銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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第三次ティアマト星域会戦――
銀河史に記録されたあの大規模決戦のほんの少し前では、
英雄も提督も、そのまた上の元帥も、実に人第三次い騒動を繰り広げていました。

本篇では、
・ロボス元帥の「膝による軍事的決断」
・ホーランド中将の圧倒的ビッグマウス
・巻き込まれて胃を痛めるヤン准将
その三者を中心に、同盟軍の混沌と滑稽、そしてどこか愛おしい姿を描いています。

歴史に名を残す大戦の裏側で、
こんなふうに人間模様が渦巻いていたかもしれない――
そんな遊び心で描いた小編です。

ゆっくりとお楽しみいただければ幸いです。


ティアマトに集う勘違いの英雄たち

ティアマト星域会戦、前日譚

 

自由惑星同盟の首都、ハイネセン。その中枢である統合作戦本部は、今日も今日とてカフェインと書類の匂いに満ちている。

 

総司令官、ラザール・ロボス元帥。彼は執務室の特注ソファ(人間工学に基づいた昼寝最適化モデル)で、優雅に午後の惰眠を貪っている。机の上には「至急」の赤いスタンプが押された書類がピラミッドのように積まれているが、彼にとってはただのオブジェだ。

 

「……むにゃ。ステーキにはガーリックソースを……」

 

平和な寝言だ。だが、現実はガーリックソースのように甘辛くはない。帝国軍の大規模侵攻情報を受け、同盟軍はティアマト星域周辺へ急ピッチで展開中だ。しかし、このロボス体制特有の「大らかさ(=致命的な杜撰さ)」により、補給計画に深刻な穴が開いている。

 

バンッ! ドアが開く音。

 

「大変です閣下!前線基地より緊急要請!」

 

兵站局の士官が、幽霊でも見たような顔で飛び込んでくる。

 

「第5艦隊より、『トイレットペーパーの在庫が底をつきました。このままでは兵士の尊厳に関わります。葉っぱで拭くのは嫌だと暴動寸前です』との悲痛な叫びが! さらに第10艦隊からは『コーヒー豆がありません。カフェイン不足でウランフ提督が野生化しそうです』との報告です!」

 

深刻だ。弾薬不足よりも士気に関わる。

 

「すぐに輸送艦を手配しろ!」

 

「正規の輸送艦はすべて出払っています!もう予備がありません!」

 

「くそっ、民間船だ!民間の輸送船団を雇え!金に糸目はつけるな!紙と豆を最前線へ送り届けろ!兵士の尻とカフェイン中毒を守るんだ!」

 

現場は大混乱だ。そんな喧騒の中、ようやくロボス元帥がまぶたを持ち上げる。

 

「……ふわぁ。騒がしいな。ステーキはまだか?」

 

彼は目をこすりながら、のっそりと体を起こす。

 

「はっ!閣下!お目覚めですか!」

 

作戦参謀の若手士官が、直立不動で敬礼する。

 

「現在、前線への緊急物資輸送のため、民間船団を急遽編成しております。その護衛について、総司令官のご裁可をいただきたく」

 

「うむ……。民間船か……」

 

ロボスはまだ脳の半分が夢の中だ。

 

「護衛はどうなっている?」

 

「はっ。駆逐艦10隻を配備しました。敵の哨戒部隊程度なら追い払える戦力です。正規軍の駆逐艦を割くのは痛いですが、背に腹は代えられません」

 

士官が胸を張って答える。ただの輸送護衛にしては十分すぎる数だ。

 

「うむ……。それは良いが……」

 

ロボスは立ち上がろうとする。長時間の昼寝で体が凝っているのだ。ちょっとトイレに行って、顔でも洗ってサッパリしたい。

 

「決戦を前にして、貴重な軍艦艇をみすみす敵軍の餌食にせぬよう、くれぐれも無理な行動を慎むように……」

 

彼はもっともらしい訓示を垂れながら、デスクの周りを回ってドアへ向かおうとする。 その時だ。

 

歴史を変える瞬間は、唐突に、そして間抜けに訪れる。ロボスの足が、デスクの脚に引っかかる。バランスを崩した彼の膝頭が、硬質セラミック製の強固な机の角に向かって、まるで運命の恋人が出会うように吸い寄せられ、激突する。

 

ガッ!!!!

 

鈍く、しかし骨に響く重い衝撃音。人間の急所の一つ、「弁慶の泣き所」の少し上、皿の縁の神経が集中する部分へのクリティカルヒットだ。

 

「……痛っ!ああ!!」

 

ロボスは激痛に顔を歪める。声にならない悲鳴が喉の奥から漏れる。あまりの痛さに、彼はその場でくの字になり、コクコクと激しく首を縦に振る。痛みを逃がすための反射的な動作だ。「うんうん」と頷いているわけではない。「痛い痛い」と体が拒絶反応を示しているだけだ。

 

だが。目の前の真面目すぎる士官には、その光景が全く別の意味に見えている。

 

士官の脳内フィルターがフル稼働する。スーパーコンピュータ並みの深読みを開始する。

 

(元帥閣下が叫ばれた!『ああ!』と!)

 

(そして、鬼気迫る表情で激しく頷かれている!)

 

士官はハッとする。 『ああ!』……それは否定の叫びではないか?『それだけではダメだ!』という、元帥の危機感の表れではないか?そして、あの力強い頷き。それは『もっとやれ』『徹底的にやれ』という無言の、しかし強烈な指示!

 

士官の背筋に電流が走る。

 

(なんてことだ! 私は凡庸な計算で10隻などと提案してしまった! 元帥は、敵の遊撃部隊が侵入してくる可能性、あるいは敵が補給線を狙って主力級を投入してくる可能性まで予見されているのだ! 『たかが輸送任務』と侮るな、兵站こそが戦争の要だぞ、と!)

 

「(ハッとして)『ああっ!』……つまり、『ああ、それだけでは足りん!』と!? ……はっ! 承知いたしました!」

 

士官は感銘を受け、叫び返す。瞳が潤んでいる。

 

「護衛を控えよということではなく、『護衛は30隻に増員せよ、守りは固めろ』との仰せですね!」

 

ロボスは涙目だ。痛すぎて声が出ない。脂汗が出ている。

 

(ち、違う……痛い……膝が……割れたかも……救急車……)

 

彼は必死に否定しようとするが、痛みで頭が振れず、ただ痙攣するように頷く動作が続くだけだ。

 

「……(コクコク……グフッ)」

 

「御意! さすがは閣下、万全を期すその姿勢、勉強になります!直ちに手配します!駆逐艦30隻、いえ、巡洋艦もつけて完璧な布陣を敷きます!敵を寄せ付けません!」

 

士官は敬礼し、脱兎のごとく部屋を飛び出していく。

 

「あ、待っ……ぐぅぅ……」

 

ロボスは手を伸ばすが、届かない。彼はそのまま高級カーペットの上に崩れ落ち、膝を抱えてのたうち回る。

 

「……誰か……湿布を……」

 

彼の小さな願いは、誰にも届かない。執務室には、ただ空調の音だけが虚しく響いていた。

 

 

 

 

 

 

数日後。ティアマト星域外縁部。トイレットペーパーとコーヒー豆を満載した民間輸送船団は、順調に航行を続けている。その周囲を固めるのは、ロボスの(壮大に勘違いされた)命令によって増強された、駆逐艦30隻と軽巡洋艦4隻からなる、鉄壁の護衛艦隊だ。

 

そこへ、帝国の偵察巡航艦隊(数隻の軽巡と駆逐艦)が通りかかる。彼らは「お、カモがいるぞ。民間船だ。ちょっかい出して戦果を稼ぐか」と色めき立ち、舌なめずりをして襲いかかろうとする。

 

だが、近づいてみて驚愕する。

 

「な、なんだあの数は!?護衛が多すぎるぞ!」

 

「民間船にしては重装備すぎる!罠だ!民間船を囮にした主力部隊か!?」

 

帝国軍が慌てふためく隙を、増強された同盟軍護衛部隊は見逃さない。

 

「撃てぇー!!ロボス元帥の読み通りだ!敵はかかったぞ!」

 

数の暴力による一斉射撃。 油断していた帝国艦隊は、瞬く間に火だるまになり、這う這うの体で逃げ出していく。

 

「やったぞ!敵を撃退した!」

 

「輸送船団、被害なし!トイレットペーパーは無傷だ!」

 

船団からは歓喜の声が上がる。同盟軍兵士の尊厳とカフェインは守られた。前線の士気は爆上がりだ。

 

 

 

 

ハイネセンの夜。 テレビのニュース番組が、この「小さな、しかし重要な勝利」を大々的に報じている。

 

『速報です!ティアマト星域へ向かう重要物資輸送船団が、帝国軍の襲撃を受けましたが、これを撃退しました!』

 

キャスターが興奮気味に語る。

 

『当初、軍内部では「たかが輸送任務」と軽視する向きもありましたが、ロボス総司令官は違いました!彼は敵の動きを的確に予測し、異例とも言える大規模な護衛艦隊を派遣していたのです!』

 

画面には、資料映像のロボス(キリッとした顔で敬礼している写真)が映し出される。

 

『ロボス元帥の慧眼です!「たかが民間船」と侮らず、十分な護衛をつけた判断が、市民の命と、前線の兵士たちへの物資を守りました!これぞ名将の采配!神算鬼謀とはこのことです!』

 

コメンテーターも頷く。『いやあ、普通なら10隻程度でお茶を濁すところを、30隻投入するとはね。この「慎重さ」こそが、大軍を率いる将に必要な資質ですよ』

 

執務室のソファで、ロボスはそのニュースを見ている。膝には湿布が貼ってある。まだ青あざになっていて痛む。

 

しかし、彼は高級ブランデーをグラスで揺らしながら、満足げに頷く。

 

「……うむ。私の計算通りだ」

 

彼は独りごちる。膝をぶつけたことなど、記憶のゴミ箱へ完全消去済みだ。結果がすべて。勝てば官軍。俺が指示したことになっているなら、それは俺の手柄だ。文句あるか。

 

「さて、コーヒーも届いたことだし、ゆっくり寝るか。……あ、明日の昼食はステーキにしてくれよ」

 

ロボスはテレビを消し、再び夢の世界へと旅立つ。

 

歴史は、一人の老人の膝小僧によって、微妙に、しかし確実に動いたのである。

 

 

 

 

 

 

 

第11艦隊司令部。その一角にあるプレスルームは、今にも爆発しそうな熱気に包まれている。酸素濃度が薄い。むせ返るような期待と、興奮と、そして一人の男が放つ過剰なフェロモンが充満しているからだ。

 

主役は、もちろんこの男。ウィレム・ホーランド中将。第11艦隊の若き司令官であり、今や同盟軍のニュースターとしてメディアに引っ張りだこの「猛牛」である。

 

彼は演壇の中央に立ち、カメラの砲列を前にしても微動だにしない。いや、むしろフラッシュを浴びるたびにエネルギーを吸収して巨大化しているようにさえ見える。白い歯がキラリと光る。整髪料で固めた髪は一ミリの乱れもない。

 

そして、その斜め後ろ。観葉植物の陰に隠れるようにして、死んだ魚のような目をした青年が座っている。ヤン・ウェンリー准将だ。手には紙コップに入った温い紅茶。彼の願いはただ一つ。早く家に帰って寝たい。

 

「ホーランド提督!こちらをお願いします!」

 

「提督!笑顔で!」

 

「ヤン准将も! もっと提督に寄ってください!」

 

カメラマンの無茶振りが飛ぶ。ホーランドはガシッとヤンの肩を抱き寄せ、無理やりVサインを作らせる。ヤンの顔が引きつる。

 

「では、質問をどうぞ!」

 

司会者の合図と共に、記者が立ち上がった。少し意地悪そうな顔をした、夕刊紙の記者だ。

 

「ホーランド提督!今回のティアマト星域への出撃ですが、一部の軍事評論家や野党からは批判の声も上がっています!」

 

記者は鼻息荒く切り込む。

 

「先日、ロボス元帥が民間輸送船団に大規模な護衛をつけましたが、あれは過剰反応ではないかとの指摘です!たかがトイレットペーパーとコーヒー豆を守るために、貴重な駆逐艦を30隻も張り付けるなど、戦力の浪費ではありませんか!?」

 

会場がざわめく。確かに、あの「護衛増強」は一般市民には頼もしく映ったが、専門家筋からは「ビビりすぎ」「資源の無駄遣い」と叩かれていたのだ。

 

ヤンは紅茶をすすりながら思う。

 

(まあ、あれは元帥が膝をぶつけただけなんだけどね……。真実を知ったら彼らはどう思うんだろう)

 

だが、ホーランドは違った。彼は記者をビシッと指差し、雷のような大声で一喝した。

 

「ナンセンス!!」

 

ビリビリと空気が震える。記者が「ひっ!」と悲鳴を上げて仰け反る。

 

「君の発言は、軍事というものを全く理解していない素人の戯言だ!机上の空論で現場の兵士を侮辱するな!」

 

ホーランドの目は真剣だ。演技ではない。本気で怒っている。

 

「いいか、よく聞け!我々は今、帝国の侵攻軍と対峙している。決戦は目前だ!決戦の際に一艦でも多くの艦を揃えるため、その前の小競り合いで消耗するわけには行かんのだ!」

 

彼は拳を握りしめ、熱弁を振るう。

 

「補給線を狙うのは軍事の常識だ!敵の遊撃部隊が輸送船を狙ってくるのは明白!事実、何度か敵と交戦しているではないか!もし護衛が少なければ、輸送船団は全滅し、前線の兵士は尻も拭けず、コーヒーも飲めず、士気は崩壊していただろう!」

 

ヤンは感心する。

 

(すごい。こじつけ……いや、理屈が通っている。膝をぶつけただけの事故を、ここまで高尚な戦略論に昇華させるとは。この人、ある意味天才かもしれない)

 

「結果を見たまえ!民間船も軍船も無傷!敵を追い払い、物資は届いた!つまり、ロボス元帥閣下の訓令は、的(まと)を得た……いや、的(てき)を射抜くほどに正確なものだったと言える!」

 

ホーランドは胸を張る。

 

「元帥は、敵の卑劣な補給線破壊工作を見抜いておられたのだ!その深謀遠慮を『過剰』などと笑う者は、戦場に行けば真っ先に死ぬタイプだ!」

 

言い切った。 会場の空気が一変する。記者たちは「なるほど……」「確かに結果オーライだ」「ロボス元帥、すげえ」とメモを取りまくる。

 

ヤンは小さくため息をつく。これでロボス元帥の「膝の痛み」は、歴史的英断として記録されることになったわけだ。歴史とはこうして作られるのか。勉強になるなあ。

 

次の記者が手を挙げる。今度は大手ネットワークの女性記者だ。

 

「今回、第11艦隊も動員されるそうですが、初めて一個艦隊を指揮される今のお気持ちをお聞かせください!世間では、若くして中将になられた提督を、あの『ブルース・アッシュビー提督の再来』と呼ぶ声も高いですが!」

 

アッシュビー。 同盟軍史上最強の「730年マフィア」の筆頭。30代で元帥になり、数々の伝説的勝利を収め、最後は流れ弾に当たって華々しく散った英雄。ホーランドとアッシュビー。確かに、若さ、勢い、攻撃的なスタイルは似ている。

 

ホーランドはニヤリと笑う。自信に満ちた、猛獣の笑みだ。

 

「光栄だ。過去の偉人と並び称されるのは悪い気分ではない」

 

彼はマイクを握り直す。

 

「だが、私はただの再来ではない。コピーで終わるつもりはないぞ!私は私だ!ウィレム・ホーランドだ!」

 

彼は声を張り上げる。

 

「今回は奇しくも、アッシュビー元帥が最後の勝利を飾った『ティアマト星系』周辺が戦場となる!私はその故事にちなんで、ティアマト星系で敵を迎え撃ち、そしてアッシュビー元帥が成し遂げられなかった『生還しての完全勝利』を掴み取る!」

 

かっこいい。記者たちがうっとりする。だが、後ろで聞いていたヤンだけは、別の反応を示した。

 

「ぶっ!!」

 

ヤンは口に含んでいた紅茶を、盛大に前へ噴き出した。茶色い霧が、前の席の椅子の背にかかる。

 

(ティアマト!?ティアマト星系だって!?)

 

ヤンは咳き込みながら、顔面蒼白になる。 縁起が悪すぎる。

アッシュビーが死んだ場所だぞ?「故事にちなんで」って、死ぬフラグを立ててどうするんだ!しかも「生還して」とか言っちゃうあたり、完全に死亡フラグのテンプレだ!

 

「ヤ、ヤン准将?大丈夫ですか?」

 

隣の記者がハンカチを差し出してくれる。ヤンは「あ、ありがとうございます、ちょっと気管に……」と誤魔化すが、心臓はバクバクだ。

 

ホーランドはヤンの噴射音に気づいていないのか、それとも興奮して聞こえていないのか、さらにヒートアップしていく。

 

「そして!この勝利のカギを握るのは、私だけではない!」

 

彼はバッと振り返り、まだ咳き込んでいるヤンを指差す。

 

「このヤン・ウェンリー准将の考案した、完璧な作戦があるからだ!!」

 

「げほっ!?」

 

ヤンはむせる。やめろ。こっちを見るな。

 

「彼の頭脳が弾き出した新戦術!それはこれまでの常識を覆す、革命的なものだ!私はそれを実行する手足に過ぎん!」

 

ホーランドはヤンに駆け寄り、無理やり立たせる。紅茶のシミがついた軍服などお構いなしだ。

 

「ヤンの作戦で、帝国軍を完膚なきまでに叩き潰してくれる!敵の指揮官が誰であろうと関係ない!ラインハルト?ファルケンハイン?蹴散らしてくれるわ!」

 

「(小声で)ちょ、閣下……作戦の詳細までは……言わないでくださいよ……軍事機密……」

 

ヤンは必死に止める。

 

「細かいことは気にするな!敵が知ったところで、我々のスピードにはついてこられん!」

 

ホーランドはカメラに向かって叫ぶ。満面の笑みだ。

 

「国民の諸君!記者諸君!今のうちに言っておこう!」

 

彼はヤンの肩を抱き、顔を寄せ合う。

 

「皆、ここにいるヤン・ウェンリー准将……いや、この会戦が終われば『ヤン・ウェンリー少将』を、今のうちによく記事にしてくれたまえ!!」

 

「はあああ!?」

 

ヤンが素っ頓狂な声を上げる。少将?なんで勝手に昇進が決まってるんだ?

 

「彼は銀河の歴史を変える男だ!!私は予言する!この戦いで最大の功績を挙げるのは彼だ!私はその引き立て役で構わん!ヤン・ウェンリーという名前を、今のうちに教科書に載せる準備をしておけ!!」

 

フラッシュの嵐。パシャパシャパシャパシャ!!目が眩むような光の中で、ヤンは完全に魂が抜けた顔をしていた。

 

「おおおお!!すごい自信だ!」

 

「ヤン准将、コメントを!」

 

「少将への昇進は確実なんですか!?」

 

記者たちがヤンに群がる。マイクが突き出される。

 

ヤンは、遠くを見つめるしかなかった。ハイネセンの空は青い。でも、私の心はどしゃ降りだ。

 

(……帰りたかった。ただ、美味しい紅茶を飲んで、昼寝をしたかっただけなのに。どうして私は、アッシュビーの再来とかいう爆弾と一緒に、死亡フラグ満載の戦場へ行かなければならないんだ……)

 

ヤン・ウェンリーの悲劇は続く。そして、このホーランドの「予言」が、ある意味で的中し、ある意味で大きく外れることになる運命の日は、すぐそこまで迫っていた。

 

「さあヤン!肩を組もう!明日のトップ記事だぞ!」

 

「……勘弁してください……」

 

 

 

 

 

 

 

プレスセンター、その奥にあるVIP用控室。ここは、先ほどの記者会見という名の「公開処刑」を終えたヤン・ウェンリー准将が、抜け殻となって漂着した場所である。

 

ヤンはソファに深く、限りなく深く沈み込んでいる。できることなら、このままソファの繊維と一体化して、二度と人前に出たくない。魂の半分くらいはすでにエクトプラズムとして口から漏れ出ている。

 

「……閣下」

 

ヤンは両手で頭を抱え、呻くように言った。

 

「勘弁してください……。場所(ティアマト星系)まで公言するなんて……。これでは、敵に手の内を晒すようなものです。『我々はあそこのリングに行きますから、準備して待っていてください』と招待状を送るようなものですよ。作戦が立てにくくなります」

 

軍事機密。防諜(ぼうちょう)それらの単語が、ホーランドの辞書には載っていないらしい。戦場を指定するなんて、よほどの圧倒的戦力差があるか、あるいは馬鹿か、そのどちらかだ。

 

対する第11艦隊司令官、ウィレム・ホーランド中将。彼はネクタイを緩め、スポーツの試合後のように爽やかな汗を拭いている。悪びれる様子は微塵もない。

 

「すまん!口が滑った!つい興奮してな!」

 

ガハハと笑う。声がデカい。狭い控室で反響して耳がキーンとする。

 

「だがな、ヤン。考えてもみろ。帝国軍の侵攻に怯える国民たちの不安を和らげ、軍への信頼を取り戻すのも、指揮官の役目ではないか? 准将!」

 

ホーランドはヤンの隣にドカッと座り、バン!と背中を叩く。ヤンの背骨が悲鳴を上げる。

 

「我々が堂々と『ティアマトで迎え撃つ!』と宣言すれば、国民は『おお、軍は自信があるんだな』と安心する!隠れてコソコソ戦うより、よほど士気も上がるというものだ!」

 

「それは……正論ですが……」

 

ヤンは反論に詰まる。 確かに、民主主義国家において「国民へのアピール」は無視できない要素だ。特に最近の同盟軍は負け続きで、世間の風当たりが強い。ここでトップスター(ホーランド)がビッグマウスを叩くことで、閉塞感を打破する効果はあるだろう。

 

「それにだ、ヤン」

 

ホーランドはニヤリと笑い、ヤンの顔を覗き込む。

 

「場所がバレたところで、貴様の作戦なら勝てるだろう?貴様は魔術師だ。敵が待ち構えていようが、罠を張っていようが、それを逆手に取って粉砕する策をすでに考えているはずだ。……違うか?」

 

真っ直ぐな瞳。 そこには、一点の曇りもない信頼がある。「お前ならできる」根拠はないが、揺るぎない確信。

 

ヤンは毒気を抜かれたようにため息をつく。この男には勝てない。論理で攻めても、感情と信頼という名の変化球で返される。しかも、その球速が速すぎて打ち返せない。

 

「……買い被りですよ。でもまあ……承知しました。敵がティアマトに集まるなら、それを逆利用する手がないわけではありませんから」

 

「ハッハッハ!そうこなくてはな!俺は信じているぞ、相棒!」

 

ホーランドは満足げに頷き、冷蔵庫からコーラを取り出して一気飲みした。

 

「かないませんね、閣下には……」

 

ヤンは天井を見上げる。やれやれ。これでまた残業確定だ。敵の布陣を予想し、こちらの行動がバレている前提での裏の裏をかくシナリオを練らなければならない。睡眠時間が削られていく音がする。

 

だが、ヤンの受難はこれだけでは終わらなかった。

 

翌日の朝刊。ヤンが官舎でトーストを齧りながら、何気なく広げた新聞の一面トップ。 そこには、昨日の会見で肩を組むホーランドとヤンの写真が、デカデカと掲載されていた。しかも、背景にはピンク色のハートマークが加工されている(なぜだ)。

 

見出しはこうだ。

 

『第11艦隊の首脳夫婦(コンビ)、信頼は盤石!』

 

『猛牛の情熱と魔術師の冷静!愛の共同作業で帝国を討つ!』

 

『ティアマトハネムーン!二人の愛の巣は戦場だ!』

 

「ぶふっ!!!!!」

 

ヤンはトーストを喉に詰まらせて窒息しかけた。ユリアンが慌てて背中をさすってくれる。

 

「な、な、な……っ!!」

 

夫婦(コンビ)ってルビを振るな!愛の共同作業ってなんだ、ケーキ入刀か!ハネムーンって死出の旅路だぞ!

 

「……誰か、この新聞社を爆破してくれないかな……」

 

ヤンは涙目で新聞を丸めた。彼の「独身主義」と「平穏な老後」という夢が、メディアによって急速に「熱血ボーイズラブ」の物語へと書き換えられつつある。

 

 

 

 

 

 

2月。同盟軍統合作戦本部、最高司令官会議室。

 

巨大な円卓を囲むのは、同盟軍のトップたちだ。 総司令官ロボス元帥。 総参謀長ドワイト・グリーンヒル大将。 そして、今回の出征部隊の指揮官たち。

 

空気は重い……はずなのだが、ロボス元帥がいるおかげで、どこかのんびりとした空気が漂っている。

 

「……うむ。最終的な作戦海域だが……」

 

ロボスはあくびを噛み殺しながら、地図を指差す。

 

「敵の侵攻ルート、および我が軍の展開速度を考慮すると、どこが適切かね?」

 

総参謀長のグリーンヒル大将が、真面目な顔で答える。

 

「はい。軍事的な蓋然性から言っても、ティアマト星系が妥当かと存じます。補給線の維持が容易であり、また星系内にガス状星雲が存在するため、地の利を活かした戦術も可能です」

 

「ふむ、そうだな」

 

ロボスは頷く。だが、彼がティアマトを選んだ本当の理由は別にある。

 

「それに、ホーランドがあれだけ大見得を切ったのだ」

 

ロボスは、末席に座るホーランドを見る。ホーランドは「任せてください!」と言わんばかりに胸を張っている。

 

「『ティアマトで、アッシュビー元帥の大勝利を再現する』とな。全宇宙に向けて放送してしまった以上、今さら『やっぱり別の場所で戦います』とは言えん。そんなことをすれば、『軍は嘘つきだ』『ホーランドは口だけだ』と批判され、士気に関わる」

 

ロボスは政治的な判断(という名のメンツ維持)を優先する。

 

「男に二言はない。言ったからには、そこで勝つのだ」

 

「よろしい!決戦の地はティアマト星系とする!投入戦力は5個艦隊!」

 

ロボスが宣言する。 同盟軍の主力、第4、第5、第6、第10、そして第11艦隊。合計5万隻以上の大艦隊だ。

 

「(挙手)元帥閣下!」

 

ホーランドが元気よく手を挙げる。小学生のようだ。

 

「発言を許可する」

 

「今回の作戦、先鋒には、我が第11艦隊に加え、歴戦の勇者であるビュコック中将の第5艦隊、ウランフ中将の第10艦隊を希望します!」

 

会議室がざわめく。 ビュコックとウランフ。同盟軍でも屈指の名将二人だ。彼らを指名して、一緒に戦いたいというのか。

 

ロボスが眉を上げる。

 

「ほう?贅沢な注文だな。なぜその二人なのだ?」

 

ホーランドは一瞬、後ろに控えているヤンをチラリと見る。ヤンは、ホーランドの死角で小さく頷き、口パクで合図を送る。

 

(……私の希望、というか意向ですがね……)

 

そう、これはヤンの入れ知恵だ。ホーランドの第11艦隊は攻撃力は高いが、防御と経験値に不安がある。そこで、老練で粘り強いビュコックと、攻守のバランスが良いウランフを両脇に配置することで、ホーランドが暴走してもカバーできる体制を作ろうという魂胆だ。介護役とも言う。

 

ホーランドはヤンの意図(介護)を「最強のチーム結成」とポジティブに解釈し、高らかに叫ぶ。

 

「彼らこそ、私が背中を預けるにふさわしい猛者だからです!老練の技と、猛牛の突撃!これが合わされば無敵です!」

 

ビュコック中将苦笑いしているのが見える。「やれやれ、元気な若造のお守りか」といった顔だ。 ウランフ中将も、「面白そうだ」とニヤリとしている。

 

ロボス元帥は、満足げに頷いた。

 

「よかろう!その意気や良し!許可する!最強の布陣で、帝国軍を粉砕せよ!」

 

「はっ!感謝します!」

 

ホーランドは敬礼し、バシッとヤンの背中を叩く。

 

「行くぞ、ヤン!歴史を作るのは俺たちだ!」

 

「はいはい……。やれやれ、給料分は働きますよ……」

 

ヤンは諦めたように肩をすくめる。給料分どころか、寿命の前借り分まで働かされている気がするが、もう手遅れだ。

 

こうして、自由惑星同盟軍は出撃の途についた。その原動力は、ホーランドの「勘違い」、ロボスの「事なかれ主義」、そしてヤンの「諦めとヤケクソ」である。

 

だが、この奇妙なエネルギーの混合体が、ティアマト星系において帝国軍(特にアルブレヒト)にとって、かつてない脅威となることは、まだ誰も知らない。

 

宇宙歴795年2月。ハイネセンの周辺を、無数の艦艇が埋め尽くす。その先頭を行く旗艦《エピメテウス》のブリッジで、ヤン・ウェンリーはこっそりとブランデー入りの紅茶を水筒に詰めながら、遠い星の彼方を見つめていた。

 

「……早く帰って、寝たいなあ」

 

その願いが叶うのは、随分と先のことになりそうだった。




ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。

ティアマト星域という巨大な舞台の裏側で、
誰がどんな勘違いをし、
どの膝がどんな歴史を動かし、
どの准将がどれだけ胃を痛めたのか――
そんな本編では絶対描かれないドラマを、自由に書かせていただきました。

もし、
・このキャラの解釈が面白かった
・続きが気になる
・この場面が特に好き
など、何か心に残った点が一つでもありましたら、
ぜひ感想で教えていただけると、とても励みになります。

そろそろ長期連載になってきたので章ごとに簡単なあらすじ(ネタばれあり)をつけるべき?

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