それでも1万字前後ありますが……
これは本来「誰にも」シリーズとして『雛見沢物語』スレに投下したものではないのですが、今回の投稿にあたって加筆修正してシリーズに組み込んでみました。
ちなみにここで描写された銃器や理論はフィクションです。
「そうはならんやろ!」となっても「なっとるやろがい!」で見逃して下さい。
■001■
2007年 3月19日
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ上空
高度1万メートル付近
激しい振動と共に、右翼のエンジンが火を噴いてる。
真っ黒な煙を吐き出しながら、ジェット気流に流されて帯のごとく不吉に伸びていく。
エンジンの損傷は激しく、爆発した衝撃で主翼が大きく歪んでいた。
「ああ、畜生! なんてこった!」
操縦を自動から手動に切り替え、激しい揺れの中で傾きそうな機体を何とか立て直そうとしながら、主任操縦士が悪態をついた。
「第2エンジン、なおも炎上中!」
副操縦士がグルグル回る計器類を見て、読み取るのを諦めた。
「第1エンジンも急速に出力が低下してるぞ!」
航空機関士が、更に絶望的な状況を報告してくる。
「メーデー! メーデー!
こちら『フェザーユニット0846便』! メーデー!
第1エンジンが突如大破、炎上中! 原因不明ッ!
衝撃で主翼も損傷してるようだッ!
このままだはもたないッ!
現在地が分からんッ! 管制塔、空港まで誘導を!
誘導をッ!」
高度計の数字が目まぐるしい速度で少なくなっていく。
機体の水平を示す計器が、恐ろしい現実を映し出す。
「右翼内タンクの燃料を捨てろ!
左翼エンジン、再点火ッ! 旋回してる!
再点火だ馬鹿ッ、カットじゃない!」
「お客様、座席に! シートベルトを!
シートベルトを!」
「何が起きたのッ、教えて、教えてよ!」
「メーデー! メーデー! 畜生、返事をしてくれ!」
「尾翼、動きませんッ!」
「なんとかしろッ!」
「右翼内燃料タンクから排出開始!
左翼エンジン再点火……クソッ、ダメです動かない!」
「機内気圧調整、急げ……! 手動でやれ阿呆!」
「ママぁ! ママぁぁッ!」
「酸素マスクの着用を!
大丈夫です、大丈夫ですから! 落ち着いて!」
「爆発の衝撃が……翼が……!」
「助けて……助けて……!」
「高度6,000ッ!」
「山がッ!」
「クソッ! 何でこんなことに……ッ!」
「泣き言を抜かすなッ、何とか気流に乗れ!
機体を水平に戻すんだッ!
なんとしてでも空港まで……!」
「畜生ッ、畜生ォッ!」
《Pull Up Pull Up》
「フラップ上げろ! フラップッ! フラップッ!
上がれッ、上がれよクソッ!」
「愛してる、貴方、愛してるわ……ッ!」
「ごめんジュニア、ごめん、帰れない、帰れそうにない」
「こんな風になんか死にたくない……
今、こんな所でなんて……」
「息が、できねぇ……窒息する……」
「見ろ、翼が」
「神様、ああ神様」
「おぎゃあおぎゃあ」
バキバキバキッ
「折れたぞっ」
「あああっ!」
「Holy shit!」
「操縦桿がッ……動かない……ッ!」
《Pull Up Pull Up》
「メーデー! メーデー!」
「ううっ、う、ひっぐっ」
「主はわが羊飼いである……我は……望むべからず……
我、死の影の谷を往けども、主はわが身を緑なる牧場に置きたもう……
我はいかなる悪をも恐れず……我はその家を住処と為す……」
《Pull Up Pull Up》
「ああ」
(衝撃音と悲鳴)
(破壊音)
(以降、テープは最後まで何も録音されていない)
■002■
2007年 3月20日
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ
サンフランシスコ国際空港 大型格納庫
「……酷いもんだな」
ジャンボジェット機が軽々と収容できる格納庫のの中を歩きつつ、FBI捜査官のヒューゴーは少し離れた場所にいる友人に話かけた。
話しかけられた青年は、振り返ることも応えることもせず──しゃがんだまま。
そのままの姿勢で眺めていたのだ。
格納庫の中に並べられている、墜落現場から可能な限り回収された航空機の残骸を。
かつて1つの航空機だったと分かるよう配置された「それら」を。
その中で他の残骸よりも損傷の激しいエンジンを、ヒューゴーの友人は見詰めていた。
一際黒く焼け焦げていることから、最初に火を吹いたエンジンだろうとヒューゴーは考える。
焼け焦げているだけではない。大きく歪んでいる。
見れば他の残骸も破損の状態が大きかった。
減速できず、正面から山へ激突した証拠である。
直後の瞬間の現場は、まさに地獄絵図であっただろう。
そんな現場に
「乗客乗員134名は全員死亡だったそうだな」
「135名だ」
「あん?」
ヒューゴーの小さな呟きに、青年がようやく反応を示した。
「搭乗者名簿では134名とあるが?」
「もう1人いたんだよ」
「どこに」
「ここさ」
立ち上がり、青年は二度と動かぬエンジンを「コンコン」と叩いた。
「おい。おい、BD。BD。冗談か?
冗談を言ったのか? ここでか?
気分が悪いぜ糞野郎。
よくこの現場で、そんなイカれた事が言えたな!
見損なったぞ!」
「……報告を受けてないのか?」
だからボク達が呼ばれたんだろう?と言わんばかりの目線。
あくまで淡々とした友人の反応に、ヒューゴーは気圧された。
「……まさか、冗談じゃ、ないのか?」
「稼動中のエンジンに人が巻き込まれていた。
黒焦げだったがね。発見したのは僕だ」
BDと呼ばれた青年は、平淡に事実を告げる。
「フライトレコーダーやボイスレコーダーに残されたデータや音声と照合しても、離陸前から巻き込まれていた様子はないし、乗客が飛行中にドアを開けて身を投げ出した記録もない」
事実が積み重ねられていく。
「ということは、結論はひとつ」
BDは、墜落の原因となったエンジンを見上げた。
「
ヒューゴーは言葉も出なかった。
高度1万メートルで、エンジンが人間を吸い込んだ?
飛んでる鳥を巻き込んでエンジンがトラブルを起こすという話はよく耳にする。
空港でエンジンの整備中に、作業員を巻き込んだ事件だって起きている。
だがしかし。
「そんな、馬鹿な」
それだけ言うのが精一杯だった。
「墜落の際、機体の亀裂から乗客が投げ出されて……そのエンジンに巻き込まれたという可能性は」
「皆無だ」
「何故だ! 何故そう言いきれる! 確率か?
いつもの確率論か、BD!
だが『高度1万メートルを散歩する人間』の存在を考慮するより、はるかに確率は高いだろう!」
「根拠はある」
吼えるヒューゴーに、BDは冷静な言葉を返した。
「さっきも言ったと思うが、フライトレコーダーは『飛行中に乗客が外に出た』形跡を記録していない。
つまりそれは事故の瞬間、乗客は機内に全員いた……という証拠でもある」
「だから、それは墜落の」
友人の怒り声を片手で制した。
「ヒューゴー。記録によると、この第2エンジンは飛行中に火を噴いた。
……その瞬間から山に激突するまで、完全に機能は停止していたんだ」
捜査官の視線が、思わず目の前の大きな残骸へと向けられる。
「停止とは稼働していなかったという事だ。
そんなエンジンが、どうやって投げ出された乗客を巻き込める?」
「燃えているエンジンにホールインワンしたかもしれないだろ!」
「少なくとも主翼が折れるまで、機内の気圧に大きな変化はなかったとフライトレコーダーの記録は示している。
エンジン大破の前後に乗客が外に出たなら、その瞬間に気圧が急速に変動するはすだ」
しかしそんな記録はない。
この日系人の友人は、無情にも断言した。
ヒューゴーの足が震えた。
馬鹿な、そんな事が起きていいはずがない。
「エンジンが火を噴くまでの瞬間──
乗客のアリバイは成立しているんだ」
つまり、つまり。
「
つまり、犠牲者は135名だ」
「ああ、神様。そんな……そんな事が」
「残念だが、もうひとつ君を嘆かせるニュースがある」
「何だ、まだ何かあるのか」
「エンジンに巻き込まれたのが乗員乗客でない以上、身元が分からない。だから解剖に回したんだ」
ヒューゴーは無言で次の言葉を待った。
「体組織の半分以上は炭化してしまっていた。
けれど、なんとか無事だった部分を採取して調べたんだ。
その結果……
『彼』はエンジンに突入するまで凍結状態にあり……」
永遠に沈黙するエンジンを、BDは再び見上げた。
「
科学捜査官として絶対の信頼を置くBDの言葉に、
友人は気が遠くなってその場に座り込んでしまった。
■003■
1983年 12月24日
日本国××県鹿骨市興宮町
雛見沢村
クリスマスイブである。
誰もが予想し得ない展開で幕を閉じた夏の惨劇から、半年が経過していた。
年末恒例の交通安全週間が始まり、雛見沢分校でも集団登校や下校が行われたりと、微笑ましい光景が繰り返されていた。
「だけどこの集団登下校、
学校を離れ、周囲に大人がいないのを確認した魅音が眉をひそめて呟いた。
「どういう事だ?」
半年前に負った怪我も癒え、ようやく包帯が取れた圭一は怪訝そうに尋ねた。
ちなみにレナは事件の後に起した「かあいい廃材回収」騒動のせいで自宅謹慎中である。圭一たちは下校途中でレナの家に行き、遊んでから帰るのが日課になっている。
にわかには信じられないぐらい非現実的な大事件を経験しても、相も変わらず彼ら彼女らにとっての「日常」を過ごす姿は微笑ましくもあるが、どこかその「日常」を取り戻そうとしているようにも見えた。
「……何かありましたのね?
最近家の周りを老人会の方々が見回ってましたもの」
さすがにトラップマスターの称号で呼ばれるだけのことはある。沙都子は数日前から周囲の異変に気付いていた。
しかし気付いていたのは彼女だけではない。一緒に住む親友もまたそれを見抜いていた。
「家の周りには沙都子のトラップがあるから大丈夫だ……と言っておいたのですけど、喜一郎が聞かないのですよ。
困ったものなのです、にぱ~☆」
この場にいないレナを除けば、気付かなかったのは圭一だけのようだ。
「うん。でも、婆っちゃが情報をブロックしてたせいで、おじさんもつい先日知ったんだけどね」
魅音は圭一のしょんぼりした表情を見て、あわててフォローを入れた。
そんな様子を見てニヤニヤする梨花が1人。
「それがね、あんまり良いニュースじゃないんだ……」
周囲に誰もいないと分かっていても、魅音は声を小さくしてしまう。
圭一が、その様子に「冗談」の要素が混ざっていない事を読み取ると、続きを無言で促した。
沙都子も梨花も、うなづいて圭一に同意する。
仲間達の瞳を見て頷き返した魅音だったが、それでも口を開くのに間があった。
「新しくできたタバコ屋の
「ああ、3ヶ月前に興宮から越してきた?」
「──5日前から姿を消してる」
「え?」
3人の声が重なった。
「それ以前から、何かに怯えていた様子を見せていたらしい」
「お、おい、魅音。それはまるで……」
「うん。一部の大人たちが噂し始めてる」
苦々しげに、忌々しげに魅音が呟く。
彼らの脳裏に、半年前の忌まわしい事件が蘇る。
「──鬼隠し」
圭一の声は、深淵に沈んでいくかの様に重く地面へと落ちた。
■002■
1942年 ミッドウェー諸島周辺
現地時間 6月3日 04:00
日本時間 6月4日 01:00
米PBY哨戒飛行艇、ミッドウェー島発進開始。
(この約30分後、日本帝国海軍・第一機動部隊、ミッドウェー攻撃隊が発進)
現地時間 6月4日 02:44
日本時間 6月5日 23:44
米PBY哨戒飛行艇(フランクリン・デイビス少尉)、巨大な機影を発見。
「接近し確認する」と報告。
現地時間 6月4日 02:51
日本時間 6月5日 23:51
米PBY哨戒飛行艇(フランクリン・デイビス少尉)、錯乱。
「凍りついた軍艦が空を飛んでいる」と意味不明な報告を、5分間ほど繰り返す。
帰還時、着陸に失敗。機体は大破し、デイビス少尉も重傷を負う。
現地時間 6月4日 03:16
日本時間 6月5日 00:16
米PBY哨戒飛行艇(チャーリー・グッドスピード大尉)、上空に艦影を発見。
「クソ軍艦がオレの上をスッ飛んでいきやがった(通信記録ママ)」と報告。
この時の目撃報告を最後に「正体不明の艦影」は確認されなくなる。
(※終戦後、退役したグッドスピード大尉は自身が目撃したものの正体を独自に調査している。記憶を頼りに艦の形状から調べた結果、1866年12月に製造元のフランスから回航中だった大日本帝国海軍の防護巡洋艦『
現地時間 6月4日 05:32
日本時間 6月5日 02:32
米PBY哨戒飛行艇(ハワード・アディ大尉)、日本帝国海軍・第一機動部隊を発見。
(この62分後、ミッドウェー攻撃隊がミッドウェー島空襲を開始)
【米国海軍機密指定文章B0846号より一部抜粋】
【2045年8月に機密解除されたため米国公文書館にて閲覧可能となった】
■003■
1983年12月24日
日本国××県鹿骨市興宮町
雛見沢村
「あ、熊谷さんだ。おーい! おーい!」
休憩していたのだろう、雛見沢唯一のバス停で煙草を吸っていた青年に、魅音が元気よく声をかけた。
声をかけられて、初めて彼女たちの存在に気が付いたらしい。
深く雪に埋もれた停留所から、ひょいっと顔を出す。
「ああ、魅音ちゃん」
夏の事件以来、ひょんな事で園崎との「パイプ」を作ってしまった刑事の熊谷勝也は、すっかり魅音のペースに囚われてしまっていた。
彼女から普段は「園崎さん」ではなく「魅音」と呼ぶようにと言われている。言いつけ通り名前で呼ぶあたり、熊谷が優しいのか単に気が弱いのか……
「や、皆もいるのか。なんだか久し振りだねぇ」
「そうか、もう半年たつんだっけな」
「時が流れるのは早いですわねぇ」
「あっという間なのですよ」
「うん、そうだねぇ……でも、あれから園崎家には事情聴取に何度も足を運んでるから、魅音ちゃんとは久し振りって感じはしないなぁ」
「あははは。そうだね」
「そうそう。このところ
沙都子ちゃん達なんて軽いから飛ばされちゃうよ?」
「レディーに体重の話題を振るなんて失礼ですわ!」
「なのですよ。プンプンなのです」
「市民生活の安全を確保するのも僕の仕事だからね。
物が飛んできたりしたら危ないから、さ」
好青年を気取って、少女2人にウィンクしてみせる。
「で、どうしたんです熊谷さん。こんな所で」
「ああ、うん。ちょっとね」
苦笑を浮かべながら、熊谷は言葉を濁す。
その様子に、魅音たちは顔を見合わせ表情を暗くさせた。
先ほどの魅音から聞いた話に、すぐ側まで迫っているかのような現実感が生まれる。
「もしかして茂部さんの件?」
「うわっ!? 何だ、もう知ってるのッ?」
本気で動揺したらしく、少し上ずった声をあげながら目を大きくさせる。
それを見た圭一が苦笑と溜息を同時に漏らした。
「いや、仮にも刑事さんなんだから、そんなあからさまに動揺したら駄目でしょ」
「仮にも何も、僕はマジモンの刑事なんだけどね」
まぁ狭い村だし園崎だし隠し切れないよなぁ……と呟き、熊谷はあきらめたように後頭部を掻く。
やがて観念したかのようにバス停の長椅子に座る。
まるでドラマに出てくる犯人のような仕草だ。
タバコを取り出し火を付けようとするが、子供達の前だと思い出して懐にしまうと、やや口早に事件の概要を話し始めた。
事件が発覚したのは5日前。12月19日の朝だった。
茂部英太郎(28・男)が営むタバコ屋の正面入り口が半開きになっているのを、新聞配達に来ていた青年が発見。
好奇心と不安に駆られた青年が中の様子を窺ったところ、部屋は大人数によって暴れて荒らされていたため、あわてて警察に通報。
興宮署から連絡を受けた駐在所の警官が数分後に駆けつけ、この家の住人である茂部氏を探したが見つからず、代わりに数滴の血痕が確認された。
何らかの事件に巻き込まれた可能性あり、との報告を受けた興宮署は本格的な捜査を開始。
2人の刑事を派遣し、聞き込みを開始した。
茂部氏が雛見沢に移り住んできたのは3ヶ月ほど前。
買い取った空き家を改装してタバコ屋を始めた。
雛見沢には、入江診療所の近くにタバコ屋があるのだが、経営者が高齢で耳が遠かった事と、取り扱っている種類が少なかった事もあり、新店舗の登場は喫煙者から逆に歓迎されたらしい。
しかも珍しい外国産の輸入タバコも扱っていたため、物珍しさも手伝って重宝された。
その輸入タバコを目当てに興宮から買い付けに来る人間も何人かいたらしく、ささやかながらも雛見沢に活気をもたらしていたようである。
若いながらも茂部氏は人当たりがよく、すぐに村の人間と打ち解けたようだ。
独身で身寄りがなく、色々な事に手を出しながら金を貯め、とある筋からの援助もあり漸く自分の店が持てたと村人に幾度となく語っていたという。
そんな茂部氏の様子がおかしくなり始めたのは2週間ほど前。
それによると、茂部氏は「何か」に怯えていたらしい。
失踪の数日前から「誰かにつけらられてる気がする」と周囲の人間に漏らしていたそうである。
そして12月18日にセブンスマートで買い物をしている姿を最後に、行方不明となる。
だが荒らされた現場に、まだ温かいコーヒーなどが残っていた事などから、警察では19日早朝まで家にいたと考えている。
熊谷がそこまで経過を報告すると、言葉を切った。
「どうして雛見沢なのかな」
「ん? 何がだ、魅音」
「どうして茂部さんは交通の便が悪い雛見沢に、わざわざ新しい店を出したんだろう」
その『交通の便が悪い』雛見沢の次期頭首が言うと重みが違う。
まるで雛見沢が『未開拓の奥地』に聞こえてくる。
「空家の買取額が安かったかららしいね。
興宮でタバコ屋を開くには資金が足りなかったみたいだ。
援助してくれたスポンサーがいたらしいけど、今それを小宮山さんが調べてるよ」
魅音の疑問に、警察手帳のメモを見ながら熊谷が答える。
そんなにホイホイと、捜査状況を民間人に喋っていいものなんだろうか。そう考えながら、沙都子が熊谷をチラリと眺める。
思っている以上に視線が雄弁に語っていたのだろう、彼は苦笑すると手帳を閉じた。
「地元の人たちの協力は必要だよ?
特に、事件が起きた土地と密接に関係のある人には」
その為に園崎とは『良い関係』でいたいからね、と熊谷は付け加えた。
若いなりに、なかなか柔軟な思考力の持ち主らしい。
さすがは大石の後継者と言われるだけの事はある。
「部屋は荒らされてたんだよね?」
「そうだね。何が失くなっているのかは現在、鋭意調査中だよ」
「新聞の配達をしている人によれば、まるで『大人数が暴れた』ようだったとか」
「うん。僕も現場を見たけど、彼の感想は的確だと思うよ。
ひどい有様だった」
「……ああ、熊谷さんも同じ『意見』なんだ。
じゃあ、あと2つだけ質問」
Vサインのように指を2本掲げつつ、魅音が真剣な表情で熊谷と向き直る。
「茂部さんが購読してた新聞は?」
「へ?」
予想外の質問だった。
てっきり発見された血痕や、荒らされた部屋の状況を聞くものだと思っていた熊谷は思わず間の抜けた声を上げてしまう。
「え、ええと。ちょっと待ってね。
あ、うん。『
「『赤帝新聞』? 聞いた事ございませんわね?」
「沙都子ちゃん達には難しいかな?
政治団体が発行してる新聞でね。茂部氏は、どうも親の代から末端の構成員だったみたいだ。
だから半ば強制的に購読させられてたんだよ」
「……ん~、どうもピンとこないですわねぇ」
「こういう例えはどうですか、沙都子。
入江がメイド好きの人間を集めて部活のような事をするのです。
その部活のメンバーに『メイド新聞』を買ってもらい、そのお金でメイドライフを遣り繰りするのですよ」
「ああ、そういうことですのね」
「上手い例えだな、梨花ちゃん」
「……マジで入江先生ならやりかねないなぁ」
「じゃあ最後の質問」
和んだ空気を一掃するかのような魅音の一言。
「通報した新聞配達の人、雛見沢までの移動手段は?」
「移動手段んん?」
問われた熊谷は、慌ててペラペラと手帳をめくる。
視線を左右に振って書かれたメモをたどっていくが、求められた情報はそこに書かれていなかった。
「ごめん、ちょっと今は分からないな。
たぶん自転車だとは思うんだけど、後で教えてあげようか?」
「ううん。いいよ」
魅音は薄い苦笑を浮かべながら、首を横に降る。
少し安心したような、だけど何処か怒っているような複雑な表情で微笑んで。
そして、こう呟いた。
「熊谷さんの話を聞いて、何となく分かったから」
その場にいる人間が息を呑む。
冬の白い息が魅音を包み込んだ。
「何が……だい、魅音ちゃん?」
という、寒さ以外のものに憑かれて震える熊谷の声。
それに答える魅音の声は、この季節の代弁者であるかのように冷たかった。
「茂部さんは自業自得だよ」
■004■
「園崎の嬢ちゃんの意見に、俺も賛成だな」
小宮山隆輔は、タバコをくゆらせながら呟いた。
エンジンを落とした車の中。
助手席のシートに身を沈めたベテラン刑事は、車内に漂う煙をしばらく眺める。
丸い眼鏡にうっすらと黄色い色が付いているのはファッションではない。単なるタバコのヤニである。
夜遅くまで電気がついているビルを運転席から見上げていた熊谷は、先輩刑事の『呟き』と『沈黙』に、視線をビルへ注いだまま困惑の表情を浮かべてみせた。
「どういう事か、僕にはサッパリですよ」
「自業自得云々の部分が、か?」
「違いますよぅ」
小宮山の意地の悪い口調に、後輩は口を尖らせて抗議した。
「雛見沢でいうところの『鬼隠し』っていうのは、オヤシロサマの『祟り』という名前で機能する一種の『閉鎖空間内のみで有効な浄化装置』って奴ですよね。
この言い方は受け売りですけど」
熊谷は、夏の事件で(公安に引き渡す前に)事情聴取した鷹野三四という女性の言葉を思い出していた。
一度は神の名の
「周期的に膿を出すことで、集団の結束を固めるって奴だな」
「あくまでも『祟り』は『神的な現象』であるから、そこに『人為的な痕跡』があってはならない。
少なくとも……これまでは、2年目の事件は──『東京』とかいう組織が絡んでからはそうでした」
相変わらず視線はビルに向けられて。
電線が強い風にあおられて、悲鳴のような音を叫んでいる。
カイロや毛布によって、やっと身体が暖まったところだ。
外にでれば冷たい強風に晒される事になるだろう。
沙都子や梨花あたりなら本当に飛ばされそうな勢いだ。
「しかし4年目は違った。
主婦撲殺も少年の失踪も、あからさまに人為的な事件だ。
いま考えると、無理矢理に捏造された感は否めないな。
ここが『東京』としても綻びの始まりだったんだろう」
「で、5年目は発生寸前で止める事ができたんですけど……」
無事に保護された富竹ジロウだが、テロ行為を画策した組織と(間接的かつ一時的にとはいえ)関わっていた自衛官という複雑な立場から、現在は「建造物(祭具殿)への不法侵入」の容疑だけで取調べが続いている。
大石の口添えで、送検見送りという方向で調整が進められているらしい。
「でも、どの事件にも共通して言える事は『きれいな失踪』って事なんですよね」
「なかなか詩的な表現を使うようになったじゃないか」
短くなったタバコを備え付けの灰皿で揉み消すと、飲みかけの缶コーヒーに口をつけた。
「しかし、お前の言う通りだな。
一連の『鬼隠し』と呼ばれた事件には大規模な組織によるものもあって『第3者の介入』を示すような、明確な痕跡はなかった。
その前に起きる死亡事件から自然な流れで消え失せる。
……そういうシステムだった」
新聞配達の青年の証言。
実際に現場を見た熊谷の印象。
現場検証の結果。
「誰がどう見ても『大人数が暴れた跡』にしか見えない荒らされようでしたからね」
おまけに血痕まで見つかっている。
分析の結果、茂部氏の血液型と一致している。
アメリカでは遺伝子判定(DNA鑑定というそうだが)による捜査が試験的に導入されているらしい。
それがあれば、個人特定の精度も上昇するだろうが、こんな田舎では期待できそうもない。
「現場の状況から、茂部英太郎は『失踪』ではなく……『拉致された』と考えてもいいだろう」
張込み開始から3本目のタバコに火をつける。
「そこまでは僕にだって分かるんですよ。
ただ、そこから先が分かんないんですよねぇ」
深い溜息。
マジで風が強いなぁ、という先輩の呟きは無視した。
「なんで茂部氏は拉致されなきゃならなかったんです?」
熊谷にとって茂部英太郎は、ただのタバコ屋だ。
借金もそれなりにあっただろうが、まっとうな所から借りており、園崎組の方で扱っているような金融機関の世話にはなっていないようだ。
もちろん、園崎組の組員との個人的なトラブルもなかったらしい(葛西氏からの情報なので、信頼度はある)。
「嬢ちゃんが言っただろう」
「……自業自得、ですか。
つまり拉致されるような事を、茂部氏が?」
「──動いたぞ」
小宮山が、口にくわえたタバコを素早く灰皿で揉み消した。
ビルの明かりが消えたのだ。
ビルの窓に書かれた文字が周囲のネオンに照らされて、毒々しく夜の世界に浮かび上がる。
『赤帝新聞』とあった。
【後編に続く】