貴女は今、失った心肺機能を“人形の部品(キカイ)”で補っているわ。
 つまり貴女は上海人形から離れると死ぬのよ。

 ――――――

 本作品は2008年頃に東方二次創作小説合同誌に投稿した小説になります。2011年に主催に確認の後、自サイトにて公開しておりました。
 とても古く、当時の東方観で書いた作品ですが、それでもよろしければご覧下さい。
 

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「あなたは今、失った心肺機能を機械で補ってるわ」
「つまりあなたはジェフティを降りたら死ぬのよ」

     ゲーム「ANUBIS ZONE OF THE ENDERS」より





『Heart Breaker』

 

 

 

 空を越えたい。そう思っていた。

 

 最初は空を飛びたいと思っていた。空さえ飛べれば、同じ高さに立てると思っていた。魔法に不可能なんて無い。だから空を飛ぶことはすぐにできるようになって、それが間違いだと気づかされるのもすぐだった。空を飛んでも、箒で宙に浮かんでも、決して空の上には至れない。そんなことに気づかされるだけだったのだ。

 だから超えたかった。どうすればいいのか、答えを探した。不可能なはずがない。不可能だったら魔法ではない。不可能であれば可能にするのが魔法使いなのだ。

 だけれど――

「――――あ」

 まずい、と思ったときにはもう遅かった。鍛え上げた感覚が制御不能だと告げていた。暴走する魔力が体中をデタラメに駆け巡り、制御域を超えた奔流はもはやキャンセルも中和もできず、

 

 ――胸に、熱く、重たい感触が突き抜けた。

 

「あ――――」

 死んだ、と直感した。

(あーあ、結局――)

 刹那の思考。逃げていく熱さと失った重みに未練を残す間も無く、意識は闇に落ちる。

 

 そのとき、私――霧雨魔理沙は死んだ。

 

 

 

 

 

 =====★

 

 

 

 

 

「――――…………え?」

 天井が見えた。眩しいランプがぶら下がった天井は割と見覚えのある物だった。

「……生きてる?」

 純粋に不思議に思って呟いた。

 カチカチ、と時計か何かの歯車の音に消されそうなほどか細い声だが、自分の声だ。

(なんで?)

 起き上がろうとして、上手く身体が動かない。力の入れ方を忘れてしまったかのようだ。どうやったら力が入るのか思い出しながら、ぎくしゃくと腕を上げ、明るすぎるランプの光を手で遮った。

 身体が硬い。まるで人形になったみたいだと、光を遮っている手を見つめる。まぎれもなく自分の手だ。それを確認するように指を一本ずつ曲げていった。たったそれだけのことが酷く疲れる作業だった。弱々しく握り締めた手を下ろし、次は首を動かした。やはり見覚えがある部屋が目に入る。

 本棚、本、人形、本、人形、人形、人形の部品……。

(アリスの家だ……)

 若干の驚きと納得で、ふぅ、と少しだけ息を吐き、首を反対側に向ける、と、

「…………」

 見覚えのある人形の無機質な眼と、目が合った。

「……よう」

 声が届いたのかはよくわからない。それぐらい小さい自分の声。しかし声が届いたのか、自分が起きたからなのか、人形――アリスの使い魔(お気に入り)の上海人形はこちらから視線を外すと、明後日の方向を向いた。

 人形の主に魔力の信号を送ったとわかった。アリスを呼んだのだろう。ほどなく足音と共に部屋の扉が開いた。

「目が覚めたのね」

 ああ、とやはり蚊の鳴くような声で答える。

「まだ動けそうにないわね」

 起きようとしたが無理だった。身体がガチガチに固まっている感じがする。アリスはふむと頷いて、さわさわと腕や足をマッサージをするように撫でた。血行が良くなったのか、幾分身体の感覚が戻ってきた。

 どう? と訊かれ、楽になった、と答えた。とはいえまだ自力では起き上がれない。

「……まだ辛そうね」

 アリスは言い、私の脇と膝の裏に腕を入れて、抱きかかえ、部屋を移動した。持ち上げられる感覚が気持ち悪い。私が寝ていたのはどうも作業室だったらしい。

 寝室まで運ばれ、ちょうど人形(多分、蓬莱人形だと思った)がベッドメイキングをし終えたところに寝かされる。柔らかな感触が気持ち良く、ふぅ、と息が漏れた。

「もう少し寝てて。私も疲れてるから」

 そうか、と答えて素直に眼を閉じた。意外なほどすんなりと意識は落ちていく。このまま死ぬんじゃないだろうか、と思いかねないほどに。

 

 

 

 

 

 =====★

 

 

 

 

 

 魔理沙が意識を失ったのを確認して、アリスは蓬莱人形を連れ、足早に寝室を出た。

 音を立てないようにしつつも、そそくさとドアを閉じ、居間の安楽椅子に倒れこむように座った。

「……はぁ……ぜぇ……」

 先程まで平静を保っていたアリスは表情を一変させ肩で息をしていた。しばらくアリスは呼吸でマナを取り込み、息を整えた。

「…………」

 そして指にはめている、操り糸(ストリングス)のリングを眺めた。普段は両手の指ほぼ全てにはまっているリング。それは今、左手の人差し指と中指の二つだけ。いつも家の中で働いている人形達のほぼ全てが、その動作を停めていた。

 居間は、物音一つせず、静か。

 耳鳴りしそうなほどの、静寂。

「――――」

 ふと、人差し指を曲げ、寝室で魔理沙を看ている上海人形とラインを繋ぐ。

(またしばらく起きないと思うけど、目を覚ましたら同じように)

 問題なく上海人形が命令を受諾したのを確認し、ふぅ、と息を吐き、アリスは目を閉じた。

 

 

 

 

 

 =====★

 

 

 

 

 

 ――カチ、カチ……

 

 前回に比べると布団の温もりもあり、幾分安らかな目覚めのように思える。

「……生きてる、よな?」

 それでも違和感があるのはなぜだろうか。あまり大きさの出ない声のせいか。

「えっと……」

 窓の外は夜。今は何時だろう、と時計を探してみた。

『――魔理沙が此処に来てから三日後の午後八時』

「――――?」

 精神に直接語りかけられた。

「えっと、上海人形?」

『イエス』

 と再び思念波。視線を巡らせてみるが、黙って座っている人形が多すぎて一見では特定できない、が、どうも一番近くに座ってこちらを見ているのが上海人形のようだ。造形と服飾に見覚えがある。

「ああ、その子、音声も出せるけど、そっちだと余計に魔力使うのよ」

 ドアを開けてアリスが入ってきた。通報されたようだ。

「気分はどう?」

「大分マシかな」

 まだ硬い感じがするが、身体は動きそうだ。

 起きれる? との問いに、なんとか、と答える。

 ぎしぎしと肘を突いて身を起こそうとしたが、人の頭は存外に重たい。結局アリスに支えられて、ようやく起きることができた。

「う……」

 軽い貧血。視界が暗くなる。頭に回る血が下って減ったのか。身体はまだ馴染んでいない。

 支えているアリスが心配そうにこちらを見ている。見栄を張らなければいけないと思うが、そうも言ってられないほど体調は宜しくない。半身を起こした状態に慣れるまでしばらくかかりそうだ。

 カチカチ、という音だけが響く。

「…………よし」

 眼が機能を取り戻し、まず白い薄手のシャツとパンツが目に入った。私の服じゃない。

 ……ゆったりと大きめのシャツとパンツは病人服を連想した。

「血糊で真っ黒になってたし、捨てたわ」

 なるほど、と頷く。

 血糊、ということは、やはり私は失敗したのだ。わかってはいたが実感が湧かない。失敗した、という印象だけあって記憶が飛んでいる。

「アリスが、助けてくれたんだな」

 礼を言うべきだと思い、どう言ったものかと思案しながら、アリスの顔を見た。

 何故か、アリスの表情は辛そうに見えた。痛いものを見るように、眉を顰めている。

「…………?」

 悪態を吐くでもなく、皮肉を言うでもないその反応に、戸惑ってしまう。

 その逡巡は、どういう意味なのか。無視し続けていた嫌な予感を押し殺し、意を決して、訊く。

「なあ、アリス。――私は、死んだんじゃないのか?」

 思い出せなかった。死んだという実感だけが残っていた。きっと自分は失敗したのだ。だけど、どう失敗したのかわからない。何に失敗したのか覚えていない。よく回らない頭では思いつかない。

 アリスも覚悟を決めたのか、真剣な顔になった。

 落ち着いて聞いて頂戴、と前置きを入れる。

 さらに一息、間を入れ、アリスは言った。

 

 貴女は今、失った心肺機能を“人形の部品(キカイ)”で補っているわ。

 その動力は上海人形から供給されている。

 つまり貴女は上海人形から、如いては私から離れると――死ぬのよ。

 

「――――」

 意味が、よくわからない。

 心肺機能を失った……?

 アリスから離れると死ぬ?

 なんだそれは。

「――――」

 手を、胸に当てた。

 薄いシャツの布地の裏に、自分の肌がある。

 そこにはなにもない。綺麗すぎて逆に違和感がある。

 指に力を込める。皮膚を抉るように。

 硬質な何かが埋まっているような幻覚。

 息が、知らずに荒くなる。

 吸う。吐く。吸う。吐く。吸う。吐く。

 肺は動いているのか。横隔膜は?

 ちっとも空気を取り入れている気がしない。

「内臓のほとんどが機能不全起こしてる。……肺は一部欠損していただけだから治せたけど――」

 対峙する魔法使いは、冷静に、告げる。

「――心臓は丸ごとやられてたわ」

 今度こそ、愕然とする。

「なん、だって」

 心臓が、ない?

「え、だってほら」

 胸に当てた手から心臓の鼓動が伝わって――来ない。

「…………」

 ――――。

 頭の中が真っ白になった。

 生きている心地がしない。

 本当に生きているのか、いないのか。

 どっちなのかわからない。

 生きているのか。

 それとも、死んでいないだけなのか。

「……いや待て」

 それよりも。

 それよりも霧雨 魔理沙にとって大切な、最も重要なことがあるだろう。

「魔法は――」

 呟いて、後悔した。

 内臓が機能不全を起こしているのなら。

 心臓が無いのなら。

 自身のみで、代謝ができないのなら。

「貴女は今、魔力を生み出せない」

 アリスが冷静に、冷酷に告げる。

 

 なんてことだ。

 私が――“魔法使いの霧雨魔理沙”が魔法を使えない。

 

 

 

 

 

 =====★

 

 

 

 

 

 次に目を覚ましたのは二日後だった。

 傍に居た上海人形が手足をさすって血行を促し、簡単な診断とリハビリ運動の補助らしきことをした。

「…………」

 されるがままに身を起こし、ぼんやりと部屋を見回した。部屋の様子は一切変わっていなかった。上海人形は背中に回り、床擦れが起きていないかを確認している。

「変な感じだな」

 呟いた声は以前よりも力が篭っていた。少しずつだが回復してきているのだが、それが逆に違和感をもたらしていた。その正体に気づいたのは上海人形から水を渡された時で、

「そうか、食欲が無いんだ」

 内臓が機能不全を起こしている、ということを思い出す。水はコップ一杯分だけでそれ以上は渡されなかった。下手に水分も取れない体らしい。

「…………」

 面倒くさくなって、上海人形を気にしないことにした。

 立ち上がろう。人は立つものだ。重たい足をベッドサイドに投げ出し、用意してあったスリッパを足に履いて、

「……くっ……」

 サイドテーブルに手を掛け、軋む身体を立ち上がらせた。ぐらぐらと世界が揺れる。立ち眩み。まだ血が足りていない。息を吐き、堪え、アリスの寝室を出る。人形は黙って付いて来た。

 居間に行ってみると、アリスが安楽椅子に座っていた。深く腰掛け目を閉じ、微動だにしない。

「よう」

「…………」

 声を掛けるも無反応。眠っているのか。てっきり人形が通報して、もう起きていると思っていた。

「――あ、ごめん。寝てたわ」

 と、驚いたようにアリスは目を覚ました。ぱちん、とスイッチが入ったような唐突な目覚めだった。これには逆にこっちが驚かされる。

「そうか。……いや、小腹が空いたんだが」

 嘘だ。食欲なんて根元から消えている。

 いや、それでも貧血気味なのはどうにかしたいのだ、と理屈をつけた。

「そうなの?」

「ああ」

 怪訝そうなアリスを無視。ソファーに横柄に腰掛けた。実際には倒れるように腰を下ろしたのだが。

(……まあ、気づかれまい)

 体調は不良。黙って立っているのが辛いほどだ。

「そう、えっと――」

 アリスは寝起きのせいか少し曖昧に視線を巡らせた後、

「じゃあ作るわね」

 と、立ち上がった。台所へ向かう彼女を見送って、深々と溜め息。

(身体が重い……けど、動けないほどじゃない)

 今は無理だが、あと数日掛ければ出歩ける程度には回復しそうだった。

 しばらくして、アリスがトレイを持って戻ってくる。

「はい」

 と、簡素なお粥と温野菜サラダが載っていた。

 病み上がりなので軽く、ということだろう。

「サンキュ」

 言って、先割れスプーンを手に取った。

 ……食欲は全くないが、無理やり口に入れて飲み込む。元から薄い味付けだろうがちっとも味を感じない。吐きそうになるのを堪えて、それでも食べた。食べきった。

「…………ごちそうさま」

 少ない割に時間が掛かったが、完食。

 脱力して、ソファーにだらしなくもたれかかる。動けそうに無い。下手に動くとそのまま戻しそうだ。

 それを食休みと取ったのか、こちらを気にせずアリスは食器を下げていく。

「気持ち悪い……」

 その隙にこっそり呟いた。消化器官が動いていない。胃袋にそのまま溜まっている。

「うへぇ……」

 何とか堪えてるうちに疲れて、眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 =====★

 

 

 

 

 

 まともに歩けるようになるまで一週間掛かった。

 リハビリがてら無意味に歩き回って体調を計り、昨日ようやく家の外を散歩できるようになった。

「よし……」

 変わり映えのしない風景にも飽きた。家主は寝てばかりで退屈だし、読書を楽しむ気分でもない。

 勝手に家主のタンスを漁り、色取り取りな服の中から黒と白を基調にした服を探し出して着用する。同様に玄関の靴箱から靴も探し出して、履く。重たいブーツだったがこっちはサイズ以外頓着できない。

「帽子……は流石に無いか」

 ふん、と鼻を鳴らし、ドアを開け外へ出る。玄関先を歩き、そのまま真っ直ぐマーガトロイド邸を後にした。

『――どこいくの?』

 思念が飛んでくるが無視した。行き先は決まっている。自分の家だ。

『魔理沙の家?』

 ちっ、と舌打ち。思考が繋がりから漏れているのか、読んだのか。人形風情が気を利かせてくる。

「家に忘れ物があるんだ。アレが無いと落ち着かない」

 敢えて発声して、言う。

 思い描いたのは八卦炉と箒、そしていつもの服と帽子。

 霧雨魔理沙を霧雨魔理沙足らせる要素。

『アリスに言えば――』

「アリスは寝てるし、わざわざ取りに行ってもらわなくていいだろ。自分でできる」

 問答が鬱陶しい。無駄な体力を使いたくない。

『でも』

 問い掛けを無視して、魔法の森に踏み入る。

 人形は少しだけ逡巡したようだが、止めても無駄だと悟ったのか、それ以上何も言わずに付いて来た。

「…………」

 足取りは軽くない。慣れない靴、病み上がりの身体。

 我が家まで、徒歩だけで何時間掛かるだろう。

 十分ほど森に入ったところで、視界が悪くなってきた。深い森は、日中でも夜の様に暗い。普段なら八卦炉が明かりになるのだが今は無い。

 気にせず歩き出そうとすると、隣で明かりがついた。

「お前か」

『…………』

 人形が魔法で明かりを点けていた。

「ふん」

 また少し、苛立った。

 人形の手元に魔法で生まれた光源は森に明暗をもたらした。八卦炉のように明暗の無い明かりではなく、人形の魔法はごく単純なものだ。

 周りを見回してそれを確認するついでに、ふと自分の格好を思い出す。いつもと違う服。黒と白の、地味と言えば地味と言える魔女装束ではなく、アリスの小洒落た服。色の基調こそ黒と白だが、華やかさを意識した服は自分の趣味ではない。

「御仕着せみたいだ」

 言って、笑おうとして――笑えなかった。

 嫌なイメージが浮かんだのだ。

 棚に並べられた小さなサイズの私が。

 アリスの手によって着せ替えされる人形のような私が。

「……冗談じゃない」

 頭を振り、再び歩き始めた。

 重い身体で険しい森の中を拙い明かりで歩く。

「……っ、……ぜぇ……はぁ……」

 一時間ほど無言で歩いた頃、身体が悲鳴を上げ始めた。

 息が上がり手足が痺れる。いくら酸素を取り入れても血が回らない。カチカチ、と後付けの心臓はペースを変えてくれないらしい。

 ブーツの重みが圧し掛かり視界が明滅する。気合だけで足を動かし、ぐらぐらと揺らぐ身体を樹に手を突いて支えた。

『――休んで』

 休息を求める人形に、

「うるさ――」

 怒鳴りつけようとして、唐突に身体が止まった。

「――え?」

『…………』

 動かない。比喩じゃなく、足が棒になったように。

 そして動かないどころか膝が勝手に曲がり、私は倒木の幹に腰掛けていた。

 混乱する私をよそに心臓はカチカチと鼓動を刻み、定量の酸素を届けられる手足が回復していく。

 明確になった疲労感に襲われる、と同時に、自分の身体がありえないほど発熱していることに気づいた。

「……汗、かいてないんだな」

 代謝が低下、いや停止していた。

 ただ手足を動かすことだけに力を注いだため、他の機能が疎かになっていた。人形が止めるわけだ。このまま気の向くままに動き続ければ、自身の体温で死ぬ。

 動かずに居ると、じわり、と汗がにじみ始めた。体温を吸収し蒸発、溜まった熱を放出していくのだが、その速度は遅い。このままではいつまで休息すればいいのかわからない。

『冷やすから、動かないで』

 人形からの通信と魔法の気配。目を向ければ、刻まれた魔法を読み出し蒼い輝きを放つ人形がこちらに手を向けている。

 蒼い光が人形の手に集束し、薄い光線となってこちらを照らした。冷却の魔法。熱を持っていた身体があっという間に冷まされていく。

「――――」

 浮かんだ疑問を言葉にするかどうか迷う。

 しかしその逡巡は無意味で、思った時点で人形に伝わっていた。

『魔理沙を処置した時に、アリスが私に教えた』

 ご苦労なこった。

『明かりの魔法は違う。あれは標準機能』

 そらどうも。

『魔理沙が危なかったから、私の判断で止めた。ごめんなさい』

 一々思ったことに反応してくれる。

「もう、わかったから、黙れ」

 区切りを強調するように言い聞かせた。そして思考を、いや、感情を止める。

 アリスと自分を繋ぐ中継役の人形は魔力のスロットルを握っていた。ただそれだけのこと。考えれば当たり前で、パイプにバルブがあるのは当然だ。そして、私の身体は今、魔力の支えがあって動いている。

「なんだ私はもう……」

 ――人形じゃないか、と呟きかけて頭を振った。

 心が弱っている。本当に自分が自分なのかすら、自信が持てない。

 いっそ家に着いたら、何食わぬ顔で霧雨魔理沙が居ればいい。そうであればこんなもやもやした気持ちにもかたが付く。失敗したなんて思い込みで、最初から私はアリスの人形だった、なんて――

 そんな絶望的な展望が、魅力的に思えた。

「……最悪だ」

 ただでさえ落ちている思考力が、熱で茹だっている。

 落ち着け。私は私だ。それを確かめるために家に向かっている。

 

 

 

 

 

 =====★

 

 

 

 

 

 夕暮れ一歩手前の、なんとか昼下がりという頃になって、ようやく我が家へと辿り着くことができた。

 くたくただった。休憩の回数は二桁に達したし、拝借した服も靴も泥汚れが染みになっている。

「――――」

 家に着いたことに達成感を覚えたのは一瞬だった。

 それ以上の現実感が襲ってきた。

「…………」

 目に映る失敗の跡に、溜め息を吐いた。

 家の外壁には血の雨が降ったように赤黒い染みがこびり付き、庭には隕石が落ちたような穴ができており、さらに片隅には折れた箒が墓標のように突き刺さっていた。

 いつかこうなるという予感はあった。早死にする、と言われても生き急ぐことを止められなかった。止めるわけにはいかなかった。こちらが努力を止めたらどうなるかわかったものじゃないのだから。

 空を仰ぐ。森に切り取られた空は、まだ青い。

 この空を飛べればいいと思っていた。だけどそれは間違いで、この空を越えなければならなかった。

「私は落ちたんだ」

 答えを求め、空を駆け、月を射ち、星を模した。そうして試行錯誤を繰り返す中、一つの答えを得た。理論上では正解の一つ、だが実践するには自身の性能が追いついていなかった。

 焦っては駄目だとわかってはいた。人の身は成長する。人であることを止めてしまうと、成長の余地を著しく失ってしまう。人を止めるのは成熟した後でいい。丹を飲むにはまだ早い。今は自分自身を鍛える段階で、魔法という力は些細な失敗で全てを台無しにしてしまうから、例え鍛錬であろうと細心の注意を払って行われるべきだし、実際にそうしてきた。

「だけど、失敗した」

 疲れていたのに無理をしたのかもしれないし、まだ扱えない量の魔力を使おうとしたのかもしれない。

 目指す魔法の形だけ取り繕ったものをスペルカードとして表現したのがまずかった。それを破れかぶれで使ったのもまずかった。

 調子に乗って、限界を超えるんだ、と危険を冒した。そんなつもりは全くなかったが、結果としてそうなった。

 胸に手を当てる。鼓動のない胸は空しさしか感じない。

「私は――死んだんだ」

 なのにこうして立っている。

 魔法も使えず、人間かどうかもわからないのに、私は仮初の生を与えられた。

 なんでアリスは私を助けたんだろうか。

 たまたま実験体にでもされたのだろうか。

「…………」

 考えても詮ないことだ。事実として、私はアリスの魔力がなければ生きれない使い魔と同等、いや使い魔にその優先権がある以上、それ以下の存在になったのだから。

 空を見上げるのを止め、もう一度溜め息を吐いた。

 視界に家が入り、壁面の血糊を目の当たりにした。塗料を景気良くぶちまけた落書きのようだ。これだけの量の出血、普通の人間なら間違いなく死んでいる。その直感に、私は普通じゃなかったんだな、と冷笑した。

 箒を取りに行こうとして、墓標のようだから、とそのままにしておこうと思う。たとえ修復してももう自由には乗れまい。速さを求めたこともあったがそんな拘りともお別れだ。

 ここまで来た意味を見失った、と感じた。むしろ最初から間違えていた。ただ闇雲に無理をしたかっただけだ。しかしこの半日は自分が生きていないことの証明にしかならなかった。

 魔法が使えない、人間として生きていない。

 二つとも失っている今、形ばかり取り繕っても、何の意味も無い。

「……ははは」

 馬鹿らしい。何をしているんだろう私は。

 踵を返す。もう我が家に興味が無くなった。

 どうしようか、そうだ、香霖堂にでも行ってみよう。一週間以上も覗いていないんだ、何か面白いものでもあるかもしれない。そんな無意味で投げやりな思考に、身を委ねた。

『――魔理沙!? どこいくの?』

 舌打ちをする。うるさい人形だ。姿は見えないが思念だけ飛んできた。無視して森へ向かう。

 空に赤みが差してきていた。このまま森に入れば危険なことも知っているが、それも無視する。

「…………?」

 てっきり飛んでくると思った人形がやってこない。好都合かというとそうでもなかった。夕暮れの魔法の森は明かり無しでは歩けない。

 まあいい、と思って手探りで歩き出そうとしたとき、森の奥の明るさに気がついた。発光キノコの類かと思ったが、隈なく照らす明かりは慣れ親しんだもの。

「……八卦炉?」

 空で落として森に落ちていたのか。明るさに惹かれるように歩いていくと、探し物の一つであったそれは、森の樹木の根に挟まるように収まっていた。

 あと一歩、近づけば手に取れる。

 そこまで近づいて、手を伸ばそうとした時、

(――いまさら、要るのか?)

 その思考が、手を止めた。

 八卦炉は霧雨魔理沙の最大の武器だ。しかし魔力を燃料とする以上もう満足には使えない。山一つ焼き払うだけの火力などもはや望めない。

「…………」

 八卦炉は必要だった。武器が、切り札が必要だった。

「……要らない、ってことは、ない」

 別に武器としての用途以外でも八卦炉は便利な道具なのだ。明かりになるし空気清浄機にもなる。それにこれは自分の物だ。みすみす失せ物にすることはない。

 ふぅ、と無駄な逡巡に溜め息を漏らし、改めて指を伸ばし、八卦炉に触れた。

「お?」

 ぽわん、と炉に火が燈った。

 おや、と思って指を離すと火は消えた。触れる、火が燈る。離す、火が消える。

「これは」

 八卦炉の最も単純な機能で、魔力に反応している。そして気づく。

「そうか。私の身体は魔力で動いてるんだから」

 決して少なくない量の魔力を、常に身体に帯びている。

「…………――――」

 意識する。身体を、手足を、そして身に帯びる魔力を。

「そうだよな。勝手が違っても、一応、身体は思い通りに動くんだ。だったら――」

 思考し、試行した。

 魔力を扱う、そのためのプロセスを組み立てる。

 魔法使いとして馴染み深い行動は今、何とも言い難い高揚感をもたらした。

「できる……!」

 魔力を扱える。魔術式を組み立て、運用できる。

 魔法を行使するその感覚は不思議なほどに以前と変わるところがなかった。強いて言えば身の内から湧く魔力の感触が無く、身体を動かすための全身に広がっている魔力がぬるま湯に浸かっているかのような感覚を与えてくるぐらいだ。

 身体一つ分の魔力でも上手く使えばスペルの一つぐらい使えるかもしれない、と、試しに右手に集め――

「――う、……あ」

 右手以外の全身から、血の気が引いた。

「……っ、はぁ……!」

 ぐらり、と体が崩れかけ、すんでの所で持ち直した。

 歯を食いしばって、意識を集中する。

 右手に溜めた魔力はなんとかそのままに、身体に新たな魔力が供給されるのを待った。

『――魔理沙!?』

 どこかから人形の思念が飛んできた。うるさい。だが魔力のラインを意識するにはちょうどいい。供給される魔力の量を計り、どの程度使えるかを計算する。右手の魔力はマジックミサイル一発分程度と少ないが、供給される魔力を少しずつ溜めることはできるかもしれない。

 魔力が送られてきて次第に身体の感覚が戻ってくる。しかしさっきまでとは魔力の溜まり方が違う。右手に溜めている分、全体がやや薄い、気がする。

 肉体の感覚が鈍い。病み上がりの頃に近いその感覚は、後付の心臓だけじゃなく、全身が魔力の補助を必要としていることを示唆していた。

(人形が私の身体を動かせたしな……)

 この身体は常に魔力を消費し、必要としている。だというのに魔力を溜めるということは身体の擬似代謝を乱す自殺行為にあたるのだろう。

 なら、魔法を使うなんて以ての外――

「…………」

 やはり使えないのだろうか。

 大事なものが欠けてしまって、もうそれを補うことはできないのか。技術だけはまだ残っているのに。

 足りないだけだ。魔力さえあれば、使える、のに。

「……方法はあるはずだ」

 例えば精霊魔法のように小さい魔力で大きな効果を引き出す術はある。

 だが、それにも始動力として相応の魔力が必要で、そもそも基本的な資源として魔力は必要なのだ。

 そして新たに魔法を習得するだけの性能が、今の私に残されているのか。

「――――」

 思考が止まる。考えてはいけない、と制止がかかった。

「……私は、諦めが悪いんだ」

 言葉を、搾り出す。自らを鼓舞するように。

 そしてようやく、八卦炉に手を伸ばすことができた。

 少し感覚の鈍い左手で拾い上げ、勝手に燈った火炉をいつもと同じように調節し、ポケットに入れた。

「…………ふぅ」

 慣れた重さのはずなのに酷く重たく感じ、なんとなく重さに感覚が馴染むまでぼんやりと立ち尽くし、

「…………ん?」

 そこでようやく――

(人形か? 違う。複数。これは――)

 ――私は囲まれていることに気づいた。

 

 

 

 

 

   ☆=====

 

 

 

 

 

 人間であること。魔法使いであること。

 この二つが、霧雨魔理沙のアイデンティティだった。

 明確には考えたことはなかったけれど、それが生きる目標に於ける大前提で、指針だった。

 人間であることが対等である条件で、魔法は手段だ。

 別に最初からそのために魔法に手を染めたわけじゃない。目標ができて、それを達成するのに最適だったのが魔法だっただけだ。

 私は負けず嫌いなのだ。一度負けた相手に雪辱を果たしたい、そんな単純な動機が、今では生きる目標になってしまった。

 ――それぐらい、あいつは強かった。

 競争相手になりえたのは弾幕ごっこ、スペルカードルールが導入されたから。もし、そんな決まりごとが無ければ、私はもっと簡単に諦めがついただろう。

 だって、あいつは負けられないのだから。

 幻想郷の楔である巫女に敗北は許されず、そして妖怪も巫女を倒すことは許されない。もしそうでないのなら、博麗の巫女は務まらない。

 決闘という形の上でなら、私が勝つことができたし、あいつだって負けることがある。特に人間を相手にするとき、あいつはスイッチが一つ入らない。

 博麗の巫女は人間を相手に取らない。少なくとも異変を起こしていない相手とは、本気で戦う道理がない。

 だから、勝てる。だから、勝てた。

 決闘だから。私闘だから。人間だから。

 負けたときは悔しかったし、勝てたときは嬉しかった。

 まだ私は子供だから、今はそれでいい、と弁えているつもりだった。

 ――でも、いつかきっと。

 本気を、互いの全てをぶつけ合ってみたい。

 そして勝ちたい、と。

 

 博麗 霊夢。

 空を飛ぶ程度の能力。

 

 ――私は、空を越えたいと思っていた。

 

 

 

 

 

   ☆=====

 

 

 

 

 

 ザザッ、と草を揺らす影。

 クスクス、という笑い声。

 妖精。それも普段なら歯牙にも掛けない程の雑魚だ。だがそれ故に察知するのが遅れた。

 本来、見れば向こうが逃げ出すはずの存在は、不用意にテリトリーに踏み入った獲物で遊ぼうとする無垢な凶暴さに満ちている。

(数は、と……)

 気配を手繰る。この森は妖怪も妖精も数は多くないし、これといった異変が起きているわけでもないから、数えられないほど大勢の妖精が居るとは考えがたい。

「…………これぐらいは、問題無い、か」

 自分の感覚が間違っていなければ、妖精の数は二十一。少なくはないがどれも小物ばかり。これならば取るに足らないと、笑みを浮かべた。――苦笑いを。

 それはあくまで普段ならばの話で、今、取るに足らないのはこちらの方だ。

 あるのは魔弾一発分の魔力と、不完全な体だけ。

 今の自分に取れる選択肢は――

「――――」

 ――二つ。二つ、だ。

 なけなしの魔力を攻撃に使って威嚇するか、身体に還元して逃走するか。後者のほうが賢明だ。ここからなら家に逃げ込むぐらい難しくないし、直情的な妖精を威嚇したら逆に追い込まれるのは目に見えている。

 だから尻尾を巻いて逃げればいい。それが正解だと理性は告げる。

「…………違う」

 そんなことはできない、嫌だ、と思う。

 空っぽの自分に、自尊心だけが居座っていた。

(他に何かあるはずだ)

 という思考はひたすら空回りし続ける。

 なぜなら本当の正解は別にある。まず選択肢を狭めたのに、その上での正解すら否定してしまっている。

 もはや拘るものなどあるまいに、残されているものもないというのに、そんな馬鹿みたいな思考を断ち切れない。

「私は……」

 人間だった。魔法使いだった。

 心の力を糧とする、魔法使いだった。

 でも、今は無力だ。そんな過去に何の意味も無い。

 力を失ったのなら、心も無くなればよかったのに。

 だってもうわかっている。

 魔法使いとして必要だと自分で鍛えた思考力はこの場における最適解を導き出している。

 それだけじゃない。

 今日の出来事全てが、遠回りな自滅行為に過ぎないこともわかっていて、それでも私はこんな馬鹿げたことをやってきた。

(――死にたいのだろうか)

 わからない。

 合理的ではない行動の意味が、自分でもわからない。

 それが人の心だと。魔法の力にしたのは私自身だ。

 あるいはそれすら、わからない、と嘘を吐いているのだろうか。二重三重の思考がノイズとなって表層の思考を妨害する。考えることを止めても、深層では真相を見据え、無意識に心を左右する。

 大抵の迷いには、既に答えがある。

 だから私は迷わないようにしていた。

 きっぱり、さっぱりと。余計な回り道など面倒なだけ。

 けれど私は人だから。

 迷うのだ。思いっきり迷うのだ。

 迷うことに時間をかけることこそが無駄だから、迷うだけの思考力を加速した。それは魔法を使うことに有益だったし、自分で迷いを意識しない程度には頭が良くなった。

 まあ、結果を出すことを重視し、結果を推すことを軽視した上で、決断が早いから、考えなしだと他人からは思われただろう。不本意だけど。

「――――」

 空回りの挙句、脱線した思考をそのままに、こちらを包囲し窺う妖精達を、いっそ唖然として眺めた。

 もしかしたら八卦炉は罠だったのかもしれない。落とし主が拾いに来るのを待って、仕掛けるつもりだったとか。しかし、妖精達の動きは恐る恐ると言ったところ。魔法使いの傍迷惑っぷりは有名だからだろう。

 彼らが標的の無力さに気づいたら、どうするだろう。これ幸いと襲い掛かってくるか、逆に興味を失うだろうか。

 どっちでもいいや、と投げやりになる。どちらにしたところで自分でできることに大差は無いのだから。

(ああ……)

 そうして、やっと気づいた。何に苛立ち、何を見ない振りをしてきたか。その正解を――

『――魔理沙!』

 人形が、駆けつけた。正解が、やってきた。

 牽制に赤色のレーザーを放って包囲網に穴を開け、矢の速さで文字通り飛んで来た人形は、その小さな体躯に比較すると四倍はある大きな包みを抱えていた。それを地面に降ろすと、人形は私を守るように前に浮かんだ。

 にわかに色めき立った妖精達は、乱入者が自分達と同じかそれより小さな人形であることに気づくと、攻撃色を強くした。

『無事?』

 私は答えず、油断無く周囲を警戒する人形の背中を無感動に眺めていた。

「…………」

 正解は、人形に助けを求める、だった。

 私は魔法を使えないけれど、人形は使える。

 苛立ちの理由は、それだ。

『魔理沙、下がって!』

「…………」

 交戦が始まる。

 下がれと言われても囲まれているし、逃げる気もなかった。小さな人形の背中を見据え、飛び交う光源を眺めていた。弾幕が交差する見慣れた光景が、遠く感じる。その真っ直中に居るのに、自分には関係が無いのだ。

「…………」

 戦況はそれなりに意外であり、そして腑に落ちた。割合を挙げるなら、驚きが四で納得が六。

 序列を言うなら、使い魔である人形が最下位であり、その上に妖精が来る。しかも人形は本来操作される存在であり、その操り主は遠くに居るのだ。今、人形が動いているのは幾重にも条件付け重ねられた命令というロジックに基づく半自律行動に過ぎないはずだ。

 だというのに一対多という状況下でなお有利に戦っている。それは、人形があるまじき魔力をその身に溜め、使っているからに他ならない。

 一度魔法の感覚を確かめた今、私に付いて回っていた人形の異常さがはっきりとわかる。小さな人形の体には豊富な魔力が蓄えられている。その量は凡百な妖怪を凌駕するほどで、人形に込められた術式の緻密さと相成り、数で圧倒的に勝る妖精達に対し、全く引けを取らない。

(でも、どうしてだ……?)

 所有する魔力に対し、使用する魔力が少なすぎる。消費効率が悪いわけでもあるまいし、もっと盛大に使えばそれこそ一網打尽にできそうなものなのに。

 何かを恐れているかのようなちまちまとした攻撃に対し、防御は完璧だ。小さく身軽な体は踊るように弾幕を回避する。くるくると、優雅に、細心の注意を払って。

(もしかしたら)

 人形自身には大技を発動できないのではないか、と考える。人形たちはあくまでも道具だ。お気に入りで使い魔の人形には人格まで付与されているらしいが、自律行動の自由は制限されている。さらに元々は呪いの人形だ。安全装置の類もあるだろう。

(だったら)

 刹那、脳裏をよぎる思考。

(私が)

 魔力の感覚を確かめる。

(――助けてやればいいんじゃないのか?)

 絶対的な矛盾を無視する。

 助けられているのはどちらか、主導権を握っているはずなのはどちらか。

 目の前で懸命の舞踏を見せる人形を凝視する。保護対象を守ろうと、けな気で愛くるしいその姿を、私は全く別の眼で見ていた。

 芳醇な魔力の塊が、まるで空腹の獣の前へ出された餌のように目に映る。

「あ――」

 ごくり、と喉を鳴らした。唾は出ていなかった。

 距離が近いことと、魔法的に活性状態であることで、わかってしまった。自身と人形を繋ぐライン。人形によって制御されているそれに、一つ、綻びがあった。

 ほつれた糸を引っ張るような気持ちで、そのラインへ魔法の意識を伸ばすと、えっ、と戸惑うほど容易にそれはほどけてしまった。

 何か意図があってそう在るのでは、という発想を加熱した思考は隅に追いやり、制御系を乗っ取る工程を一気に進めた。

『――――!』

 踊るように剣を振るっていた人形が、驚愕と共にこちらへ振り向き、そして叫んだ。

『魔理沙、駄目!』

 もう遅い。こんな綻びがあるほうが悪い。

 頭の悪い言い訳を考えながら、果実を搾り、魔力を引き出す。

「……あはっ!」

 甘い蜜を幻視し、思わず笑いが零れた。さっきの子供騙しとは比べ物にならないほどの魔力。

『これ以上は――本当に駄目!』

 第一安全装置作動、緊急停止処理。――魔力の供給が全てカットされたと、掌握したラインから分かった。

 だがもう遅い。僅かな時間に奪い取った魔力、燃費の悪い私の魔法でもなんとかスペル一つ分のそれを、無駄にするわけにはいかない。

 魔法を組み立てる。最低限の、だが私と人形を囲む妖精たちを排除しうるスペルを。

「――――」

 ほんの一瞬、嫌な予感が胸をよぎった。心臓が止まる悪寒。

 歯を食いしばり――生命の本能に抗い、私は叫んだ。

 

 ――魔符「スターダスト」

 

 星屑をばら撒く、この身に刻んだ最も下級の魔法。

 いつも通りの感覚で発動したスペルは、いつも通りの構成で展開し、予想通りに妖精たちを蹴散らし――

『魔理沙!』

 ――私はそれを全く感じとることができなかった。

 

 

 

 

 

 =====★

 

 

 

 

 

 ――――…………。

 

 いつの間にか私は地面に倒れ伏していた。

 目の前は真っ暗で、音も聞こえない。カチカチという音も響かない。

 

 ――――……あ、れ……?

 

 思考がかたつむり並の速度になっている。

 思ったことはばらばらに散らばって、ちっともまとまらない。

 

 ――あ。

 

 何も分からない真っ暗な世界の中で、すぐ近くにある“何か”を感じた。それは激しく身動ぎをしていて、小さくなった私を食べてしまおうとしているように感じた。

 

 ――怖い。

 

 怖かった。逃げ出したかった。

 でも体は動かないし、そもそもその“何か”は私のどこかと繋がっていた。手錠で猛獣と繋がれているようなものだ。逃げ様が無い。

 

 ――怖い!

 

 心が恐怖で塗り潰され、暗い世界を全身全霊でもがく。何か見えないか、指の一本でも動かないか、何でもいい。無くなってしまった五感を今一度、強く意識する。

「――――ぁ」

 地面、だ。消え失せていた感覚が幽かに戻り、地に伏した自分の体を実感する。鉛のように重く動かないが、手足があることに安堵した。

(……戻ってこれた)

 その直感が何を意味しているのかわからないまま、私は視線を巡らせ状況を確認し、舌打ちを一つ。

 全て倒す、全部倒せると思っていた妖精たちは数は少ないながらも未だに健在。それに対する人形の動きは鈍っていた。いや、倒れている私を守るためにより防衛に力を注いでいるのだ。私に魔力を奪われ、一時的に機能不全を起こした人形は崩れた均衡を取り戻そうと無理をして。

 人形と妖精たちの戦いに横から手を出したのは私だ。それまで妖精たちの狙いはほとんど人形に向かっていた。だけれど背景に過ぎなかった私が一撃を見舞い、そして大半を蹴散らしたことで妖精たちの怒りは私に向かう。かくして優位に戦っていた人形は私の自滅行為によって窮地に立たされていた。

「…………」

 だが、人形は――上海人形は戦い続ける。

 文句一つ言わず、役目を果たそうとする。

 その姿に胸が痛んだ。

(馬鹿をやっている)

 今更だった。もう何度も気づいていた。

 やらなくていいことしかしていない。

 今日一日、何一つ私は成し遂げていない。

 何もできない身体になってしまっていたのだから、大人しくしているべきだった。

 それが嫌なら――死ねばよかったのだ。

 

「――本当に、アンタは死にたいの?」

 

 声がした。え? と視線を僅かに上へ向ける。

「蓬莱、お願いね」

 再び、声。小さな影が素早く飛来し、そして、

 

 ――魔符「アーティフルサクリファイス」

 

 輝きが、森を照らしあげた。

 激しく、そしてどこか優しい閃光が、闇を駆逐する。

 号令の下、いとも容易く妖精を蹴散らした人形は、

『…………』

『……蓬莱』

 倒れ伏した私を見下ろしていた。

 責めているのか。哀れんでいるのか。

 蓬莱人形の硬質な眼からは何も読み取れない。

 私がなんとか起き上がろうとしていると、蓬莱人形はついと視線を外し飛んで行った。

 それを目で追う、と、

「アリス」

 傍に居る人形が上海ではなく蓬莱であることを除けば、そこに在るのはいつもと変わらない魔法使いの姿。

「――――」

 だから、ギクりとした。

 アリスがそれこそ人形のように無表情だったから。

 怒っている。そして、呆れている。

 思わず顔を逸らし、地面に目を落とす。そうする自分自身に気づいて、私は後ろめたさを自覚した。

「…………」

 地面に目を落とし、じっ、と手を見る。森を歩いた手はあちこち擦り剥き、血が滲んで、痛みを発していた。

 負傷はこの体にどんな影響があるんだろう、とぼんやり思い、余計な魔力を食うのだろうな、と考えた。

(それを負担するのはアリスだ)

 私の身体は私だけのものじゃない。

 私一人で自由にしていいという筋は無い。助けられ、アリスの魔力で生かされているのだから。

(でも、それは……)

 彼女が勝手にやったこと。

 私が頼んだことじゃない。

 私は、別に――

「死んじゃってもよかったって言いたいの?」

「――――!」

 顔を上げる。冷たいアリスの顔を直視する。

 思考。思考が読まれて……

「私と貴女は繋がっているもの。上海人形だって、そうだったでしょう? 意識、無意識を感知して、動けないようじゃ支援役として力不足じゃない」

 奥歯を噛んだ。苛立ち、怒り、羞恥が綯い交ぜになった感情を持て余し、アリスを睨む。何の解決にもならないことを理解しながら。

 一方のアリスは表情を崩さない。これなら私の横でおろおろしている上海人形のほうがよっぽど感情豊かだ。

「この森の中ならぎりぎり範囲内だけど、これ以上遠くに行かれると困る。今日はもういいでしょ。……貴女の目的の物なら、上海が揃えてくれてるみたいだし」

 言われて初めて上海人形が運んできた荷物の中身が私の服と帽子と靴、そして折れた箒だと気づいた。飛んで来るのが遅かったのはこれらをまとめてきていたからだったのか。

「まだ全然安定してないんだから、無理して欲しくなかったんだけど」

 淡々としたアリスの口調。紡がれる合理的な言葉。

「…………」

 それが、癪に障った。

 だったら、最初から自由にさせなければいいのに。

 人形みたいに、糸で縛ってしまえばよかったのだ。

「本当に、そう思ってる?」

「――――」

 もし本当にそんな風に束縛されていたら冗談じゃなかっただろう。一も二もなく逃げようとするに違いない。

 そして今以上の無理をして、あっさりと一線を越えてしまうのだ。

 だから、アリスはそうしなかった。

 霧雨魔理沙という人間を見越して。

「……なんだよ」

 何もかもがアリスの手の内なのか。

 自分でも訳の分からない衝動に駆られているのにコイツはそれすらもお見通しで内心では笑っているんじゃないか。

 ぴくり、と凍っていたアリスの表情に変化があった。

 苛立ちだろうか。不機嫌そうに少しだけ眉を顰める。

 

 ――私は、玩具なんかじゃない。

 

 人間だった私は、日々を全力で。

 後悔しないように生きてきた。

 自分の意思で。迷いながら。間違えながら。

 その結果の死すら、受け入れる覚悟があった。

(……尊厳死、なんてものじゃないけど)

 ある種の開き直りであることは分かっている。

 けれど、霧雨魔理沙は人間で、魔法使いだった。

 それを、譲るなんてこと、死んでもできやしない。

「…………っ!」

 ぐっ、っと力を込めて、アリスを見返す。

「ふぅん」

 そんな私を見て、アリスは無感動に頷いた。

「…………?」

 ――少し、違和感。

 アリスはここまで無感情な奴だっただろうか。普段から魔法使いは冷静であれ、と努めているけれど、ここまで人間味を感じさせない性格ではなかった。

「まあ、確かにそんな奴よね、アンタって」

 淡々とした台詞を紡ぐ彼女から、空虚さを感じ、

「他人の都合なんて気にもしない。気にしても我を通す。失敗しても悪びれない。そのくせ着実に歩もうとする。――そうね、少し安心したわ」

 そう言って、彼女は微笑んだ。

 ようやく表れた彼女の表情は硝子の様に危うさを伴い、私に不安を生じさせた。

「きっと魔理沙ならそう考えるって思ってた。これは私の自己満足なんだろうな、って」

 だから私が今抱いてる感情も筋違いだと思っていると、静かに語るアリス。その傍らに蓬莱人形が控え、私の側に居る上海人形だけがおろおろと視線を惑わせていた。

 でも、それを言うのなら私とて筋違いだろう。仮初とはいえ助けてもらった命を、無碍にしようとしているのだから。

「私はね、魔理沙。――貴女が好きなようにしてくれたらいい、と思ってる。本当に、そう思ってる」

 真っ直ぐに、私を見つめるアリスの眼。

「だから、貴女が本当に死んでしまったほうがいい、と考えてるのなら、私は無理に貴女を生かそうとは、決して思わない」

 負担だって、決して楽ではない。

 魔力の大半を失っている状態だ。

 肉体への依存を捨てた魔法使いにとって、魔力の喪失は命を直接的に削りかねない。

「…………」

 なんと言えばいいのか分からず、私は黙っていた。

 思えば、事が始まってから二人で言葉を交わす機会は無かった。敢えて私は避けていたし、アリスも積極的に話そうとはしなかった。

 知ることが怖かったから。不確かなものをを確かめてしまうことが、柄にもなく怖かったのだ。

 それは彼女も同じだった。教えることが怖くて、理由をつけて先延ばしにしていただけ。

 そして私の方が先に時間が来た。彼女と違い、身体の調子を整えるぐらいしかすることがなかった私は、考える時間が多くて、空回りする思考に心が疲れたのだ。

 行き過ぎた現実逃避は、遠回りな自滅行為。

 現状を無視し、私を気遣う上海人形を無視し、さらには自分で自分の首を絞めて、駄々を捏ねた。

 死にたくなるような自己嫌悪。当て付けのつもりか。

 勝手に死ねば迷惑になることぐらい想像できていた。

「……まあ、確かに危なかったわね。緊急用の糸口まで使って無茶をやるとは思わなかったし。ほんと、勝手にどっかで死なれたら困ってた」

 ふぅ、とアリスは一息吐いた。

「でも、貴女が死にたいっていうのなら――」

 上海、とアリスが指を曲げ、

「私が居る、今、此処なら、構わない」

 とさっ、と力の失った傍らの人形が地に落ちた。

 

 ――――あ…………。

 

 そして、私も暗い世界へ落ちていこうとしていた。

 まだ外界を認識する五感はあった。全身から力が抜けて地に伏せた私は、なんとか頭と眼を動かしアリスを見上げた。彼女はまだ何かを喋っている。

「貴女がどうしてそうなったのか、私は知っている。それを教えることは貴女を侮辱することだから、自分で思い出して」

 内界の私はどんどんと落ちていき、その先には怖い“何か”が、口を開いて待っていた。

「でもね、貴女の目標はちょっと死んじゃったからって諦められるものなの? それこそ死に物狂いだったアンタが潔く死を選べる? 人間じゃないと駄目? 魔法使いにはまだなりたくない? ――なによそれ」

 秒単位で削れていく自我は、突きつけられた問いに、

 

 ――だって、しょうがないじゃないか。

 

 思いもよらなかった弱音を吐露していた。

 だって駄目だった。徒労だった。薄々勘付いていた。

 こんなこと意味がないかもしれないと、思わなかったはずがない。

 けれどそれを誤魔化して、諦めようとしなかった。理由を付けて先送りしているという自覚が全く無かった訳じゃない。

 だから死ぬのは怖くなかったのかもしれない。それもまた答えの一つだから。弱い考えだと、普段ならば笑って吹き飛ばせたけれど。

「――だから死にたいの?」

 …………わからない。

「そう……」

 もう五感は失せていた。私の世界は闇に落ちていた。

 真っ暗な中に裸の私が浮かんでいて、前から少しずつ“何か”が近づいてきている。それに触れてしまえばきっともう戻れなくなると直感した。

「わからないのに、もういいの?」

 ……でも、もう同じじゃないか。

 ここで踏み止まっても、先には進めない。

 成長するのが人間で、もう私は人間じゃないんだから。

 魔法使いになったとしても、これじゃあ意味が無い。

「…………」

 我侭だとは思う。でも私は我侭なんだ。

 その場に居続けるぐらいしかできない私が、お前に迷惑を掛け続けるぐらいなら――死んだほうがマシだろう?

 いっそ穏やかな気持ちになって語る私の心を、しかし、

 

「貴女は勘違いしている」

 

 アリスは、土壇場で告げた。

「確かに今、貴女は踏み止まっているだけ。だけど、それでも貴女は死んでないし、まだ人間よ」

 驚きが、ゆっくりと落ちていく自分を留めた。

「時間は掛かるかもしれない。魔力も減っているから余計に手間取るかもしれない。だけど、まだ貴女は人間なの。私の人形なんかじゃないし、もし貴女が望んでくれるのなら、私は必ず貴女を治して、人間に戻す」

 世界に、光が灯る。

 生きれるのか、という疑問に、生きて欲しい、という想いが返ってくる。

 すぐ近くに感じる、再起動した上海人形の気配から送られてくる魔力。五感が戻る。夢から覚める。

 

 ――――生きたい。

 

 ドクン、と感じるはずの無い鼓動を感じた。

 血液が身体巡る幻覚。

 もう一度、空へ駆け上がる幻視。

 蒼穹を超え、月を横目に、空を翔る流星を。

 意識が浮上する。

 目の前に居た“何か”が遠ざかっていく。

 その“何か”を、最後に確認しようとして――

「――――え?」

 その“何か”は、すぐ近くに居るはずの彼女の姿をしているように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   EPILOGUE.

 

 

 

 三週間後、二人と二体は紅魔館に来ていた。

 どうやって入るのか、と疑問に思っていた魔理沙は門番が二人の姿を見ると、門を開け招き入れたので驚いた。

 アリスに訊ねると、二日前に蓬莱人形で手紙を送って約束していたのだ、と返された。

 すんなりと中に通され図書館に入ると、二人と二体を待ち受けていたのは相変わらずの本の森、山。

「……行ってきていいわよ」

 うずうずとしていた魔理沙にアリスは許可を出した。それを聞いて、いくぞ上海、と駆け出していった。

 すっかり使い魔気分の黒白に肩をすくめて見送り、アリスは本棚の森を進んだ。

 しばらく歩くと、閲覧室のやや開けたテーブルで魔女が静かに読書していた。図書館の魔女、パチュリー・ノーレッジはアリスに気づくと、待っていたわ、とメイドを呼んだ。瞬きの間に現れたメイドにお茶を頼むと、次の瞬間には紅茶が淹れられていた。

 アリスは席に座り、まずは礼を言った。

「ありがとう。こちらの要請を受けてくれて」

「わざわざ手紙を寄越して来るお客様なんて貴重だわ。門番は驚いていたけど」

 ふふん、と笑う魔女に、くすくすと微笑む魔法使い。

「もっと早く来たかったんだけど、中々この子の稼動距離を伸ばせなくてね」

 静かに、二人の魔法使いは話を進めていく。

「書いてあった件だけど、一応、準備しておいたわ」

 パチュリーが呼ぶと本を数冊抱えた小悪魔が現れ、テーブルに置いた。

「けれど――貴女がやりたいことには使えないわ。私が作ったところで、それは魔女の作り物。人間の心臓の代わりにはならないわ」

「……そうかぁ。貴女の錬金術分野が使えれば、あっさり解決できると思ったのになぁ」

 落胆するアリスは気を取り直して、でも参考にはできるでしょう、と言い、まあね、とパチュリーは頷いてカップを傾けた。

「そうしたら、まずは出来合いの代替品をちゃんとしたものにするのが最初かな……」

「それぐらいなら私も手伝えるしね。あと、対価は労働で。人形が使えるようになれば楽勝でしょ」

 了解、とアリスは本を開き、中身をチェックし始めた。

「…………」

「…………」

 しばし時間が流れ、アリスが三冊目のチェックを終えた時、パチュリーは口を開いた。

「――で、大丈夫なの?」

 抽象的な問いに、鋭い視線を乗せて。

「ん……」

 何が、と問い返さず、アリスは開きかけた本を閉じた。

「今のところは、ね。先週まではまだ危なかったけど」

「それでも安定した方なのね。端から見てると不安定極まりないけど」

「うん。……まあ、三週間前の時と違って、私が機能停止する程度だから良いんだけどね。あっちが止まっちゃうと――死んじゃうから」

 そんな状態、バランスなんて土台の時点で崩壊してるよ、と魔女の弁に苦笑を返すしかない魔法使い。

「色々小細工はしてるのね」

「それはどの辺かしら」

「まずは貴女よ。えらく存在が薄っぺらいけど、どれだけ人形に移してるの?」

「三分の一はこの子かな。四分の一が上海。私本体に残してるのは残りの半分ぐらい」

「よく生きてるわね……」

 うげ、と苦い表情の魔女に、魔族なので、と笑う。

「その残りの半分は、向こうに持っていかれてるんだ」

「まあねー。予想以上にしんどいわ」

 感心半分、呆れ半分といった様子でパチュリーは言い、愚痴をこぼすのも久々、とアリスは大きな溜め息を漏らす。そして、パチュリーは、

「どんな気分?」

 訊ねた。

 

「――自分の心臓が無い、っていうのは」

 

 

 

 

 

 =====★

 

 

 

 

 

 それは幸運だったのかどうか。アリスが駆けつけたのは、本当に魔理沙の墜落の直後だった。

 ほんの数秒で死に至る、そんな致命傷を負った魔理沙の姿を目の当たりにしたアリスは――自らの心臓を魔理沙に移植した。

「応急処置のつもりだったし、それは今も変わりないわ。だって他の臓器ならともかく、心臓が無ければ人間の肉体は簡単に死んでしまうもの。それは私自身がよくわかっていたし、それだけじゃ駄目だっていうのもわかってた」

 出血を抑え、肉体の損傷を修繕することも当然行ったけれど、血液の循環を確保しなければいけなかった。だから心臓を与えた。

 アリスは魔法使いだ。既に肉体への依存を断っている。だが魔法使いの心臓は人間にとっては呪いのアイテムに近かった。

「応急処置を終えた頃には、魔理沙の存在が変異しかけてるのに気づいていたわ。予想通りでもあったから、急いで手持ちの道具で、結界を作った」

 人間という存在が、魔法使いの心臓に侵食されていた。

 放って置けば魔理沙が望もうと望むまいと、人間から魔法使いへその種族は変わっていた。魔法使いの心臓は言わば核だ。それ自体が強い魔力を出し続け、それは直接では人間という存在にとって猛毒となる。

 だからそれを防ぐ仕掛けを作った。完全に閉じてしまえば心臓の意味が無いが、人間の肉体にとって魔力は必要ではない。魔力を遮断し、それを外へ送り出す機能が必要だった。

「そのレシーバーが上海。上海は受け取った魔力を私と、無毒化して魔理沙に分配するのがメインの役目」

 魔理沙の身体はなんとか人としての体裁を整えただけで、生かすにも動かすにも魔法の補助が必要だった。

 そしてアリスも心臓を失った本体を維持しなければいけなかった。

「仮に片方が死んだらどうなるの?」

「そういう時は最終安全装置が働くようにしたわ。魔理沙に勝手に死なれたら、私の心臓まで引きずられて死んじゃうし」

 だがそれが稼動するときは最悪の事態だ。

 魔理沙に移植した心臓と上海人形の機能がカットされ、魔理沙とアリスの間に直通のラインが結ばれて魔力を相互確保することになっていた。

「そうすると、私と魔理沙を足して二で割って、二で掛けた存在のできあがり。性能的には四分の一だけど」

「その場合、主人格はどっち?」

「核は私だから私、って言いたいけど、人間の身体は存在強度が高いから。多分、魔理沙よりになっていたと思う。でも、属性は魔法使いになるから」

 全てが水の泡だ。ゼロどころかマイナスだった。

「言うなれば、後天性の双子、か。それはそれで見てみたかった、かも」

「勘弁して頂戴」

 くすくすと笑うパチュリーに、げんなりとアリス。

「それで?」

「ん?」

「気分よ。心臓が無い気分」

「どうかしらね。魔力がすかすかで落ち着かないけど、もう慣れた、かな? 今は比重も上海や蓬莱に分けてるから、自分が本体って感覚がちょっと薄いのが怖いかもしれない」

「肉体管理者、ぐらいの感覚なのね」

「そういうこと。アリスとしての存在はほとんど上海が保ってる気がするわ。あの子が一番、核に近いもの。私は二番目」

「その上海人形は?」

「魔理沙の側よ。上海はもう私の使い魔じゃない。命令系統は握っているけど、むしろ魔理沙の使い魔で、私が上海の使い魔って言ってもいいぐらい」

 だから今はこの子が私の使い魔、と蓬莱人形を指した。

「そんな状態で、あの子を治せるの?」

「だから貴女の力を当てにしてたんだけどね。最悪、母さんの力を借りなきゃかもしれないけど、全く目途が立ってないわけでもない」

「そうなの?」

「人形作りの方向性を、ちょっと変えればいいだけだもの。最近は魂の研究に重きを置いていたけれど、体の方だってやってなかったわけじゃないから」

「ふぅん。……そういえば一流の人形師は自分自身の代わりまで用意できるそうね。本で読んだけど」

「そういうこと。私はまだそこの域まで達してないけど、単なる肉体の部品ぐらいなら、なんとかなると思う」

 それじゃあ、とアリスは立ち上がった。

「色々考えたけど、しばらくはこっちに移りたい。森の中で二人じゃ不便だし、他の資料ももっと読みたい」

「わかった。館の主人には伝えておくよ」

 ありがとう、と再度礼を言ってアリスは踵を返し、

「――あ、ちょっと待って」

 引き止める言葉に足を止めた。

「もう一つ訊きたいことがあったわ。答えてくれなくてもいいんだけど」

 何? とアリスは肩越しに問いを待ち、そして魔女は静かに問う――

 

 

 

 

 

 繋がりを辿り、アリスと蓬莱人形は、魔理沙と上海人形の元へ向かった。

 近づくにつれ、賑やかな話し声が響いてくる。どうやら小悪魔も一緒に居るようだ。

 楽しそうな様子に、少し頬が緩む。

 今は一時の足踏み。だけど、空から堕ちた星は輝きを失わず、また再び空を目指すのだろう。彼女は強く、眩しいのだから。

 その光景を夢見ながら、アリスは自分の道を少しだけ回り道することを決めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――どうしてそんなことをする気になったの?

 

 ――さあ? 思いついちゃったから、かな。

 

 

 

 

 

 

 ~Heart Breaker closed.~

 

 

 


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