千年後まで御機嫌よう   作:エクシーク

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第29話:失墜 ー空虚な使命ー

拠点の扉を閉めた瞬間、背後から聞こえるはずのナキアミの声が、まだ耳の奥に残っていた。

 

――行くな。

――戻ってくると言え。

――アキユキ。

 

アキユキは、振り返らなかった。

 

振り返れば、きっと足が止まる。

あの細い手を、もう一度取ってしまう。

彼女の側にいたいという、抗いがたい欲求に負けてしまう。

 

だから、振り返らずに、前を見た。

 

夜の街は、異様な静けさに包まれていた。

人々は窓の向こうから聖地の方角を見つめている。

街灯の光は弱く、路地の草花はうなだれ、空には薄墨を流したような黒い雲が広がっていた。

 

それは雲ではない。

邪悪なる真正ヒルコ(アニマ=ノア)が吐き出す、怨嗟の気配だった。

 

アキユキは街外れまで走ると、足を止めた。

 

「ふぅーっ……」

 

肺が焼けるように痛い。

プラーナを喰われた身体は、思った以上に重かった。

それでも彼は息を整え、右腕のヒルコへ意識を沈める。

 

白い光が、皮膚の下から溢れた。

 

骨格が組み替わる。

肉体が変質する。

背に蒼白い翼が生え、四肢が白き外殻に覆われていく。

 

ザムド化したアキユキは、夜空へ飛び上がった。

聖地へ向けて飛翔する。

遠ざかる街の灯りが、足元で小さくなっていく。

 

風が顔を打った。

だが、その冷たささえ、今のアキユキには遠かった。

 

飛びながら、アキユキの心には、無数の声が渦巻いていた。

 

――ナキアミを頼む。

 

それは、伊舟の声だったのか。

ヤンゴの声だったのか。

あるいは、自分が勝手にそう聞いていただけなのか。

 

もう判然としない。

 

彼らから託されたものを、自分は守れたのだろうか。

 

ナキアミは戻ってきた。

千年の眠りから、確かに現実へ帰ってきた。

 

けれど、自分はまた彼女を置いてきた。

 

病室で、震える手で袖を掴んだ彼女を振りほどいた。

行くなと願う声を、聞いたうえで振り切った。

 

それは、ナクセナにしたことと同じではないのか。

行かないでと叫ぶ声を、聞きながら背を向けた。

アキユキの胸に、鈍い痛みが広がる。

 

「はは……堕ちるところまで堕ちたな……」

 

声は風に消える。

 

リュウゾウの苦悩。

ナズナの祈り。

垣巣の執念。

ハルの想い。

伊舟の決意。

ヤンゴの願い。

そして――ナキアミの夢。

 

ただ、彼らの想いに応えたかった。

 

千年のあいだ、そのすべてを繋ごうとしてきた。

世界は変われると信じてきた。

人は間違えても立ち上がれると信じてきた。

想いは受け継がれると信じてきた。

 

平和な世界も。

ナキアミの帰還も。

迷える魂の救済も。

ナクセナの救いも。

 

 

全てを手に入れようとして――

 

 

ナクセナは怪物に成り果て、

黒い影たちは救われず、

聖地は滅び、

ナキアミは死の淵を彷徨っている。

 

 

――全てを失ってしまった。

 

 

(もし、もっとナクセナの心の声を聞こうとしていたなら……あの胎動窟の扉が開いたとき、ナクセナの方へ振り返っていれば……)

 

後悔先に立たず。

そんなことは百も承知だ。

 

けど――もうアキユキは、何の未来も見ることができなかった。

千年先の、果てしない遠い未来を見据えていたはずの眼に、何一つ先のことが映らない。

 

ナクセナの救いを求める声を振り払った。

そして、ナキアミの懇願も振り払った。

 

あの瞬間から、アキユキの心は死んでしまっていた。

 

「……俺は、一体何がしたかったんだ?」

 

そして残っているのは、使命の形をした空洞だけだった。

 

 

 

 

夜空の先に、聖地が見えてくる。

そして、アキユキは息を呑んだ。

 

「……なんだよ、これ」

 

胎動窟の上に立つ白い巨体は、先ほど見た時よりも遥かに大きくなっていた。

数十メートルどころではない。

もはや百メートルを超えている。

 

かつてアキユキが空の上で相対したヒルケン皇帝。

あの巨大なザムドでさえ、今のナクセナザムドの前では小さく思えるほどだった。

 

六本の腕が、黒い空を支える柱のように広がっている。

白い外殻は異様なほど滑らかで、美しさすらあった。

だが、その美しさは白骨にも似ていた。

 

額には、巨大な赤いヒルコ。

血の塊のようなそれが、脈打つたびに、周囲の世界が痩せていく。

聖地の周辺は、すでに死んでいた。

 

湖畔の木々は枯れ、枝は黒く炭化している。

草は灰のように崩れ、土はひび割れていた。

巡礼者たちの仮設住居は崩れ、灯籠の火は消え、風だけが黒い粉塵を巻き上げている。

 

そして、地面のあちこちに黒い結晶が転がっていた。

 

人間の形を残したもの。

獣の輪郭をしたもの。

祈るように両手を合わせたまま固まったもの。

逃げようとした姿勢で、途中から結晶化したもの。

 

邪悪なる真正ヒルコ(アニマ=ノア)に侵食され、魂とプラーナを食い尽くされた成れの果てだった。

 

「……また、か……!またなのか……!」

 

アキユキの脳裏に、千年前の光景がよぎる。

 

ヒルケン皇帝が流した黒い涙。

それに触れ、南北の兵士や巡礼者たちが次々と石へ変わっていった光景。

悲鳴。

絶望。

空を覆う闇。

 

だが、これは同じではない。

似ているだけだ。

ヒルケン皇帝の黒い雨は、人を石に変えた。

命を止め、世界に沈黙をもたらした。

 

だが、ナクセナザムドの侵食は違う。

止めるのではない。

喰うのだ。

 

魂を。

プラーナを。

存在そのものを。

 

赤いヒルコが脈打つ。

 

そのたびに、遠方からも細い光が吸い寄せられていく。

人々の祈り。

動物の命。

大地に宿る微かなプラーナ。

すべてが、あの空虚へ流れ込んでいる。

 

それでも、巨大ザムドは満たされていなかった。

胸の奥に、大きな穴があるようだった。

どれほど喰らっても埋まらない。

世界すべてを呑み込んでも、なお足りない。

 

「それが……君の虚無なのか、ナクセナ」

 

アキユキは、空中で静かに停止した。

巨大ザムドの顔が、ゆっくりとこちらを向く。

 

そこにナクセナの面影は、ほとんどなかった。

それでも分かる。

あの奥に、彼女がいる。

 

満月のような髪を揺らし、喫茶店の窓際で本を読んでいた少女。

穏やかに笑いながら、どこか危うげだった少女。

自分の存在を誰かに埋めてほしかっただけの少女。

 

その彼女が、今、世界を滅ぼす怪物になっている。

 

「……そうか」

 

アキユキは、ようやく悟った。

自分が千年の旅路の果てに出会うべき敵。

それは、アニマ=ノアという邪教集団ではなかった。

 

「……ナクセナ、君が……。俺の……いや俺たちの《敵》だったのか」

 

彼らは確かに歪んでいた。

想いの連鎖を否定し、魂を真理の名のもとに閉じようとした。

リュウゾウの苦悩も、垣巣の執念も、ナズナの祈りも、ナキアミの想いさえも、不純だと断じる思想を掲げた。

 

だが、彼らは中心ではなかった。

以前、ナクセナは言っていた。

 

 

――「アニマ=ノア」という言葉が指すのは、組織ではありません。

 

 

あの時の意味を、アキユキは今になって理解する。

アニマ=ノアとは、彼らの集団名ではない。

彼らが崇め、彼らを呑み込み、彼らの空虚を餌に育ったもの。

 

邪悪なる真正ヒルコ(アニマ=ノア)

 

魂の箱舟を名乗りながら、魂を流さず、繋がず、ただ喰らうもの。

孤独を癒やすのではなく、孤独ごと無に溶かすもの。

名前を与えるのではなく、名前を奪うもの。

 

それこそが、アニマ=ノアの本体だった。

そして、その中心にいるのは――

 

ナクセナ。

 

ただ、誰かに選ばれたかっただけの少女。

空白を埋めてほしかっただけの少女。

儚く、可憐で、危うくて。

本来ならば、救われるべき一人の人間だったはずの少女。

 

「……ナクセナ」

 

アキユキの声は、かすれていた。

敵と呼ぶには、あまりにも痛ましい。

けれど、止めなければならない。

放っておけば、世界が喰われる。

 

想いも、祈りも、命も、死さえも。

すべてがあの赤いヒルコに吸われ、無意味な黒へ変わる。

 

「君をそんな怪物にしたのは……他でもない、俺だ」

 

アキユキの胸の奥で、何かが静かに沈んでいく。

怒りではない。

闘志でもない。

諦めに似た覚悟だった。

 

「……そのケジメは、取らなきゃいけない」

 

たとえ、それが遅すぎたとしても。

たとえ、もう声が届かないとしても。

たとえ、この身が砕けるとしても。

 

「だから……今度こそは、君を受け止めてみせるよ」

 

巨大ザムドの赤いヒルコが、アキユキを捉える。

黒い奔流が、ゆっくりと渦を巻く。

アキユキは、ひとり、その怪物と向き合った。

 

千年の旅路の果て。

神話でも、伝承でも、邪教でもなく。

 

世界の終末に立ちはだかったのは、救い損ねた一人の少女の、底なしの空虚だった。

 

 

 

 

巨大なナクセナザムドが、六本の腕を広げた。

 

その動きは、遅かった。

 

あまりにも巨大な身体。

胎動窟を見下ろすほどの白い巨体。

世界を喰らう赤いヒルコを額に宿し、聖地全体のプラーナを吸い上げながら立つその姿は、まさしく災厄そのものだった。

 

ナクセナザムドの顔が、わずかに動く。

その瞬間、六本のうち一本の腕が振り上げられた。

ゆっくりと。

あまりにも大きく、あまりにも重く。

空気が押し潰される。

腕そのものが巨大な塔のようにアキユキへ向かって迫る。

 

「…………!」

 

アキユキは翼をひと打ちし、横へ滑った。

 

白い巨腕が、彼のいた空間を握り潰す。

遅れて衝撃波が走り、湖面が大きく陥没した。

黒く濁った水が爆ぜ、聖地の岸辺に泥の雨となって降り注ぐ。

 

まともに当たれば、ただでは済まない。

だが――当たらなければ関係ない。

 

アキユキは空中を切り返し、ナクセナザムドの肩口へ回り込む。

 

「大きすぎるんだよ、君は」

 

呟きと同時に、右腕にプラーナを集める。

蒼白い光が一点へ収束し、右腕から弾丸のように放たれた。

 

――超速生命電流砲。

 

それは、かつて黒い影を一撃で消し飛ばした音速の光だった。

 

空気が裂ける。

蒼白い閃光がナクセナザムドの脇腹を貫き、巨大な白い外殻に風穴を開けた。

一瞬、赤黒いプラーナが傷口から噴き出す。

 

(……さて、どうだ?)

 

アキユキは目を細めた。

全く効かないわけではない。

少なくとも外殻は撃ち抜ける。

ならば、戦いようはある。

 

だが次の瞬間、風穴の縁が蠢いた。

 

肉ではない。

白い外殻が粘土のように波打ち、黒いプラーナが傷を塞ぐ。

わずか数秒。

穴は完全に消えた。

 

「やっぱり、そう簡単にはいかないか」

 

想定内だった。

 

ナクセナザムドは《邪悪なる真正ヒルコ》と融合している。

周囲のプラーナや魂を喰らい続けている以上、再生力は尋常ではない。

闇雲に削っても、こちらが先に消耗するだけだ。

ならば狙うべきは一つ。

 

額の赤いヒルコ。

あれが核だ。

あれを砕くか、少なくとも一撃で機能を止めるほどの損傷を与えなければ、この怪物は止まらない。

 

(……けど、疎らに撃っても喰われるだけだよな)

 

額のヒルコの周囲には、濃密な黒いプラーナが渦を巻いていた。

それは防壁であり、吸収口でもある。

中途半端な攻撃は、逆に喰われる。

 

必要なのは、決定的一撃。

自分が今使える全てのプラーナを束ねた、必殺の一撃。

だが、そのためには時間がいる。

 

(上手く時間を稼ぎつつ、デカい一撃をお見舞いしよう)

 

アキユキは翼を広げた。

その瞬間、ナクセナザムドの残る五本の腕が一斉に動いた。

掴もうとしている。

 

六本の腕が、空中のアキユキを包囲するように迫る。

巨大な掌が、上から、横から、下から、ゆっくりと閉じていく。

 

普通の相手なら、それだけで逃げ場を失うだろう。

だが、アキユキにとっては違った。

 

遅い。

 

圧倒的な質量と範囲を持つがゆえに、動き出しが遅い。

そして、掴むという単純な動作しかしていない。

力に身体が追いついていないのだ。

 

(まだ適合しきってない、が……あと、どれだけ猶予が残されているか……)

 

かつてのヒルケン皇帝が脳裏に浮かぶ。

 

あの巨大なザムドも、最初から完全ではなかった。

戦いの中で成長し、自らの力に適合していった。

空を裂く生命電流砲の弾幕も、暴力的な突進も、戦いの中で精度を増していった。

 

ならば、このナクセナザムドもきっと同じだ。

 

元になったナクセナは、もともとヒルコやプラーナの流れを感知する能力に長けていた。

それが《邪悪なる真正ヒルコ》と融合し、さらに魂とプラーナを食い続けている。

 

成長する。

間違いなく。

 

(……やはり短期決戦。他に手はない)

 

六本の腕が閉じる直前、アキユキは真下へ落ちた。

掌同士が衝突し、空が震える。

その衝撃で黒い雲が渦を巻いた。

 

アキユキは落下の勢いを利用してナクセナザムドの胸元へ迫る。

途中で身体を反転。

翼を畳み、矢のように加速する。

 

(プラーナは極力温存したい……けど、牽制くらいはすべきか)

 

右腕を突き出す。

生命電流砲を三連射。

 

一発目が左肩を抉る。

二発目が胴体を貫く。

三発目が頸部の外殻を削り取る。

 

ナクセナザムドの巨体がわずかに傾いた。

 

しかし、すぐに再生が始まる。

白い外殻が蠢き、瞬く間に傷口が塞がっていく。

 

「大した再生速度じゃないか」

 

アキユキは攻撃後の反動を殺しながら、巨体の背後へ回る。

 

「まぁ……狙いどころが分かりやすいのは有難いね」

 

額の赤いヒルコ。

傷を負うたび、必ずあそこが脈打つ。

 

再生の中心。

侵食の起点。

ナクセナの心の虚構と、邪悪なる真正ヒルコ(アニマ=ノア)が結びついた場所。

 

アキユキは胸の奥でプラーナを練り始めた。

 

少しずつ。

戦いながら。

消耗を抑え、余剰を一点へ集める。

 

ナクセナザムドが振り向く。

六本の腕が再び伸びる。

 

アキユキはそれを避けた。

右へ、下へ、背後へ。

巨腕の隙間を縫い、時に指の間を高速ですり抜ける。

 

その動きは、巨大な怪物から見れば羽虫のようだったかもしれない。

だが、その一匹の虫は、決して捕まらない。

 

アキユキはさらに生命電流砲を撃ち込む。

 

今度は膝。

次に脇腹。

続けて肩の関節。

 

巨体のバランスを崩すための攻撃。

痛みを与えるためではない。

注意を散らし、動きを誘導し、額への射線を作るための布石。

 

ナクセナザムドの白い身体に、いくつもの穴が開く。

だが、そのすべてが瞬く間に塞がっていく。

 

(……ダメだな。やはり、決定打にはなりそうにない)

 

分かっていた。

だが、実際に見るとやはりキツイ。

 

これほどの攻撃を受けても、ナクセナザムドは倒れない。

怯みはする。

遅れはする。

しかし、ダメージにはならない。

 

ナクセナザムドの額のヒルコが、また脈打った。

その瞬間、アキユキは違和感を覚えた。

 

「……?」

 

次の腕が、予想より早く来た。

 

先ほどまでなら、肩の動きで軌道を読めた。

腕が振り上がり、肘が遅れて動き、掌が迫る。

その間に十分な隙があった。

 

だが今の腕は、違った。

アキユキが移動しようとした先へ、先回りするように伸びてきた。

 

「っ!」

 

咄嗟に翼を捻り、ギリギリで回避する。

白い指先が、彼の外殻をかすめた。

たったそれだけで、肩の一部が弾け、プラーナが散る。

 

(まさか……先回りされた?)

 

ナクセナザムドの顔が、ゆっくりとアキユキを追っている。

 

目ではない。

視線ではない。

 

額の赤いヒルコが、こちらを捉えている。

アキユキの背筋に冷たいものが走った。

 

(……!!そういうことかよっ……!)

 

ナクセナの能力。

ヒルコやプラーナの流れを読む力。

 

それが、戦闘の中で武器へと変わり始めている。

 

アキユキは再び加速した。

ナクセナザムドの周囲を高速で旋回する。

上下左右、絶えず軌道を変え、生命電流砲を散らすように撃ち込む。

 

普通なら対応できるはずがない。

百メートルを超える巨体が、これほど小さく速い相手を正確に追えるはずがない。

 

だが、ナクセナザムドは徐々に追いつき始めていた。

 

最初は空振りだった腕が、次第に近くをかすめる。

次に、逃げ道を塞ぐ。

さらに、アキユキが撃つ直前の姿勢へ反応する。

 

「ちっ……!」

 

アキユキは急降下し、湖面すれすれを飛ぶ。

水面が黒く濁り、侵食の波が広がっている。

そこへ近づくのは危険だ。

だが、巨体の腕を誘導するには使える。

 

ナクセナザムドの六本の腕が湖面へ突き込まれる。

黒い水柱が立つ。

 

アキユキは水柱の影を利用し、巨体の真正面へ抜けた。

額のヒルコが見える。

 

今だ。

 

胸の奥に溜めたプラーナを右腕へ回す。

生命電流砲とは違う。

もっと太く、もっと密度の高い一撃。

音速の弾丸ではなく、貫通と破砕を目的とした槍。

蒼白い光が腕の先端に収束する。

 

「――そこだ!」

 

アキユキは撃った。

蒼白い槍が夜空を裂き、赤いヒルコへ一直線に向かう。

 

――徹甲式生命電流砲。

 

だが、着弾の直前。

ナクセナザムドの二本の腕が額の前へ割り込んだ。

 

「これを防ぐのか……!」

 

光の槍は白い腕を貫いた。

一本目を砕き、二本目を半ばまで抉る。

 

着弾して一拍置いた後、放たれたプラーナの弾が破裂した。

 

ナクセナザムドの巨体を覆いつくすほどの大爆発だった。

だが、赤いヒルコには届いていない。

 

砕け散った腕は、瞬く間に再生していく。

アキユキは奥歯を噛みしめた。

 

偶然ではない。

完全に反応していた。

 

こちらがヒルコを狙うと判断し、その射線に腕を置いた。

つまり、ナクセナザムドはもう、守るべき場所を理解している。

 

戦いながら成長している。

しかも、その速度が異常だった。

 

(全てにおいて、あのヒルケン皇帝を上回っている……!)

 

認めざるを得なかった。

 

かつてのヒルケン皇帝は、巨大な力を持ちながらも空虚だった。

魂を持たず、世界への憎しみで暴走していた。

 

だがナクセナザムドは違う。

ナクセナ自身の異常な感知能力がある。

 

それらが《邪悪なる真正ヒルコ》と結びつき、想像を超える速度で戦闘へ適応している。

 

このまま続ければ、近いうちに捕まる。

捕まれば終わりだ。

 

(くそっ……このままじゃ、完全にジリ貧だ……!)

 

決めるしかない。

 

今使える全てのプラーナを一点に集め、額の赤いヒルコへ叩き込む。

外せば終わり。

防がれても終わり。

今回ばかりは自分の身体も、無事では済まないだろう。

 

だが、それ以外に手はない。

アキユキは急上昇した。

 

ナクセナザムドの六本の腕が追う。

だが、アキユキはそれらを振り切るように、さらに高く、高く飛んだ。

 

聖地が下へ遠ざかる。

胎動窟が黒い穴のように見える。

巨大なナクセナザムドの全貌が、ようやく視界に収まる。

 

百メートルを超える白い巨体。

六本の腕。

赤いヒルコ。

足元に渦巻く黒い奔流。

 

その姿は、まるで世界の終末に現れた白い死神だった。

アキユキは上空で静止し、全身のプラーナを集める。

 

翼から。

四肢から。

外殻の奥から。

魂の導き手として千年を歩いてきた、その存在の中心から。

 

蒼白い光が、彼の周囲に輪を作る。

大気が震え、雲が裂ける。

夜空に、一等星のような輝きが灯った。

 

だが、その瞬間。

下方で、ナクセナザムドの巨体が大きく脈打った。

 

(……なんだ?何をしている?)

 

次の瞬間、アキユキは目を見開く。

 

白い巨体の背中に、黒い亀裂が走る。

そこから光が漏れた。

 

いや、光だけではない。

黒い怨嗟と、白い外殻と、赤いヒルコの脈動が混じり合い、巨大な翼の輪郭を形作っていく。

 

一枚。

二枚。

三枚。

そして、さらに三枚。

六つの翼が、ナクセナザムドの背に広がった。

 

「はは……ウソだろ……」

 

アキユキの乾いた笑いが漏れる。

 

それは、かつてヒルケン皇帝が見せた光の翼に似ていた。

だが、それよりも遥かに神々しく――禍々しい。

 

一枚一枚が、百メートルを超えるナクセナザムドの身体を包み込むほど大きい。

羽根の縁は光を帯びているのに、内側は底なしの闇を抱えていた。

純白と漆黒が入り混じった、神聖で邪悪な翼。

 

六つの翼が、一斉に開く。

 

聖地の空気が爆ぜた。

胎動窟周辺の黒雲が渦を巻き、湖面が裂ける。

次の瞬間、ナクセナザムドの巨体が浮いた。

 

(――何て力だ……あの巨体を飛ばせるとは……!)

 

巨体が、空へ上がる。

ありえない速度ではない。

だが、その質量が空を昇るという事実そのものが、世界の理から反している。

 

ナクセナザムドは、赤いヒルコを輝かせながら、アキユキを追ってくる。

六つの翼を広げて。

純白と漆黒の羽根を撒き散らしながら。

 

アキユキは、上空で歯を食いしばった。

 

距離を取って一気に決める。

その作戦は、もう崩れた。

 

ナクセナザムドはもはや、地を這う怪物ではない。

まるで、天空から下界を見下ろし、世界の終末を告げる堕天使のようだった。

 

「……君は神にでもなるつもりなのかい?ナクセナ」

 

終末の堕天使が、夜空へ昇ってくる。

それを迎え撃つように、蒼白い一等星がさらに強く輝いた。

 

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