感想が、今後の筆の方向性を決める大きな指標になります。
ぜひ、あなたの推しの一行を教えてください。
感想、レビュー、短文でも大歓迎です。
そろそろ長期連載になってきたので章ごとに簡単なあらすじ(ネタばれあり)をつけるべき?
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つけるべき
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いらない