やはり俺の結婚生活は間違っている   作:ヒューイK

29 / 30
第21話 やはり未来はまぶしすぎる(プロム編・第2話)

 

三月中旬。

プロムの準備は、順調そのものに見えた。

装飾班はデザインを仕上げ、音響も試験段階に入っている。

玲は生徒会室と体育館を往復しながら、

忙しさの中にも確かな手応えを感じていた。

 

「これなら、予定通り開催できそうですね」

美羽の言葉に、玲は小さく頷いた。

「うん。少しずつだけど、“形”になってきたね」

 

笑い合う声が廊下に響く。

その響きの奥に、玲はほんのわずかなざらつきを感じた。

――何か、見落としている気がする。

でも、その正体を確かめる暇もないまま、

次の打ち合わせの時間が来る。

 

その日の放課後、生徒会室に戻った玲の机の上には、

一通の封筒が置かれていた。

差出人は――PTA。

 

生徒会室に、静寂が降りていた。

蛍光灯の白が、紙の上でやけに冷たく光っている。

机の上には、PTAから届いた「意見書」。

そこには赤い印字で《再検討を要す》の文字が並んでいた。

 

玲はその紙を見つめながら、深く息を吐いた。

 

「ここまで順調だったのに……」

「私、一人じゃ、何もできない」

 

言葉が、空気に溶けていく。

窓の外では、春を待つ風がカーテンを揺らしていた。

紙の端が、ふっと浮く。まるで彼女の迷いを映すように。

 

「……どうして、こんなに悔しいんだろう」

「“正しい”ことを言われてるだけなのに」

 

静かな独白。

その声は震えていたが、涙はこぼれなかった。

ただ、心の奥で音を立てて崩れていくものがある。

 

――カチ、カチ

 

時計の針の音が、やけに大きく響いた。

それが唯一の音だった。

 

「……もう、ダメかもしれない」

 

その瞬間、扉がスッと音を立てて開いた。

顔を上げると、そこに立っていたのは――瑠美、大磯、美羽。

 

「玲さん……」

 

瑠美が静かに声をかける。

玲は驚いたように立ち上がり、言葉を探した。

 

「どうして、ここに……」

「様子を見に来ました」瑠美が答える。

「顔に書いてあります。全部」

 

大磯が腕を組んで、少し困ったように笑った。

「無理してんの、バレバレだぞ」

 

美羽は一歩前へ出て、机の上の紙を見る。

「……PTA、ですか?」

 

玲は小さく頷いた。

「“プロムは今の時代に合わない”って。

 “華美すぎる”“誤解を招く可能性がある”……そう言われました」

 

その言葉のひとつひとつが、氷のように落ちる。

空気が静まり、誰も言葉を挟めなかった。

 

「全部、正しいんです。

 でも、“正しい”のに、どうしてこんなに苦しいんでしょう」

 

玲の声が震える。

「何が間違いで、何が正しいのか……もう分からないんです」

 

沈黙。

長い沈黙のあと、瑠美が小さく息を吸った。

 

「玲さん」

「……はい」

「私、思うんです。強い人って、泣かない人じゃない」

 

玲が顔を上げる。

 

瑠美はそのまま、まっすぐ見つめながら言った。

「私は」

 

玲が目を瞬かせる。

 

大磯が続く。

「俺は」

 

美羽が小さく頷く。

「私も」

 

三人は、互いを見てうなずき合う。

そして、言葉を重ねた。

 

「あなたを」

「お前を」

「玲さんを」

 

ほんの一拍の間があって、三人の声がひとつに重なった。

 

「『助けたいと思ってる』」

 

その瞬間、時間が止まったように感じた。

蛍光灯の白が、ゆっくりとやわらかな橙に変わる。

玲の瞳が大きく揺れ、涙が一粒、光の中に落ちた。

 

「……ずるいです、みんな」

「そんなこと言われたら、泣くしかないじゃないですか」

 

声が震えて、笑いに変わる。

その笑顔は、ほんの少し前の自分とは違っていた。

 

美羽が静かに言う。

「泣いてもいいですよ。泣きながら立て直せば」

大磯が続けた。

「問題は山ほどある。でも、山は登るためにあるだろ」

瑠美が微笑む。

「私たちは、玲さんの隣で登ります」

 

玲は、涙を拭いながら笑った。

「……ありがとう」

 

机の上の書類を束ね、姿勢を正す。

「もう一度やります。みんなで、もう一度」

 

その声には、迷いがなかった。

窓の外から射し込む光が、彼女の背中を照らす。

それは、夜明けのようにまぶしい光だった。

 

――奉仕部の言葉は、確かに受け継がれていた。

 

翌日。職員会議室。

玲たちは八幡・雪乃・結衣の前に立っていた。

 

「PTAからの反対理由、整理しました」

玲は資料を広げる。

「“華美な演出の懸念”“安全対策の不透明さ”

“保護者の理解不足”」

「全部、私たちの責任です」

 

八幡が腕を組み、短くうなずく。

「……よく分析したな」

雪乃が資料に目を通しながら言う。

「結論としては、誤解が大きいわね」

「”プロム”の言葉が先行している」

 

「言葉のイメージだけで反発されるの、昔もあったよね」

結衣の声に八幡が視線を向ける。

 

「……ああ。“ダミープロム”のときか」

雪乃も静かに頷く。

「そうね。あの頃、私たちは本物を守るために“仮の形”を作った」

「でもさ、あのときは……まだ私たち、怖かったんだと思う」

結衣が少し笑う。

「正面から言う勇気、なかったから」

 

玲がじっと彼らを見つめていた。

八幡は彼女の視線に気づき、ゆっくりと続ける。

 

「昔は、影でやるしかなかった。

 “通らない本音”を守るために、裏で形を作る――

 あれが、当時の俺たちなりの答えだった」

 

雪乃が静かに補足する。

「でも今は違うわ。私たちはもう、隠れる必要がない」

「そう。あのとき遠回りした分だけ、今はまっすぐ進める」

結衣の声に、玲の目が揺れた。

 

八幡が資料の束を軽く叩いた。

「だから今回は、正面から行こう。

 “ダミー”じゃなく、“本物の説得”で通す」

 

「本物の……説得」

玲が小さく繰り返す。

 

「見せよう。

 お前らが何を大事にして、何を伝えたいのか。

 “形”じゃなく、“想い”で示せばいい」

 

雪乃が頷き、柔らかく笑う。

「私たちが保証するわ」

「あのときの“影”のやり方じゃなくて、

”光”の中でやる奉仕を」

 

結衣も笑顔で続ける。

「“ダミー”を作らなくても、本気はちゃんと伝わるし!」

 

玲は目を伏せ、深く息を吸った。

「……はい。伝えます。正面から、ちゃんと」

 

 

数日後。PTA説明会。

 

会場のスクリーンに映し出されたのは、

生徒たちが飾り付けをする姿、練習を重ねる笑顔。

玲は壇上に立ち、マイクを握る。

 

「私たちが目指しているのは、

 “豪華な式”ではありません。

 “ありがとう”を伝えるための、一夜です」

 

保護者席に静けさが走る。

後方で八幡たちは見守っていた。

 

「これは、生徒だけの行事ではありません。

 私たちが育ててもらった“日々”の、集大成です」

 

玲の言葉が会場に落ちていく。

硬かった表情が、少しずつほどけていく。

 

発表が終わると、PTA会長が立ち上がった。

「……いい行事に、なりそうですね」

 

八幡が腕を組みながら呟く。

「通ったな」

雪乃が微笑む。

「ええ。“レプリカ”ではなく、“本物”の答えを出せたわ」

結衣が涙ぐんで笑った。

「ゆきのんたち、ホントに大人になったね」

「お前もな」八幡が小さく返す。

 

玲はステージ上で深く一礼した。

ライトの下、彼女の頬に柔らかな光が宿る。

 

 

放課後。

夕焼けの廊下を歩きながら、玲は呟いた。

 

「……“ダミー”じゃなくても、届くんですね」

八幡が横で応える。

「ああ。ちゃんと顔を上げて言えば、届くもんだ」

 

玲が小さく笑う。

「先生たちは、昔からそうやって歩いてきたんですね」

「いや。昔は――目、逸らしてたよ」

「でも今は違う」

「そうだな。今はもう、ちゃんと見てる」

 

玲は立ち止まり、春の光を仰ぐ。

「私も、見えるようになりたいです。

 まぶしくても、ちゃんと」

 

「なら――そのまま前を見てりゃいい」

八幡がぼそりと呟く。

 

夕陽が傾き、影が長く伸びていく。

それは、過去と現在を繋ぐ一本の道のようだった。

 

――“ダミープロム”から始まった想いは、

 いま確かに“本物”へと届いた。

 

だが、その「本物」を形にするには、

まだいくつもの壁が残っていた。

 

装飾、音響、照明、衣装、警備。

当日動ける人数を算出した瞬間、玲の表情が曇る。

 

「……人が、足りません」

「あと十人はいないと、全体が回りません」

 

部室に沈黙が落ちた。

美羽が資料を見つめ、瑠美が唇を噛む。

大磯も腕を組んで目を閉じる。

 

その静寂を破ったのは、八幡の声だった。

 

「……なるほどな」

「だったら――俺たちに任せろ」

 

玲が顔を上げる。

八幡は窓の外の夕陽を見つめたまま、低く言い切った。

 

「何とかしてやる」

 

その言葉が、春の光よりもまぶしく響いた。

 




次回最終話です。
最後までよろしくお願いします
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。