銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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宇宙戦争の最前線には、銃火器よりも厄介なものがある。
──それは、指揮官の個人的な事情である。

本章では、硬派な銀河戦争史のはずが、なぜか恋と見栄と執念によって戦場が歪む。
アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン元帥。
本来は冷徹な策士であるはずの彼が、今回ばかりは全銀河の読者を巻き込む形で覚醒する。

戦略と茶番、老将の技と若き天才の激情。
そして、愛する者の一言が、数万隻の艦隊よりも重く響く瞬間。

どうか肩の力を抜いてお読みいただきたい。
戦争は時に悲惨だが、同じくらい滑稽で、人間臭いのだから。


ティアマト狂乱戦線 ―アルブレヒト、最低の動機で覚醒す―

「フフフ……。膠着(こうちゃく)状態もこれまでだ。退屈なジャブの応酬は終わりにする」

 

アルブレヒトの口元が、邪悪な笑みの形に歪む。

 

「俺は少しばかり『ズル』をさせてもらう。……おいミュラー! 準備はいいな!」

 

「は、はい!システムオールグリーン!回路接続、正常です!」

 

副官のミュラーが、コンソールに向かって指を走らせる。彼の額には冷や汗が流れている。これから使う兵器が、どれほどデタラメで、どれほど整備班泣かせかを知っているからだ。

 

「艦首超大型重粒子砲、コードネーム『ロンゴミニアド・スピア』!安全装置解除!」

 

アルブレヒトが高らかに宣言する。この戦艦《ロンゴミニアド》は、ただ色が派手なだけの成金趣味の艦ではない。その真価は、艦首に内蔵された、通常の戦艦主砲の数十倍以上の出力を誇る、規格外の決戦兵器にある。ただし、エネルギー充填に時間がかかる上、撃った後はしばらく艦全体の機能が低下するという、ロマン全振りの欠陥兵器でもある。

 

「敵旗艦【エピメテウス】に照準固定!あの猛牛を串刺しにして、バーベキューにしてやる!」

 

「了解!射線確保!照準、ズレなし!エネルギー充填率120%!臨界点突破!」

 

艦全体が、低く唸るような振動を始める。照明が明滅し、非常用のアラートが鳴り響く。 「撃ったら壊れるんじゃないですか?」という空気が艦橋に漂うが、アルブレヒトは気にしない。

 

「消えろ、猛牛!リヒテンラーデの財布(税金)の重みを知れ!撃てぇぇぇッ!!」

 

ドォォォォォォン!!

 

アルブレヒトの絶叫と共に、トリガーが引かれる。《ロンゴミニアド》の艦首が割れ、そこから目が眩むような極太の光の奔流が迸る。空間が熱で歪曲し、周囲の小惑星が蒸発する。それはまさに、神の投げた槍。一直線に、同盟軍第11艦隊の中枢、旗艦《エピメテウス》へと突き進む。

 

「勝った!」

 

アルブレヒトが確信する。この距離、この速度。回避など不可能だ。直撃すれば、いかに堅牢な戦艦といえども原子レベルで分解される。

 

 

 

 

 

 

一方、同盟軍第11艦隊旗艦《エピメテウス》

 

「……閣下」

 

ヤン・ウェンリー准将は、マグカップ片手にモニターを見つめ、まるで「明日は雨ですね」と言うような冷静さで口を開く。

 

「敵艦隊に不自然な動きがあります。あの緑色の旗艦の射線上にいる味方艦が、蜘蛛の子を散らすように退避していますね」

 

ヤンの観察眼は、些細な違和感を見逃さない。普通、密集陣形をとっている艦隊が、中央だけモーゼの海割りのように開くことはない。理由があるとすれば一つ。「後ろからヤバいものが通るから道を開けろ」という合図だ。

 

「恐らく、大火力の長距離兵器が来ます。直撃コースです」

 

「なにっ!?」

 

ホーランド中将が振り返る。

 

「どうする!?シールド最大で耐えるか!?」

 

「いえ、無理です。あれだけの空間を空けるということは、味方を巻き込みかねない出力だということです。耐えられません。……退避しましょう」

 

ヤンは即断する。

 

「右か左か、とにかく全力で軸をずらしてください。今すぐに」

 

「(即答)わかった!全艦、緊急回避!散開せよ!蜘蛛の子アメーバ作戦だ!」

 

ホーランドの反応速度は、野生動物並みだ。疑わない。迷わない。ヤンが「避けろ」と言ったら避ける。その命令は、光速で全艦隊に行き渡る。

 

「うおおお!取り舵一杯! 全速!」

 

「ぶつかるなよ! とにかく散らばれ!」

 

第11艦隊は、まるで一つの巨大な生き物が驚いて弾けたように、瞬時に左右へ散開する。その動きは、軍事教練のテキストには載っていない、カオスだが統制された逃走劇だ。

 

その直後。

 

ズゴォォォォォォォ……!!

 

《ロンゴミニアド》から放たれた極太の閃光が、第11艦隊がいたはずの空間を貫通する。何も無い宇宙空間を、高エネルギーの束が虚しく焼き尽くしていく。あまりの熱量に、周囲のデブリがプラズマ化し、美しいが致命的な光の帯を残して消え去った。

 

「……」

 

シーンとする《エピメテウス》の艦橋。もし回避が1秒でも遅れていたら、今頃自分たちは宇宙の塵になっていた。

 

オペレーターが、震える声で報告する。

 

「て、敵艦隊、回避成功!損害、ほぼ無し!直撃コースを逸れました!」

 

「(冷や汗)ふぅ……。危ないところだった」

 

ホーランドが額の汗を拭う。心臓が早鐘を打っている。

 

「ナイスだ、ヤン!お前が言わなかったら、俺は今頃、消し炭になってあの世でアッシュビー元帥に説教されているところだったぞ!」

 

「……紅茶がこぼれなくて何よりです」

 

ヤンは、揺れで少しだけ波打ったマグカップの中身を見て、ほっと息をつく。彼の優先順位は、常にブレない。

 

 

 

 

 

 

 

再び帝国軍《ロンゴミニアド》

 

「……な」

 

アルブレヒトは、凍りついていた。ポーズを決めたまま、石像のように硬直している。

 

目の前のモニターには、見事に空振りに終わった「必殺の一撃」の痕跡と、ピンピンしている同盟軍艦隊が映し出されている。

 

「……な、なんだと!?」

 

石化が解け、アルブレヒトが叫ぶ。

 

「あの距離!あのタイミングで避けた!?ニュータイプか!?それとも未来予知か!?なんで俺が撃つ瞬間が分かったんだよ!」

 

理不尽だ。準備万端、不意打ち気味に放ったはずの必殺技が、まるでスローモーションのように避けられた。

 

「閣下!エネルギー充填率低下!エンジン出力ダウン!放熱のため、シールド出力も低下しています!」

 

ミュラーが悲鳴を上げる。そう、これがこの兵器の最大の弱点だ。撃った後は、賢者タイムのように無防備になる。

 

「いかん!逆に、エネルギーを使い果たしたロンゴミニアドが良い的だ!しかも、放熱板が展開して光ってるから目立つ!」

 

アルブレヒトの顔色が青ざめる。必殺技を外した後のボスキャラほど、無様なものはない。

 

「いったん後退!下がるぞ!全速後退!」

 

「えっ!?下がるんですか!?さっき『全軍突撃』って言ったばかりなのに!」

 

「うるさい!状況は変わったんだ!引くと言ったら引く!」

 

アルブレヒトはなりふり構わない。そして、通信手に向かって怒鳴る。

 

「クナップシュタインに連絡!『敵がロンゴミニアドを狙って集中砲火をしてくるようなら、その突出した先端を横から潰せ』!あいつを肉壁……いや、側面防御に使え!急げ!」

 

彼は、新米司令官クナップシュタインを盾にする気満々だ。部下の成長のため(という名目の保身)なら、鬼にでもなれる男である。

 

 

 

 

 

同盟軍《エピメテウス》

 

「チャンスだ!」

 

ホーランドが、敵旗艦の狼狽ぶりを見て叫ぶ。野生の勘が「今ならいける」と告げている。

 

「見ろ!あの緑色の奴、慌ててバックしてやがる!エネルギー切れだ!今なら奴の首を取れるぞ!突撃するか?ヤン准将!」

 

ホーランドは前のめりになる。今すぐ全軍で突っ込んで、あの憎き緑色の艦をタコ殴りにしたい。

 

だが、ヤンは冷静に首を横に振る。

 

「いえ、お待ちください。……罠の可能性があります」

 

「罠?」

 

「ええ。敵旗艦以外の艦隊を見てください。……全く乱れていません」

 

ヤンはモニターを指す。アルブレヒトの直衛艦隊、そして側面に展開しているクナップシュタイン艦隊などは、依然として整然とした陣形を保っている。旗艦だけが慌てているように見えるが、それは演技かもしれない。

 

「ここで我々が突出して突撃すれば、左右から包囲されます。特に、敵の予備兵力(クナップシュタイン)が、こちらの側面を突く絶好のポジションにいます」

 

「むぅ……。確かに。奴ら、待ち構えているようにも見えるな」

 

ホーランドは唸る。アルブレヒトという男、卑怯な手を使うことに定評がある。あの「慌てふためく姿」も、我々を釣り出すための高度な演技かもしれない。

 

「では、どうする?指をくわえて見ているのか?」

 

「いいえ。……いじめましょう」

 

「いじめる?」

 

ヤンは、悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「全艦、陣形はそのまま維持。突撃はしません。ですが、攻撃目標を一点に絞ります」

 

ヤンの指が、モニターの中央、後退しつつあるエメラルドグリーンの巨艦を指し示す。

 

「敵の輝く旗艦【ロンゴミニアド】だけに狙いを絞り、ピンポイント射撃を浴びせましょう。あれだけ目立つ色ですから、狙いはつけやすいはずです。全艦の主砲を、あの一点に集中させるんです」

 

集中砲火。突撃せずに、アウトレンジからひたすら旗艦だけを狙い撃つ。一番嫌らしい戦法だ。

 

「なるほど!奴を蜂の巣にするわけか!」

 

ホーランドはポンと手を叩く。

 

「わかった!全砲門、照準合わせ!目標、あのエメラルドグリーンの悪趣味な艦だ!色のセンスの悪さを教えてやれ!」

 

「撃てぇぇぇッ!!」

 

ズドドドドドドドッ!!

 

第11艦隊の一万五千隻の戦艦が、一斉に主砲を放つ。その全ての光線が、吸い込まれるように一点を目指す。

 

 

 

 

 

 

帝国軍《ロンゴミニアド》

 

「うわああああ!!来ます!敵の一斉射撃!全部こっちに来ます!」

 

ミュラーが絶叫する。モニターが真っ白になる。敵のビームの雨あられ。それも、全部が自分(旗艦)だけを狙っている。

 

「ちょ、おま、卑怯だぞ!!」

 

アルブレヒトが叫ぶ。

 

「突撃してこないのかよ!クナップシュタインの待ち伏せが無駄になるだろうが!!」

 

ドガガガガガガーン!!シールドに着弾する衝撃音。艦が激しく揺れる。放熱中でシールド出力が落ちている《ロンゴミニアド》にとって、これは拷問だ。

 

「色が!色が目立つからですかね!?」

 

ミュラーが、揺れに耐えながらもっともなことを言う。

 

「うるさい!エメラルドグリーンは高貴な色だ!……くそっ、クナップシュタイン!何をしている!敵を側面から突いて、注意をそらせ!俺が死ぬぞ!」

 

アルブレヒトは、必死に後退しながら、部下に助けを求める。必殺技を外した代償は、あまりにも大きかった。

 

こうして、ティアマトの戦場に、「緑色の超戦艦がいじめられる」という、シュールかつ一方的な時間が流れることになった。アルブレヒトの胃痛は、最高潮に達しようとしていた。

 

 

 

 

 

 

ドガガガガガーン!! ズドドドドン!!

 

帝国軍総旗艦、超戦艦《ロンゴミニアド》。その美しいエメラルドグリーンの船体は、今や「的」としての役割を十二分に果たしていた。同盟軍第11艦隊による集中砲火。ヤン・ウェンリーの「あいつだけ狙えばいいよ」という鬼畜な指示により、全方位からビームの雨が降り注いでいるのだ。

 

艦橋は、震度7クラスの激震に見舞われている。コーヒーカップは砕け散り、書類が雪のように舞い、オペレーターたちはコンソールにしがみついて必死に姿勢を保っている。

 

「うわあああああ!!死ぬ死ぬ死ぬ!!」

 

そして、アルブレヒトは、指揮官席の背もたれにセミのように張り付きながら絶叫していた。

 

「シールドが持たん!放熱が間に合わん!なんで俺ばっかり狙うんだ!他にも艦はいるだろうが!クナップシュタインを撃てよ!グリルパルツァーを狙えよ!」

 

最低の発言だ。部下を身代わりにする気満々である。

 

「色が!やっぱりこの色が目立つからか!?次からは地味なグレーに塗ってやる!ちくしょう、戦艦らしく堂々と撃ち合えよ!寄ってたかって一人をいじめるな!帝国軍の元帥だぞ!」

 

アルブレヒトは涙目で喚く。必殺の「ロンゴミニアド・スピア」を外した代償は、あまりにも大きかった。エネルギー充填の隙を突かれ、エンジン出力も低下し、回避機動すらままならない。ただの巨大なサンドバッグ状態だ。

 

その時、メインスクリーンの一角に、割り込み通信のウィンドウが開いた。そこに映っていたのは、純白の背景とは対照的に、怒りで顔を真っ赤に染めた金髪の美青年だ。

 

『いい加減に本気でやれ、ファルケンハイン!!』

 

ラインハルトの怒号が、爆発音よりも大きく艦橋に響き渡る。

 

「ひいっ!弟に怒られた!」

 

アルブレヒトがビクッと縮み上がる。敵の攻撃よりも、身内の説教の方が心臓に悪い。

 

『何をしているのだ、貴様は!あの程度の集中砲火で取り乱すなど、帝国の元帥として恥ずかしくないのか!見ろ、貴様の無様な姿を!全宇宙に配信されているぞ!』

 

ラインハルトは容赦ない。彼は、自分が尊敬(?)する兄貴分が、あんなふうに右往左往しているのが我慢ならないのだ。彼の美学に反する。

 

『精細を欠きすぎているぞ!貴様の実力はそんなものではないはずだ!いつもの悪知恵はどうした!卑怯な手はどうした!さっさと使え!』

 

「無理無理!今は頭が回らん!糖分が足りないんだよ!」

 

『言い訳無用!これ以上、無様な姿を晒すなら、俺が後ろから撃つぞ!介錯してやる!』

 

ラインハルトの手が、発射トリガーにかかっているように見える。冗談ではない。こいつなら、本気で「兄上の名誉のために」とか言って撃ってくる可能性がある。

 

「味方からも撃たれるのかよ!鬼かお前は!無理無理!アナがいないと俺はダメなんだよぉ!誰か助けてくれぇぇ!」

 

アルブレヒトは幼児退行寸前だ。アナスタシアという保護者がいないと、彼はただの「運のいい怠け者」に戻ってしまう。そのメッキが剥がれ落ち、スクラップになるのも時間の問題かと思われた。

 

その時だった。

 

「……閣下」

 

激しく揺れる艦橋の中で、一人の男がアルブレヒトのそばに歩み寄った。副官、ナイトハルト・ミュラーだ。彼は手すりを掴んで体を固定しながら、真剣な、まるで殉教者のような眼差しでアルブレヒトを見下ろしていた。

 

「ミュラー……?お前も俺を見捨てるのか?脱出ポッドなら一人分空いてるぞ?」

 

「いいえ。……落ち着いてください、閣下」

 

ミュラーは懐から、一つのデータチップを取り出した。そして、それを指揮卓のポートに差し込む。

 

「実は、出撃前にホーテン閣下から、『もしも閣下が劣勢になり、情けない声を上げ始めたら』再生するようにと、メッセージを預かっております」

 

ピタリ。アルブレヒトの悲鳴が止まる。

 

「……ア、アナから!?」

 

彼の表情に、地獄に垂れた一本の蜘蛛の糸を見つけた罪人のような希望が宿る。

 

「なんだ、あるなら早く言えよ!応援メッセージか!『アル様頑張って♡』とか『愛してます♡』とか、そういうやつか!?」

 

アルブレヒトは身を乗り出す。

 

「早く再生しろ!今の俺には癒やしが必要だ!彼女の天使のような声を聞けば、俺のHPは全回復する!エリクサーだ!」

 

「はっ。……では、再生します」

 

ミュラーがスイッチを押す。艦橋のスピーカーから聞き慣れた凛とした声が流れる。

 

AI『アナ』『再生します……。アル様』

 

「おお……アナの声だ……♡」

 

アルブレヒトがうっとりと目を閉じる。戦場の轟音が、彼の中でBGMへと変わる。愛しい婚約者の声。それだけで、恐怖が和らぐ気がした。

 

だが。次の瞬間、その幻想は無慈悲な現実によって粉砕される。

 

『もしも貴方が、この程度の戦いでお負けになると、どうなるか分かりますか?』

 

声のトーンが低い。絶対零度だ。背筋が凍る。

 

『「負けても関係なく、捕虜になって怠けられる」とか、「適当に引退して隠居できる」とか思ったら大間違いですよ』

 

「……え?」

 

アルブレヒトが目を開ける。

 

『生きて帰れば、貴族社会での粛清はされずとも、家宰として断言します。私との結婚はなくなります』

 

ドォォォォォン!!(背景で被弾する音)

 

だが、アルブレヒトにはその爆発音など聞こえていない。彼の頭の中で、もっと巨大なものが崩壊する音がしたからだ。

 

「……は?」

 

『敗北した元帥に、妻を娶る資格はありません。私は敗者の妻になるつもりはありませんので。婚約は破棄、私は実家に帰らせていただきます。さようなら』

 

「(顔面蒼白)やめ……」

 

アルブレヒトの手が震える。婚約破棄。実家に帰る。一番恐れていたワードが、マシンガンのように撃ち込まれる。

 

『また、万が一戦死した場合は……』

 

声が少しだけ震える。演技か、本気か。

 

『後ろ盾を失った私は、リヒテンラーデ公やブラウンシュヴァイク公の政争に巻き込まれ、スケープゴートにされ……恐らく、惨たらしく殺されるでしょう。あるいは、どこかの好色な貴族の慰み者にされるかもしれませんね』

 

「……ッ!!」

 

アルブレヒトの脳裏に、最悪のイマジネーションが走る。アナが。あのアナが。俺が死んだせいで、路頭に迷い、酷い目に遭う。

 

「(絶望)アナァァァァァァァ!!」

 

アルブレヒトは絶叫する。魂の叫びだ。自分が死ぬのはいい(よくないけど)。だが、アナが不幸になるのは絶対に許せない。

 

「俺は……俺はなんてことを……!」

 

後悔と恐怖で、アルブレヒトの心は闇に沈みかける。だが、アナスタシアの「鞭」は、これで終わりではなかった。

 

『以上です。……あ、追伸』

 

声のトーンが変わる。さっきまでの冷徹さが消え、甘く、蕩けるような、蜂蜜のような声色に。

 

「つ、追伸?」

 

アルブレヒトが顔を上げる。

 

『この戦いに勝って、五体満足で、無事に帰ったら……』

 

少しの間。その沈黙が、アルブレヒトの心臓を鷲掴みにする。

 

『私と、久しぶりに……ベッド・インしましょう』

 

「!!!!!」

 

アルブレヒトが硬直する。ミュラーが顔を赤くして目を逸らす。オペレーターたちが「聞いちゃいけないものを聞いた」という顔でキーボードを叩くふりをする。

 

『最近、ご無沙汰でしたからね。……たっぷりと、ご奉仕させていただきます♡ 貴方の好きなアレも、コレも、朝まで付き合って差し上げます』

 

艶めかしい吐息。脳髄を溶かすような誘惑。

 

『ですから……死なないでくださいね?私の愛しい旦那様♡』

 

プツン。再生が終了する。

 

艦橋に、奇妙な静寂が訪れる。 外ではビームが飛び交っているはずなのに、ここだけ時間が止まっているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰も声をかけられない。 副官のミュラーは、引きつった顔で上官の背中を見つめている。 オペレーターたちは、キーボードを叩くふりをしながら、全身を耳にして様子をうかがっている。モニター越しに見ているラインハルトでさえ、眉をひそめて沈黙を守っている。

 

やがて。アルブレヒトの足元から、何かが湧き上がってきた。

 

ゴゴゴゴゴゴゴ……。

 

幻聴ではない。実際に、彼の立っている床板が微振動を始めている。それは彼自身の貧乏ゆすりなのか、それともあふれ出るオーラが物理干渉を起こしているのか。

 

アルブレヒトの肩が、ゆっくりと持ち上がる。全身から、ドス黒い、それでいて毒々しいほどに鮮やかなピンク色が混じった、凄まじい覇気(と煩悩)が立ち昇る。

 

カッ!!

 

アルブレヒトが目を見開いた。その瞳には、もはや理性的な光はない。あるのは、飢えた野獣の凶暴さと、目的のためなら銀河そのものを売り渡しかねない修羅の執念。充血した眼球が、ギョロリと艦橋内を睥睨する。

 

「か、閣下……?」

 

ミュラーが恐る恐る声をかける。もしや、恐怖のあまり精神が崩壊してしまったのではないか。

 

だが、返ってきたのは、地獄の底から響くような、ドスの効いた声だった。

 

「……勝つ」

 

「は?」

 

「勝つぞ」

 

アルブレヒトが拳を握りしめる。ミシミシと革手袋が悲鳴を上げる。

 

「勝つぞおおおおおおおおお!!」

 

咆哮。艦橋の空気がビリビリと震える。

 

「全艦!聴け!いや、聴けなくても体で感じろ!」

 

アルブレヒトは指揮卓に飛び乗らんばかりの勢いで叫ぶ。

 

「俺は帰る!五体満足で!勝利の栄光を引っ提げて!そしてアナとイチャイチャするんだ!そのためなら、悪魔に魂を売ろうが、同盟軍を全滅させようが知ったことかぁぁぁ!!」

 

最低だ。清々しいほどに動機が不純だ。だが、その熱量は本物だった。核融合炉も裸足で逃げ出すほどのエネルギー。

 

「ミュラー!エンジン全開!限界を超えろ!回路が焼き切れたら、お前の体温で温めてでも直せ!」

 

「む、無茶苦茶です!」

 

「主砲、冷却停止!撃て!撃ちまくれ!砲身が溶けたら新しいのに取り替えればいい! だが俺の初夜は一度きりなんだぞ!代わりはいないんだ!」

 

「初夜って!閣下、まだ結婚もしてませんよ!?」

 

「うるさい!俺の中ではもう予定表に入ってるんだ!」

 

アルブレヒトは唾を飛ばしながら指示を飛ばす。

 

「全艦!俺の指示に従え!1ミリの誤差も許さん!右と言ったら0.1秒で右だ!遅れた奴は、俺の結婚式に呼ばないからな!祝儀だけ毟り取ってやる!」

 

オペレーターたちが、涙目でコンソールに向かう。「元帥の結婚式に出られない」ことが罰なのか、「祝儀を毟り取られる」のが罰なのかは分からないが、今の元帥に逆らったら物理的に噛み殺されるという恐怖だけは共有された。

 

《ロンゴミニアド》の動きが変わる。さっきまでの「逃げ腰」が嘘のように、獰猛な前進を開始する。傷ついた船体を軋ませながら、エメラルドグリーンの光が、より一層輝きを増す。

 

その様子を通信モニターで見ていたラインハルトは、開いた口が塞がらないという顔をしていた。

 

『(通信越しにドン引き)……貴様』

 

ラインハルトは呆れ果てた声で言う。

 

『本当に最低の動機だな。帝国軍の勝利でもなく、宇宙の覇権でもなく、女との情事のために命を懸けるとは』

 

「うるさい!童貞のガキに大人の事情が分かってたまるか!」

 

アルブレヒトが食ってかかる。元帥が大将に向かって「童貞」呼ばわりである。ラインハルトの額に青筋が浮かぶ。

 

『なっ……! き、貴様……っ!』

 

「お前だって、姉上のためなら銀河を焼くだろうが! それと同じだ! 愛の形がちょっと(だいぶ)違うだけだ!」

 

アルブレヒトの暴論。 だが、ラインハルトはハッとする。 姉上(アンネローゼ)のためなら。 確かに、自分の行動原理の根本もそこにある。

 

『……フン。否定はせん』

 

ラインハルトは腕を組む。 その瞳に、軽蔑ではなく、ある種の共感と、呆れ混じりの敬意が宿る。

 

『動機は下劣だが、その執念だけは認めよう。……それでこそ、俺が見込んだ男だ』

 

「認められたくねえよ! とにかく行くぞ! ラインハルト、お前もだ! サボってたら姉上に言いつけるぞ!」

 

「言いつけるな! ……全艦、元帥に続け! 遅れるな!」

 

アルブレヒトの狂乱に呼応するように、帝国軍全体が息を吹き返す。 「なんかよく分からんが、元帥がキレて凄いことになってるから、俺たちもやらないとヤバい」という集団心理が働いたのだ。

 

「全軍、反撃開始だ! 邪魔する奴は、俺の愛の巣作りの妨害罪で処刑する!!」

 

アルブレヒトの絶叫と共に、エメラルドグリーンの巨艦が、同盟軍第11艦隊に向かって突進を開始した。 それは、戦術や戦略を超越した、「愛と性欲」という名の無限エネルギー機関を搭載した暴走列車の発車であった。

 

銀河の歴史上、これほどまでに「個人的かつ不純な理由」で覚醒した名将は、後にも先にもアルブレヒト・フォン・ファルケンハインただ一人であろう。




ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。

今回の章は、作者としても「振り切った」内容でした。
最低で最高の覚醒理由をどう受け止めていただけるか、正直なところ読者の反応が気になっています。

ヤンの読みの鋭さ

ビュコックの老練

ホーランドの純粋すぎる突撃欲

そしてアルの一周回って英雄的な執念

このあたり、皆さまはどんな風に感じたでしょうか。

そろそろ長期連載になってきたので章ごとに簡単なあらすじ(ネタばれあり)をつけるべき?

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