雛芥子の芽吹く頃   作:西楚の一平卒

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ep.19 叙事詩の序文

 捕まらなかった。

 

 正確には、警察には呼び止められた。道の真ん中で男を二人ほど転がしていたから、仕方ないと思う。片方は身体から針を飛ばし、もう片方は地面を波打たせていた。最近は一人で来る人が減った。学習しているらしい。

 

 あまり意味はない。

 

 針は血の壁で止めた。地面は跳んで避けた。人通りがあったので、いつもより大人しく戦った。最後は二人まとめて血で縛った。

 

「約束と違うじゃない」

 

 返事はない。意外と人望ないのね。

 

 そこへ警察が来た。

 

「……またですか」

 

「またよ」

 

 いつもの人だった。

 

 いつものように事情を聞かれた。いつものように目撃者を探され、いつものように相手が先に襲ってきたことが確認された。

 

 だから、いつものようについていこうとした。

 

「どこへ行くんです?」

 

「警察」

 

「いや、来なくて大丈夫ですよ」

 

「そうなの?」

 

「そうです」

 

「本当に?」

 

「本当です」

 

 変なの。

 

「緊急時における個性使用の規定が変わったんです。明白な危険があって、本人や周囲の人を守るために必要な範囲なら、資格がなくても――」

 

「帰っていい?」

 

「……いいです」

 

「じゃあ帰る」

 

「あ、連絡先だけ確認させてください。後日、追加で事情を伺う可能性がありますので」

 

「うん」

 

 名前と住所を書く。

 

 それだけだった。

 

 帰れた。

 

 警察署に行かなかった。留置所にも入らなかった。面会室の椅子にも座らなかった。

 

 ちょっと物足りない。

 

 慣れというのは怖い。

 

     ◇

 

 それから数日後、和也から連絡が来た。

 

 会いたいらしい。

 

 珍しい。今までは私が捕まると勝手に来ていた。場所を決めて会うのは初めてかもしれない。

 

 待ち合わせは公園だった。

 

 昔は瓦礫が積まれていた場所だ。今は片付けられ、地面を均して木が植えられている。道もある。遊具もある。子供が走り、少し離れたところでは老人が日向ぼっこをしていた。

 

 別に立派な公園ではない。

 

 でも、公園だった。

 

 先に着いたのでベンチに座る。しばらく待っていると、和也が来た。

 

 スーツ。鞄。それから紙袋。

 

 昔より少しだけ老けた。

 

 私はたぶん変わっていない。

 

 和也が私の前で立ち止まった。何も言わない。

 

「何?」

 

「いや」

 

 和也が少し笑った。

 

「ガラス越しでない貴方は久しぶりですね」

 

「失礼ね」

 

「大変だったんですよ? 素行不良の女と密会してるって」

 

「誰が?」

 

「俺が」

 

「誰と?」

 

「貴方とですよ」

 

「密会してないけど」

 

「定期的に警察署の面会室で会ってたでしょう」

 

「面会じゃない」

 

「面会です」

 

「そう」

 

「事情を説明したら支持が増えましたけど」

 

「何で?」

 

「公共の場で個性を使った人が、人を助けた場合でも拘束される。その制度を変えるために、当事者の話を何年も聞き続けていた。そう説明しました」

 

「私、そんな立派な話した?」

 

「ほとんどしてません」

 

「じゃあ嘘じゃない」

 

「話を聞きに行ったのは本当です」

 

「強かになったわね」

 

「政治家ですから」

 

 和也は笑った。

 

 昔より、笑い方にも余裕がある。

 

 そのまま隣へ座るのかと思ったら、持っていた紙袋を差し出してきた。

 

「はい」

 

「何?」

 

「焼きそばパンです」

 

「頼んでないけど」

 

「知ってます」

 

 受け取る。

 

 中を見る。

 

 本当に焼きそばパンが入っていた。

 

「恩返し?」

 

「どうでしょう」

 

「何それ」

 

「もう返せたと思ってるので」

 

「そう」

 

 袋から取り出す。まだ少し温かい。

 

「じゃあ、これは?」

 

「ただの差し入れです」

 

「そう」

 

 一口食べる。

 

 悪くない。

 

「美味しいですか?」

 

「普通」

 

「わざわざ評判の店まで行ったんですけど」

 

「政治家がそんなことで時間使っていいの?」

 

「たまにはいいんですよ」

 

「そう」

 

 和也が隣へ座った。

 

 ガラスはない。

 

 焼きそばパンをもう一口食べる。

 

「それで、何の用?」

 

「今日は別に用があるわけじゃないです」

 

「ないの?」

 

「報告はありますけどね」

 

「やっぱりあるじゃない」

 

「貴方、今日捕まりました?」

 

「捕まってない」

 

「でしょう?」

 

「警察の人には会った」

 

「それは仕方ないです。道の真ん中に二人転がしてたら確認くらいしますよ」

 

「知ってるの?」

 

「今回の制度改正に関わった政治家ですから」

 

「偉くなったわね」

 

「そこまで偉くはないです」

 

「じゃあ和也が変えたの?」

 

「まさか」

 

 和也が笑った。

 

「俺一人で法律を変えられるなら、もっと早く終わってますよ」

 

「じゃあ誰?」

 

「大勢です」

 

 和也は少し考えた。

 

「役人も、警察も、消防も。試験に付き合ってくれた人もいます。反対した人もいましたし、解放寄りの人たちにも助けられました」

 

「反対してたのに?」

 

「反対されたから見つかった穴もありますから」

 

「仲良くなった?」

 

「まさか」

 

「そう」

 

「向こうからすれば、俺は自由を制度の中に閉じ込めた人間です」

 

「違うの?」

 

「半分くらいは、その通りです」

 

 和也はあっさり認めた。

 

「最初に考えてたものとは、随分違います」

 

「失敗?」

 

「いいえ」

 

 即答だった。

 

「妥協です」

 

「同じじゃないの?」

 

「違いますよ」

 

「どう違うの?」

 

「全部欲しがって何も取れないのが失敗です。欲しかったものの一部でも、実際に使える形で残したなら、俺は妥協って呼びます」

 

「便利ね」

 

「便利ですよ。妥協できないと何も決まりませんから」

 

「政治家っぽい」

 

「政治家ですから」

 

「それ気に入ってるの?」

 

「最近は」

 

 和也は少し笑った。

 

「最初は、個性をもっと自由に使えるようにしたかったんです。自分の身体の一部なんだから、使うだけで罪になるのはおかしいって」

 

「言ってたわね」

 

「でも、自由にすれば全部解決するわけじゃなかった」

 

「火事とか」

 

「火事とか。事故とか。犯罪とか。何かあった時に誰が責任を取るのかとか」

 

「面倒ね」

 

「ものすごく」

 

「やめればよかったのに」

 

「嫌です」

 

「そう」

 

 知っていた。

 

 何人もそういう人に会ってきたから。

 

「結局、自由にはできませんでした」

 

「前と同じ?」

 

「いいえ」

 

 また即答だった。

 

「使えるようになりました」

 

 和也が言った。

 

「それが一番大事です」

 

 公共の場所でも、決められた条件なら個性を使える。人を助けるために使える。災害に対応するために使える。そのための訓練を受け、仕事として金を貰っている人も出てきた。

 

 何でもできるわけではない。

 

 でも、何もできなかった頃とは違う。

 

「名前は?」

 

「何のです?」

 

「そういう人たち」

 

「まだ統一されてません」

 

「名前もないの?」

 

「候補はいくつもありますよ。自治体ごとに違う名前を使ってたりしますし」

 

「不便ね」

 

「そのうち誰かが勝手に呼び始めますよ」

 

「そういうもの?」

 

「たぶん」

 

 和也が笑う。

 

「名前なんて、後からついてくるでしょう。今は仕事が先です」

 

「人気あるの?」

 

「ありますよ」

 

「何で?」

 

「格好いいからじゃないですか?」

 

「そんな理由?」

 

「大事ですよ、そういうの」

 

 和也が公園の向こうを見る。

 

 何人かの子供が遊んでいた。一人が手の中に小さな光を灯し、隣の子供が喜ぶ。母親らしい人に何か言われると、すぐに消した。

 

「人を助けて、感謝されて、自分の個性が役に立つ。子供には分かりやすいでしょう」

 

「そうね」

 

「もう、そういう仕事をしたいって言ってる子もいるらしいですよ」

 

「名前もないのに?」

 

「子供はそんなの気にしません」

 

「何になりたいの?」

 

「さあ。強い人とか、人を助ける人とか、格好いい人とか。今はそのくらいじゃないですか」

 

「曖昧ね」

 

「始まったばかりですから」

 

 私は焼きそばパンを食べる。

 

 普通。

 

 少し麺が多い。

 

「異形の人は?」

 

 聞いてみた。

 

 和也が少し黙った。

 

「それは、まだです」

 

「そう」

 

「何もしてないわけじゃありません。でも、俺が今回やった仕組みだけじゃ解決しません」

 

「うん」

 

「犯罪もなくなりません。勝手に個性を使う人もいなくならないでしょうし、作った制度だって事故が起きれば直さないといけない」

 

「ずっと?」

 

「ずっとです」

 

「嫌ね」

 

「俺もそう思います」

 

「やめないの?」

 

「やめません」

 

「そう」

 

 やっぱり、そういう人だ。

 

 昔、直人達も似たようなことをしていた。

 

 水の取り分を決めても、盗む人はいなくならなかった。市場の決まりを作っても、喧嘩はなくならなかった。人を殴らなくても揉め事を終わらせられるようになっても、殴る人はいた。

 

 それでも、前よりは少なくなった。

 

 たぶん。

 

「全部はできなかったのね」

 

「はい」

 

「悔しい?」

 

「悔しいですよ」

 

「じゃあ失敗?」

 

「いいえ」

 

 和也が笑った。

 

「できたものがありますから」

 

「そう」

 

 最初に会った時は、怒っていた。

 

 何がおかしいのかも、どうすればいいのかも、よく分かっていなかった。それから何年も悩んで、紙を増やして、選挙に二回落ちて、三回目で受かった。全部は手に入らなかったらしい。

 

 それでも私は今日、捕まらなかった。

 

「和也」

 

「はい?」

 

「恩、返したんじゃない?」

 

 和也がこちらを見る。

 

 少しだけ目を丸くした。

 

 それから笑った。

 

「だから、そう言ったでしょう」

 

「そうだった?」

 

「そうですよ」

 

「じゃあ、もう聞かないの?」

 

「何を?」

 

「恩返せてますかって」

 

「聞きません」

 

「そう」

 

「寂しいです?」

 

「別に」

 

「でしょうね」

 

 和也が立ち上がった。

 

 時計を見る。

 

 また予定があるらしい。

 

「もう行くの?」

 

「はい。この後、会議です」

 

「忙しいわね」

 

「政治家ですから」

 

「便利ね、それ」

 

「最近気に入ってるんです」

 

「そう」

 

 和也が鞄を持つ。

 

 私は紙袋を持つ。

 

「じゃあ、また」

 

「うん」

 

 数歩歩いてから、和也が振り返った。

 

「次は警察署じゃないところで会いましょうね」

 

「今日も違うけど」

 

「だから次もです」

 

「捕まったら?」

 

「……制度の穴が見つかったと思ってください」

 

「和也に連絡する?」

 

「してください」

 

「嫌」

 

「してください!」

 

 公園に声が響いた。

 

 子供がこちらを見る。

 

 和也は咳払いをして、何事もなかったように歩いていった。

 

 政治家は大変ね。

 

     ◇

 

 それから、個性を使って人を助けることを仕事にする人間は、少しずつ増えていった。

 

 最初は地域ごとに何もかも違った。名前も違う。資格も違う。できる仕事も違う。火事へ行く人もいれば、崩れた建物へ入る人もいた。危険な人間を止める仕事まで任される者もいた。

 

 上手くいくことばかりではなかった。

 

 失敗した。事故も起きた。人を助けた。人を傷つけた。規則が増えて、使いにくくなって、減らして、また事故が起きて増えた。仕事の範囲も少しずつ変わった。

 

 そのうち、制服を揃えるところが出てきた。

 

 さらに時間が経つと、逆に目立つ服を着る人も出てきた。自分を覚えてもらうために、勝手に名前までつける人が現れた。

 

 馬鹿みたい。

 

 でも、人気が出た。

 

 人を助ける。強い。格好いい。

 

 子供には、それで十分だったらしい。

 

 誰かが人を助ける。それを見た子供が、自分もそうなりたいと言う。その子供が大きくなる頃には制度が少し変わっていて、できる仕事が増えている。また別の子供がそれを見る。

 

 何年も。

 

 何十年も。

 

 いつからだったか、そういう人たちをまとめてヒーローと呼ぶようになった。

 

 随分と大袈裟な名前だと思った。

 

 誰か一人が作ったわけではない。

 

 和也だってそうだ。

 

 彼がヒーローを作ったわけではない。そんな名前すら、あの頃にはなかった。

 

 ただ、人が個性を使って人を助けてもいい場所を、少しだけ作った。

 

 そこへ別の誰かが何かを足した。その上へ、また別の誰かが何かを積んだ。上手くいかなければ崩して、作り直した。そうして何年も、何十年も経って、いつの間にか当たり前になった。

 

 たぶん歴史というのは、そういうものなのだろう。

 

 後から振り返れば、綺麗な物語に見える。始まりがあって、英雄がいて、苦難があって、勝利がある。

 

 実際は、もっと面倒だった。

 

 書類があった。会議があった。選挙に落ちた。また落ちた。妥協した。反対された。事故が起きて、規則を書き直した。誰かが怒った。誰かが助かった。

 

 ついでに、焼きそばパンを買いに行った政治家もいた。

 

 そんなものだ。

 

 英雄の時代は、まだ始まっていない。

 

 これは、その少し前。後から叙事詩になる物語の、序文くらいの話だった。

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