笑ってるだけで、女の子が病みます。 作:東◯版蜘蛛男
まひると澪が教室に入った瞬間、空気がざわついた。
これも、もはやお馴染みの光景である。
いつもは無表情な澪が、今は眉間に皺を寄せ、怒りを露わにしていた。
クラスメイトたちはもう慣れている──はずなのに、やっぱり毎回ちょっと怖い。
そして何より、この状況を作っている原因が、誰かなんて全員わかっている。
「みんなおっはよーっ!」
「お、おはよう天野」
「あの……黒瀬さん、顔がすごいことになってるから……そろそろ離してあげて?」
ガラッと扉を開けて、まひるが大声で挨拶する。
教室中から返事が返るのも、このクラスの生存本能の賜物だった。
無視などしたら最後──目の前の黒瀬澪のように、数日間付きまとわれることになる。
悪態でもつこうものなら、「あれ? 仲良くなれそうだね!」と親友認定されてしまう。地獄である。
「おっとと! ごめんね! 澪!」
「……はぁ……フン」
澪は心底うんざりした顔で、自分の席にドカッと座り込んだ。
「いや〜すごいわ、アンタ。あの黒瀬さんの鉄仮面を剥がせるコミュ力……」
「正直ちょっと怖い」
「えへへ〜それほどでも〜!」
褒めてない。
その思考がクラス中に伝染していくのも、もう日常風景の一部だった。
⸻
昼休み。
「澪〜! 一緒にご飯食べよ〜! あれ? 澪は?」
チャイムが鳴ると同時に、まひるはお手製のクソデカ弁当を持って澪の席へ突撃した。
が、そこにはすでに澪の姿はない。
──当然だ。
澪は昼食タイムに巻き込まれることを学習しており、チャイムと同時に逃走していた。
「うえ〜! なんで澪いないの〜!」
まひるは大声を上げながら、校内をうろうろと探索開始。
クラスメイトたちは、その背中を見送って心底ホッと息をつく。
別に、まひると関わること自体が悪いわけじゃない。
彼女の明るさや能天気さは、クラスにとって確かに救いでもある。
面倒な委員決めや係の仕事も、まひるが率先してやってくれる。
──ただ、毎日関わるとなると話は別だ。
疲労が蓄積し、メンタルが先に折れる。
だからこそ、まひるに「本当の友達」と呼べる存在はいなかった。
みんな、彼女を“明るいクラスのマスコット”として遠くから見ているだけなのだ。
⸻
「もぉ〜! 恥ずかしがり屋なんだから〜!」
そんな独り言を言いながら廊下を歩いていると──
「あ! すずめちゃーん!」
「うひぃっ!?」
まひるの声に反応して、肩をびくんと跳ねさせた少女が振り向く。
白鳥すずめ。
体は小柄で、制服がぶかぶか。
ミルクティー色の柔らかいボブカットが肩の上でふわりと揺れる。
どこか頼りなく、でも目を離せないような儚さがあった。
「すずめちゃん、いいとこにいた! お昼まだ!? 一緒に食べよ〜!」
まひるが猛スピードで駆け寄り、笑顔で誘う。
すずめはびくびくと体を震わせ、琥珀色の瞳をキョロキョロと揺らした。
「相変わらずかわいいね〜!」
「……う、うひ……」
「よーし! 一緒に食べよ!」
「……あの、その……声……」
「なに!?」
「……ご、ごめんなさい……」
「なんで謝ってるの! 変なすずめちゃん! さ! 行こ行こ!」
まひるはそのまま、すずめの手を取って引っ張っていく。
どう見ても、気弱な女子が不良に絡まれている図である。
廊下の先生が「止めるべきか……?」と困惑していたが、
ふと見ると、すずめが少しだけ笑っていた。
それを見て、「……まあ、いいか」と先生は肩をすくめた。
こうして、二人は一緒にお昼を食べることになった。
⸻
「でね〜! よるが私のこと“いじめられてた”って言うんだよ! そんなわけないよね!」
「……」
「う〜ん、私ってそんなに普通じゃないのかな? ねえ、すずめちゃん!」
「……」
「うんうん、やっぱりそう思うよね!」
「……あ、あの……わ、私まだ何も言ってないです……」
「あれ? そうだっけ?」
まひるはクソデカ弁当を凄まじい勢いで平らげ、すずめは菓子パンをちまちまと食べている。
返事が遅れるのも無理はない。
だが、まひるにとって沈黙は肯定の合図。
もはや人間のコミュニケーションではない。
「あはは〜! またやっちゃった!」
「……」
すずめとまひるの出会いは、澪のときとほぼ同じだった。
一人でいるすずめに、まひるがいきなり話しかけ、勝手に盛り上がって、勝手に去っていった。
その間、すずめの発した言葉はゼロ。
入学当初、自己紹介で吃音が出てしまったすずめは、それ以来友達ができずにいた。
だからこそ、まひるに声をかけられたとき、少しだけ期待したのだ。
──けれど、返事ができなかった。
次の日も、その次の日も。
それでも、まひるは話しかけ続けた。
そして四ヶ月後。
ようやく、すずめはまひるのテンポに慣れてきて、
ついに返事を返すことができた──。
ただし、最初に出た言葉は「……うひ」。
すずめ自身、墓に入りたい気分だった。
⸻
「いやいや〜私の悪い癖だね!」
ぺしっと自分の頭を叩くまひる。
その様子を見て、すずめは意を決して口を開いた。
「……ど、どうして……そんなに笑っていられるんですか?」
その問いに、まひるの動きがピタリと止まる。
そして──
「やったぁぁぁぁぁぁ!! 初めてすずめちゃんから話しかけてもらえた──!!」
「ふ、ふぇぇ!? な、なんで喜ぶんですかっ!?」
「やったやったやった〜〜!!」
叫んで跳ねるまひる。困惑するすずめ。
やめろ、すずめが怯えている。
「で、えっと! 笑ってる理由だっけ? そんなの簡単だよ!
笑ってる方が楽しいから! ほら、すずめちゃんも笑ってみよ!」
「……い、嫌です……」
「え〜なんで! すずめちゃんかわいいのに!」
まひるがすずめの長い前髪を上げて、顔を覗き込む。
大きな二重の琥珀色の瞳──人形のように綺麗だった。
急接近にすずめは真っ赤になり、手でまひるを押しのけて前髪を戻す。
「え〜! 下ろしちゃうのもったいないって!」
「む、無理ですっ! 恥ずかしいです……!」
「そっか〜! じゃあしょうがないね!」
まひるはすんなり引き下がって、隣に座り直した。
すずめは俯いたまま、小さく息をつく。
(……なんでこの人、こんなに優しくしてくれるんだろ)
そんな疑問が浮かぶ。
裏があるようで、でも裏がなさそうな不思議な子。
まひるのマシンガントークに鍛えられたおかげで、
最近はクラスの子とも少しずつ話せるようになった。
だから本当は──少しだけ、感謝している。
「……いつも……ごめんなさい」
「ん? 何か言った?」
「……な、なんでもないです」
そう言いながら、すずめの口元がほんの少しだけ緩む。
⸻
「……貴女、誰に対してもその調子なのね」
冷たい声が割って入った。
いつの間にか、澪がすぐそばに立っていた。
「あ! 澪〜! もう! 探したんだよ!」
「……見つけるなり抱きつくの、やめてくれない?」
まひるが勢いよく澪に抱きつき、澪が心底嫌そうな顔をする。
だが──澪も、通り過ぎることはしなかった。
わざわざ戻ってきて、まひるに話しかけている。
「そこの貴女、このバカに構う必要はないわよ。時間の無駄だから」
「……え、その……」
「すずめちゃんは私の親友だし! 時間の無駄じゃないですよだ!」
「貴女に“親友”は何人いるのかしら?」
「えーと、何桁がいい?」
「……桁でいくの?」
そう言い合いながら、まひると澪は仲良く(?)教室へ戻っていく。
その背中を見送りながら、すずめは胸の奥に小さな痛みを感じていたのだった。