銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
銀河規模の泥仕合に突入します。
ファルケンハイン元帥は相変わらず俗物的動機全開、
ホーランド提督は熱い心を燃やし、
そしてヤン・ウェンリーは、いつもの通り紅茶が飲めない状況に追い込まれます。
銀英伝の戦争は決して華やかなだけではなく、
「兵站」「疲労」「欲望」など、人間の本質が勝敗を左右します。
その一端を楽しんでいただければ幸いです。
それでは、本編へどうぞ。
艦橋の空気が、熱い。
物理的な室温が上がっているわけではない。いや、少し上がっているかもしれない。なぜなら、この身から放出される熱量が、恒星の表面温度に匹敵する勢いだからだ。
指揮官席の前に仁王立ちになり、マントをバサリと翻す。全身から、黄金色……いや、ドス黒いピンク色のオーラが立ち昇っているのが自分でも分かる。これが「覇気」というやつか。それとも単なる「煩悩」か。どちらでもいい。結果が出れば、歴史はこれを「覚醒」と呼ぶのだ。
「俺は覚醒した!何が何でも覚醒したことにする!」
高らかに宣言する。周囲のオペレーターたちが、感動するどころか、「うわぁ……」という顔で少し引いているのが視界の端に入るが、気にしない。今の俺は無敵だ。羞恥心などというブレーキは、さっきのミサイル回避の時にどこかの宇宙空間に捨ててきた。
「いいかお前ら!よく聞け!そして骨の髄まで理解しろ!」
拳を突き上げる。
「俺はアナと、怪我をして以来一度もしていない!健全な男女が数ヶ月もだぞ!?あり得ないだろ!?」
ブリッジが静まり返る。ミュラーが顔を覆ってうずくまる。「聞きたくない、聞きたくない……」という呟きが漏れている。
「この機を逃すな!今ここで勝たねば、俺の男としての機能が死ぬ!リヒテンラーデに負けるとか、同盟に負けるとか、そんなことはどうでもいい!俺のプライベートが充実するかどうかの瀬戸際なんだ!」
『……何の機だ!戦場で何を叫んでいる、この恥さらしめ!』
通信モニターの向こうから、冷ややかで、かつ殺意に満ちた声が飛んでくる。 ラインハルトだ。彼の美貌が、今は般若のように歪んでいる。帝国の品位を汚す上官に対し、軽蔑の眼差しを向けている。
『全艦隊共通回線で、自分の性生活の不満をぶちまける司令官がどこにいる!貴様は発情期の猿か!通信を切れ!耳が汚れる!』
「うるさい!童貞に俺の苦しみが分かってたまるか!」
『き、貴様ッ……!またそれを……!』
ラインハルトが顔を真っ赤にして絶句する。よし、精神攻撃は有効だ。
「要するにだ!俺の頭は今、かつてないほど冴え渡っている!愛の力でな!」
ラインハルトの罵倒を無視し、早口でまくし立てる。脳内のシナプスが、「アナとベッドイン」というゴールに向かって、最短ルートを猛烈な勢いで計算し始めている。
「敵第11艦隊(ホーランド)の動きを見ていて、気づいたことがある。奴らの弱点は見えた!」
戦術マップを呼び出す。そこには、さっきまでの戦闘データが表示されている。ホーランド艦隊の動きは派手だ。アクロバティックだ。常識外れだ。だが、それゆえに生じる必然的な欠陥がある。
「奴らは超強力な艦隊運動による攻撃力と引き換えに、『継戦能力』を失っている!」
指でグラフを示す。ホーランド艦隊のエネルギー消費量、弾薬消費量、そしてパイロットの精神疲労度。どれもが異常値を示している。
「あんな無茶な機動を長時間続けられるわけがない。F1カーでラリーをするようなものだ。すぐにガス欠になるし、タイヤもすり減る」
「な、なるほど……」
ミュラーがおずおずと顔を上げる。
「だから奴らは、ガス欠になる前に他の艦隊(第5艦隊や第10艦隊)の影に隠れて、補給と再編を繰り返しているわけですね?」
「その通りだ!」
指を鳴らす。
「奴らは、ヒット・アンド・アウェイならぬ、『暴れて・隠れて・また暴れる』を繰り返している。味方の背中に隠れて弁当を食い、トイレに行き、昼寝をしてから、また元気になって出てくる。それがあのウザい波状攻撃の正体だ!」
単純だが、強力な連携だ。ビュコックやウランフといった堅実な指揮官が「盾」となり、その裏でホーランドという「矛」を研いでいる。だから同盟軍は崩れないし、こちらの攻撃を受け流せる。
「つまりだ!」
「『休憩時間』を与えなければ、奴らはただのガス欠の鉄屑だ!弁当を食う暇も、トイレに行く暇も与えるな!膀胱の限界まで追い込めば、どんな名将でも判断を誤る!」
極論だが、真理だ。人間、生理的欲求を阻害されるのが一番辛い。
「ミュラー!作戦変更だ!これより我が軍は、華麗な決戦など放棄する!」
「は、はい!では何を?」
「泥仕合だ!徹底的な嫌がらせだ!名付けて、戦術名『エンドレス・ワルツ』を発動する!」
◆
指揮卓に手をつき、悪魔的な(と自分では思っている)笑みを浮かべる。
「基本姿勢は、間断なく『薄い攻撃』を浴びせ続けることだ!」
「薄い攻撃、ですか?」
「そうだ。必殺の主砲斉射とか、勇ましい突撃とかはいらん。そんな大技を出せば、こっちも隙ができるし、クールダウンの時間が必要になる。それは相手も同じだ。大技の撃ち合いになれば、その合間に奴らは休憩できてしまう」
ボクシングで言えば、KO狙いのフルスイングはやめる。代わりに、ペチペチとしたジャブを、呼吸する間もなく打ち続けるのだ。
「決定打はいらん!敵艦隊同士の合流、補給、再編成を、徹底的に邪魔しろ!補給艦がコネクタを接続しようとした瞬間にミサイルを一発撃ち込むとか、交代しようと下がった瞬間に通信妨害をかけるとか、そういう陰湿な攻撃だ!」
「せ、性格が悪すぎます……」
ミュラーがドン引きしている。褒め言葉として受け取っておく。
「トイレに行く暇も与えるな!敵の指揮官が『ふぅ、ちょっと休憩』とコーヒーカップを持った瞬間に警報を鳴らせ!それが勝利への鍵だ!」
そして、この作戦を遂行するためには、こちらの体制も変えなければならない。
「ミュラー!補給船や病院船もフル稼働させろ!後方に待機させておくんじゃない、前線のすぐ後ろまで持ってこい!」
「えっ!?危険ですよ!」
「構わん!前線と兵站を有機的に結合し、『戦いながら飯を食い、戦いながら直す』システムを作れ!ピットインの時間すら惜しい!空中給油みたいなもんだ!」
無茶苦茶な要求だ。だが、今の俺には不可能という文字は見えない。愛の力が視神経を焼き切っているからだ。
「戦線は縮小!艦隊を100隻単位の小集団に分割しろ!大艦隊で動くから小回りが利かないんだ!」
手が空中で円を描く。
「Aチームが撃ってる間にBチームが休み、Bチームが撃ってる間にCチームが出る!Cが戻ってきたらAが出る!これを無限に繰り返す!」
ローテーション戦法。休みなく攻め続けるが、個々の部隊はちゃんと休める。ブラック企業のように見えて、実はホワイトな労働環境(ただし戦場)
「名付けて、『24時間営業のコンビニ戦法』だ!敵に一秒の安息も与えるな!こちらはシフト制で回せ!」
「コ、コンビニ……」
ミュラーが首をかしげるが、すぐに理解してメモを取り始める。
「(必死にメモを取りながら)は、はい!部隊を細分化してローテーション……。無茶苦茶ですが、理にかなっています!敵の消耗を誘いつつ、こちらの疲労を最小限に抑える……!」
「そうだ!ラインハルトにも伝えろ!『美学とか言ってる場合じゃない、泥臭くシフトを組め』とな!」
「遊兵を作っても構わん!常に誰かが敵を突っついていればいい!敵に補給の隙を与えないことが最優先だ!」
マントを翻し、再び指揮官席に座る。
「さあ、働け!帝国軍の精鋭たちよ!全ては俺の初夜のために!邪魔する奴には、俺の怨念のこもったミサイルをプレゼントしてやる!」
艦橋に、俺の怒号と、オペレーターたちの悲鳴交じりの復唱が響き渡る。
「了解!コンビニ戦法、開始します!」
「シフト表作成急げ!Aチーム、出撃!」
「補給部隊、前進!おにぎりとエネルギーパックを用意しろ!」
◆
「Aチーム、シフト終了!帰投して補給を受けろ!おにぎり食ったらすぐ寝ろよ!」
「了解!Bチーム、出撃します!敵第11艦隊の左舷、交代の隙を突きます!」
「Cチーム、スタンバイ!敵の補給艦がドッキングした瞬間にミサイル撃ち込め!」
オペレーターたちの声が飛び交う。完璧だ。自画自賛したくなるほど完璧なオペレーションだ。
戦場を見てみろ。あの猛牛ホーランド率いる第11艦隊が、明らかにイラついているのが分かる。彼らがいつものように「ヒット・アンド・アウェイ」で後方に下がろうとすると、すかさず我が軍の小部隊が「おっと、どこへ行くんですか?」とばかりにまとわりつく。
トイレに行こうとしたらドアをノックされ続けるようなものだ。出るに出られないし、引っ込むに引っ込めない。
「ざまあみろ!これぞ『24時間営業・年中無休の嫌がらせ』だ!」
ガッツポーズを決める。大火力でドカンとやるだけが戦争じゃない。相手の生活リズムを崩し、精神を削り、じわじわと真綿で首を絞める。これこそが大人の、いや、俗物の戦い方だ。
手元の通信パネルが点滅する。ラインハルトだ。きっと「セコい真似をするな」と文句を言ってくるに違いない。だが、今の俺に怖いものはない。受けて立ってやる。
回線を開く。しかし、聞こえてきたのは怒鳴り声ではなく、呆然とした呟きだった。
『……完璧だ』
ラインハルトが、信じられないものを見るような目で戦況図を見つめている。 その美しい顔には、驚愕と、認めたくないという葛藤が入り混じっている。
『敵の長所を殺し、こちらの持久力を最大限に活かしている。大艦隊をあえて細切れにし、有機的に回転させる……。一見すると戦力の分散だが、時間軸で見れば常に圧力をかけ続けていることになる。……なんて嫌らしい、いや、合理的な戦術だ』
「フフン」と鼻を鳴らす。褒め言葉だ。最高の褒め言葉だ。
『……キルヒアイス。あの男は、本当にただの俗物なのか?』
ラインハルトが、隣に立つ赤毛の親友に問いかける。
『普段は怠惰で、女に弱く、楽をすることしか考えていない。そんな男が、なぜ戦場ではこれほどまでに……人間の心理を抉るような手を打てる?』
おいおい、聞こえてるぞ。「ただの俗物」とは失礼な。俺は「超一流の俗物」だ。
画面の中のキルヒアイスが、穏やかに微笑みながら答える。
『……俗物だからこそ、人間の『欲』や『疲れ』に敏感なのかもしれませんね』
鋭い。さすがはキルヒアイス。物事の本質を突いてくる。
『英雄や天才は、己の才能を信じるあまり、凡人の弱さを見落としがちです。ですが、ファルケンハイン閣下は……ご自身が「楽をしたい」「帰りたい」という欲求に忠実だからこそ、敵が一番嫌がる「楽をさせない」攻撃ができるのでしょう』
「その通りだ!」
我慢できずに割り込む。ラインハルトとキルヒアイスが、ビクッとこちらを見る。
「聞こえてるぞ!悪口かと思ったら分析か!さすがは俺の弟分たちだ、よく分かってるじゃないか!」
『き、貴様……!また盗み聞きか!』
ラインハルトが顔をしかめるが、今の俺はそんなことでは動じない。
「俗の何が悪い!人間は欲のために生きるんだ!食欲、睡眠欲、そして……性欲!それらを満たすために、人は働き、戦い、進化してきたんだ!」
マイクを握りしめ、演説をぶつ。
「高尚な理想?宇宙の統一?そんなもので飯が食えるか!俺は俗であるが故に天才だ!凡人の痛みが分かるからこそ、凡人を殺す術を知っている!」
ヒートアップしていく。脳内でアドレナリンとドーパミンがカクテルパーティーを開いている。
「今の俺を見ろ!『アナとイチャイチャしたい』という一点張りだ!その不純な動機が、俺の脳細胞をフル回転させている!愛と性欲がある限り、俺はどこまでも強くなる!燃料無限大だ!」
『……』
ラインハルトが絶句している。あまりの開き直りっぷりに、言葉を失ったようだ。
その時、俺の背後に控えていたことリューネブルク大将が、低い声で感嘆を漏らした。
「……さすが閣下」
彼は真顔だ。ふざけている様子はない。
「人の本質を突いた用兵です。綺麗事で飾られた戦争など、所詮は殺し合い。ならば、最もドロドロとした欲望を武器にする者こそが、最強の戦士たり得る……。勉強になります」
「だろう?お前なら分かってくれると思っていたよ、リューネブルク。お前も大概、性格がねじ曲がってるからな」
「お褒めにあずかり光栄です」
ニヤリと笑う白銀の猛将。こいつ、俺の「俗物パワー」に共鳴してやがる。危険な化学反応だ。
「どこの熱血アニメキャラだ!」
ようやく再起動したラインハルトが、画面越しにツッコミを入れてくる。
『感動的なBGMでも流れてきそうな勢いで語っているが、言ってることは最低だぞ!「性欲が燃料」などと、全軍放送で叫ぶな!帝国の恥だ!』
「うるさい!恥をかいても勝てばいいんだ!歴史書には『愛に生きた名将』と書かせてやる!」
「書かれるわけがないだろう!『好色元帥』と書かれるのがオチだ!」
「それも悪くない響きだ!」
「貴様……ッ!」
ラインハルトが頭を抱える。彼の理想とする「高潔な覇者」像とは真逆を行く俺のスタイルに、頭痛を覚えているようだ。だが、その口元は少しだけ緩んでいる。少なくとも、さっきまでの「膠着状態へのイライラ」は消え去っている。
「よし、ラインハルト!お前もシフトに入れ!『白い貴婦人』をこき使え!綺麗に戦おうなんて思うなよ?泥臭く、粘着質に、敵の嫌がることをやり続けろ!」
『指図するな。……だが、戦術としては有効だ。採用してやる』
ラインハルトは不敵に笑う。
『見ていろ。俺の艦隊が、最も効率的に敵を削ってみせる。貴様の「コンビニ戦法」とやら、俺が完成させてやる』
「上等だ!競争だぞ!」
通信を切る。ふぅ、と息を吐く。疲れる。ハイテンションを維持するのは体力がいる。 だが、心地よい疲労だ。
◆
同盟軍第11艦隊旗艦《エピメテウス》
「くそっ!引けない!なんだこの粘着質な攻撃は!」
ホーランドが、指揮卓を拳で殴りつける。彼の自慢の金髪は乱れ、制服の襟元は開き、その表情には焦燥の色が濃く滲んでいる。
「第5艦隊(ビュコック)と交代しようとすると、その瞬間に敵の小部隊が割り込んでくる!まるで自動ドアに挟まる客のように、絶妙なタイミングで邪魔をしやがる!」
彼が叫ぶ通りだ。ホーランドが「よし、ちょっと休憩!ビュコック爺さんと交代!」と合図を送ると、どこからともなく帝国軍の駆逐艦隊(CチームとかDチームとか呼ばれている連中)が湧いてきて、交代の隙間に入り込み、ビームを乱射する。結果、第11艦隊は後退できず、第5艦隊は前進できず、その場で足踏みを強いられる。
「補給もできん!エネルギー充填率がレッドゾーンだ!パイロットたちの膀胱もレッドゾーンだぞ!」
「……閣下、汚い話はやめてください」
ヤン・ウェンリー准将が、揺れる艦橋で必死にマグカップの平衡を保ちながら突っ込む。 だが、彼もまた余裕がない。紅茶をすすることすらままならないのだ。これは由々しき事態である。
「ヤン准将!このままだと、こちらの『芸術的機動』が封じられ、ただの泥沼の消耗戦になるぞ!我々の華麗なダンスが、盆踊り以下の足踏みになってしまう!」
ホーランドがヤンに詰め寄る。彼の顔は本気だ。自分の美学が汚されることへの怒りもあるだろう。だが、ヤンは努めて冷静に(というか、眠そうに)答える。
「……良くはありませんが、現状、総数はこちらが三個艦隊(第5、10、11)に対して、敵は三個艦隊相当。後方の幽霊部隊(第4、6)を数に入れれば、計算上は有利です」
ヤンは、揺れの合間を縫って紅茶を一口すする。ぬるい。
「このまま削り合えば、情けなくはありますが、戦略的には『帝国の侵攻を阻止する』という目的は果たせます。敵(アルブレヒト)が攻めあぐねて撤退すれば、それで我々の勝ちなのですから」
ヤンの思考は常にミニマリズムだ。勝たなくていい。負けなければいい。このままダラダラと睨み合って、お互いに「疲れたから帰ろうぜ」となるのが、彼にとっての理想的な結末だ。
しかし。ホーランドは、その答えに納得しなかった。彼はモニターを睨みつけ、ギリリと奥歯を噛みしめる。
「……だが、それでは兵を無駄に死なせてしまう」
低い声。いつもの「突撃!」「粉砕!」といったハイテンションな叫びではない。腹の底から絞り出すような、重い響き。
「俺の指揮で、部下をすり減らすのは我慢ならん。俺はあいつらに『最高の夢』を見せてやるために連れてきたんだ。こんな陰湿な消耗戦で、ゴミのように使い捨てにするために連れてきたんじゃない」
ホーランドの拳が震えている。彼はただの「突撃馬鹿」ではない。部下からの人気が異常に高い理由。それは、彼が兵士一人一人を「自分のショーの共演者」として愛しているからだ。主役である自分が輝くためには、脇役たちもまた輝いていなければならない。死んで輝きを失うことなど、彼の美学が許さない。
「……どうにかならないか、魔術師?俺のプライドはどうでもいい。あいつらを、無駄死にさせたくないんだ」
ホーランドが、縋るような目でヤンを見る。その瞳には、純粋な「善性」が宿っている。
ヤンは、ハッとしてホーランドを見る。マグカップを持つ手が止まる。
(……参ったな)
ヤンは心の中で頭をかく。
(この人は、自分の美学(機動戦)が通じないことより、兵の損耗を憂いているのか。……もっと自分勝手な芸術家だと思っていたが、意外と『親分肌』なんだな)
ヤン・ウェンリーという男は、権力者や好戦的な人間を嫌う。だが、同時に「善良な人」には弱い。ユリアン然り、キャゼルヌ然り。そして目の前の猛牛然り。
(こういう『いい人』を見殺しにするのは、寝覚めが悪い。……給料分以上の働きになるが、仕方ないか)
ヤンは、諦めたように小さく息を吐いた。そして、手の中のぬるい紅茶を一気に飲み干す。
スイッチが入る音がした。
◆
「……そうですね。少し考えてみます」
ヤンは、愛用の黒いベレー帽を脱ぐ。そして、くしゃくしゃになった黒髪を、さらにくしゃくしゃとかき回す。それが、彼の思考エンジンの暖気運転の合図だ。
艦橋の喧騒が、ヤンの耳から遠ざかる。彼の意識は、戦場全体を俯瞰する「神の視点」へと上昇していく。
敵の指揮官……アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン元帥。通称「伏龍」だが、その戦い方は龍というよりは、狡猾な狐か、あるいは粘着質な蛇だ。 こちらの「交代」のタイミングを完璧に読んでいる。つまり、彼は「人間がいつ休みたくなるか」「いつ気を抜くか」という生理的リズムを熟知している。
(……逆に言えば、『交代のタイミング』には過剰に反応してくるということだ)
ヤンの脳内で、シミュレーションが走る。アルブレヒトは「楽をさせない」ことに執着している。こちらが「引こう」とすれば、必ず「行かせない」と食いついてくる。それはもはや、条件反射(パブロフの犬)に近い。
(……なら、その『反応』を利用できないか?)
ヤンの指が、虚空でリズムを刻む。
(交代すると見せかけて、敵の小集団を誘い込み、そこを叩く?……いや、それでは戦局は動かない。ハエを数匹叩き落としても、次から次へと湧いてくるだけだ)
小手先の戦術ではダメだ。根本的な「流れ」を変えなければならない。
(敵の司令官(アルブレヒト)は、恐らく後方の安全圏にいる。あの緑色の戦艦は、さっきの失敗に懲りて慎重になっているはずだ。……だが、前線に出てきている『金髪の小僧(ラインハルト)』や、その周辺の部隊は違う)
ラインハルト・フォン・ミューゼル。彼の艦隊は、アルブレヒトの指示に従いつつも、どこか「功績を上げたい」「決定打を放ちたい」という野心を隠しきれていない。アルブレヒトの「陰湿な攻撃」に付き合いながらも、本音では「派手な勝利」を求めている。
(……ふむ)
ヤンの目が、モニター上の光点配置図をなぞる。敵の心理。こちらの心理。そして、戦場の地形(星々の配置)。
全てのピースが、カチリとハマる。
(……いけるな)
ヤンはベレー帽を被り直す。その角度は、少しだけ深く、攻撃的になっている。
「……閣下」
ヤンが口を開く。その声は、さっきまでの気だるげなものではない。静かだが、芯の通った参謀の声だ。
「消耗戦を避けるなら、一撃で敵の脳天を砕くしかありません。ちまちまとしたダンスは終わりにして、派手なフィナーレを演出しましょう」
「(ニヤリ)ほう?フィナーレか。嫌いじゃない響きだ。具体的には?」
ホーランドが身を乗り出す。
「敵の『24時間営業』を逆手に取ります」
ヤンは不敵に笑う。
「敵は、我々が『休もうとする』のを邪魔してきます。ならば、盛大に『休み』を見せてやりましょう。……『閉店セール』を装って、客を店の中に閉じ込めてしまいましょう」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
特にファルケンハイン元帥の
「俗物的合理性」
をどこまで楽しんでいただけたか、ぜひ教えていただきたいところです。
皆さまの感想が、次の戦術開発やキャラの深掘りの糧になります。
「ここが好き」「ここが変」「このキャラもっと見たい」など、
一言だけでも大歓迎です。
そろそろ長期連載になってきたので章ごとに簡単なあらすじ(ネタばれあり)をつけるべき?
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つけるべき
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いらない