1級フィクサー ヒンドリー   作:LAN_0704

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続きです。


依頼完了

 

ぴょん、と地を踏み跳ねる。窓を蹴破り侵入した部屋は案の定ゴミが溜まっていた。

生活の痕跡があちこちに見られ、乱雑に放置された容器の中からは油やら調味料などが混じり合ったようなきつい匂いが漂ってくる。つん、と鼻腔を刺激する部屋の空気に顔をしかめながらも、奥の扉の向こうからかすかに聞こえてくる声から対象の存在を確認したことですぐ気を取り直した。

 

「うおっ.......汚ったねえな......」

 

正直なところ、家────嵐が丘(ワザリングハイツ)に住んでいた頃からすれば、考えられないような光景だった。昔一度だけ訪れた、エドガー家が所有している鶫が辻(スラッシュクロス)においても。これは俺に限らず巣の住民ならみんなそのはずで、廃棄物を溜め込んでトラブルになることはあっても、この段階になる前に誰かがフィクサー雇うなり自分で闇討ち仕掛けるなどして殺している。あるいはそれに近しい迫害を受け、生きていけなくなる。

裏路地でも滅多に見ない散乱っぷり.............だと思う。少なくともこのレベルのものは聞いたことがない。

 

「よくこんな場所に住めるな」とボヤきつつ、声のする方向へと歩を進めた。扉を開ける。右手に進み、音を辿っていくと、そこには一人の老人が血をペンキのように塗りたくって真っ赤な怪物のようなものの絵を描いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、その脇には裸の男女数名が、壁に串刺しになって死んでいた。容姿、年齢、全てバラバラだ。若い男もいれば老婆もいる。逆もまた然り。特に、少女と少女が抱き合うように固定され、その背を一本の槍のようなもので貫かれている様子が酷く脳裏に焼きついた。明らかに他より丁寧に貼り付けられている。さながら彫刻のように、その存在を誇示するために飾られていた。

 

 

「────────」

 

 

老人────病む者。依頼書に記載されていたジョルゼアという名前の老人は、一心不乱にキャンバスを血で汚し続けている。侵入した俺の様子に気づくこともなく。バラバラにした手足から搾り取った血液で、怪物の絵を完成させようと必死に手を動かしていた。薬指からこれほどの保護を受けられるだけはあって、ド級のイカレだったらしい。芸術家、その気質を備えた狂人───闇に生き、闇に死ぬタイプの。フィクサーとして働き始めなければ、一生出会うこともなかっただろう。

この貼り付けられた死体は、察するにこの者の()()。どれほどの評価なのかは分からないが、おそら高評価を受けた作品たちを汚さないようにと、この部屋だけは隅から隅まで清掃されていた。

 

傷一つないような純白の壁を伝う血の赤だけが視界を埋め尽くす。あまりにも凄絶なその光景に、一瞬言葉を失い体は固まった。老人の頭を砕こうと振り上げた腕は、間抜けにも挙手の形で静止している。数瞬の後、はっとして状況を再確認するも、その時点で俺がこの部屋に...........この作品たちに気押されたことは、口にするまでもないことだった。

 

 

老人の風貌は、汚穢(おわい)を積み上げたこの家の主としての品格を映し出すように、見るに堪えないほど見窄らしい。目元は垂れ、肌は皺と染みだらけ。真っ白な白髪からは、フケのようなものが頭を振るたびに落ちる。端的に言うなら薄汚いクソジジイだ。それだけでも最悪だが、さらに間が悪く──あの日のヒースクリフのようなボロ切れを身に纏っていた。

 

 

乞食同然の、あの服。

あの時の...........あの、父さんが連れてきた........。

 

「..........!」

 

べちゃ、べちゃ、べちゃ。

血のぺたぺたとした音が俺を現実に引き戻す。

 

「そうだ..........何考えてんだ、俺は」

 

老人の耳にも入らないような小声で、自分を戒めるように低く唸った。気分は悪い。不快だ。この死体たちも、よぼくれた老人の薄汚い見てくれも、全てが。でも状況はそう悪くない。俺に気がつかないということはつまり、隙を晒しているのと同じこと。まさか指の構成員より強いということもないだろう。

 

むしろ、絶好の好機──奇貨(チャンス)だ。

そう考え、背後に回る。禿げた頭、その頂点に向かってかかと落としの要領で脚を振り下ろした。直前になり、ようやく気がついた老人は、けれども最後まで絵への執着を捨てきれずに「時間を」と短く溢した。時間をくれとでも言うつもりだったのか、ぱくぱくと口を動かすのを無視して、俺は脚を全力で振り下ろした。

 

ぐちゃり、という音がした。まず伝わったのは頭蓋を砕く感触。卵の殻を砕くようにあっけのない最期だった。あれほど喧しかった水音はすっかりなりを顰め、絵を描くためにせわしなく動かしていた皺まみれの手はピクピクと痙攣していた。老人の手から落ちたキャンバスは、真っ赤な色に染まって床を濡らしている。

 

殺した。

依頼は無事完了────なのに、何故か胸の内側には僅かな満足感もない。頭を砕いたことで生命保険による復活の線も否定される。原因は未だ不明ではあるものの、これにて事態は一段階する......はず。

むわっと立ち込める血の匂い、そこに混ざる僅かな腐臭。はっきり言って、気分は最悪だ。胃酸を吐き出すような真似こそしなかったものの、後味の悪い映画でも見たみたいに胸の内がざわついている。

 

視界の奥。

この部屋でもっとも目立っている二人の少女の串刺しを見て、今は余韻に浸っているような状況ではなかった。

 

抱き合うようにして貫かれている。

串刺しにされている。

恋人のように繋がれた掌。その上を、長い杭が貫き、少女たちは一糸纏わぬ状態で壁に縫い付けられていた。足も同じような状態だ。俺に背を向けるような構図であり、尚且つ部屋が薄暗く一人目の少女の顔は見えなかった。けれどもその奥........二人目の少女の顔は、はっきりと網膜の奥に焼きついた────焼きついてしまった。

 

 

目がえぐられている。

眼窩は窪み、瞼は切り取られているのか中の様子がよくよく見えた。そこから涙のような血が頬を伝い、口周りの表情筋は酷く歪んでいる。苦悶の最期を迎えたことは容易に想像がついた。

年は.......最後の記憶、つまり俺がワザリング・ハイツを出る前のキャサリンとそう変わらない。つまり9歳、10歳程度の幼子だ。

 

 

血の涙が、(あの子)の姿と重なる。そして抉られた眼窩が、俺があの子の心を引き裂いたあの夜に重なる。置き去りにし、俺もまたあの子の心を抉ったはずだ。今ごろ何をしているのだろう、という疑問が頭に浮かび上がる。そして、未練がましくあの子のこと、あの家のことを考える自分にちょっとした嫌気を覚えた。

 

「......................」

何分かそうしていただろうか。

やがて時間が刻一刻と迫っていることに気がつき、時間までに老人の体を外に出さなければという思いで再び窓を割った部屋まで死体を引きずる。頭蓋が砕かれ、弾みで首まで折れたのかだらんとしていた老人の首を掴み、外に向かって投げ飛ばした。

 

 

どさっ。

鈍い音が、夜の空気に反響する。

頭の中は、先程の部屋のことでいっぱいだ。あんな幼い子供が残忍に殺されているということに少なからずショックを受けたというのもあるが、子供が死んで、あの老人が長らく生きながらえていたという理不尽さに目まいを覚えた。

 

 

きっと、こうして何十年も殺してきたのだろう。

薬指の保護をいつから受けたのかは分からない。しかし一朝一夕で身につくような所業──技術ではないはずだ。複数人の人間を捕らえて、殺し、バラバラにして壁に貼り付けるなど、ただの快楽殺人鬼にできる真似とは到底思えない。そこには積み上げた業がある。ワザとゴウ、二つの意味で。いくつも積み上げ、手を汚し続けてきたはずだ。

理不尽だと思う。子供が殺されたこと、そして裏路地ではこんな事は大して珍しくもないということ。20区はまだましな方で、23区、そして外郭で起こされている惨状に比べれば、こんなものは子供の児戯に等しい。それに────こうして妙な感傷に浸っているけど、誰かから見れば俺もまた、四人もの人間を手にかけた人殺しなんじゃないのか?

 

掌を見つめる。

頭を砕いた細身の男の血で濡れている。ある程度は拭き取ったものの、赤い血痕はまだ肌の上に残り続けていた。あの男にも、大切に思ってくれた人がいるかもしれないし、現に髭の男は仲間の女を深く想っていた。彼らにしてみれば、俺と老人などさほどの違いもないのだろう。

 

「.................結局、どこに行ってもみんなやってる事は同じなのか」

 

 

老人も、俺も。

自分がやりたい事をするために力を奮い続けているという点においては変わらないのだと...........そう考えた時、奇妙な諦観のようなものが頭を満たした。別に正義を気取っていたつもりも、自分のやっていること正しいと言うつもりもないが、それでもやはり"俺はあいつらとは違う"と線引きをしていたのだろう。フィクサー稼業と殺人趣味は違うと、思いたかったのかもしれない。その区別が........緩やかに消えていくように感じた。

 

 

自分の道を歩くためには力を奮う必要がある。

翼に入社して裕福な暮らしを行いたいなら学力を身につけ、裏路地でのしあがりたいなら力をつける。特別な才能を持っていない人間は強化施術やら義体やらに手を出して補い、手に入れた力で得た金で、更なる力を手に入れる。弱者は淘汰され、踏み付けにされ、永遠に強者に搾取されるしかなくなる。それが都市のルールで、そこには裏路地と巣の区別などない。

 

頭の中からもやが晴れるような気分だ。

都市の痛みから逃れるため、懸命に生きる人々。その手段は人によって異なる。ある人は力に、ある人は薬に、ある人は芸術に、そしてまたある人は、酒に溺れることで苦痛から逃れようとする。

 

一瞬────ほんの一瞬だけ、頭の片隅に奇妙なイメージが映った。俺だ。今からもっと時間が経ち、酒に溺れている俺。見窄らしい格好で、ワザリング・ハイツで大声をあげて誰かを罵っている。

 

████と結婚し、俺から家を盗んだ████。

そして再び姿を現した...........████の姿。

 

その全てのイメージが像を結び、一つの未来として頭の中に描かれていく。妙に現実味があって、ボタン一つでもかけ間違えればああなるのではないかと、本気でそう思わせるような............。

 

ぶんぶん、と頭を振り払う。

嫌なものを見て、嫌な想像をしてしまったのだと、自分にそう言い聞かせる。血の匂いと、家の悪臭が混ざり合って胃を強く刺激する。冬の寒さが肌をなぞり、一気に全身が震えていった。「早く終わらせよう」と、持ち込んだ写真機の方へと手を伸ばす。一度地面に降り、四人の死体の前でシャッターを何度か切り、再び家の中へと舞い戻る。

 

そして────時間だ。

始まった..........みたいだな。

 

コポコポ、という音が耳につく。開いた窓の向こう側から、"波"が押し寄せている。全てを掃いて捨てる掃除屋の波が..............裏路地の夜が、けたたましい泡沫が弾ける音と共に始まった。

 

 

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