美味しいタンバの栗ご飯。
カツカツカツ。チョークが勢いよく黒板上を走る。お昼前の現代文の授業。香澄は、猛烈なスピードの板書を取り逃さないようにしながらも、意識はノートではなく机の隅に向いていた。バンドを組んで連絡先を交換してからも、沙綾との机上での文通はずっと続いている。超速板書の後にやって来るお経のような長い説明のタイミングは、ずっとその内容を考えていた。しかし、今日はうーんうーんと考えるばかりで、一向に何を書くか決まらない。横をチラリと見てみる。真面目に授業を受けている有咲と、その向こうに机に突っ伏しているりみが見えた。いつも通り。
長い解説を終えて、再び先生がチョークを持った瞬間、チャイムが鳴った。思ったより授業が進まなかったのか、不満げな顔をしながらも先生はチョークを置いて日直に挨拶を促す。待ちに待った、お昼休み。最近は沙綾を除いたポピパの四人で、屋上前の踊り場に集まってお昼ご飯を食べるのがお決まりになっている。授業終わりの挨拶が済んで先生が出て行くと、クラスの皆も一斉に散らばってグループを形成し始めた。
「有咲ちゃん。りみり……あれ? りみりんは?」
お弁当を持った香澄がいつも通り横の二人に声を掛けると、ついさっきまで机に突っ伏していたはずのりみりんがいない。
「あれ……さっきまでいたのに……」
有咲も気づいていなかったようで、いつも通りの小さな声で答えると首を傾げる。
「どこに行ったんだろう……」
「お手洗いかな」
授業が終わって香澄と有咲がお弁当を用意していたわずかな時間で、ニンジャのように忽然と姿を消したりみりんの行方に見当をつけていると、香澄は教室の後ろの扉が半分ほど開いているのに気付いた。そしてそこから、たえがこちらを見ている。いつものように二人を呼びに来たようだ。二人は一旦、お弁当を持ってたえの方に向かう。香澄はたえに尋ねた。
「たえちゃん、りみりんがどこに行ったか知らない?」
「ニンジャセンパイなら、走って階段の方に行っちゃったっす。炊飯器を持ってすごい勢いで」
「……炊飯器?」
香澄は、りみに初めて声を掛けられたあの日を思い出した。いきなり白米を一盛り二十円、もしくはおかずとの交換でどうかと聞かれて大いに困惑した覚えがある。一度先生に炊飯器を没収されてしまい、取り戻すのに苦労したこともあってか(香澄たちにお弁当のおかずを貰えるようになったこともある)、しばらく持ってきていなかったはずなのに。香澄は首を傾げた。
「とりあえず先にお昼にしない? いつもの場所にいたら、あとで来るかもしれないし」
有咲のその一言で、三人は移動することにした。
校舎の階段を三階まで上がり、そこからもう一階分上がっていくと屋上に出るドアがある。そこの目の前にある踊り場が、最近のお昼の定位置だった。この学校の大半の人達は、昼休みを教室か購買か中庭で過ごしているから、ここには香澄たち以外ほとんど人は来ない。広くはないけれど、四人くらいで集まるにはちょうどいい大きさをしている。それに、晴れてさえいればドアの曇りガラスからの光が差し込んでくるからそこそこ明るいし、寒くなって来た今頃なら風もしのげるし、ぼんやりと暖かい。何より、ここでなら有咲も蔵にいるときのように普通に話すことができる。ここはポピパにとって、蔵に続く第二の拠点のような場所になっていた。
三人で談笑しながらお弁当を広げて少しすると、荒い息遣いが聞こえてくる。三人はギョッとして階段の方を振り返ると、そこには炊飯器片手に肩で息をしているりみが立っていた。
「あんた、何があったわけ?」
炊飯器片手にゼーゼーと疲れた様子の裸足の女子高生にまず話しかけたのは、有咲だった。りみは四人の元にヘロヘロと歩いてきて炊飯器を下ろすと、崩れるようにドスンと座る。そして息も絶え絶えに言った。
「先生を、撒いて、きた」
「何をしたらそうなるわけ?」
「ベンケー殿~。ひどいと思わないか? 以前、炊飯器の持ち込みを全面的に許しておいて、この仕打ち……。うちは食べざかりの運動部の奴らに、栗ご飯をはんば……
どうやら、また先生に炊飯器を没収されかけたようだ。そもそも、炊飯器の持ち込みは黙認されただけといっていたような……。香澄はそんなことを思い出し、有咲は
「……ちなみにいくらで売ろうとしたの?」
「一盛り二百円!」
「値上がりしてる!」
いきなり白米のときの十倍の価格が飛び出し、香澄は思わず声をあげた。
「師匠、何を勘違いしている。これは、タンバの美味しい新米に、旬のタンバの栗を合わせた至極の一品……。二百円でも安い位だ」
「……販売だったからダメだったんじゃない?」
「栗の皮むきを夜遅くまでしていたせいで、今日のうちは寝不足なのー! その苦労を汲んでくれたっていいだろうに……」
「あんた寝不足関係なくいつも授業中寝てるでしょうが」
「それなのにいつもより高すぎるって……。二百円がどれだけ破格かを懇切丁寧に説明を尽くしたというのに……。いんふぉーむどこんせんと? を果たしたぞ!」
「押し売りと変わらないでしょそれ……。それにあんたは医療従事者じゃない」
うだうだと言い訳を並べたり、わざとらしく欠伸をしたりして必死に訴えるりみを、呆れた有咲が突っ込んでいる。……きっと、栗ご飯を売られていた人達が渋っていたところを先生に見つかったんだな。香澄たちは察した。
「そもそもニンジャセンパイ、何で栗ご飯を売ってるんすか?」
たしかに。たえの一言に揃ってそう言った香澄と有咲は、りみの返答を待つ。
「新しい機材を買っちゃったせいで生活費が無いのー! 今あるのは、実家から送られてきた米と栗と、黒豆だけ……」
そういえば、練習でやけにウキウキしながら足元をいじっていたような。香澄は昨日の練習中のりみの様子を思い出した。
「……というわけで、師匠たちもいかがか? 美味しい栗ご飯」
りみは、まだ諦めていないようだ。りみが蓋のボタンを押すと、炊飯器の中にぎっちりの栗ご飯がお目見えする。まず目につくのは、大きな栗。普通のスーパーの栗よりも、一回りは大きい。しかも、それがゴロゴロとたくさん入っている。「栗ご飯」というより、「ご飯栗」のような、ご飯の方を添え物にしてしまうくらいの迫力を、栗たちが蓄えていた。
「師匠たちには、普段からの
りみの必死の懇願を受けて、三人はおかずを多めにあげることにした。香澄のたこさんウインナーに、有咲のだし巻き卵、たえのから揚げ……。残っていた主要なおかずの大半が、りみの元へと旅立っていった。りみはホクホク顔で満足そうに栗ご飯を盛ってくれる。
お弁当の空いたところに盛ってもらった栗ご飯を、香澄たちはじっと見た。ぴかぴかの白いお米の中で一際存在感を放つ、大きな栗。ゴクリ、溢れてきた唾液を飲み下す。三人はほぼ同時に、それを口に運んだ。……美味しい。とてつもなく、美味しい。三人の感想は一致していた。食べ応えのある大きな栗は、今まで食べたことのあるどんな栗よりも甘い。そして、密度が高い。美味しさがミチミチと張りつめているようだ。それに、お米も噛めば噛むほど甘みが出てきて、美味しさに余韻を感じられる。どちらの美味しさも喧嘩することなく調和しており、最高の栗ご飯だった。三人は顔を見合わせる。りみの方を見ると、りみが誇らしげに胸を張っていた。
三人が栗ご飯のあまりの美味しさに驚いていると、りみが急に手を叩いた。
「そうだ。これをかけると、もっとビミになること間違いなし!」
そう言うと、小瓶を取り出して三人の目の前に置いた。白く細かい結晶の詰まった小瓶のラベルには、「あじしお」と書かれている。りみに言われるがまま、三人は順番に栗ご飯へ塩を一振りしていった。そしてまた、三人同時に、パクリ。塩味が、栗とご飯の甘みをさらに際立たせる。塩味のアクセントが加わることで、この栗ご飯は、いくら食べても食べ飽きない完全体へと進化した。もらった分の栗ご飯を、三人はあっという間に食べ終えてしまった。
「……これ、一口試食できる、みたいな仕組みがあったら売れたんじゃない?」
「……有咲センパイと同感っす」
「そうかも……」
ぽつりとこぼれた有咲の意見に、たえも同調する。これが一盛り二百円なら安い。三人とも、食べる前から大きく考えを変えられてしまっていた。それに加えて、香澄はこうも呟く。
「沙綾ちゃんにも食べさせてあげたいな……」
「獅子メタル殿にも……。たしかに」
「今度の蔵での練習のときに持って行こう」
香澄の呟きに、りみはしばらく考えて承諾する。
「やった!」
「その代わり……」
香澄が喜んでいると、りみはぴょこんと指を立てて条件を追加した。
「師匠。獅子メタル殿に、パンを持ってきてくれるよう頼んでくれ!」
香澄を含め、他の二人もこの返答にりみらしいなと少し苦笑い。机の隅に書くメッセージが、今決まった。