銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
この物語の銀河には、そんな牧歌的な挨拶は一粒も落ちておりません。
今回のエピソードでは、
皇帝の三十周年記念に戦争で花を添えよ
という、銀河規模で間違った指示(原作通り)を前に、
アルブレヒトとラインハルトが振り回される姿を描きました。
笑っていただければ嬉しい。
胸が少しだけ痛んだら、さらに嬉しい。
そして、彼らがどこへ向かうのか見届けていただければ幸いです。
新年なき銀河の元帥たち ― 花を添える戦争
新年あけましておめでとう。 なんて言葉が、銀河のどこを探しても見当たらない。
帝国歴486年、宇宙歴795年。 新しい年が明けた。普通なら、おせち料理(ファルケンハイン領の名物だ)を食って、こたつでミカンを剥きながら、「今年は平和だといいなー」なんてボケっとする時期だ。
俺、アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン元帥も、地獄のリハビリ生活を終えて無事に退院し、ここ帝都オーディンの元帥執務室に戻ってきた。体調は万全だ。アナスタシアに「筋肉が1ミリでも減ったら、電気ショック付きの強制ギプスをプレゼントします♡」と笑顔で脅されているおかげで、毎朝の筋トレは欠かしていない。
今の俺は、ボディビルダーとまではいかないが、そこそこの細マッチョだ。健康的すぎて怖い。
で、だ。そんな健康的な俺の執務室が、今まさに破壊の危機に瀕している。
ガッシャァァァァァン!!
耳をつんざくような破壊音が、広大な部屋に響き渡る。俺の目の前で、美しい陶磁器の破片が床に散らばった。あれ、確かフェザーンの商人から「東洋の神秘的な壺です!これを置けば金運と恋愛運が爆上がり!」って言われて高値で買わされたやつだぞ。アジアンテイストで気に入ってたのに。まだローン残ってるのに。
「(ため息)おい……ラインハルト。俺の仕事を邪魔しに来たのか?それとも、俺の部屋の模様替えを手伝いに来てくれたのか?その割れた壺、結構高いんだぞ。俺の給料三ヶ月分だぞ」
デスクの上の書類(ラインハルトにぐしゃぐしゃにされた残骸)を片付けながら、目の前で肩で息をしている金髪の青年を見上げる。
ラインハルト・フォン・ミューゼル。
昨日付けで、中将から大将に昇進したばかりの、帝国軍の若き至宝。その美しい顔が、今は憤怒で歪んでいる。蒼氷色(アイス・ブルー)の瞳からビームが出そうだ。スーパーサイヤ人ならぬ、スーパー帝国軍人になりかけている。
「知るか! そんな俗物的な価値などどうでもいい!」
ラインハルトが叫ぶ。ついでに、近くにあったサイドテーブルを蹴り飛ばす。おい、それはマホガニー製だ。傷がついたら弁償させるぞ。
「なぜだ!なぜ俺が、俺だけが大将に昇進なのだ!!」
彼は俺のデスクに両手をつき、身を乗り出してくる。顔が近い。美形だから許される距離だが、唾が飛んでくるのは勘弁してほしい。
「あの戦いは負けに近いぞ!我が艦隊は八割を失った!貴官に助けられなければ全滅していた!功績と損失を差し引きすれば、イーブンどころかマイナスだ!降格処分になっても文句は言えん!なのに、なぜ昇進なんだ!?」
彼の言い分はもっともだ。 普通の軍隊なら、あれだけの損害を出した指揮官は、軍法会議にかけられるか、良くても予備役編入だ。昇進なんてありえない。
「貴様のような忖度人事なら糞食らえだ!俺は、俺自身の力で勝ち取った地位でなければ意味がない!恵んでもらった階級章など、ゴミ箱に捨ててやる!」
ラインハルトが胸元の新しい階級章をむしり取ろうとする。
「(軽く頭を振って)だからといって俺に当たるなよ、ラインハルト。俺は人事局長じゃないんだぞ」
冷静に返す。こいつ、俺が裏で手を回したと思っているらしい。心外だ。俺はむしろ「あいつは失敗したんだから、今は叱って伸ばすべきだ」って反対したんだぞ。
その時、部屋の隅から、クスクスという含み笑いが聞こえてくる。
「フフフ。大将閣下。貴官の怒りはごもっとも。純粋培養された戦士としては、実に正しい反応ですな」
壁に寄りかかり、腕を組んでこの惨状を眺めている男。オスカー・フォン・ロイエンタールだ。
こいつ、俺が呼び出したわけでもないのに、「面白そうだから」という理由でついてきた。完全に野次馬だ。
「しかし、世の中は功績と損害の帳尻合わせでは動きません。誰かの思惑があるからこそ、貴官は『英雄』なのです。清濁併せ呑むのも、覇者の条件ですぞ?」
ロイエンタールの左右色の違う瞳、金銀妖瞳(ヘテロクロミア)が、皮肉っぽく光る。彼はラインハルトのこういう青臭いところが嫌いじゃないらしいが、からかうのはもっと好きらしい。性格が悪い。
「黙れ、ロイエンタール!貴様まで俺を小馬鹿にするのか!俺は覇者になど……!」
ラインハルトが食ってかかる。火に油を注ぐなよ、ロイエンタール。
と、そこで、床に這いつくばって黙々と作業をしていた赤毛の男が、静かに口を開いた。
「ラインハルト様、落ち着いてください。これ以上暴れると、ファルケンハイン閣下の執務室が更地になってしまいます」
ジークフリード・キルヒアイス。 ラインハルトの分身であり、保護者であり、今は清掃員だ。彼はチリトリとホウキを手に、割れた壺の破片を器用に回収している。背中から「やれやれ」という哀愁が漂っている。
「キルヒアイス!お前も俺が悪いと言うのか!」
「いいえ。ラインハルト様のお気持ちは痛いほど分かります。ですが……今回の人事、ファルケンハイン閣下の意思ではありません」
キルヒアイスが立ち上がり、真面目な顔で言う。
「閣下は、あなたの昇進に反対していたと聞いています。『今はまだ早すぎる、彼のためにならない』と、宮廷会議で発言されたとか」
「なっ……!?」
ラインハルトが驚いて俺を見る。
「本当か、ファルケンハイン元帥?」
「ああ、本当だとも。俺はお前を甘やかすつもりはないからな。失敗は失敗として、反省させるべきだと言ったさ」
肩をすくめる。
「では、誰が……?」
「キルヒアイス、説明してやれ」
俺が促すと、キルヒアイスは頷いた。
「これは、国務尚書リヒテンラーデ公の、閣下への嫌がらせでしょう」
キルヒアイスの声は落ち着いているが、その内容はドロドロとした権力闘争そのものだ。
「ファルケンハイン閣下の名声が高まりすぎるのを恐れた彼が、対抗馬としてラインハルト様を利用しようとしているのです。あえてあなたを『大将』に引き上げ、閣下と競わせることで、軍部を分断しようという魂胆です」
そう。それが正解だ。 俺がイゼルローンを守り、英雄視されるのが面白くない連中がいる。
彼らは俺の足を引っ張るために、俺が一番目をかけているラインハルトを「ライバル」に仕立て上げたのだ。
「(手を振り)キルヒアイス、余計なことを言うな。俺がまるで被害者みたいじゃないか。……まぁ、そういうことだ」
デスクの上のペン回しをしながら、ラインハルトを見る。
「俺の対抗馬を派手に仕立て上げたいんだろうが、こいつはそれを感謝したりはしないぞ、と踏んでいたがな。……案の定だ。感謝どころか、俺の壺を割りやがった」
苦笑する。貴族たちは、ラインハルトに恩を売ったつもりだろうが、この金髪の猛獣は「餌をもらって喜ぶ犬」じゃない。「なんで俺を鎖に繋ごうとするんだ」って噛み付いてくる狼だ。そのあたりの性格を、あの老人たちは理解していない。
ラインハルトは呆然としている。
「では……俺は、ピエロか?貴族どもの権力争いの道具として、飾り立てられただけなのか?」
彼のプライドはズタズタだ。怒りの行き場を失い、拳を震わせている。
「ふざけるな……!誰がそんな……!」
今にも泣き出しそうな、悔しさに満ちた顔。ああ、面倒くさい。こいつの機嫌を直すのは、核融合炉の爆発を止めるより難しい。
……いや、待てよ?簡単な方法が一つだけあったな。
俺はニヤリと笑う。最強のカードを切る時が来た。
「まぁまぁ、ラインハルト。そう腐るな。悪いことばかりじゃないぞ」
「何が良いことなどあるものか!俺は実力で……!」
「昇進したら、アンネローゼさんに会えるじゃないか」
ピタッ。
ラインハルトの動きが止まった。時が止まったかのように、完全に静止した。振り上げた拳も、怒りに歪んだ表情も、そのままフリーズした。
「……え?」
「忘れたか? 大将になれば、宮中への出入りがより自由になる。それに、昇進の挨拶という名目で、グリューネワルト伯爵夫人……つまり、お前のお姉さんに拝謁する機会も作れる」
俺は畳み掛ける。
「さらに言えば、今回の人事で、お前はしばらく帝都オーディンに留め置かれることになる。艦隊の再編という名目だがな。つまり、前線に行かなくていい。オーディンに滞在できる期間が伸びるんだ」
デスクから身を乗り出し、悪魔の囁きをする。
「お姉さんの近くに、ずっといられるんだぞ?毎日とは言わんが、週に一度くらいはお茶ができるかもしれん。手作りのケルシーケーキが食えるかもしれんぞ?」
「……!」
ラインハルトの瞳孔が開く。蒼氷色の瞳の中に、キラキラとした星が飛び散るのが見えた。背景にピンク色の花が咲き乱れる幻覚が見える。
「あ……姉上……」
彼の口から、甘ったるい声が漏れる。さっきまでの「俺は戦士だ! 誇り高き覇者だ!」というオーラはどこへ行った。完全にただの「お姉ちゃん大好きっ子」だ。
「オーディンに……いられる……。姉上に……会える……?」
「ああ。大将の特権だ。誰も文句は言わん」
「昇進……素晴らしいことではないか」
ラインハルトが呟く。声のトーンが、怒りから歓喜へ、0.1秒でシフトチェンジした。
彼は急に姿勢を正し、真顔に戻る。いや、真顔というより、聖人のような穏やかな顔だ。
「……っ!……そうか。……そうですね、閣下。……ご忠告、感謝いたします」
彼は俺に向かって、深々と、優雅に一礼した。
◆
これは少し時計の針を巻き戻した話だ。 俺がまだ肋骨を六本折って、ベッドの上で芋虫みたいにのたうち回っていた入院生活真っ只中の出来事。 アナの鬼のリハビリが始まる少し前、俺の精神がまだ比較的安定していた(退屈で死にかけていたとも言う)頃の記憶だ。
イゼルローン要塞中央病院、特別病室。 俺は枕元にある通信モニターの呼び出し音で目を覚ます。朝の十時。普通なら二度寝を決め込む時間だが、表示されている発信者名を見て、俺は嫌な予感と共に飛び起きる。
『統帥本部総長:グレイマン上級大将』
あー、出たくない。絶対ろくな話じゃない。仕事の押し付けか、理不尽なクレームか、その両方だ。居留守を使いたいが、俺のバイタルサインはリアルタイムで送信されているから、「寝てました」は通用しない。
ため息をつきながら、通信ボタンを叩く。
「……はい、ファルケンハインです。おはようございます、総長閣下。朝からお元気そうですね、俺は瀕死ですが」
モニターに映し出されたのは、白髪をオールバックにした厳格な軍人、グレイマン上級大将の顔だ。彼は俺の嫌味をスルーして、開口一番、とんでもない爆弾を投げつけてくる。
『ファルケンハイン元帥。体調はどうだ? まあ、口が減らないところを見ると頭は無事なようだな。……単刀直入に言う。出撃命令だ』
「……は?」
耳をほじった。聞き間違いか?今、こいつなんて言った?
「すみません、耳に膿が溜まっているようで。今、シュツゲキ?と聞こえたんですが、シュークリームの差し入れの間違いですよね?」
『残念ながら、私の滑舌は正常だ。貴官に、遠征を命じる。規模は三個艦隊。方面は同盟領深部だ』
俺の脳内コンピューターがフリーズする。 待て待て待て。俺は今、全治数ヶ月の重傷人だ。歩くのもやっとだ。そんな人間に「戦争に行ってこい」だと?労働基準法はどうなってるんだ、この国は。いや、そもそもないけど。
『残念ながら、これは既に閣議で決まり、陛下の裁断を得ている』
グレイマンの声は事務的だが、その奥に「私に文句を言うなよ」という諦めが見える。
『来年は、フリードリヒ四世陛下の即位三十周年記念式典がある。そこで、式典に花を添えるために、帝国軍の勝利という華々しい戦果が必要なのだ』
プツン。俺の中で何かが切れる音がする。
「……花を添える、だと?」
ベッドの上で、激痛を忘れて絶叫する。
「何の冗談ですか!!花を添える!? そんな宴会の余興みたいな理由で、戦争をするんですか!?俺は芸者じゃないんだぞ!」
『落ち着きたまえ、元帥。興奮すると血圧が……』
「落ち着いていられますか!たかが記念パーティーの飾り付けのために、何千、何万という兵士の命をチップとして賭ける気ですか!?そんな無駄な戦場に、俺はこれ以上、部下たちを死なせに行かせられるものか!断る!絶対に嫌だ!」
脇腹の肋骨が「ギギギ」と軋む音がするが、アドレナリンが出すぎて痛みを感じない。いや、痛いけど、怒りの方が勝つ。
グレイマンはモニター越しに、深くため息をつく。彼もまた、中間管理職の悲哀を背負った男なのだ。
『……気持ちはわかる。私とて、無意味な出兵は好まない。だがな、元帥。陛下は、内政においては業績がないに等しいのだ』
彼は声を潜める。
『三十年だぞ。三十年間、特に何もしなかった。庭いじりとバラの栽培以外はな。国民に対して「余はこれだけのことをした」と誇れるものが何もない。だからこそ、外征で『帝国が勝利した』という派手な目くらましをしたいということだ。勝利のパレードがあれば、国民はパンの値段が上がったことなど忘れて熱狂するからな』
独裁国家の常套手段だ。内政の失敗や停滞を、外敵を作ることで誤魔化す。きらびやかな軍服と、勇ましいファンファーレで、腐敗した土台を隠す。
「そんな馬鹿げた目的のために、兵を出すと!?しかも俺を!?俺は便利屋じゃないぞ! 誰だよ!発案者は!」
俺は食い下がる。陛下自身がそこまで考えるとは思えない。あの好々爺は、バラの品種改良のことしか頭にないはずだ。誰かが耳元で囁いたに違いない。
グレイマンは一瞬言い淀み、そして渋々といった様子で答える。
『……国務尚書だ。リヒテンラーデ公、彼が強硬に押し切った』
「あのジジイ~!!」
枕を壁に投げつける。クラウス・フォン・リヒテンラーデ。帝国の行政を取り仕切る古狸。表面上は忠臣を装っているが、その腹の中はタールよりも黒い。
「あいつ、俺が軍を率いて名声を高めるのが気に入らないから、無駄な消耗をさせたいんだろうが!『三十周年の祝賀』という大義名分を使えば、俺が断れないと踏んで!成功すれば『陛下の御威光』、失敗すれば『ファルケンハインの無能』! どっちに転んでも自分は損をしない賭けか!性格が悪すぎるぞ!」
俺の罵詈雑言は止まらない。リヒテンラーデの狙いは明白だ。俺の艦隊を疲弊させ、あわよくば戦死してくれればラッキー、くらいに思っている。
「総長!あなたは止めなかったんですか!軍事のプロとして、『そんな無意味な遠征は戦略的にマイナスです』と言えなかったんですか!」
俺はグレイマンに矛先を向ける。
すると、グレイマンはバツが悪そうに視線を逸らし、衝撃の一言を放った。
『……とにかく、元帥が入院していなければ、ワシも止める手立てもあったのだが……』
「は?」
『いや、ほら。君がいれば、その……君の口から陛下に「今は時期尚早です」と奏上させることもできただろう?君は陛下の覚えもめでたいからな。だが、君はベッドの上だ。リヒテンラーデ公に「ファルケンハイン元帥も、療養中で暇を持て余しているでしょう。リハビリがてら運動させればよい」と言われて、反論できる者がいなかったのだよ』
「……」
俺はわなわなと震える。
「俺のせいかよ!」
右脇腹を押さえてうめく。
「俺が!好きで!入院してると思ってるんですか!イゼルローンを守るために、文字通り体を張って、血を吐いて、骨を折った結果がこれですか!『リハビリがてら戦争』ってなんだよ!散歩じゃないんだぞ!」
『すまん。……だが、決まったことだ。勅命は覆らん』
グレイマンが開き直る。大人の汚いやり方だ。
天を仰ぐ。白い天井が回る。拒否権はない。勅命だ。断れば不敬罪で銃殺、あるいは一族郎党路頭に迷うことになる。行くしかない。このボロボロの体を引きずって。
「……ぐぅぅ……」
うめき声を上げる。だが、ただでは起きない。俺は転んでもタダでは起きない男だ。利用できるものは全て利用してやる。
「……わかりました! わかりましたよ!」
俺はヤケクソ気味に叫ぶ。
「行けばいいんでしょう、行けば!派手な花火を打ち上げて、陛下の三十周年を祝ってやりゃいいんでしょう!その代わり!」
モニターに指を突きつける。
「条件があります!」
『……聞こう』
「今回の遠征に連れて行くのは、俺の直属艦隊、つまり《ロンゴミニアド》を含む精鋭部隊です。……補給と兵站に、一切の不備があっては承知しませんよ!」
俺はまくし立てる。
「最高級の糧食!最新鋭のエネルギーパック!予備パーツは通常の三倍!兵士たちへの特別手当も弾んでください!ついでに慰問団も呼べ!酒もだ!祝賀パレードのための遠征なら、それくらいの予算は降りるはずでしょう!」
どうせ行くなら、厚遇を勝ち取る。リヒテンラーデの財布(国庫)を痛めつけてやる。
「もし、戦場で弾が一発でも足りなかったり、パンにカビが生えていたりしたら、俺は敵より先に統帥本部を爆撃しに帰ってきますからね!覚悟しておいてください!」
脅迫だ。これは完全に脅迫だ。 だが、今の俺は無敵の病人(モンスター)だ。失うものなどない。
グレイマンは、俺の剣幕に押され、むしろホッとしたような顔をする。
『わかっている。補給は万全に取り図ろう。軍務省のケツを叩いてでも、物資は確保させる。……君が引き受けてくれて助かった』
「助かってませんよ!俺は今から胃に穴が開きそうです!」
『頼むぞ、ファルケンハイン元帥。どうか、陛下の顔を潰さぬよう……そして、生きて帰ってきてくれ』
通信が切れる。 プツン。
真っ暗になったモニターに、包帯だらけの情けない自分の顔が映る。
「……はぁ」
ベッドに崩れ落ちる。 肋骨がズキズキと痛む。
「花を添える、か……」
綺麗事だ。その花の肥料になるのは、兵士たちの血肉だ。 リヒテンラーデ公。あの古狸め。いつか絶対に、老人ホームに送り込んでやる。それも、サービス最悪のやつにだ。
◆
回想終わり。現実に戻ろう。
俺の目の前には、さっきまでの「憤怒の魔王」モードから一転して、「恋する乙女」……いや、「姉を慕う健気な弟」モードに切り替わったラインハルトがいる。
彼の周囲には、目に見えないピンク色のオーラが漂っている。幻覚じゃない。今の彼なら、背景にバラの花を背負っても違和感がない。さっきまで俺の壺を割って暴れていた男と同一人物だとは、とても思えない。
「姉上……。昇進のご報告をすれば、きっとお喜びになる……。手土産は何がいいだろうか。キルヒアイス、やはりケーニヒス・ホテルのザッハトルテか?」
「はい、ラインハルト様。アンネローゼ様はお好きでしたから」
「よし、決まりだ。すぐに買いに行くぞ。……ふふ、楽しみだ」
ラインハルトが口元を緩めて笑っている。その笑顔は、あまりにも無邪気で、純粋で、そして美しい。この笑顔を見るためなら、全宇宙の女性が喜んで貢ぎ物をするだろう。
だが。俺は、その笑顔をこれから粉々に破壊しなければならない。
鬼か、俺は。いや、俺じゃない。悪いのはリヒテンラーデ公と、この国の腐った政治システムだ。
「(ため息)……さて、ラインハルト」
俺は心を鬼にして、声をかける。
「お前の昇進祝いは、アンネローゼさんとのティーパーティーだけじゃないぞ。……すぐにでも実行に移してもらう、もう一つの『祝い』がある」
ラインハルトがピクリと反応する。バラ色のオーラが少しだけ薄れる。
「何の話だ?まさか、貴族たちとの退屈な舞踏会か?ならば断る。俺は姉上との時間を……」
「舞踏会なら、どんなにマシだったか」
俺はデスクに肘をつき、指を組む。
「お前と、俺の艦隊に、次の出征が命じられた」
しーん。執務室の空気が凍りつく。
ラインハルトの表情から、笑みが消える。キルヒアイスが目を見開き、ロイエンタールが「おっと」という顔で口笛を吹く真似をする。
「……は?どこへ?」
ラインハルトの声が低い。地獄の底から響いてくるような重低音だ。
「同盟領だ。ただし、イゼルローン要塞に籠もるわけじゃない。打って出る」
「……理由は?」
「……」
言いたくない。マジで言いたくない。でも、言わなきゃいけない。これが中間管理職の辛いところだ。
「場所は……まぁ、適当な辺境だ。戦略的な価値はほとんどない。だが、4月に行われる、フリードリヒ四世陛下の在位30周年記念の式典に……勝利という『花を添える』ためにな」
ドォォォォォォン!!
俺の耳には、そんな爆発音が聞こえた気がした。いや、実際に音がしたかもしれない。ラインハルトの全身から、凄まじい殺気が噴出した音だ。
さっきまでのピンク色のオーラ? そんなものは一瞬で消し飛んだ。今は真っ黒で、ドス赤くて、触れたら火傷しそうなマグマのような怒りが渦巻いている。
ラインハルトの顔が、みるみるうちに紅潮していく。恥じらいの赤じゃない。激怒の赤だ。血管がブチ切れそうだ。
彼はゆっくりと、デスクに残っていた数少ない無事な書類の束を掴む。そして。
ビリッ!!バリバリバリッ!!
「……貴様、正気か!?」
ラインハルトが叫ぶ。書類が雪のように舞い散る。おい、それ、来年度の予算申請書だぞ。再発行できないやつだぞ。
「そのような私的な、無意味な目的のために、兵を動かすだと!?皇帝の在位記念!?花を添える!?その『花』の肥料になるのは、兵士たちの血肉ではないか!!」
正論だ。ぐうの音も出ないほどの正論だ。ラインハルトは軍事の天才だが、同時に、兵士を無駄死にさせることを何よりも嫌う潔癖な精神を持っている。彼にとって、戦略的意義のない戦争は、ただの殺戮でしかない。
「ふざけるな!冗談ではないぞ!そんな馬鹿げた見世物のために、俺に部下を殺せと言うのか!貴様はそれを知っていて、承諾したのか!?」
彼は俺に詰め寄る。その瞳は、軽蔑と失望で揺れている。
「失望したぞ、ファルケンハイン元帥!貴様なら……貴様だけは、そんな腐敗した宮廷の論理には染まらん男だと思っていたのに!結局は貴様も、皇帝のご機嫌取りをする佞臣(ねいしん)の一人だったか!」
痛い。その言葉が、俺の心に突き刺さる。俺だって断りたかったさ。ベッドの上で暴れるくらい嫌だったさ。でも、断ったらどうなる?俺が消されるだけならいいが、俺の部下や、要塞の連中まで巻き添えを食う。
「(内心)ん……ラインハルトが納得する未来が見えないなこれ。……やっぱり怒ったか。そりゃ怒るよな。俺だって、逆の立場なら上官を殴ってるわ」
内心でボヤきつつ、表面上は冷徹な元帥の仮面を被り直す。ここで俺が「ごめんね、俺も嫌なんだよ~」と泣き言を言ったら、組織が崩壊する。
「落ち着け、ラインハルト!」
声を張り上げる。
「これも元帥の仕事だ!これも、俺が元帥であることの代償なんだ!」
「代償だと!?貴様の地位を守るために、兵士を売るのが代償か!」
「違う!国を守るためだ!……いいか、よく聞け!この遠征を拒否すれば、リヒテンラーデ公はどうすると思う?俺や、お前を『不忠者』として処罰する口実にするだろう!そうなれば、誰が軍を率いる?無能な貴族どもが、もっと酷い指揮で兵士を犬死にさせるだけだ!」
俺は詭弁を弄する。いや、半分は本音だ。
「俺たちが指揮を執ることで、少しでも損害を減らし、兵士を生きて帰す!それが、今の俺たちにできる唯一の抵抗だ!感情だけで動くな!嫌なら偉くなれ!皇帝よりも偉くなって、こんな馬鹿な命令が出ない国を作ってみせろ!」
ハッとして口をつぐむ。 言い過ぎたか?「皇帝よりも偉くなれ」なんて、完全に不敬罪だ。聞かれたら首が飛ぶ。
だが、ラインハルトは黙り込む。彼の瞳の奥で、何かが燃えている。「皇帝よりも偉く」……その言葉が、彼の野心の導火線に火をつけたのかもしれない。
そこへ、我関せずと傍観していた男が、楽しそうに口を挟む。
「ククク……。さあ、どうされますかな、新しい大将閣下」
ロイエンタールだ。こいつ、この修羅場を楽しんでやがる。
「元帥のおっしゃる通りです。昇進の代償は、血腥い道中ですよ。綺麗な服を着て、美味しいケーキを食べるだけが特権階級ではない。泥水をすすり、血の海を渡る覚悟はおありかな?」
ロイエンタールの言葉は、挑発的だが的を射ている。
「それとも、ここで駄々をこねて、大将の地位を返上しますか?そうすれば、今回の遠征には行かなくて済む。……ただし、アンネローゼ様との面会も、二度と叶わなくなるでしょうが」
「……ッ!」
ラインハルトが唇を噛み締める。 姉を取るか、正義を取るか。究極の二択だ。いや、彼の中では答えは決まっているはずだ。彼は姉のためなら、悪魔に魂を売ってでも覇道を歩むと決めているのだから。
「ラインハルト!落ち着いてください!」
キルヒアイスが、ラインハルトの肩に手を置く。
「ファルケンハイン閣下のお言葉にも一理あります。我々が拒否すれば、他の誰かが行き、もっと多くの犠牲が出ます。ならば……我々が最小限の犠牲で、勝利を収めるのが最善です」
キルヒアイスの声は、荒れ狂う波を鎮める油のようだ。
「それに……閣下も、本意ではないはずです。先ほど、閣下の目を見ましたか?あの目は、楽しんで命令を下している目ではありません」
キルヒアイス……。お前、なんていい奴なんだ。俺の心の中まで読んでくれるのか。お前が部下なら、俺は毎日枕を高くして眠れるのに。なんでラインハルトの専属なんだ。
ラインハルトは、キルヒアイスの言葉を聞き、大きく深呼吸をする。肩が激しく上下する。 握りしめた拳が白くなっている。
やがて、彼は顔を上げる。その表情からは、激しい怒りは消えていた。代わりに、冷たく、鋭利な刃物のような光が宿っていた。
「……わかった」
彼は短く言う。
「承知した。出撃しよう。……だが、忘れるなよ、ファルケンハイン元帥」
彼は俺を指差す。
「この無意味な戦いで流れる血の責任は、貴様にも背負ってもらう。俺は、貴様の共犯者になるつもりはない。俺は俺のやり方で、兵士を守る」
「ああ、構わんよ。好きにやれ」
俺は頷く。それでいい。俺を恨んででも、彼が前に進むなら。
「ただし! 補給物資は最高級のものを用意しろ! 兵士たちに不味いパンを食わせたら、俺が貴様を撃つ!」
「安心しろ。そこは俺が統帥本部を脅迫して確保した。ワインも肉も特級品だ」
「……フン」
ラインハルトはマントを翻す。
「行くぞ、キルヒアイス。出撃準備だ」
「はっ」
二人は出て行く。 ドアが閉まる直前、ラインハルトは振り返らずに言った。
「……壺の代わりだが、次はもっとマシな趣味のものを選べ。あんな安っぽいアジアンテイストは、貴様には似合わん」
バタン。
ドアが閉まる。
「……あいつ、最後まで減らず口を」
俺は椅子に崩れ落ちる。 どっと疲れが出た。寿命が三年縮んだ気がする。
「やれやれ。嵐のような男ですな」
ロイエンタールが、落ちていた予算申請書の切れ端を拾い上げて眺めている。
「しかし、閣下。これでよかったのですか? 彼はあなたを恨みましたよ」
「いいさ。好かれるよりは、恨まれている方がやりやすい。……それに、あいつの怒りは正しい。俺たちは、その正しさを失っちゃいけないんだ」
俺は天井を見上げる。
「さて、ロイエンタール。お前も準備しろ。俺たちの『花見』は、とびきり派手で、とびきり残酷なものになるぞ」
「御意。……血の色をした花など、見たくもありませんがね」
ロイエンタールは皮肉っぽく笑い、敬礼して去っていった。
一人残された執務室。 俺は、割れた壺の破片を、自分の手で一つ拾い上げた。
「……安っぽい、か。高かったんだけどな、これ」
俺は苦笑し、その破片をゴミ箱に投げ捨てた。
こうして、俺たちの「不本意な戦争」が幕を開ける。 だが、俺はまだ知らない。 その戦場で、同盟軍の「あの二人」が、俺たちを待ち構えていることを。
運命の歯車が、また一つ、軋んだ音を立てて回り始めた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、「笑えて、でも笑っていると背中が寒くなる回」
を目指しました。
もし、ひとつでも印象に残った台詞や場面がありましたら、
ぜひ感想で教えていただけると励みになります。
読者の皆さんの声は、次のエピソードを書くときの、
エネルギーパックのようなものです。
そろそろ長期連載になってきたので章ごとに簡単なあらすじ(ネタばれあり)をつけるべき?
-
つけるべき
-
いらない