銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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銀河最強の超戦艦が沈みかけたその後、
もっと深刻に沈みかけたのは――主役の肋骨でした。

今回は、戦場の外で繰り広げられる
「休ませてくれない宇宙規模のカオス」をお届けします。
病室の扉は、自動で開くだけでなく、
貴族・元帥・暴走幼女・皇帝の使者までを
次々と召喚する魔法装置になっています。

戦闘よりも、見舞いよりも、
何より恐ろしいのはアナスタシアの一言。

「治ったら、覚悟してくださいね?」

平和とは何か。
回復とは何か。
そして、最高に面倒くさい仲間たちとは何か。

そんな銀河の日常劇を、少し笑いながら読んでいただければ幸いです。


イゼルローン病室戦争 ―生還者アルブレヒト―

いてててて。マジで痛い。

 

白い天井。消毒液の匂い。そして、全身を拘束するギプスと包帯の圧迫感。ここがどこかなんて、考えるまでもない。イゼルローン要塞の中央病院、その最上階にある特別病室だ。VIPルームといえば聞こえはいいが、要するに俺みたいな重症患者を隔離しておくための豪華な独房である。

 

俺のベッドの周りには、最新鋭の医療機器がズラリと並んでいる。心電図モニター、人工呼吸器の補助ユニット、点滴のスタンドが林立して、電子音がピッ、ピッ、と規則正しく鳴り響く。平和だ。あまりにも平和すぎて、気が狂いそうになる。

 

退屈だ。

 

布団を跳ねのける。右腕はガチガチに固定されていて動かない。胸部もコルセットで締め上げられている。呼吸をするだけで、脇腹に走る激痛。肋骨が六本ほどポッキリいってるらしいから当然だ。普通なら、痛み止めを打って泥のように眠るところだろう。

 

だが、俺は違う。俺はアルブレヒト・フォン・ファルケンハイン。銀河帝国軍の元帥にして、数々の死線をくぐり抜けてきた(と部下たちに思われている)男だ。こんなベッドの上で、無為に時間を過ごしていいわけがない。

 

何より、怖いのだ。

 

誰がって? アナだ。あの女は、俺の回復を心待ちにしている。そして回復した瞬間に、「さあ、トレーニングの再開ですわ、アル様♡」とか言って、地獄のメニューを課してくるに決まっている。もし、この入院生活で筋肉が落ちていたらどうなる? 「あら、腹筋がたるんでいますわね。罰としてスクワット一万回追加です」なんて言われた日には、俺の精神が崩壊してしまう。

 

だから、やるしかない。

 

「ぬぐぐ……! い、いち……!」

 

上半身を起こそうと力を込める。瞬間、脇腹で折れた肋骨たちが盛大な悲鳴を上げる。ギャリッ、という骨が擦れる嫌な音が体内から響く。脂汗が額から噴き出し、視界が白くチカチカと明滅する。

 

痛い。死ぬほど痛い。いや、ちょっと死にかけてるかもしれない。

 

モニターの数値が跳ね上がる。心拍数が急上昇し、血圧が乱高下する。アラート音が「ピピピピピピ!」とけたたましく鳴り響くが、無視だ。これはリハビリだ。己の肉体との対話だ。

 

「にぃ……! ぐ、ぐおおおおお……ッ!!」

 

腹直筋に力を入れる。だが、筋肉が収縮するたびに、その土台である骨格が悲鳴を上げる。拷問だ。これは中世の拷問器具よりもタチが悪い。自分で自分を痛めつけるドMプレイにしか見えないだろうが、俺は大真面目だ。

 

「さ、さん……! ふんぬぅぅぅ……ッ! ま、負けるか……! 俺の……大胸筋……!!」

 

顔を真っ赤にして、血管をブチ切れさせながら、俺は三回目の腹筋に挑む。プルプルと震える体。したたり落ちる汗。口から漏れるうめき声。

 

バンッ!!

 

勢いよく病室のドアが開く。

 

「閣下ァァァァ!! 何をしておられるのですかァァァ!!」

 

飛び込んできたのは、俺の主治医である軍医大佐だ。白衣をひるがえし、鬼の形相で駆け寄ってくる。その後ろには看護師たちが真っ青な顔で続いている。彼らの目には、俺がベッドの上で暴れ回る狂人に映っているに違いない。

 

「うるさい! アナに怒られたくないんだ! 邪魔をするな!」

 

叫び返すが、そのまま激痛でベッドに沈没する。

 

「ぐふっ……!」

 

「直ちに拘束してください!鎮静剤用意!麻酔でも何でもいいから眠らせろ!」

 

軍医が叫ぶ。看護師たちがワラワラと群がってきて、俺の手足を押さえつける。おい、やめろ。俺の右腕は複雑骨折してるんだぞ。そんな乱暴に扱ったら……あ、痛い痛い痛い!

 

「離せ! 筋力が落ちたら、あいつの愛のムチ(物理)に耐えられん! これはリハビリだ! 未来への投資なんだよ!」

 

必死に抵抗する。だが、多勢に無勢だ。それに、今の俺は生まれたての子鹿より弱い。あっという間にベッドに磔にされる。

 

軍医が俺の顔を覗き込む。その目は血走っていて、心配というよりは怒りで満ちている。

 

「リハビリじゃありません!自殺行為です!いいですか閣下、ご自分のカルテを理解されていますか!?肋骨六本骨折に、右腕粉砕骨折!おまけに折れた骨が肺に刺さって、搬送された時は一時は心肺停止しかけたんですよ!?あの世の入り口まで行って帰ってきたばかりなんです!今ここで腹筋なんかしたら、折れた骨が内臓をミンチにして、今度こそ死にますよ!?」

 

唾を飛ばしながら捲し立てる軍医。ごもっともな意見だ。医学的には100点満点の正論だろう。だが、俺には通用しない。

 

「大げさなんだよなー、医者ってのは。肺に穴が開いたくらいで、人間そう簡単に死にはしないって! 俺は『伏龍』だぞ? 伝説の生き物はタフなんだよ」

 

ケロッとして言い放つ。そう、俺はこの世界の主人公補正(と信じたい悪運)を持っている。ちょっとやそっとの怪我で死ぬなら、とっくの昔に宇宙の塵になっているはずだ。

 

「肺気胸を舐めないでください!空気が漏れて肺が潰れてるんですよ!?普通なら絶対安静、トイレに行くのも禁止のレベルです!」

 

「だから、その安静期間に筋肉が落ちるのが怖いと言ってるんだ。お前はアナの恐ろしさを知らないからそんな呑気なことが言えるんだ」

 

鼻で笑う。アナスタシアのトレーニングメニューを見たら、この軍医もきっと卒倒する。あれに比べれば、肺に穴が開く痛みなんて蚊に刺されたようなものだ。

 

「知りたくもありません!とにかく、これ以上動くなら拘束具をつけますよ!手錠をしてベッドに縛り付けます!」

 

「おいおい、人聞きが悪いな。俺は元帥だぞ?捕虜みたいな扱いはやめろ」

 

「元帥なら元帥らしく、大人しくしていてください!これ以上、私の胃に穴を開けないでください!」

 

軍医が泣きそうな声で叫ぶ。やれやれ、この要塞の人間はみんな沸点が低い。もっとリラックスして生きればいいのに。

 

ふと、入り口の方を見る。騒動の最中、いつの間にか入室していた男が一人、壁に寄りかかってこちらの様子を眺めている。

 

ウルリッヒ・ケスラー。彼は手土産のフルーツバスケットを持ったまま、呆れたような、あるいは珍獣を見るような目で俺を見下ろしている。

 

「……生物学上の分類を疑いますな」

 

ケスラーが低い声で呟く。

 

「よう、ケスラー。見舞いか?気が利くな」

 

ベッドの上から片手を上げる(動く方の左手で)

 

「見舞いに来たつもりでしたが、どうやら見世物小屋に来てしまったようです。死にかけていると聞いて飛んできましたが、その元気があれば心配なさそうだ」

 

ケスラーは溜息をつきながら、サイドテーブルにフルーツバスケットを置く。中には高級そうなリンゴやメロンが入っている。美味そうだ。

 

「元気に見えるか?俺は今、人生最大の危機と戦っているんだぞ。自己の肉体美を維持するという崇高な戦いだ」

 

「それを世間では『悪あがき』と呼びます。……しかし、肋骨六本に粉砕骨折ですか。普通の人間ならショック死してもおかしくない痛みのはずですが」

 

「痛みはあるさ。涙が出るほど痛い。だが、痛みというのは脳の信号だろ?遮断すればいいんだよ、気合で」

 

「気合で生理現象を遮断できるのは、あなたか野生の熊くらいです」

 

ケスラーが肩をすくめる。

 

軍医が疲れ果てた顔で、点滴の調整をしている。鎮静剤をこっそり混ぜようとしているのが見え見えだ。

 

「閣下、お願いですから眠ってください。このままでは、また傷口が開いて大出血します。輸血パックの在庫も無限じゃないんです」

 

「分かった分かった。少し休むよ。……で、ケスラー、お前が来たってことは、何か仕事の話か?」

 

話題を変える。ケスラーは真面目な男だ。彼が動くときは、大抵ロクでもない事件か、面倒な手続きが絡んでいる。

 

「いえ、純粋に見舞いです。……と言いたいところですが、半分は仕事です。要塞内でのテロ対策、および今回の戦闘における捕虜の尋問状況の報告。それと、あなたが持ち帰った『お土産』についての確認です」

 

「お土産?」

 

「敵の不発弾ですよ。あなたの艦の船体に突き刺さっていたミサイルです。信管が生きていたら要塞ごと吹き飛んでいた代物ですが、よくもまあ、あんなものをぶら下げて帰還しましたね」

 

ケスラーが呆れ顔で言う。

 

ああ、そういえば撤退中にドスンと衝撃があったな。あれ、ミサイルが突き刺さってたのか。爆発しなくてよかった。やっぱり俺は運がいい。

 

「不発弾か。記念に俺の部屋に飾っておくか?」

 

「即刻廃棄処分にしました。あなたの部屋を火薬庫にするつもりはありません」

 

ケスラーは淡々と返す。つまらない奴だ。

 

「それで、ラインハルトは?」

 

一番気になっていることを聞く。

 

「ミューゼル中将は、自室に籠っておられます。怪我は完治していますが、精神的なダメージが大きいようです。キルヒアイス少将以外との面会を謝絶しています」

 

「そうか……。まあ、あのプライドの高い孺子(こぞう)が、あんな負け方をしたんだ。少し頭を冷やす時間も必要だろう」

 

天井を見上げる。ラインハルトの挫折。これは今までにはなかった展開だ。彼に試練を与えてしまったのかもしれない。だが、これを乗り越えれば、彼はもっと強くなる。

 

「あ、そうだケスラー。そのリンゴ、剥いてくれよ。右手が使えないから食えないんだ」

 

甘えるように言う。

 

「……私は艦隊司令であって、あなたの介護士ではありませんよ」

 

文句を言いながらも、ケスラーはナイフを取り出し、器用にリンゴの皮を剥き始める。意外と家庭的だ。

 

「上手いな。将来、いい嫁になれるぞ」

 

「皮肉は結構です。……ほら、口を開けてください」

 

「あーん」

 

おっさん二人が病室で「あーん」をする図。地獄絵図だ。軍医が「見なかったことにしよう」という顔でカルテに視線を落としているのが分かる。

 

シャリ、とリンゴを噛む。甘酸っぱい果汁が口の中に広がる。生きている実感。

 

「美味いな」

 

「それは何よりです」

 

「で、だ。ケスラー。お前、暇なら俺の腹筋を手伝ってくれないか? 足を押さえてくれるだけでいいんだ」

 

俺の提案に、ケスラーの手が止まる。ナイフを持ったまま、彼は凍りついたような目で俺を見る。

 

「……ファルケンハイン元帥。先ほど軍医殿が言ったことを聞いていましたか?」

 

「聞いてたよ。死ぬとか何とか」

 

「分かっているなら、大人しくしていなさい。もしこれ以上、そのボロボロの体で動こうとするなら、憲兵権限であなたをベッドに拘束しますよ。公務執行妨害および、自殺未遂の疑いで」

 

「おいおい、冗談だろ?筋トレが犯罪か?」

 

「あなたの場合は犯罪です。国家の重要資産である元帥の体を、故意に損壊しようとしているのですから」

 

ケスラーが真顔で言う。こいつ、本気だ。

 

「ちぇっ。分かったよ。じゃあ、イメージトレーニングだけにしておく」

 

渋々引き下がる。物理的な拘束は勘弁だ。トイレに行くたびに憲兵を呼ぶなんて羞恥プレイは耐えられない。

 

軍医が安堵の息を吐くのが聞こえる。

 

「やっと静かになってくれましたか……。では、私は他の患者を診てきます。何かあったらナースコールを押してください。絶対に、絶対に動かないでくださいよ!?」

 

念を押して、軍医は逃げるように病室を出ていく。

 

残されたのは、俺とケスラー。そして静寂。

 

「……ふう」

 

小さく息を吐く。途端に脇腹がズキリと痛む。やっぱり無理はいけないな。

 

「閣下」

 

「何だ?」

 

「……生きていて、何よりでした」

 

短い言葉。だが、そこには彼なりの不器用な友情が詰まっている。

 

「ああ。俺もしぶといからな。そう簡単には死なんさ」

 

「そうでしょうね。あなたを見ていると、死神の方が愛想を尽かして逃げ出しそうだ」

 

ケスラーが皮肉っぽく笑う。

 

「それより、早く治してください。あなたの仕事が溜まっています。書類の山が、あなたの執務室を占拠し始めていますよ」

 

「うげっ。それを聞いたら余計に具合が悪くなってきた……」

 

「仮病は通用しません。完治したら、倍働いてもらいます」

 

厳しい憲兵副総監様だ。だが、その厳しさが今は心地いい。日常が戻ってきた感じがする。

 

窓の外を見る。イゼルローン要塞の外壁には、まだ巨大な穴が開いているはずだ。俺の体と同じく、修復には時間がかかるだろう。

 

だが、必ず治る。そしてまた、あの星の海へ出るのだ。

 

「……よし、ケスラー。リンゴもう一個」

 

「……自分で食べられるでしょう、左手は動くのですから」

 

「右手が痛くて力が・入・ら・な・い・ん・だ・よー」

 

「はあ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケスラーが帰ったあと、俺は今度こそ安らかな眠りにつけると思っていた。点滴のポタポタという音をBGMに、薄れゆく意識の中で「ああ、生きててよかった」と噛みしめる至福の時間。それが病人の特権だろ?

 

だが、神様ってやつは俺に安息を与える気がさらさらないらしい。

 

そんな俺の安眠を妨げるように、見舞い客がひっきりなしに来やがる。しかも、どいつもこいつもキャラが濃い。濃すぎる。胃もたれするレベルだ。

 

まずは、留守番をしていたはずのミッターマイヤーとロイエンタールだ。「疾風ウォルフ」と「金銀妖瞳」帝国の未来を背負う双璧が、仕事を放り出して飛んできた。

 

『閣下!ご無事ですか!』 『まったく、無茶な戦い方を……肝が冷えましたよ』

 

彼らはそう言って、俺の手を握りしめ(男同士の手繋ぎはもう勘弁してほしい)、涙目で無事を喜んでくれた。まあ、ここまではいい。彼らは部下だし、可愛いもんだ。戦場での絆ってやつを感じる。

 

問題は、その後だ。

 

前代未聞の災害は、豪華な花束と香水の匂いと共にやってきた。

 

自動ドアが開く。その瞬間、廊下から黄色い声援にも似た叫び声が響き渡った。

 

「アルブレヒトくーーーん!!」 「お兄様ーーーー!!」

 

ドタドタドタドタ!!

 

要塞の病院とは思えない、暴走族の集会みたいな足音が近づいてくる。俺が身構える間もなく、病室に雪崩れ込んできたのは、帝国の最高位に位置する大貴族たちだった。

 

「おお!アルブレヒト君!無事か!?生きておるか!?」

 

顔をくしゃくしゃにして飛びついてきたのは、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム3世侯爵だ。俺のパトロンであり、娘を俺に嫁がせようと画策している親バカ筆頭である。

 

そして、その後ろから、小さな弾丸が射出された。

 

「お兄様ー!死なないでー!!」

 

サビーネちゃんだ。リッテンハイム侯の愛娘にして、俺の小さな婚約者(仮)彼女は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ベッドに向かってダイブした。

 

ダイブした。

 

俺の、肋骨が六本折れている胸に向かって。

 

「あ」

 

俺が声を出せたのは、そこまでだった。

 

ドスンッ!!!

 

「ぐふっ!!!!」

 

鈍い音が響く。激痛が走るなんて生易しいもんじゃない。折れた骨が内臓を直接ノックした感覚だ。「こんばんは、死神です」って挨拶された気がした。

 

「さ、サビーネ!いかん!アルブレヒト君は重傷なのだぞ!」

 

リッテンハイム侯が慌てて娘を引き剥がそうとするが、少女の愛の力は凄まじい。彼女は俺の胸(コルセット越しだが痛いもんは痛い)に顔を埋めて、わんわんと泣きじゃくっている。

 

「ううう……お兄様が死んじゃう夢を見たの……怖かったの……」

 

「……ぐ、ぅ……さ、サビーネちゃん……俺は……今……君の頭突きで……三途の川を……渡りかけたぞ……」

 

脂汗をダラダラ流しながら、必死に息を吸う。酸素が入ってこない。視界が赤い。

 

「こ、侯爵閣下……それにサビーネちゃんまで……。ごほっ!……わざわざ帝都からイゼルローンまで来るなんて、正気ですか?ここは最前線ですよ?敵襲があったらどうするんです!」

 

痛みを堪えて抗議する。帝都オーディンからここまで、通常航行なら数週間はかかる。それを数日で来たってことは、軍用の高速艦を私的にチャットしてぶっ飛ばしてきたのか? 燃料の無駄遣いにも程がある。

 

リッテンハイム侯は、ハンカチで汗を拭きながら言った。

 

「君の安否が気になって、居ても立っても居られんかったのだ!知らせを聞いた瞬間、サビーネが泣き叫んでな!『お兄様のところへ行く!』と聞かんのだよ!」

 

いいお父さんだ。娘のためなら銀河の果てまで飛んでくる。だが、その瞳の奥には、別の感情が見え隠れしている。

 

「(それにだね、アルブレヒト君!私が君に投資した莫大な資金と政治的リソース!君に死なれたら、それが全部パーになるのだよ!私の老後の安泰とリッテンハイム家の繁栄がかかっているのだ!死なれては困る!絶対に!)」

 

心の声がダダ漏れだぞ、侯爵。まあ、現金な理由だが、それだけ俺の価値を認めてくれているということにしておこう。

 

「お兄様、痛い? 痛いの?」

 

サビーネが濡れた瞳で上目遣いに聞いてくる。

 

「ああ、痛いよ。ものすごく痛い。だから、もう少し体重を……かけないで……くれないかな……」

 

「ごめんなさい!でも、生きててよかったぁ!」

 

彼女はパッと笑顔になり、今度は俺の手をギュッと握りしめる。可愛いから許す。俺はロリコンじゃないが、この純粋な好意は悪い気はしない。痛いけど。

 

だが、カオスはこれで終わりじゃない。

 

「おい!退け退け!我らが通るぞ!」

 

廊下から、また別の偉そうな声が聞こえてくる。リッテンハイム侯が「げっ」という顔をする。

 

現れたのは、もう一人の大貴族、オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵だ。リッテンハイム侯のライバルであり、これまた俺を取り込もうと必死な御仁である。

 

「ファルケンハイン侯!生きてるか!?」

 

ブラウンシュヴァイク公が大股で入ってくる。病室が狭い。人口密度が高すぎる。ここICUだぞ? 面会謝絶って書いてある読めないのか?

 

「……かろうじて、生きてますよ。公爵閣下まで……。まさか、リッテンハイム侯と仲良くランデブー走行で来たんですか?」

 

「ふん!誰があんな軽薄な男と!たまたま航路が一緒だっただけだ!」

 

ブラウンシュヴァイク公が鼻を鳴らす。

 

その後ろから、二人の人物が姿を現す。

 

一人は、公爵の娘、エリザベートちゃん。彼女は病室に入るなり、キョロキョロと周囲を見回した。

 

「お兄様……ではなく、アナスタシアお姉様はどこですの?」

 

第一声がそれかよ。

 

「エリザベート様……俺はここですよ。ベッドの上で瀕死の状態です」

 

「あら、ごきげんようアルブレヒト様。お怪我をされたそうで。……で、アナスタシアお姉様は?整備ドックですか?それともメインコンピュータ室?」

 

彼女の視線は俺を素通りして、壁のスピーカーや端末に向いている。ブレないな、この子は。俺よりもアナに夢中だ。

 

「アナは今、要塞の修復で忙しいです。ここにはいませんよ」

 

「そうですの……残念。せっかくお姉様に似合う新作のリボンを持ってきたのに」

 

彼女はガッカリして、持っていた紙袋を俺のベッドの足元にポイッと置いた。俺への見舞い品じゃないのかよ。ついで感がすごい。

 

そして、もう一人。

 

「ふ、ふん!まあ、しぶとい男だとは思っていたがな!」

 

フレーゲル男爵だ。ブラウンシュヴァイク公の甥であり、貴族社会の嫌味担当代表みたいな男。彼はなぜか巨大な木箱を抱えている。

 

「フレーゲル……お前まで来るとはな。俺が死んでたら祝杯を上げるつもりだったか?」

 

俺が皮肉を言うと、フレーゲルは顔を真っ赤にして怒鳴った。

 

「貴様が死ねば、また派閥のバランスが崩れるからな!貴族連合の中で、誰が主導権を握るかで揉めるのは面倒なんだよ!」

 

彼はドスン!と木箱をサイドテーブルに置いた。メロンの芳醇な香りが漂う。最高級品だ。一個で平民の年収くらいしそうなやつだ。

 

「て、手土産のメロンだ!叔父上がどうしてもと言うから持ってきてやったんだ!感謝しろ!そして喉に詰まらせて死ね!」

 

「……」

 

俺は内心で突っ込む。ツンデレかよ。

 

「ありがとう、フレーゲル。喉に詰まらせないように、ジュースにして飲むよ」

 

「ふん!勝手にしろ!」

 

彼はプイと顔を背けるが、耳が赤い。なんだこいつら。俺の病室はいつからラブコメ空間になったんだ。皆に愛されてるなあ、俺の権力は。……いや、俺自身も少しは愛されていると思いたい。

 

病室は完全にサロンと化していた。リッテンハイム侯とブラウンシュヴァイク公が「どっちが先にアルブレヒトを見舞う権利があるか」で口論を始め、サビーネが俺のベッドで飛び跳ね、エリザベートがアナスタシアを呼び出そうとナースコールを連打している。

 

カオスだ。

 

軍医が見たら卒倒するだろうな、と思っていると、そのカオスを一瞬で静まり返らせる人物が現れた。

 

「……失礼する」

 

低く、威厳のある声。

 

騒いでいた貴族たちが、一斉に動きを止める。水を打ったように静かになる。

 

入ってきたのは、黒い軍服に身を包んだ初老の男。その胸には、皇帝直属の使者であることを示す紋章が輝いている。

 

勅使だ。

 

「こ、これは……勅使殿……」

 

リッテンハイム侯が慌てて姿勢を正す。ブラウンシュヴァイク公も帽子を取る。彼ら大貴族であっても、皇帝の名代には敬意を払わねばならない。

 

ベッドの上で、できる限りの敬礼をしようとする(激痛で顔が歪むが)

 

「ファルケンハイン元帥。そのままでよい。陛下より、貴官の武勲と忠誠に対し、深い感謝と、早期の回復を願うお言葉を預かってきている」

 

「は……恐悦至極に存じます……」

 

殊勝な態度で答える。だが、心臓はバクバクだ。わざわざ勅使が来るなんて、ただの見舞いじゃない。絶対に裏がある。

 

勅使は懐から一通の書状を取り出した。

 

「今回のイゼルローン防衛戦、誠に見事であった。同盟軍の大軍を相手に、要塞を守り抜き、かつ敵に甚大な損害を与えた手腕。陛下も高く評価されておられる」

 

「過分なお言葉です。全ては部下たちの奮闘と、陛下の御威光によるものです」

 

定型文で返す。早く帰ってくれ。嫌な予感がするんだ。

 

「つきましては、陛下より新たな任が打診されている」

 

来た。

 

勅使の言葉に、病室の空気が張り詰める。リッテンハイム侯たちがゴクリと唾を飲む音が聞こえる。

 

「現在、帝国軍の統帥機能は複雑化している。そこで、全軍を統括し、陛下の意思を直接軍事行動に反映させるための最高職、『統帥本部総長』のポストを貴官に充てたいとの仰せだ」

 

は?

 

耳を疑った。

 

統帥本部総長? 今、なんて言った?

 

それはつまり、実質的な軍のトップだ。軍務尚書と並ぶ、あるいはそれ以上の権限を持つ、制服組の頂点。

 

いやいやいや、待て待て。今の統帥本部長はグレイマン閣下だろ? その上に立つ?

 

そんなことをしたら、俺は全軍の責任を一人で背負うことになる。作戦立案、人事、補給、議会対策、皇帝への報告……。

 

激務だ。

 

過労死一直線のコースだ。

 

それに、そんな強大な権力を持ったら、リッテンハイムやブラウンシュヴァイクとの関係もこじれる。

 

詰む。人生が詰む。

 

俺の脳内コンピュータが、0.0001秒で「拒否」の結論を弾き出した。

 

「(即答)固辞します!!」

 

叫んだ。肋骨の痛みも忘れて叫んだ。

 

「は?」

 

勅使が目を丸くする。周りの貴族たちも「えっ?」という顔をする。元帥が皇帝の命令(打診だが)を即答で断るなんて、前代未聞だ。

 

「む、無理です!俺は戦士じゃないんです!ただの病弱な貴族なんです!!」

 

涙目で訴える。

 

「見てください、この包帯!この点滴!今回だって、ちょっと指揮しただけで血を吐いて倒れたんですよ!?これ以上働いたら、戦死する前に過労死してしまいます!責任の重圧で胃に穴が開いて、ストレスでハゲてしまいます!」

 

「し、しかし……貴官の指揮能力は誰もが認めるところであり……」

 

「買い被りです!今回はまぐれです!運が良かっただけです!次やったら絶対に負けます!それに、俺は平和主義者なんです!争いごとは嫌いなんです!家で盆栽をイジっていたいんです!」

 

必死にまくし立てる。なりふり構っていられない。

 

「それに!現職のグレイマン閣下を差し置いて、若輩者の俺がそんな地位につくなんて、秩序を乱す行為です!先輩方を敬うのが帝国の美徳ではありませんか!俺にはできません!」

 

もっともらしい理由を付け加える。

 

「(あぶねー!絶対に裏がある!これ、誰の差し金だ!?)」

 

俺の脳裏に、一人の老人の顔が浮かぶ。

 

リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン子爵。一見ただのボケ老人だが、その実、宮廷の裏側を知り尽くした古狸。彼が俺を「次世代の英雄」に仕立て上げようとしている節がある。

 

『あなたは元帥ですから……』

 

あの老人の、のんびりとした口調が脳内で再生される。

 

ふざけるな。俺を殺す気か。俺を持ち上げて、ラインハルトと競わせる気か? それとも、俺を盾にして、古い体制を守ろうとしているのか?

 

どっちにしても、俺は御免だ。

 

「とにかく!俺は療養が必要です!半年、いや一年はリハビリが必要です!仕事なんてできません!箸より重いものを持ったら骨折する体になってしまったんです!」

 

大げさにベッドに崩れ落ちる演技をした。「ううっ、目眩が……」とか言ってみる。

 

勅使は困惑しきっている。

 

「そ、そうか……。貴官の健康状態がそこまで深刻だとは……。陛下にはそのように報告しておくが……」

 

「お願いします!何卒!切に!俺をそっとしておいてください!」

 

勅使は「やれやれ」といった様子で一礼し、病室を出て行った。

 

ふう……。なんとか追い返したか。

 

俺が安堵の息を吐くと、周りの貴族たちが一斉に俺を見た。

 

「アルブレヒト君……君、本当に出世欲がないのだな」

 

リッテンハイム侯が呆れたように言う。

 

「当たり前でしょう。出世より命が大事です」

 

「ふん、まあいい。貴様が統帥本部総長などになったら、我々としても扱いに困るからな」

 

ブラウンシュヴァイク公も、少しホッとした顔をしている。彼らにとって、俺は「使いやすい神輿」であってほしいのだ。あまり強大になりすぎると、彼らのコントロールが効かなくなる。

 

「お兄様、偉くならないの?」

 

サビーネが不思議そうに聞く。

 

「サビーネちゃん。偉くなるということは、それだけ自由がなくなるということなんだよ。お兄様はね、君と遊ぶ時間が欲しいんだ」

 

「わあ!ほんと!?」

 

「(嘘だ。遊びたくない。寝てたい)」

 

笑顔で嘘をつく。

 

こうして、俺の病室での「第二次イゼルローン攻防戦(対・見舞い客)」は、俺の必死の防戦によって、なんとか引き分けに持ち込まれたのだった。

 

だが、これで終わるはずがない。

 

俺の予感通り、この後も次々と面倒な客が押し寄せてくることになるのだが……それはまた、別の話だ。

 

とりあえず、今はフレーゲルが置いていったメロンでも食うか。

 

「おい、フレーゲル。これ切ってくれ」

 

「なっ!?なぜ私が貴様の召使いの真似事をせねばならんのだ!」

 

「だって右手動かないし。お前が持ってきたんだろ?」

 

「くっ……!覚えておけよ!次は毒入りを持ってきてやる!」

 

そう言いながらも、ナイフを手に取るフレーゲル。やっぱりこいつ、いい奴なんじゃないか?

 

口の中に広がるメロンの甘さを噛み締めながら、遠い帝都の空を思った。

 

ジジイ、見てろよ。俺は絶対にお前の思い通りにはならないからな。俺は全力で怠けてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嵐が過ぎ去った。

 

いや、気象予報の話じゃない。リッテンハイム侯とか、ブラウンシュヴァイク公とか、サビーネちゃんとかいう、災害級のVIPたちのことだ。奴らがようやく帰ってくれたおかげで、病室にはようやく本来の静寂が戻ってくる。

 

残されたのは、散乱した果物の皮と、大量の花束、そして漂う高級香水の残り香だけ。……あ、あと一人、人間が残っているか。

 

オスカー・フォン・ロイエンタール。

 

金銀妖瞳(ヘテロクロミア)の伊達男は、窓際で腕を組み、彫像のように佇んでいる。絵になる男だ。ただ立っているだけで画報の表紙になりそうなイケメンぶりは、同じ男として嫉妬を通り越して感心するレベルだ。あいつ、呼吸するだけでフェロモンを撒き散らしてるんじゃないか?

 

「ふぅ……」

 

ベッドの上で、大きく息を吐き出す。右手のギプスが重い。肋骨が痛い。でも、精神的な疲れに比べればマシだ。

 

「まあ、話し相手としてお前がいるのはありがたいよ、ロイエンタール。さっきまでの動物園みたいな騒ぎには、さすがの俺も辟易してたからな」

 

俺が声をかけると、ロイエンタールはこちらを向き、片方の眉を器用に上げる。

 

「閣下が珍獣使いの才能をお持ちだということは、よく分かりました。あの方々を相手に、ベッドの上から一歩も引かずに渡り合うとは……流石です」

 

「皮肉か? 褒め言葉として受け取っておくよ」

 

苦笑いする。こいつとの会話は楽だ。腹の探り合いをしなくていいし(まあ、こいつは野心家だから油断は禁物だが)、何より俺の意図を1言えば10理解してくれる。

 

「それにしても……」

 

「お前と離れて仕事をしていたこの二月(ふたつき)くらいは、なんだか物足りなかったしな」

 

本音だ。ラインハルトの救援作戦、要塞の留守番、補給線の確保。別々に行動することが多かったこの二ヶ月間。ミッターマイヤーも優秀だが、ロイエンタールの「痒い所に手が届く」というか、「俺がサボりたいポイントを察知して先回りして片付けておいてくれる」能力は、何物にも代えがたい。

 

俺がそう言うと、ロイエンタールが不自然に沈黙する。

 

ん? どうした?

 

視線を向けると、彼はふと窓の外へ視線を逸らしている。その横顔が、心なしか赤い。いや、夕日のせいか? いやいや、窓の外は宇宙空間だ。夕日なんてない。

 

よく見ると、耳まで赤い。

 

「……」

 

「……」

 

重苦しい沈黙。空調の音だけが聞こえる。

 

ようやく、ロイエンタールが口を開く。その声は、いつもより少し低く、そして微妙に震えている気がする。

 

「……左様ですか」

 

彼はボソリと言う。

 

「小官も……閣下の無茶な命令がないと、張り合いがなくて困りました。……平和な任務など、退屈なだけですからな」

 

言いながら、彼は手元のカーテンの端をいじっている。おい、やめろ。お前は「金銀妖瞳」だろ? 「歩く18禁」だろ? なんでそんな、初恋を拗らせた中学生みたいな反応をしてるんだ?

 

俺の中で、警報が鳴り響く。

 

気持ち悪い。

 

いや、誤解しないでほしい。俺は彼を部下として愛しているし、信頼もしている。だが、あのロイエンタールが、俺の一言で照れているという事実が、生理的に受け付けないというか、恐怖を感じるのだ。「明日は槍が降るんじゃないか」というレベルの異常事態だ。

 

「?? おい、赤くなるなよロイエンタール。気持ち悪いな。熱でもあるのか?」

 

率直な感想を述べる。オブラート?そんなもん、怪我人に期待するな。

 

「誰が気持ち悪いですか」

 

ロイエンタールが即座に反応する。咳払いを一つ。

 

「ゴホン!閣下。小官は至って平常心です。ただ、空調の設定温度が少し高いのではないかと思っただけです」

 

「いや、適温だぞ。アナが管理してるんだから完璧だ」

 

「……チッ」

 

舌打ちしやがった。

 

「それで、戦闘の資料はご覧になりましたか?」

 

彼は強引に話題を変えてくる。顔の赤みはまだ引いていないが、表情だけはいつもの冷徹な参謀のそれに戻っている。切り替えが早いな。

 

「ああ、見たよ。さっきまで暇だったからな。アナがまとめてくれた解析データを眺めてた」

 

サイドテーブルにあるタブレットを指差す。

 

今回の戦闘。俺たちが勝利したとはいえ、その内容は薄氷を踏むようなものだった。特に、同盟軍の動き。あれは従来の数で押してくるだけの同盟軍とは一味違った。

 

「……同盟軍にも、できる奴がいたらしいな。俺が少数を率いている時に会わなくてよかったよ。もし単艦で遭遇してたら、今頃俺は宇宙の藻屑だ」

 

「同感です。……特に、後半の『各個撃破』からの『逆包囲』、そして撤退戦の鮮やかさ。あれは、これまでの同盟軍にはない緻密さでした」

 

ロイエンタールがタブレットを手に取り、ホログラム映像を空中に投影する。

 

戦場の再現映像が浮かび上がる。青が同盟軍、赤が帝国軍だ。

 

「ここです」

 

ロイエンタールが指差す。

 

「閣下が救援に駆けつけ、包囲網に穴を開けた直後。敵艦隊はパニックに陥ることなく、即座に陣形を変更しています。逃げるミューゼル艦隊を追うのではなく、出口となる宙域に火力を集中させる『クロスファイア』の陣形へ移行している」

 

「ああ。あれはエグかった。わざと出口を開けさせて、そこに飛び込ませて叩く。性格が悪いにも程がある」

 

右脇腹をさする。あの時の被弾が、今の骨折の原因だ。

 

「だが、この用兵……。いかにもロボスらしい、性格の悪い、力任せの用兵だけどな」

 

ロボス大将。同盟軍の総司令官。彼は「勝てばいいんだろ」というタイプで、部下の犠牲を厭わないところがある。あの十字砲火は、味方の艦が巻き込まれることも計算に入れた、雑だが強力な罠だった。

 

「ええ、その部分はロボス、あるいは総司令部の発案でしょう。彼らのやりそうなことです」

 

ロイエンタールが頷く。左右の瞳が、冷ややかな光を帯びる。

 

「ですが……解せないのは、その前段と、後段です」

 

彼はホログラムを操作する。

 

「ミサイルによる要塞への死角攻撃。あれは、通常の艦隊運動のセオリーを完全に無視しています。レーダーに映らないギリギリのコースを、慣性航行だけで接近し、至近距離から飽和攻撃を仕掛ける。……狂気スレスレの作戦です」

 

「そして完璧なタイミングで『GO』サインを出した」

 

「……ふむ」

 

そして、最後。撤退戦だ。

 

「トールハンマーの発射準備を察知し、発射シークエンスに入る直前に回頭を開始。あたかも未来が見えているかのような回避運動。……あれはロボスの発想ではありません。あの男に、そんな繊細な芸当ができるはずがない」

 

ロボスなら、トールハンマーを撃たれてから「なんだと!?」と驚き、被害が出てから撤退を命じるはずだ。それが奴のスペックだ。

 

「わからん……」

 

腕組みをする(痛くない左手で)

 

「しかし、誰だ……?同盟軍の主だった将帥に心当たりはないが……」

 

ビュコック?パエッタ?ウランフ?どれも優秀な指揮官だが、今回の動きとは少し色が違う。今回の用兵には、なんというか……「やる気はないけど、やるときはやる」みたいな、脱力感と鋭さが同居しているような気配を感じる。

 

「まあ、同盟も一枚岩じゃないってことか。現場に切れ者がいるんだな」

 

「ええ。名前は分かりませんが、その『誰か』は、こちらの心理や要塞のシステム上の弱点まで把握している可能性があります。……厄介ですね」

 

ロイエンタールが渋い顔をする。彼がここまで敵を警戒するのは珍しい。

 

「覚えておこう。向こうにも『曲者』がいるとな」

 

「次の戦いでは、そいつが出てくるかもしれない。ロボスやシトレの影に隠れて、こっちの首を狙ってくる毒蛇がな」

 

「その時は、小官がその鎌首を叩き落としますよ」

 

ロイエンタールが不敵に笑う。ああ、頼もしい。こういう時のこいつは最高にかっこいい。さっきの赤面が嘘のようだ。

 

「頼むぜ。俺はこれ以上痛い思いはしたくないからな」

 

「善処します。……ですが、閣下もあまり無茶をなさらぬよう。あなたが倒れれば、我々も困るのですから」

 

「分かってるよ。俺は長生きするつもりだ。孫の顔を見るまでは死なん」

 

「……まだ結婚もしていないのに、気が早いですな」

 

二人は軽く笑い合う。

 

病室の空気は、さっきまでのカオスが嘘のように穏やかだ。戦いの余韻と、次なる戦いへの予感。そして、男同士の奇妙な友情(片方は赤面するが)

 

だが、俺は確かに感じていた。

 

銀河の向こう側に、俺と同じように「やれやれ」と溜息をつきながら、とんでもないことをやってのける奴がいることを。

 

「さて、そろそろ行くか。仕事が山積みだ」

 

ロイエンタールが軍帽を被り直す。

 

「ああ。頼んだぞ。俺の分の書類も、うまいこと処理しておいてくれ」

 

「……それはご自分でやってください」

 

「ケチ」

 

彼は背を向け、マントを翻して病室を出ていく。その背中は、いつになく気合が入っているように見えた。

 

「……ふぅ」

 

一人残された俺は、再びベッドに沈み込む。

 

静寂。

 

今度こそ、眠れるか?

 

いや、無理だろうな。

 

俺の脳裏には、まだ見ぬ敵の姿がこびりついて離れない。

 

「曲者、か……。会いたくないもんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リッテンハイム侯たちの嵐が去り、ロイエンタールとのしっとりとした(?)時間が終わり、ようやく静寂が訪れたと思っていた。だが、俺の野生の勘が告げている。「まだだ、まだ終わらんよ」と。

 

コンコン。

 

ノックの音が軽い。でも、そこはかとなく気品と、隠しきれない焦燥感が滲み出ているようなノックだ。

 

「入れ」

 

俺が許可を出すと、ドアが静かに開く。

 

現れたのは、金髪の天使……じゃなくて、金髪の若き獅子、ラインハルト・フォン・ミューゼル中将だ。その背後には、影のように赤毛のノッポ、ジークフリード・キルヒアイス少将が控えている。

 

ラインハルトの表情は硬い。いつもの「俺が宇宙の中心だ」と言わんばかりの傲慢な輝きがない。まるで、テストで赤点を取って親に報告しに来た小学生みたいな、しょんぼりとしたオーラを纏っている。

 

「……ファルケンハイン元帥」

 

「おう、ラインハルトか。生きてて何よりだ。キルヒアイスも無事でよかったな」

 

努めて明るく声をかける。ベッドの上から手を振ろうとしたが、激痛が走ったのでやめた。顔だけで笑う。

 

ラインハルトはベッドの傍まで来ると、直立不動の姿勢を取る。そして、蒼氷色の瞳を俺に真っ直ぐに向けてきた。

 

「……この度は、私の未熟さゆえに、貴官に多大な損害と、深手を負わせてしまった」

 

低い声。でも、よく通る声だ。

 

「深く、詫びる。すまなかった」

 

さらに彼は、その美しい頭を下げた。深々と。

 

……は?

 

我が目を疑った。幻覚か?鎮痛剤の副作用でラリってるのか?あのラインハルトが?天上天下唯我独尊の化身みたいな彼が?自分より階級が上とはいえ、他人に頭を下げて謝罪している?

 

「……さらに、感謝する。貴官の救援がなければ、私とキルヒアイスは今頃、イゼルローン回廊の塵となっていたであろう。……礼を言う」

 

「おい!やめろ!ストップ!ストップだ!」

 

悲鳴を上げて彼を制止する。

 

「な、何ですか、閣下?」

 

キルヒアイスが驚いて口を挟む。

 

「何ですかじゃないよ!お前ら、気象衛星のデータを確認したか!?明日はイゼルローン要塞に雪でも降るんじゃないか!?それとも要塞が爆発する前触れか!?」

 

ガクガクと震えながら叫ぶ。

 

「お前が素直に謝罪と礼を言うなんて!天変地異の前触れか!?怖い!逆に怖い!俺の知ってる生意気な金髪の孺子(こぞう)はどこへ行ったんだ!?」

 

俺の言葉に、ラインハルトが顔を上げる。その頬が、怒りと恥辱でさっと赤く染まる。

 

「なっ……!人がせっかく殊勝に反省して、謝罪しているというのに!貴様という男は……!!」

 

「いやだって、おかしいだろ!お前なら『ふん、次はもっとうまくやるさ』とか言って、ふてぶてしく帰っていくのがキャラだろ!?なんでそんないい子になってるんだよ!気持ち悪い!」

 

「き、気持ち悪いとは何だ!俺は礼儀を知らんわけではない!自分の非を認める度量くらい持っているわ!」

 

ラインハルトが柳眉を逆立てて怒鳴る。

 

ああ、これだ。この反応だ。俺はホッとする。やっぱりラインハルトはこうでなくちゃいけない。

 

「ははは!冗談だよ。安心しろ、ラインハルト。お前のその生意気さが戻ってきて安心したよ」

 

「……貴様、俺をおちょくっているのか?」

 

「まさか。俺はお前を買ってるんだよ。失敗して落ち込んでる湿っぽいラインハルトなんて見たくないからな」

 

俺はニヤリと笑う。

 

ラインハルトは「ふん!」と鼻を鳴らし、腕を組む。

 

「……まあいい。とにかく、借りは作った。これは必ず返す」

 

彼は俺の全身の包帯とギプスをじろりと見る。

 

「肋骨六本に、右腕粉砕骨折か。……無様だな」

 

「うるさいな。誰のせいでこうなったと思ってるんだ。名誉の負傷と言え」

 

「ふん。早く治せ。貴様がいつまでも寝込んでいると、帝国軍の戦力が低下するからな。……それに、張り合いがない」

 

最後の一言は、とても小さかった。でも、俺の耳は聞き逃さない。

 

「次こそは、俺が貴様を助けてやる! 俺が先行し、貴様が遅れをとった時、私が颯爽と現れて救ってやるのだ。だから……それまで死ぬなよ」

 

ツンデレか。この時代の美形はどいつもこいつもツンデレなのか。

 

でも、ラインハルトの言葉には熱がある。純粋な対抗心と、それ以上の信頼。

 

「ああ、期待してるぞ。ブラザー」

 

俺がそう呼ぶと、ラインハルトは一瞬きょとんとして、それから少しだけ口元を緩めた。

 

「……フン。勝手なことを」

 

「行くぞ、キルヒアイス」

 

「はっ。……ファルケンハイン元帥、どうぞお大事に」

 

キルヒアイスが深々と一礼し、二人は病室を出て行った。

 

嵐のような、でも清々しい風が通り抜けていった気分だ。

 

「やれやれ……。退屈しないな、この要塞は」

 

天井を見上げる。ラインハルト・フォン・ミューゼル。彼に「借りを返す」と言わせたんだ。投資としては上々だろう。

 

……いや、やっぱり痛いから安くない。請求書を送ってやりたい。

 

 

 

 

 

 

見舞い客のラッシュが終わり、本当の闘病生活が始まった。

 

俺の心の支え、そして恐怖の源であるアナは、要塞の司令官代理として激務をこなしている。俺がダウンしている間、要塞の運営、修理の指揮、本国への報告、全て彼女がやっているのだ。ここに来る時間はほとんどない。

 

だが、彼女は来る。深夜、全ての業務が一段落したわずかな隙間時間に。

 

ウィーン。

 

静かな駆動音と共にドアが開く。

 

「……アル様。起きていらっしゃいますか?」

 

アナが入ってくる。彼女の美しい顔には、疲労の色は見えない。その声色には深い慈愛が満ちている。

 

「ああ、起きてるよ。アナが来ないかと思って待ってたんだ」

 

嘘をつく。さっきまで痛くて眠れなかっただけだ。

 

彼女はベッドの傍らに座る。冷んやりとした手が、俺の熱っぽい額に触れる。気持ちいい。

 

「お熱がありますね。……痛みは?」

 

「あるけど、アナの顔を見たら半分くらいになったよ」

 

「ふふ、お上手ですね」

 

彼女は微笑む。その笑顔を見るだけで、鎮痛剤一本分くらいの効果がある。俺は彼女を抱きしめたい衝動に駆られる。この華奢な体を腕の中に閉じ込めて、甘えたい。

 

だが、できない。

 

右腕は吊られているし、肋骨はコルセットでガチガチだ。ちょっと動くだけで激痛が走る。

 

「……抱きしめたいけど、骨が折れてるからお預けだな」

 

俺が残念そうに言うと、アナスタシアは少し意地悪な顔をする。

 

「そうですね。今は我慢してください。……でも」

 

彼女は俺の耳元に顔を寄せる。吐息がかかる距離。

 

「治ったら、覚悟してくださいね?」

 

「……え?」

 

「治ったら、この二ヶ月分の『愛』を、たっぷりと注ぎ込ませていただきますわ。……物理的なトレーニングも含めて、ね♡」

 

ゾクッ。

 

背筋に悪寒が走る。愛のムチか。それとも文字通りの意味か。彼女の場合、冗談に聞こえないのが怖い。

 

「な、何のご褒美だ? それとも刑罰か?」

 

「ふふふ。それは退院してからのお楽しみです」

 

彼女は意味深に笑い、俺の頬にキスをした。

 

「おやすみなさい、アル様。早く治してくださいね。……待っていますから」

 

彼女は去っていく。

 

残された俺は、恐怖と期待でドキドキしながら、天井を見つめるしかなかった。

 

 

それから、俺のリハビリ生活は凄絶を極めた。

 

アナ「覚悟してくださいね」という言葉が、強烈なモチベーション(と恐怖)になったのは間違いない。

 

「動け! 俺の細胞! 超回復だ!」

 

ベッドの上で、できる限りの筋トレ(もどき)を続けた。軍医に見つかって怒られるたびに、「これは生存本能だ!」と言い返した。

 

普通なら全治六ヶ月。リハビリを含めれば一年はかかる重傷だ。肋骨六本、複雑骨折、肺損傷。人間なら廃人になってもおかしくない。

 

だが、俺はアルブレヒト・フォン・ファルケンハインだ。

 

驚くべきことに、俺の骨は異常なスピードで癒合を始めた。筋肉も落ちるどころか、微細なトレーニングによって維持されている。

 

一ヶ月でベッドから起き上がり。 二ヶ月で歩行訓練をパスし。 三ヶ月目には、ギプスが外れた。

 

そして、運命の最終検査の日。

 

レントゲン写真とCTスキャン画像を見た軍医は、絶句していた。

 

「……ありえない」

 

彼は震える手で眼鏡を直しながら、画像を凝視している。

 

「骨折線が……完全に消えている。肺の損傷痕も、ほとんど見当たらない。筋肉量も入院前とほぼ変わらない。……なんだこれは?」

 

彼は俺を振り返る。その目は、人間を見る目じゃない。新種の未確認生物を見る目だ。

 

「……化け物だ」

 

「失礼なもんだぜ」

 

診察台の上で、新品同様になった右腕をぐるぐると回して見せる。痛みはない。関節の動きもスムーズだ。

 

「これは『愛の力』と『サボりたい執念』のなせる技だ!俺は早く退院して、ふかふかのソファで惰眠を貪りたかったんだよ!」

 

「執念だけで細胞分裂を加速させたというのですか……?学会で発表したら歴史が変わりますよ……」

 

軍医はブツブツと言っているが、事実は事実だ。

 

「で、退院許可は出るんだろうな?」

 

「……出さざるを得ません。医学的に、あなたは健康体です。むしろ入院前より数値がいいくらいです」

 

軍医はため息交じりに診断書にサインをする。

 

「やったぜ!」

 

ガッツポーズをする。

 

これで自由だ。あの狭い病室とも、不味い病院食ともおさらばだ。

 

スキップでもしそうな勢いで病院を出て、自分の執務室へと向かった。

 

そこで待っていたのは、山のような書類と、満面の笑みを浮かべたアナだった。

 

「おめでとうございます、アル様。完全回復ですね」

 

「ああ!戻ったぞアナ!さあ、感動の再会だ!」

 

両手を広げて彼女に抱きつこうとする。

 

だが、彼女はスッと身をかわした。

 

「?」

 

「お約束通り、退院のお祝いとリハビリを兼ねて、特別なメニューをご用意しました」

 

彼女が指パッチンをする。

 

執務室のモニターに、ズラリと表示されるスケジュール表。

 

『朝4時起床:ランニング20キロ』 『午前:格闘訓練(対アナスタシア)』 『午後:射撃訓練および戦術シミュレーション』 『夜:書類決裁(残業あり)』

 

「……は?」

 

固まる。

 

「な、なんだこれは?」

 

「『覚悟してくださいね』と申し上げたはずです。三ヶ月も寝ていたのですから、体がなまっています。それに、統帥本部からの未処理案件が山積みです」

 

アナはニッコリと笑う。悪魔だ。美しい悪魔がここにいる。

 

「さあ、始めましょうか、アル様? まずは手始めに、私とスパーリングです。手加減はしませんよ?」

 

彼女が構える。その動きには一切の隙がない。

 

「ちょ、ちょっと待て!俺は病み上がりだぞ!?労れ!優しくしろ!」

 

「あら、軍医からは『化け物並みの回復力』とお墨付きを頂いています。遠慮はいりませんね!」

 

「ぎゃあああああああ!!」

 

執務室に、俺の断末魔が響き渡る。

 

こうして、俺の闘病生活は終わりを告げ、それ以上に過酷な日常が戻ってきたのだった。

 

平和な日々?惰眠?

 

そんなものは、この銀河のどこにもないらしい。




ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

あなたが一番好きだった
・キャラの場面
・セリフ
・笑ったところ
・胸に残ったところ
などなど、
一言でも教えていただけたら、とても励みになります。

特に――
「ロイエンタールの赤面はどう感じたか?」
「ラインハルトの謝罪はアリだったか?」
ここ、作者としてめちゃくちゃ気になっています。

次話以降も、戦場と日常の狭間で
アルがしぶとく生き延びますので、
ぜひお付き合いください。

あなたの感想が、次の戦場での力になります。

そろそろ長期連載になってきたので章ごとに簡単なあらすじ(ネタばれあり)をつけるべき?

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