やはり俺の結婚生活は間違っている   作:ヒューイK

28 / 30

いよいよ最終章です。
プロム、そして未来へ――。
八幡たちが見届ける“次の世代”の物語が、ここから始まります。
少し切なくて、でもあたたかいプロム編の第一話です。


第20話 やはり未来はまぶしすぎる(プロム編・第1話)

第20話 やはり未来はまぶしすぎる(プロム編・第1話)

 

三月上旬。

まだ冬の名残が残る風が、校舎の隅々を撫でていく。

渡り廊下には、卒業式の準備で使う花紙の束と白いリボン。

それを抱えて走る生徒たちの声が、どこか浮き立って聞こえた。

 

放課後の職員室前、八幡は掲示板に貼られた書類を

ぼんやり眺めていた。

《卒業記念行事・特別実施許可申請書》

そこには小さな文字で“卒業プロム”と書かれている。

 

「……プロム、ねぇ」

「私達がやった後、数年で無くなっちゃたのよね」

 

背後から雪乃が声をかける。

彼女は片手に資料の束を抱えたまま、淡々と書類を確認している。

 

「由比ヶ浜先生が言っていたわ」

「華やかに送り出してあげたいって」

「……あいつらしいな」

「ええ。でも主導は生徒会長の玲さん。あの子、やる気満々よ」

「生徒会と奉仕部合同ってやつか」

「そう。依頼書も届いてる。……あなたの名前も入ってるわ」

「俺、イベント進行補助かよ。柄じゃねぇな」

「柄じゃなくても、必要よ。あなたの“地味な現実感”は貴重だから」

「褒めてんのかそれ」

「もちろん」

「即答かよ……」

 

二人のやりとりに、春の光が差し込む。

その柔らかさに、どこか“終わりの始まり”のような匂いがあった。

 

⸻

 

翌日。放課後の部室。

 

白板の前には、生徒会長・玲。

机の上にはプリントされた進行表と分刻みのタイムスケジュール。

その整然さに、瑠美と美羽が思わず顔を見合わせる。

 

「……すごいですね、玲さん。ここまで決めてあるんですか」

「はい。プロムの開場、入場順、照明の切り替え、BGM、写真撮影の動線。

全部、事前に想定したんです〜」

「完璧……すぎません?」

「準備がすべてです。抜けがあれば、当日は混乱しますから」

「うーん、“完璧”って言葉、ちょっと怖い気もするけどなぁ」

結衣が椅子に腰かけたまま頬杖をつく。

「だってさ、失敗したら全部崩れちゃうじゃん?」

「崩れないように準備するんです」

「……なるほど、ゆきのんタイプだ」

「否定はしないわ」

雪乃は小さく笑って腕を組む。

 

八幡は進行表を手に取り、細かく目を通した。

行の間にはびっしりとメモ。想定トラブルのリストまで添付されている。

完璧に見える――が、完璧すぎる。

 

「小田原」

「はい、先生」

「……これ、やってみたか?」

「え?」

「この計画通りに、一回シミュレーションしてみたか?」

「……いえ、まだです。まずは“完璧な計画”を立ててから――」

「そこで止まってる時点で、“完璧”じゃねぇんだよ」

 

玲がきょとんとした顔で八幡を見る。

周囲の空気が一瞬止まる。

けれど八幡は淡々と続けた。

 

「やってみなきゃ分からねぇことのほうが多い。

机の上で組んだ線なんて、現場じゃすぐズレる。

立てて、やって、直して、また立てる。

計画ってのは、そうやって回してくもんだ」

 

玲は言葉を飲み込んだまま、静かに視線を落とした。

雪乃が優しく補足する。

 

「“動かしてから見えてくる課題”って、あるものよ」

「……はい。たしかに、今までは“動かす前に整える”ことばかり考えてました」

「その整える力も大事だ。けど、“動かせる計画”ってのは、別物なんだよ」

「“動かせる計画”……」

玲が小さく繰り返す。

 

その表情に、少しの戸惑いと、少しの光。

彼女の中で何かが、少しずつ形を変えていくようだった。

 

⸻

 

白板に貼られた進行表。

そこに八幡が赤ペンで一行、さらりと書き足す。

 

《※当日変更の可能性あり。対応はその場で判断。》

 

「これ、ただの一文だが、すげぇ大事だからな」

「……それ、逃げ道ってことですか?」

「逃げ道じゃねぇ、“呼吸”だ」

「呼吸……?」

「計画ってのは、詰めすぎると死ぬ。

余白があるから、人が動けるんだよ」

 

玲がゆっくりと頷いた。

その目の奥には、納得とわずかな悔しさが交じる。

“完璧を崩す”ということが、初めて現実味を帯びた瞬間だった。

 

結衣が笑いながら声を上げた。

「ねぇヒッキー、それってさ、“人生計画”にも言えるんじゃない?」

「……高校教師相手に哲学振ってくんな」

「でも、なんか分かる気する。焦るとさ、予定も心もカチカチになるじゃん」

「そうね。ゆきのんも昔そうだったもんね〜」

「由比ヶ浜さん?」

「ふふ、否定はしないわ」

 

その空気に、自然と笑いが生まれる。

春の光がカーテンの隙間から差し込み、

ホワイトボードの“※当日変更可”の文字をやわらかく照らした。

──翌週、放課後の体育館。

 

卒業プロム準備のため、部活が終わった生徒たちが集まっていた。

舞台には照明器具、後方には装飾の段ボール。

玲は進行表を片手に、立て続けに指示を出していく。

 

「ステージの幕、あと五センチ上げてください。照明の角度、五度下げ。BGMはフェードアウト三秒前倒しで」

「りょーかい、会長!」

明るく返事が飛ぶ。

けれど、音響担当の男子が小声でつぶやく。

「これ……、マニュアル通りやっても、ズレるな……」

 

直後、アンプが一瞬ハウリングを起こした。

「わっ!」

玲が反射的に手を挙げる。

「ストップ! 一度全部切って!」

 

ホールが静まり返る。

玲の手元にあるチェックリストには、赤ペンで丸と×が重なる。

完璧に整えたはずの計画表が、わずか一日で真っ赤になっていた。

 

「……どうして、こんなにズレるんですか」

誰にともなく漏れた言葉は、自分への問いそのものだった。

 

瑠美が隣に歩み寄る。

「玲さん、全部をコントロールしようとしすぎです。人って、予定通りには動かないですよ」

「でも、ズレたままじゃ、完成しません」

「ズレた分だけ、完成に近づくこともありますよ」

「……?」

「ほら、温度の話と同じ。焦げないように、冷ましすぎないように」

「……奉仕部の流儀ってやつですか?」

「ええ、“現場で学ぶ”ってやつです」

瑠美が笑う。

玲は小さく息を吐き、頷いた。

 

⸻

 

その夜。

体育館に残った照明が、薄く床を照らしていた。

生徒たちは帰り、残っているのは玲だけ。

ノートパソコンの画面には、修正中の進行表。

“未確定”“要再調整”の文字が並ぶ。

 

「……また、やり直しですね」

自分に言い聞かせるように呟いたとき、扉がスッと開いた。

 

「お、まだいたか」

八幡が入ってきた。

「監視ですか?」

「お前を監視するほどヒマじゃねぇよ。……忘れ物取りに来ただけだ」

そう言いながらも、八幡は玲のノート画面を一瞥した。

「随分、赤が増えたな」

「はい。最初の計画、ほとんど修正になっちゃいました」

「それでいいんじゃねぇの?」

「……よくは、ないです」

「じゃあ、よくなるまで直せばいいだけだ」

 

玲が顔を上げる。

八幡は体育館の中央を見上げながら、ぼそりと続けた。

 

「最初から全部うまくいくことなんてねぇ。

 やってみて、ズレて、直して、またズレて、

 ようやく形になる。

……人間のやり方なんて、だいたいそんなもんだ」

 

玲はしばらく黙っていたが、やがて口を開く。

「私、ずっと“間違えたくない”と思ってました。

誰かに失望されたり、笑われたりするのが怖くて」

「間違えねぇやつなんていねぇよ。

間違えたあとにどう動くかで、そいつの価値が決まるんだ」

 

沈黙のあと、玲は少し笑った。

「……先生、それ、人生の話ですか?」

「違う。イベント運営の話だ」

「どっちでも通じますね」

「ま、だいたい人生もイベント運営みてぇなもんだろ」

 

八幡が笑い、照明の光がゆらめいた。

静かな体育館に、淡い橙の残照。

玲はゆっくりノートを閉じる。

 

「先生。次の案、出してもいいですか」

「出せよ。出して、試して、直せ」

「はい」

 

その声は小さいけれど、確かに届いていた。

 

⸻

 

翌朝。

部室のホワイトボードには、玲が新しく書き足した文字があった。

 

《立てる。やる。見直す。もう一度立てる。》

 

その下に、美羽がマーカーで描いた笑顔の落書き。

《泣いても、立て直す。》

 

それを見て結衣が笑う。

「うん、“奉仕部流”だね」

瑠美が頷きながら言う。

「“計画”じゃなくて、“呼吸”なんですよね」

「おいおい、カッコつけたな」八幡が苦笑した。

「先生、昨日も言ってましたもんね。“計画は呼吸だ”って」

「言った覚えねぇな」

「言いました」

雪乃が微笑む。

「あなた、ちゃんといいこと言ってたわ」

「やめろ、恥ずかしい」

 

部室の空気が柔らかくなる。

窓の外では、グラウンドの桜がほんのり色づき始めていた。

 

⸻

 

夕方。

玲は生徒会室で、進行表を最終チェックしていた。

ページの隅には、昨日の八幡の言葉を思い出して書いた一行。

 

《完璧じゃなくていい。試して、直して、続けられれば、それでいい。》

 

彼女は静かにペンを置く。

ノートの最後に、ふと書き足す。

 

《ありがとう、奉仕部》

 

窓の外、夕陽が差し込み、紙の白が柔らかく染まる。

 

校舎のどこかで鐘の音が響いた。

玲は息を整え、まぶしい光をまっすぐに見上げた。

その音は、胸の奥に残った“怖さ”を、

春の風みたいに溶かしていった。

 




「完璧じゃなくていい。試して、直して、続けられれば、それでいい。」
この言葉に込めたのは、
“生き方”そのものの哲学です。
未来を照らす光は、眩しいけれどあたたかい――。
次回、プロム編第2話へ。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。