銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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イゼルローン会戦後、自由惑星同盟は祝賀ムードに包まれていた。
しかし、最も静かに暮らしたい男――ヤン・ウェンリー准将にとって、それは災厄の始まりでしかなかった。

ミサイル艦隊で生還したホーランド提督が、記者会見で突如ヤンを絶賛。
その熱量は戦果報告を越え、ついには公衆の面前で「愛している」と宣言する始末。
軍、政治、メディアを巻き込んだ混乱の中、ヤン准将は否応なく引っ張り込まれていく——。

これは、自由惑星同盟の裏側で密かに起きた、
史上最も騒がしい人事劇の記録である。


同盟編~魔術師と猛牛の、奇妙な友情~
ホーランド、愛を語る。ヤン、胃を痛める。


自由惑星同盟の首都、ハイネセン。 その心臓部である統合作戦本部の大会議室は、今まさにカオスと感動の渦に飲み込まれている。

 

シャンパンの栓が抜ける音が祝砲のように響き渡り、紙吹雪が舞う中、一人の初老の男が顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。

 

誰あろう、今回のイゼルローン攻略戦(結果的には引き分けだが、生還しただけで奇跡)の総司令官、ロボスだ。

 

いや、訂正しよう。今日から彼は「ロボス元帥」である。

 

「ううっ……! まさか、この私が元帥になれるとは……! 夢じゃないだろうな!? 誰か私の頬をつねってくれ! いや、痛いのは嫌だからマシュマロでも投げてくれ!」

 

ロボスはハンカチで鼻水を拭いながら、まるで子供のようにわめいている。威厳? そんなもの、この部屋の入り口に置いてきたらしい。彼の軍服の胸には、真新しい元帥杖の徽章が輝いているが、本人の顔が緩みすぎていて、まるでオモチャのバッジに見える。

 

周囲を取り囲む下士官や女性兵士たちが、黄色い声を上げて拍手している。

 

「ロボス閣下、おめでとうございます!最高です!」

「閣下、鼻水出てますよ! 拭いてあげます!」

「今日の閣下は一段と可愛いぞー!マスコットにしてー!」

 

アイドルか。ここは軍の本部じゃなくてアイドルの握手会会場なのか。

 

ロボスという男、昼寝が好きで作戦は大味、部下に丸投げするのが得意技という、軍人としては「どうなの?」という人物だ。だが、その「人畜無害さ」と「愛嬌」だけは天下一品である。今回も、結果的に多くの兵士が生還したことで、彼の株は爆上がりしていた。「あのおじいちゃんについていけば、なんか助かるらしい」という、招き猫的な信仰が生まれつつある。

 

「ありがとう!ありがとう皆!私は幸せ者だ!この喜びを、昼寝の時間に換えて皆に還元したい!」

 

「閣下、それはただの職務怠慢です!」

 

ドッと笑いが起きる。平和だ。戦争が終わった直後とは思えないほど、緊張感がない。

 

そんな浮かれた騒ぎを、部屋の隅にあるドリンクコーナーから冷ややかな目で見つめる男が二人。

 

一人は、黒髪のボサボサ頭に、どこか眠そうな瞳をした青年。ヤン・ウェンリー。今回、准将に昇進したばかりの「英雄」だ。手にはブランデー入りの紅茶を持っている。 もう一人は、知的な風貌の事務屋、アレックス・キャゼルヌ少将だ。

 

「……現金な人だねえ。あんなに泣くことないだろうに」

 

ヤンが呆れたように呟く。彼はこういうお祭り騒ぎが大の苦手だ。目立たず、騒がず、歴史の影でひっそりと年金生活を送るのが夢なのに、現実は真逆の方向に爆走している。

 

「まあ、喜怒哀楽がはっきりしている上官というのは、何を考えているかわからない能面みたいな奴よりはマシか。扱いやすいと言えば扱いやすい」

 

「まったくだ。それに、彼が元帥になったおかげで、今回の作戦の『功労者』であるお前の評価も鰻登りだ。年金が増えてよかったな、ヤン『准将』」

 

キャゼルヌがニヤニヤしながら、ヤンの新しい階級章を指先で突く。

 

「やめてくださいよ、先輩。階級が上がったってことは、それだけ責任と仕事が増えるってことです……。給料が増えた分以上に、胃薬代がかさむ未来しか見えません」

 

ヤンは深々とため息をつく。今回の昇進は、彼にとっては「懲罰」に近い。准将になれば、艦隊の指揮を任される可能性が高くなる。つまり、前線に出る機会が増える。死ぬ確率が上がる。最悪だ。

 

「贅沢を言うな。今回の撤退戦、お前の献策がなければ全滅していたかもしれないんだぞ。ロボス閣下も、あそこで泣きながら『ヤンのおかげだ~』と拝んでいる」

 

視線の先では、ロボスが「ヤンはどこだ! 私のヤン・ウェンリーにキスをしてやりたい!」と叫んでキョロキョロしている。

 

「うげっ。逃げましょう、先輩。おっさんのキスなんて、どんな罰ゲームですか」

 

ヤンが身を翻そうとした、その時だ。

 

会議室の巨大モニターに、「速報」の文字が躍る。

 

『中継:第11艦隊司令官就任・ホーランド中将、緊急記者会見』

 

画面が切り替わる。 そこには、無数のフラッシュを浴びて立つ、精悍な男の姿があった。ホーランドだ。今回の戦いで、イゼルローン要塞にミサイルをぶち込み、生還した猛将。彼もまた、中将への昇進と、再編される第11艦隊の司令官就任が決まっていた。

 

「お、始まったぞ。時の人の会見だ」

 

キャゼルヌが面白がって画面を指差す。ヤンは嫌な予感がして足を止める。

 

画面の中のホーランドは、マイクを握りしめ、自信満々の笑みを浮かべている。まるでロック歌手のようだ。

 

『ホーランド提督!』

 

記者が質問を飛ばす。

 

『今回の戦い、イゼルローンの外壁を破壊したあの『ミサイルの雨』、見事でした!敵の要塞砲を封じ、味方の撤退を援護したあの一撃は、同盟軍の歴史に残る武勲です!』

 

会場がどよめく。確かに、あれは派手だった。市民受けも最高にいい。

 

ホーランドは、ふっと笑い、キリッとした表情を作る。カメラ目線だ。練習してきたに違いない。

 

『いや、過大評価だ。諸君、私は所詮、壁にヒビを入れたに過ぎん。ただの石投げだ』

 

謙遜している。あの「俺が俺が」のホーランドが謙遜している。これだけでもニュースだが、彼の口は止まらない。

 

『真に評価されるべきは、私の石投げではない!敵の猛攻を一身に引きつけ、その隙を作ったロボス元帥の懐の深さ!そして何より……』

 

ホーランドは一拍置く。溜める。演出が細かい。

 

『敵精鋭部隊、あの『金髪の孺子』率いる艦隊を、完璧な包囲戦術で壊滅に追い込み、我々の退路を切り開いた、ある男の知略にある!』

 

ヤンの背筋に悪寒が走る。やめろ。名前を出すな。俺はただの事務処理係だ。歴史のあだ花だ。

 

『その男の名は、ヤン・ウェンリー准将だ!!』

 

ドカーン!と効果音が聞こえてきそうな勢いで、ホーランドが叫ぶ。

 

『おお!エル・ファシルの英雄、ヤン准将ですか!』

 

『やはり彼が噛んでいましたか!』

 

記者たちが色めき立つ。カメラのフラッシュが焚かれまくる。

 

『そうだ!彼の献策なくして、生還はなかった!彼は魔術師だ!私がハンマーなら、彼はそれを振るうための精密な設計図だ!』

 

ホーランドは熱弁を振るう。身振り手振りが大きい。

 

『私は、彼に惚れた!!』

 

ブッ。 会場のどこかで誰かが吹き出す音がした。

 

『こ、言葉の綾ですか、提督?』 記者が恐る恐る聞く。

 

『いや、本気だ! 私は、新生第11艦隊の司令官に内定しているが、その暁には、ぜひヤン准将を参謀長に迎えたいと考えている!』

 

ヤンが「ひいっ」と小さな悲鳴を上げる。キャゼルヌが腹を抱えて笑い出した。

 

「おいおい、プロポーズだぞヤン。モテモテだな」

 

「笑い事じゃないですよ!」

 

画面の中のホーランドは止まらない。彼はカメラを指差した。まるで、テレビの前のヤンを見据えるように。

 

『ヤン・ウェンリー!見ているか!君の頭脳と、私の行動力が合わされば、銀河に敵なしだ!鬼に金棒、虎に翼、ホーランドにヤンだ!』

 

どんな例えだ。

 

『私は君を必要としている!君なしでは、夜も眠れない!作戦盤の前で、君と朝まで語り合いたい!君の紅茶になりたい!』

 

暴走している。アドレナリンが出すぎて、言語中枢がおかしくなっている。

 

『ヤン、愛してるぞー!!早く私のところに来い!!待ってるからな!!』

 

ホーランドは満面の笑みで、カメラに向かってウィンクまで飛ばした。

 

会場は一瞬の静寂の後、爆笑と拍手に包まれる。

 

「熱い! 熱い男だホーランド!」

 

「これが男の友情か!」

 

「新しい名コンビの誕生だ!」

 

……ハイネセンの統合作戦本部では、ヤン・ウェンリーが真っ白な灰になって崩れ落ちていた。

 

「……終わった。私の平穏な人生が、音を立てて崩れていく……」

 

「元気出せよ、ヤン。愛されてるじゃないか。『君の紅茶になりたい』なんて、なかなか言えるセリフじゃないぞ」

 

キャゼルヌは涙を流して笑っている。

 

「誰か……私を無人の惑星に左遷してください……。歴史編纂室でもいい……。ここじゃなければどこでもいい……」

 

ヤンの悲痛な願いは、誰にも届かない。周りの下士官たちが「准将!おめでとうございます!ホーランド提督とラブラブですね!」と冷やかしに来るからだ。

 

翌日。

 

ヤンは自宅の官舎で、憂鬱な朝を迎えていた。 昨夜はユリアンが「提督、テレビですごいことになってましたよ」と目を輝かせて報告してくるのを適当にあしらい、ふて寝した。

 

「……はあ。夢であってくれ」

 

寝癖のついた頭で、ヤンはダイニングテーブルに着く。ユリアンが淹れてくれた紅茶の香りが、唯一の癒やしだ。

 

「おはようございます、提督。新聞、来てますよ」

 

ユリアンが、ニッコリ笑って新聞を差し出す。その笑顔が、なぜか引きつっているように見えるのは気のせいか。

 

「ありがとう、ユリアン。……平和なニュースだといいんだが」

 

ヤンは紅茶を一口すすり、新聞を広げる。

 

「ぶふっ!!!!!」

 

盛大な噴射音。ヤンの口から、霧状になった紅茶が勢いよく吹き出される。

 

一面トップ。デカデカと掲載されたのは、満面の笑みで指を差すホーランドと、困り顔のヤン(過去の資料写真)を並べた合成写真。

 

そして、その見出しは。

 

『イゼルローンの英雄、エル・ファシルの英雄に熱烈ラブコール!』

 

『最強コンビ結成か? ホーランド提督「愛している」「君の紅茶になりたい」と公言!』

 

『軍事ロマンスの幕開け!? 二人の愛の行方は!?』

 

「な、な、な……っ!!」

 

ヤンは咳き込みながら、紙面を凝視する。

 

記事の中身も酷い。

 

「ホーランド提督の情熱的なアプローチに、ヤン准将はどう答えるのか?」

 

「関係者によると、二人は以前から視線を交わしていたという(嘘)」

 

「これは軍の人事に革命を起こす『愛の力』となるか」

 

ゴシップ誌か。これは国防日報だぞ?なんでこんなピンク色の記事になってるんだ。

 

「……誤解を招く見出しはやめてくれ……。頼むから……」

 

ヤンはテーブルに突っ伏した。

 

「提督、大丈夫ですか?……あ、ちなみにネットニュースの方では、『ヤン×ホーランド』か『ホーランド×ヤン』かで論争が起きてるみたいですよ」

 

ユリアンが無邪気に追加情報を投下する。

 

「ユリアン。……私は今、猛烈に旅に出たい」

 

「ダメですよ。今日は10時から統合作戦本部で、ホーランド提督との合同戦略会議があるんですから」

 

「……仮病を使おう。風邪だ。いや、熱帯性睡眠病だ」

 

「はいはい、着替えてくださいね。遅刻したら、ホーランド提督が迎えに来ちゃいますよ?『愛しのヤン!』って叫びながら」

 

その光景を想像して、ヤンは震え上がった。

 

迎えに来る。あの猛牛が。官舎の前でスピーカーを使って愛を叫ぶかもしれない。近所迷惑どころの話じゃない。

 

「……行くよ。行けばいいんだろ」

 

 

 

 

 

 

 

電話のベルが鳴り止まない。 ハイネセンの官舎街にあるヤン・ウェンリーの自宅は、今や敵襲警報が鳴り響く最前線の要塞よりも騒がしい。

 

「……はい、ヤンです」

 

ヤンは諦観の境地で受話器を取る。紅茶が冷めている。ユリアンが心配そうにこちらを見ているが、ヤンは「大丈夫だ、ただの災厄だよ」と目で合図を送る。

 

『おう!ヤンか!私だ、ホーランドだ!』

 

受話器の向こうから、鼓膜を破らんばかりの大音声が響く。スピーカーにしていないのに、部屋の隅にいるユリアンにまで聞こえているレベルだ。この男の声帯はどうなっているんだ。

 

「……ホーランド提督。昨日の会見以来、これで十五回目のお電話ですが」

 

『ハッハッハ!回数などどうでもいい!それよりヤン、決心はついたか?私の参謀長になる件だ!制服のサイズはMでいいか?それともユッタリ着たい派か?』

 

気が早い。まだ承諾もしていないのに、制服の発注をかけようとしている。

 

「いえ、ですから、何度申し上げましても答えは同じです。私はパエッタ提督の第2艦隊への配属が内定しておりまして……」

 

これは嘘ではない。実際に辞令の準備が進んでいるはずだ。パエッタ中将は堅物で融通が利かないが、少なくとも「君の紅茶になりたい」とか叫ぶ変態ではない。常識の範囲内で付き合える相手だ。

 

『パエッタ?ああ、あの石頭か!気にするな!』

 

ホーランドが一蹴する。

 

『パエッタには俺から言っておく!「ヤンは私がもらった、貴様にはやらん!」とな!彼は真面目だから譲ってくれるだろう!』

 

「いや、真面目だからこそ人事の横槍は嫌がると思いますが……」

 

『固いこと言うな!形式など後からついてくる!俺に必要なのはお前なんだ!お前の脳みそと、俺の筋肉……いや、行動力が合体すれば、帝国軍など恐るるに足らずだ!』

 

合体させないでほしい。

 

「光栄ですが、私には荷が重すぎます。失礼します」

 

ヤンは逃げるように受話器を置く。ガチャリ。

 

ふう、と息を吐く。

 

「提督、またホーランド中将ですか?」

 

ユリアンが苦笑いしながら、温かい紅茶を淹れ直してくれる。

 

「ああ。あのエネルギーはどこから湧いてくるんだろうね。恒星の核融合炉でも内蔵してるんじゃないか」

 

「熱烈ですねえ。そこまで必要とされたら、悪い気はしないんじゃないですか?」

 

「悪い気しかしないよ。あの人と一緒にいたら、私の寿命がマッハで縮む。……今日はもう電話線抜いておこうかな」

 

そう言ってヤンがブランデーに手を伸ばしかけた、その時だ。

 

ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!!

 

チャイムが連打される。いや、連打というより、指で押しっぱなしにしているリズムだ。

 

「……ユリアン。居留守だ。絶対に開けるなよ」

 

ヤンが小声で指示する。

 

「え、でも、モニターに……」

 

ユリアンがインターホンの画面を指差す。そこには、満面の笑みで巨大な箱を抱えた男が映っている。カメラ目線だ。

 

『よう!ヤン!いるのは分かってるぞ!菓子折り持ってきたぞ!ハイネセン名物の高級メロンだ!入るぞ!』

 

言うが早いか、ドアノブがガチャガチャと回される。

 

「うわぁ!?鍵!鍵はかかってるよな!?」

 

ヤンが慌てる。

 

『開けろー!愛しの参謀長ー!恥ずかしがるな、男同士だろう!』

 

ドア越しに響く野太い声。近所の犬が吠え始める。隣の家の主婦が窓から顔を出すのが気配でわかる。

 

「……もうだめだ。警察を呼ぶか、MPを呼ぶか……」

 

「提督、諦めて開けましょう。ドアが壊されそうです」

 

ユリアンがため息をつき、ロックを解除する。

 

バンッ!!

 

「ハッハッハ!やっと会えたな、我が友よ!」

 

風と共に去りぬ、ではなく、風と共に侵入してきたホーランドは、土足のまま上がり込みそうな勢いだ(ユリアンが必死にスリッパを出して阻止する)

 

「……閣下。ここは個人の住居でして……」

 

「細かいことは気にするな!ほら、メロンだ!食え!そして語ろう!我々の未来について!」

 

ホーランドはダイニングの椅子にドカッと座り込む。我が物顔だ。

 

結局、その日は深夜まで、ホーランドの「俺の考えた最強の艦隊戦術」を聞かされる羽目になる。ヤンは紅茶を飲むふりをして、ひたすら相槌を打つマシーンと化した。

 

 

 

 

 

翌日。

 

寝不足の目をこすりながら、ヤンは統合作戦本部長室に呼び出される。 扉を開けると、そこにはげっそりとやつれたシトレ元帥の姿がある。目の下にクマができている。

 

「……ヤンよ」

 

シトレの声に覇気がない。

 

「はっ。お呼びでしょうか、本部長閣下」

 

「……これを見ろ」

 

シトレが指差したのは、執務室の隅にあるソファだ。そこには、なぜか迷彩柄の寝袋が丸められて置いてある。さらに、カップラーメンの空き容器がピラミッドのように積まれている。

 

「……なんですか、あれは」

 

「ホーランドだ」

 

シトレが虚空を見つめて呟く。

 

「奴が、昨日の夜から私の執務室に寝袋を持ち込んでな……。『ヤンをくれるまでここから梃子でも動かん』と言い張って、本当に一晩泊まり込みおった」

 

「……」

 

ヤンは言葉を失う。現役の中将が、元帥の部屋で座り込みのハンガーストライキ(カップ麺は食ってるが)とは。

 

「私が仕事をしようにも、横から『ヤンの辞令はまだですか』『ハンコ押すだけでしょう』と囁き続けてな……。トイレに行くにもついてくる勢いだった」

 

シトレが震える手で頭を抱える。

 

「ご、ご迷惑をおかけします……」

 

ヤンは深々と頭を下げるしかない。自分のせいではないが、元凶は自分にある。

 

「根負けだ。私の精神衛生と、統合作戦本部の治安維持のために、奴の要求を飲むことにした」

 

「えっ」

 

「それに、奴は国防委員会にも手を回していたぞ」

 

シトレがモニターを操作する。映し出されたのは、国防委員長トリューニヒトだ。あの食えない政治家も、なぜか少し疲れた顔をしている。

 

『……ホーランド提督の熱意には負けたよ』

 

トリューニヒトが画面の中で肩をすくめる。

 

『会議の休憩中にトイレに行ったら、隣の個室から奴が出てきてな。『ヤン准将をくれれば、必ずや貴方に勝利を捧げる』『次の選挙の票も約束する』と、熱っぽく語られてはな……。あそこまでやられたら、認めざるを得ん』

 

トイレで直談判。もはやストーカーを超えてホラーだ。

 

「……国防委員長まで……」

 

ヤンは絶望する。政治家をも動かす(というかドン引きさせて折れさせる)ホーランドの情熱。このエネルギーを対帝国戦に向けられれば勝てるのではないか。

 

シトレが一枚の紙をデスクに置く。

 

辞令。

 

『ヤン・ウェンリー准将を、第11艦隊参謀長に命ずる』

 

その文字が、ヤンの目には『地獄への片道切符』に見える。

 

「……拒否権は?」

 

「あると思うか?奴は今、廊下で正座して待っているぞ。『ヤンが出てくるまで待つ』とな」

 

ヤンは天を仰ぐ。

 

「……はあ。私の人生、いつもこれだ」

 

彼は辞令を受け取る。紙が重い。鉛の板のようだ。

 

「……謹んで、拝命いたします」

 

「すまんな、ヤン。……だが、毒を食らわば皿までだ。奴の手綱を握れるのはお前しかいない。頼んだぞ」

 

シトレの目は、「厄介払いができてよかった」という安堵と、「生贄にしてすまん」という憐憫が入り混じっていた。

 

 

 

 

 

 

 

数日後。第11艦隊旗艦《エピメテウス》の作戦室。

 

ヤンは参謀長の席に座り、死んだ魚のような目でホログラムを見つめている。 目の前では、ホーランドが指揮棒(なぜかピカピカ光る特注品)を振り回して熱弁を振るっている。

 

「見よ、ヤン参謀長!これが私の考案した新戦術、『芸術的艦隊運動・改』だ!」

 

ホーランドがボタンを押す。 ホログラム上の青い艦隊マーカーが、一斉に動き出す。

 

「敵前で全艦が一斉に180度回頭!さらにそこから花が開くように上下左右に散開する!敵は我々の美しさに目を奪われ、照準を合わせることすら忘れるだろう!どうだ!」

 

ドヤ顔のホーランド。ヤンは即答する。

 

「却下です」

 

「なっ!?」

 

「閣下。既存のセオリーを無視することが独創ではありません。それはただ、艦隊が行動の限界点に達する時間を短くし、敵に『どうぞ撃ってください』と腹を見せるだけです」

 

ヤンは淡々と言う。

 

「この回頭中の数分間、我が軍の側背は無防備になります。帝国軍の標準的なビーム砲の射程内であれば、散開しきる前に3割は蒸発します。美しさに目を奪われるのは敵ではなく、爆発する味方の光を見る我々の方です」

 

バッサリ。身も蓋もない全否定だ。普通の司令官なら、「貴様、上官に向かってなんだその口の利き方は!」と怒鳴り散らすところだ。パエッタなら確実に怒る。

 

しかし、ホーランドは違った。

 

彼は目を丸くし、指揮棒を止める。そして、腕を組んで唸る。

 

「……むう」

 

沈黙が数秒。

 

「……なるほど! 理にかなっている!」

 

ホーランドが膝を打つ。

 

「確かに、腹を見せては撃たれるな!言われてみればその通りだ!私としたことが、美学に走りすぎて防御を忘れていた!さすがはヤンだ、私の盲点を突いてくる!」

 

「(えっ、素直……?)」

 

ヤンは瞬きする。怒らない。それどころか、感心している。この猛牛、意外と話が通じるのか?

 

「わかった!改善する!では、このプランBはどうだ!」

 

ホーランドが次のデータを表示する。切り替えが早い。

 

「名付けて『アメーバ式不定形艦隊運動』!陣形を組まず、各艦がランダムに動き回りながら前進する!敵は狙いを絞れず、混乱するはずだ!のらりくらりと躱し、懐に入ってドカンだ!」

 

画面上の艦隊が、まるでミジンコが泳ぐようにバラバラに動いている。

 

「ダメです」

 

ヤンは間髪入れずに言う。

 

「なぜだ!?これなら腹は見せないぞ!」

 

「統制が取れていません。これでは火力の集中ができませんし、通信も混乱します。何より……」

 

ヤンは、画面の赤色マーカー(帝国軍)を指差す。

 

「敵に、戦場全体を俯瞰できる指揮官……例えばラインハルト・フォン・ミューゼルや、あのアルブレヒト・フォン・ファルケンハインがいれば、この陣形は致命的です」

 

「ほう?奴らか」

 

「彼らは、こちらの陣形が伸び切った瞬間を見逃しません。バラバラに動く艦隊の隙間を、高速戦艦で縦深突破(ペネトレイト)してきます。そうなれば、各個撃破されるだけです。アメーバは引き裂かれます」

 

ヤンの脳裏に、あのイゼルローン回廊での戦いが蘇る。アルブレヒトの艦隊が見せた、あの一瞬の突撃力。あれを相手にこんな隙を見せれば、一瞬で食い破られる。

 

ホーランドは真剣な顔で画面を見つめる。

 

「……むうっ!確かにそうだ!奴らは速い!アメーバでは追いつけんか!」

 

彼はヤンの方に向き直り、ガシッと両肩を掴む。

 

「貴様の言う通りだ!私はまたしても、攻撃に夢中で防御の穴を見落としていた!ありがとうヤン!貴様がいなければ、私はまた部下を無駄死にさせるところだった!」

 

「は、はあ……」

 

「わかった!改善する!では、このランダムな動きに一定の法則性を持たせ、相互にカバーできる距離を保つのはどうだ?そうすれば、柔軟性を保ちつつ、突破を防げるか?」

 

ホーランドが目を輝かせて提案してくる。

 

ヤンは驚愕する。 こいつ、学習している。 ただのイケイケドンドンの突撃馬鹿だと思っていたが、指摘されれば即座に修正し、代案を出してくる。柔軟性が高い。プライドよりも実利を、そして何より「勝利」を優先している。

 

「(……この人、本当に私の言うことを聞くぞ……?)」

 

ヤンの中に、小さな、しかし確かな驚きが生まれる。 これまでの上官たちは、ヤンの意見なんて「生意気な小僧の戯言」として聞き流すか、自分のメンツを守るために却下するかのどちらかだった。

 

だが、ホーランドは違う。彼はヤンを「参謀」として、あるいは「パートナー」として、対等以上に扱っている。

 

「……そうですね。相互カバーの距離を1.5光秒以内に設定し、3隻一組のセル(細胞)単位で動くなら、可能性はあります。それなら、柔軟性を維持しつつ、集中砲火も可能です」

 

ヤンが修正案を出す。

 

「おお!セル方式か!素晴らしい!それだ!早速シミュレーションだ!」

 

ホーランドが子供のように喜ぶ。

 

「ヤン!貴様はやはり天才だ!私の思いつきを、実用的な戦術に昇華させてくれる!愛してるぞー!!」

 

「だから、その愛してるはやめてくださいと……」

 

ヤンは頭を抱えるが、その口元は少しだけ緩んでいた。

 

疲れる。うるさい。暑苦しい。

 

でも。

 

「……まあ、話を聞かない上官よりは、マシか」

 

ヤンはボソリと呟き、新しいシミュレーション・パラメーターを入力し始めた。

 

こうして、同盟軍史上、最も騒がしく、最も予測不能で、そして(意外にも)最も相性の良いコンビが誕生したのである。

 

「よしヤン!会議が終わったら飲みに行くぞ!メロン味のブランデーを見つけたんだ!」

 

「……遠慮します。普通の紅茶がいいです」

 

「じゃあ私の部屋で紅茶パーティーだ!」

 

「(なんでそうなるんだ……)」

 

 

第11艦隊。 後に「猛牛と魔術師のサーカス団」と呼ばれることになるこの部隊は、着々と(変な方向に)進化を遂げつつあった。

 

 




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


皆さんがどのキャラクターに一番「共感」または「被害妄想」を抱いたか、ぜひ感想で教えてください。

ホーランドの愛が重すぎる?

ヤンが不憫すぎて笑えた?

なんで同盟はこんなに平和ボケしてるんだ?

ここが面白かった、ここはもっと読みたい!

など、どんな一言でも励みになります!

そろそろ長期連載になってきたので章ごとに簡単なあらすじ(ネタばれあり)をつけるべき?

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