「なんと、ゼウスの神器が」
「様を付けてくださいませ。仮にもあの方は全知全能の神であり、ワタクシ達にとっては上司的な立ち位置にいるわけなのですから」
人間が住まう地上界とも、そんな人間達を見守るためにいる天使のような神聖なる存在達が住まう天界でもない。
そこは自然を愛し、“自然を守るための者達”が住まう場所。
“自然軍”
すなわち、ここは『大地を司る神』が治める神聖な世界。
周囲は緑で覆われ、生き生きとした空間が広がっている。元々は何も無かったらしいのだが、ここにあの“天使”が一時的にやって来たので戦の支度のために設備を整えられる空間を作ってやった。
自然にできた空間に誰かの手が加えられることをあまり良く思わない、そこの“主”。
だが、この自然軍に“新たに迎え入れた幹部”のことを想い、“彼”が住みやすい空間にするということを考慮して、遺憾には思うが天界に住まうパルテナの領地を参考にして神殿のような世界を作り出した。
そんな自然に愛された世界で仕事をしていた女神────“自然王ナチュレ”は。
血相を変えて訪れた自然軍幹部の一人である“静寂のアロン”の話を聞いていると、細かいところを指摘されたことで子供のように拗ねて頬を膨らましていた。
「わらわは別にパルテナのように天界に属しているわけではないからのう。それはもちろん地上を邪悪なる者共から守る側ではあるが、あくまでもわらわ達は自然の味方。人々の暮らしを守る事を第一に考えている天界の者達とは反りが合わず、だからと言って敵対することは望んでおらんからこそ、中立としての立ち位置を獲得しているわけじゃ。よってわらわ達への余計な手出しもせず──────」
「要はナチュレ様はゼウス様のことを上司と思えない、ということでございますね?」
そうアロンが指摘すると、ナチュレはより一層幼女みたいに不貞腐れる。
「仕方なかろう! ゼウスだっていつまでもわらわの事を子供扱いしておるし!! それに加えてわらわが地上のためにと思って落とした『初期化爆弾』のことを彼奴は『まるで癇癪を起こした子供が思い通りにならなくて駄々をこねた故の愚行』と罵ってきたんじゃ!! そんな奴相手に忠誠を誓おうにも誓えるわけがなかろう!!」
以前にナチュレは人々の争いが醜いからという理由で『初期化爆弾』と呼ばれる兵器を使って強引に止めさせたことがある。
あの時のナチュレは自然を第一に考えており、人類は己の欲望のためだけに世界を破滅の道へと導いていると思っていた。
一方的に生物を狩っては大地を削り、自然や動物達から生きる場所を奪うだけでなく、自分達は食物連鎖から逃れている。
他に生きる者達を蹂躙しているくせに、自分達のことは特別扱い。
このままでは世界が滅亡するのも時間の問題であるということで、手遅れになる前に人間達を浄化してやると考えていた。
さらに人間は欲望に忠実で自らのことばかり考え、根も葉もない噂ごときで互いを憎み合うこともあり、最悪の場合は命を取り合っている。それだと生きる者としての筋が通らないので、ナチュレは見るに堪えない現状に嫌気が差し、世界を一度リセットするという意味を込めて世界を滅ぼすほどの爆弾を投下した。
それが自然王としての務め、そう思っていた時があった。
しかし。
自分でやっておいて、彼女はあることに気付いてしまった。
自分の行いが、皮肉めいたことだったということに。
世界を滅ぼすほどの爆弾というのは文字通りの意味であり、地球のあらゆる自然を守る側である者自身が世界を滅亡させるというのは、なんとも皮肉な話である。
初期化爆弾はおそらくその場にいる者達を自然に還すだけで、その後に残るのは破壊の跡しかない。その光景はお世辞にも緑溢れる自然とは程遠く、禍々しい色で染まっていた。初期化爆弾には多少なりとも自然の成長を促す効果が含まれていたのかもしれないが、落とされた場所の内部の光景は目も当てられないほど悍ましく、生命の力が暴走して破壊の限りを尽くしていた。
初期化爆弾が落ちた場所の内部には幹のようなものが生えていたが、葉っぱ一つ見当たらなかった。
大爆発で巨大植物が生えると言っても、その用途は破壊に特化しており、あれでは育つものも育たないだろう。
作物を育てようにも土地は枯れ、周囲の水は干上がり、いずれは元に戻ると言ってもいつになるかわからない。
世界を緑溢れる場所へと戻すということを考えていながら、自分もまた破壊することでしか目的を達成できないという愚かな矛盾に気付き、これではあの“天使”が自分のことを“破壊王ナチュレ”と言うのも仕方ないと思うようになった。
認めたくはないが、あのやり方では自分が納得できるような世界にはできない。
それに気付いてからというもの彼女は初期化爆弾は保有しているものの、使うという選択肢は捨て去り、また別の道を探すことにした。
とはいえ。
過去の出来事は変えることはできない。
だから全てを司る神であるゼウスはナチュレがした一連の行いを愚行だと罵ったのだ。
自然を司る神でありながら自分もまた自然を破壊する。
なんとも馬鹿馬鹿しく愚か。
それ故にゼウスは鼻で笑った。
今はそのことを悔いてはいるが、まだ何もわかっていなかったあの頃、鼻で笑われたことを根に持っているナチュレはゼウスのことを嫌っていた。
「まあ、あれはそういうものであったわけですからねぇ。物事を強引に終わらせるような行為はいつだって当人の能力不足が原因だと指摘する者が大半であり、傍から見ると『機械慣れしてないからってそれに八つ当たりしているだけの大人気ない行為』にしか思えないわけですから。現にナチュレ様は以前に昔のゲームやりたいからと中古でファミ■ンを購入しようとしていましたが、そもそもネット通販のやり方がわからずに長時間奮闘した挙句、最終的には思い通りにならないからってワタクシがやっとの思いで買えた最新タブレットを壊して················」
「あ、あれについては謝ったであろう! それにそもそも今の機械が不親切なんじゃ!! どこも最新式にしすぎておるせいで却って余計にわかりにくいし、購入ページに行こうとしたら変なところを押して訳のわからんサイトに行ってしまうし!!」
「挙げ句の果てにはファ■コンがプレミア価格で高すぎるからという理由でワタクシ達の給料が一時期安くなっていたこともありましたね················結局買えずそのあと最新ゲーム機のオンラインサービスでプレイできたようで何よりですが」
「な、何故それを────!? じゃなくて!! あ、あの時はその、あれじゃ!! ほら!! 不況だったのじゃ!! 地上との関わりが厳しくなってからというものわらわ達の活動も難しくなったわけじゃから!!」
「なんなら公式の抽選に落ちたからということで当たるまで色んな所に応募しまくって、それで応募条件を満たすためにわざわざいらないものまで購入したりしておりましたね」
「ち、違っ!? 本当に欲しいものがあったのじゃ!! それで五万以上購入していたら抽選に申し込めるって書いてあったからついでに応募しただけなんじゃッ!!」
言い訳に次ぐ言い訳。
あまりの横暴に流石の執事体質のアロンも顔を曇らせている。じいや的なキャラ作りをしている以上、そんな情けない表情をしている自分を見られたくないのか天を仰ぐように顔を上へと向けているが、気のせいか片眼鏡が見える横顔から一筋の雫が頬を伝っているのが見えた。
自然の女神であるナチュレでも、その見た目通り子供らしい一面を持ち合わせているようで可愛らしいが、今回ばかりは耐えられなかったようである。
ナチュレは一度コホンと咳き込むと、話題が逸れてしまったことで話を元に戻そうとしてくる。
おそらく、自然軍に属している者達は一生忘れないだろうが。
「それで、ゼウスの神器が消えたことで地上に何か変化はあったかの?」
「そうですね。今のところは雷雲が発生しているものの稲妻はない状態のようで················ただそれによって“エレカ様”が」
「ん? なんじゃ? “電光のエレカ”がどうしたというのじゃ?」
自然軍の幹部の一人であり、最強の戦士。
“電光のエレカ”
ナチュレ自身もエレカのことを我が軍最強と認めており、稲妻のスピードとパワーを備えたクールビューティーと称えるほどに強く、冥府軍でしつこく生き残っていた死を司る神である“タナトス”にも打ち勝つ程である。
そんな彼女に異変があったと告げられる。
「ナチュレ様もご承知の通り、エレカ様のお力は稲妻でございます。そのためゼウス様の神器、
「まさか·········!?
そのまさかである。
そう言うようにアロンは悲しげな表情をしながら俯く。その表情はとても暗く、あのナチュレでさえもそんな顔をされたら嫌でも驚愕に染まる。
我が軍最強の戦士であるエレカが、戦闘不能の状態にまで陥ってしまったのだ。
たった一つの神器が消えただけで。
エレカは電光という通り名がある通り、その力の源は稲妻である。電気の力で冥府軍達を圧倒したエレカであるが、その力は有限ではなく、ある程度失われたらチャージしなくてはならない。以前は廃棄された空中庭園にあった避雷針を使って充電していたのだが、あの天使が一度倒してしまったことで機能が失われて跡形もなく崩れ去ってしまった。
とはいえナチュレの加護があれば復活でき、避雷針と雷さえあれば彼女はまた力が戻るのでそこまで困っていない。
だが。
雷そのものである
自分の配下が異常事態に陥ったことで目の色を変えたナチュレは勢いよく立ち上がり、恐ろしい速度で自分よりも背の高いアロンへと詰め寄った。
「エレカは!? 今どういう状態じゃ!? まさか余命幾許もない所まで行っておるのか!?」
「そ、それがですな·········」
「なんじゃ!? わらわの大切な部下が死にかけているかもしれんのじゃぞ!? 勿体ぶらずに申してみよ!!」
ナチュレが血相を変えて詰め寄りエレカの容態を聞かれたが、アロンは答えるのを言い渋った。
そのアロンの様子を見たらナチュレはより一層不安そうな顔になったので、彼女の今の状況を嘘偽りなく伝えた。
「そのぉ〜········電力が補給できなくなったからということで、現在エレカ様はストレスが溜まりに溜まって自室に籠っております」
「········ん?」
目を点にするナチュレ。
アロンが何を言っているのか半分も理解できていないのだろう。心配していたナチュレはアロンの服を掴んでいたが、腑抜けたような顔になったことで力が緩み、思わずその場で固まっていた。
アロンは気を取り直すように一度コホンと咳をすると、
「簡単に言えば『うつ病』ですな。唐突に力を失ったことで過剰なストレスや喪失感に襲われ、更に環境の変化に追いつかずに精神が病んでしまって、人や外の環境を避けるようになり、結果として引き籠りへと至った次第です」
「そうか········うつ病、であったか」
一瞬安心しかけるナチュレだが、アロンはすぐに切り替えるように真剣な声色で言う。
「ですがナチュレ様、うつ病を甘く見てはなりません。あれでもエレカ様は人一倍責任感が強く、力を失ったことで現在は無気力となっておられます」
「確かに········そうじゃな」
「うつ病というのは、考え方の視野が極端に狭くなる心の病気なのです。現在エレカ様はうつ病になったことで自暴自棄、自己嫌悪に陥っております。自分の力が失われたことで戦力外であるとお思いになり、それで今誰とも関わりたくない故に自室に引き籠もっておられるご様子。本当はそんなことはないのに、しかし誰の声も届かない孤独の闇の中で苦しみ続ける。エレカ様は今そこから抜け出せず、最悪の場合はずっとそこを彷徨い続けることになって心が壊れる恐れもあります。どうか、彼女のためにも適切に対応をしていただきますよう、ワタクシからもお願い申し上げます」
「うむ········」
そう、これは他人事ではない。
ナチュレはエレカのことを考える。
エレカは自然軍の最強戦士、その立場故に期待されることも多かった。それに応えるように彼女も頑張ってきた訳だが、その力が振るえなくなった今、自己否定を繰り返していることだろう。
現代で言い換えるなら、今まで期待に応えられていたサラリーマンがたった一度のミスで左遷され、誰がやっても変わらないような部署で自分の存在価値がわからなくなり、最終的に自分はその程度の存在だったのだと決めつけ、過剰なストレスを作り出して適応障害やうつ病を発症してしまったようなものだ。
出世も昇進も望めない、誰でもできる仕事。
そんな人生になんの意味があるのだろう、と。
それならば、いっそのこと··············という状況にまでなってしまえばエレカはもう二度と復帰できない。
うつ病は実は恐ろしい病気であり、希死念慮まで出てきたらそれこそ取り返しのつかない状況にまで発展してしまう。加護で蘇るからといって、心まで戻るわけではない。体が元に戻っても、その時の記憶は残ったままである。であれば辛かった頃の記憶を消してしまえば、なんてのは以ての外だ。それこそエレカの存在意義を奪う行為になる。
前を向いて欲しいと励ますだけではダメだ。その人の気持ちを理解し、抱えている苦しみにも気付いてあげなければ。
一刻も早く、彼女の心のケアが必要だ。
であれば、やることは決まっている。
「別にわらわはそんなことは気にしたりはせん。たとえ力を失っても、エレカはいつまでもわらわの大切な配下。いつものようにわらわの側にいてくれるだけで満足じゃ。じゃが、それでもエレカは納得せんじゃろう。今まで出来ていたことができなくなった時の喪失感による絶望は、黄泉の深淵よりも深い。じゃから気持ちが痛いほどわかるのじゃ、“彼奴”もかつてはそういう状況に陥っておったしの」
今はここにはいない、あの“天使”から生まれた“コピー”だって自分の在り方について悩み、どこにも所属せずに孤独のまま空を飛んでいた。
それでとあることをきっかけに空を飛ぶ力を失い、流れ的に自然軍へと身を置くことにした。
“彼”の性格はあの“天使”とは真反対であるため心は開いていないように見えるが、実はそうではない。
本当は、自分の存在を認めて欲しかった。
あの天使、“ピット”から生まれた存在である“彼”は一度パルテナに存在を否定された。本当は生まれるべきものではなかったと否定され、顔には出さなかったがそれに絶望していた“彼”はパルテナ軍と敵対していた。
性格は真逆でも、ピットから生まれたというのならば少なからず彼の根幹を引き継いでいる。
本音はパルテナの傍にいたい、しかしすでにその位置には自分の本体がいる。
ならばせめてパルテナ達の力になりたい。
だからあの時、パルテナが我を失って魂を抜かれた時も助けに入ったのだ。
たとえ、存在を否定されても。
ピットの心を少なからず持っている“彼”も、自分を認めてくれる居場所が欲しい。
それを察していたナチュレは“彼”を迎え入れ、そのまま幹部にした。
別に忠誠心とか期待していない、ただ“彼”に居場所を与えたかっただけだ。
だが。
そろそろ借りを返して貰っても良い頃合いだ。
ナチュレは子供らしくニヤリと笑うと、アロンに命令する。
「“彼奴”を呼べ!! この状況で任せられるのは“彼奴”だけじゃ!! たとえ寝ていようとも遠慮はいらぬぞ!! 叩き起こしてでも連れてくるのじゃ!!」
「かしこまりました、ナチュレ様」
礼儀正しい振る舞いで主の命令を聞き入れるアロンは、そのままナチュレのいる部屋から出ていく。
自然軍の最大の危機だ。
ナチュレは素直になれない“彼”のために、一番性能が良い神器を用意して待つ。
♡♥♡♥♡
銀の毛並みが陽光に当てられ輝いている。
二頭の馬。
鬣は通常の馬と違ってアメジスト色に染まっており、そして伝説の神獣のように神々しい角が生えている。
つまり、この二頭はただの馬ではない。
一見普通のサイズに見えるが、この馬達は銀河を駆け抜けることができる戦車の輓馬であり、『光のトンネル』と呼ばれる特別な道を作り出してその強固な角で眼前の障害物を砕き、特殊なエネルギー弾を発射できる能力もある。
パルテナの神殿に張られている突破不可能と言われている頑丈なバリアをも破ることができ、そんな馬達はこう呼ばれている。
“光の戦車”
かつての主がパルテナ軍のピットに譲ったものの、彼が目的を達成してからは戦車自体は自然軍が管理するようになった。
だから世話をするのも大変で、今日の朝食を用意するだけでも一苦労だった。
「ほら食え。“フラッシュ”、“シルバー”」
二頭のために用意された食事は貴重な食材で、ナチュレの力がなければ手に入らなかった。
虹の果実であり、実るのに千年はかかると言われている。
それを自然を司る神であるナチュレは自身の力を最大限に利用して、実るまでの時間を一気に短縮させた。本当はそんなことをしたら植物の寿命まで縮めてしまうためしたくないのだが、仕方がなかった。
光の戦車の馬はその強大な力ゆえ、燃費も悪い。
要は二頭とも凄い食欲の持ち主だったのだ。
だから運ぶ時は丁重にと念を押され、慎重に運び込んだことで掻いた汗を拭うと、水桶を手に取って二頭に水を与えるため歩き出した。
彼がここに来てからもう数年が経ち、すっかり自然軍での生活に慣れてきていた。
見た目的にはピットと同じく推定一三歳に見えるが、彼とは違ってこっちは本当の意味でまだ若い。
彼は生まれ方が特殊で、人の心の中を映してその邪心から魔物を生み出す『真実の魔鏡』と呼ばれる冥府軍が保有していた魔道具からこの世に生まれ出た。
パルテナ達はこれを破壊すれば冥府軍の部隊が増えるのを抑えられると考え、だがそこでピットが粉々に砕く際に魔道具の効果が発動、彼にそっくりな存在が生まれてしまった。
だが。
幸か不幸か。
それは冥府軍に忠誠を誓うこともなく、ただ己が望むままに生きるだけの存在となった。
よって彼は時には敵対し、また時には助けてくれるという、何だか動機がよくわからない中、だが最終的には冥府軍を打倒するために手を貸してくれていた。
冥府軍の侵攻が無くなった今、彼はこの自然軍に身を置き、今では幹部となっている。
しかし世の中が平和すぎて出撃する機会が一向に訪れず退屈しているのか、物足りなそうな表情をしながらも優しく馬達の頭を撫で、水桶から新鮮な水を桶に注いだ。
「まったく··············何で俺がこんなことを」
任された仕事はきっちりと熟すが、だが退屈なことには変わりない。
好戦的な性格をしている彼からすれば、こんな日常は似合わないのだ。
背中の翼が使えれば、本当なら彼は今頃空を自由に飛び回っていた。行きたいところにいつでも行くことができ、しかし今はその力が失われてしまったので、流れ的にここに滞在している。別に不自由はしていない、空を飛びたいと念じれば主人が快く許可をしてくれるのでそこまで困っていない。
だが空を飛べる時間は限られており、そして今までのように自分の意思で翼を動かせなくなったから、そこだけが不満だった。
深いため息をする少年。
「おや? そんなに長いことため息をしていると幸せが逃げてしまいますよ“ブラピ様”?」
「ブラピって呼ぶなと言っているだろう、オレは“ブラックピット”だ」
ピットの色違い的な存在、純白の天使ではなく堕天使っぽい姿でありながらも心までは完全に闇には染まっていない天使。
“ブラックピット”
名前を全部言うのがみんな面倒臭いのか、彼のことを“ブラピ”と呼ぶ者が大半である。
ブラピは一旦作業の手を止めると、珍しくここにやって来たアロンを強い目で睨む。
「で、何の用だよ?」
「そう警戒なさらずとも、貴方様にとっても悪い話ではないですよ」
勿体ぶるアロンにまた目を鋭くさせるが、そんな彼に用件を述べると目の色が変わった。
「どうやら、貴方様がずっと望んでいた出撃命令が与えられるみたいです。急ぎナチュレ様の元へと向かっていただけますか?」
その言葉を聞いた途端、彼は一瞬目を見開いたが、すぐにその顔は歓喜に変わる。
退屈ばかりしていた彼の元に、ようやく出撃命令が下される。
その事実を前にして、ブラックピットは薄く薄く笑っていた。
♡♥♡♥♡
『はい、えーこちら現場の咲森です。昨日の夜、アーティストである風鳴翼のライブが行われましたが、その会場周辺で大規模な停電が発生しました。現在、一部地域では復旧しているところもありますが、ここ会場付近はまだ戻っていない模様です』
大雨の中。
手に持っているマイクをもっと近づけなければ声が聞こえないほどに、降り注ぐ雨音が激しい。
レポーターがいる場所、そこはとても危険なのか安全のためのヘルメットを着用している。
その背後。
見るも無惨な状態となっているライブの会場はそこから遠い場所にあり、崩壊に巻き込まれたりしたら危ないので離れた場所で撮影をしているようだった。
事件当時は大規模な停電によって街は闇に染まり、そして電力系統だけでなくスマホや防犯カメラ、車のヘッドライトまでやられてしまったことで未だにこの街は完全には機能を取り戻していない。
今レポーターを撮影しているカメラは被害がなかった場所から持ってきた借り物だろう。
だがまだ余波が残っているのか、カメラの映像は少々粗かった。
スタジオに届けられる映像が不明瞭で、雨に打たれる街並みでの取材は極めて困難。
これで放送事故にならないのが不思議なくらいだ。
『未だに停電の原因については掴めていないようで、周辺の学校や会社なども電気が使えないため本日は緊急で休みとなった所も少なくありません。後ろに見える会場にも崩壊の危険があるとして近づけず、非常線を張るなどをしている様子から緊迫した空気が伝わってきます』
ブツン、と。
ニュースの中継映像を一度切り、大柄な男────風鳴司令は険しい表情となる。
本当に悔しいが、あの状況に対してこちらが出来る事は何もなかった。
最新式の設備もイカれてしまい、行動に移すには何もかも手遅れだった。
それほどの強大な力によって電力を無効化され、せいぜい無事を祈るぐらいが関の山だったが、それにしたってもっと何かできなかったのか。特異災害から人々を守るという立場でありながら、設備が何もかも機能しなくなった途端に無力になるとは。確たる情報も手に入らず、動こうにも下手に動けば逆に被害が広がる。
実際、無理に手に入れようとしたらウチの優秀な錬金術師の少女が目を覚さない状態になってしまった。
みんなが何とかしようとしているなか、自分は呑気に映画を借りに行っていた。こんなことが起きるなんて誰も予想していなかったのだから彼のせいではないとみんな思っているだろうが、風鳴弦十郎はそうは思えない。
まさしく役立たず。
本部は無事だったが事件現場周辺の情報が掴めなくなっただけで何もかも遅れてしまった超常災害対策機動部タスクフォースS.O.N.G.は、結局装者達が無事に解決してくれることを祈るしかなかったのだ。
それでどうなったか。
少女達は必死に戦ったというのに、最終的には犯人らしき人物に逃げられ··············この有り様だ。
「くそ」
風鳴司令は奥歯を噛み締めながら今別室にいる装者達のことを思う。
酷い状態だった。
特に自分の姪の風鳴翼。
あちこちに巻かれた包帯や、貼り付けられたガーゼ。
外傷を目立たなくするようにはしているが、それでも心の傷は癒えないだろう。
今回は、何もかもに負けていた。
情報戦からも、謎の襲撃者からも、そして未知なる聖遺物からも。
だが。
いつまでも落ち込んではいられない。どれだけ打ちひしがれようが、敵は待たない。彼女達の話によると、犯人はまた自分達を襲いにくるかのような口調だったので、当然ながらただ黙ってやられるわけにはいかない。
やるべき事は分かっている。
二度と敗北しないために、何がなんでも立ち上がるべきだ。
「藤尭··············響君の行方は掴めたか?」
「それが、努力しているんですが影も形も掴めず」
それで今、自分達にとって大切な仲間が行方不明だ。
立花響。
話によると、“天使みたいな姿をした少年”に掴まったらそれと一緒に何処かに消えてしまったらしい。彼女に持たせている通信端末も先の大規模停電でやられたのか、全く機能しなかったので跡を追えなかった。
装者達の言う“天使みたいな姿をした少年”については意味がわからなかったが、今回の事件に関わっているのは分かる。
立花響の行方を追う一方で、その少年も追う。
全ての優先順位が決定し、風鳴弦十郎はゆっくりと立ち上がった。
「何としてでも見つけるぞ。その少年には聞きたいことが山ほどあるんだからな」
目の前で作業している者達は振り返らない。
しかし返事をしない代わりに、彼らは作業の手を止めることなく、むしろ更に働かせる。
やるべき事は、分かっている。
何がなんでも。
立花響を見つけ、そしてこの事件を解決に導く鍵である『天使の少年』を見つけ出すのだ。
♡♥♡♥♡
────おい死ぬな!!
頭の中に響く、懐かしい声。
────目を開けてくれ!!
自分に必死に呼びかけてくる、尊敬している人の声。
────生きるのを諦めるな!!
誰なのか、それは自分がよくわかっているはず。
目を開けた先にいる、その姿は。
♡♥♡♥♡
「“奏さん”ッッッ!!!??」
「おっごおッッッ!!!??」
ゴッスッ!! という凄まじい衝撃と共に、少年の全身が弓なりに反った。
看病していた少女が急に起き上がったせいで頭に鈍痛が走り、鼻から愉快に血を噴き出し視界が激しく回って、天使の輪の代わりに頭に星が舞う。
そして。
そして。
天使の頭さえもぐらつかせる一撃を喰らわせても平然としている少女、立花響は寝ぼけた頭を振って見回すと、あの時抱き着いた天使の少年がすぐ隣であまりの痛みに苦しんでいる姿を見つけ、それを自分がやってしまったのだと自覚したら慌てて寝かされていたベッドから抜け出して駆け寄った。
「ご、ごめん!! 大丈夫!?」
「き、記憶の一部が、吹き飛んだ気が、する··············ッ!!」
危うくも今度は自分が寝る側になってしまうところだったが、何とかそれだけは食い止められた。
脳震盪を起こさせるほどの頭突きを喰らわせてきた立花響を見る天使の少年。
その姿は全く似ていないが、声を聞くとどうしても懐かしく思えてくる。
二人はしばらくぼうっと見つめ合っていたが、天使の少年は震える脳を押さえるように頭に手を置き、響に背を向けると呂律が回らない舌で言う。
「とりあえずぅ、ついれきれ。会わせらいひろがいるんら」
「え? あ··············う、うん」
言って、少年はドアを開ける。
ドアの外はとても広く、まるで神殿のような作りになっていた。
建築関連の知識はない響でも、歴史的な神殿の造りも、床を飾るモザイク模様も、何もかもが美しい。
少年は外へと繋がる廊下へと出ると、ふらふらとした足取りで歩みを進めていった。
外の廊下は横へ移動する造りになっているため、そのまままっすぐ行けば激突してしまうのだが、
ガン! と。
絶対に良くない音を立てて頭を壁に打ちつけた少年は、そのままズルズルと地面へと倒れ込む。
「ちょっ!? 本当に大丈夫!?」
「へいき、へっちゃら」
少女がいつも言っている口癖をたまたまその口から吐き出す天使の少年、ピット。
声は似ているのに、その全身から発する雰囲気も、何もかもが違っていた少年に響は非常に心配になり、
横から介添えのように手を差し伸べ、腕を取られて自分の肩に回しながら少年が向かおうとしている方向へと一緒に歩いていく。