やさぐれ女と時々奉仕部   作:レゾリューション

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決定的な場面では、誰も救えないタイプ

霜月は、三浦の方へと視線を向けたまま、ふっと肩の力を抜いた。

 

「縦ロール。アンタが知りたいのは、昔なにかあったかどうかじゃないわよね」

 

声は、いつもの気怠げな調子に戻っていた。ほんの数十秒前まで、感情を切り離した冷気のような言葉を浴びせていた人物と同一だとは、とても思えないほど自然な変化だった。

 

だが、その落差こそが、三浦を余計に混乱させていた。

 

つい先ほどまで三浦の瞳に宿っていた、他人を威嚇するような攻撃的な光は消えている。代わりに、張り詰めていたものが一気に緩んだせいか、目元には今にも零れ落ちそうな潤みが浮かび、視線は落ち着きなく彷徨っていた。

 

「葉山を理解したい。ただ、それだけでしょ」

 

霜月の言葉は、問いではなかった。確認でも、誘導でもない。ただ、見抜いた事実を淡々と口にしただけだった。その断定に、三浦は思わず息を詰める。

 

「あ、あーしは……ただ……」

 

言葉が続かない。口を開いては閉じ、何かを言おうとしては引っ込める。取り繕おうとするほど、声は勢いを失い、次第に小さくなっていった。

 

「……なんか、もうちょっと一緒だったらいいかなって……ちょっと思っただけで……」

 

視線は床と空中を行き来し、言葉は言い訳めいて途切れ途切れに零れる。

 

「その……このまま、みんな……」

 

最後まで言い切ることができず、三浦はゆっくりと肩を落とした。張り詰めていた糸が、ぷつりと切れたようだった。

 

「……隼人、最近……距離あるし……」

 

床の隅を見つめたまま、ほとんど独り言のように呟く。

 

「……なんか、このまま行きそうだし……」

 

そこにあったのは、怒りでも虚勢でもない。

変わってしまう関係への恐怖と、取り残されることへの焦りだった。

 

沈黙を破ったのは、比企谷だった。

 

「三浦。葉山が教えないってことはさ」

 

少しぶっきらぼうな口調だが、そこに棘はない。

 

「お前には知られたくないってことなんじゃねぇのか」

 

空気が、ぴんと張り詰める。由比ヶ浜と雪ノ下は、思わず比企谷の方を見た。あまりにも直接的で、突き放すようにも聞こえたからだ。だが比企谷の視線は、まっすぐ三浦に向けられていた。

 

「踏み込んだら、嫌がられるかもしれないぞ」

 

嫌われるかもしれない。疎まれるかもしれない。厚かましいと思われ、今ある関係が壊れるかもしれない。

 

「それでも、知りたいか?」

 

比企谷は、そう問いかけていた。

 

三浦は、迷わなかった。

 

涙を溜めた瞳で比企谷を睨み返し、ぎゅっと拳を握りしめる。

 

「……知りたい」

 

声は震えている。だが、逃げなかった。

 

「それでも……知りたい……」

 

小さく、しかし確かな声だった。

 

「……それしか、ないから」

 

「分かった。出来る限りやる」

 

その答えは、ずっと彼女の中にあったものだった。ただ、見ないふりをしていただけなのだ。理解したい。わかっていたい。置いていかれたくない。その想いが、ようやく表に溢れ出し、三浦は必死に震える息を飲み込んでいた。

 

 

その想いに比企谷は答えた。完全な答えは出せない。それでも依頼を受けたのは少し前の自分達とどこか似ていたからかもしれない。部室の空気は、静かだった。だが、その静けさの中には、確かに三浦優美子の本音だけが残っていた。

 

 

 

 

 

やがて、三浦が部室を後にすると、張りつめていた空気が一気に緩む。

 

 

霜月と雪ノ下を除いた二人が、まるで示し合わせたかのように、同時に長い息を吐いた。張りつめていた空気が、そこでようやく緩んだ気がした。

 

「しもっち……ちょー焦ったよ!」

 

由比ヶ浜は胸元を押さえ、心臓の鼓動を落ち着かせるようにしながら続ける。

 

「優美子、めっちゃ震えてたし……あたしも正直、怖かった!」

 

声は大きいが、どこか弱々しい。冗談めかした調子を装ってはいるものの、先ほどの光景が頭から離れていないのは明らかだった。

 

「それな」

 

比企谷も、深く背もたれに体を預けながら肩を落とした、

 

「マジで霜月に恐怖心覚えたぞ...あの目、完全に暗殺者のそれだ...」

 

半分は軽口、半分は本音。あの瞬間止めに入るという選択肢すら頭から消えていたことを、比企谷自身も自覚していた。

 

その言葉を聞いて、霜月は机に頬杖をついたまま、小さく鼻で笑った。

 

「失礼ね。ちょっと話のトーン落としただけよ」

 

声は相変わらず気怠げで、先ほどまでの張り詰めた気配は微塵もない。まるで、少し声量を下げただけで場が凍りついた事実など、まったく心当たりがないかのようだった。

 

「いや、あれを“ちょっと”って言えるのがすごいんだけど……」

 

由比ヶ浜が小声で呟き、比企谷も無言で同意する。

 

二人は顔を見合わせ、苦笑するしかなかった。

 

あれを「ちょっと」と言い切れる感覚。怒鳴ったわけでも、手を上げたわけでもない。それなのに、確かに人の心を抉り、逃げ場を塞ぐ圧があった。一番怖いのは、感情をぶつけたことじゃない。感情を完全に制御したまま、相手の核心だけを突きに行った、その冷静さだ。

 

 

そんな感想を、二人は共有していたが、口に出すことはなかった。出したところで、霜月が気にするとは到底思えなかったからだ。一方、雪ノ下はただ静かに、霜月の横顔を見ていた。そこには評価とも警戒ともつかない、複雑な色が宿っていたがそれを言葉にする者は、やはり誰もいなかった。

 

 

 

 

 

そんな中、霜月は椅子の背にもたれ、半目のまま比企谷を見た。その視線には、期待も信頼も一切含まれていない。ただの事実確認いや、詰問に近い。

 

「てか、比企谷。アンタ依頼勝手に受けたけど……アテはあんの?」

 

声音は低く、乾いていた。希望という概念をどこかに置き忘れてきた人間の声だ。

 

正直、三浦の依頼は地雷以外の何物でもない。

赤いランプが点滅してるどころか、「踏むな」と看板まで立っているタイプのやつだ。

 

(……あ、奉仕部の依頼って大体地雷だったわ)

 

そこまで考えて、霜月はわずかに眉をひそめる。

 

(っていうか、半年以上ここにいて今さら何言ってんのよ私)

 

そもそも、自分で解決できないから奉仕部に依頼が来る。つまり、地雷じゃない依頼が存在する理由がない。そのあまりにも当然すぎる結論に、今さら辿り着いた自分が腹立たしい。

 

「まぁ、やるしかないだろ」

 

比企谷は椅子にだらりと体を預けたまま、投げやりに言った。“考えた結果の諦観”ではなく、“最初から諦めている男”の声である。

 

「あなたって人は……」

 

雪ノ下はこめかみに指を当て、深いため息を吐いた。その仕草だけで「頭痛の原因がまた一つ増えた」と雄弁に語っている。

 

「依頼を受ける前に、もう少し慎重さというものを」

 

「慎重にやってたら、奉仕部なんて存在しねぇだろ」

 

「……それを言われると否定できないのが腹立たしいわね」

 

雪ノ下はぐっと言葉を飲み込み、視線を逸らした。そのやり取りを横目で眺めながら、霜月は考える。

 

(葉山は周りはもちろん、グループにさえ教えてない。....先生に聞くわけにもいかない、となると)

 

「こういう時は、性格逆算した方が早いわね」

 

何でもない雑談の続きをするような口調だった。

 

「……性格逆算?」

 

由比ヶ浜が首を傾げる。聞き慣れない単語に、眉の上に疑問符が浮かんでいる。

 

「なにそれ?算数?」

 

「安心しなさい、お団子頭。アンタは一生履修しなくていいやつよ、使えないから」

 

「ひどくない!?」

 

即座に突っ込む由比ヶ浜を無視して、霜月は淡々と説明を続ける。

 

「簡単に言えば、相手の言動とか行動から、思考回路を逆に辿るのよ。“なぜそれをしたか”じゃなくて、“そう考える人間だからそれをした”って見る」

 

指を一本、二本と折りながら話す様子は、どこか講義めいていた。

 

「文化祭の時、相模の居場所分かったでしょ。あれもそれ」

 

「あっ……!」

 

由比ヶ浜が思い出したように声を上げる。

 

「屋上!一瞬で当てたやつ!」

 

「マジかよ……」

 

比企谷が少しだけ身を起こす。

 

「それ、普通に探偵の能力じゃねぇか。人生だいぶ楽になりそうなんだけど」

 

「アンタが使ったら、性格最悪になるからやめときなさい」

 

霜月は一切の躊躇なく切り捨てた。

 

「え、どういう意味それ?」

 

「他人の思考が分かるのに、わざわざ嫌われる選択を取り続ける人間が量産されるって意味」

 

「……」

 

一瞬の沈黙。

 

「それ、もうヒッキーやってるじゃん」

 

由比ヶ浜の素朴な一言が、容赦なく刺さる。

 

「俺そこまで計算してねぇからな...?」

 

「してないのにその結果なのが、一番厄介なのよ」

 

霜月は机に肘をつき、深くため息を吐いた。そして、話題を切り替えるように視線を上げる。

 

「で。今回の地雷は……」

 

「葉山、だな」

 

比企谷が短く言った。即答だった。

 

「あはは……だよねー」

 

由比ヶ浜が乾いた笑いを浮かべる。笑っているが、目はまったく笑っていない。雪ノ下も小さく息を吐いた。

 

「……あの人ほど、扱いづらい“善人”もいないわ」

 

霜月はその言葉を聞いて、ほんのわずかに口角を上げた。

 

「性格逆算の出番ね」

 

この瞬間奉仕部は――触れたら爆発することが分かっている地雷原に、今日も何の対策もなく、平然と足を踏み入れる準備を始めたのだった。霜月は椅子の背にもたれず、浅く腰掛けたまま、三人を順に見渡す。視線は鋭いが、敵意はない。

 

「まずは葉山について改めて情報を集める必要があるわ」

 

霜月が口を開く。

 

「知ってること、印象、噂、本人から聞いたこと。評価でも愚痴でもいいから、全部言ってちょうだい」

 

指先で机を軽く叩く。

 

「遠慮はいらないわよ。どうせ本人いないし」

 

「それ言い方ひどくない?」

 

由比ヶ浜が苦笑しつつも、促されるまま姿勢を正す。

 

「……最初は由比ヶ浜ね」

 

「え、あたし?」

 

「クラス同じでグループも同じ。情報量一番多いでしょ」

 

「う、うん……」

 

由比ヶ浜は少し考え込むように視線を泳がせ、それから指を折り始めた。

 

「えっと...隼人くんはね、優しいし、気遣いできるし、みんなのことちゃんと見てて……」

 

一つ、二つ、三つ。

 

「困ってる人がいたら放っておかないし、場の空気悪くなりそうだと、さりげなくフォローするし……」

 

だが、途中で言葉が詰まる。

 

「……あと……」

 

しばらく沈黙。

 

「……なんか頼れる、かな!」

 

最後は勢いでまとめた。霜月は、その様子をじーと見てから一言。

 

「“なんか”が多いわね」

 

「うっ……」

 

「つまり、欠点が思いつかない代わりに、具体像も薄い」

 

由比ヶ浜はぐうの音も出ない。

 

「次、比企谷。ぼっちお得意の人間観察が役に立つわよ」

 

比企谷は椅子に深く座り直し、天井を見上げた。

 

「そう言われると癪なんだか……まぁ正直に言うと」

 

少し間を置く。

 

「出来すぎだな。人として」

 

「ほう?」

 

「空気を読む。距離感を測る。誰かが割を食いそうになると、自分が引き受ける。自分が嫌われ役になることも厭わない。つかイケメンすぎて嫌われない」

 

淡々と並べられる評価は、どれも的確だった。

 

「なるほど、所々比企谷と似てるのに印象が違うのは不思議ね」

 

「うっせ......でもな」

 

「でも?」

 

霜月が即座に続きを促す。比企谷は、ほんの一瞬だけ言葉を選んだ。

 

「……自分の話はしない」

 

空気が、微妙に変わる。

 

「踏み込ませないし踏み込ませる気もない。誰に対しても“ちょうどいい距離”を保ってる。みんなの葉山として存在している」

 

比企谷は視線を下げた。

 

「全員の期待通りに振る舞うのに、肝心なところは逃げる。自分がどうしたいかは、最後まで見せない」

 

由比ヶ浜が、少しだけ不安そうな顔をした。

 

「……それ、悪いこと?」

 

「悪いって言ってねぇよ。ただ、厄介だって話だ」

 

霜月は「なるほど」と声を漏らす。

 

「最後は雪ノ下、頼むわ」

 

霜月の声に、雪ノ下は静かに頷いた。

 

「そうね...葉山くんは優秀よ」

 

即答だった。

 

「判断力、行動力、状況把握。どれも一流でカリスマもある。リーダーとして見れば、欠点が見当たらないわ」

 

「ただ——」

 

その間が、やけに長い。

 

「“誰かを選ぶ”局面になると、必ず自分を曖昧にする」

 

雪ノ下の声は、冷静だった。

 

「多数と少数。正解と不正解。どちらかに立たなければならない時、葉山くんは“全員の側にいるふり”をするのよ」

 

霜月は、そこで初めて小さく息を吐いた。

 

(揃った)

 

三人の言葉が、頭の中で噛み合っていく。

 

優しい。

気が利く。

頼れる。

期待に応える。

 

(でも、自分の選択は語らない)

 

霜月は考える。葉山隼人は、逃げているわけではない。少なくとも、単純に怖がって背を向けているわけではないのだろう――そんな輪郭が、ぼんやりと見えていた。

 

「……大体分かったから説明するわ」

 

霜月の言葉に、三人が一斉に顔を上げる。

 

「葉山は、“みんなにとって都合のいい正解”でいることを、自分の役割だと思い込んでる。だから選ばない。選ばなければ、誰の期待も裏切らない。誰かを泣かせた“当事者”にもならないから」

 

由比ヶ浜が、そっと眉を下げる。

 

「……それって、優しいんじゃないの?」

 

霜月は、即座に首を振った。

 

「優しい“ふり”よ」

 

一切の躊躇もなく。

 

「本当に優しいなら、選んだ結果に責任持つ。葉山は“選ばない自分”でいれば、ずっと“いい人”でいられる」

 

それらは、外から見れば無責任にも映る。だが誰も傷つけず、誰の人生にも決定的な影響を残さないために、自分自身を抑え、役割に徹する。葉山にとってそれは、怠慢ではなくひとつの生き方なのだろう。

 

比企谷が、低く鼻で笑った。

 

「……やっぱキツいな、その分析」

 

「現実は大体キツいものよ」

 

「結論、葉山隼人はマジの善人。でも——」

 

一瞬、視線が鋭くなる。

 

「決定的な場面では、誰も救えないタイプ」

 

その言葉に、反論はなかった。沈黙が部室を満たす。霜月だけが、机に視線を落とし、静かに思考を巡らせていた。

 

(――で、問題はここから)

 

性格は読めたし動機も分かった。奉仕部の“地雷処理”は、ようやく本番に差し掛かったところだった。

 




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